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  • 33211-9 岡山県備前市

    岡山県備前市1:伊部(いんべ)■2019年2月24日(日)【歴史】岡山県南東部は古代の陶器である須恵器の一大産地だった。平安時代末期になると、陶工は原料となる土や燃料となる木材が豊富で、かつ港となる入江がある伊部に移住した。そして、陶工たちは中世に備前焼を開発し、西日本を中心に各地に販売した。伊部には、安土桃山時代から江戸時代にかけて備前焼を大量生産した大窯の跡が3ヶ所ある。伊部駅の南にある南大窯...

  • 33208-9 岡山県総社市

    岡山県総社市1:総社■2014年2月1日(土)■2019年2月23日(土)【歴史】吉備地方には大型の古墳が多数見られ、古代に有力な豪族がいたことを証明している。総社も例外ではなく、全国で第10位の規模を誇る作山古墳がある。また、こうもり塚古墳には巨大な石室があり、内部が公開されている。総社には地名の通り備中国の総社(総社宮)が設置され、奈良時代から平安時代にかけての備中国の中心地だった。律令制におい...

  • 35210-1 山口県光市

    山口県光市室積1:室積■2019年2月17日(日)【歴史】室積は、蛾眉山が陸繋島として半島化した室積半島に位置する。室積半島の東端は長く東南に突きだし、象鼻ヶ岬という砂嘴になっている。その砂嘴に抱かれるように形成されている湾は御手洗湾と呼ばれ、古くから天然の良港だった。室積には平安時代に普賢寺が建立され、海の守り仏として多くの人が海上交通の安全祈願に信仰した。また、枯山水の庭園は雪舟による作庭と言...

  • 35212-8 山口県柳井市

    山口県柳井市1:柳井■2014年3月9日(日)■2019年2月17日(日)【歴史】中世の柳井は入江に面していたことから港が発達し、室町時代には町が形成されていた。江戸時代になると、柳井は岩国領に属し、吉川氏は有力な商人を柳井に配した。17世紀後半、岩国領主吉川氏は領内の財政の立て直しのため、柳井で干拓事業を実施した。干拓事業によりインフラが整備された柳井では町が発展し、「岩国藩の御納戸」と呼ばれるな...

  • 35208-0 山口県岩国市

    山口県岩国市1:岩国■2014年3月30日(日)■2019年2月16日(土)【歴史】江戸時代の岩国は、毛利一門である吉川氏の城下町だった。吉川氏の先祖は、藤原武智麻呂(藤原不比等の長男)を先祖とする藤原南家である。吉川氏は鎌倉時代に宗家が安芸国の地頭となり、この家系が岩国領主となった。吉川氏は戦国時代に毛利氏と姻戚関係を結んだが、毛利元就の調略により、元就の次男である元春に当主を奪われ、毛利一族の家...

  • 33100-7 岡山県岡山市足守

    3:足守■2019年2月11日(祝)【歴史】江戸時代の足守は足守藩の陣屋町だった。関ヶ原の戦い後、足守には木下家定が2.5万石で封じられた。木下氏は平氏の出と言われ、戦国時代までは杉原氏を名乗り、織田信長に仕えていた。家定が大名に出世したのは、妹のねねが木下藤吉郎(豊臣秀吉)と結婚したことで、豊臣家の一族に列したためである。家定の死後、木下氏は改易されたが、次男の利房が大阪の陣で活躍したため、庭瀬...

  • 33100-7 岡山県岡山市吉備

    2:吉備■2014年1月18日(土)■2019年2月11日(祝)【歴史】吉備の中心地である庭瀬は、中世から近代まで足守川の舟運が盛んで、内陸の港(庭瀬港)を有していた。庭瀬港は部分的に再現されている。巨大な常夜灯は、1700年頃に設けられたと言われている。戦後の台風で倒壊したが、2007年に再建された。16世紀、備中の有力大名である三村氏は、備前の宇喜多氏への備えとして庭瀬に城(撫川城)を築いた。城...

  • 33100-7 岡山県岡山市

    岡山県岡山市1:岡山◼️2014年1月18日(土)◼️2019年2月10日(日)【歴史】岡山は安土桃山時代に岡山城の城下町として形成された。1573年、備前国守護代の家臣から戦国大名への下克上を果たした宇喜多直家は、石山に城を築いた。直家の子である秀家は、豊臣秀吉の五大老になり、57.4万石の大大名になった。秀家は石高に見合った城を築くため、石山から数百メートル離れた岡山に城を築き、岡山城(詳細は史跡...

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