これは小説なのか?巧妙に小説という表現形態に偽装された別の何かではないのか?そう思いながらも、これは疑うことのできないほどの「小説」であるという確信も抱いてし…
近代あるいは近代的な語りがどこからきたのか。このような問いはあるひとつの盲目的な前提を置いていると考えなければならない。始まりがあり成長があり成熟があり終わる…
ノリ(?)で購入。作者の文学論はおもしろいのに、小説についてはあまりおもしろくないと感じるのはなんでだろう…子どもが「悪」らしきものと戦う。(らしいというのは…
博論の構想をねろうと、まず一番にしたこと、それが高橋源一郎を読むことだった。何か、そこにはあると思って、はじめた。でも、読み終わると、そこには何かあったようで…
何度読んでもおもしろい。紀伊国屋で原書さがしたけど、みつからなくて残念。アマゾンで買うかな。名訳。「『とにかくね、僕にはね、広いライ麦畑やなんかがあってさ、そ…
バルトは本書において、「言語」「エクリチュール」「文体」の3つの用語を使いわけているが、「エクリチュール」の定義については、さまざまに変化している。バルト自身…
「偉大なアメリカ作品は、アメリカ大陸が言ってもらいたがっていながら、自らは言えない深遠なことを言いつつ、同時にそれを言い損なうために、作品はどれも、前作品を別…
アクタイオーンは、狩りを終え泉で水浴するディアーナを見ようとさまざまに思考を巡らす。しかし、アクタイオーンが見ようとするのは、「裸のディアーナ、赤面するディア…
この中で、三島は理想の小説について以下のように述べている。少し長いが引用する。 小説の進行は汽車のダイヤのように正確に決定され、読者に与えるおどろきは、一時五…
世界との関係性について、新たな視点を紡ぎだそうとしているようなそうでもないような何かしらのエネルギーのあるような作品ではないかないや、文学とは必ずしもそうであ…
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