新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
未だに年間いくつか設定される団臨の定番しかしその数は減っていることだろう元国鉄車両による当該列車運行にはなんともいえぬノスタルジーを感じる昭和ど真ん中世代の電関人益してヘッドサインが掲出されると嬉しさも一入だ団体列車で日光辺りへの修学旅行今の子どものココロにはどう映つるのだろう2014年文月東北本線東大宮~蓮田NikonDf修学旅行臨
カシオペア専用罐として用意されたEF510の509号機と510号機周知の通りその本来の任務は短命に終わるその両機がメーカーから引き渡されて間もない頃ハンドル訓練と試運転を兼ねた重単を曇った夏空の下で捉えた国鉄時代だったら国会の予算委員会で大問題になったかな2010年文月EF510509+505東北本線蕨試重単
夏の群馬は暑い暑いから煙は望めないそれでも群馬のディスティネーションCPでD51498が兄弟機499の変形デフを背負うので蓮田の先輩と出かけた渋川の停車時間を有効活用して駅前後で2度狙い利根川の大きなせせらぎを跨いでいよいよ山道へ挑む列車が心地よさそうに煙を棚引かせる2010年文月上越線大正橋D51498と旧型客車OLYMPUSE30川のせせらぎに棚引く煙
倶利伽羅峠と言えば昔木曾義仲が平氏と戦いその後の平家滅亡に至る大ダメージを平家に与えた合戦の古戦場撮影したこの年も梅雨の後半の大雨の影響で日本海縦貫線ダイヤが大幅に乱れた日線路脇の接近灯の点滅だけを頼りにカメラを構えた腰に白いラインを一本巻いた115号機が重たいコンテナを蛇のようにくねらせて夏の緑に覆われた峠道を越えていく2009年文月北陸本線倶利伽羅峠OLYMPUSE30倶利伽羅峠越え
島根県波根石見の国のほぼ東端に位置し古くは一帯を支配した尼子氏の頃から栄えその後街道筋の宿場町そして何よりこの町の特色は漁港としての町ではなく石見銀山の銀を積み出した積み出し港として栄え街道筋には様々な店が立ち並ぶほど道理で街を形成する家々の構えが大きく装飾も近代的で美しいものが多いそこにこの地域特有の石州瓦が町並みをさらに整える日本には希少な寧ろ欧州のような街並みが朝陽の中に輝く画像はスキャンコンディションがいまいちでそこは愛嬌で1982年葉月山陰本線波根NikonEL2KR石州瓦の朝
全てが気候温暖化のせいなのだろう直近なことでは秋田山形の大雨で災害に遭われたすべての方々にお見舞いを申し上げる同時にこの猛暑少しばかりの涼が得られるかどうかであるが上越国境近くを往く特急ときの冬景をアップする同じ温暖化の影響は冬にもある雪が少ないこと美しい四季の国ニッポンを国民全員が真剣に考える時期では?1981年3月上越線土樽NikonF2photomicSBwithTX諸々お見舞い申し上げます
50年3月山陽新幹線博多延伸を遂げ翌年には長崎佐世保線電化九州島内の鉄道事情が大きく変わった年相変わらず日豊本線方面連絡は博多が起点で夏の昼下がりの博多駅を発車する宮崎行にちりんの発車風景車掌の白夏服は憧れだった発車ベルを押してドア扱い寸前知り合いの見送りは大分辺りから出てきた祖母だろうかエル特急たりとてまだまだ特急の貫禄が其処彼処に感じられた時代1976年文月鹿児島本線博多駅OLYMPUSOM-1withTXお見送り”76夏
ヒートアイランド化が止まらない米どころ魚沼産コシヒカリの品質ランクが下がったのも記憶に新しいごはんの国日本だからこそいつまでもおいしいごはんを食べていたいし目にも優しい整った美しい田園風景のためにももっともっと真剣にこの国の米作りそのものを大切に考えてほしい田圃を見るたびに思いは募る2009年文月只見線OLYMPUSE30米どころ魚沼
本日はやや涼しげなカットをあげることに6月訪問時に地元住人から聞いた話だがもともと餘部集落の住民に漁業従事者はいないのだとか写真のようにかつては波打ち際の護岸にいた数隻の小さな船は今は全く居なくなってしまっている辺りはぐるりと急峻な山に囲まれていて駅は高台にあって一本ホームで積み出しなどできる設備もない現在では一般道は途中大雨によって長らく通行止めとなって山陰道の餘部出入口が唯一外部から同地区へのアプローチ手段昭和の頃は国鉄の列車による小荷物扱いはあっただろうが正月の松葉ガニは香住から軽トラの業者が各家庭を回っていたのが記憶に残る本当に漁業従事者がいない地区だったとすればあの波打ち際の小舟は生計を立てる生業というより地区住人自らが食すほどを取りに行くためだったのか昔此処で定宿にしていたあまるべY.H.は夏...餘部集落の生業
真夏の都電沿線でつい酒屋のラガービールのポスターにゴクリとのどが鳴るコンビニやらネット通販の影響のもと酒屋という商売は急速に減っているしかし東京下町の人と人の距離が近い付き合いの中で家の勝手口にまいどーって声がかかる人情風情は都電が行きかう街にだからこそ息づく2014年文月都電荒川線新庚申塚NikonDf酒屋ととでん
ちょっと湿潤な朝蓮花舐めで彼の列車をとらえるそう一晩かけて出発地から目的地を繋ぎ食事もできる夢見心地な天国のような列車2015年葉月東北本線蓮田NikonD5涅槃列車
一段ときつくなる雨脚と雷鳴の中で余裕のあるポジション探しもできずちょっと窮屈なアングルで濛々と黒煙を上げて夏場のドレインも最高D51498が力強く雨を切り裂いて急勾配に挑む2013年葉月信越線松井田OLYMPUSE5驟雨を切り裂くD51碓氷
8月の或る日東海道本線沿線に立っていたこの列車が通過時少し日差しが弱まってしまったが東海道本線を颯爽と走り抜けるロクロクはどの線区よりも一番似合っていると思う大海原をバックに全部じゃないけど満載じゃないけど青いコンテナがブルーの機関車に牽かれる姿がとても印象的だった2013年葉月東海道本線OLYMPUSE30ブルーオーシャンにブルーライナー
8月15日に精霊送りの納涼花火が木崎湖に上がる長野のお師匠さんに連れられて大糸線と木崎湖を見下ろす山の上に精霊の気分で打ち上げられる花火を下界のの夜景と共に高みの見物と洒落て見下ろす打ち上る花火の開花タイミングと大糸線の密度の低い列車をどう組み合わせられるかが肝だが花火のすぐ右隣の信濃木崎に停車する列車との一枚は苦労した甲斐がある目を凝らして列車を見つけて!2015年葉月大糸線信濃木崎NikonDf山の上から納涼花火を愛でる
元々EF81は日本海から吹く季節風による塩害対策として屋根上機器をドームで覆って日本海縦貫線のロングランに耐える機関車として生み出されたその厳しい運用のせいかいつも錆びを被ったように汚れているのがこの機関車の勲章のようなもの関門トンネル組としてデビューした400番代機も晩年はこのローズピンク街道で黙々と汗をかいて仕業にあたった2009年文月信越本線塚山OLYMPUSE30ローズピンク街道
朝の駅に三々五々集まる学生もうすぐ長い夏休みが始まろうとしている一部の部活動の学生以外は電車に乗りに来なくなり駅は閑散とする各々の学生たちは談笑したり受験直前なのか不安げな顔をしたり様々で始まる長い休みにも期待や不安がない交ぜな朝の駅の表情2014年文月北陸本線有間川駅NikonDf夏休み間近
夏のトワイライトエクスプレスではこの界隈で落日時間を迎えるダイニングカーではまさにゴールデンタイム今や大枚を叩かないと手に入らなくなった贅沢なひとときこの日の乗客にとって何ものにも代えがたい至福のトワイライトエクスプレス日和だ2014年文月信越本線米山NikonDfトワイライトエクスプレス日和
梅雨が明けやらない日にいすみ鉄道を撮りに今は無き一宮の出城から南下してみるいつもの踏切を超え並走区間に築堤を見つけ前後が趣が違うポイントを発見房総の雑木林が空まで覆い隠す盛況振り2018年文月いすみ鉄道国吉NikonD5緑のトンネル
夏の或る日に東海道新幹線こだまに乗って小さな鉄道を訪れた紙産業のメッカともいえるこの地域で物資輸送を担う小さな力持ち岳南鉄道電関人の面目躍如で機関車が走る同鉄道は訪れてみたかったもう少しばかり訪れるのが早ければ古典電機の現役に間に合ったのだけどその雄姿だけでも拝みに車庫がある富士岡へじりじり照りつける夏の太陽は容赦なくひまわりもうなだれる暑さだった2011年文月岳南鉄道岳南富士岡OLYMPUSE30紙の町の小さな鉄道
この年亡き妻は電関人に木曾旅行をバースデープレゼントしてくれた妻籠馬籠奈良井の宿場巡りにオプションで赤沢休養林散策が付くその二日目の赤沢で森林鉄道に乗車サカイワークスそっくりの北陸重機のDLに牽かれて森林浴枝線にはかつての木曾林鉄の保存車両がリアルさを演出奈良井宿散策が最後の目的地西に傾く夏の日は暑くは感じなかったそこに保存されるC12199号機は木曽福島で活躍した罐でなんと日車蕨工場製だった2010年文月赤沢休養林奈良井宿OLYMPUSE300木曾谷にて2010
日本だけでなく世界的に気候がおかしいこのまま拍車がかかれば日本の気候は四季が無くなって冬夏夏冬みたいな二季になるかもかつては大気汚染の一役を買っていたディーゼルカーも技術革新でハイブリッドやバッテリーカーに代わっちゃいるけどヒートアイランドが止まらない小手先の経済がどうのこうの以前に子どもたちの将来のためにも一部の権力者の意地のような馬鹿気た争いをやめて武器の開発製造じゃなくこの地球を維持する技術革新に心血注いで世界一丸となってテラを守ることをしなければ・・・入道雲。かつては夏の風物詩でお盆を過ぎた頃からこの雲がもたらすシャワーは夏の大地を適度に冷やしてくれたが今やゲリラと化して洪水をもたらしたり線状降水帯をつくって災害を引き起こす悪者となってしまい・・・四季こそ日本の至宝なのだから我々は根本から考え直す...キハと入道雲
盆が近づくと故人をはじめ無くなりしものへの回顧の念が強く短命に終わったEF510500代の特急仕業形式自体は元々日本海縦貫線のロングラン用に開発された貨物機それを使用する人間の考えに翻弄された特急専用機貨物機としての余生が良かったのかはたまた未練があるのかゴトー500代に蓮花を手向ける2015年文月EF510513カシオペアNikonDfゴトーカシと蓮花
未だ都電荒川線で吊り掛け音の7000が闊歩していたころ沿線には其処彼処に点在していた昭和の東京下町風情7000が改造された頃からさくらトラムに名称変更された頃から沿線の整備によってどんどん昭和の景色が減っている変えられるもの変わらずを得ないもの様々だが変わりゆく中で人の優しさというか思いやりというか令和風情という中にヒトの優しい感情は残って欲しいもの2014年文月東京都交通局都電荒川線庚申塚NikonDf東京下町風情
何かへんてこな奴だと撮ってるときは思ったものだがこいつで収集したデータをもとに鉄道用の様々な技術革新が進みヨーロッパの鉄道先進大国にも認められるようになった日本の鉄道先端技術2014年文月東北本線蓮田~東大宮NikonDf日本鉄道先端技術の粋クモヤE995-1
一頃足繫く通った北陸その魅力的な貨物のひとつ立山連峰から沸き立つ入道雲を背に2009年文月高山本線婦中鵜坂OLYMPUSE30夏空の速星貨物
日本海の上に微かに残照刻々と夕闇に包まれゆく餘部に下り列車が滑り込んできた2024年水無月山陰本線餘部NikonD5餘部暮色
真夏日連続でブログネタ探すのもひと苦労水分補給と適度の休息とって今日もネタ上げ日本の気候がだんだんおかしくなっている此処ヒガハスの実りの風景もいつまで続くのだろうまだまだ暑かった八月末の暮時に夏の高い陽のもと颯爽とカシ下るそして地平線に隠れる前の陽がサロを輝かせ高速貨物が夕闇に消えようとする空に半月が照る2012年葉月東北本線東大宮~蓮田OLYMPUSE5HIGAHASU真夏の爽・輝・照
マイ三都物語最終日は京都朝お気に入りの妙心寺塔頭で庭園が有名な退蔵院へ枯山水で心の洗濯をし梅小路の蒸機に会いに行く特別展示はC581号機のお召装備かつて都におわした天皇へ思いを馳せお気に入りの急客機三銃士に挨拶をしてだんだん帰りの新幹線の時間が気になりだしたので少しづつ駅に近づきながらも真夏の京風情に触れたく燃える百日紅鮮やかな永観堂を覗く京の栄華を宮さまと宗教に求めつつかつての栄光を静かに佇む蒸機に感じた上品な京都歩きとなった2009年葉月妙心寺退蔵院梅小路永観堂OLYMPUSE30マイ三都物語京都編
かつてJR西日本が張ったキャンペーンのコピーだが自分にとっての三都を旅したことがあった先日挙げた奈良に京都(近日アップ予定)と電関人の場合は安土が加わる戦国武将が大好きな電関人が亡き愛妻と出かけた09年の旅今日はその2日目の安土の巻京都駅八条口の新都ホテルに投宿電車で安土に向かいそこから駅前でレンタサイクルをピックアップ安土城址に登り信長見たであろう西の湖方面を望むそして信長の館で天守の複製に圧倒され次は石山でおけいはんに乗り換えて石山寺や三井寺へこの日は湖南エリアを堪能した2009年葉月安土城址信長の館石山寺駅三尾神社琵琶湖第一疎水マイ三都物語
今から14年前の夏北関東を駆け抜けた国鉄特急型たちそこそこ国鉄色のままいくつかの編成が残っており朝から夕方までアラカルトで先ずは早朝の夜行急行能登で485系の頭はクロその次は夏休みの海水浴臨時快速でマリンブルーくじらなみ特急エンブレムが無いのは残念だけどヘッドサインが嬉しいそして今は無き温泉特急水上オリジナルカラーではないがこれも懐かしい塗分けそして夕方は祭り臨で桐生八木節で〆こっちもヘッドサインありなんとも国鉄時代に回帰したような夢の一日2010年葉月高崎線本庄~岡本上越線上牧OLYMPUSE3夏の国鉄特急型まつり
亡き愛妻との旅の思い出新盆が近いせいか遠のきつつあった彼女との思い出が最近走馬灯のように頭を駆け抜けるお互いに旅好きだったし中でも古都散策は何度も出かけている古い町並みが好きな電関人に付き合ってあちこち歩き回るのに甘い食べものの褒美さえあれば黙って付き合ってくれた或る意味古色豊かな大和なでしこだった古い街に佇む彼女は端正とれた奈良の街にしっくりなじんでいたちょっとおのろけ2009年葉月奈良にてOLYMPUSE300奈良の端正
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新幹線延伸まで色濃く国鉄風情を残した北陸界隈終業式を間近にして試験でなのか暑さからか学生の足取りは重い青い国鉄型が入線する変わらぬ有間川の朝2014年文月有間川有間川駅北陸本線だった頃
昭和ど真ん中世代の汽車旅感覚だからそう思うのかもしれないが現在では目的地へ最速アクセスして現地ロングステイそれもオーバーツーリズムの要因ではないかそもそも新幹線で現地へ最速アクセスじゃ既に汽車旅風情も無くて目的地へ対する旅情の醸成もできまい一定時間を掛けて目的地へ到達し限りある時間を大切に過ごす行き帰りの車内で旅への高揚を味わい旅人は高い道徳で振る舞う本来の旅は夜越し目的地に向かうくらいの速度と時間がちょうどいい具合だったのではないかオーバーツーリズムは観光地をも消費しつくしてしまう2009年水無月神保原汽車旅とオーバーツーリズム
EF641000番代この形式とは新製からの長い付き合いとなった上越国境の補機運用に当たったEF16の置き換えに始まりその後のEF15、EF58の置き換えとどちらかと言えば最初は宿敵だったがその武骨な図体の重連仕業は山男真骨頂で好被写体となったこの春の改正にて中央西線の重連運用も解消となり形式消滅も秒読みが迫る2010年長月安茂里重連解消
国鉄時代のEF65のように大所帯となったEF210この形式には901号機が存在するから1号機と言ってもセカンドロットオールドファンとしては下枠交差式パンタグラフの同機はシングルアームよりフォトジェニックオリジナル色もそのうち変更になるだろうがもうずいぶんと会っていない1号機遠く岡山の所属だから追っかけるのも大変2007年文月武蔵野線EF2101号機
一人旅で大阪の叔母宅へ行く際に大阪環状線はオレンジバーミリオンの103系だった学生時代中央本線沿線に下宿し通学に利用したのもオレンジバーミリオンの103系就職して貨物をよく撮りに行った武蔵野線もオレンジバーミリオンの103系2005年水無月武蔵野線思い出深いオレンジバーミリオンの103系
残念ながら稼働している頃に行けなかったしかしながら休車で佇んでいるだけでその存在感は十二分だった手前の501は造船会社製2011年文月富士岡岳南のオールドロコ
もともと交流区間育ちで赤い機関車を見慣れている自分としてはこの塗装のパーイチが晴れた日本海には一番似合うと思う2012年水無月鯨波晴れた日本海とパーイチヨゴマル
踏む草の匂いが強く感じられて一日中田圃で蛙が鳴き始める頃季節はやがて梅雨に2012年水無月ひたちなか海浜鉄道梅雨へ
春霞か黄砂かくっきりしない残雪の山の遠景新芽吹く近景に遅咲きの桜泥色の田に幼い稲が並ぶ頸城大野の春景色2011年皐月頸城大野頸城大野田植えの候
旧長野電鉄屋代線の松代駅が取り壊されることに現役時代は最後まで有人駅として約1世紀に亘り時代を見てきた寂しい限りである2011年卯月松代駅1世紀の証人
梅雨のはしりだったか列車の屋根を打つ雨が白く飛沫になるほど勾配でのノッチやブレーキ操作は殊の外慎重を要するだろう2012年水無月蕨雨に打たれる貨物列車
紫陽花の花の色が濃くなる頃蒸し暑い雨の季節がやってくる鬱陶しい梅雨の到来2012年水無月大塚紫陽花の季節へ
とうとう終焉になった安中貨物その専用ホキが新製された直後の試運転だったか人気の機関車にエスコートされて2010年水無月武蔵野線ミニ安中貨物
もうすぐ紫陽花の季節飛鳥山の紫陽花を前景にして北王子専用線列車を狙った思い出2010年水無月王子紫陽花の思い出北王子専用線
草木が黄緑から緑色に深まる頃さらに成長を促すべく雨の季節がやってくる河原いっぱいに広がる緑の向こうを泳ぐようにロクロクの貨物が貨物色を最初から纏う100番代には雨がよく似合う2007年水無月武蔵野線雨の季節へ
現在ひたちなか海浜鉄道として運行されるかつての茨城交通最晩年塗装こそオリジナルの派手なものだが此処にはかつて羽幌や留萌といった北の炭鉱町からやって来た車両が在籍したそのうちの一両はさらに遠く九州のかつての炭鉱町を走る平成筑豊鉄道へ何の因果だろう2006年皐月茨城交通中根茨城交通残照
伯備線から山陰本線に出て日野川を渡って米子中海沿岸を抜け松江宍道湖沿岸を走って斐伊川を渡って終着出雲市へ滑り込むこの山陰本線区間はできれば天気に恵まれたいところだ2014年皐月山陰本線宍道駅山陰本線をラストスパート
伯備線はかつてはD51三重連でも知られた陰陽連絡の幹線ちょうど大学入学と同じころに電化され振子特急も往来する列車密度途中で何本もの列車と交換しながら雨の中国山地を越えた2014年皐月伯備線雨の中国山地越え
早朝の岡山で瀬戸と出雲は分割かつて鳥栖で客車分割は見慣れたものの581・583時代にお目に掛かれなかったからこの分割は一興2014年皐月岡山駅瀬戸分割
夜行列車最大の楽しみは夜越しで変化する車窓サンライズで未明を迎える時間はちょうど九州からの関西ブルトレと同じく須磨海岸の前後懐かしの車窓を暫し鑑賞する2014年皐月須磨夜行列車未明の車窓
朝三見から出て餘部の道の駅まで大移動する途中大山が見たくなって大山口駅界隈に向かう部分完成の虫食い山陰道無料区間を巧みに利用しながら松江手前の有料区間だけ今回のジャーニーで唯一使用宍道湖畔では期せずしてやって来た381やくもを見たまま見送り先へコマを進めた未だ目指す大山は綿帽子を被ったまま大山口駅では列車時刻を確認しつつ新型DC各停を見送り御来屋までの区間で大山の眺望をロケハンレンガ造り(山陰本線開通当時のものか)の農業用取水口を見つけた場所からの大山はエプロンの上にポッカリと頂を見せてくれたので山陰本線を真横から狙うことにした2両のショート編成のスパーおきは大山山麓のこの区間を目いっぱいの速度で大山を横目に走り去っていった2024年水無月山陰本線大山口~名和NikonnD5大山の女神が微笑む
初日の塒は三見狙いがうまくいったというか明るくなってロケハンしたら塒から直ぐの場所がなんとも絶妙一番列車がやってくる頃には既に夜の漁に出ていた船は港に戻った後だった2024年水無月山陰本線飯井~三見朝の三見港
昨日未明に自宅へ戻った日曜の夕刻に郷里福岡を出発山陰本線京丹後鉄道えちぜん鉄道万葉線氷見線越後ときめき鉄道しなの鉄道中央西線を巡る旅の始まりはここ萩駅を皮切りに2024年水無月山陰本線萩駅SONY1-Ⅴ1600キロの旅
本日より旅に出ますので、13日まで更新が滞ります。留守分として本日二本立てです。ついぞ巡り合えなかった雪の餘部電関人が足しげく通った70年終盤から80年初頭は日本は暖冬期にあって雪に浮かぶ幻の餘部鉄橋は幻のままに鉄橋直下に密集する民家がなんともフォトジェニックだ1978年師走山陰本線餘部急行美保NikonF2withEktacrome第二の故郷山陰本線へ里帰り3
光る石州瓦は電関人が思う山陰本線西地区のイメージだしかも地区によって黒いのと朱色のがある此処辺りは黒い甍の波夏の南天に近い時間帯湧き溢れる汗と戦いながら高台から光る甍を入れて下り181系おきを狙う1982年文月山陰本線仁万NikonEL2withKR第二の故郷山陰本線へ里帰り2
ほぼ決定事項だが山陰本線を撮りに行く予定今の同線を撮りたいのもあるが自身の中では初心に帰るリフレッシュの旅確か大学2年の夏意を決して夜行さんべ号の車中の人となり夜明け前の浜田に降り立つそこから時間つぶしに益田まで直行するような客レに乗車さらに上りに乗り換えて岡見駅へ時間つぶしのロケハンで港を経由し三保三隅寄りのポイントへ移動現在は海を埋め立てた発電所になっている場所明けたばかりの太陽が中国山地を温めてできた雲がでてしかもまだ高度が低い太陽は海岸を照らしてはいないそんな悪条件下でKRの絞りはレンズの開放に近いおまけに若干の前ピントとくりゃ・・・踏んだり蹴ったりの一枚である1982年文月?山陰本線岡見~三保三隅NikonEL2WithKR第二の故郷山陰本線へ里帰り1
学生時代に住んだ吉祥寺のボロ下宿脇は中央線の高架線だったお陰でロクヨンゼロのエアフィルタ音は子守歌のようなものロクヨンゼロを長野のお師匠さんと中央西線によく追った一コマを今宵アップ中央西線は塩尻を出て洗馬を過ぎた辺りからいよいよ木曽谷の隘路へと踏み込む木曽谷を縫ってきた下りのタンカートレインが上りのタンカートレインを待って洗馬駅に運転停車複線区間にあって塩尻のヤードの線形からなのか?奇しくも下りの牽引機は59号機を頭に次位60号機と兄弟重連今季小雪の木曽谷の山々は微かに残雪を背負い後ろには北アルプスの前山の鉢盛山であろうか2009年如月中央西線洗馬駅OLYMPUSE30元データJPEG木曽谷ロクヨンゼロ回想
ゴーマルサン時刻改正の約一年後福岡県地方に纏まった雪が降ったのでスクランブル発進で小倉駅までやって来たまだ覚えたての父親譲りのハーフ一眼レフ携えて到着早々珍しい列車に遭遇下り明星3号西鹿児島行だ本来は小倉通過で博多に5時前に到達するからこの時点でおそらく5時間ほど遅れていたようだしかも新大阪寄り先頭車に珍しくクハネ583MGが床下吊り下げで乗務員扉すぐに旅客扉が付く暫くして小倉駅に入線してくる博多発小倉廻り西鹿児島行ディーゼル特急にちりんこれまた珍しく先頭のキハ82には寒地型タイフォンカバーが向日町から鹿児島転属組か?1976年如月?鹿児島本線小倉駅OLYMPUSPENFサクラカラー原色1976IN小倉駅
豊後森に今も残るラウンドハウスかつてはキハ07が番人をしていたが今は福岡からやって来たこのキュウロクになっている2024年如月久大本線豊後森NikonD5豊後森の番人
夜明と共に現地到着残念にも浅間山は雲の中ヤマの専門家である長野の師匠の話では大気が冷えてガスになりそれに包まれているだけなので夜が明けて数時間したら必ず浅間は姿を現すとその言葉に縋りながら氷点下に冷える雪原に数時間明けた太陽が高度を増してくると舞台の緞帳が上がるが如く神々しい白銀の山容を見せてくれ其処に現れたのは奇しくも観光列車ろくもんだった2024年弥生しなの鉄道線御代田NikonD5雪晴れの浅間山麓をろくもんが往く
かつて香春岳で産出していた鉱物は銅鉱石が多かったそのため地名や駅名にも採銅所の名が残る鉱山全盛期を物語るように採銅所駅には駅の気品が強く感じ取れるエントランス上部に掲げられた駅名版は切り株をスライスした一枚板日田彦山線だけに日田杉であろうか?鉄のラッチもそのままに残されるエントランス外には両サイドにこれもまた無垢の木材を加工した温もりのあるベンチが据え付けられる駅本屋の上り方脇に残される積出用側線の有効長はかなり長く何両もの貨車が据え付けられるようになっていた駅本屋の窓枠にも注目したい木の当時から残る窓枠にも漂う大正浪漫そしてホームにはかつてはどの駅にもみられた工業デザイナー氏の手によるカーヴが美しい腰掛に僅かな昭和のモダニズム無人化された後もきれいに維持される採銅所駅に今も残る凛とした気品2024年弥生...採銅所駅の気品
今は水害の影響で全線が繋がってないが久大本線夜明から分岐して日豊本線城野まで伸びる日田彦山線はかつて筑豊地区の物資を運ぶ動脈として筑豊本線と共にあったそして中間駅の採銅所は名の通り銅鉱山を有し輸送物資も豊富当初から輸送力確保のために複線にする計画があったそして穿かれたトンネルも複線用のものであった2024年弥生日田彦山線採銅所駅NikonDf穿たれた複線トンネル
筑豊には二つのダイヤが存在するエネルギー革命によって産出を止めた黒いダイヤこと石炭と香春岳や船尾山といった山から産出する白いダイヤ石灰石石灰石の方はセメントの原料として生産量こそ減ったものの未だに操業中船尾駅界隈はかつてはホッパービンを使ってダイレクトに貨車に積んでいたため周囲は真っ白になっていたのを記憶するが今の船尾駅周辺はトラック輸送に代わって昔の駅周辺と趣が変わった2024年弥生後藤寺線船尾NikonDf黒ダイヤと白ダイヤ
旧国名が筑前と豊前に跨がっているので筑豊その筑豊には一大炭田が拡がり産出した石炭を積み出すために網の目のように鉄路が敷かれたそこで身を粉にして蒸機と共に働いてきたのが石炭用貨車でその初代がセム1どこかにその残党の現役時代の写真があったはずだが今は見つからないので次回の宿題ということで2024年弥生直方石炭記念館NikonDf筑豊蒸機の相棒
礼に始まり礼に終わるのがこの国が最も評価されることのはずが今やそんなことはとうの古の話が如く国力という点においても下から何番目という体たらく人のことなどかまってられるかと言わんばかりの日常金を持っている奴らにばかり媚びていつも周りと比較して自分が少しでも優位に立ちたがるもうすぐパリオリンピックだがお家芸柔道の戦績たるや如何に10代以下否20代以下の将来が心配だ弱者に厳しい?一人この国の未来を憂う2004年卯月?博多駅新幹線ホームNikonFM3A+TX※再掲礼儀の国ニッポンは何処へ
終日の強風に空のクリアランスは最高水田の水面に立つさざ波を味方につけてリフレーンするジョイト音を載せて2024年五月真岡鐡道真岡NikonD5水田のさざ波と
四季折々の花が丹精された上神梅駅にて初夏の日差しはトップライトになると光線が強すぎて作画に苦労すること暫しその日差しを避けるよう木陰に佇む芭蕉の花の青に惹かれた鈍い銅色を纏う気動車をバックに置きハイライトが白飛びしないようぎりぎりの露出にしてあとは現像ソフト頼り2024年五月わ鐵上神梅駅NikonD5/Fisheye花の駅上神梅に遊ぶ
キハ10系や26・55系、58系800番代、35系、23・45系など我々の学生時代は油と煙草のヤニ臭いチンドン屋編成の列車に揺られてだったそれから時代は進んで最新型のユニットを搭載した車両でしかも冷暖房完備時代は変われども彼らの制服は今も昔も大差ない2024年如月香椎線須恵駅NikonDfDENCHA通学
冬の上田原は暮れるのが早い終日強く吹いた季節風によって日没後の冷えは一段と厳しい別所温泉の日帰り湯に浸かり強張った体を休め本日最後の撮影地に向かうメインの通りからやや入り込んだ場所にひっそりと八木原駅は在りそこに寄り添うように数件の人家が集うその寒々とした駅に夜のしじまを破って遠くから電車がやって来た2024年弥生上田電鉄八木原駅NikonD5夜のしじまの八木原に
すっかりと久大本線に定着した観光特急ゆふいんの森キハ65改造の71と新製の72の2編成だが生憎71が検査入場のため185が代走この日一往復の貴重な72を此処で捉えることに玖珠町の地形は数百万年前の火山活動による溶岩大量流出で起きた地盤沈降でカルデラを形成しその後外輪山部分の固い岩盤が他の柔らかい地盤部分の流失でできたメーサ地形となりギアナ高地同様日本でも大変珍しい景観を生み出している画面一番奥がそのメーサである2024年如月久大本線恵良NikonD5ゆふ森とメーサ