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  • 二本のオリブの木と金の燭台 (4)

    しかし、オリブの木と容器をつないで、二本の金の管へと至る、この二本のオリブの枝は何でしょう? これは「全地の主の御前に立つ、二人の油塗られた者、二人の油の子」です。ああ!これは信じて団結して祈る務めです。これは地上の聖徒たちに与えられた最も高度な奉仕です。それは御座に着いておられるイエスご自身の祭司の奉仕に呼応するものです。 愛する人よ、もし彼にそうしてもらうなら、神は私たちにこの高度な聖なる奉...

  • 二本のオリブの木と金の燭台 (3)

    油の源 この絵図の最も美しくて意義深い箇所――油の源――に移ることにします。これらの源は、人が考えた仕組みではありませんでした。奉仕する祭司たちが、毎日、大きな容器から油を運んで補充する必要はありませんでした。そうではなく、源は二本の生ける木でした。それらがみのらせた実が目に見えない手で絶えず圧搾されて、二本のオリブの枝と二本の金の管を通して、容器へと、そして、ともし火へと流れ込んでいたのです。それは...

  • 二本のオリブの木と金の燭台 (2)

    燭台は発光体ではありませんでした。光を掲げるものにすぎませんでした。自分で光を造ることはできませんでした。磨かれたピカピカの表面で光を反射させることはできましたが、別の光源からの光が必要でした。それと同じように、私たち自身の中に光はありません。私たちにできるのは、光を受け入れてそれを掲げることだけです。私たち自身は世の光ではありませんが、「輝かせなければなりません。それは、人々が私たちの良いわざ...

  • 二本のオリブの木と金の燭台 (1)

    勝利者誌 一九四七年 二八巻 一月号 掲載「『権力によらず、能力によらず、私の霊による』と万軍の主は言われる。」(ゼカリヤ四・六) この御言葉が示しているビジョンは、聖書の他のどの箇所と比較しても、その優美さと聖なる意味の深遠さという点で比類ないものであり、真の力の源を啓示することをその目的としています。ゼカリヤが眠りから覚めて、彼の能力がその意味を理解しようと活動し始めた時、彼は自分の前に金の燭台を...

  • 諸々の時代にわたる戦い (3) 完

    策略を見破る 悪魔の策略に対する勝利は、それを見破ることによって得られます。見破るなら、信者は策略が進行する前にその目的を挫折させることができます。ガイ・ホークスは国会議事堂を爆破しようとしましたが、彼の策略、計略は見破られ、それによりその計画――「火薬計画」と一般に称されている計画――はすべて無に帰したのです。 策略と策略の目的の違いに注意してください。策略を見破ることは、その働きが完全に成し遂げら...

  • 諸々の時代にわたる戦い (2)

    奉仕に関する策略 とても地位の高い栄誉を伴う奉仕、しかしより低い奉仕に就くよう誘惑する誘惑もあります。食卓に仕える人々に要求される資格に注意しなさい。食卓に仕える人々は評判の良い人々、聖霊に満ちている人々、知恵に満ちている人々でなければなりませんでした。さらにまた、これらの人々はこの仕事を管理するために任命されました。悪魔の策略は、優った善の代わりに劣った善を信者に行わせることです。善と悪のどちら...

  • 諸々の時代にわたる戦い (1)

    「勝利者」誌 一九一二年 第四巻 二月号 掲載 悪魔の策略とは何でしょう?それは接近するための悪魔の戦略的方法かもしれません。また、悪魔の狡猾な方法や、真理と嘘が一緒になった悪魔の計略かもしれません。この計略は悪魔の諸々の目的を成就するために実施されているのです。キリストを誘惑する二番目の誘惑における策略は、神を信じる大きな信仰を示すようキリストに求め、こうしてキリストに自殺させることでした。「宮の上...

  • 悪霊どもに対してキリストの権威を用いることに関する光 (4) 完

    質問 霊的生活のどの段階でも、たとえば救われたばかりでも、人は暗闇の力に対するキリストの権威を取る権利がある、と私たちは認めてもよろしいでしょうか?ある人があなたに、「私にその権威があると、どうすればわかるのでしょう?」と尋ねたらどうしますか。エバン・ロバーツ 信仰によって権威を取り、それを用いなさい。それに疑念を抱いてはなりません。これは純粋に「信仰の」取引です。まず第一に、権威を求め、それを取り...

  • 悪霊どもに対してキリストの権威を用いることに関する光 (3)

    エバン・ロバーツ 「私の心の中に不法があるなら」権威を行使することはできません。ある人が自分の過ちを知っていてそれを覆い隠すなら、神はそのような人たちの権威を承認されません。しかし、「憑依」が無知によるものであり、その人の意志や願いに反するものである場合、神はその人がキリストの権威を用いるのを尊んでくださいます。質問 しかし、彼らが自分たちに関する真実を悟り、それでもそれに従わない場合、彼らには何か...

  • 悪霊どもに対してキリストの権威を用いることに関する光 (2)

    エバン・ロバーツ 聖霊を受けることの効力の一つは、御霊によってバプテスマされた人々は自分がパースン――聖霊――と接触するようになったことを意識するようになることです。次に、悪魔はこのパースンを真似することによって彼らを攻撃します。悪魔は神の臨在を真似することにより、また、奇跡的な導きの偽物により、彼らを真理から逸らします。すると、彼らは内側の霊の導きを消してしまい、外側の超自然的な物事に従うようになり...

  • 悪霊どもに対してキリストの権威を用いることに関する光 (1)

    エバン・ロバーツ そうです。無知のせいで悪鬼に取り憑かれてしまった人でも、キリストの権威を取り、それを暗闇の力に対して行使し、自分に服させることができます。質問 しかし、その人はまず自分が欺かれていることを知る必要があるのではないでしょうか?エバン・ロバーツ いいえ、その必要はありません。権威が及ぶのは自分が意識している範囲に限られます。しかし、自分が欺かれていることをその人が知っていると仮定しまし...

  • 戦いに関する光

    「勝利者」誌 一九一二年 第四巻 一月号 掲載 悪魔の白旗に注意しなさい!それは戦いを停止させるための休戦の旗なのです。悪魔はできることなら何らかの方法で入り込み、まさにカナン人がヨシュアにしたように、教会を自分に妥協させようとします。危険なのは戦いが終わる前に妥協して、戦いをやめることです。暗闇の力に対していかなる妥協、あわれみ、同情もあってはなりません。 悪霊どもは知性と交信することができますが、...

  • 真理を用いよ

    「勝利者」誌 一九一二年 第四巻 一月号 掲載「もしあなたたちがこれらのことを知っているなら それらを行うとき、あなたたちはさいわいです」 (ヨハネ一三・一七) あなたが読んだことを用いなさい。真理を用いなさい。真理をあなたの思いの中に刻み込みなさい。真理に基づいて行動しなさい。真理を祈りに変えなさい。人々が真理を得るよう配慮しなさい。真理をあなた自身の生活に適用しなさい。さらにどれだけ多くの光をあな...

  • 最後の祈りの集会 (10) 完

    私の全存在、そして私が団体の中で享受しているものはみなキリストのおかげである。神をどれほど賛美しても賛美しきれない。私が完全に享受している団体の中に、神は私を連れて来てくださった。どこに行っても、自分の民が分からないことは少しもないし、彼らを受け入れるのを躊躇することも少しもない。神が私を罪と地獄から救ってくださったこと、タバコ、不敬、安息日破り、罪深い他のことから救ってくださったことを、私は神...

  • 最後の祈りの集会 (9)

    あなたは今晩祈らないかもしれない。明日も祈らず、十年間祈らないかもしれない。突然の災難があなたを襲うことはないかもしれない。しかし、あなたはいつか祈ることになる。手遅れになってから祈るかもしれない。大部分の人は神やイエスに向かって祈るのではなく、パイク山、ロング山、アレゲーニー山脈、ブルーリッジ山脈、グリーン山、ホワイト山、カンバーランド山に向かって祈ることになるだろう。彼らは岩と山とに向かって...

  • 最後の祈りの集会 (8)

    しばらく前に、私はある女性に宣べ伝えた。その女性は夜中の九時半に神に対して「いいえ」と言い、十一時には死んで地獄に行ったのである。ああ、諸君、これらのことは現実である。この人々は裁きの日にそこに行くことになるのである。最後の一大祈祷会に行くことになるのである。この人々は憐れみをもてあそび、恵みをもてあそび、自分の魂の永遠の益をもてあそんでいるのである。 私が開いていた野外集会の一つに、邪魔をする...

  • 最後の祈りの集会 (7)

    私はあなたに言う。われわれの周りで人々が死んでいっているのである。われわれが開くどの野外集会でも、ある人にとってはそれが最後のチャンスである。そして、「いいえ」と言うなら地獄に行くのである。われわれが持つどの大会やリバイバルでも、人々は生死を分かつ線を越える。「はい」と言う人はみごとに救われ、「いいえ」という人に対して憐れみの扉は永遠に閉ざされる。どうかこの野外集会で神がわれわれを助けてください...

  • 最後の祈りの集会 (6)

    私はある教会員が死ぬのを見た。教会員の大勢がこの人のようになるだろう。この女性はその地で私が牧師を務めた二年間の間、私の会衆の会員だった。彼女は若い女性ではなく、八十歳だった。リバイバルに賛成ではなく、一度もわれわれを助けてくれなかった。八十年のあいだ、その教会の会員だった。今晩、あなたは教会員かもしれないし、福音の説教者かもしれないが、地獄で永遠に呪われることになるかもしれないのである。私は今...

  • 最後の祈りの集会 (5)

    私はこの御言葉が述べている階級を代表する別の人が死ぬのを見た。ある商人が死ぬのを見た。その商人は成功の道を駆けて来た人で、人の目から見る限り、この世で目的を遂げた人だった。しかし、彼には神も希望もなかった。彼は今晩人々が聞いているような話を聞いた。何度も何度も福音の知らせを聞いた。キリストのもとに来るよう招きを受けた。しかし、キリストを拒んだのである。彼が地獄に落ちた日のことを私は覚えている。最...

  • 最後の祈りの集会 (4)

    われわれの中のある者たちにとって、これらのことは大いなる現実である。私はこれらのことを完全に信じている。これらのことはわれわれに極めて深い印象を与える。われわれの中のある者たちにとって、人々が神に対して罪を犯すのは恐ろしいことに思われる。われわれの中のある者たちにとって、人々が罪に定められて自分の目の前で地獄に行くのはゾッとすることに思われる。われわれの中のある者は、誰かが自分の指からすり落ちて...

  • 最後の祈りの集会 (3)

    数年前、私はフーシア市に住んでいた。そこには、極めて傲慢な銀行家や実業家がいて、「私は祈りを信じない」と言っていた。彼らは決して祈らなかった。ある蒸し暑い午後の二時頃のことである。鈍感な人でない限り、約三分でサイクロンがその町を襲うかに思われた。この銀行家たちの何人かは通りにいて、舗道にひざまずき、「この町を救ってください」と神に祈り、叫んだのである。 ほんの数年前、神がボタンを押してサウスカロ...

  • 最後の祈りの集会 (2)

    これは一大集会であり、そこで人々は祈るだろう。今、祈り方を知っている人々は多くない。たいていの牧師は、「祈る会員」と分類できる人をごく僅かしか持っていない。近頃、われわれのいわゆる「宗教」団体には、活発な会員とそうでない会員、祈る会員とそうでない会員がいる。三、四百人の会衆の牧師の多くは、祈る会員を片手の指で数えることができる。また、断られるのを恐れて、人を公の祈りにあえて招くこともほとんどない...

  • 最後の祈りの集会 (1)

    このメッセージは「最後の祈りの集会」または「永遠の現実」と題して一九〇四年にオハイオ州シンシナティの God's Revivalist Office から発行された小冊子に収録された四つのメッセージの中の一つである。他の三つのメッセージはE.A.ファーガソンによる「地獄」と「迫り来る裁き」、チャールズ・F・ウェイゲルの「三つの地獄」である。聖書朗読: 「小羊が第六の封印を解いた時、私が見ていると、見よ、大地震が起こって、太...

  • 「杯と火」第四章 火の試練 (10) 完

    区別する火 火が地に投じられます。この使徒行伝を読む進んでいくと、こうしたことがすべて起きるのを見ます。こうしたことが常に起きています。この火がそれをなしています。この火が探り出し、試し、区別し、追いやっています。この物語の結末として、二つの領域が分けられ、それらが何であって何に属しているのかが示されます。 この霊的区別の問題に関して、もちろん、もっとたくさん述べることもできます。異なる区分に属す...

  • 「杯と火」第四章 火の試練 (9)

    さて、要点はこうです。これが私たちの務めや私たちの証しによる聖霊の効力である、とパウロは述べているのです。言い換えると、聖霊は決して物事をそのまま放置されないのです。聖霊の臨在は常に、何らかの転機や判決をもたらします。聖霊が臨在して語られるとき、私たちはその後、前と同じままではいられません。何かが起きました。私たちはますます頑なになるか、ますます柔軟になるかのいずれかです。ますます罪に定められる...

  • 「杯と火」第四章 火の試練 (7)

    これが使徒行伝の中で起きていたことです。この書に目を通して、なされている区別を見てください。確かに、実際に区別がなされています。ああ、何とこれらのユダヤ主義者たちは労苦したことか!どれほど彼らは苦しんで、海と陸を渡ったことか!このような長旅をするには、かなり大きな代価が必要だったにちがいありません。彼らの活動は遠く広範に及びました。彼らは真剣な人々であるだけでなく、自分と自分の地位について彼らが...

  • 「杯と火」第四章 火の試練 (6)

    クリスチャンの働き これの次の適用先は、クリスチャンの働きの問題全体です。パウロはこれについてコリント人への第一の手紙の三章で述べています。 「私に与えられた神の恵みにしたがって、私は賢い建築家のように土台を据えました。そして他の人がその上に建てます。しかし、どのようにその上に建てるのか、各自は注意しなさい。なぜなら、据えられている土台の他に、誰も他の土台を据えることはできないからです。この土台は...

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