薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
稲葉家(分家)屋敷跡の直ぐ前にある「仁王山善正寺(浄土真宗本願寺派)」です。 何と言っても、此の素晴らしい鐘楼門です。 寺の創建は慶長7年(1602)。開山は…
寛永5年(1628)~万治3年(1660)の「臼杵城下町の古地図」を見ています。 臼杵城下町は、大友宗麟の構築した市街地をベースに、関ヶ原の戦い後に、郡上八幡…
「二王座歴史の道」には、多くの寺院もあります。 「竹生山善法寺」は、近江佐々木氏ゆかりの「廓玄(かくげん)上人」が鎌倉末期に臼杵末広の地に草創した、九州最古の…
「国の都市景観100選」に選ばれ「歩く歴史博物館」と呼ばれる「二王座歴史の道」。阿蘇山が約9万年前に噴出した凝灰岩で形成された岩丘を削り取った「切通し」で造ら…
臼杵川沿いの大橋寺や龍原寺から右折。国の「都市景観100選」にも選定されている「二王座歴史の道」へ。 「二王座」は、約9万年前の阿蘇山の火山灰(阿蘇溶結凝固岩…
「龍原寺」の対面、臼杵川畔に建つのは「法雲山大橋寺(だいきょうじ、浄土宗西山禅林寺派)」です。 大友宗麟の帰依深く、宗麟婦人「悟真院」殿が祀られている寺院でも…
福良天満宮から少し進むと、「龍原寺(浄土宗)」があります。「臼杵八カ所霊場巡礼参拝の第7番札所」です。 慶長5年(1600)円誉上人により創建されました。 …
宗麟が大分府内から居城を移した「臼杵」へ向かいます。臼杵駅の1つ手前の「上臼杵」駅で下車し、市内の見どころを一巡して、臼杵駅から大分へ戻ることに。 まずは、「…
JR大分駅前、駅正面に立つ「大友宗麟公像」です。キリシタン戦国大名らしい像で、「天正遣欧使節400年記念」として昭和57年に建立されました。富永直樹さんの作品…
大分は、美味しいものの宝庫です。「ふく」などの新鮮な魚介類、豊後牛などなど。 我が家はイカが大好物なので、今日は、「いかや」さんの「いか満腹コース」を戴くこと…
「鉄輪温泉」の「地獄めぐり」から。「かまど地獄」です。 1丁目から6丁目までの地獄があり、バラエティーに富んだ地獄が目白押しで、テーマパークのように愉しみなが…
東京からは、やや遠いですが、日本有数の温泉地「別府」です。「おんせん県」とも称せられる大分県。別府以外にも、多くの温泉が湧出しています。 「地獄めぐり」とは、…
江戸期後期の剣豪、島田虎之助の生誕地の碑が、JR中津駅前にあります。直心影流島田派を名乗りました。 男谷信友、大石進と並ぶ、幕末の三剣士に数えられています。 …
天正15年(1587)に黒田官兵衛により創建された、中津市寺町の「合元寺(通称:赤壁寺)」です。 黒田氏は中津城内で宇都宮氏を討ち、合元寺で待機していた家臣た…
中津市寺町にある「合元寺(通称:赤壁寺」です。 天正15年(1587)に、姫路から官兵衛に従い中津へ来た空誉上人が開山となり、開創されました。 黒田氏の宇都宮…
中津で最も有名なお寺「合元寺」です。黒田官兵衛が開いた寺院ですが、歴史上の事件発生場所として「宇都宮氏の滅亡に繋がる悲劇の寺院」として有名です。 では、宇都宮…
中津で最もユニークなお寺です。「通称:河童寺」と呼ばれ、河童伝説が残る「円応寺」。 享保年間(18世紀)、この寺の住職が境内に現れる河童と問答し、ついには河童…
隣りの「円龍寺(浄土宗)」です。「閻魔さまのお寺」として庶民の信仰を集めています。山門も独特。 閻魔さまは地獄を支配し、死者の生前の罪を裁き、相応の罰を与える…
中津の城下町で、寺町は確りと残っています。中津駅から「福澤諭吉旧宅」へ通じる「福澤通り」の2本東の通りに、多くの寺院が並んでいます。 計画都市である近世の城下…
中津城「松の御殿」跡に鎮座する「中津神社」です。明治16年に、六所神社、丸山神社、稲荷社、蛭子神社、八幡大江神社が合祀し、「中津神社」と改称しました。 毎年7…
中津城内に鎮座する「中津大神宮」です。「豊前国のお伊勢さま」と親しまれています。 明治14年に、伊勢神宮のご分霊を奉迎鎮祭しました。 神明造りの「本殿」、妻入…
黒田如水が天正16年に築城した「中津城」。黒田家の後に入城した細川氏は「小倉城」を本城としたため、「一国一城令」に照らし、存続が危ぶまれました。 ときの老中:…
中津市内をとうとうと流れる「中津川(山国川)」の畔に「中津城」があります。 中津城。 天正16年(1588)に黒田官兵衛が築城した「日本三水城のひとつ」ですが…
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薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
平城京の前の藤原京からの長い歴史を有する「薬師寺」は、天平2年(730)には、金堂の前に東塔と西塔を有する「薬師寺式の伽藍配置」を完了したと思われます。 しか…
近鉄「西ノ京」駅を出ると薬師寺の大きな境内があり、象徴的な東塔と西塔が目に飛び込んできます。 ただ、「西ノ京」駅に近い薬師寺北側の「與楽口」は、いわば裏口で、…
「休ケ岡八幡宮」の末社、「孫太郎稲荷神社」です。江戸初期に、姫路から此の地へ遷座してきました。更に古くは、下野・佐野からとも。 平安中期、藤原頼行公により、…
「薬師寺」へ進みますが、まずは、関連社寺から。 薬師寺の南門の手前に鎮座するのが「休ケ岡八幡宮」です。薬師寺の鎮守社です。 祀られているのは、僧形八幡神、神…
JR奈良駅前のホテルに宿泊した場合、食事処は近場に殆どなく、三条通りやならまち辺りまで出掛けていく必要があります。 此処は、ホテル日航奈良内の和食処「よしの」…
「法華寺(光明宗)」です。 もとは藤原不比等邸があった場所で、その娘の「光明子(聖武天皇后)」が相続し、「皇后宮」となり、天平17年(745)紫香楽宮から平城…
広さ:約130haもの「平城宮跡歴史公園」の東張り出し部に、「東院庭園」、宇奈多理神社、建部門(東院南門)などが復元されています。 「東院庭園」は、東西約80…
「平城宮跡(国の特別史跡)」は、近鉄奈良線の西大寺駅と新大宮駅の途中に、広大に広がっている広場に復元されています。 その広さは、約1km四方に「750m×25…
「平城宮跡歴史公園」は、奈良時代を今に感じる特別な場所です。公園内には、色々な施設がオープンしていますが、「平城宮いざない館」は、時空を超えて奈良時代に誘われ…
「庚申堂」は京都の「八坂の塔」の前にもありますが、此方は「ならまちの庚申堂」です。青面金剛を祀る「庚申信仰の中心地」です。 「庚申」は「庚申(かのえ…
豆腐造りに拘って70年。手間を惜しまず豆腐を造り続ける、当に「豆腐匠」。「近藤豆腐店」です。 ならまちに相応しい店構えです。 お店の豆腐・油揚げ…
奈良です。 奈良は古い街で、街中を「ぶらぶら」散策していると、思わぬ出逢いも多くあります。そうした出逢いを中心に、アップしていきます。 まずは、「ならまち高林…
新座市役所前にある「平林寺」は、その境内林が約43ha(東京ドーム約9個分)もの広がりを持つことで有名です。雑木林としては、唯一の国指定天然記念物でもあります…
「平林寺」は、新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の古刹です。南北朝時代に岩槻で創建され、寛文3年(1663)に、川越藩主:老中松平伊豆守信綱により、現在地へ移転…
名刹「平林寺の山門」すぐ前に、穏やかなときが流れている一角があります。日本の電力王「松永安左衛門」の別邸だった処で、現在は平林寺に寄進され、平林寺の境内の一角…
「平林寺」界隈へ。 JR武蔵野線「新座」駅を下車すると、大きな水車が廻り、駅前から「野火止用水」に沿った遊歩道が続いています。 新座は、平林寺と野火止用水の街…
汐留の日本TVビルにある中華「潮夢来」です。 ビル下のシオサイトは、土日はライブなどで騒がしいのですが、此処は、ゆっくりと食事できます。 今日は、個室が取れ…
「泰平寺(臨済宗建長寺派)」です。此の辺りは京都より鎌倉に近いので、建長寺派です。 下田5000石の初代領主:戸田忠次が開基となり、雪叟紹立を開山として創立し…
嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…
安政元年(嘉永7年、1854)に「日米和親条約」が締結され、下田港が開港場となりましたが、外国船が必要な消耗品(=欠乏品=薪、水、食料、石炭など)を供給する場…
「宝福寺」の南隣り「下田八幡神社(御祭神:誉田別命)」です。正応年間(13世紀後半)の創建と言われ、古くから下田の人々の篤い信仰を集めています。 「迎神の松」…
マイマイ通りに沿い稲田寺、海善寺と並んでいる「宝福寺(浄土真宗)」です。下田開港に伴い、一時、下田奉行所が設置されました。また、唐人お吉の菩提寺としても知られ…
マイマイ通りに沿って稲田寺の南隣りの「海善寺(浄土宗)」です。まずは、此の山門の見事さ。思わず見惚れます。 江戸時代の寺院には珍しくなかったのでしょうか。思わ…
伊豆急下田駅から「マイマイ通り」へ出ると、「稲田寺(とうでんじ、浄土宗)」があります。お吉の恋人/船大工「鶴松(川井又五郎)」が眠っています。 当寺は、幕末の…
「伊東遊季亭」です。JR伊東駅からタクシー送迎があるので、熱海や伊豆高原などの伊豆東海岸への旅では、此の宿で宿泊することにしています。 何より、食事が素晴らし…
「MOA美術館」は、創立者:岡田茂吉により第二次世界大戦後から本格的に蒐集された、国宝3点を含む総数約3500点もの膨大なコレクションを有しています。此の日も…
「大阪城天守閣」にも展示されている「黄金の茶室」ですが、MOA美術館にも、特別展示されています。当時の公卿、武将、茶人、外国人宣教師らの記載文献などの史料から…
MOA美術館内「茶の庭」の、「二條新町/そばの坊」と「和食/花の茶屋」の真ん中にある「光琳屋敷」です。勿論、当美術館の看板所蔵品「国宝/紅白梅図屏風(尾形光琳…
MOA美術館内の「日本庭園/茶の庭」には、「和食/花の茶屋」、「二條新町/そばの坊」と、2件の食事処があります。此の日は「和食/花の茶屋」が貸切中のため、「二…
安政元年(1854)「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の開港が約束されました。やはり、函館の次は下田だろうと下田へ向かいます。 途中で熱海で下車。まずは「…
「高田屋嘉兵衛資料館」です。 かつての海産物の倉庫2棟を活用し、高田屋に伝わる生活用品、古文書、嘉兵衛の建造した辰悦丸の模型などを展示しています。安政3年(1…
北海道の入口:函館。函館港を見はるかす地に「北海道第一歩の地」碑が建てられています。 ヒグマ(白熊)とイカリがモチーフです。 北洋漁業が最盛期だった頃、あるい…
少し進むと、「箱館運上所」跡があります。後ろの建物は、海上自衛隊函館基地隊本部です。 「箱館運上所」は、安政6年(1859)の箱館開港に伴い設置されました。明…
緑の島へ渡る「新島橋」の袂に「新島襄海外渡航の地」碑があります。 襄は「意を決して福音の自由に宣伝せらるる国土に赴かん」と、元治元年(1864)に箱館に到来。…
函館港にあるシンボル緑地「緑の島」です。散策、遠足、釣りなどにベストな場所です。スポーツや各種イベント会場にもなります。 島の中は、多目的広場、カラー舗装広場…
少し歩きベイエリアへ出ると、お洒落な函館らしい住宅があります。「太刀川家住宅(国重文)」です。 太刀川家初代:太刀川善吉は、近世末期に越後から箱館へ来て、米穀…