新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
春の彼岸に雪が降った水上の駐機場はみるみる間に白一色の冬景色デゴイチの足回りは返しの仕業に向けしっかりと油が行き届き準備に余念は無い罐の熱を帯びないテンダー後部は白く高湿の雪が纏わりつく小さな見学者も突然の雪に震える2014年弥生D51498水上NikonDf名残雪のデゴイチ
サラリーマン時代通勤途上でいつも見ていた貨物支線昭和の名残のような貨物専用線や貨物支線が無くなっていくのは本当に寂しい普段はさよならイベントなどには参加しない方だけどこの日ばかりはお別れを告げに行った2014年弥生北王子支線NikonDf北王子支線最後の日
年改まって大地は次の実りへ田起こしされた土野焼きされたくさ草モノトーンを色づかせるは常緑樹のみ大地の息吹に呼応するかのように勢いよく煙を吐いて線路を踏みしめて往く汽車2008年睦月真岡鐡道真岡OLYMPUSE30大地に息吹と煙と
大所帯のEF65には茶色い機関車が居たそんな異色機は当然のこと好撮影対象別に運用を追っかけたわけではないが度々おいしい運用に登用されたまだ電関人の聖地に防風壁が付く前京浜地区からの物資を運んだ貨車たちが一斉に返却される列車石炭のホキと石油製品のタキがぞろぞろ繋がれたこの列車はそれは長大編成で被写体になるにはちょっと無理が2007年睦月武蔵野線秋ヶ瀬鉄橋OLYMPUSE30茶色の電機がいた頃
かつて栄えた産業も今は無く沢山敷かれた鉄路も今では需要を見いだせず唯廃線を待つのみか?ディーディーディーゼルカーが来ないときでんでんむしの通り径駅には長閑な長閑なときが流れる2018年水無月留萌本線真布NikonD5長閑な駅にて
冬の陽はつるべ落とし瞬く間に広がる夕闇に浮かぶ車内灯は家路を急がせる魔力に満ちて2014年睦月NikonDf家路恋し
元は大牟田の炭鉱で働いていた機関車は晩年JR大牟田駅を発着する貨物列車を中継地で引き取りケミカル工場へ送り込む専用線で過ごした工場内では引火性物質を扱うので工場への送り込みを担う機関車はパンタから出るスパークの火花を避けるためにバッテリーを積んだ貨車より電力を供給される改造を受けたとてもユニークな存在だった2014年長月三井化学専用鉄道宮浦NikonDfパンタグラフを下げて働く機関車
大山山麓に位置するこの界隈は肥沃な土地で農地が広がるが9号線が線路に近く海側からサイドに撮影するのが難しい少し目線を上げて広がる田園とおそらく山陰本線敷設時から存在するであろう線路をくぐる水路と農業用取水口を入れて奥に雲間の大山界隈の営みがわかる構図にヨンマルを置いてみた2024年水無月山陰本線大山口~名和NikonD5ヨンマルと大山
一度は撮ってみたかった場所でこんな撮り方をしてみた蒼い色が何層にも重なり合い幻想的だった何もない蒼い風景を唯単行が音もなく走っていく2024年水無月京都丹後鉄道丹後由良NikonD5蒼い鉄道風景
北海道において列車密度極小区間においては特急列車が各駅停車の代わりに乗客の足を担う2018年水無月石北本線丸瀬布駅NikonD5特急オホーツク丸瀬布発車
炭鉱町時代に栄えた志免街を通る勝田線は国鉄時代に廃線駅跡地にできた公園は主の保存蒸機を持っていかれてエネルギー革命と共に衰退するかと思うも福岡中心街から近い地の利で住宅街に変貌鉄路を失った炭都にその設備が今日も物憂げに街を見下ろす2024年如月志免駅跡NikonDf※明日20日は留守にしますのでアップはお休みします。炭鉱町の遺産
北海道に行って一度は北海道色のヨンマルとルピナスの花の組み合わせを撮ってみたかったチャンスはかつての札沼線(学園都市線)終着駅新十津川で叶った電関人にとってはこの組み合わせこそが北海道ヨンマルの心象風景2018年水無月学園都市線新十津川駅NikonD5ルピナス咲く駅
スキャンコンディションが悪いが画像を整理していてふと確か撮影は宝ヶ池かと思っていたがグーグルマップで見ているとどうも違うようだ沿線風景も大きく様変わりして画像を拡大すると行先板に出町柳と八瀬遊園の文字があるとすると叡山本線の三宅八幡か1983年?霜月京福電鉄叡山線NikonF2photomicSBKR此処は何処?
国鉄時代最晩年まで客車運行が残った勝田線高3の春に完乗を目的に夕刻の吉塚始発に乗車時刻的に下校の学生が主でちらほら買い物帰り客デッキに愛想を振りまく女児がいて楽しそうにデッキドアを開け閉めしながらこっちにいないいないばぁをしているようなおめかしの様子から親に連れられて博多の街へ買い物の帰りであろうかこの子の愛想と裏腹に勝田線は国鉄末期の支離滅裂経営によってその後の沿線人口拡大を前に昭和年間に消えていく1979年卯月勝田線車内にてNikonF2photomicSBwithTX客車の妖精
今日までお盆につき亡き妻の思い出を月光仮面ならぬ月光婦人?僅か東日本大震災の一週間後に父の法事で帰省した今やどのように帰ったかすら朧気震災の気分晴らしに二人で門司港レトロタウンを散策そして一度訪れてみたかったここ九州鉄道記念館でサングラスにマスクと月光仮面以上の変装振り病気発症間際の妻は悟っていたかのように二人の思い出作りをたくさん用意してくれた2011年弥生九州鉄道記念館にてCanonIXY月光婦人
亡き妻と寝台列車に乗っての旅行は数度その中で寝台特急北陸で出かけた北陸雪降る二月に寒ブリを食べに氷見港へ出たまだ薄暗い高岡駅で北陸号を下車氷見線ホームへ行くとど派手なヨンマルに出迎えられた車体に大きなぶりが泳ぐデザイン寒ブリ定食の味も含めて一番心に残る妻との旅行2010年如月北陸本線高山駅CanonIXY北陸旅行の思い出
文字通り夏のヒガハス鉄板アングルでお盆直前のこの日金太郎が忙しそうにコンテナ牽いて下っていく薄曇りの光線に蓮の花が妙に現実離れした妖艶さを増して青々と茂る屋敷森の緑と好対照2016年葉月東北本線蓮田NikonDf蓮花・金太郎・屋敷森
既に東京のお寺で7月に新盆供養は済んだが福岡出身の電関人なのでお盆の今日は亡き妻との思い出の一枚志賀高原帰りに妻と湯田中から長電河東線屋代線経由で信越本線に出ていた直通急行志賀に乗車もちろん横軽経由なのでキハ57であるなーんていうのは嘘で上信越道上り線の横川SAに置かれているダルマのキハ57での記念撮影万座温泉でのスキーの帰り道の一コマ電関人の英才教育でかなりの鉄子に・・・2010年睦月上信越道横川SACanonIXYディーゼル急行志賀と妻
確か現役大学受験に失敗した年の春傷心旅行途中の京都駅涙雨そぼ降る1番線に蒸気暖房のスチームを濛々と棚引かせながら進入する荷物列車山陰ホームには急行はしだてかそして東海道ホームには未だ現役だった名車急行型153系流用の新快速も懐かしい大好きだったゴハチの力強い姿に来年がんばれよ!と励まされた1980年弥生京都駅1番線NikonF2photomicSBK‐Ⅱスチーム濛々
旧国鉄筑前高宮駅である。国鉄筑肥線は博多駅から姪浜が福岡市営地下鉄開業に伴い1983年3月に廃止となったその前年の春筑前高宮駅を撮りに出かけている博多駅を出てたった二駅目にこんなに時が止まったような駅が存在した西鉄大牟田線と交差して西鉄連絡駅は平尾駅実は西鉄にも高宮駅があるがそれは隣駅朝のラッシュ時間帯にやって来た博多行き列車キハ30系を長々と数珠繋ぎに仕立てられた列車は満員列車平尾といえば今も昔も高級住宅地区今はこの平尾にはちょっと違う思いがある電関人1982年春筑肥線筑前高宮駅NikonF2photomicSBKⅡ筑前高宮最後の春
国境の鉄路と言えば電関人の場合上越国境未だ関越道も無い上越新幹線も未整備の時代そこは貨客のスジがいくつも引かれ昼夜引っ切り無しに列車が往来した学生時代に蓮田の鉄友を頼って福岡から上京してこの日は前日より水上駅に陣取り駅助役より許可を得て終夜撮影夜が明けてからここで最後の撮影をした古老のEF16が前補機本務がEF15という兄弟コンビで新潟方面へ物資を運ぶその力強いモーター音が国境の山々に響くまだ銀座通りの如く上越線が賑わった時代1978年葉月上越線水上NikonF2photomicSBK‐Ⅱ国境銀座
東京湾岸地区から秩父へ石炭輸送をしていた列車の返空列車陽も上り夏の暑さが感じられる朝高崎線から来たこの列車が武蔵野線への連絡線から下りてくる近年殆ど見られなくなった車扱いの同形式による弓なりに見える美しい編成はエネルギー革命後のいまに残った石炭専用列車は福岡出身の電関人にとってなんともノスタルジーを感じてしまう2014年葉月武蔵野連絡線西浦和NikonDf編成美
雷雨の中小野上工臨を見に行くこの日はDD51888が登板で高機からバラスト満載のホキをエスコートしに側線に据え付けられたホキを推進で本線に出小野上駅のホームに入線出発まで一休み伝統的な一連の儀式を見るような所作は何度見ても飽きることがない2013年葉月吾妻線小野上OLYMPUSE5雨の小野上工臨
厳しかった真夏の陽も随分西に傾きたわわに実りゆく稲穂は目に鮮やかで一服の涼を感じるひとときお米の国の人だからなのか田園を眺めると安心感が満ちるこの景観が未来に永遠に続きますように白と青のスペーシアがそよ風のように稲穂を揺らしていく2015年葉月東北本線蓮田NikonDf落日の田園
漫画のタイトルではないが、旧西鉄宮地岳線において10番代の車には鋼製車体に載せ替えられて張り上げ屋根が異彩を放つそのハイカラさゆえ最初は撮影に抵抗感すらあった古賀ゴルフ場前のホームに現れた女性も編み込みバックに襟広なプリントシャツと裾拡がりのボトムスがハイセンスで最早昭和51年にハイカラは古臭いかもだが電関人にはハイカラでまとめたいシーンとなった1976年卯月?西鉄宮地岳線古賀ゴルフ場前NikonF2photomicSBWithTXハイカラさんが通る
地元最寄り駅はつい先日特急停車駅になった駅も二面四線地上駅舎(二代)、橋上駅舎を経て現在の高架駅二面四線へと移り変わってきた橋上駅舎時代に急行が停車するようになるまで標準軌上をビュンビュン通過していく特急や急行列車を待避線に停まっている普通電車内から熱い羨望の眼差しで見送ったものだった中三に上がる春先に撮ったこの一枚には地上線時代で古いタイプの架線柱もあって道路はダートだし線路との境には柵すら見当たらないその脇にどこかの企業の社宅か同じ平屋が数軒立ち並ぶ懐かしい昭和の風景に馴染むような1300形は旧600形の先頭車を再利用で中間車ユニットは新製したハイブリッド?編成で前面のスタイルは旧国鉄のクモハ52系譲り西鉄新性能車の黎明期にロマンスカーとして活躍1976年如月西鉄大牟田線春日原~白木原OLYMPUSO...西鉄昔日長閑な地上線風景
高校時代地元福岡から関西以遠に出かける際ワイド周遊券とともに14系座席車両を使用した急行列車は我々の強い味方だった言わずと知れた波動輸送用に作られた特急用座席客車で12系と違ってエアサスだし簡易ではあれどリクライニングシートそのリクライニングに上手く空き缶などを挟んだりして固定リクライニングシートにしたりとただ長い編成に自由席はたったの3両のみ後はほとんど空気を運ぶ指定席周遊券の規約上指定席を利用しようとしたら急行料金を支払わなければならず貧乏学生はひたすら早く駅に行き自由席確保のためにホームに並んだのであった1977年水無月鹿児島本線二日市~原田急行阿蘇NikonF2photomicSBwithTXわが青春の14ハザ急行
世界初の電車寝台電間人的には581は明星や彗星月光などと星のイメージ対して583はゆうづるやはくつると鶴のイメージがある最後に残された583は編成こそ短くされたもののクリームと青を纏う夜の女王の風格払暁を迎えた信越の田園に美しく舞う2014年文月信越線二本松NikonDf田園に舞う夜鶴
季節は遡るがアジサイ好きの電関人JRの沿線で紫陽花を絡ませる撮影は電関人の知る限りけっこうレアであるこの年は紫陽花のメッカである飛鳥山に修行しに土壌によって色が変わるという紫陽花を人の夢になぞらえて寝台列車で夢見る旅人そして夜の街でひと夜の夢人の夢色はそれぞれそんなことを綺麗に咲きそろう紫陽花に感じる2010年水無月東北本線王子OLYMPUSE5アジサイドリーミン
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新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
昭和ど真ん中世代の汽車旅感覚だからそう思うのかもしれないが現在では目的地へ最速アクセスして現地ロングステイそれもオーバーツーリズムの要因ではないかそもそも新幹線で現地へ最速アクセスじゃ既に汽車旅風情も無くて目的地へ対する旅情の醸成もできまい一定時間を掛けて目的地へ到達し限りある時間を大切に過ごす行き帰りの車内で旅への高揚を味わい旅人は高い道徳で振る舞う本来の旅は夜越し目的地に向かうくらいの速度と時間がちょうどいい具合だったのではないかオーバーツーリズムは観光地をも消費しつくしてしまう2009年水無月神保原汽車旅とオーバーツーリズム
EF641000番代この形式とは新製からの長い付き合いとなった上越国境の補機運用に当たったEF16の置き換えに始まりその後のEF15、EF58の置き換えとどちらかと言えば最初は宿敵だったがその武骨な図体の重連仕業は山男真骨頂で好被写体となったこの春の改正にて中央西線の重連運用も解消となり形式消滅も秒読みが迫る2010年長月安茂里重連解消
国鉄時代のEF65のように大所帯となったEF210この形式には901号機が存在するから1号機と言ってもセカンドロットオールドファンとしては下枠交差式パンタグラフの同機はシングルアームよりフォトジェニックオリジナル色もそのうち変更になるだろうがもうずいぶんと会っていない1号機遠く岡山の所属だから追っかけるのも大変2007年文月武蔵野線EF2101号機
一人旅で大阪の叔母宅へ行く際に大阪環状線はオレンジバーミリオンの103系だった学生時代中央本線沿線に下宿し通学に利用したのもオレンジバーミリオンの103系就職して貨物をよく撮りに行った武蔵野線もオレンジバーミリオンの103系2005年水無月武蔵野線思い出深いオレンジバーミリオンの103系
残念ながら稼働している頃に行けなかったしかしながら休車で佇んでいるだけでその存在感は十二分だった手前の501は造船会社製2011年文月富士岡岳南のオールドロコ
もともと交流区間育ちで赤い機関車を見慣れている自分としてはこの塗装のパーイチが晴れた日本海には一番似合うと思う2012年水無月鯨波晴れた日本海とパーイチヨゴマル
踏む草の匂いが強く感じられて一日中田圃で蛙が鳴き始める頃季節はやがて梅雨に2012年水無月ひたちなか海浜鉄道梅雨へ
春霞か黄砂かくっきりしない残雪の山の遠景新芽吹く近景に遅咲きの桜泥色の田に幼い稲が並ぶ頸城大野の春景色2011年皐月頸城大野頸城大野田植えの候
旧長野電鉄屋代線の松代駅が取り壊されることに現役時代は最後まで有人駅として約1世紀に亘り時代を見てきた寂しい限りである2011年卯月松代駅1世紀の証人
梅雨のはしりだったか列車の屋根を打つ雨が白く飛沫になるほど勾配でのノッチやブレーキ操作は殊の外慎重を要するだろう2012年水無月蕨雨に打たれる貨物列車
紫陽花の花の色が濃くなる頃蒸し暑い雨の季節がやってくる鬱陶しい梅雨の到来2012年水無月大塚紫陽花の季節へ
とうとう終焉になった安中貨物その専用ホキが新製された直後の試運転だったか人気の機関車にエスコートされて2010年水無月武蔵野線ミニ安中貨物
もうすぐ紫陽花の季節飛鳥山の紫陽花を前景にして北王子専用線列車を狙った思い出2010年水無月王子紫陽花の思い出北王子専用線
草木が黄緑から緑色に深まる頃さらに成長を促すべく雨の季節がやってくる河原いっぱいに広がる緑の向こうを泳ぐようにロクロクの貨物が貨物色を最初から纏う100番代には雨がよく似合う2007年水無月武蔵野線雨の季節へ
現在ひたちなか海浜鉄道として運行されるかつての茨城交通最晩年塗装こそオリジナルの派手なものだが此処にはかつて羽幌や留萌といった北の炭鉱町からやって来た車両が在籍したそのうちの一両はさらに遠く九州のかつての炭鉱町を走る平成筑豊鉄道へ何の因果だろう2006年皐月茨城交通中根茨城交通残照
伯備線から山陰本線に出て日野川を渡って米子中海沿岸を抜け松江宍道湖沿岸を走って斐伊川を渡って終着出雲市へ滑り込むこの山陰本線区間はできれば天気に恵まれたいところだ2014年皐月山陰本線宍道駅山陰本線をラストスパート
伯備線はかつてはD51三重連でも知られた陰陽連絡の幹線ちょうど大学入学と同じころに電化され振子特急も往来する列車密度途中で何本もの列車と交換しながら雨の中国山地を越えた2014年皐月伯備線雨の中国山地越え
早朝の岡山で瀬戸と出雲は分割かつて鳥栖で客車分割は見慣れたものの581・583時代にお目に掛かれなかったからこの分割は一興2014年皐月岡山駅瀬戸分割
夜行列車最大の楽しみは夜越しで変化する車窓サンライズで未明を迎える時間はちょうど九州からの関西ブルトレと同じく須磨海岸の前後懐かしの車窓を暫し鑑賞する2014年皐月須磨夜行列車未明の車窓
朝三見から出て餘部の道の駅まで大移動する途中大山が見たくなって大山口駅界隈に向かう部分完成の虫食い山陰道無料区間を巧みに利用しながら松江手前の有料区間だけ今回のジャーニーで唯一使用宍道湖畔では期せずしてやって来た381やくもを見たまま見送り先へコマを進めた未だ目指す大山は綿帽子を被ったまま大山口駅では列車時刻を確認しつつ新型DC各停を見送り御来屋までの区間で大山の眺望をロケハンレンガ造り(山陰本線開通当時のものか)の農業用取水口を見つけた場所からの大山はエプロンの上にポッカリと頂を見せてくれたので山陰本線を真横から狙うことにした2両のショート編成のスパーおきは大山山麓のこの区間を目いっぱいの速度で大山を横目に走り去っていった2024年水無月山陰本線大山口~名和NikonnD5大山の女神が微笑む
初日の塒は三見狙いがうまくいったというか明るくなってロケハンしたら塒から直ぐの場所がなんとも絶妙一番列車がやってくる頃には既に夜の漁に出ていた船は港に戻った後だった2024年水無月山陰本線飯井~三見朝の三見港
昨日未明に自宅へ戻った日曜の夕刻に郷里福岡を出発山陰本線京丹後鉄道えちぜん鉄道万葉線氷見線越後ときめき鉄道しなの鉄道中央西線を巡る旅の始まりはここ萩駅を皮切りに2024年水無月山陰本線萩駅SONY1-Ⅴ1600キロの旅
本日より旅に出ますので、13日まで更新が滞ります。留守分として本日二本立てです。ついぞ巡り合えなかった雪の餘部電関人が足しげく通った70年終盤から80年初頭は日本は暖冬期にあって雪に浮かぶ幻の餘部鉄橋は幻のままに鉄橋直下に密集する民家がなんともフォトジェニックだ1978年師走山陰本線餘部急行美保NikonF2withEktacrome第二の故郷山陰本線へ里帰り3
光る石州瓦は電関人が思う山陰本線西地区のイメージだしかも地区によって黒いのと朱色のがある此処辺りは黒い甍の波夏の南天に近い時間帯湧き溢れる汗と戦いながら高台から光る甍を入れて下り181系おきを狙う1982年文月山陰本線仁万NikonEL2withKR第二の故郷山陰本線へ里帰り2
ほぼ決定事項だが山陰本線を撮りに行く予定今の同線を撮りたいのもあるが自身の中では初心に帰るリフレッシュの旅確か大学2年の夏意を決して夜行さんべ号の車中の人となり夜明け前の浜田に降り立つそこから時間つぶしに益田まで直行するような客レに乗車さらに上りに乗り換えて岡見駅へ時間つぶしのロケハンで港を経由し三保三隅寄りのポイントへ移動現在は海を埋め立てた発電所になっている場所明けたばかりの太陽が中国山地を温めてできた雲がでてしかもまだ高度が低い太陽は海岸を照らしてはいないそんな悪条件下でKRの絞りはレンズの開放に近いおまけに若干の前ピントとくりゃ・・・踏んだり蹴ったりの一枚である1982年文月?山陰本線岡見~三保三隅NikonEL2WithKR第二の故郷山陰本線へ里帰り1
学生時代に住んだ吉祥寺のボロ下宿脇は中央線の高架線だったお陰でロクヨンゼロのエアフィルタ音は子守歌のようなものロクヨンゼロを長野のお師匠さんと中央西線によく追った一コマを今宵アップ中央西線は塩尻を出て洗馬を過ぎた辺りからいよいよ木曽谷の隘路へと踏み込む木曽谷を縫ってきた下りのタンカートレインが上りのタンカートレインを待って洗馬駅に運転停車複線区間にあって塩尻のヤードの線形からなのか?奇しくも下りの牽引機は59号機を頭に次位60号機と兄弟重連今季小雪の木曽谷の山々は微かに残雪を背負い後ろには北アルプスの前山の鉢盛山であろうか2009年如月中央西線洗馬駅OLYMPUSE30元データJPEG木曽谷ロクヨンゼロ回想
ゴーマルサン時刻改正の約一年後福岡県地方に纏まった雪が降ったのでスクランブル発進で小倉駅までやって来たまだ覚えたての父親譲りのハーフ一眼レフ携えて到着早々珍しい列車に遭遇下り明星3号西鹿児島行だ本来は小倉通過で博多に5時前に到達するからこの時点でおそらく5時間ほど遅れていたようだしかも新大阪寄り先頭車に珍しくクハネ583MGが床下吊り下げで乗務員扉すぐに旅客扉が付く暫くして小倉駅に入線してくる博多発小倉廻り西鹿児島行ディーゼル特急にちりんこれまた珍しく先頭のキハ82には寒地型タイフォンカバーが向日町から鹿児島転属組か?1976年如月?鹿児島本線小倉駅OLYMPUSPENFサクラカラー原色1976IN小倉駅
豊後森に今も残るラウンドハウスかつてはキハ07が番人をしていたが今は福岡からやって来たこのキュウロクになっている2024年如月久大本線豊後森NikonD5豊後森の番人
夜明と共に現地到着残念にも浅間山は雲の中ヤマの専門家である長野の師匠の話では大気が冷えてガスになりそれに包まれているだけなので夜が明けて数時間したら必ず浅間は姿を現すとその言葉に縋りながら氷点下に冷える雪原に数時間明けた太陽が高度を増してくると舞台の緞帳が上がるが如く神々しい白銀の山容を見せてくれ其処に現れたのは奇しくも観光列車ろくもんだった2024年弥生しなの鉄道線御代田NikonD5雪晴れの浅間山麓をろくもんが往く
かつて香春岳で産出していた鉱物は銅鉱石が多かったそのため地名や駅名にも採銅所の名が残る鉱山全盛期を物語るように採銅所駅には駅の気品が強く感じ取れるエントランス上部に掲げられた駅名版は切り株をスライスした一枚板日田彦山線だけに日田杉であろうか?鉄のラッチもそのままに残されるエントランス外には両サイドにこれもまた無垢の木材を加工した温もりのあるベンチが据え付けられる駅本屋の上り方脇に残される積出用側線の有効長はかなり長く何両もの貨車が据え付けられるようになっていた駅本屋の窓枠にも注目したい木の当時から残る窓枠にも漂う大正浪漫そしてホームにはかつてはどの駅にもみられた工業デザイナー氏の手によるカーヴが美しい腰掛に僅かな昭和のモダニズム無人化された後もきれいに維持される採銅所駅に今も残る凛とした気品2024年弥生...採銅所駅の気品
今は水害の影響で全線が繋がってないが久大本線夜明から分岐して日豊本線城野まで伸びる日田彦山線はかつて筑豊地区の物資を運ぶ動脈として筑豊本線と共にあったそして中間駅の採銅所は名の通り銅鉱山を有し輸送物資も豊富当初から輸送力確保のために複線にする計画があったそして穿かれたトンネルも複線用のものであった2024年弥生日田彦山線採銅所駅NikonDf穿たれた複線トンネル
筑豊には二つのダイヤが存在するエネルギー革命によって産出を止めた黒いダイヤこと石炭と香春岳や船尾山といった山から産出する白いダイヤ石灰石石灰石の方はセメントの原料として生産量こそ減ったものの未だに操業中船尾駅界隈はかつてはホッパービンを使ってダイレクトに貨車に積んでいたため周囲は真っ白になっていたのを記憶するが今の船尾駅周辺はトラック輸送に代わって昔の駅周辺と趣が変わった2024年弥生後藤寺線船尾NikonDf黒ダイヤと白ダイヤ
旧国名が筑前と豊前に跨がっているので筑豊その筑豊には一大炭田が拡がり産出した石炭を積み出すために網の目のように鉄路が敷かれたそこで身を粉にして蒸機と共に働いてきたのが石炭用貨車でその初代がセム1どこかにその残党の現役時代の写真があったはずだが今は見つからないので次回の宿題ということで2024年弥生直方石炭記念館NikonDf筑豊蒸機の相棒
礼に始まり礼に終わるのがこの国が最も評価されることのはずが今やそんなことはとうの古の話が如く国力という点においても下から何番目という体たらく人のことなどかまってられるかと言わんばかりの日常金を持っている奴らにばかり媚びていつも周りと比較して自分が少しでも優位に立ちたがるもうすぐパリオリンピックだがお家芸柔道の戦績たるや如何に10代以下否20代以下の将来が心配だ弱者に厳しい?一人この国の未来を憂う2004年卯月?博多駅新幹線ホームNikonFM3A+TX※再掲礼儀の国ニッポンは何処へ
終日の強風に空のクリアランスは最高水田の水面に立つさざ波を味方につけてリフレーンするジョイト音を載せて2024年五月真岡鐡道真岡NikonD5水田のさざ波と
四季折々の花が丹精された上神梅駅にて初夏の日差しはトップライトになると光線が強すぎて作画に苦労すること暫しその日差しを避けるよう木陰に佇む芭蕉の花の青に惹かれた鈍い銅色を纏う気動車をバックに置きハイライトが白飛びしないようぎりぎりの露出にしてあとは現像ソフト頼り2024年五月わ鐵上神梅駅NikonD5/Fisheye花の駅上神梅に遊ぶ
キハ10系や26・55系、58系800番代、35系、23・45系など我々の学生時代は油と煙草のヤニ臭いチンドン屋編成の列車に揺られてだったそれから時代は進んで最新型のユニットを搭載した車両でしかも冷暖房完備時代は変われども彼らの制服は今も昔も大差ない2024年如月香椎線須恵駅NikonDfDENCHA通学
冬の上田原は暮れるのが早い終日強く吹いた季節風によって日没後の冷えは一段と厳しい別所温泉の日帰り湯に浸かり強張った体を休め本日最後の撮影地に向かうメインの通りからやや入り込んだ場所にひっそりと八木原駅は在りそこに寄り添うように数件の人家が集うその寒々とした駅に夜のしじまを破って遠くから電車がやって来た2024年弥生上田電鉄八木原駅NikonD5夜のしじまの八木原に
すっかりと久大本線に定着した観光特急ゆふいんの森キハ65改造の71と新製の72の2編成だが生憎71が検査入場のため185が代走この日一往復の貴重な72を此処で捉えることに玖珠町の地形は数百万年前の火山活動による溶岩大量流出で起きた地盤沈降でカルデラを形成しその後外輪山部分の固い岩盤が他の柔らかい地盤部分の流失でできたメーサ地形となりギアナ高地同様日本でも大変珍しい景観を生み出している画面一番奥がそのメーサである2024年如月久大本線恵良NikonD5ゆふ森とメーサ