岩手県大船渡市三陸町綾里坂本。綾里川ダムの近くです。里宮の澤内不動明王から綾里川沿いにダムへと向かい、ダム手前の分岐を左へ行きます。道中には結構案内板があったので迷わないと思います。道中にも色々このような社等があったりしましたが、車で移動したためきちんと
秋田県大館市板沢屋布。板沢村は天正19年の史料に村名が見え、戦国期には一定の村落が展開されていたものと思われます。正保国絵図では板沢新田村16石、享保3年には板沢村当高148石余。御祭神は天照大御神。明治43年6月15日に一時愛宕神社(板沢字別後沢)に合祀。社号標(摂
宮城県栗原市志波姫八樟新田。志波姫は栗原郡(現栗原市)の東北部に位置し、標高38mの平坦な台地上を占める地。地名は志波姫村に古くから祀られる式内社と伝える志波姫神社の社名に由来。古峯神社。『志波姫神社は、木花開耶姫命を祀る延喜式神明帳栗原七座の内の大社にして
青森県三戸郡新郷村戸来金ケ沢。下通り。男坂はかなり歩きにくい感じです。男坂上の鳥居。高台に鎮座。8月19日の三嶽神社祭礼には御輿が八坂神社境内まで登り休みます。なお、下の広場では青年相撲が毎年8月25日に奉納されます。ちなみにこちらは女坂鳥居。女坂の方は綺麗に
秋田県にかほ市象潟町本郷麻針堰。駐車場から元滝川沿いに歩いて行きます。ちなみに直近駐車場もありますが、案内板では管理用駐車場となっていました。案内板「溶岩のヘリ(縁)の自然美」より…『約60万年前から現在まで成長を続けてきた鳥海山は、これまで何千回もの噴火
青森県三戸郡田子町田子上野。奇峰学秀作仏像三体…『田子町七日市出身の奇峰学秀作の阿弥陀如来像、観音菩薩像、勢至菩薩像の三体が納められている。三体とも同時期に制作されたことは確かであるが年代は不明である。平成20年12月田子町教育委員会』堂宇。阿弥陀如来像・観
『笹野観音堂~其之弐(米沢市)』からの続き。観音堂前石灯篭一対(明治44年5月・丸喜)。観音堂前青銅灯篭一基(昭和51年11月3日)。台座「献燈の趣意(清昭代)」は省略。笹野観音堂…大きいです。向拝彫刻。唐破風懸魚・中央蟇股。蟇股(前面3間)・木鼻。虹梁・手鋏等。
『笹野観音堂(米沢市)』からの続き。漱口場。水は観音像の前で龍の口から注がれます。昔より笹野は神仏を畏れ敬って、正月の7日間(現在は3日間で別火も無し)を肉や魚等を食せず、他人と同じ火を使用しない精進別火で、穢れ無い清らかな身体で正月を迎えました。昔も守れ
真言宗豊山派長命山幸徳院笹野寺。山形県米沢市笹野本町。置賜三十三箇所観音霊場19番札所。御本尊は千手観音(千手千眼観世音菩薩・総高153cm)。脇士(総高91cm)には地蔵菩薩と毘沙門天が再建時に仏師横山権六昌興の手により刻まれました。紫陽花(約2000株)の名所として
土深井裸まいり(市指定無形民俗文化財)で有名です。江戸時代初期、米代川の洪水により田畑が流され、疫病流行したことから、厄除けや悪病退散を願って冷水で身を清め、稲荷神社に祈願したのが始まりと伝えます。隔年旧暦1月19日に行われていましたが、近年は2月第3日曜日に
青森県下北郡佐井村長後福浦川目。福浦診療所隣。かつての長後村。枝村に福浦村・牛滝村がありましたが、江戸期はそれぞれ一村として扱われることも多く、福浦村が文化元年、牛滝村が安政年間頃に当村に吸収されました。牛滝村より村落規模は小さかったものの、佐井村に近く
八雲神社略記…『祭神:須佐之男命、稲田比賣命、八王子命、佐竹氏の霊。由緒:永保年中新羅三郎源義光公の勧請と伝う。室町時代関東管領足利成氏公は公方屋敷に渡御した当社の神輿に奉幣を行うを例とした。戦国時代小田原城主北条氏直公は祭礼保護の「虎印禁制状」を下賜し
青森県上北郡六戸町上吉田。私の地図には「大明神」とだけ記されています。上吉田と下吉田との境界に鎮座。堂舎の真下を用水路が流れています。この用水路は明治初年の「犬落瀬分限図」にも記されており、古くから相坂川の水を引いて上吉田集落の田んぼに恩恵を与える重要な
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青森県下北郡東通村尻労。尻労集落で運営する独自の寺です。よって管理は尻労部落婆々連中となっています。田名部海辺三十三観音巡礼七番札所。昔は向かい側に観音堂があり、庵主が管理していたようですが、天保年間の尻労大火の際に、火元であった池徳庵主は罪に問われるこ
秋田県鹿角郡小坂町上向。かつての上向村。明治9年11月28日に鴇・鳥越・長沢・牛馬長根が合併して上向村。鳥居をくぐってしばらく道なりに歩きます。最初のうちは余裕でしたが…少しずつ荒れてきて…途中で笹藪に…挫けずに歩き続けると…あれ!?行き止まり!?っていうか川
八戸市湊町下条。八戸市鳥瞰図(昭和8年)より。御祭神は速瀬織津比賣神、速秋津比古神、速秋津比賣神。例祭日6月27日。鎮座する川口は、かつて馬渕川と新井田川とが合流し、太平洋に注ぐ岩石重塁する処でした(上記鳥瞰図参照)。当所は地元の漁師たちの崇敬する一小祠でし
山形県南陽市宮内。熊野大社の横の細い道(證誠殿前)から一本道ですが、車がすれ違うことのできない細い道な上に、特に道中には何も無い(※山王山神社への参道入口はあります)ので、双松公園の中を通って行くのがおすすめです。双松公園を通って行けば季節の植物はもちろ
寶積坊は山形県南陽市宮内にある真言宗醍醐派の寺院。宮内熊野大社の入口参道に位置し、置賜三十三観音札所30番となっています。なお、観音堂の長谷観音は熊野大社の後方の裏山の中腹にあります。山寺を開山した慈覚大師が貞観9年(867)に置賜地方を訪れた折、観世音像を自
『熊野大社 ~ 其之肆(南陽市)』からの続き。本殿です。中央に本宮、向って右に二宮神社社殿(若王子)、左に三宮神社社殿(那智宮)があります。三宮神社本殿。御祭神は熊野家津御子大神・素戔嗚尊。本地仏阿弥陀如来。御神徳は食物の神。社殿内部に寛永3年の墨書があり、
『熊野大社 ~ 其之参(南陽市)』からの続き。熊野大社拝殿。天明7年以前の建築(天明7年の墨書あり)。唐破風、千鳥破風を萱で葺く山形県独自の建築様式です。出羽三山合祭殿や笹野観音にも同様式が見られますが、その中でも最も古い建築物となります。正式名称は熊野神社
『熊野大社 ~ 其之弐(南陽市)』からの続き。古峯神社。御祭神は日本武尊。御神徳は火災予防。日本武尊は焼津の原(静岡県)で火難を除いたことから防火の神として全国的に信仰されている神です。古くから火伏せ、防火に霊験のある神として祀られています。山神社。御祭神
『熊野大社(南陽市)』からの続き。石灯篭(昭和58年度伊勢代参者)。右石灯篭:平成8年度伊勢代参者、中央石灯篭:昭和57年度伊勢代参者、その間の石碑と右の石碑は読めず。後ろの建物は南陽市立宮内小学校。青銅灯篭一対。長谷観世音参道入口。熊野大社入口は大銀杏に包ま
山形県南陽市宮内。かつての宮内村。置賜郡。はじめ蒲生氏領、慶長3年上杉氏領、同6年より米沢藩領。北条郷に属します。慶長5年の出羽合戦では上杉氏の臣安部右馬助など宮内十八免許が小滝口に参陣。彼らは江戸期を通じて藩主の赤湯入湯の際の番所詰、熊野祭礼の警備、籾蔵・
可能な限り、うちで過ごそう!新型コロナウイルス感染症・・・大変ですね。志村どうぶつ園・・・毎週楽しみにしていました。私はビビりなので3月に入ってからは不要不急の外出を除き、休日は完全に引き籠っています。うつりたくないし、うつしたくない。3月から4月にかけ
青森県上北郡六ヶ所村倉内。小川原湖北の内沼近く。相沢川が小川原湖に注ぐ平坦地に鎮座。中志の産土様。社地付近の地名をハヤシと呼んでいますが、これは「神のハヤシ」のことであり、この川の古い呼称です。中志集落は藩政時代は倉内村の支村として扱われており、寛政年間
『秋田市大森山動物園』からの続きです。アカカンガルー。柵の中に至近距離で近くで見ることができます。寝てる。寝てる。ユキヒョウ。こっちを向いてくれませんでした。トナカイ。マーコール。ライオン。やる気なし。アムールトラ。かっこいい。近くで見ると…ド迫力!フタ
秋田県秋田市浜田潟端。秋田市大森山動物園。※全部は紹介しません。秋田市の動物園は昭和25年8月「秋田県児童会館付属動物園」として発足。当時の場所は市中心部の千秋公園(久保田城跡)内。その後、昭和28年4月には県から市に移管され「秋田市児童動物園」と名称変更。当
秋田県大館市東台。長根山運動公園・長根山麓・長根山町内会館近く。御祭神は伊弉諾尊、伊弉册尊。由緒並びに創建年は不明。埼玉県秩父市三峰にある三峯神社を御存知の方は多いかと思います。秩父の三峯神社では狛犬の代わりに狼が境内を守っております。三峯神社の詳細な由
青森県上北郡六ヶ所村鷹架。新納屋部落。国道338号線沿い。むつ小川原港の西。鷹保沼の東。市柳沼の北。核燃料サイクル施設などが建設されているむつ小川原開発地域において唯一住民が暮らし続けていた新納屋部落の氏神様。後に集落は買収され、70代には約90戸あった住民のほ
宮城県栗原市築館。かつての築館村で、その名の通り、中世の築館城に由来。「伊達治家記録」天正19年条に「遠藤文七郎宗信に一迫の内築館村、加美郡黒沢村に於て御知行百五十貫文の所を割下され、築館城を在所に仰付けらる」とあります。寺社としては天正6年開山と伝える曹洞
一見何でもないものがYUKIさんの目を通すと面白く見えてくるブラユキ写真館のお時間です。県道40号青森田代十和田線沿い。八甲田のすぐ麓。何もない美しい緑が広がっています。緑に囲まれ、他には何もないという自然の美…うん?!ここに設置しても絶対需要ないでしょ!大自
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岩手県大船渡市三陸町綾里坂本。綾里川ダムの近くです。里宮の澤内不動明王から綾里川沿いにダムへと向かい、ダム手前の分岐を左へ行きます。道中には結構案内板があったので迷わないと思います。道中にも色々このような社等があったりしましたが、車で移動したためきちんと
岩手県大船渡市三陸町綾里野形。鳥居「平成17年9月吉日建立、野形町内会・野形契約会」綾里は太平洋沿岸、綾里湾などに面し、綾里富士の山裾が海岸まで迫り、大股山から南東流して海に注ぐ綾里川沿いに僅かな平野地があります。湾は2つあって東側の綾里湾は陸中海岸の南部、
岩手県久慈市中町1丁目。巽山公園。中町は昭和47年~現在の久慈市の町名で第1・2地割があります。元は久慈市裏町で、地内の整備が進み一新し、当地が市街地の中央部に当たることから中町と改称。県立病院があることから病院通りとも称しています。裏町は昭和29から47年の久慈
岩手県北上市九年橋2丁目。九年橋は昭和41年からの北上市の町名で、元は北上市黒沢尻町字町分・黒沢尻町字里分の各一部。昭和50年一部が若宮町2丁目となり、同時に黒沢尻町字町分・黒沢尻町字里分を地内に編入。地名の由来は明治9年明治天皇東北御巡幸の際、和賀川に架橋され
岩手県上閉伊郡大槌町吉里々々。浪板大神楽保存会。鳥居建碑(昭和16年旧4月3日、紀元2601年記念)鳥居の跡。狛犬一対(平成5年10月吉日、藤原三太郎奉納、石工:(有)三浦屋石材店)鳥居(昭和3年旧4月3日、世話人:藤原由松、中村萬太郎、川向萬徳、大下未子松)鳥居(平成5
岩手県上閉伊郡大槌町吉里々々第8地割。浪板海岸駅南側を流れる川沿いに遡った場所。浪板不動滝は浪板海岸を見下ろす伝説の山鯨山の麓にあり、落差約20mの滝が清流のしぶきをあげて静寂を突き破るかのように一気に流れ落ちる直瀑。浪板不動滝…『この滝は、大槌町「新大槌八
『江釣子神社 (北上市)』からの続きです。出羽三山(明治16癸未年7月20日)金刀比羅山出羽三山(明治42年9月)八幡神社。神輿庫。御神輿。墓碑・江釣子家之墓。竹邨徳兵衛碑(竹村徳兵衛は江釣子の4代目・7代目村長)こちらは…う~ん…渡辺泰助…かな…古峰神社・金刀比羅
岩手県北上市下江釣子16地割。県道122号夏油温泉江釣子線沿い。近くには曹洞宗日月山全明寺があります。社号標。石橋寄附(大正9年12月※雑草で下部見えず)金毘羅大神(明治30丁酉年3月10日)境内社。鳥居。鳥居額束神額「江釣子神社」(登山作)下江釣子は北上盆地のほぼ中
岩手県奥州市前沢山下。霊桃寺と専念寺の間に鎮座。石鳥居紀年銘昭和5年4月9日。参道。参道石段。前沢町保存樹ヒイラギ(平成元年2月1日指定)意外に長い参道です。鳥居(平成29年4月建立)石灯籠一対(昭和10年4月1日願主オジマ)参道脇の石塔群。この日は雨だったのできち
岩手県釜石市箱崎町第7地割。箱崎漁港に鎮座。入口が2ヶ所ありました。石段下側の正面参道にもかつては鳥居があったものと思われます。箱崎は大槌湾・両石湾に挟まれて位置。縄文遺跡は地内前畑から前期、白浜から後期、大沢から中期の土器が出土。江戸期の箱崎村は閉伊郡の
岩手県大船渡市三陸町綾里舘。綾里漁港の近くです。綾里は太平洋沿岸、綾里湾等に面します。綾里富士の山裾が海岸まで迫り、大股山から南東流して海に注ぐ綾里川沿いに僅かな平野地があります。湾は2つあって東側の綾里湾は陸中海岸の南部、南の綾里岬と北の脚岬に挟まれてほ
ウニチャージのために浅虫へ。ウニチャージ!!アワビチャージ!!ホタテチャージ!!6月18日のホタテの日も近かったのでほたて広場へ。巨大ホタテ持ち帰りチャージ!!ソフトクリームチャージ!!関連記事『青森ねぶた祭 (令和元年)』『浅虫水族館 (フウセンウオ)』『浅
岩手県大船渡市猪川町前田。参道は奇麗に整備された階段。猪川は五葉山南麓に源を発し南流して大船渡湾に注ぐ盛川の河口近くに位置。川はその他に滝の入山から発して南西に流れ盛川に合流する立根川と、今出山から発して西流し盛川に合流する今出川があります。集落はこれら
岩手県久慈市、中町第1地割と川貫第5地割の境くらいに鎮座。付近には愛宕神社、高舘八幡宮、久慈市立三船十段記念館(三船久蔵十段之像)や日蓮正宗東光寺、道の駅くじ(やませ土風館)があります。愛宕神社境内にある文珠宮の裏手に道が続いています。そこから歩いて行きま
岩手県久慈市川貫第5地割。付近には愛宕神社、虚空蔵菩薩、久慈市立三船十段記念館(三船久蔵十段之像)や日蓮正宗東光寺、道の駅くじ(やませ土風館)があります。愛宕神社境内にある文珠宮の裏手に「神社の道」という遊歩道があります。そこから歩いて行きました。なお、下
岩手県久慈市八日町第4地割。付近には久慈大神宮や長福寺、東光寺等があります。鳥居。鳥居額束神額。参道。江戸期の大川目村は九戸郡のうち。はじめ盛岡藩領で寛文5年から八戸藩領。寛文5年から久慈通長内名主組に属します。村高は正保郷村帳419石余(田237石余・畑181石余
岩手県久慈市八日町。付近には久慈市立三船十段記念館(三船久蔵十段之像)や日蓮正宗東光寺、道の駅くじ(やませ土風館)があります。※一之鳥居(昭和41年10月17日奉納)石灯籠一対(昭和18年9月吉日建立)江戸期の大川目村は九戸郡のうち。はじめ盛岡藩領、寛文5年からは
岩手県和賀郡西和賀町沢内新町9地割。県道1号(盛岡横手線)沿い。新町稲荷神社。鳥居。手水石。山神。紀年銘等はマジカル・アイを駆使すれば読み取れるレベル。庚申塔(嘉永3庚戌年■月朔日)「新町歴史の町お宝二、稲荷神社」社殿。御祭神は宇迦魂命。例祭日9月9日。由緒等
岩手県和賀郡西和賀町沢内新町11地割。県道1号(盛岡横手線)沿い。神社のすぐ近くに典膳館跡の案内板があります。また、付近にはシダレザクラ(西和賀町指定文化財天然記念物)もあります。典膳館(てんぜんだて)跡…『天神館ともいう。和賀川の支流本内川の右岸の高位段丘
岩手県紫波郡矢巾町北郡山第10地割50。社号標「八幡神社」(今上天皇御即位記念建之、大正4年11月10日、従七位新渡戸仙岳拝書)参道。手水石一対。狛犬一対(皇紀2600年旧8月15日)石灯籠一対(文久3癸亥年8月17日)北郡山についてです。岩崎川と太田川(五内川)の合流
青森県平川市碇ヶ関大落前山。大落前川沿いに鎮座。こちらは山神とありますが水神(十和田様)。『水神竜神 十和田信仰』によりますと、「(前略)関所のカーブのところには日蓮宗系の法寿竜神明王の小祠があって信仰され、大落前川流域の大山祇神社前の清水には竜神を祀って
青森県東津軽郡平内町東田沢横峰。夏泊崎は大間崎とも呼ばれ東津軽郡平内町の北部、夏泊半島の突端に位置する岬。北西方の大島と相対。岬名は半島の名称に起因。大島とは干潮時には陸続きとなり、満潮時には浅瀬を形成するも現在は歩道が設けられており常時往来ができます。
岩手県紫波郡矢巾町煙山第6地割。煙山ダム付近に駐車場があります。宮沢賢治が愛した南昌山その2「山の石原」…『賢治は、明治42年、盛岡中学一年の時に、矢巾町出身の親友、藤原健次郎と南昌山を訪れ、最初にこの近くの石原に立ち寄った。現在は、煙山ダムの湖底となって
岩手県紫波郡矢巾町煙山。銀河鉄道の夜の舞台、南昌山へ。南昌山五合目登山口付近。この先へと更に進めば東ノ又沢の滝や矢櫃ダム、つぼけの滝、堀合神社方面。田沢山(4.3km)・東根山(4.6km)・縦走路入口もあります。南昌山五合目登山口。宮沢賢治が愛した南昌山その5「
岩手県紫波郡矢巾町煙山第1地割。北の沢林道。宮沢賢治が愛した南昌山その4「南昌山神社」…『賢治が、大正6年に南昌山を描いた絵の中に、南昌山神社と思われる場所が示されている。信心深い賢治は、南昌山に登る際には必ずこの神社に参拝し、山に入る許しを得ると共に山で
岩手県紫波郡矢巾町煙山。幣懸の滝(幣掛の滝)へ。周辺は水辺の里として整備がなされ、矢巾温泉から徒歩で行くこともできます。南昌山大滝の下流にあり、二段に見えて特徴のある美観。昔マタキが山へ入るときに山神に幣を奉納して安全を祈ったところといわれています。高さ
三戸郡三戸町川守田国子。道の駅さんのへ。同町の割烹白山が三戸食堂白山として出店…という記事をネット上で見つけました。記事によりますと、川蟹すいとんを看板メニューとする創業約60年以上の郷土料理のお店のようです。バイトっぽいけどホールの接客も良かったです。蕎
岩手県盛岡市黒川18地割。館林観音(当国観音霊場旧札所※手代森の曹洞宗竜洞山大泉院(手代森館跡)に舘林神社から移された聖観世音菩薩(黒川観音)の堂があり、11番札所として祀られています。御詠歌「むらさきの雲のたなびく西のそら 弥陀の光にわれぞ行かなん」)斯波氏
青森県三戸郡新郷村西越温泉沢。新郷温泉館の北方、野沢温泉に鎮座する神社です。鳥居額束神額「野沢温泉神社」令和2年10月。西越は奥羽山脈の東に連なる丘陵台地に位置。馬淵川支流の浅水川の最上流部にあたり、中央を浅水川が北東流。正安3年4月26日のきぬ女家族書上案には
青森県東津軽郡平内町浅所。立石洞窟遺跡というより、その上に鎮座する大龍王大神の紹介です。海沿いに下りれば立石洞窟遺跡も見ることができます。Wikipediaより…『安井崎の500メートルほど北には、幅15メートル、高さ30メートルほどの巨岩がそびえ立っており、その根部に
青森県東津軽郡平内町東田沢横峰。夏泊半島は東津軽郡平内町の北半部を占め、陸奥湾のほぼ中央に突出する半島。浪打・茂浦・浦田・稲生・東田沢・野内畑・白砂・東滝・間木・浅所などの集落があります。夏泊の語源としては「とまり」は港、「なつ」は「のうち」という星を意
青森県三戸郡南部町大向長谷。南部町の町の花「ぼたん」長谷ぼたん園の由来…『この長谷ぼたん園は、隣接する恵光院の檀家一行が、総本山である奈良県桜井市の長谷寺からぼたんの苗を譲り受けたのをきっかけに、昭和54年から南部町(現南部町)がふるさとづくりの一環として
岩手県紫波郡矢巾町白沢第11地割。一之鳥居は平成27年9月吉日氏子一同建立。社号標と境内案内板。三島神社の由来(境内案内板より)…『当三島神社は遠く足利時代に高畑一角(高畑家祖先)によって伊豆の国(静岡県)一宮である三島大社の分霊を勧請した社と伝えられている
粒ヶ谷地の若宮八幡宮。三戸郡五戸町切谷内外ノ沢と切谷内山崎川原の境ほどに鳥居があります。切谷内佐野の若宮正八幡宮ではありません。五戸町立切谷内小学校の北方にある若宮八幡宮です。鳥居前がすべて田んぼで最初は行き方がわかりませんでしたが、写真の方向から細い道
「考えるな、踊れ。」のテーマに魅了され、世界的な祭典に参加してきました。開催場所はキリストの里公園(三戸郡新郷村戸来野月)第60回キリスト祭!(ナニャドヤラの祭典)神秘とロマンの里、新郷村のシンボルであるキリストの墓を慰霊するお祭りで、昭和39年から開催され
東津軽郡平内町福館平川。馬頭観音(蒼前神社)。鳥居(平成8年9月16日、奉納者:辻村忠43才、製作者:加藤光博43才)福館は陸奥湾に突出する夏泊半島基部の東に位置。当地には天文年間に南部氏の一族である七戸修理が居住していたという館がありました。地名の由来はこの館
紅葉より新緑が好きです。気分転換に散歩してきました。訪れたのは5月の下旬。写真はほぼ撮っていません。写真目的となると何となく気分転換ができなくなるので。ちなみに掲載写真は激安ボロボロデジカメで一切加工なし。空気がうまいっ!そして運動すればビールがうまいっ!
青森県平川市八幡崎宮本。真言宗国分寺派赤倉山金剛寺。御本尊文殊菩薩。津軽弘法大師霊場第21番札所、卯年の一代さま、津軽三薬師、陸奥國津軽七福神めぐり布袋尊。過去の記事:『真言宗 赤倉山 金剛寺 (鶴亀石・カサメヤ遺跡 / 平川市八幡崎)』関連記事:『津軽七福神巡
青森県三戸郡三戸町蛇沼下川原。Googleでは「閉業しました」と表示されているのが気になるところですが、参拝して写真を載せている方がいるので大丈夫でしょう。一之鳥居も凄く立派ですし。でもいきなり参道が2本並行に…う~ん…左でしょうね。鳥居額束。う~ん…ちょっと不
五戸町大字倉石石沢字槍沢。槍沢の枝垂れ桜(うつぎ沢のしだれ桜)は蒼前神社境内にあります。すぐ南方には大鳥大明神があります。立野稲荷大明神も近いです(※木々に埋もれており私は参拝を断念していますが)。訪れたのは2024年のゴールデンウィーク。本当は正子のチュー