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  • 「天の支配」第一章 御霊から生まれるもの(7)

    多くのことを述べてきましたが、これからの数日間のための前置きの話を終えるにあたって、次のことを述べたいと思います。神のこの偉大な支配的御旨、すなわち、栄光に至るすべての子らを御子のかたちに同形化することが、ここにいる私たちに対する彼のすべての取り扱いの理由なのです。私たちが通る奇妙な経験、私たちの人生の一部を形成する深刻な試練、私たちに関する神の摂理と主権によることはみな、神の御目的に照らして説...

  • 「天の支配」第一章 御霊から生まれるもの(6)

    次の点は――これにつまずく人が大勢いるのですが、聖霊は、言わば、この原型を目的として来臨された、ということです。聖霊は栄光の主イエスを見ており、神の御心に適う成就された栄光の人を見ておられます。聖霊は、この原型を徹底的に、細部に至るまでご存じです。聖霊は来臨されました。もし私たちが真に上けら生まれた神の子供なら、彼は私たちの内におられます。そして今、聖霊が地上で行っておられるのは、この原型を内側に...

  • 「天の支配」第一章 御霊から生まれるもの(5)

    これについては、もっと詳しく説明しなければなりません。しかし、ヨルダン川以降の三年半は、すべての神の子供の人生にも対応しています。というのは、あらゆることで神に絶対的に信頼する生活がそこに見られるからです。その生活は神に受け入れられる生活であり、自発的なものですが、それにもかかわらず、大いに、大いに、現実的です。神に絶対的に拠り頼む生活です。そして、そのような生活により、彼は、神の御心に適う人が...

  • 「天の支配」第一章 御霊から生まれるもの(4)

    それが、主イエスの場合、ヨルダン川で起きたことでした。あの時、彼は罪なき意志を持っておられましたが、それでも、人の意志、人間の意志を持っておられました。その意志は、神の御意思から離れたものであり、それ自体は神の御意志とは分離されているものでした。その人の意志、人間的意志、彼が持っておられた天然の意志は、罪がなかったにもかかわらず、ヨルダン川で神の御意志のために脇にやられました。そして、その瞬間か...

  • 「天の支配」第一章 御霊から生まれるもの(3)

    これは、もう一つの要素をもたらします。それは、彼は神格を持つ神としてそこにおられ、神たる方の全豊満が肉体の形で彼に宿っている一方で、また、彼はエホバの御名を帯びつつその地位を占めておられる一方で、彼は人としてそこにおられるということも同様に真実である、ということです。彼は栄光の中にある人です。栄光を受けた人であり、多くの兄弟たちの長子です。神は人を栄光の中に連れて行き、主イエスのパースンにおいて...

  • 「天の支配」第一章 御霊から生まれるもの(2)

    実に、主イエスは、神の働きが目指している原型であり、実際です。この目標たる御方にそのあるべき地位に直ちについていただくことを、いま私たちは願っています。なぜなら、そうならないかぎり、私たちはなにか劣ったものに捕らわれてしまうからであり、この地上における私たちの人生の目標や原動力は不十分なものになってしまうからです。使徒自身の場合、これがいかにそうだったのか、あなたは理解しておられるでしょう。使徒...

  • 「天の支配」第一章 御霊から生まれるもの(1)

    聖書朗読:ピリピ三・一~二一。「なぜなら、神はあらかじめ知っておられた者たちを、御子のかたちに同形化しようと、あらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの間で長子となるためです……」(ローマ八・二九)。「愛する者たちよ、今や、私たちは神の子供たちです。私たちがどのようになるかは、まだ明らかにされていません。彼が現れるなら、私たちは彼のようになることを知っています。なぜなら、私たちは彼...

  • 「天の支配」目次

    天の支配「天が支配する」 ダニエル四・二六T. オースチン-スパークス目次第一章 御霊から生まれるもの第二章 天が支配する第三章 天からの務め第四章 天の普遍性第五章 主権第六章 霊性オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...

  • 「ベテルの神」第三章 天的啓示 (5) 完

    さらに注目すべきことに、罪に対する完全な裁きという根拠に基づいて、礼拝が人の考えにしたがって構成されていた宿営の外に会見の天幕が張られた時、主は、人がその友と語るように、モーセと顔と顔を合わせて語られました。このように、交わり、交流、啓示は、たとえ宗教的なものだったとしても、人に属するあらゆるものからの完全な分離と深い関係にあります。新約聖書に移って、教会が実際に誕生する箇所を見ると、当時の宗教...

  • 「ベテルの神」第三章 天的啓示 (4)

    神の家と罪に対する裁き この物語からわかるように、このためにモーセは民に対してきわめて厳しい対応をせざるをえませんでした。裁きと破壊がそれに続きました。モーセは会見の天幕を宿営の外に移しました。これは明らかに、三二章に言及されているものではなく、一時的なものでした。また、彼が神の住まいの意味に関して霊的な理解力を持っていたことは、きわめて明白であるように思われます。つまり、神の家は罪・暗闇・偶像崇...

  • 「ベテルの神」第三章 天的啓示 (3)

    第二段階:天的啓示としての家 さて、神の家という偉大な真理のさらなる発展に移ることにします。今度の聖書の箇所は、出エジプト記の三二、三三、四〇章です。ここでおもに示されているのは、神の家に関係している人々の状態というよりは、むしろ、神のはなはだ特別な指示の下で、完全に神の御心にしたがって物事を構成する必要性です。少しの間、出エジプト記の十五章を振り返ることにすると、重要かつ興味深いことに、次のこと...

  • 「ベテルの神」第三章 天的啓示 (2)

    新生の時、私たちはすべてを胚芽の形で受けます。神の全き御旨は、事実、最初から現存しています。しかし、何年も後になってはじめて、その胚芽に含まれていたものに気づくことが多いのです。神の家のような啓示は、救いの真理とは別の異なる真理であると思っている人が大勢います。しかし、実は、これこそまさに神が最初から目指してこられたものであり、それゆえ成熟・完成に向かって進み続ける必要があるのです。 ヤコブはま...

  • 「ベテルの神」第三章 天的啓示 (1)

    私たちは、人と共に住むという神の偉大な永遠の御旨について考える際、エゼキエルの預言で「家の規定」と称されているものや、詩篇作者が「聖なることは、あなたの家にふさわしいのです。ああ、主よ、永遠に至るまで」と述べた時に言及したものについて、熟考してきました。私たちは、神の家がヤコブに示されるのを見ました。創世記二八章でそれが示された時から三五章で彼がベテルに戻る時までに、二十年の訓練の歳月がありまし...

  • 「ベテルの神」第二章 家の規定 (7)

    人がこの地上でキリストに下した最後の判決は、「まことにこの人は義人であった」でした。「成功者」でも、「有能な人」でも、「賢い人」でもなく、「義人」であった、という判決を下したのです。私たちの最大の関心事は、他の人々が成功と称しているものではなく、神が永遠に確立することのできるものでなければなりません。御旨に真に役立つものでなければなりません――つまり、キリストの顕現でなければなりません。そして、そ...

  • 「ベテルの神」第二章 家の規定 (6)

    人々は運動を組織し、共同体を造ります。神は人々を御旨のための道具として聖別されます。人々はどちらかと言うとなすべき働きについて考えます。神はご自身の子供たちの霊的状態を最も重視されます。 新約聖書を構成する二十七の書のうち、六冊は主に歴史であり、その中には多くの霊的教えが含まれています。残りの――二十一冊の書――はみな、信者らの霊的な生活や状況にあてられています。 神は、「働きや働き人が、わたしが要...

  • 「ベテルの神」第二章 家の規定 (5)

    これをみな新約聖書にあてはめると、第一に、内なる汚れのせいでどのように宮が捨てられたのかがわかります。主イエスが真の宮としてその地位に就かれます。しかし、彼のパースンの意義を未だに認識していない人々のために、主イエスは数々の言動をされました。それらの言動は――記録に記載されていますが――神の家に関連しているものに関する御心を永遠にわたって啓示します。徹底的に聖ではないものをすべて激しく非難し、神の住...

  • 「ベテルの神」第二章 家の規定 (4)

    ダニエル書(九章)、エズラ記(九章)、ネヘミヤ記(九章)の三つの告白の章ほど印象的な章は、聖書の中にほとんどありません。これらの章はみな、エルサレムの神の家と主の民の間の不幸な状況と関係しています。それらは、神の栄光とは全く調和していない状態のために引き起こされた、一つの大きな叫びとすすり泣きを示しています。エルサレムの神の家が廃墟と化しているときに、バビロンの栄華や栄光はダニエルにとって一体な...

  • 「ベテルの神」第二章 家の規定 (3)

    神は決してご自身を人の「肉」に委ねられたことはありませんし、これからも決してそうされないでしょう。もしパウロが神の家を他のだれよりも完全に導入しようとするなら、彼は他のだれよりも多く「肉」について、そしてそれを除き去る必要性について述べるでしょう。神の家が再導入されるたびに、これに留意してください。幕屋に関して、なんと入念な注意が払われたことでしょう。幕屋に関わる人はみな、自分の肉を覆わなければ...

  • 「ベテルの神」第二章 家の規定 (2)

    「家の規定」 「家の規定は次のとおりである。山の頂とその周り全体の全地域は最も聖である。見よ、これが家の規定である」(エゼキエル四三・十二)。 主の臨在にふさわしくなければならないというこの原則は、人との主の関わりに関する啓示全体にわたって一貫しています。聖さは独立した真理の一部門として教えられることがよくありますが、神の御言葉の中にある真理の偉大な面はみな、ある中心と関係しています。その中心とは...

  • 「ベテルの神」第二章 家の規定 (1)

    聖書における神の家の偉大な啓示についての考察の冒頭で、私たちは次の事実を指摘しました。すなわち、神は世界を創造するとき、人と共に住むことを目的としておられたという事実です。この啓示の最後を見ると、これは「神の幕屋が人と共にある」という偉大な宣言がなされる時に実現することがわかります。最初の頃、神はエデンの園の中を歩いて、堕落前の人と会話されましたが、これにそれが伺えます。次に、状況は彼の臨在にふ...

  • 「ベテルの神」第一章 ベテルの神 (10)

    5.ヤコブがしたこと 「そして、ヤコブは朝早く起きて、頭の下に置いていた石を取り、それを柱として立てて、その頂に油を注いだ。そして、彼はその場所の名をベテルと呼んだ。」 柱は聖書では常に証し人や証しを象徴します。参照、創世記三一・五二、ヨシュア四・七、イザヤ十九・十九~二〇。 油は聖霊の型です。ですから、ベテルは聖霊の油塗りの下で立てられた証しを象徴します。これは、ヨルダン川の彼方におられたときの...

  • 「ベテルの神」第一章 ベテルの神 (9)

    4.ヤコブが述べたこと 「そして、ヤコブは眠りから覚めて言った、『まことにエホバがこの場所におられるのに、私は知らなかった。そして、彼は恐れて言った、『これはなんと畏れ多い所だろう!これはまさしく神の家である。これは天の門だ』。」 この言葉が示唆するところは大いに明らかです。 1.神の家は神がおられる所です。 2.神がおられる所では、神の御心にそぐわない者は、そこを恐ろしい場所だと感じて、恐怖に打...

  • 「ベテルの神」第一章 ベテルの神 (8)

    3.ヤコブが聞いたこと 「わたしはエホバ、あなたの父アブラハムの神、イサクの神である。あなたが横になっているこの地を、わたしはあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は地のちりのようになり、あなたは西に、東に、北に、南に広がり、あなたの中で、またあなたの子孫の中で、地のすべての家族は祝福される。見よ、わたしはあなたと共にいて、あなたがどこに行ってもあなたを守り、あなたをこの地に連れ戻す。わたしが...

  • 「ベテルの神」第一章 ベテルの神 (7)

    さて、ここまでは導入の話でしたが、ここからは、ヤコブのビジョンが記録されている創世記二八章に萌芽的に示されている神の家とは何かを見ていくことにします。 ここでは諸々の要素を収集して、それらの詳細な検討は後の章に委ねることにします。1.ヤコブがいた場所 彼は離れた場所にいました。 この物語によると、彼はこの夢を旅の最初の夜に見たと考えられます。しかし、足の速いラクダで行かない限り、そんなことは不可...

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