兄弟達の悪いことを語り、あるいは攻撃をせず互に相愛すべきこと、兄弟らに対して誰もその欠点を誇張したり言葉をもって非難し争わないようにすべきである。神が彼らに恵みを与えてい給う間、沈黙をもって忍ぶことを学べ、これらの人達と争ったり又は共に他の人と口論をすべきでない。寧ろ反対に謙遜をもって答え、我等は無益の僕であるということを常に準備すべきである。彼らをして怒らせるな「誰でもその兄弟を怒る者は審きにあ...
さて、私たちはこれを一ペテロ二・九と結びつけました。「それは、あなたたち(私たち)を暗やみから、驚くべき光の中へ召してくださった方の卓越性を、あなたたちが告げ知らせるためです」。ペテロは現在の事柄を取り扱っています――彼が示している真理の面は教会の現在の巡礼です――しかしパウロは地上と現在の巡礼を超えて、天の教会を見ています。そして永遠を包含して、来るべき時代に関して次の御言葉を述べています。「それは...
さて、この出エジプト記三一章三節を読んだのは、幕屋に少し触れるためです。その前の章は、幕屋のあらゆる詳細で占められていることがわかります。二五章で、主はモーセに、「心から喜んでする者はみな」ささげ物を持って来るようにイスラエルの子らに告げること、次に「ささげ物(単数形)を受け取る」ことを命じられました。単数形で述べられているのは、受け取った物は複数のささげ物ではなく一つのささげ物を形成するものだっ...
「主はモーセに語って言われた、『見よ、わたしは、ユダの部族に属するホルの子であるウリの子ベザレルを名指しで召した。わたしは彼を神の霊で満たして、知恵と理解力と知識とあらゆる種類の技量を持たせ、巧みな設計をさせ、金と銀と青銅の作業をさせ、宝石を切りはめ、木を彫刻するなど、あらゆる種類の細工をさせる』」(出エジプト三一・一~五)。「しかし、あなたたちは選ばれた種族、王なる祭司の体系、聖なる国民、特別な...
聖霊の極度の必要性T. オースチン-スパークス目次第一章 聖霊に満たされる必要性第二章 御霊の油塗り第三章 力の賦与第四章 御霊の聖別第五章 命・聖潔・真理の御霊オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...
「ヨハネ黙示録略解」第二二章 永遠の祝福および結論(3) 完
〔16〕「我イエス」厳粛なみ言である。私は救い主であると言って、主は私たちに自らの罪人であることを記憶させ、この罪人である私たちを救うためにこられたことを思い出させて下さるのである。主イエスのあかし、すなわち、私たちを救われたキリストが、全世界の教会の信者にたいしてなされたあかしである。「我はダビデの根」ダビデがイエスから出たことを意味している。これは、イエスの神であること、また造物主であることを示...
〔1〕「生命の水の河」聖霊。河は城の美であって、新しいエルサレムには生命の水の河が流れている。「その水透き通りて水晶の如し」それは水晶のように清く、透明であって美しい。「神と小羊の位より出ず」生命の水の川は、神のみ座と小羊のみ座とから出て来るのである。これは生命である清くかつ透明であって、美しい聖霊が、神の民をうるおして、その生命となるためである。聖霊のうるおすところに生命があるのである(エゼキエ...
分解一 新天新地の祝福 1~5二 天使の告示 6~15 イ 預言の真実であることとこれを守る者の幸福 6~7 ロ ただ神を拝すべきこと 8~9 ハ 汚れた者と聖い者との応報 10~15三 イエスのあかし 16~20前半 イ 主ご自身に関するあかし 16 ロ 祈祷する指示 17 ハ 預言の加削に関する警戒 18~19 二 再臨についての告示 20前半四 新婦の応答 20後半五 祝祷 21オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...
〔9~10〕この城は、すなわち新婦の品性の美を形容したものである。また城とは、有形的なものであって、その中に新婦がいるのであるとの二説がある。ここでは、後者をとる。この時用いられる天使は、最後の七つのわざわいを盛った七つの金椀をとった七人の天使の一人である。この天使は、七つの金椀をとって偽教会を審く恐ろしいさまを示したが(一七1)今は新婦の美しいさまを示している。偽教会の外形の美(一七4、一八3)。偽教...
〔5〕キリストの断言。「見よ、我万物を新にせん」人間のいだいている理想を実現するとしても、このような幸福な天地を造りだすことはできない。ただキリストのみが、よくこのことをなし得るのである。私たちは、今このキリストに眼をとめれば、堅固な信仰を受けることができる。私たちの品性も自分の力によっては、切磋琢磨したとしても、何の効果もないが、キリストの力が私たちの中に働くとこのことをよくなしとげることができ...
分解一 新天新地 1二 新しいエルサレムの降下と人間の祝福 2~4三 位に座す者の宣言 5~8四 新しいエルサレムの状態 9~27 イ 構造 9~21 ロ 殿 22 ハ 光 23 二 城と万国民との関係 24~27略解〔1〕「われ新しき天と新しき地を見たり」今の天地は、神の怒りの火によって焼かれて、新天新地となるのである(ペテロ後三10~13)。私たちの望みは、この新天新地に住むことである。以前には、千年間の祝福を受け...
「ヨハネ黙示録略解」第二○章 千年時代および悪魔の運命と最後の審判(3)
〔11〕「白き」正義の審判の意。「大なる」権威のあること。「大なる位とこれに座する者」審判の座。神から審判の権威をゆだねられたキリストが、審判をなされるところとこれに座しておられるキリスト。「地と天とその前をのがれて、再び留るべきところを得ず」キリストの権威のいかに恐ろしいかを示している。これは天地の消失したその前ではない。キリストの権威の前に、誰も立つことができず、天地さえもその権威の前をのがれる...
「ヨハネ黙示録略解」第二○章 千年時代および悪魔の運命と最後の審判(2)
〔4〕輝く私たちの希望。「多くの位を見しに、その上に座する者なり」冠を受けただけではなく、位をも与えられた聖徒の栄を示す(ダニエル七9、22、27)。「彼ら審判の権を与えらる」栄を受けて楽しむだけでなく聖徒は、この世、また天使をも審判する権威を与えられたのである(コリント前六2、3)。「イエスのあかし」殉教者、特に患難時代における殉教者が、主を信じる信仰を告白したことを意味する。「神の言」神の言を信じ従っ...
「ヨハネ黙示録略解」第二○章 千年時代および悪魔の運命と最後の審判(1)
分解一 悪魔の禁錮 1~3二 第一の復活と千年王国 4~6三 悪魔の釈放とその審判 7~10四 悪人のよみがえりと最後の審判 11~15略解〔1〕「天使」これが誰であるかは、判然としない。このような権威をもっているのでキリストであろうとの説が信じられる。「底なき穴の鍵」この穴は、火の池ではない。その審判を受ける時まで留めおかれる未決監のようである。陰府とは死んだ者の霊魂のある所、墓とは、死人の葬られているとこ...
「ヨハネ黙示録略解」第一九章 神の審判の勝利と小羊の婚姻(3)
〔11〕「天の開く」主を受けて、雲をもっておおわれていた天も再び開け、主が降られる時が来るのである。「白馬」戦いの勝利。「乗るもの」キリスト。「忠信」神の栄光のために、真理をあかしするために、忠信であるもの。「誠実」一点の虚偽もなく、真実であって、アーメンなるもの。「彼は義をもって審判と戦争をなせり」第一降臨のキリストは罪人を救わんために来た。そこで、愛をもって罪人に接し、これを救われた(ヨハネ三17...
「ヨハネ黙示録略解」第一九章 神の審判の勝利と小羊の婚姻(2)
〔1〕天にある一○○○万の衆軍の叫び声、「ハレルヤ救いと、栄と、権力は我らの神のもち給うところなり」悪魔は、六○○○年来の勢力をもって霊魂を苦しめ、地上の霊界に働きかけて来たが、今や神の救いの力、栄光、権力が具体的に現われて来た。神が、バビロンを滅ぼして救いと栄と権力をおもちになられるようになったので、このようにハレルヤと讃美したのである。「ハレルヤ」一説には、天使であって、あらゆる天の幸福を歌ったもの...
「ヨハネ黙示録略解」第一九章 神の審判の勝利と小羊の婚姻(1)
分解一 淫婦バビロンの審判に関して 天における讃美 1~6二 小羊の婚姻 7~10三 地上再臨の主 11~16四 キリストと偽キリストとの闘い 17~19五 獣と偽預言の審判 20六 偽キリストに従った者の審判 21一九章1節から6節までは、一八章に続く。オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...
〔1〕「一人の天使」キリストである。この栄光は、再臨のキリストの栄光に似ているがゆえに、このように信ぜられるのである。〔2〕「大なるバビロン倒れたり」これまで天使がバビロンが倒れたと叫んでいたが(一六19)、今は主イエスご自身から宣言された。「さまざまの汚れた霊」偶像を礼拝し、世と親しみ、淫行をなすような悪人の霊をもって満ちていたバビロンは、金銀宝石などをもって装飾して美しくあるが、ここにおいては、神...
分解一 天使の叫び 1~3二 神の民に対する天からの声 4三 バビロンの審判 5~8四 地の諸王の悲嘆 9五 地の商人の悲嘆 10~16六 航海者の悲嘆 17~19七 聖徒たちの喜悦 20八 天使の宣言 21~23九 殉教者の血の報い 24オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...
〔7〕天使は驚きあやしんでいるヨハネに対し、女と獣の奥義を解明し、その運命を語っている。〔8〕「汝が見し獣は先には有りしが今は、無き」偽キリストが首に傷を受けてほとんど死ぬばかりになって、勢力を失って世に活動することができないことを指すのであろうといわれている(一三3)。「底なき穴より上りて滅びに行かん」再び活動を始めたがついには神の審判を受けて滅びに至るのである。「先にあり今あらず後また出ずる獣を...
〔1〕これは神からの私たちに対する声である。来て目を開いて見るのは、大淫婦の審判である。私たちも目を醒していないならば、また大淫婦の運命を悟らないならば、その渦中に巻き込まれるおそれがある。「多くの水」諸国の民のこと。「大淫婦」諸王の王として現われる(18)。しかし神はそのままにはしておかれないで、恐ろしい審判をなされる。多くの人は、大淫婦をカトリック教会であると解する。しかし、単に一部分の解釈であ...
分解一 天使の告示 1~2二 女の姿 3~6三 天使の説明 7~18 イ 女および獣の奥義 7~13 ロ 王たちと小羊との戦い 14 ハ 水の解明 15 二 獣と淫婦との衝突 16~17 ホ 女の解明 18オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...
〔10〕神の審判。怒りの金椀は転じて偽キリストに向う。「その国暗くなり」偽キリストの治める全世界は、暗黒となるのである。「苦痛」腫物(2)と大熱の苦難(8)を指す、暗黒の中にあって苦しむ(ヨエル二1、2、31。マルコ一三24、25)。〔11〕「天の神をののしり、おのが行いを悔改めざりき」人は心の頑固なことによりなおもこのように神をののしり、自分の行いを悔改めないのである。〔12〕ユフラテ河に金椀が傾けられた。「そ...
〔1〕「大なる声」神の声であって御命令である。「神の怒りを盛れる七つの金椀を地に傾けよ」先に聖徒の手を経て、天使に与えられた金椀を地に傾けよとの命令が来るのである。この命令によって第一の金椀から順に傾けられて、神の審判が起って来るのである。〔2〕「獣と印ある人とその像を拝する人」かかる人にむかって第一の審判は、来るのである。神の印を額に印せられた一四万四千人は、いなごによって損われなかったが、獣の印...
分解一 殿からの声 1二 第一の金椀――腫物 2三 第二の金椀――海の生物が死ぬ 3四 第三の金椀――水が変って血となる 4~7五 第四の金椀――太陽の熱 8~9六 第五の金椀――暗黒と苦しみ 10~11七 第六の金椀――三つの汚れた霊 12~16八 第七の金椀――いかずち、いなずま、地震、雹 17~21オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...
「ヨハネ黙示録略解」第一五章 最後の七の災いを持った七人の天使と勝利者の讃美(2)
〔5〕「あかしの幕屋の殿開けたり」あかしの幕屋とは、至聖所を指す。モーセが神の命を受けてシナイ山のふもとにおいて造った幕屋からきた比喩である(出三一18、民一七7)。長く神はかかることをなす約束を与えられていたが、ことごとく成就する時が来たのである。神は悪魔を破り、その大能のみ手を動かされた(一一19)。一一章15節から19節までとこの一五章とは、相似ている点がある。〔6〕七人の天使は、一章13節のキリストの...
「ヨハネ黙示録略解」第一五章 最後の七の災いを持った七人の天使と勝利者の讃美(1)
分解一 七人の天使 1二 勝利者の讃美 2~4三 七人の天使と金椀 5~8略解一四章の終りに見る審判をなお詳細に説き明したものである。〔1〕「七つの災い」これは神の怒りの酒ぶねであって、第一、第二と順序よく出てくるのではなく、同時に継続して起ってくるものであると理解すべきである。「神の怒りはここにて尽るなり」最後に起る神の怒りである。「くすしき異象」神の怒りのために現われた異象である。〔2〕「火の混りた...
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兄弟達の悪いことを語り、あるいは攻撃をせず互に相愛すべきこと、兄弟らに対して誰もその欠点を誇張したり言葉をもって非難し争わないようにすべきである。神が彼らに恵みを与えてい給う間、沈黙をもって忍ぶことを学べ、これらの人達と争ったり又は共に他の人と口論をすべきでない。寧ろ反対に謙遜をもって答え、我等は無益の僕であるということを常に準備すべきである。彼らをして怒らせるな「誰でもその兄弟を怒る者は審きにあ...
ああ、女王なる智慧よ!願わくは主、汝の姉妹なる清く純潔な単純さと共に汝を祝し給わんことを!おお、清貧淑女よ!主が汝の姉妹なる聖謙遜と共に汝を祝し給わんことを!おお、聖愛の淑女よ!主が汝の姉妹なる聖従順と共に汝を祝し給わんことを!おお、凡ゆる聖き徳よ!汝らのいで来たりしところの主が汝を祝し給わんことを!初めに己に死ぬことなくば唯一人として世界の中に汝らの中の一つをも所有しうることは決してありえない。...
主がその人に示し給うた善きことをその心の内に保ち、その業によって人々に表わそうとしない人又、報いを望んで言葉によって人々に知らせようとする人は禍である。彼は今、報いを受け、聴く人に僅かの影響のみしか与えない。その兄弟が病気であって他の人を助けることが出来ない時にも健康で他の人を助けることが出来る時と同じように愛する人は幸である。その兄弟が共にいることを望むに拘らず彼から遠く離れておりそして彼の背後...
多くの人はその敵又は隣人を屡々非難することによって罪を犯している。しかしそれを気付かない。しかし人は彼自身の力、即ちその肉体の中に自らの敵を持ち、それによって彼は罪を犯すのである。ゆえに彼の中にあるところの敵を捕虜にし賢く自らを守る者は幸である。その人がこのように生きる限り如何なる見える敵も見えない敵も彼を害うことが出来ないからである。如何に多くの内心の忍耐と謙遜とが神の僕らにおいて人々に知られず...
おお、人よ、主が貴方を如何に偉大にして優れたものとして造り給うたかを深く考えなさい。肉体においては神の愛子の御姿に像どり、霊においては御自身に肖せて造り給うたのである。又、世界の凡ての造られたものは彼等各々の道において貴方よりもよくその造主に仕え従うことを知っている。もしも貴方が賢くて凡ゆる科学を知り、全ての国語を通訳することが出来、凡ゆる天のことをも正確に究めることが出来たとしてもこれによって貴...
聖フランシスは、祈りと瞑想を通しての確固たる宗教的経験が発展する事の必要性を、極く最初の働きの時から常に強調していた。彼の福音の本質的な真理を伝える説教者としての魅力ある模範、又人々の霊肉の要求に応える調和のとれた伝道、又キリストとの親しい交りから来る喜びと能力の不断の推進とはただ名のみのクリスチャンを真の基督者として全心的にキリストの救を受け容れさせるのに驚くべき能力を発揮した。フランシスの書い...
フランシスはイエスの御命令に絶対に又文字通りに服従しようとして彼の生涯を献げることを決意し、その所有をも家族関係をも投げ打ち、又先に抱いたこの世の成功者となる夢をも捨ててしまった。これより後、彼はその花嫁として清貧をめとった。何者をも所有せず、惜しみなく彼自身を与え、巡回しつつ説教する伝道の道において肉体的に又、霊的に人間の要求に対して全部を以て応ずることにおいて衣食は与えられていった。一二○四年...
アシジの聖フランシスは中世キリスト教の最も美わしい開花を代表している。歴史上のどの時代よりも、多く形式的又、組織的になってきていた時代に生きて彼はイエス・キリストの誡めに全く献げ又服従した生涯の優れた力を現わした。中世の教会に完全に服従していながらも活けるキリストへのより高い忠誠を堅く保持し続けた。彼自身が修道院の理想に自らを捧げつつもその形式の中に新しく、よりよい所の実質を与えこの世から逃避する...
我々は単なるパンでなく、生命のパンを必要とする私は印度にいる一人の神の人を知っている。彼は自分の経験を私に語った。一人の乞食が毎日彼のところに来て一片のパンを乞い、それを受け取るとすぐに去ることを常としていた。ある日、その祈りの人には与えるものが何もなく、人々が食物を取って来るまでの間、数分間彼と共に坐って話すよう乞食に求めた。一時間もしないうちに、此の乞食は信じて祈り始めた。彼はすっかり変わった...
三彼は人間のみならず、動物も植物も太陽も月も星も水も土地も兄弟姉妹といって愛した。ある時、野原に出るとたくさんの小鳥が木に留っているのをみてこれに話しかけ「姉妹なる小鳥達よ、あなた方は特に神に感謝して御名を讃美しなければならない、あなた方は蒔く事も刈る事もせず、倉にも納屋にも貯えないのに神は何時も食物を与えて下さる。殊にあなた方は羽を与えられてこの大空を自由自在に翔けることが出来る。あなた方に賜っ...
二彼が神のために一切を捨てて心は軽く喜びに満され歌を歌いながらまだ春浅いアシジの山のほとりを通ってゆくと山賊にあった。「お前は何者だ」と尋ねたので「私は大王の使者である」と答えると彼を捉えてその着物を剥ぎとり「大王の使者安かれ」といって雪解けの冷い沼につき落して去った。その時フランシスはその雪解けの水の中に入ってもなお歌いつづけていたということである。又、ある時は彼が托鉢に行った留守に三人の強盗が...
一アシジのフランシス(フランチェスコ)は最もキリストに似た生涯を送った人といわれ、世界のキリスト教会において何れの教派の人々からも尊敬され且つ愛されている聖者である。彼は文筆の人でもなく、又所謂雄弁家でもなかったが、その単純さと愛の実践とをもってキリストの足跡を踏んで死に至る迄、徹底した謙遜の生涯を続けた事は彼を知る者にとって大いなる霊感である。まだ詳しい伝記を読む機会のなかった人々のために簡単に...
フランシス訳者 金井為一郎目次訳者序緒言一、訓誡の言二、諸徳への称讃三、フランシス教団の規則からの抜粋四、全ての忠実なる者への手紙五、神への讃美六、太陽の頌歌七、主の祈りの瞑想八、フランシスの祈りオリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...
預言者をして今日あらしめば、彼は恐らく同じ言を以て万国の民を誡むるのではあるまい乎。今の人の崇拝しつつある時代の声、之も亦死者の声ではない乎。例へば民主主義といひ社会主義といふ、みな鼻より息の出入する人間の製造物である。罪に死にたる人の思想である。此一事は時代の声なるものが幾度び其内容を変ふるも決して誤まらない。何となれば時代の声之を換言すれば多数の声である。而して人類は全体として其深き罪を悔改め...
時代の声!世界戦争の生んだ果の一つは之である。大戦争に伴ひし国際関係の近接と、数個の強大国を内より倒せし民衆の政治的運動と、各国に於ける経済組織の変動と、殊に基督教に対する信頼の著るしき動揺と、之等幾多の原因が相率ゐて遂に「時代の声」を恐ろしく権威あるものにして了った。今や人の崇むるものは神ではない、正義でもない、さればとて又王でもない、今や何人もただ一の怪物に向て頭を下げ我れ勝ちに之を歓迎しつつ...
「ああ神よ、鹿の渓水を慕ひ喘ぐが如く、わがたましひも汝を慕ひあへぐなり。わがたましひは渇ける如くに神を慕ふ、活ける神をぞしたふ。何れの時にか我往きて神のみまへに出でん」(詩四二の一、二)。ああわがたましひは活ける神をぞ慕ふ。知識は浅し、富は卑し。歓楽は淡く短く、名は余りに空し。人は我に取りて重荷である。誰かわがたましひの燃ゆるが如き渇きを癒すものぞ。自然ではない、芸術ではない、 恋ではない、悟では...
イエスがガリラヤ地方で始めて福音を宣べ伝へ給うた時の言葉は「天国は近づけり、悔改めよ」であつた。そして此短い言葉こそは基督教の正味であると私は信ずる。天国とは教会のことではない。又進歩の終局に達した社会のことでもない。さればとて信者の心の状態でもない。天国とは聖書に明かに示してある通り、神自ら人の間に宿り給ひ、人まのあたり神を拝し、罪なく死なく、悲みなく痛みなく、宇宙万物に大調和ありて、愛といのち...
新約聖書に於て信仰といへば勿論十字架につけられしイエス・キリストを信ずる事である。希望といへば大抵キリストの再来とそれに伴ふ凡ての恩恵とを待ち望む事である。そして罪の世にありながら此信仰と此希望とを共にし従てその為の患難をも共にする者の間には自ら特別の愛が湧き起らざるを得ない。使徒時代の信者たちがさうであつた。今日の我等も亦さうである。かくて我等も亦、「キリストの言をして豊かに我等の衷(うち)に住...
三、さらば神は何故かやうにして御自身を顕はし給ふのであらう乎。神は人を教ふるに二つの方法を以てし給ふ。即ち律法と福音とである。肉と霊とである。一は我等の在る所に来て働き他は神の在し給ふ所へ我等を携へる。一は消ゆべきもの他は存(ながら)ふべきものである。而して此二つが矛盾の観を呈するのである。それはどういふ訳であるか、曰く神は愛であるからである。愛なる神は人を彼に肖(に)たる者たらしめんが為に先づ御...
二、また聖書の文字はイエスの体と同じく、啓示であると共に又蔽ひである、人の感(センス)のみを以て之を読む時は矛盾が多いやうに見える。此事は凡て神の啓示に共通のことである。例へば自然に就てもさうである。自然は確かに神を現はす。しかし人の感覚に訴へる時には矛盾のみ多くして却て神を誤り易いではないか。光もあれば暗(くらき)もある、熱もあれば氷もある、生命の保護もあれば死の跋扈(ばつこ)もある。故に或人は...
〔20〕すべての信者のための祈りである。この中には確かにわたしたちも含まれているのであるから、そのつもりで学びたい。キリストの眼中には、ただその時の者ばかりではなく、彼らの言葉によって信じた者すべてがあったのである。永遠より永遠に存在される主は、いずれの時代のことをも知っておられる。だから日本の路傍で、ある弟子たちによって伝えられたみ言葉を信じた私のためにも祈られたのである。〔21〕主が信者のために祈...
〔14〕私が伝えた言葉を受け入れて彼らはあなたにつきました。それ故に世は彼らを憎みます。彼らは世におりますが、世のものではありませんから、世は彼らを憎むのです。あたかも世が私を憎むように彼らを憎むのです、と。わたしたちとキリストとの世に対する関係は同じで、キリストこそ立派な標準である。肉体をもつ間はそんなわけには行かないと言って、少しでも罪を容れることは恐るべきことである。〔15〕「われ汝に彼らを世よ...
〔9〕「我かれらのために祈る……」おお、神よ、このあなたのものである、あなたを受け入れた者のために祈ります。もう一度我らが普通のものでないことをくり返して父が重んじて下さるように祈られたのである。父よ、あなたの責任ある貴い宝のために祈ります、と、キリストの祈りには、少しの私欲も見えないのである。〔10〕ちょうど夫婦が互に独り子を掌中の玉とし、宝としているように、我らを「これは汝のもの、汝のものは我がも...
〔6〕これは主の父に対する復命である。「あなたが私に委ねられたこの魂に、父の名をあらわしました」と、実に立派な復命である。名をあらわすとは、その名によって実をあらわしたことである。イエスの御生涯は神を人にあらわす御生涯であった。けれどもその神を見た人は世から選ばれて、キリストに与えられた者である(コリント後四3、4)。選民でない者は福音の光を受けない。けれどもこの節を見よ。これは選民である。選民には...
〔2〕父なる神がキリストに与えられた選民は、キリストへの賜ものであって、その選民たる我らはキリストの財産、また宝である。故にキリストは選民たる我らに、御自身の永遠の命を与えられるのである。「凡てのものをおさむる権威を我に賜いたればなり」父なる神のキリストを崇めたのはこれである。この力は何のためにあらわすかと言えば、選民に永遠の命を与えるためである。故にこの目的のために障害となるものは、どんなもので...
〔1〕「イエスこの言を語り終りて天を仰ぎ……」ヨハネ一一41のように、イエスは祈りの時にしばしば天を仰いで祈られたことが福音書に記されている。ひれ伏して祈るのは、悔い改め、または謙遜を示すものであり、主との交わりの切れない時には、身も目も天を仰いで祈ることが出来る。「父よ」これは子たる者の霊をあらわしたのである。キリストは御自身のために祈る時には父よと言い、弟子たちのために祈る時にはきよき父よと言い、...
ヨハネ福音書一四章から一六章までにおいて、キリストは弟子たちに対して彼らの生涯、ペンテコステ、また希望について語り、彼らを慰められた。これらのことが終ってから、今まで弟子たちの方へむかって居られた主は天を仰いで祈られたのである。昔大祭司が幕屋に入るのは、一年中で最も幸な日であった。そのように我らの大祭司キリストは、今至聖所において祈っておられるのである。だから我らも栄光なるキリスト御自身を通って、...
〔25〕これまでにキリストは、何とかして弟子たちにこの真理を知らせようとして、譬で教えられたのであるが、ペンテコステ後の彼らは、霊の眼が開かれてどんなことでも聖霊御自身が直接彼らに語り給うのである。〔26〕キリストの名によって祈るとは、キリストにより、父なる神に祈って頂くというような間接的なことではなくて、キリストと自分と一体となって、しかも直接にキリストと共に父なる神に求めるのである。〔27〕これは前...
〔19~20〕キリストは彼らが尋ねる前に尋ねようとすることを語り給う。「誠に真に」とはイエスが力をこめて事実を語られる時に用いられた言葉である。キリストが十字架につけられるために、一時はあたかもサタンの勝利のように見えるから、世はそれを喜ぶであろう。「然れど」ハレルヤ。その弟子たちの憂いは喜びに変るとは神の断言である。まことに幸いである。〔21〕人の不安と喜びとが接近したことを示す。見よ、子を産もうとす...
〔16〕七節でキリストが行くことは弟子たちにとって幸福なことであると言われたが、その間しばらくは彼らも艱難を感ずることであろう。「しばらくして……」キリストは十字架について見えなくなるが、またしばらくして甦えりのキリストを見ることが出来るのである。〔17~18〕肉につける弟子たちには、この意味を理解することが出来なかった。キリストの十字架、甦えりなどは彼らの夢にも思わなかったことであるから、彼らは理解出来...
〔8~9〕聖霊が降り給う時には、奇しきみ業をなされるのである。その時に、この三つのことを悟らせられるのである。悟らせるとは英語コンビクトで非常に意味の強い言葉である。「罪についてと言うのは……」最も恐るべき罪は、キリストを信じない罪である。キリストが来られたのも、神の子であること、また信ずべきメシヤであることを知らせられたのであるが、なおこれを信じないのは罪である。ペンテコステの日に「人々の心刺さるる...
〔5~6〕今やキリストは三十三年の地上の御生涯を終えて、めでたく父の許に帰られるのである。主のお喜びはどんなに大きかったろう。そういうことを夢にも思わなかった弟子たちは、主の行き先きを問いもせずに、肉につける彼らは天国の幸福に着眼もせず、ただ悲しみにふけったのである。彼らの悲しんだのは、三年半にわたり親しく教えを受けた主と、別れねばならないからであった。自分の心に肉の願いを中心とする者は、常にこのよ...
第一六章一~四 迫害に対する覚悟五~七 キリストの去る利益八~一五 聖霊の働き 八~一一 世に対する聖霊の働き 八~一五 弟子たちに対する聖霊の働き〔1〕転ばぬ先の杖という諺のように、キリストはこれらのことを弟子たちに語られたのである。このつまずきとは、原語ではわなにかかるとの意であって、キリストは何とかして弟子たちをこのわなから逃れさせようと努められたのである。多くの人々はこのわなにかかるのであ...
〔18〕以上述べたように、我らは父なる神にこんなにまで愛され、また愛しつつあるのに、他方世は我らを憎むのである。真に神の愛を持つ人は世から憎まれるべきである。世に憎まれない伝道は、世に調和した俗化した伝道である。もしも我らがキリストの中に居るならば、世の憎悪が放つ矢は、まず第一にキリストに当るが、第二には我らに来るのである。けれども神は我らの火の垣(ゼカリヤ二5)となって、我らを守られるから、世の憎...
〔16〕「(1)汝ら我を……(2)かつ汝らをして……(3)また汝らの……(4)我汝らを立てたり」(1)我らがもし選んだのなら、主を取りはしなかったであろう。きっと世の物また偶像を取ったに相違ない。また力量から言っても、主を取る力などはない。けれども主は無限の愛の目的を達成しようとして、我らを選ばれたのである。神が選ばれる者は、世の知者ではなく、かえって世にあって無きに等しい者である。(2)神が選ばれた目的...
〔12〕これは新しい戒めである。主が我らを愛されるように、我らも互に愛し合うべきである。これが愛の源であって、しかも愛の標準である。ぶどうの樹の中に愛という汁がある時に、枝に汁が乏しくなるようなことはない。もし我らがキリストに居るならば、聖霊はキリストに満ちている愛をもって我らを満たして下さるのである。〔13〕人がその友のために少しでもつくす時は愛がある。まして、そのために命を捨てるならなおさらである...
〔7〕これは四節と同意である。我らにキリストが内住される時は、キリストのみ言は私に対して主となるのである(コロサイ三16)、この「充ち足らしめ」は「満たす」という意であって、聖霊の働かれる時はキリストの働かれる時である。またキリストの働かれる時はキリストのみ言の働かれる時である。私がキリストの中にあり、キリストが私の中にあって、キリストと私とが完全に一致する時、私の祈りはキリストの祈りであるから、す...
第一五章一~一一 キリストと信者との関係一二~一七 信者相互の関係一八~二七 世と信者との関係〔1〕「真」特に真のと言われたのは、ぶどうの樹に種々あるからである(イザヤ五1、2、ホセヤ一○1を見よ)。人間はすべて失敗したが、キリストのみは真のぶどうの樹となられたのである。ぶどうの樹といえば、地に根をはって生きているものである。天使はいかにきよくても、地に何か祝福をもたらすことが出来ないのである。英雄君...
〔28〕「我ゆきてまたなんじらに来たらん」これは聖霊によって来ることを言われたものである。もちろん父なる神は、キリストよりも大いなる栄と力とを持っておられる。キリストがこの父に帰るのは凱旋である。だから弟子たちもこの主を喜ぶべきであるのに、彼らは悲しんだのである。キリストと弟子たちとはどうしても喜憂を共にすることが出来なかったのである。肉体なるキリストの去られることは大いなる神の恵みであるにもかかわ...
次に記すのは、バックストン兄の講義の中に示されたものである。 恵の富(一)我が平安 ヨハネ一四27(二)我が愛 ヨハネ一五10(三)我が喜び ヨハネ一五11(四)我が恩 コリント後一一9(五)我が力 コリント後一二9(六)我が安息 へブル四5(七)我が栄光 ヨハネ一七24オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...