今井町の成立は天文年間(16世紀)で、此の地に本願寺の坊/今井兵部卿豊寿が建設したとされています。 一向宗の門徒が「御坊(称念寺)」を開き、自衛上の武力を養い…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
外様大名の池田氏の城下町である岡山に対し、倉敷は、「天領であること」を誇りに思っていました。どちらかといえば、藩領より天領の方が、税率や規制が緩やかであること…
此処も美観地区のシンボルです。美観地区での古民家利用の第1号「倉敷民藝館」です。「倉敷館」の左隣りにあります。 江戸時代の米蔵を改装して利用しています。 世界…
倉敷の郷土料理処「ゆうなぎ」です。宿泊した「倉敷ロイヤルアートホテル」の直ぐ近くです。 落ち着いた席です。 前菜が、直ぐ出されます。(写真を忘れたらしい)ゴ…
大原美術館の後ろに、回遊できる和風庭園とのんびり出来る56畳の和室空間があり、市民や観光者に開放されています。大原家の別荘として建てられ、後に、市に寄進された…
倉敷市街地の鎮守社「阿智神社」です。主祭神は「宗像三女神」で、海の守り神として「道主貫(みちぬしのむち)」とも称せられており、交通や交易の安全を守っておられま…
暮らしのデザインマーケット「林源十郎商店」です。とても人気があり、休業日である月曜を避けて、倉敷を訪れる人もいます。 店名表示も、右から読むように記載されてい…
「くらしき宵待ちGARDEN」の隣にある「倉敷デニムストリート」です。 お土産に最適なデニム製品が揃っています。オリジナルブランド「和蔵」のジーンズを始め、1…
竹林大好き人間には、素晴らしい複合文化施設「くらしき宵待ちGARDEN」です。竹林が広がる町屋風建物に、スイーツ店やイタリアンレストラン「星のひかり」などが点…
新田開発などにより大きく財をなした大橋家が、寛政8年(1796)に建築した「大橋家住宅」です。主屋、長屋門、米蔵、内蔵の4棟が、昭和53年に、国の有形文化財に…
倉敷町屋の典型的建築「大橋家住宅」です。当時は、街道に沿って、長屋を建てました。 比較的簡素な建物ですが、此方が玄関です。 玄関を抜けると、中庭があり、主屋…
倉敷の町屋を代表する建物(国指定有形文化財)の「大橋家住宅」です。江戸時代に新田開発などにより大きな財をなした大橋家が、寛政8年(1796)に建築した建物です…
倉敷美観地区の入り口にある「倉敷物語館」です。江戸期の建物で、旧東大橋家の母屋と土蔵などを改修しました。 南側の長屋門・塀および西側の路地が、美しい景観を保持…
大正6年に「倉敷町役場」として建てられた木造洋風建築です。倉敷美観地区の中心に建ち、観光案内所として活用されています。中橋を挟んで、倉敷考古館の対岸にあります…
「倉敷のガイドブック」の表紙の定番スポットです。金沢で言えば、「卯辰山を背景にした、ひがし茶屋街」です。 白壁の街並みと柳並木が続く、倉敷川の中心の「中橋」で…
大原美術館の直ぐ前に建つ「旧大原家住宅(語らい座 大原本邸)」です。 倉敷紡績㈱(現クラボウ)、倉敷絹織(現クラレ)の経営に携わった代々の大原家の住居です。寛…
大原家の旧別邸「有隣荘」です。大原美術館の右前(倉敷川沿い)にあります。普段は「外観のみ公開」で、年2回「特別公開」されています。 「特別公開」時には、内部の…
美観地区の中核施設「大原美術館」です。昭和5年にオープンした、日本初の私立西洋美術館です。世界の名画を多く所蔵していますが、東京や京都の美術館のように「特別展…
「倉敷・岡山シリーズ」を、「倉敷美観地区」からスタートします。「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている「倉敷美観地区」ですが、中核施設の大原美術館が休み…
神橋の向かって右奥に「小杉放菴記念日光美術館」があります。緑豊かな、恵まれた環境下に設置されています。 小杉放菴は、明治14年、二荒山神社の神官であった両親の…
陽明門下の西側にある「薬師堂(本地堂)」です。東照宮の境内にありますが、輪王寺の建物(つまり寺)です。家康公の「薬好き」は有名で、なおさら、重要な建物でもあり…
陽明門から東西へ延びる「回廊」。その「東回廊中ほど」の奥宮へ続く石段の上り口に、「眠り猫」がいます。左甚五郎作と伝わる伝説の彫刻で、まるで、家康墓所を護るかの…
御本社(本殿、石の間、拝殿)の入り口に建つ「唐門(国宝)」です。御本社を守護する門で、かつては、将軍に謁見出来るような高貴な身分の人しかくぐることが出来なかっ…
日暮らしの門とも呼ばれる日光東照宮の中心的建物「陽明門」です。平成の大修理を終えた、その華麗な姿を、じっくりと見てみます。 陽明門は、500体を超える幾多の彫…
江戸建築と彫刻美に彩られた日光東照宮のシンボル「陽明門」です。1日中眺めていても飽きないことから、日暮らしの門とも呼ばれています。 唐銅鳥居と陽明門を結ぶ「此…
「神厩舎の長押に彫られた《三猿》の彫刻」です。人間の一生を風刺した彫刻と言われ、中でも、「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿」は、人気があります。 「神厩舎…
平成11年に「世界文化遺産」に登録された「日光東照宮の社殿群」です。 国宝8棟、重文34棟を含む合計55棟の建造物が並び、極彩色に彩られた建物は、荘厳な宗教的…
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今井町の成立は天文年間(16世紀)で、此の地に本願寺の坊/今井兵部卿豊寿が建設したとされています。 一向宗の門徒が「御坊(称念寺)」を開き、自衛上の武力を養い…
戦国時代には織田信長と戦った街、今井町。赤い橋の蘇武橋を渡ると、そこでは歴史ある街並みを散策できます。…… とパンフレット。 ワクワクする気分で、近鉄「八木西…
三条通りへ戻ると「浄教寺(浄土真宗)」の伽藍が目に入ります。 寺紋は南朝ゆかりの「九耀菊水」紋で、南朝光明院帝(後醍醐天皇)の勅願所でした。 まずは、国の登録…
近鉄奈良駅の西にあって南北に通じる賑やかな通り「やすらぎの道」に沿ってある「率川神社」です。 もともとは興福寺との関係が深い神社でしたが、明治になって、「大神…
奈良のお薦めイタリアン・レストラン「トラットリア piano」です。 近鉄奈良駅から直ぐで、繁華街にありながら店内が広く、落ち着いて食事出来るお店です。 …
「興福寺の五重塔」から52段の石段を下ると、「猿沢池」があります。 静かな池で、もとは、興福寺の「放生池(魚などを放って功徳を得る儀式のための池)」だったので…
「ならまち」を散策していると、「史跡:元興寺塔跡」碑がありました。 「元興寺」は、蘇我馬子が飛鳥に開いた日本最古の寺院「飛鳥寺」を前身とし、平城京に移されては…
ならまちにも「御霊神社」があります。やはり、桓武天皇の祈願所です。 794年、桓武天皇の即位に伴う「平安遷都」がありましたが、時代が大きく変わるときには、色々…
前身は「元興寺の子院」だったと言われている「法徳院(融通念仏宗)」です。「十輪院」の左隣りにあります。 17世紀初めに、倍巖上人が再興しました。 御本尊の「…
「ならまち」へ戻り、「興善寺(浄土宗)」です。前身は、元興寺の奥之院だったと言われる寺院です。 天正年間(16世紀)に、慶誉上人により、開創されました。 …
薬師寺から唐招提寺へ行く途中に発見した、風雅な蕎麦処です。予備知識なく散策の途中に出逢った、当に、一期一会の遭遇でした。 「蕎麦処 よしむら」です。 香…
天平宝字3年(759)に鑑真和上が、当時の新田部(にたべ)親王の旧宅地を賜り創建した「唐招提寺」です。 各伽藍を見てみましょう。 まずは「金堂(奈良時代、国…
それでは「鑑真和上」とは。 和上は688年に、中国の揚州で誕生されました。14歳のときに、揚州の「大雲寺」で出家。21歳で長安の実際寺の「戒壇」で、弘景律師に…
薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
平城京の前の藤原京からの長い歴史を有する「薬師寺」は、天平2年(730)には、金堂の前に東塔と西塔を有する「薬師寺式の伽藍配置」を完了したと思われます。 しか…
近鉄「西ノ京」駅を出ると薬師寺の大きな境内があり、象徴的な東塔と西塔が目に飛び込んできます。 ただ、「西ノ京」駅に近い薬師寺北側の「與楽口」は、いわば裏口で、…
「休ケ岡八幡宮」の末社、「孫太郎稲荷神社」です。江戸初期に、姫路から此の地へ遷座してきました。更に古くは、下野・佐野からとも。 平安中期、藤原頼行公により、…
「薬師寺」へ進みますが、まずは、関連社寺から。 薬師寺の南門の手前に鎮座するのが「休ケ岡八幡宮」です。薬師寺の鎮守社です。 祀られているのは、僧形八幡神、神…
JR奈良駅前のホテルに宿泊した場合、食事処は近場に殆どなく、三条通りやならまち辺りまで出掛けていく必要があります。 此処は、ホテル日航奈良内の和食処「よしの」…
「東耀稲荷神社」から「東叶神社」へ至る途中、浄土宗鎮西派の2寺があります。 まずは「東林寺」から。 開山は、唱阿上人です。ペリー提督の応接を一手に引受け、地元…
干鰯の交易で栄えた東浦賀の繁栄振りが偲ばれる「東耀稲荷神社」です。創建は天明2年(1782)で食保命(うけもちのかみ)を祀ります。 「東耀稲荷」の名は、隣接す…
東浦賀は、かつて、干鰯(ほしか)問屋が軒を並べる商業の街として栄えていました。干鰯(ほしか)とは、カラカラに干した鰯のことで、関西地方で綿花栽培のための肥料と…
さて舞台は、久里浜から浦賀へ。京急本線の浦賀駅が起点の散策です。 まずは「東教山乗誓寺」です。当寺は、「曽我物語」でお馴染みの曽我兄弟の兄「曽我十郎祐成の子=…
京急「汐入」駅前の再開発ビルの「メルキュールホテル横須賀」の19階にある「ビストロ・ブルゴーニュ」でのディナーです。 窓からは横須賀軍港が一望出来ます。目の前…
嘉永6年(1853)6月3日に浦賀沖が現れたペリー艦隊。武力を背景とするペリーの強硬な態度=艦隊が戦闘態勢を解かず=に、幕府は6日後の6月9日(新暦では7月1…
「久里浜天神社」から真っ直ぐに海岸方面へ。「東京湾フェリーターミナル(浜金谷との航路)」の右に、住吉神社が鎮座しています。 約1000年前の創建と伝わる古社で…
「日米和親条約」の結果、開港された下田と箱館を見てきた処で、少し遡り、ペリーが最初に訪れた浦賀と久里浜を訪問します。 歴史的事実としては、嘉永6年(1853)…
「了仙寺」から「ペリーロード」を南下すると、突き当りが「旧澤村邸」です。旧「下田ドック」の創始者で戦前に旧下田町長も務めた澤村久右衛門氏により、大正4年に建築…
「ペリーロード」の脇道を少し上ると「長楽寺(真言宗)」があります。ロシア使節海軍大尉プチャーチンとの交渉の結果、「日露和親条約」が調印された場所です。 安政元…
「日米和親条約」及び「下田条約」により開港地となった下田ですが、江戸時代、「出船入船3000艘」と言われ、東西を往復する船の「風待ちや避難の寄港地」として繁栄…
下田マイマイ通りの突き当りに、「了仙寺(日蓮宗、国史跡)」があります。此の寺で、ペリー提督と日本全権(林大学頭)により「下田条約(日米和親条約の附則13カ条)…
「泰平寺(臨済宗建長寺派)」です。此の辺りは京都より鎌倉に近いので、建長寺派です。 下田5000石の初代領主:戸田忠次が開基となり、雪叟紹立を開山として創立し…
嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…
安政元年(嘉永7年、1854)に「日米和親条約」が締結され、下田港が開港場となりましたが、外国船が必要な消耗品(=欠乏品=薪、水、食料、石炭など)を供給する場…
「宝福寺」の南隣り「下田八幡神社(御祭神:誉田別命)」です。正応年間(13世紀後半)の創建と言われ、古くから下田の人々の篤い信仰を集めています。 「迎神の松」…
マイマイ通りに沿い稲田寺、海善寺と並んでいる「宝福寺(浄土真宗)」です。下田開港に伴い、一時、下田奉行所が設置されました。また、唐人お吉の菩提寺としても知られ…
マイマイ通りに沿って稲田寺の南隣りの「海善寺(浄土宗)」です。まずは、此の山門の見事さ。思わず見惚れます。 江戸時代の寺院には珍しくなかったのでしょうか。思わ…
伊豆急下田駅から「マイマイ通り」へ出ると、「稲田寺(とうでんじ、浄土宗)」があります。お吉の恋人/船大工「鶴松(川井又五郎)」が眠っています。 当寺は、幕末の…