それでは「鑑真和上」とは。 和上は688年に、中国の揚州で誕生されました。14歳のときに、揚州の「大雲寺」で出家。21歳で長安の実際寺の「戒壇」で、弘景律師に…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
ベイエリアの赤レンガ倉庫群から市電通りへ出ると、「函館市文学館」があります。大正10年に旧第一銀行函館支店として建設された、煉瓦及び鉄筋コンクリート造3階建て…
更に進むと、「新島襄ブロンズ像」があります。襄は安中藩士に生まれ、幕府の軍艦操練所で訓練を受けた後、元治元年(1864)に函館から密航しました。 元治元年とい…
七財橋を渡ると、ベイエリア一面に赤レンガ倉庫群が広がっています。「金森赤レンガ倉庫群」で、函館ヒストリープラザ、金森洋物館、BAYはこだて、金森ホールの4つの…
函館ベイエリアの歴史を見つめてきた「七財橋」です。海運業が盛んだった頃、船荷を運ぶために利用された「掘割」と呼ばれる水路に架かっている石造りの橋です。橋の上か…
「はこだて明治館」の直ぐ前(対面)にある「紫ぜん」です。一軒家の絶品フレンチ。 テーブルも落ち着いています。 ●小エビのマリネ 直ぐ近くの市場から仕入れたとい…
函館ベイエリア地区のランドマークとも言える建物です。はこだて明治館。 明治44年に北海道で初の「箱館郵便局」として建てられた赤レンガ造りの倉庫を利用したショッ…
函館市電の要衝「十字街」に「坂本龍馬記念館」があります。函館で土方歳三ではなく坂本龍馬? 司馬さんが「竜馬がゆく」の「あとがき」に書いておられます。 明治4年…
弘前から函館へ。到着すると、駅前のホテルで荷物を預けて、直ぐ隣りの朝市へ。 江戸時代の北海道(蝦夷地)は、松前藩(10万石格)がある程度でしたが、嘉永6年(1…
羽田空港の滑走路が見える部屋が有るホテル「羽田エクセルホテル東急」のレストラン「フライヤーズテーブル」です。 多くの乗降客が行き交う第2ターミナルビルの2階に…
世界第5位(年間乗降客数:5075万人)にまで大きくなった羽田空港。第1ターミナルから第3ターミナルまであり、少しづつ離れているので、その間を連絡バスで結んで…
私は九州への旅行でも新幹線を使用していますが、東京国際空港が、どのように進化しているのか知りたく、羽田へ出掛けました。一休で検索すると、「羽田エクセルホテル東…
天王洲アイルから新東海橋を渡ると、直ぐ左に「キャプテンズワーフ」があります。新鮮でワイルドな素材を繊細な味付けで戴けるイタリアン・レストランです。 運河に面し…
京浜運河、天王洲運河に囲まれた「天王洲アイル」です。江戸時代の第四台場を中心に、全域が埋立地です。総面積は約22ha。 りんかい線と羽田モノレールがクロスする…
「上野の森美術館」の前にある「天海僧正毛髪塔」です。 南海坊天海と言えば、江戸の都市計画のプランナー兼推進者であり、日光PJのプランナー兼推進者であり、河越・…
上野公園の西郷像の後ろに、ひっそりと残された彰義隊の墓です。三ノ輪の円通寺に小さな彰義隊の墓地がありますが、上野公園には、この1基があるのみ。 司馬さんの「花…
幕末きっての西洋通、佐久間象山が41歳のときに木挽町に開いた兵学塾は、晴海通りの歌舞伎座対面、岩手県のアンテナショップの1筋西にありました。 象山が勝 海舟の…
弘前の次は「函館シリーズ」へ進みますが、一寸、東京の様子を。「銀座、天王洲アイランド、羽田空港」を。 東銀座で、気軽に和食を愉しめるお店を発見しました。歌舞伎…
弘前の郷土料理を食べようと、地元の方々に人気が有る「佐和家」へ。弘前公園にほど近い繁華街にあります。 海鮮中心ですが、肉もあります。リンゴを使ったフレンチとは…
新寺町の寺院は、まだまだ有りますが、最後に「円明寺(浄土真宗)」を。此処の本堂は、浄土真宗寺院では、県内最古(県重宝)と言われています。 明応8年(1499)…
袋宮寺の右隣りにある「一輪山桂光院報恩寺(県重宝、天台宗)」です。明暦2年(1656)に津軽家第4代藩主:津軽信政公が、先代を供養するべく創建した寺院ですが、…
弘前高校の直ぐ隣りに「袋宮寺(たいぐうじ、天台宗、県重宝)」があります。江戸時代は、樋口村(現:弘前市茜町)にある「熊野宮(県重宝)」の別当寺でしたが、神仏分…
繰り返しますが、弘前には「寺町」が2カ所あります。まずは茂森町にある「長勝寺を筆頭とする曹洞宗の33寺院を擁する《禅林街》」そして、弘前高校近くにある「新寺町…
弘前には、「禅林街」以外に「第二寺町」もあります。此方の筆頭寺院は「最勝寺」で、寺領300石を誇ります。そして、最勝寺と同じ敷地であるのが「八坂神社」です。 …
弘前は、教会も目立つ都市です。まずは「日本基督教団弘前教会教会堂(県重宝)」です。 高さ20mのフランスゴシック風の双塔形式で、外観は白のオイルペイント仕上げ…
金沢を始め、全国各地の「伝統的建造物群保存地区」で、多くの武家屋敷が保存されています。これ等を鑑賞すると、中世の武士や医者などの日常が見えてきます。弘前市にも…
石場家住宅の北側の約10.6haが、国選定の「弘前市伝統的建造物群保存地区(重要伝統的建造物群保存地区)」です。弘前城は、当初、北門(亀甲門)を「追手門」とし…
弘前城の北の郭、通称「亀甲門」前にある「石場家住宅(国の重文)」です。内部へ入ると「司馬さんが当家を訪れたときの写真」が掲示してありました。恐らく、「街道をゆ…
リンゴとフレンチの街・弘前。特に弘前公園付近には、ランチ処が沢山あります。此処「レストラン・ポルトブラン」は、手軽なランチコースから本格的なフルコースまで、豊…
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それでは「鑑真和上」とは。 和上は688年に、中国の揚州で誕生されました。14歳のときに、揚州の「大雲寺」で出家。21歳で長安の実際寺の「戒壇」で、弘景律師に…
薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
平城京の前の藤原京からの長い歴史を有する「薬師寺」は、天平2年(730)には、金堂の前に東塔と西塔を有する「薬師寺式の伽藍配置」を完了したと思われます。 しか…
近鉄「西ノ京」駅を出ると薬師寺の大きな境内があり、象徴的な東塔と西塔が目に飛び込んできます。 ただ、「西ノ京」駅に近い薬師寺北側の「與楽口」は、いわば裏口で、…
「休ケ岡八幡宮」の末社、「孫太郎稲荷神社」です。江戸初期に、姫路から此の地へ遷座してきました。更に古くは、下野・佐野からとも。 平安中期、藤原頼行公により、…
「薬師寺」へ進みますが、まずは、関連社寺から。 薬師寺の南門の手前に鎮座するのが「休ケ岡八幡宮」です。薬師寺の鎮守社です。 祀られているのは、僧形八幡神、神…
JR奈良駅前のホテルに宿泊した場合、食事処は近場に殆どなく、三条通りやならまち辺りまで出掛けていく必要があります。 此処は、ホテル日航奈良内の和食処「よしの」…
「法華寺(光明宗)」です。 もとは藤原不比等邸があった場所で、その娘の「光明子(聖武天皇后)」が相続し、「皇后宮」となり、天平17年(745)紫香楽宮から平城…
広さ:約130haもの「平城宮跡歴史公園」の東張り出し部に、「東院庭園」、宇奈多理神社、建部門(東院南門)などが復元されています。 「東院庭園」は、東西約80…
「平城宮跡(国の特別史跡)」は、近鉄奈良線の西大寺駅と新大宮駅の途中に、広大に広がっている広場に復元されています。 その広さは、約1km四方に「750m×25…
「平城宮跡歴史公園」は、奈良時代を今に感じる特別な場所です。公園内には、色々な施設がオープンしていますが、「平城宮いざない館」は、時空を超えて奈良時代に誘われ…
「庚申堂」は京都の「八坂の塔」の前にもありますが、此方は「ならまちの庚申堂」です。青面金剛を祀る「庚申信仰の中心地」です。 「庚申」は「庚申(かのえ…
豆腐造りに拘って70年。手間を惜しまず豆腐を造り続ける、当に「豆腐匠」。「近藤豆腐店」です。 ならまちに相応しい店構えです。 お店の豆腐・油揚げ…
奈良です。 奈良は古い街で、街中を「ぶらぶら」散策していると、思わぬ出逢いも多くあります。そうした出逢いを中心に、アップしていきます。 まずは、「ならまち高林…
新座市役所前にある「平林寺」は、その境内林が約43ha(東京ドーム約9個分)もの広がりを持つことで有名です。雑木林としては、唯一の国指定天然記念物でもあります…
「平林寺」は、新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の古刹です。南北朝時代に岩槻で創建され、寛文3年(1663)に、川越藩主:老中松平伊豆守信綱により、現在地へ移転…
名刹「平林寺の山門」すぐ前に、穏やかなときが流れている一角があります。日本の電力王「松永安左衛門」の別邸だった処で、現在は平林寺に寄進され、平林寺の境内の一角…
「平林寺」界隈へ。 JR武蔵野線「新座」駅を下車すると、大きな水車が廻り、駅前から「野火止用水」に沿った遊歩道が続いています。 新座は、平林寺と野火止用水の街…
下田マイマイ通りの突き当りに、「了仙寺(日蓮宗、国史跡)」があります。此の寺で、ペリー提督と日本全権(林大学頭)により「下田条約(日米和親条約の附則13カ条)…
「泰平寺(臨済宗建長寺派)」です。此の辺りは京都より鎌倉に近いので、建長寺派です。 下田5000石の初代領主:戸田忠次が開基となり、雪叟紹立を開山として創立し…
嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…
安政元年(嘉永7年、1854)に「日米和親条約」が締結され、下田港が開港場となりましたが、外国船が必要な消耗品(=欠乏品=薪、水、食料、石炭など)を供給する場…
「宝福寺」の南隣り「下田八幡神社(御祭神:誉田別命)」です。正応年間(13世紀後半)の創建と言われ、古くから下田の人々の篤い信仰を集めています。 「迎神の松」…
マイマイ通りに沿い稲田寺、海善寺と並んでいる「宝福寺(浄土真宗)」です。下田開港に伴い、一時、下田奉行所が設置されました。また、唐人お吉の菩提寺としても知られ…
マイマイ通りに沿って稲田寺の南隣りの「海善寺(浄土宗)」です。まずは、此の山門の見事さ。思わず見惚れます。 江戸時代の寺院には珍しくなかったのでしょうか。思わ…
伊豆急下田駅から「マイマイ通り」へ出ると、「稲田寺(とうでんじ、浄土宗)」があります。お吉の恋人/船大工「鶴松(川井又五郎)」が眠っています。 当寺は、幕末の…
「伊東遊季亭」です。JR伊東駅からタクシー送迎があるので、熱海や伊豆高原などの伊豆東海岸への旅では、此の宿で宿泊することにしています。 何より、食事が素晴らし…
「MOA美術館」は、創立者:岡田茂吉により第二次世界大戦後から本格的に蒐集された、国宝3点を含む総数約3500点もの膨大なコレクションを有しています。此の日も…
「大阪城天守閣」にも展示されている「黄金の茶室」ですが、MOA美術館にも、特別展示されています。当時の公卿、武将、茶人、外国人宣教師らの記載文献などの史料から…
MOA美術館内「茶の庭」の、「二條新町/そばの坊」と「和食/花の茶屋」の真ん中にある「光琳屋敷」です。勿論、当美術館の看板所蔵品「国宝/紅白梅図屏風(尾形光琳…
MOA美術館内の「日本庭園/茶の庭」には、「和食/花の茶屋」、「二條新町/そばの坊」と、2件の食事処があります。此の日は「和食/花の茶屋」が貸切中のため、「二…
安政元年(1854)「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の開港が約束されました。やはり、函館の次は下田だろうと下田へ向かいます。 途中で熱海で下車。まずは「…
「高田屋嘉兵衛資料館」です。 かつての海産物の倉庫2棟を活用し、高田屋に伝わる生活用品、古文書、嘉兵衛の建造した辰悦丸の模型などを展示しています。安政3年(1…
北海道の入口:函館。函館港を見はるかす地に「北海道第一歩の地」碑が建てられています。 ヒグマ(白熊)とイカリがモチーフです。 北洋漁業が最盛期だった頃、あるい…
少し進むと、「箱館運上所」跡があります。後ろの建物は、海上自衛隊函館基地隊本部です。 「箱館運上所」は、安政6年(1859)の箱館開港に伴い設置されました。明…
緑の島へ渡る「新島橋」の袂に「新島襄海外渡航の地」碑があります。 襄は「意を決して福音の自由に宣伝せらるる国土に赴かん」と、元治元年(1864)に箱館に到来。…
函館港にあるシンボル緑地「緑の島」です。散策、遠足、釣りなどにベストな場所です。スポーツや各種イベント会場にもなります。 島の中は、多目的広場、カラー舗装広場…