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  • 「御霊から生まれるもの」第一章 御子のかたち(3)

    これは、もう一つの要素をもたらします。それは、彼は神格を持つ神としてそこにおられ、神たる方の全豊満が肉体の形で彼に宿っている一方で、また、彼はエホバの御名を帯びつつその地位を占めておられる一方で、彼は人としてそこにおられるということも同様に真実である、という要素です。彼は栄光の中にある人です。栄光を受けた人であり、多くの兄弟たちの長子です。神は人を栄光の中に連れて行き、主イエスのパースンにおいて人...

  • 「御霊から生まれるもの」第一章 御子のかたち(2)

    実に、主イエスは、神の働きが目指している原型であり、実際です。この目標たる御方にそのあるべき地位に直ちについていただきたいと、いま私たちは願っています。なぜなら、そうならないかぎり、私たちは何か劣ったものに捕らわれてしまうからであり、この地上における私たちの人生の目標や原動力は不十分なものになってしまうからです。使徒自身の場合、これがいかにそうだったのかは、おわかりでしょう。使徒行伝の九章で、彼が...

  • 「御霊から生まれるもの」第一章 御子のかたち(1)

    聖書朗読:ピリピ三・一~二一。「なぜなら、神はあらかじめ知っておられた者たちを、御子のかたちに同形化しようと、あらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの間で長子となるためです……」(ローマ八・二九)。「愛する者たちよ、今や、私たちは神の子供たちです。私たちがどのようになるかは、まだ明らかにされていません。彼が現れるなら、私たちは彼のようになることを知っています。なぜなら、私たちは彼...

  • 「御霊から生まれるもの」目次

    御霊から生まれるもの― キリストにある新創造 ―T. オースチン-スパークス目次第一章 御子のかたち第二章 新創造の本質的な天的性質第三章 新創造の普遍性第四章 新創造のかしらである主イエス第五章 新創造の本質的な団体的性質オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...

  • 「聖霊の極度の必要性」第五章 命・聖潔・真理の御霊(9) 完

    真理の霊この二重の提示では、主イエスがこれらの特徴をすべて帯びて登場されることに気づきます。彼は彼処に命、生きている者としておられます。彼処に聖潔としておられます、その髪は白い羊毛のように白く、聖潔と清さという冠をかぶっておられ、人を代表する清められた御方です。次に、彼は三番目に忠信で信実な証人として示されていること、そして七つの霊の三番目は真理の霊であることに気づきます。七つの霊に関連して個人的...

  • 「聖霊の極度の必要性」第五章 命・聖潔・真理の御霊(8)

    聖潔の霊これは、栄光を受けた人の子であるイエス・キリストのパースンの中にある積極的な原則、積極的な美徳、特徴です。聖霊は、この基準に向かって働くために、ここに聖潔の霊としておられます。今、私たちは、聖潔の霊とどれだけ一致しているかに応じて裁かれることになります。神は主イエスにおいて、人に対する聖潔の基準に到達されました。聖霊が来臨したのは、他のすべての信者において、主イエスにおけるその基準に到達す...

  • 「聖霊の極度の必要性」第五章 命・聖潔・真理の御霊(7)

    これがそもそも問題です。まず第一に、あなたは命を得たでしょうか?黙示録は、「だれでも小羊の命の書に書かれていないことが判明した者は……」という問題と共に閉じます。自分は命の書に、生ける者の書に書かれていると、あなたは確信しているでしょうか?次に、命の量についてはどうでしょう?あなたの中で命はますます豊かになっているでしょうか?勝利の命はあるでしょうか、それは力の角であり、視覚と知覚の目である復活の命...

  • 「聖霊の極度の必要性」第五章 命・聖潔・真理の御霊(6)

    命の霊ともし火、火、角(力)、目(視覚)という言葉を取り上げて、神の御言葉を辿って行くと、命はこれらの特徴を帯びていることがわかります。命は火によって表され、力は復活の命の力(角)です。視覚、理解力は命のしるしです。同じことが他のすべての特徴にも当てはまりますが、ここではまず、七つの霊は命の霊である、という真理のとても単純な声明に話を絞ることにします。黙示録では、主イエスの積極的な力は、まず第一に...

  • 「聖霊の極度の必要性」第五章 命・聖潔・真理の御霊(5)

    私たちはみな不十分であることがわかります――ああ、私たちはまだそこに至っていません。現時点における私たちの問題は、「聖霊は今、この瞬間に行いうることをすべて行うための許可、同意、従順、協力、信仰を私たちから得ておられるでしょうか?」ということです。明日でも、未来でも、過去でもありません。重要なのは、聖霊が今、私たちの中で自由な道を得ることです。私たちは今日のことだけを考えればいいのです。明日のことは...

  • 「聖霊の極度の必要性」第五章 命・聖潔・真理の御霊(4)

    「この書を受け取って、その封印を解くことができる者は誰か?」という叫びが上がったことがわかります。それができる者は天にはだれもいませんでした。しかし、「私が見ていると、御座の中央にほふられたような小羊を見た。それには七つの角と七つの目があった。彼は来て、その書を受け取って開かれた……」。すると、すべてのものが「あなたはふさわしい」と歌い始めました。主イエスの何が、御座についてその統治の書を受け取るの...

  • 「聖霊の極度の必要性」第五章 命・聖潔・真理の御霊(3)

    この二つの節、この二つの期間で、主イエスが示されています。一つ目は諸教会に関して示されており、それに関連して七つの御霊がおられます。二つ目は地上に住む者たち、地の住人たちに関して示されています。どちらの場合も主イエスを見せており、どちらの場合も七つの霊が主イエスに関して働いておられます。その働きとはまさに次のようなものです、すなわち、高揚と栄光と統治の地位についておられる主イエスと結ばれているこれ...

  • 「聖霊の極度の必要性」第五章 命・聖潔・真理の御霊(2)

    まず、聖霊について「私は御霊の中にいた」と言及されていることに気づきます。次に、この三つの章を通して、聖霊について「御霊が諸教会に言われること」と何度も言及されています。次に二番目の期間、新たな状況では、「私は御霊の中にいた」とありますが、聖霊の直接的な活動についてはそれ以上何も述べられていません。しかし、神の七つの霊について二回言及されています。これはとても重要であることがわかります。なぜなら、...

  • 「聖霊の極度の必要性」第五章 命・聖潔・真理の御霊(1)

    朗読:黙示録四~五章、一・四~六、四・五、五・六。これらの御言葉の一つか二つの特徴に注目していただきたいと思います。そこには、この章について私たちが心に抱いていることの背景を形成するのに必要ないくつかの点があります。まず、ここで「私は御霊(the Spirit)の中にいた……」と二回述べられていることに注目してください。これは、まず黙示録一・十で、次に黙示録四・二で述べられています。どちらの場合も、御霊(Spir...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(13)

    さて、私たちは御霊に満たされるための根拠を見てきました。私たちは自問しなければなりません、「私は神の御言葉に浸された生活を送っているでしょうか?それがなおざりになっていないでしょうか?それは貧弱で縮んだ状態にあるのではないでしょうか?」。今、これを正すつもりはあるでしょうか?私たちの祈りの生活についてはどうでしょう、そうあるべきだと自覚しているよりも低い水準に、主が望んでおられるよりも遥かに低い水...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(12)

    二つ目は御言葉です。神の御言葉の中にある豊かな命が、御霊に満たされた生活には不可欠です。御言葉の中にしっかりととどまらなければなりません。聖霊が神の御言葉の代わりになってくださる、とは思わないでください。多くの人は、聖霊が働いて自分たちに話すメッセージを与えてくださると考えて、神の御言葉に関して何もしません。これは悪質な罠です。「キリストの言葉をあなたたちの内に豊かに住まわせなさい」と御言葉は述べ...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(11)

    従順と祈りと御言葉の必要性御霊に満たされるために、そして御霊に満たされ続けるために必要な三つのことについて、あまり掘り下げずに述べることにします。次は、従順です。つまり、神を信じ、神への信仰に基づいて行動し、神が指摘されるいっさいのことで神に従うことです。これは、議論したり、質問したり、疑ったりせずに、神に何かを指摘されたら、疑わしきは神に譲ることを意味します。これが従順です。暗黙の従順に通じる神...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(10)

    全き献身は人生を狭めるものではありません。人生を豊かにし、人生の秘訣に導き、存在理由を知らせてくれます。それはあなたをこの世界が創造される前の神の御思いの中に導きます、「私たちは世の基が置かれる前からキリストにあって選ばれていたのです」。そして、神は世界が存在するようになる前から御子にあって御旨を定められました。しかし、キリストを受け入れないかぎり、あなたはこれに決して気づきません。その時、若い回...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(9)

    「あなたたちの体が聖霊の宮であることを知らないのですか?」「あなたたちは代価をもって買い取られたことを知らないのですか?」「あなたたちは自分自身のものではないことを知らないのですか?」。この三つの問いかけは何を意味するのでしょう?なんと、あらゆる点で私たちのあらゆる部分を神は要求されるのです。それはみな神に属するものとして認識されるべきであり、私たちは霊・魂・体を全く神のものとして明け渡さなければ...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(8)

    神への絶対的な明け渡し前の章では、別の言葉「服従」を使いました。さて、それが好きかどうかは別として、それは正しいです。「服従」と「明け渡し」のどちらを好むにせよ、それは真実です。新約聖書では「服従」よりも「明け渡し」の方が多く使われているように思われます。ローマ六・十六、十九、「あなたたちは知らないのですか?だれかに自分を僕としてささげて従順になるなら、あなたたちは自分が従っている者の僕であって、...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(7)

    さて、私たちは信仰を行為によって思慮深く行使して、キリストと十字架における彼の御業とを把握し、彼と彼の御業を自分のために受け入れなければなりません。なぜなら、それは私たち一人一人のためだったからです。十字架上のあの御業はみな、全世界のためであるのと同じように個人のためでもあります。私たち一人一人のためでもあります。御霊に満たされよという神の偉大な命令を、それが意味するいっさいのところと共に果たすう...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(6)

    さて、御霊による聖別に関連して、他に一つか二つのことを見てみましょう。この件では信仰の明確な行為が必要です。キリストと十字架における彼の御業とを、信仰によって把握することと証しすることが必要なのです。これを二つの部分に分けることにしましょう。キリストと十字架における彼の御業とを信仰によって把握する必要があります。「キリストを把握する」とは、イエス・キリストは歴史上実在した人物であり、とても素晴らし...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(5)

    主イエスの御業が聖霊の御業の基礎であることがわかります。これが出エジプト記二九章のあの素晴らしい節を読んだ理由です。この御言葉には本当に大きな感銘を受けてしかるべきです。それはこう述べています、「それは入口で常にささげる全焼のささげ物である」。入口は中に入る所であり、通路でした。そしてあの幕屋はキリストの表現、型でした。キリストの中に入るのは、入口で常にささげられている全焼のささげ物によってです。...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(4)

    聖別の第三段階は、ほとんどの人が他のどの段階よりも優先している段階です。それは漸進的な面です。キリストにあって私たちの立場であるもの、そして神への献身という私たちが熟慮して行った行為と選択の結果が、今や、聖霊の働きによって、私たちの中に漸進的に伝達されるのです。つまり、キリストに似た者にされるという意味で私たちは日毎に聖別されつつあり、私たちの代表者である彼が分離されたいっさいのものから日毎に分離...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(3)

    さて、聖別の性質について考えてみましょう。聖別とは何でしょう?これは重大な言葉であり、これについて非常に多くのことが書かれてきました。そして、聖別の第三段階(これについてはすぐに触れることにします)がしばしば入り込んで、この言葉の真の意味を混乱させています。旧約聖書はこの言葉で満ちています。ヘブル語の翻訳は「奉献された」、また別の言葉は「ささげられた」です。何かを神に聖別し、奉献し、ささげるときに...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(2)

    聖別さて、聖別は聖霊の満たしの前ではなく後に置かれることがとても多いことは私も承知しています。また、聖書の諸々の節を単独でとらえるなら、これを支持しているかのように思われるかもしれません。しかし、聖別を御霊の満たしの後に置くことは、聖別の意味の理解としてはきわめて不完全で不十分です。聖別は、あるとても重要な点において、御霊の満たしの前に来ます。しかし、聖別には次のような三つの段階があります。第一に...

  • 「聖霊の極度の必要性」第四章 御霊の聖別(1)

    これから読むのは神の御言葉です。人の言葉ではなく、神が聖霊によって書き記させた神の御言葉です。まず一般的な性質の節を二つ読み、次により具体的な性質の節を一つまたは二つ読みます。最初はローマ八章九節です。「もしだれでもキリストの霊(Spirit)を持たないなら、その人はキリストのものではありません」。これは神の御言葉であり、私や他のだれかの言葉ではありません。「もしだれでもキリストの霊(Spirit)を持たない...

  • 「聖霊の極度の必要性」第三章 力の賦与(10)

    しかし、本題に戻ることにします。敵は力と惑わしにより、勢力と誤謬によって、主の民を損ない、神の事柄に疑問を呈し、神の御旨に反対しようとしています。これらの両方の線に沿って私たちは敵に対抗します。その両方の線とは、敵の勢力・力・強さ・抵抗・圧力と、敵の欺き・誤謬・嘘です。どのようにしてこの両方の線で敵に首尾よく対抗すればいいのでしょう?「あなたたちの中におられる方は、世にいる者よりも大きいのです」。...

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