薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
宝暦8年(1758)に発生した尊王論者に対する最初の弾圧事件「宝暦事件」の主人公=竹内式部の碑が、白山公園内にあります。 竹内式部(国学者、神道家)は山崎闇斎…
新潟で明治から昭和にかけて活躍した大商人「3代目齋藤喜十郎」氏の邸宅の一部が、白山公園内に移築されています。建物は明治40年ごろのものといわれています。 「燕…
新潟の総鎮守「はくさんさま」との愛称で、商売繫盛、縁結びの神として知られる「白山神社」です。 御祭神「菊理媛大神(白山大神)」は、白山比咩大神ともいい、加賀の…
信濃川沿いに佇む「新潟グランドホテル」は食事が美味しいホテルです。3泊し、和食・中華・フレンチを戴きましたが、今日は、日本料理です。 日本料理は「静香庵」で戴…
慶長3年(1598)に創建された「松見山(しょうけんざん)法華寺(日蓮宗)」です。創建当初、此の地は広大で(瑞雲寺、真称寺、蓮昌寺の3カ寺分の土地があり)お城…
「久栄山蓮昌寺(日蓮宗)」です。 江戸時代に溝口家の新発田入封後は、歴代藩主の帰依した功績により、大本山「本圀寺」から、「永代緋紋白袈裟」着用の許し状を得てい…
「廣川山真称寺(浄土真宗本願寺派)」です。 祐寛法師が開基となり仁安3年(1168)に信濃国高井郡にて創建。寿永2年(1183)に新発田へ、慶長年間に溝口秀勝…
新発田藩溝口家初代藩主:秀勝公の正室「瑞雲院殿」が開基の「太平山瑞雲寺(曹洞宗)」です。「瑞雲院殿」は、美濃国主斎藤義龍の旗本:長井氏の息女でした。 「瑞雲院…
新発田藩溝口家の菩提寺「廣澤山宝光寺(曹洞宗)」です。初代藩主:溝口秀勝公の加賀大聖寺藩主時代に創建。秀勝公の新発田移封と共に、慶長17年(1612)に現在地…
新発田藩溝口家初代:秀勝公の父:溝口彦左衛門尉勝政が、尾張国中島郡西溝口村の小領主・地侍であった頃、「託明寺」は「專光寺」としてあり、溝口家の菩提寺でした。 …
「小松山周圓寺(真宗大谷派)」も、2度の大火で本堂が焼失し、寺史など詳細は不明です。 この寺は、池波正太郎の小説「ないしょないしょ(剣客商売番外編)」登場する…
「松霊山長徳寺(真宗大谷派)」です。 天正13年(1585)創建の寺院です。開基の関根慶順(俗名:関根与左衛門。細川政元の家臣。)が本願寺第8世蓮如上人の直弟…
開山は円蓮社教誉上人光阿哲仙和尚ですが開基は不詳です。2度の大火災に遭い、由緒や沿革が不詳のままで、現在の本堂は昭和2年に再建されました。 山門左に「聖徳皇太…
500人の子の母でありながら、常に人間の子を捕らえて食べていた鬼子母神。それを見かねた釈迦が、彼女の最愛の末子を隠し、「子を失う親の苦しみ哀しみ」を悟らせ、仏…
当寺は旧石仏いしぼとけの地に堂宇(真言宗)が有りましたが、慶長19年(1614)福勝寺の十二世住職:三吟梵州大和尚が曹洞宗に改宗し、旧寺町に瑞雲寺を建立しまし…
天正10年(1582)川東三光村にて創建したといわれています。地名の三光から、「瑠璃山常行院三光寺」と命名した。あるいは「三光=三つの光=慈愛、慈悲、智慧」の…
応永元年(1394)に新発田重家が開基となり、南魚沼市にある「雲洞庵」三世:悦叟祖誾和尚を開山として創設した「菩提山福勝寺(曹洞宗)」です。 本堂横に重家の墓…
「城下町新発田の寺町」紹介を始めます。 同市のパンフ「御城下 新発田 寺めぐり」に曰く。新発田は「郷土の宝」といえる見どころが沢山有ります。街のシンボルである…
「蔵春閣」の道路の反対側に鎮座する「諏訪神社」です。「おすわさま」の愛称で親しまれ、新発田の総鎮守として厚い信仰を集めています。 文化4年(648)、現在の聖…
新発田出身の歴史人、文化人は多くいます。大倉財閥の創始者「大倉喜八郎」も、そのひとりです。 明治45年に向島(隅田川沿い)に建てられた喜八郎の別邸「蔵春閣」が…
地元の方たちの圧倒的支持を得ている「鮨 和食 ながしま」です。新発田駅の直ぐ前にあり、私は事前に予約して行きましたが、開店と同時に多くの地元の方たちが入店され…
一方、此方は、新発田藩の中級武士の屋敷です。 「石黒門三郎/70石」の住宅です。 もともとは、新発田城三の丸付近にありましたが、平成6年に、現在地へ移築され…
「清水園」の直ぐ前に「新発田藩足軽屋敷」があります。藩政時代に藩の足軽が居住した茅葺き平屋建ての8軒長屋です。 金沢には、上級武士の住まいから足軽の長屋まで、…
武士を癒した大名庭園「国指定名勝/清水園」をじっくり見てみます。 新発田藩6万石(後に10万石に石直し)は、初代藩主:溝口秀勝が慶長3年(1598)に加賀大聖…
慶長3年(1598)、秀吉の最晩年ですが、越後の上杉景勝に会津120万石への転封命令が出ます。その後の越後には、越前北ノ庄城主の堀秀治が入国します。 写真は…
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薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
平城京の前の藤原京からの長い歴史を有する「薬師寺」は、天平2年(730)には、金堂の前に東塔と西塔を有する「薬師寺式の伽藍配置」を完了したと思われます。 しか…
近鉄「西ノ京」駅を出ると薬師寺の大きな境内があり、象徴的な東塔と西塔が目に飛び込んできます。 ただ、「西ノ京」駅に近い薬師寺北側の「與楽口」は、いわば裏口で、…
「休ケ岡八幡宮」の末社、「孫太郎稲荷神社」です。江戸初期に、姫路から此の地へ遷座してきました。更に古くは、下野・佐野からとも。 平安中期、藤原頼行公により、…
「薬師寺」へ進みますが、まずは、関連社寺から。 薬師寺の南門の手前に鎮座するのが「休ケ岡八幡宮」です。薬師寺の鎮守社です。 祀られているのは、僧形八幡神、神…
JR奈良駅前のホテルに宿泊した場合、食事処は近場に殆どなく、三条通りやならまち辺りまで出掛けていく必要があります。 此処は、ホテル日航奈良内の和食処「よしの」…
「法華寺(光明宗)」です。 もとは藤原不比等邸があった場所で、その娘の「光明子(聖武天皇后)」が相続し、「皇后宮」となり、天平17年(745)紫香楽宮から平城…
広さ:約130haもの「平城宮跡歴史公園」の東張り出し部に、「東院庭園」、宇奈多理神社、建部門(東院南門)などが復元されています。 「東院庭園」は、東西約80…
「平城宮跡(国の特別史跡)」は、近鉄奈良線の西大寺駅と新大宮駅の途中に、広大に広がっている広場に復元されています。 その広さは、約1km四方に「750m×25…
「平城宮跡歴史公園」は、奈良時代を今に感じる特別な場所です。公園内には、色々な施設がオープンしていますが、「平城宮いざない館」は、時空を超えて奈良時代に誘われ…
「庚申堂」は京都の「八坂の塔」の前にもありますが、此方は「ならまちの庚申堂」です。青面金剛を祀る「庚申信仰の中心地」です。 「庚申」は「庚申(かのえ…
豆腐造りに拘って70年。手間を惜しまず豆腐を造り続ける、当に「豆腐匠」。「近藤豆腐店」です。 ならまちに相応しい店構えです。 お店の豆腐・油揚げ…
奈良です。 奈良は古い街で、街中を「ぶらぶら」散策していると、思わぬ出逢いも多くあります。そうした出逢いを中心に、アップしていきます。 まずは、「ならまち高林…
新座市役所前にある「平林寺」は、その境内林が約43ha(東京ドーム約9個分)もの広がりを持つことで有名です。雑木林としては、唯一の国指定天然記念物でもあります…
「平林寺」は、新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の古刹です。南北朝時代に岩槻で創建され、寛文3年(1663)に、川越藩主:老中松平伊豆守信綱により、現在地へ移転…
名刹「平林寺の山門」すぐ前に、穏やかなときが流れている一角があります。日本の電力王「松永安左衛門」の別邸だった処で、現在は平林寺に寄進され、平林寺の境内の一角…
「平林寺」界隈へ。 JR武蔵野線「新座」駅を下車すると、大きな水車が廻り、駅前から「野火止用水」に沿った遊歩道が続いています。 新座は、平林寺と野火止用水の街…
汐留の日本TVビルにある中華「潮夢来」です。 ビル下のシオサイトは、土日はライブなどで騒がしいのですが、此処は、ゆっくりと食事できます。 今日は、個室が取れ…
「泰平寺(臨済宗建長寺派)」です。此の辺りは京都より鎌倉に近いので、建長寺派です。 下田5000石の初代領主:戸田忠次が開基となり、雪叟紹立を開山として創立し…
嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…
安政元年(嘉永7年、1854)に「日米和親条約」が締結され、下田港が開港場となりましたが、外国船が必要な消耗品(=欠乏品=薪、水、食料、石炭など)を供給する場…
「宝福寺」の南隣り「下田八幡神社(御祭神:誉田別命)」です。正応年間(13世紀後半)の創建と言われ、古くから下田の人々の篤い信仰を集めています。 「迎神の松」…
マイマイ通りに沿い稲田寺、海善寺と並んでいる「宝福寺(浄土真宗)」です。下田開港に伴い、一時、下田奉行所が設置されました。また、唐人お吉の菩提寺としても知られ…
マイマイ通りに沿って稲田寺の南隣りの「海善寺(浄土宗)」です。まずは、此の山門の見事さ。思わず見惚れます。 江戸時代の寺院には珍しくなかったのでしょうか。思わ…
伊豆急下田駅から「マイマイ通り」へ出ると、「稲田寺(とうでんじ、浄土宗)」があります。お吉の恋人/船大工「鶴松(川井又五郎)」が眠っています。 当寺は、幕末の…
「伊東遊季亭」です。JR伊東駅からタクシー送迎があるので、熱海や伊豆高原などの伊豆東海岸への旅では、此の宿で宿泊することにしています。 何より、食事が素晴らし…
「MOA美術館」は、創立者:岡田茂吉により第二次世界大戦後から本格的に蒐集された、国宝3点を含む総数約3500点もの膨大なコレクションを有しています。此の日も…
「大阪城天守閣」にも展示されている「黄金の茶室」ですが、MOA美術館にも、特別展示されています。当時の公卿、武将、茶人、外国人宣教師らの記載文献などの史料から…
MOA美術館内「茶の庭」の、「二條新町/そばの坊」と「和食/花の茶屋」の真ん中にある「光琳屋敷」です。勿論、当美術館の看板所蔵品「国宝/紅白梅図屏風(尾形光琳…
MOA美術館内の「日本庭園/茶の庭」には、「和食/花の茶屋」、「二條新町/そばの坊」と、2件の食事処があります。此の日は「和食/花の茶屋」が貸切中のため、「二…
安政元年(1854)「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の開港が約束されました。やはり、函館の次は下田だろうと下田へ向かいます。 途中で熱海で下車。まずは「…
「高田屋嘉兵衛資料館」です。 かつての海産物の倉庫2棟を活用し、高田屋に伝わる生活用品、古文書、嘉兵衛の建造した辰悦丸の模型などを展示しています。安政3年(1…
北海道の入口:函館。函館港を見はるかす地に「北海道第一歩の地」碑が建てられています。 ヒグマ(白熊)とイカリがモチーフです。 北洋漁業が最盛期だった頃、あるい…
少し進むと、「箱館運上所」跡があります。後ろの建物は、海上自衛隊函館基地隊本部です。 「箱館運上所」は、安政6年(1859)の箱館開港に伴い設置されました。明…
緑の島へ渡る「新島橋」の袂に「新島襄海外渡航の地」碑があります。 襄は「意を決して福音の自由に宣伝せらるる国土に赴かん」と、元治元年(1864)に箱館に到来。…
函館港にあるシンボル緑地「緑の島」です。散策、遠足、釣りなどにベストな場所です。スポーツや各種イベント会場にもなります。 島の中は、多目的広場、カラー舗装広場…
少し歩きベイエリアへ出ると、お洒落な函館らしい住宅があります。「太刀川家住宅(国重文)」です。 太刀川家初代:太刀川善吉は、近世末期に越後から箱館へ来て、米穀…