chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 「杯と火」第四章 火の試練 (5)

    御霊の特徴は、これはこれそれはそれと裁くこと、何がこの領域に属し何があの領域に属するのか裁くこと、そして、それらを隔てることです。ですから、もし暗闇が日や光に臨んだり、光が夜に臨んだりするなら、それはとても異常なことです。それは、まったく通常の成り行きではありません。要点がわかったでしょうか?あなた自身の家庭、あなた自身の一家の中に、これらの異なる王国や領域が生じる可能性があるのです。そのような...

  • 「杯と火」第四章 火の試練 (4)

    さて、聖霊は常にこのような方法で分裂させる御方です。そうするのが聖霊の御業です。ある意味で――悪い意味ではありません、私の言葉をどう受け止めるのかに注意してください――ある意味で聖霊は分裂の原因です。彼が分裂させる方である領域があります。 自分の聖書を手に取って、初めに遡ることにしましょう。神の霊が混沌、暗闇、虚空の上を覆われました。聖霊によって、聖霊を通してなされた、最初のことは何だったでしょう?...

  • 「杯と火」第四章 火の試練 (3)

    人間関係 ルカによる福音書のこの一二章では、それが一つの領域で働いています。次のような恐ろしい御言葉が記されています、「あなたたちは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのですか?あなたたちに言いますが、違います、むしろ、分裂です」。この言葉は昔の欽定訳では「剣」となっています。分裂!これは恐ろしく聞こえます。これには細心の注意が必要であり、私たちはとても注意深くなければなりません。しかし、彼...

  • 「杯と火」第四章 火の試練 (2)

    裁き しかし、この「裁き」という言葉の意味を私たちは理解しなければなりません。多くの時、私たちはそれをその諸々の面の一つに、特に最終的な面に限定してしまいます。私たちは「裁きに渡すこと」について話しますが――それによって言わんとしているのは、刑罰に渡すことです――裁きの最終的効力のことです。しかし、裁きという言葉は聖書ではもっと包括的な言葉です。それはまず――火つまり裁きに関する火の観点から明確にわかり...

  • 「杯と火」第四章 火の試練 (1)

    再び私たちの基本的な聖書の節に戻ることにします。 「私が来たのは、地上に火を投じるためです。それがすでに燃え上がっていれば!しかし、私にはバプテスマされるべきバプテスマがあります。それが成し遂げられるまで、私はどれほど圧迫されることでしょう!あなたたちは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのですか?あなたたちに言いますが、違います、むしろ、分裂です。なぜなら今から後、一家に五人いたなら分裂...

  • 「杯と火」第三章 聖霊の積極的性質 (7)

    もし御霊が不活発で、休止していて、何もせず、動いておられないなら、もし御霊が働いておられない印や兆しがあるなら、それは異常な状況です。それは、神の霊の観点から見て、何か間違っているもの、何か正しくないものがあることを意味します。もしすべてが正しかったなら、御霊は活発であられたでしょう。行動し、進んでおられたでしょう。動きがあったでしょう。 ご自身の立場を得ておられるとき、御霊は常に積極的です。で...

  • 「杯と火」第三章 聖霊の積極的性質 (6)

    積極的な交わり 第三に、これは交わりの原則です。御霊の交わりは交わりの真髄です。しかし、また、それは積極的です。交わりは受動的なものではありません。決して受動的なものではありえません。なぜなら、地獄の全軍勢がこぞってそれに反対するからです。地獄が何よりも反対するのは、聖霊の交わり、神の民の交わりです。絶え間なく、あらゆる手段を尽くして、これらの悪の勢力はこの交わりを損なおうとします。なぜなら、この...

  • 「杯と火」第三章 聖霊の積極的性質 (5)

    積極的な証し これは、次に、奉仕または証しの法則です。よく注目してください、「聖霊があなたたちの上に臨む時、あなたたちは力を受けます。そして、私の証し人となります……」。奉仕または証しの原則は積極的です。何と多くのクリスチャンが、証しをしないせいで、がんじがらめにされていることでしょう!彼らは証しをしません。彼らの光を輝かせません。まったく消極的です。人々はどう思い、どう言うだろう、他の人々からの反...

  • 「杯と火」第三章 聖霊の積極的性質 (4)

    また、悪魔に従っているクリスチャンがいるのではないかと、私は恐れます。自分自身と悪魔を識別するのは常に容易とは限りませんが、ご存じのように、悪魔は常に私たち自身を通して私たちに語りかけています。もし私たちに何か間違っている点があるなら、彼はそれを私たちに知らせます。もし私たちを困らせるものが何かあるなら、彼は問題を増し加えて、強調します。彼自らが自分自身のために造った彼自身の立場をほんの少し彼に...

  • 「杯と火」第三章 聖霊の積極的性質 (3)

    積極的な歩み さて、御霊のこの法則はクリスチャンの歩みの原則です。クリスチャンの歩みは聖い歩みであるべきです。聖い歩みをしなければなりません。これが御霊によって歩む意味の何たるかです。明確にこう述べられています、「御霊によって歩みなさい、そうすればあなたたちは、肉の欲を満たすことはありません」(ガラテヤ五・一六)。肉を満足させまいと、あなたはもがき、奮闘し、戦っているのでしょうか?それは消極的です...

  • 「杯と火」第三章 聖霊の積極的性質 (2)

    御霊は真空を忌み嫌われる さて、ここで、この書――これを「まき散らされた火の書」と呼べるでしょう――の冒頭のこれらの御言葉は、小休止、未決状態、ある種の合間を示しています。十字架はそのすべての意義と共に、成就された事実です。贖いの御業は成就されています。将来のための基礎に関しては、すべてがなされました。また、その御旨に関しては、すべてが予示・予告されていました。こうあります、「あなたたちはエルサレムに...

  • 「杯と火」第三章 聖霊の積極的性質 (1)

    私が来たのは、地上に火を投じるためです。それがすでに燃え上がっていれば!しかし、私にはバプテスマされるべきバプテスマがあります。それが成し遂げられるまで、私はどれほど圧迫されることでしょう!(ルカ一二・四九、五〇)。 彼らと一緒に集まっている時、彼は彼らに命じて言われた、「エルサレムを離れないで、私から聞いていた父の約束を待っていなさい。なぜなら、ヨハネは水でバプテスマしましたが、あなたたちは間...

  • 「杯と火」第二章 世々にわたる戦い (10)

    これから何と多くのことが生じたことでしょう!彼らは問題全体を洞察して、真の問題に到りました。それ以外の思いを捨て去りました。そして、彼らの苦しみの中から、何かが生じました。一二章の後に続く出来事をあなたは覚えておられるでしょう。前の章(一一・一九~三〇)でアンテオケが視野に入ってきました。そして今、アンテオケからパウロとバルナバが遣わされ、先へ先へと進みます。火が地の果てまでまき散らされます――教...

  • 「杯と火」第二章 世々にわたる戦い (9)

    この物語について考える時、この物語にはない多くの、多くの思いが、私の心の中に押し寄せてきます。もし教会が、一緒に集まって、このような一つの中で、祈りの中でこの状況に集中する代わりに、次のように述べていたなら、結果はどれほど異なっていたことでしょう。「ああ、ステパノがあんなことを言ってさえいなければ!何某さんがもう少し用心深くしてくれてさえいれば……。……してさえいれば!」。他にも無数のことを非難しま...

  • 「杯と火」第二章 世々にわたる戦い (8)

    さて、これがすべてどこから始まったのかを見ることにしましょう。一方の側にはヘロデがいます――邪悪な、邪悪なヘロデから始まりました。彼はエサウにまで遡る長い歴史に由来する残忍さをことごとく帯びています。この行為を喜んだユダヤ人たちは、イエスに従う者たちに敵対します。内にも外にも、牢獄、鎖、屈強な衛兵――四人組の衛兵――が控えています。これらは大きな勢力、大きな困難――敵対するすべてのもの――を示すものです。...

  • 「杯と火」第二章 世々にわたる戦い (7)

    神はサタンを滅ぼすためにサタンの働きを用いられます。しかし、そのために用いられる道具は教会であり、聖徒たちです。彼らの魂の中でこの戦いがなされています。「今や天上の主権者たちや権力者たちに(中略)教会を通して神の多種多様な知恵を知らせ」(エペソ三・一〇)。目に見えない領域で何かが起きています。 神の御言葉の進展には代価が必要です。それには多くの苦難が含まれます――この杯が含まれます。しかし、これが...

  • 「杯と火」第二章 世々にわたる戦い (6)

    これが、この箇所が示している物語です。神の奥義的な道により、教会は苦しみます。しかし、その苦しみは敵に由来します。神は教会という手段によって敵を引き出しておられます――敵を引き出して、おびき出しておられます。そして、敵の不義の杯が満ちる時、神は敵を回復不能なまでに打ち砕かれます。これがヘロデの件です。この結果を招いたのは教会です。これを成し遂げたのは、ヤコブとペテロと当時の教会です。しかし、これは...

  • 「杯と火」第二章 世々にわたる戦い (5)

    しかし、しばしの間、それから少し転じて、別の面に移ることにします――すなわち、劇的とも言えるこの面、主の至高の王権の面です。これはみな三つの点に要約されます。「ヘロデは(中略)苦しめるために手を伸ばした(中略)主の御使いが彼を打った(中略)しかし、神の御言葉は成長して増殖した」(一二・一、二三、二四)。これは途方もないことではないでしょうか?この物語は、ヘロデが手を伸ばす場面から始まり、ヘロデが虫...

  • 「杯と火」第二章 世々にわたる戦い (4)

    しかし、ヘロデの背後に回り込むことにしましょう。ヘロデは一人で行動しているわけではないからです。何かそれ以上のもの、何かさらに深いものがあります。この問いに対する、さらに深く、さらに現実的な答えは、この人の背後にあるサタンの領域の中に見いだされます。もう一度一一章一九節を見ることにしましょう。「そのため、ステパノのゆえに起こった艱難によって散らされた人たちは、ピニケ、クプロ、アンテオケにまでも旅...

  • 「杯と火」第二章 世々にわたる戦い (3)

    「その頃ヘロデ王は、教会のうちの何人かを苦しめるために手を伸ばした(中略)それがユダヤ人を喜ばせるのを見た時……」(一、三節)。さて、その当時、ユダヤ人を喜ばせるこのようなことを、なぜヘロデは行う必要があったのでしょう?これは人の物語のように見えるかもしれませんし、とても単純なことに思われるかもしれませんが、私たちはこの大いに深遠なものが明らかになるさなかにあります。サタンは、ご存じのように、とて...

  • 「杯と火」第二章 世々にわたる戦い (2)

    この章の使信を見ることにしましょう。「さて、その頃」。いつの頃でしょう?これについて指摘して、その時に言及するのは、意義深いことです。その答えはとても長いものです。が、二つの主な特徴があります。ヘロデ当人のうちに答えがあります。そして、ヘロデの背後に、ずっと深くに、その答えがあります――その答えとはサタンです。ヘロデのうちにあるこの答えについて考えることにしましょう。 「ヘロデ王」(一節)。聖書の...

  • 「杯と火」第二章 世々にわたる戦い (1)

    聖書朗読:使徒一二章 私が来たのは、地上に火を投じるためです。それがすでに燃え上がっていれば!しかし、私にはバプテスマされるべきバプテスマがあります。それが成し遂げられるまで、私はどれほど圧迫されることでしょう!(ルカ一二・四九、五〇)。 私たちの最初のメッセージでは、主に杯と、火をまき散らすその結果とに専念しました。その目的は、これら二つの間の関係を新たに考察することでした。この杯の意義が、神の...

  • 「杯と火」第一章 杯と火の関係 (9)

    教会の証しと務めが損なわれるのは、往々にして、次の二つの一方あるいは両方の結果であることに疑いはありません。すなわち、そのただ中にこの杯に矛盾するものがあるか、さもなければ、この杯を避けているのです――この杯に直面しないように、苦難に巻き込まれないようにしようとしているのです。私たちは素晴らしい時を過ごし、すべてをそのようにします。しかし、杯は――ないのです。この杯に矛盾することによって証しと奉仕が...

  • 「杯と火」第一章 杯と火の関係 (8)

    そして、それは私たちが彼と一つであることにかかっているだけでなく、私たちが彼にあって一つであることにもかかっています。僕の中に妨げがある間は、魂は救われません。魂の救いを求めている人々の間に分裂がある間は、魂は救われません。もし神の民を分裂させるための地位をサタンが許されているなら、働きは成長することも、拡張することも、拡大することもありません。キリスト自ら、この確立された法則を指摘しておられま...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、オリバーさんをフォローしませんか?

ハンドル名
オリバーさん
ブログタイトル
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ
フォロー
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用