バリ島カユマニス・ウブドで2010-2011年末年始に家族旅行で滞在。香港経由。
キャセイ利用、香港経由でセントレアからの7泊8日。人生の様々なことを考えながら行ってきました。
搭乗して初めの機内食で腹いっぱいになるものの、12時間弱の長旅、何もしなくても腹は減る。腹減るままに食べていたのでは太るばかりであるが、FクラスとCクラスではメニューは異なるものの「お好きな時に」オーダーできるものがいくつかあって、それを見ているとやはり何
ずっと興味津々だった、ANAファースト欧州線の機内食 HND-LHR
アミューズフォアグラのムース びわ見立て湯葉の琥こ はく珀よせ わさびオイルと鱒ますの卵添え京鴨生ハムでロールしたサワーチェリー パルメザンチーズ風味ドライにしたサーモントラウトのスモーク柚子風味のチーズバー写真は↓メニュウみると凄いが実物はこじんまりとKRUG
家内は窓から外を見たい派なので、初めは夫婦それぞれ窓際の独立シートを指定したが、それだといろいろ意志疎通が不便だろうということで、真ん中の島に変更した。パーテーションで区切られた座席。真ん中の仕切りが和室のフスマのように開閉可能で身を乗り出すようにすれば
今年はロンドン。ロンドンにした理由。一度ANAのファーストに乗ってみたかった。でも往復240万円を超えるべらぼうな航空運賃なので、特典でしか乗ることはできない。仮に自分で払うとしても、世界一周チケットのFクラスを利用する場合くらいしかありえない。しかしそれも
ここ連日オーバーワーク。少し気分転換したくてペニンシュラ東京に泊まってみた。プールサイドから香港と同じく部屋のガウンでそのまま6Fプールまで行ける。プールではゴーグル、キャップを渡された後、日比谷交差点に面したチェアに案内してもらった。
久しぶりの野球観戦。東京ドーム。東京ドームホテルから。エキサイトシートというグランドレベルの席。打球が飛んできて危ないというふれこみで、ヘルメットとグローブが各座席に装備されていた。装備されていたというか、「義務」らしい。係員がうるさくヘルメットをかぶれ
イタリア旅行記 一休み。イタリア恋しさに、最近よくイタリア料理店へ行くようになった。そのうちのいくつか。まずはColore 浜松魚のカルパッチョ盛り付けが目に鮮やか。カブ、とうもろこしの食感が楽しいし、コーンの甘味、バルサミコの甘酸っぱさ、白身魚とホタテの甘
車一台すれ違えないような狭い道、石壁に囲まれた路地、舗装されていないような道を連れてこられたにしては店内は意外と広い。もしかしたら「正規アクセスルート」もあるのだろうか。籐椅子、簾みたいなの。室内だが屋外風にしてあるものと思われる。緑に囲まれ、リゾートっ
唐突感は否めないがノスフェラトウとは・・・。知っている人は知っている。「吸血鬼ノスフェラトウ(1979)」。吸血鬼と言えばピーターカッシングが出てるハンマープロダクション制作の「ドラキュラ」が有名だ。子供のころ、9時からのテレビ映画劇場でときどきやっててよく泣
サッカー日本代表のユニホームに対する不満サッカー日本代表のユニホーム、近年は青が基調(それも年々センス悪くなっていく)。個人的には国旗とユニホームが共通したイメージになるべきと思っているので、赤と白をどうして使わないのかと不思議に思っている。青はイタリア
ソレントのお食事処に関しては、そこそこの予習はした。ネットで探すとミシュラン星もちのDon Alfonso 1890 とか、ソレントのカルーソなどが見つかった。このあたりはかなりのハイクオリティレストランっぽくて、せっかくなので行ってみたい気もしていた。ただ、これらは当然
遅めのランチをホテルでとった。まだ4月30日だというのに暑い。本当に夏だ。亜熱帯気候は伊達ではない。この屋外レストランは映画の舞台にもなったらしい。とホテルのホームページで知った。ソフィアローレンのひまわりは泣ける ホテルには関係ないけどレモンを絞ったジュー
ポンペイ見物の後、昼飯も食べずにポンペイからソレントへ車で向かった。ポンペイの前にあったレストランに寄りそうになったが、朝食べ過ぎてあまり腹が減っていなかったのでやめた。ナポリーポンペイーソレント間はいずれも近く、特にポンペイーソレントは、ゆっくり一般道
ナポリの夜景スポット探検ツアー(個人での)から帰ったらバタンキューだった。朝は早くから釣りだったし。しかし、悲しいかな早朝覚醒してしまう、ジジイの脳。でもジジイって自分のこと思ってるけど家内もMさんも同年代なんだよなあ・・本当は。自分だけ年寄みたいだ。起き
私的にはナポリと言えば、ナポリタン。です。「ナポリにナポリタンなんてないよ。あれは横浜ニューグランドが創始の典型的「洋食」。日本の食べ物。」などと、どこからか耳学問で仕入れてきた知識で私を諭す知識人も周囲には多いのだが、でも私は彼らにこう言いたい。「でも
日もとっぷり暮れ、夕餉の宴 の時間がやってきた。思い起こせば半年前。多少はイタリア語も話せねばと、地元でイタリア語を教えてくれる人がいないか探した。元々田舎であってイタリア人などはレストラン関係者以外はまずいないような土地でとても難航したが、運よくミラノ人
イタリアでは仕事を終えるのは午後5時であっても夕食時間は午後8時かららしい。それまでの時間を食前酒(Aperitivo) を楽しみながら過ごす習慣があるという。優雅だ・・イタリア人って、ひたすらにゆとりを追い求めている人種に思えてならない。私の午後5時といえばラッシ
部屋から見た卵城・・・・せっかく卵城の前に泊まっているので、そっちへ行ってみた。近くで見上げると結構な高さ 城を攻撃する立場に立ってみれば、これを攻めるのは大変だ。ノルマンジーみたいに、多大な犠牲を覚悟して挑まねばならなかっただろう。左手にヴェスビオ山上
およそ30年前、高校3年の冬、私の日本史のテストは20/100点だった。なんちゃってではあるが理系進路なので私の共通一次の選択は地理&倫(チリリ~ン)、日本史関係ない。でもそうはいっても20点はヤバイ。いくらなんでもヤバイ。平均点60超えてたし。「共通一次直前
ナポリの考古学博物館へ行こうとしていたので、ドライバーは博物館と道路反対側にあるBarに寄ってくれた。こういうとき今思えばエスプレッソを頼むべきだったが、やはりその場になると「アイスコーヒー」などと言ってしまう。ドライバーとMさんはやはりエスプレッソ。日本の
旅行者の私は通りすがり。ここでは生きるためのエネルギーを絞り出す必要はなく、しがらみから解放された気楽さに身を任せ,言葉すら話せないのに「現地の生活を少しでも体験したい」などとずーずーしく考えている。当然のことだがその土地の面白さ、感動は、そこのコミュニテ
Spaccanapoli 「スパッカ」か「スッパカ」か「スカッパ」か、通りの名称について。初めて知ったとき「素っ裸で地元民のおっさんが歩いていそうな、住民の生活の姿がそのまま現れている下町の通り」という印象だったので、自分では「スッパカ」もどきの「スパッカ」と記憶して
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