薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
電停「宝来町」の近くに、高橋掬太郎の歌碑があります。高橋が函館日日新聞の記者だったときに作詞した大ヒット曲「酒は涙か溜息か」の歌碑です。 高橋は明治34年に根…
司馬さんが「江戸時代の日本人のうちで最も英知と良心と勇気があった人物」と評した高田屋嘉兵衛。高田屋は出身地の淡路に本店を、箱館に北前船の拠点を置いていました。…
宝来町の函館山ロープウエイ下に巨大な「高田屋嘉兵衛」像が立っています。嘉兵衛の功績を讃えると共に「函館開港100年」を記念して、昭和33年に立てられました。 …
「土方歳三の終焉の地/一本木関門」です。現在でも、常に香華の絶えることがありません。司馬さんの「燃えよ剣」ラストシーンから。 「参謀府へゆく」歳三は、微笑すれ…
五稜郭タワーから五稜郭へ向かう途中、最上寺があります。 新選組の隊旗がはためいており、何となく、土方歳三を祀ってあるような雰囲気です。実は新選組とは関係はない…
「五稜郭タワー」1階に立っている土方歳三の像です。土方にとって函館は最後の地となりましたが、今でも、函館での土方人気は相当なものです。 鳥羽伏見の戦いの後、土…
平成22年「箱館奉行所」は、約140年ぶりに復元・公開されました。その場所は、五稜郭のど真ん中です。 「箱館奉行所」は、下田と共に開港場となった箱館で、諸外国…
それでは、「五稜郭(特別史跡)」へ。 土塁が五稜星型なので五稜郭と通称されていますが、正式名称は亀田役所土塁とか。江戸幕府により、蝦夷地経営と北方防備のために…
星の形をした西洋式城郭「五稜郭」を中心とした「五稜郭公園」は、函館でも人気の観光地です。まずは全体像を把握するべく、「五稜郭タワー」に入ります。 「五稜郭タワ…
函館ベイエリアに「豊川稲荷神社」があります。文久元年(1861)に町内守護神として創建されました。 本殿越しにベイエリアの高層建物が見えます。 神社創建時に社…
函館は何度も何度も、大火の被害を受けました。明治12年の大火の後、「どんな大火でも食い止められるように」、二十間(約36m)もの広い防火帯を有する道路が整備さ…
大三坂を下ると、日本初の鉄筋コンクリート造の本堂がある「東本願寺函館別院」があります。 寛文9年(1669)に松前専念寺が木古内に阿弥陀堂を建立したのが始まり…
大三坂の函館元町カトリック教会前に「亀井勝一郎生誕地」碑があります。昭和期の有名評論家:亀井勝一郎は1907年2月6日、当地で誕生しました。 亀井は早くから共…
大三坂にある「函館カトリック元町教会」です。大三坂の石畳とカトリック元町教会の荘厳な建物は、良く似合っています。 「函館元町カトリック教会(函館天主公教会)」…
元町エリアからベイエリアへ下る「大三坂」です。「日本の道100選」に選定された坂でもあります。名前の由来は、江戸時代、坂の入口に「大三」という名の郷宿(=公用…
正面、樹木に隠れていますが、大きな十字架が印象的な「函館聖ヨハネ教会」です。「函館聖ハリストス正教会」の東隣にあり、正式名を「日本聖公会函館聖ヨハネ教会」とい…
更に南東へ進むと「箱館ハリストス正教会(国重文)」が見えてきます。このときは、長期の改修工事が終了し間がない頃で、一層美しい外観を堪能出来ました。 「ハリスト…
函館山に向かって多くの坂が延びている函館でも、最も有名な「八幡坂」です。映画やテレビCMなどに多く登場する坂です。常に観光客が写真を撮ろうとしています。 車が…
「旧函館区公会堂」の近くに「船魂神社」があります。義経伝説を有する北海道最古の神社です。 崇徳帝の御世。融通念仏宗の開祖である良忍上人が此の地に到着されました…
基坂を上り切った処にある「旧函館区公会堂」です。明治40年の函館大火で住民の集会所だった町会所が焼失したので住民有志が「公会堂建設協議会」を結成し巨額の寄付を…
函館山の麓、基坂を上りきった処は、かつて箱館奉行所や北海道開拓使、渡島支庁などが置かれた道南行政の中心地でした。 もっと昔、松前藩初代藩主:武田信広と津軽から…
基坂の「旧英国領事館」の直ぐ前に「ペリー広場」があり、「ペリー提督来航記念碑」が立っています。 安政元年(1854)に「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の…
基坂を上ると左手にあるのが「旧英国領事館(開港記念館)」です。 大正2年の建築の旧外国公館で、英国人設計士の設計建物です。コロニアル様式が採用され、レンガ造り…
函館の西部地区、函館山の麓ですが、坂が沢山あり、函館港・ベイエリアを見下ろしています。最も有名でガイドブックの表紙に出ている坂は「八幡坂」ですが、地図で数えて…
基坂と市電通りの交差点にモスグリーンの壁色が印象的な相馬㈱の社屋が有ります。壁枠など随所にお洒落な装飾が施されており、窓(ドーマー窓)などルネッサンス様式をベ…
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薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
平城京の前の藤原京からの長い歴史を有する「薬師寺」は、天平2年(730)には、金堂の前に東塔と西塔を有する「薬師寺式の伽藍配置」を完了したと思われます。 しか…
近鉄「西ノ京」駅を出ると薬師寺の大きな境内があり、象徴的な東塔と西塔が目に飛び込んできます。 ただ、「西ノ京」駅に近い薬師寺北側の「與楽口」は、いわば裏口で、…
「休ケ岡八幡宮」の末社、「孫太郎稲荷神社」です。江戸初期に、姫路から此の地へ遷座してきました。更に古くは、下野・佐野からとも。 平安中期、藤原頼行公により、…
「薬師寺」へ進みますが、まずは、関連社寺から。 薬師寺の南門の手前に鎮座するのが「休ケ岡八幡宮」です。薬師寺の鎮守社です。 祀られているのは、僧形八幡神、神…
JR奈良駅前のホテルに宿泊した場合、食事処は近場に殆どなく、三条通りやならまち辺りまで出掛けていく必要があります。 此処は、ホテル日航奈良内の和食処「よしの」…
「法華寺(光明宗)」です。 もとは藤原不比等邸があった場所で、その娘の「光明子(聖武天皇后)」が相続し、「皇后宮」となり、天平17年(745)紫香楽宮から平城…
広さ:約130haもの「平城宮跡歴史公園」の東張り出し部に、「東院庭園」、宇奈多理神社、建部門(東院南門)などが復元されています。 「東院庭園」は、東西約80…
「平城宮跡(国の特別史跡)」は、近鉄奈良線の西大寺駅と新大宮駅の途中に、広大に広がっている広場に復元されています。 その広さは、約1km四方に「750m×25…
「平城宮跡歴史公園」は、奈良時代を今に感じる特別な場所です。公園内には、色々な施設がオープンしていますが、「平城宮いざない館」は、時空を超えて奈良時代に誘われ…
「庚申堂」は京都の「八坂の塔」の前にもありますが、此方は「ならまちの庚申堂」です。青面金剛を祀る「庚申信仰の中心地」です。 「庚申」は「庚申(かのえ…
豆腐造りに拘って70年。手間を惜しまず豆腐を造り続ける、当に「豆腐匠」。「近藤豆腐店」です。 ならまちに相応しい店構えです。 お店の豆腐・油揚げ…
奈良です。 奈良は古い街で、街中を「ぶらぶら」散策していると、思わぬ出逢いも多くあります。そうした出逢いを中心に、アップしていきます。 まずは、「ならまち高林…
新座市役所前にある「平林寺」は、その境内林が約43ha(東京ドーム約9個分)もの広がりを持つことで有名です。雑木林としては、唯一の国指定天然記念物でもあります…
「平林寺」は、新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の古刹です。南北朝時代に岩槻で創建され、寛文3年(1663)に、川越藩主:老中松平伊豆守信綱により、現在地へ移転…
名刹「平林寺の山門」すぐ前に、穏やかなときが流れている一角があります。日本の電力王「松永安左衛門」の別邸だった処で、現在は平林寺に寄進され、平林寺の境内の一角…
「平林寺」界隈へ。 JR武蔵野線「新座」駅を下車すると、大きな水車が廻り、駅前から「野火止用水」に沿った遊歩道が続いています。 新座は、平林寺と野火止用水の街…
汐留の日本TVビルにある中華「潮夢来」です。 ビル下のシオサイトは、土日はライブなどで騒がしいのですが、此処は、ゆっくりと食事できます。 今日は、個室が取れ…
下田マイマイ通りの突き当りに、「了仙寺(日蓮宗、国史跡)」があります。此の寺で、ペリー提督と日本全権(林大学頭)により「下田条約(日米和親条約の附則13カ条)…
「泰平寺(臨済宗建長寺派)」です。此の辺りは京都より鎌倉に近いので、建長寺派です。 下田5000石の初代領主:戸田忠次が開基となり、雪叟紹立を開山として創立し…
嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…
安政元年(嘉永7年、1854)に「日米和親条約」が締結され、下田港が開港場となりましたが、外国船が必要な消耗品(=欠乏品=薪、水、食料、石炭など)を供給する場…
「宝福寺」の南隣り「下田八幡神社(御祭神:誉田別命)」です。正応年間(13世紀後半)の創建と言われ、古くから下田の人々の篤い信仰を集めています。 「迎神の松」…
マイマイ通りに沿い稲田寺、海善寺と並んでいる「宝福寺(浄土真宗)」です。下田開港に伴い、一時、下田奉行所が設置されました。また、唐人お吉の菩提寺としても知られ…
マイマイ通りに沿って稲田寺の南隣りの「海善寺(浄土宗)」です。まずは、此の山門の見事さ。思わず見惚れます。 江戸時代の寺院には珍しくなかったのでしょうか。思わ…
伊豆急下田駅から「マイマイ通り」へ出ると、「稲田寺(とうでんじ、浄土宗)」があります。お吉の恋人/船大工「鶴松(川井又五郎)」が眠っています。 当寺は、幕末の…
「伊東遊季亭」です。JR伊東駅からタクシー送迎があるので、熱海や伊豆高原などの伊豆東海岸への旅では、此の宿で宿泊することにしています。 何より、食事が素晴らし…
「MOA美術館」は、創立者:岡田茂吉により第二次世界大戦後から本格的に蒐集された、国宝3点を含む総数約3500点もの膨大なコレクションを有しています。此の日も…
「大阪城天守閣」にも展示されている「黄金の茶室」ですが、MOA美術館にも、特別展示されています。当時の公卿、武将、茶人、外国人宣教師らの記載文献などの史料から…
MOA美術館内「茶の庭」の、「二條新町/そばの坊」と「和食/花の茶屋」の真ん中にある「光琳屋敷」です。勿論、当美術館の看板所蔵品「国宝/紅白梅図屏風(尾形光琳…
MOA美術館内の「日本庭園/茶の庭」には、「和食/花の茶屋」、「二條新町/そばの坊」と、2件の食事処があります。此の日は「和食/花の茶屋」が貸切中のため、「二…
安政元年(1854)「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の開港が約束されました。やはり、函館の次は下田だろうと下田へ向かいます。 途中で熱海で下車。まずは「…
「高田屋嘉兵衛資料館」です。 かつての海産物の倉庫2棟を活用し、高田屋に伝わる生活用品、古文書、嘉兵衛の建造した辰悦丸の模型などを展示しています。安政3年(1…
北海道の入口:函館。函館港を見はるかす地に「北海道第一歩の地」碑が建てられています。 ヒグマ(白熊)とイカリがモチーフです。 北洋漁業が最盛期だった頃、あるい…
少し進むと、「箱館運上所」跡があります。後ろの建物は、海上自衛隊函館基地隊本部です。 「箱館運上所」は、安政6年(1859)の箱館開港に伴い設置されました。明…
緑の島へ渡る「新島橋」の袂に「新島襄海外渡航の地」碑があります。 襄は「意を決して福音の自由に宣伝せらるる国土に赴かん」と、元治元年(1864)に箱館に到来。…
函館港にあるシンボル緑地「緑の島」です。散策、遠足、釣りなどにベストな場所です。スポーツや各種イベント会場にもなります。 島の中は、多目的広場、カラー舗装広場…