宇喜多系図の解説を続けます。法鮮銘五輪塔宇喜多秀家の母おふく(俗名お鮮)が建てた宇喜多直家の墓では。基礎部に火葬骨が埋葬されていた。五輪塔蓮昌寺の寺域であった塔の山(現在は岡山市徳吉町)に巨大な墓石(五輪塔)が残っています。高さ3.38m、基礎の正面に「文禄三(1594年)甲午法鮮十二月十一日」の銘文があります。以前は塔の山西南にあったものが、第二次世界大戦後の昭和25年頃墓石整理に伴い現地に移動され、その際基礎部から火葬骨が発見されています。秀家の生母の墓との伝承がありますが、宇喜多系図には次の記述があります。「文禄三年、秀吉公伏見城を築き、秀家犬島石を献ず、同じく秀吉公吉野の花見に秀家御供し和歌を詠す、秀吉公御感なり。文禄三年四月、秀家備前に帰り家臣の城数を改む」3年後の慶長の役までは比較的おだやかな日々だ...法鮮銘五輪塔
「ブログリーダー」を活用して、mitsuoさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。