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まほらにふく風に乗って http://mahoranokaze.com/

団塊世代のおやじが、歴史の里と呼ばれる常陸の都-石岡-に住んで感じたことなどを徒然に紹介します。

Roman1405
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茨城県
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小千谷市
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2011/04/26

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  • 地名の研究(39) 地名考説(29) 五反田

    五反田に古墳との関係をする話があるが、これには同意できない。やはり五反を一区とする田地のあったゆえの地名である。<五反田地名>宮城県登米市豊里町五反田 ミヤギケントメシトヨサトチョウゴタンダ宮城県遠田郡涌谷町北五反田 ミヤギケントオダグンワクヤチョウキタゴタンダ宮城県遠田郡涌谷町五反田 ミヤギケントオダグンワクヤチョウゴタンダ福島県伊達市梁川町五反田 フクシマケンダテシヤナガワマチゴタンダ福島県河沼郡会津坂下町五反田 フクシマケンカワヌマグンアイヅバンゲマチゴタンダ茨城県かすみがう...

  • 地名の研究(38) 地名考説(28) 一鍬田(ひとくわた)

    ・一鍬田(ひとくわた)、一窪田: 田を開きにくい地域内に、孤立して存する小面積の田のことであろう。下記2か所の「一鍬田」にはどのような地名の共通点があるのだろうか?・千葉県香取郡多古町一鍬田 チバケンカトリグンタコマチヒトクワダ・愛知県新城市一鍬田 アイチケンシンシロシヒトクワダまた、小字名に・出雲能義(のぎ)郡飯梨村大字植田字西谷字一鍬田がある。ここは場所の特定が小地であるので地形と対照することは容易と考えて考察す...

  • 地名の研究(37) 地名考説(27) 反町(ソリマチ)

    ・ソリ、ソウリ、ゾレ: 焼畑のこと横浜市神奈川区に「反町」があり、今は「タンマチ」と訓じているが、諸国にある反町は「ソリマチ」と読む地が多く在る。<反町 地名>・反:ソリ福島県喜多方市塩川町反町 フクシマケンキタカタシシオカワマチソリチョウ福島県本宮市本宮反町 フクシマケンモトミヤシモトミヤソリマチ栃木県宇都宮市下反町町 トチギケンウツノミヤシシモソリマチチョウ栃木県真岡市反町 トチギケンモオカシソリマチ栃木県矢板市川崎反町 トチギケンヤイタシカワサキソリマチ群馬県太田市新田反町町 グンマケン...

  • 地名の研究(36) 地名考説(26) 玉来(タマライ)

    ・玉来(タマライ): 狩猟の集合所人の集合する所を溜(たまり)といい、熊本県では「り」をもって終る連体格の動詞を、ライと昔風に延べて言う風があると記憶する。豊後の玉来も同じ火山の麓だから集合の意味で附せられた一つのタマライであるべく、なおおそらくはこれもまた「狩溜ライ」であろう。大分県竹田市玉来 オオイタケンタケタシタマライ「狩集」は薩摩においては「カラズマイ」と呼び、他の国では常のごとく「カリアツマリ」という。...

  • 地名の研究(35) 地名考説(25) 教良石、教良木

    ・教良石、教良木:このキョウラは「清らかな」意ではないだろうか。「清ら石」「清ら木」であろう。すなわち霊石または霊木のある地でその石その木を神明の依る所として祭祀を営んだ場所と考える。<キョウラ 地名>山梨県北杜市白州町上教来石 ヤマナシケンホクトシハクシュウチョウカミキョウライシ山梨県北杜市白州町下教来石 ヤマナシケンホクトシハクシュウチョウシモキョウライシ和歌山県伊都郡かつらぎ町教良寺 ワカヤマケンイトグンカツラギチョウキョウラジ福岡県北九州市八幡西区京良城町 フクオカケ...

  • 地名の研究(34) 地名考説(24) 魚ノ棚

    ・魚ノ棚:棚とは店のことで、魚の棚は魚商人が毎日または日を決めて魚の店を出した場所広島県廿日市市宮島町(魚之棚町) ヒロシマケンハツカイチシミヤジマチョウ(ウオノタナチョウ)愛媛県宇和島市吉田町魚棚 エヒメケンウワジマシヨシダチョウウオタナ鹿児島県大島郡大和村大棚 カゴシマケンオオシマグンヤマトソンオオダナ京都府京都市下京区下魚棚 キョウトフキョウトシシモギョウクシモウオノタナ京都府京都市中京区小結棚町 キョウトフキョウトシナカギョウクコムスビダナチョウ京都府京都市中京区衣棚町 キョウトフキョウトシナカギョウクコ...

  • 地名の研究(33) 地名考説(23) ハンタテバ、ハンバ

    ・ハンタテバ、ハンバ(飯立場、飯場):ハンはおそらくは判が正しいので、訴訟示談等によって境論を決着した場合のことであろうと思うこの地名は信州その他の山地の小字として折々あったように記憶する。またハンバというも同じ由来を有するものかと思うが、文字はまちまちで、飯場または飯立場と書いたものが最も多い。これとは別にこの飯場については述べている。この「飯場」(ハンバ)などという名前は、前の地名の研究(18)...

  • 地名の研究(32) 地名考説(22) アテラ

    ・アテラ(安寺、阿寺): アテラのアテは陰地または日陰の義、ラはもと名詞を確定するための一種の語尾ではないか。大工がアテというのは樹木の日陰に向った側面で生長悪く木質の素直でない、反(そ)りやすき部分であるという。ある村では痩地(やせち)の作物に適せぬ所をアテといい、あの畑はアテだからいかぬなどというという。アテラという地は、山の陰、日光の十分でない地にある。また、安寺跡という地名も山中の新田にしばし...

  • 地名の研究(31) 地名考説(21) アクツ、アクト、アクタ

    ・アクツ、アクト、アクタ: 川添の平地(阿久津、圷、悪田)「阿久津」(アクツ)という地名は水運の発達に伴い、荷を下ろす船着場に多く存在もしているが、各地の分布を調べると、必ずしも「津=船着場」とは限らない。これは東国では単に川沿いの平地をさす言葉と云える。常陸ではこれを「圷(アクツ)」と書くが、これは「塙(ハナワ)」という語と同様に、近世和製の会意文字であろう。 水戸市渡里町に、旧地名で渡里(わたり...

  • 地名の研究(30) 地名考説(20) ナル、ナロ

    ・ナル、ナロ:山腹の傾斜の比較的緩やかなる地、平らな地。東国にては何の平(たいら)と言い、九州南部ではハエと呼ぶ地形を中国・四国ではすべてナルといっている。<ナル、ナロ、奈良地名>兵庫県美方郡香美町村岡区池ケ平 ヒョウゴケンミカタグンカミチョウムラオカクイケガナル伊予周桑郡小松町大字新屋敷字堂ガ平(なる)丹波氷上郡鴨庄村大字牧字大岩ガ平(なる)伯耆東伯郡北谷村字詰平(つめがなる)但馬美方郡村岡町大字板仕野(いたしの)字平ル淡路津名...

  • 地名の研究(29) 地名考説(19) コウゲ、カガ、カヌカ

    ・コウゲ、カガ、カヌカ:開けたる草生地のこと東京人が単にハラまたはクサッパラと呼んでいる地形を、中国諸県では古くから、コウゲといっている。また、このコウゲ(草地)を東北地方では「カガ」という地名となっている。芝原、芝生を「カガハラ」「カヌカハラ」という。鹿糠(カヌカ)もコウゲと同様の意味を持つ土地。<高下(こうげ)地名>兵庫県宍粟市山崎町高下 ヒョウゴケンシソウシヤマサキチョウコウゲ岡山県津山市椿高下 オカヤマケンツヤマシツバキ...

  • 地名の研究(28) 地名考説(18) 強羅(ごうら)

    ・強羅(ごうら):岩石の露出している小面積を意味し、耕作その他の土地利用から除外しなければならない場所相模足柄下郡宮城野村字強羅相模足柄上郡三保村大字中川字ゴウラ飛騨吉城(よしき)郡国府村大字宮地字ゴウラ越前坂井郡本郷村大字大谷字強楽丹波氷上郡上久下(かみくげ)村大字畑内字中ゴラ備前赤磐(あかいわ)郡軽部村大字東軽部字ゴウラ周防玖珂(くが)郡高根村大字大原字ゴウラ谷大隅(おおすみ)姶良(あいら)郡牧園村大字下...

  • 地名の研究(27) 地名考説(17) 富土、風戸

    ・富土、風戸(ふと、ふっと):ホド(陰部)と同じかなり古くから、男女ともにおのおのその隠し所の名を高い声で呼んでいたらしい。その痕跡を留めている地名のごときは、よほど起原の古いものと見てよろしいのである。これも海岸において往々遭遇するフトまたはフットと言う地名は、疑いもなくホドすなわち陰部と同じ語である。海岸に沿うて漕ぎ廻る船から見れば、二つの丘陵の尾崎が併行して海に突き出している所あたかも二俣大...

  • 地名の研究(26) 地名考説(1) 袋

    ・袋(ふくろ):平地の水辺につけられた地名「フクラ」が海岸線や山の中の水辺にあって、この「フクロ」は平地の水辺に多く在るので、語源は恐らく別であろう。ただ、肥前平戸の西方には江袋湾と言う入江があり、これは「フクラ」地形と同じに見える。<全国の袋地名>北海道砂川市袋地 ホッカイドウスナガワシフクロチ北海道石狩郡新篠津村袋達布 ホッカイドウイシカリグンシンシノツムラフクロタップ青森県弘前市清野袋 アオモリケンヒロサキシセイノフクロ青森県弘前市袋町 アオモリケンヒロ...

  • 地名の研究(25) 地名考説(15) 福良(ふくら)

    ・福良(ふくら):海岸線の湾曲している形状我国の海岸線にもっとも多い地名は「由良(ゆら)」「女良(めら)」「福良(ふくら)」の3つがあるが、この中で「ふくら」は「膨(ふく)れる」と語源は一緒であろう。ただし、このフクラ地名には海岸線とは関係がない山の中にも結構ある。しかし、平地にはほとんどないので、山地においては水筋の屈曲していることを表現する語となったのかあるいはまた狭い谷を入って行って地勢が再びやや寛(...

  • 地名の研究(24) 地名考説(14) 湿地を意味するアイヌ語

    ・湿地を意味するアイヌ語:トマム・トマン・ニト・ニタトトマム・トマン・・・沼、沼地ニト:濡れて腐りたるニタト:沼地に樹の生じたる部分ヤチ :沼沢マカ:開く、開けたる + ト:湖水 ⇒ マカド(間門)<どうまん地名>武蔵都筑郡二俣川村大字二俣川字榛(はり)ヶ谷小字ドウマン谷武蔵北足立郡美谷本村大字内谷字大野小字堂満武蔵入間郡柳瀬村大字坂下字道満前相模愛甲郡依知村大字下依知字堂満坂磐城相馬郡金房村大字小谷...

  • 地名の研究(23) 地名考説(13) 江角

    ・江角(えすみ、えずみ):出づるもの・・・ではないか? 出雲(いづも)も同様か?出雲八束(やつか)郡恵曇(えとも)村大字江角(えずみ)浦この江角は郡名の恵曇(えとも)村の曇(とも)は安曇(あずみ)の「ずみ」であり、江角(えずみ)となった。ただこれはアイヌ語と係わりがあったと考えられる。北海道には室蘭の東南に「エドモ(絵鞆崎又は江友)と名のつくアイヌ部落が存在する。江戸時代の元禄郷帳には「エンドモ」と記載が...

  • 地名の研究(22) 地名考説(12) 真間

    ・真間(ママ):間々は儘(まま)にて、土が心の儘に崩るる所(十六夜日記残月抄) 『万葉集』に勝鹿(かつしか)の真間(まま)の入江、または麻万(まま)の浦と出て来るママは市川市真間であろうか。ママという地名は東部日本に充満している。「間々田」や「大間々」などいくらでもある。土の崩れる崖をママという。上総・信濃では土堤のことをママという。その説明には崩れるということはないが、高地の側面をママということだけは前...

  • 地名の研究(21) 地名考説(11) ドブ、ウキ

    ・ドブ、ウキ:排水不十分なる足入(あしいり)の地東京では下水堀のことをドブというが、これは明らかに転用であって、以前は阿原と同じく排水不十分なる足入(あしいり)の地のことである。この地名の普及したのは、まったくドブが水稲の栽培に通ずるという経済上の意義があるからである。また、ドブは昔の語ではウキである。諸国にある浮田という地名は、すなわちまた武蔵などの土浮耕地である。総てがこれとは限らないが、一つ一つ...

  • 地名の研究(20) 地名考説(10) 阿原(あわら)

    ・阿原(あわら):昔は池や沼であった所の水が減り後に開拓した所。また、陸地の上昇、川床の下降などで、まだ排水が不十分な地、関東では「谷地(やち)」などと呼んでいる場所と同類の地。アワラの「ア」が「ヤ」と混同したのではないか? 「あわら」は近世に水が「あせた」所?蘆原なども似たようなものであるかもしれない。アワラは中部地方、ヤチは東北地方に集中している。<全国の「あわら・あはら」(阿原)地名>富山県高...

  • 地名の研究(19) 地名考説(9) 帷子(かたびら)

    ・帷子(かたびら):一方山に拠(よ)り一方は田野を控えている=片平地形古代稲作中心の生活には、必ず水田の近き所に邑落を作ることを要とした。そしてできる限り水の害を避けるため、近く平野に臨める丘陵の傾斜地、すなわち片平の地を求めねばならなかったのである。また、大小名主の時代には、さらに軍事上の理由が片平を重要ならしめた。たくさんの帷子は皆当て字であることは、さして推測に困難ではないが、なお十分に地図に...

  • 地名の研究(18) 地名考説(8) 久木

    ・久木<クキ、クノキ>:燃料採取地を意味する地名1)各地のたくさんある「クキ」「クニ」などの地名 久木、久喜、久木野村、久木迫(くきさこ)、釘山(くぎやま)、柴島(くにしま)、岫崎(くきざき)、 久弐(くに)郷、玖珂(くが)郡、柞原(くはら)郷、樟原(くにぎはら)、欅崎(くのきさき) 久原(くはら)・久沢(くさわ)・久谷(くたに)・久土(くど)・久場(くば)・久平(くのひら)これらはみな「柴・薪」などの燃料にする...

  • 地名の研究(17) 地名考説(1~7)

    柳田國男の「地名の研究」を読んでいます。ここまで、「地名の話」(大正元年)「地名と地理」(昭和7年)「地名の歴史」(昭和9年)に刊行された講義録のようなものを見てきましたが、この地名の研究にはその他に「地名考設」という明治22年~昭和2年の書かれたものを55項目にわたってまとめて載せてあります。ここでは、書かれた内容を大雑把に要約し、検証も含めて記載してみたいと思います。<地名考説(1~7)>平民生...

  • [免」を含む地名

    NHK朝ドラ「あんぱん」では四国高知県の「御免予町」が舞台となっていますが、高知駅の少し手前に「後免駅」があり、後免町がモデルと考えられます。この後免町(ごめんまち)の町名由来をこの地名の研究から探ってみます。柳田國男の地名研究と同じように、まず同じ名前の地名を全国から探して見ます。今の郵便番号簿から拾ってみましょう。1)「後免」で探すとここ1件だけです。 高知県南国市後免町 コウチケンナンコクシゴメンマチ2...

  • 朝ドラ撮影場所

    最近、NHKの朝ドラ「あんぱん」を見ている。「あんぱんまん」も年代としてはもう子供の世代という感じで、それ程インパクトや想い入れも無いのだが、テレビに映る映像に懐かしい気がして見入てしまうこともしばしば。のぶの女子師範学校時代が終わったが、この高知県の師範学校の校舎は地元「土浦一校」の旧校舎だ。見ていてすぐにわかった。この校舎は実によく使われる。 以前書いたブログ ⇒ こちらまた、今度赴任する御免与...

  • 地名の研究(16) 地名と歴史(7)

    地名と歴史(7)14、交通の変遷 県下交通の変遷に関しても、地名はかなり豊富な資料を包含しているらしいが、自分は時間が足りなくて、その点までは書き抜くことができなかった。一つ二つ気のついた点をいうと、この地方だけに多く出逢うゴウドという地名は古い。美濃の川渡(ごうど)などは大往還の駅であって、すでに『太平記』以前から知られている。尾張・三河のものはすべてが官道の上にあるわけでもないが、その数が非常に多...

  • 夕陽に向かって走って帰宅

    昨日銚子へまt仕事で出掛け、終わったのは夕方5時半前頃。そこから石岡へ車で帰る時、利根川の千葉県側の堤防沿いにできた356号のバイパス道を通りました。夕方6時半ごろが今の時期の日の入り。正面から夕陽を受けながら、右手は利根川の土手、左手は田植えがされたばかりの水田地帯。やはりサングラスが必要かな?これから夏至に向かって日没方向は少しづつ北に向かう。銚子からも利根川上流に陽が沈む。(写真撮影場所の...

  • 地名の研究(15) 地名と歴史(6)

    地名と歴史(6)11、我々の小地名は新旧が交錯しているために、全部一度にできたかのごとき感を抱くが、生活上の必要もないものを、拵(こしら)えておく人はなかったろう。田畠や村里の名に、何野・何沼という類の古名が残っているのも、やはりアテラやオチと同様に、それを開発しようというある年月日の前から、なにか問題となって注意していた者が多く、有名になっていたから踏襲したのであろう。小さい事ではあるが、これによら...

  • 地名の研究(14) 地名と歴史(5)

    地名と歴史(5)9、<焼畑、切替畑>(山間部の地名)・九州・四国:コバツクリ、コバキリ・関東四周の山地:サス(武蔵・相模)、ソリ(ソラス:荒らす)、焼畑が行われ、それを元の地形に戻すに適する区域を、甲州などは何々草里(そうり)といい、駿河・遠江ではゾウレ(蔵連など)といい、土地によっては単にソともいう。・クサ:豊根振草(とよねふりくさ)などのクサという地名が、同じ地方には折々あるようだが、これも多分は切...

  • 地名の研究(18) 地名と歴史(4)

    地名と歴史(4)<畠作の地名>水田に続いて畠作の歴史があるが、まだいっこう調べられていない。常畠の開け始めた土地は、やはりいろいろの条件に恵まれていなければならなかった。そのため水田適地に次いで人が早くからこれに注意を払い、地形語が地名となる機会は多かった。・コウゲ:中国全部と四国の片端にかけて、水のない草生地の地名(村が山から遠くに独立するとき、肥料の補給によって、切替畑の利用法から脱却)・カッ...

  • 地名の研究(17) 地名と歴史(3)

    地名と歴史(3)6、フケ、フゴ、クゴ、アワラ、ドブ、クテ、トンボ、タンボ:変化する地名 ただしクテと同じであろうと思う水づいた低地を、フケといいフゴまたはクゴといい、あるいはアワラともドブともいう人のいたことは、地名によってこれを窺(うかが)い知ることができる。フケは泓とか湗とかいう漢字をあてて、クテよりははるかに広く使われる地形名である。京都でも富家と書いた地名がよく知られており、関東の方でも足の入...

  • 地名の研究(16) 地名と歴史(2)

    地名と歴史(2)4、地名は普通にはまず地形によって附ける。それが間に合わなくなって他の材料を加味して行くのである。たとえば、アイヌなどは狩猟が中心で耕作がほとんど進まず、農地など居住以外の目的で土地を区割して占有することがほとんどないため、地名は場所さえ記憶でき、かつ他人とその話ができればよい。従って地名には具体的にその土地の性質を指示するものを選び、誰が聞いてもその意味を捉えやすいものとなる。これ...

  • 地名の研究(15) 地名と歴史(1)

    柳田國男の書いた「地名の研究」を紐解いています。ここからは「地名と歴史」というタイトルで愛知教育という雑誌に昭和9年7月に発表した記事です。明治の初期に全国で大字・字を選定する事業があり、多くの字名が誕生しました。ここには古くからの地名や新たに追加した地名もたくさん混じっています。愛知県では明治15年に「愛知県地名調」という冊子を印刷し頒布していたようです。このため、この「地名と歴史」もこの活用...

  • 地名の研究(14) 地名と地理(10) 人文地理と地名の研究

    地名と地理(10)人文地理と地名の研究 以前私などの学校にいた頃にも、人文地理なる名の学問はあるにはあったが、ただ統計の要約であり、現状の記述に止まっていた。しかし、一たび訝(いぶか)り問わんとするようになって、学問それ自身がかなり煩悶をしたようである。大地の表面は隅から隅まで、人類去来の足跡であり、無名の彫塑(ちょうそ)家の篦(へら)の痕(あと)であるはずだが、それがどういう順序と計劃の下に行われたかに至...

  • 地名の研究(13) 地名と地理(9) 沼地、湿地、草原

    地名と地理(9)地形語 東国奥羽において沢といい、西南日本において谷というなどは、ともにその字義から見ると天然の力ばかり強く人が住むには不向きと思われるが、実際はかなり古い部落や耕地の地名となっているものが無数ある。農作は当初自然の水流を利用するために、好んで傾斜のある山添いを利用し、しかも背後に拠(よ)る所がある最小の盆地を求めたゆえに、上代の植民は常に川上に向って進む傾向をもっていた。それが平和...

  • 地名の研究(12) 地名と地理(8) 地名発生の変遷

    地名と地理(8)地名発生の変遷 地名の必要には三期があって、一期ごとに若干の新命名は出現したが、人はその煩労を節約すべく、毎回必ず若干の旧地名を採択保存することを心掛けたのである。その結果としてある一つの時代の横断面には、新旧年齢のきわめて区々(まちまち)なる、命名の趣旨の最も著しく相異した地名が、入り組んで頭を出しているのである。地名の起りには限らず、物の名前が必要となるのは、指でさし顎でしゃくっ...

  • 地名の研究(11) 地名と地理(7)地名の分類

    地名と地理(7)地名の分類 地名発生の理由には前に書いたように明白なる時代の変化があった。今でも新たに利用地名を作る場合がないとは言われないが、永く伝えてくれる望みは乏しい。その地にすでに地名があり、細かく区割した地域地名があり、新たに割り込んで行く余地がなくなっている。だからこれからの分類には、まずやや命名の趣旨の複雑に見えるものを除いて、人がその地域を占有してしまう以前から、すでにあったと思わ...

  • 地名の研究(10) 地名と地理(6) 新開拓地と地名

    地名と地理(6) 新開拓地と地名1) 地名が定着して一時代を過ぎて、戦争などで住民が離散し、それまでの多くの地名が消えた。2) 再び平和な土着期に戻って、その荒地が改めて開拓せられたが、この時につけられた地名は・以前からの故老が少しでも残っていた場合はできるだけ在来のものを利用した。・それがまったく忘却された地域にあって、始めて近世風の命名を試みている。この新開地の地名にも、相変らず時代と慣行とを表示...

  • 潮来長勝寺の新緑

    潮来に来ると古刹「長勝寺」に立ち寄ることが多い。桜の時期、新緑の時、菩提樹の花の時期、紫陽花、紅葉とそれぞれに境内は美しい。「山門不幸」と立て板が建てられている。3月末に亡くなられた前住職の「谷元明さん」が90歳でお亡くなりになったようだ。禅寺であるこの長勝寺もいろいろ観光客にも開放していつもきれいに管理されているのも谷住職のお陰でもあろうかと思う。ご冥福をお祈りいたします。新緑に交じって「紫蘭:...

  • 地名の研究(9) 地名と地理(5) 地名と人の苗字

    地名と地理(5) 地名と人の苗字 今一つの特殊なる興味は、日本の地名と我々の家名との関係であった。日本人のいわゆる苗字は全国を通じてその数が何万の多きに及ぶのだが、面白いことにはその中のごく一小部分五十か六十のものが最も普通であって、それを名のる家の数も多く、かつ万遍なく各府県に行き渡っており、残る大部分はいずれも地方的にわずかずつかたまっている。・これを自分等は家が居住地の地名によって呼ばれる風...

  • 新緑を求めて西蓮寺へ

    五月一日、行方市井上にある古刹「西蓮寺」(常陸高野)を訪れました。新緑に包まれた境内には誰もおらず、心地よい風が吹いていました。千年銀杏の黄葉も見事ですが、この時期の新緑も気持ちよいです。...

  • 地名の研究(8) 地名と地理(4) 点地名から地域地名へ

    地名と地理(4) 点地名から地域地名へ <アイヌの地名>アイヌの地名解は永田方正氏の一著があり、またバチェラア師辞書の旧版の附録にも若干の講説があって、今日ではまず十の八九までおおよそは意味が明らかになったと言ってよい。そのお蔭に今では内地の地名まで、よくわかっているのにアイヌ化しようと努める人さえできて来た。あほらしい話である。アイヌ人地名のわかりやすい理由は明白で、彼等の名の付け方は一色しかな...

  • 潮来の藤

    五月の初日に銚子へ行く途中に潮来で藤まつりがたしか四月末にやっていたことを思い出して立ち寄りました。まつりは過ぎて、次のアヤメ祭りで観光潮来は頭が一杯でしょうが、潮来の藤も長く房が垂れ下がることが江戸時代に書かれた「甲子夜話」にも出てきていたので、復活されたら4月から6月までの潮来観光にもう一つの目玉が出来るかと期待していたのだが・・・・昨年の方がきれいだったような。アヤメの準備だけでも大変だろ...

  • 地名の研究(7) 地名と地理(3) 東西南北の地名の一致

    地名と地理(3) 東西南北の地名の一致 日本の地名研究のまた一つの大きな特徴は、東西南北の一致がきわめて顕著であって、その発生の通則が見つけやすいことである。これは一つの中心地から四方に向って、前後何回かの移民が分散して行った国でないと、見ることのできない現象であって、これあるがために我々は純然たる帰納法によって、地名ばかりからでも多くの前代生活を闡明(せんめい)することを得るのである。いずれの国で...

  • 地名の研究(6) 地名と地理(2) 日本の地名の特色

    地名と地理(2) 日本の地名の特色 日本における地名研究が他の民族のそれに比べて、何ほどの特色があるのか。これは将来この仕事を始めて見ようという人には小さくない関心事であり、私はそれが確かに張合いのある研究だという結論をもっている。○ 地名の分量が多く、その変化が盛んである。この国に生まれて、これを当り前のように思っているが、日本はきわめて多種な地質的変化があり、他の国よりも多くの地名がある。道府...

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