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まほらにふく風に乗って http://mahoranokaze.com/

団塊世代のおやじが、歴史の里と呼ばれる常陸の都-石岡-に住んで感じたことなどを徒然に紹介します。

Roman1405
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住所
茨城県
出身
小千谷市
ブログ村参加

2011/04/26

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  • 詐欺電話

    今日も机に向かって地名などを調べていましたところ、私の携帯に着信がありました。目も悪いので知らない番号だけどと思って出て見ると、少し間があり、暫くしてから男の人の声で「こちらは大阪。。。生活安全課の者ですが、事件の事でお話があります。10分ほどよろしいですか?」と、これは何か怪しそうだと、発信の電話番号を見て見ると 下4桁が「0110」です。最近テレビで盛んにやっている「詐欺」のようです。まあ、何かあ...

  • 埼玉県の難読地名(20) 屈巣、下忍、荊原

    屈巣【くす】・・・鴻巣市下忍【しもおし】・・・鴻巣市荊原【ばらはら】・・・鴻巣市鴻巣市の難読地名です。屈巣(くす):屈巣村は江戸期から明治29年まで存在し、明治29年に川里村の大字名となった。平成13年に川里町となり、平成17年(2005)に鴻巣市に編入となった。角川の地名辞典には屈巣は「屈須」とも書いていたとあり、地名由来を4つ紹介している。1)地名は、元は「国主」といっていたが、正長年間(1428~1429)に村社...

  • 埼玉県の難読地名(19) 神戸、下青鳥、箭弓町

    神戸【ごうど】・・・東松山市下青鳥【しもおおどり】・・・東松山市箭弓町【やきゅうちょう】・・・東松山市東松山市の地名を集めて見ました。神戸:「神戸」は一般に「ごうど」と読む地名は多く、その多くがその地に神社領などがあった所が多い。・東松山市神戸(ごうど)・・・かつて伊勢神宮の御厨があったため(新編武蔵)・川口市神戸(ごうど)・・・当地に神社領があったことによる(新編武蔵)・羽生市神戸(ごうど)・・...

  • 埼玉県の難読地名(18) 赤工、双柳

    上赤工【かみあかだくみ】・・・飯能市下赤工【しもあかだくに】・・・飯能市双柳【なみやなぎ】・・・飯能市赤工:江戸期からの地名で、江戸時代初期には「赤内匠(あかだくみ)村」が存在していた。元禄郷帖に「上赤工村」「下赤工村」とあり、この頃分村したと思われ、名前表記も変更された。角川の地名辞典には名前の由来は「赤土」に由来するという、と書かれている。また平凡社の地名辞典には大量の紙漉き(和紙)を行ってい...

  • 埼玉県の難読地名(17) 牛重、種足

    牛重【うしがさね】・・・加須(かぞ)市(騎西町)上種足【かみたなだれ】・・・加須市(騎西町)中種足【なかたなだれ】・・・加須市(騎西町)下種足【しもたなだれ】・・・加須市(騎西町)牛重:「牛重」(うしがさね)という地名も江戸期からあるが、地名辞典にもその由来は書かれていない。この地域の鎮守は「天神社」で、祭りなども行われているというが、名前の「さね」は「鉄」のことを指しているのかもしれない。下記の...

  • 埼玉県の難読地名(16) 靭負

    靭負【ゆきえ】・・・(比企郡)小川町「靭」は一般には「靭帯」「強靭」など音読みで「じん」と読み、意味は「しなやか」です。しかし古代の律令制の職に、「靭負(ゆげい)」という職の人がいました。「靭」は「矢を入れる道具」のことで、「靭(ゆぎ)」と呼んでおり、これを背負って運ぶ人を「靭負(ゆげい)」と呼んでいました。しかし、中世ではこの矢を入れる道具は「矢巣(やす)」とも呼ばれていました。またこの名前「靭...

  • 埼玉県の難読地名(15) 道祖土

    道祖土【さいど】・・・さいたま市緑区「道祖」と書いて、「さい」「さや」と読む地名が各地に存在する。角川の地名辞典にはこの道祖土【さいど】・・・さいたま市緑区(旧浦和市)は、江戸期は武蔵国足立郡浦和領に属し、地名の由来については2つの説が書かれている。(1)道祖土神の社があったため(新編武蔵」(2)比企郡八ツ林村の名主道祖土氏の祖先道祖土土佐守が戦国期に当地に住したため一般には人名は土地の名前から呼...

  • 埼玉県の難読地名(14) 五十子、十二月田、一被目

    五十子【いかっこ】・・・本庄市 十二月田【しわすだ】・・・川口市 一被目【いちひめ】・・・春日部市埼玉県の数字を含んだ少し変わった地名を集めて見ました。五十子: 全国に五十とつく地名はたくさんあり、その多くの読みが「いか」「いが」である。五十嵐(いからし、いがらし)、五十土(いかづち)、五十里(いかり)、五十畑(いかばた)、五十原(いかはら)、五十浦(いかうら)、五十沢(いかざわ、いさざわ)、五...

  • 埼玉県の難読地名(13) 如意

    如意【ねおい】・・・越生町 この「如意」は本来は「にょい」という。 地名の由来はこの地に行基作ともいわれる如意輪観音を本尊とする「如意寺」があったことによるという。現在は寺はなく「観音堂(如意輪堂)」のみが残されている。このお堂には応保2年(1162)の墨書銘がある木造如意輪観音半跏像(県指定文化財)がある。読みの「ねおい」も「にょい」の発音から「ねおい」と書くようになったのかもしれないが、定かでは...

  • 埼玉県の難読地名(12) 手計、血洗島

    上手計【かみてばか】・・・深谷市 下手計【しもてばか】・・・深谷市 血洗島【ちあらいじま】・・・深谷市手計: 深谷市に「手計」とかいて「てばか」と読む地名がありますが、鎌倉期には「手墓村(てばかむら)」という名前が見られ、「手波賀郷」などの名前も見られます。また「手墓村」は鎌倉時代に「上手墓村」と「下手墓村」に分村していた記録があります。名前の由来は、下の血洗島の話と同様で、源義家が切られた片腕...

  • 埼玉県の難読地名(11) 矢颪、征矢町

    矢颪【やおろし】 ・・・ 飯能市 征矢町【そやちょう】 ・・・ 飯能市矢颪: 角川の地名辞典には『「矢下風」とも書く。とある。また前ヶ貫村から元禄年間までに分村したと考えられる。地名由来は矢は岩、「おろし」は「崖」の意で、地形に由来するという。征矢町: 矢颪のすぐ南側にあり、総鎮守としての「征矢(そや)神社」がある。矢颪、征矢町、前ヶ貫(まえがぬき)の3つの地区の境にこの「征矢神社」があり、地名...

  • 埼玉県の難読地名(10) 男衾

    男衾【おぶすま】・・・寄居町 この「男衾(おぶすま)」は平安時代の倭名類聚抄(和名抄)の武蔵国の郡名として出てきます。読み方は「乎夫須萬」となっている。地域は武蔵国のやや北部で、「大里・比企・秩父・榛沢」の郡に囲まれた地区である。名前の初見は正倉院の調布に記された天平6年(714年)11月の墨書である。この地には「小被(おぶすま)神社」があり、この社が男衾郡の総鎮守と云われている。創建はかなり古く...

  • 埼玉県の難読地名(9) 仏子、道佛

    仏子【ぶし】・・・入間市 道佛【どうぶつ】・・・埼玉郡宮代町仏子: 角川日本地名大辞典には、『読みは「ぶし」「ぶっし」とも云うとある。また「ブシ」の意味は、この名前の多くは小平地・河岸段丘・谷頭・鈍頂の山に見られる地名であるとも云われ、また仏師、あるいは武士がもとになったともいわれる。』とある。また、平凡社の日本歴史地名体系には『永禄年間(1558~70)と推定される文書に「仏師村」の記述がみえる』と...

  • 埼玉県の難読地名(8) 宮ケ谷塔、宮ケ谷戸

    宮ケ谷塔【みやがやとう】・・・さいたま市見沼区 宮ケ谷戸【みやがやと】・・・深谷市 さいたまし見沼区(旧大宮市)の宮ケ谷塔のは「みやがやとう」とも「みやがやと」とも云っているようで、「田園簿」には宮ケ谷戸村と記載がある。註:武蔵田園簿・・・慶安2~3年(1649~1650)成立。郡別に村名・村高・田畑高・諸役銭・社寺朱印高・支配代官・旗本知行主・大名領主、また一国の寄高・道法・船道・村駅・古城・名所が明ら...

  • 埼玉県の難読地名(7) 上敷免、番匠免、三町免

    上敷免【じょうしきめん】・・・深谷市 番匠免【ばんしょうめん】・・・三郷市 三町免【さんちょうめん】・・・鴻巣市(吹上町) 埼玉県内で「免」の付く地名が3つありました。一般に「免」がつく地名は、「租税」が免除されていた地区についています。上敷免:江戸時代から明治22年までは「上鋪免村」と書かれていましたが、明治22年以降の大字名として「上敷免」と書くようになりました。名前の由来としては、昔の職人で「...

  • 埼玉県の難読地名(6) 水判土

    水判土【みずはた】・・・さいたま市西区「水判土」は「水波田」とも書き、意味は角川日本地名大辞典は、水畑=水田 の水田地帯であることにちなむか(地名誌)とある。ただし地名としては戦国期には見られ、随分古く縄文早期~後期の水判土遺跡がある。「新編武蔵」に、足立郡に「水判土荘」が見られる、とある。また、水判土地区の中央には「慈厳寺(じげんじ)」という天台宗の寺があり、「大宮水波田観音」として親しまれ、...

  • 埼玉県の難読地名(5)

    清河寺【せいがんじ】 ・・・ さいたま市西区 清河寺(せいがんじ)はその名の通り、ここに存在する「清河寺」という寺の周辺についた名前が、地域の分村時にそのまま村名となったものである。清河寺は臨済宗円覚寺派の寺院で、山号は「大龍山」である。1360年(正平15年)、初代鎌倉公方足利基氏の開基とされる。寺名であるので名前の由来はよくわからない。寺は応永年間(1394年 - 1428年)には足利家の祈願所として栄えたが...

  • 埼玉県の難読地名(4) 指扇

    指扇【さしおうぎ】 ・・・ さいたま市西区さいたま市(旧大宮市)の「指扇」は、角川地名大辞典には『指扇子・差扇とも書く。荒川と鴨川にはさまれた大宮台地上に位置する。地名由来は「さしおぎ」とも称しているが、「サシ」は日向地や傾斜地、「オギ」は崖・湿地の意があり、地形からつけられた地名である。』と書かれている。ただ、江戸の小石川指ヶ谷町(さすがやちょう)のサスは焼畑の義で、「ソリ」や「ソウリ」も焼畑...

  • 埼玉県の難読地名(3) 遊馬町、西遊西

    遊馬【あすま】町 ・・・草加市 西遊馬【にしあすま】 ・・・さいたま市西区 この「遊馬」で【あすま】と読む地名が2か所ありますが、両所は結構離れておりお互いの関係は不明です。角川日本地名大辞典には、さいたま市の遊馬について『「遊間」とも書き、低湿地上にあり、「アソ」に水の浅いところ・湿地の意が、「マ」に湖沼・狭間の意があり、荒川沿岸の低湿の狭間に位置することによる(地名誌)』との説明があり...

  • 埼玉県の難読地名(2)

    風渡野【ふっとの】・・・さいたま市見沼区風布【ふうぷ、ふうっぷ】・・・寄居町、長瀞町「風」の付く難読地名を2つ。風渡野 角川日本地名大辞典によると、『県東部、綾瀬川右岸の大宮台地上に主として位置する。東と西に見沼の低地が入り組んでいる。地名の由来について「地名誌」には、「風渡野のフットはホトの義、ホトは女陰、噴火口の方言から地名となり、多くは河谷の名となっている」とあり、地形から生じた地名としてい...

  • 埼玉県の難読地名(1)

    茨城県、千葉県と続いた難読地名シリーズも3県め「埼玉県」に入ります。どれくらいまとめられるかまだ不明ですが、しり込みして居たら何も始まりませんので早速、始めましょう。第1回目は 生出塚【おいねづか】・・・鴻巣市一般に「生出」は「おいで」「はいで」などと読む場合が多く、 ・埼玉県加須市(旧大利根町)生出・・・「おいで」 ・愛知県稲沢市生出本町・・・「はいで」加須市(旧大利根町)の「生出」は角川...

  • 真壁の町と近江商人

    ここ数回にわたって桜川市の真壁地区を紐解いています。旧陣屋があった場所に今は伝承館という施設が建ち、町の歴史などを学べます。またこの施設の周りの街並みが真壁の街並みとして国指定の建屋などがたくさん並んでいます。更に平成22年には国の「重要伝統的建造物群保存地区=重伝建」に指定されています。この街並みはどのように作られていったのでしょうか?(伝承館(旧陣屋跡)入口)この伝承館の南側の通りの西側が「下...

  • 常陸国国府から見た「真壁道・小栗道」

    1,古代の新治郡の郡衙は旧協和町古郡(現桜川市)にありました。2,古代常陸国の国府である現在の石岡市からこの新治郡衙迄どのような道を通っていたのでしょうか? 距離的に近い道と考えると、両者の間には筑波山から北に延びる加波山とのの間の峠を越えていくことになります。ここに、真壁町(桜川市)の伝承館発行の一つの資料があります。「歴史の道 鎌倉街道と小栗道」これは、もう何年も前に友人から頂いた資料です。この...

  • アクセス数100万達成

    本ブログ「まほらにふく風に乗って」のアクセス数(ページビュー)が本日 100万回に到達しました。 ブログ開始日:2010年8月10日 本日(達成日):2025年3月15日 総日数:5,332日 総記事数:4,021件 1日当たり閲覧数:187.5回(平均)これもブログを続けていくためのモチベーションアップ。いつまで続けられるか?・・・・・・・・地域に埋もれた歴史などを掘り起こして満15年目前に何とかクリア。こうして記録を...

  • 神武天皇遥拝殿

    真壁の伝承館のすぐわきに神社がありますが、ここは「神武天皇遥拝所」といい、「神武さま」と呼ばれています。明治14年に真壁の氏神である五所駒瀧神社の分社として建立されました。ここは神武天皇を遥拝する場所ですが、拝殿の向きはこの五所駒瀧神社の方向を向いています。その先には「鹿島神宮」方向です。五所駒瀧神社は平安時代(1014年)に鹿島神宮の御祭神、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の分霊を祀り、真壁氏の氏神...

  • 真壁小跡:教育発祥之地

    雨引観音から真壁の町中に引き返し「伝承館」へ久しぶりに来たのだけれど少しイメージが違いました。建物が増えたのかもしれません。周りが狭く感じました。裏側の駐車場に車を停めて表の通りの方にぐるりと歩いていくと「教育発祥之地」という看板が置かれていました。その上に小さく「真壁小学校」とあり、右側には「真壁小学校創立百周年記念」と彫られています。元々この地には笠間藩の真壁陣屋がありました。そして明治6年...

  • 雨引山楽法寺

    先週の事ですが、久しぶりに雨引観音に立ち寄りしました。桜はまだのようですが、4月13日(日)はどうなりますか・・・・...

  • 五所駒瀧神社

    上曽トンネルが出来るとこの峠道を通らなくなりそうですね。という訳で峠の中腹にある五所駒瀧神社に立ち寄ってみました。石岡からの県道沿いからは裏側の入口からは入れます。入口は狭いですが、駐車場は結構広いです。「櫻斎軒」ひなまつり期間中はきっとここにも雛段が飾られていたのでしょう。今は静かにひっそりと・・・・...

  • 上曽トンネルが本年度開通予定です。

    石岡市と桜川市真壁町を結ぶ上曽峠のトンネルもいよいよ本年度の開通が予定されています。昨日、上曽峠を越えて真壁町へ行ってきましたので、真壁側の出口の状況を見てきました。写真は県道7号線の真壁町の出口道路部分です。この左側が国指定史跡となっている「真壁城址跡」です。多気平氏の一族であった真壁氏も佐竹氏の家臣として活躍し、佐竹氏の出羽(秋田)転封により秋田角館に800石で移りました。関ヶ原の戦いで戦功をあ...

  • 府中雑記を読む(70) 国分寺の鐘

    江戸時代の常陸府中(石岡)の地誌「府中雑記」を読み解いています。1、国分寺の鐘は鹿島郡子生村よりあがると云伝ふるより子生村の人に尋けるに、子生より一里去て上釜村と言所に鯵(あち)明神の辺に池あり、是より上ると也、国分寺迄引たる道筋は上釜村より下太田村迄の原道に七日が原八日堤下太田村より造谷村迄に折れ車鐘洗ひと云地名あり、造谷村より富田村の間にまた鐘洗といふ地名あり、是より先はしらずと也、是昔鐘を引...

  • 府中雑記を読む(69) 大砂新田

    江戸時代の常陸府中(石岡)の地誌「府中雑記」を読み解いています。1、大砂新田は寛文年中平ら高の内別御割付に成、初て名主を立たり(解説)大砂は村上の東北側で、「ひまわりの郷」の手前辺り。 寛文年中は1661~1672年であり、この頃に新田を拓いたのか?...

  • 府中雑記を読む(68) 縄打役人

    江戸時代の常陸府中(石岡)の地誌「府中雑記」を読み解いています。1、當所御縄は皆川山城守殿御代寛永二年より今に至る迄用る也、縄打役人は皆川御家臣岡安長左衛門、櫻田清兵衛、勝浦太郎左衛門、中嶋 此五人也、寛永三年より正保四年迄の新開き今古畑古田と号す、慶安年中より後の新開を今新切に用ゆ、寛永九年より表深杉北の位分る、格免は御當代様御仁恵を以御立被下置候(解説)縄打(なわうち)とは検地と同じような...

  • 府中雑記を読む(67) 石橋

    江戸時代の常陸府中(石岡)の地誌「府中雑記」を読み解いています。1、山王橋(横竪) 白久橋石(横竪) 森下橋石 この三ヶ所の石は市川台岩屋窪と言所より市川にも少々残る、矢口裏の石(横竪)表門前に小堀ありて其橋石也(解説)山王は山王川、山王台などに名が残るがこの橋はどこか? 白久は今の石岡駅の北側近く、市川は恋瀬橋近く、矢口は本陣の矢口家?、 石組みの橋も結構あったのか・・・屋敷を造る時に基礎にも...

  • 府中雑記を読む(66) 古常陸国の府の範囲

    江戸時代の常陸府中(石岡)の地誌「府中雑記」を読み解いています。1、古人の説に古當国の府と云し一躰の地は村上龍神山より鬼越山、向は雫山其内に染谷、粟田、高倉、上中下雫、夫より市川、野寺、三村、境戸、石川、夫より向地は小井戸、川中子、玉里、一町田、四ヶ村、小井戸、大橋、是を境として此内の村々を府内何村々々と言し也と聞け共、慥成る事しらず(解説)古い常陸国の国府の範囲を書いています。今のかすみがうら市...

  • 府中雑記を読む(65) 木ノ地町花光院

    江戸時代の常陸府中(石岡)の地誌「府中雑記」を読み解いています。1、木ノ地町花光院は古は今の向地にて今の地は浄土屋敷と云、浄土寺と哥有て時の鐘を撞しと也、門馬場は今の土橋町へ通りし也、今の時鐘は慶長後より照光寺務る也(解説)木之地町に在るのは幸町の古墳上にあった愛宕神社が移って存在し、江戸時代はここの祭りも盛んであったらしいと云うことくらい。現在「花光院」は知らない。名前からは真言宗か浄土宗の寺院...

  • 府中雑記を読む(64) 青野祭

    江戸時代の常陸府中(石岡)の地誌「府中雑記」を読み解いています。1、青野祭古人の云伝るは、往古勅使此地へ御下向有て夫より在庁の面々供奉し鹿嶋へ拝社有之と也、後保元平治の頃世乱、夫より勅使下向なく在庁の人々にて其式を勤め(国誌には藤原の人々初るとなり)、又其後此地高浜へ鹿嶋明神勧請し、夫より今に至る迄其式を行ふ也、尤鹿嶋の社家にては別説あるや、宮中の町家にては府中にて井げた形なるを作り、神前へ用ると...

  • 府中雑記を読む(63) 府中五千石領地

    江戸時代の常陸府中(石岡)の地誌「府1万1中雑記」を読み解いています。1、村上村市川村両村は寛永三年迄は全府中五千石大高の内也、同三年に御割付分つて分村と成、市川は夫より元禄年中御代官所の時迄は府中領也、先年より根本、中津川、高浜元禄年中迄は代々府中領也、此三ヶ村は古来は全く府中の地慶長年中より御割付別村に成と云伝ふ、故に高浜へは鹿嶋明神を勧請し六月廿一日祭礼の式を行ひ、又天王の浜下り高浜へ行幸有之...

  • 府中雑記を読む(62) 新治郡と茨城郡

    江戸時代の常陸府中(石岡)の地誌「府中雑記」を読み解いています。1、府中之地、茨城郡新治郡の違は古き事にみへたり、風土記等を見れば府中は茨城郡に紛れなし、国誌にも茨城之地今新治に属すとみへたり、然れば古茨城郡に疑なき也、慶長以来は総て新治郡と書す、唯惣社明神へ伊勢守殿奉納之弓箱に常陸国茨城郡府中と書したる斗、其余に見たる事更になし(解説)ここ府中が万葉の頃は茨城郡で、その後新治郡となり近年まで続き...

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