楽我院では、月一で「教室」を行っています。ことの始まりは、思い出せないほどむかし。その頃は、整体(カイロプラクティック)の学校の講師をしておりまして、整体の学校の生徒さんからの依頼で、技術的な習熟のお手伝いが始まりでした。今でも、整体やさまざまな
腰痛、肩こり、頭痛、股関節、膝、スポーツケア、慢性病、原因不明の体調不良など日々の観察、気づきを提案
福岡県久留米市で楽我院・バランス研究所を主宰している院長が日々の治療やその時々の発見などを投稿。 見方を変えると、体の持っている可能性は広がる。「三軸修正法」http://www.sanjiku.com/の考え方、見方を通し、快適で視野が広がる伸びやかなカラダを提案。 研究を進める中で、カラダの不思議さと可能性をますます感じている。
お仕事にかぎりませんがいろいろな出来事があります。テレビやSNSにおいても。そんな中、「これでいいのか」というシーンに人は出会うことがあります。これは、いつからそうなのか。人道的、法的に許されるのか。そんなシーンに出会うと、人は深く考えたりするもの
先日、次男の死に伴いお世話になるようになった日蓮宗のお寺の「節分」法要に足を運びました。次男の死は、突然で、病気の発病から2カ月という期間でした。彼にとっては、結婚式をあげたわずか半年。病気が告げられたのは、結婚式からたった4カ月半しか過ぎていない時
「急激な痛みに耐えかねて、病院へ行きました」これは私のことではありません。定期的に来院頂ている方の一声です。「最悪、手術と言われてしまいました。」と。それではみてみましょう。と言うわけで施術を終え、ずいぶんと楽になって笑顔が戻りました。「痛み
ほとんど口にしない言葉のひとつが「ヒトとして」。いろんなシーンで耳にする方もあるでしょうし、何かを他者に共感をもってもらうにはとても強力なコトバなように思われます。「ヒトとしてどうなの?」「ヒトとして失格」「ヒトとしてあるまじき・・・」そんな
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楽我院では、月一で「教室」を行っています。ことの始まりは、思い出せないほどむかし。その頃は、整体(カイロプラクティック)の学校の講師をしておりまして、整体の学校の生徒さんからの依頼で、技術的な習熟のお手伝いが始まりでした。今でも、整体やさまざまな
Aさんが、Bさんに「80歳はまだ若い」という言葉が発せられました。その様子を私はそばで見ていました。Bさんは「そうね。そうですね。そう言えば、まあ、」と返答されてました。Bさんの内側の心はAさんの言葉の意味あいを推察しながら、返答が生じているようで
施術のあと、今週の月曜日、「急遽、国会中継で中止になったんですけど、うちの八戸窯から中継でNHK朝のドラマ生出演予定でした」「録画になってしまいましたけど」と仰っていました。NHKの朝のドラマを見ていないので申し訳なかったのですが、各方面で活
とある人からの質問です。「人と比べることが、苦しみの根底にあるのは理解できる。そして、闘って、それに打ち勝つよう努力するより、比べないようすることが最強なのではないか。」と。それでいいですよ。と私。ただ、比べないように努力している「あなた」がい
お昼過ぎに来られた方、本日はお子さんを連れていらっしゃいました。あれっ、この時間は学校の時間では?なんでも、眼の奥が痛くて・・・というお話。よーくわかりませんでしたから、全身の構造的な側面からみて、神経の流れ、気のながれなど、、、でいろいろありま
ときどき院の外を歩きます。すると、道沿いに自然食品店がありました。そこでは農薬の危険告知やカラダにやさしい食材を扱ってありました。何かのきっかけで「食」のことに関心を寄せ、近くに理想とするお店が無かったからか、もっと別の理由かはわかりません。小
「なんか、最近、全身がキツイです」と仰ったのは、久しぶりに来られた方。そこで『その最近とはいつからでしょうか。』『何か、デキゴト、キッカケは思い当たられますか?』とおたずねしました。すると、しばし考えられて、「自分自身を責めているような気がし
久しぶりに書籍を読みました。発達障害の方のケアをされている方で、いろいろな事情を抱えた方を支援しておられる方の体験に基づく内容でした。空手という格闘技の指導経験を活かして、心身両面からサポートすることで他とは違う成果をまとめたものでした。その中に、
すこし間が空きましたが「引き寄せの法則」続編になります。少し時間が経つにつれて、もすこし違った面があるのではないかという考えが浮かびました。「引き寄せ」と呼ばれるものは、通常個人的な願いや望みに対して用いられることが多い。自分によきことが起きてほし
前回のつづきです。そんな中で、「重要」かなと感じられるもの、それは何でしょう。施術する側にしかわからないポイントと誰もがわかること。施術家と一言で言っても、知識や経験だけで対応していると、見落としがちなのは誰でもあることなので、施術する側の人すべて
花粉症が増えている。らしいです。昨年まで症状が無かった方の中から、今年から強い症状に見舞われる方が増えているようです。そういうわけで、当院に通ってある方の中にもそのような方が現われます。年齢によりません。それで、施術をすると、なぜかすごーく楽にな
ある勉強グループに参加したときのことです。そこでは、引き寄せに関することがテーマとして出てきました。引き寄せとは、人がもし何かを望むのなら、個人的努力よりも、それに相ふさわしい法則に従うことが効果的である。という考えです。具体的にはさまざまなもの
施術後、「カラダの中が動いている」感じでした。と感想を述べられた方がいました。この方は、楽我院・バランス研究所で何度も施術を受けてある方ですが、「他の方はどんな風に言われますか?」と関心を寄せられます。そこで、「反応は人によりますし、感じれない
「最近、なんだか醒めてみてしまう自分がいます。子どものことでも、子どもが勉学に興味を示しているにもかかわらず、『そうね、、』くらいで、さらに励まし、啓発しようとする以前の自分がいないのです。不安を感じるのですが、大丈夫でしょうか。」とうお尋ねを
痛みがあって整形外科を受診。その後、施術を受けて、随分と楽になったが、一応もう一度病院に行ってみた。すると、「今日はどうしましたか?」と逆に尋ねられました、と。そこで考えられることは、ふつう、痛みが軽減したら来院しなくなる方が多いのでしょう。反対
お仕事にかぎりませんがいろいろな出来事があります。テレビやSNSにおいても。そんな中、「これでいいのか」というシーンに人は出会うことがあります。これは、いつからそうなのか。人道的、法的に許されるのか。そんなシーンに出会うと、人は深く考えたりするもの
先日、次男の死に伴いお世話になるようになった日蓮宗のお寺の「節分」法要に足を運びました。次男の死は、突然で、病気の発病から2カ月という期間でした。彼にとっては、結婚式をあげたわずか半年。病気が告げられたのは、結婚式からたった4カ月半しか過ぎていない時
「急激な痛みに耐えかねて、病院へ行きました」これは私のことではありません。定期的に来院頂ている方の一声です。「最悪、手術と言われてしまいました。」と。それではみてみましょう。と言うわけで施術を終え、ずいぶんと楽になって笑顔が戻りました。「痛み
ほとんど口にしない言葉のひとつが「ヒトとして」。いろんなシーンで耳にする方もあるでしょうし、何かを他者に共感をもってもらうにはとても強力なコトバなように思われます。「ヒトとしてどうなの?」「ヒトとして失格」「ヒトとしてあるまじき・・・」そんな
自分の習慣などを改める際には、意思の力を使うよりも、許可が有効であることが知られています。とかく現代では、意思の力が重要視されます。どういうわけか、わかりません。世界は不思議でできている。モノゴトがうまくいかない。続けられない。それはみな「意志の
・施術において、施術において、深いリラックスが促され、眠ってしまう方がおられます。施術の時間はあまり長くないと思いますが、その間に、心身の深いリラックスが生じているのは確かです。理由を施術後尋ねられることがときどきあります。「これが、私たちの本
前回のつづきになります。おそらくユーチューブで番組をつくられ、視聴者?が継続的に確保できているという事実からすると、これらのことに関心を寄せる人が、オカルト大好き人間の他、リベラルな方々の中にも一定数おられると考えられます。そこで、リベラルな方
今はテレビでもユーチューブが見れるらしいです。「これ何?」と聞いたら、家人から「ユーチューブ」との返答。何を見せられるのかと思っていると、T、誠鮮さんとY、邦夫さんとのオカルトユーチューブのようでした。関心はまったくないものの、しばらく視聴してい
そんなシーンは生きているとときどき出会うものです。そんなとき、あなたはどうしますか?そもそも、どうしてそんな気持ちになるのでしょう。どうしてそれが「必要」だと感じられるのでしょう。それは、不意に心の中で生じるものです。それが生じる原因は、自覚さ
不平不満が生じるその重要なポイントは外側にあるのではなく、私たちの内側、記憶にあるということはあまり知られていない事実です。こう書いていても、反論の声がそばまで聞こえてきそうです。まあ、当然と言えば当然です。私たちには、自分自身の外側に不平不満の原
不平不満を口にする人を好む人はあまりいないようです。あるところでは、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、」などを言っていると運が悪くなる、ツキが逃げて行くと説かれているようです。それって、きっとそうなのでしょう。理由は不明ながら現象がそのように見
当院では、全身のバランス調整を主眼として施術を行っております。とはいえ、実はカラダのバランスが重要だと感じるのは、それが頭の緊張をもたらすからです。多くの人が、腰や肩、頭痛は実感されやすいにもかかわらず、頭の緊張は意外とほとんどの方の注意を引かな
ここ数年は天候が急激に変わってきていることは多くの人にとって周知のことでしょう。気温や気象の変化も局地的な対応が求められることも多くあります。カラダもいろんな変化に対応し続けています。ここ最近の日中は温度も高く、日差しもとても強いです。半面朝夕は
・前回の補足。どうして、怒りそのものよりも一旦怒りが去ったあと、回想と共に強化されることがよろしくないか。もし、怒りがおさまったあとに記憶として思い出される場合を考えてみます。「なんで、あんなに怒ったんだろう。まあ、いいか。そんなこともあるか。」と
「昨日とても怒ってしまいました」と施術の後で告げられました。そこで、どんな風にですか、と問うと自宅の小規模リホームで入ってもらった業者さんとのトラブルだということでした。詳細は省きますが、契約の話と随分違う。話が二転三転する。予定がころころ変
自分の意図しないことでミス、損害を与えたてしまったら。失敗やミスは通常、意図しないで生じるものです。特別の場合を除き、ふつうはそうです。事故や他者に損害を与えてしまうことも、そのほとんどは故意でないことが多い。それでもミスや失敗、事故などは生じる
不平不満を口にする人を好む人はあまりいないようです。あるところでは、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、」などを言っていると運が悪くなる、ツキが逃げて行くと説かれているようです。それって、きっとそうなのでしょう。確かに、人は不平不満を短からず、つ
考えるコトが日常、離れられない方が多いゆえの提案です。思考には、二種類あるとします。ひとつは「考える心」。もうひとつは「機能する心」というものです。「機能する心」は必要なモノゴトに対して、自分という観念なしに働く、「今」という瞬間に働く心という
重曹のスゴサ。 鍋の焦げ付き人はときどき注意が散漫になります。ということで、その結果、鍋を焦がしてしまうことがあります。そのようなことが最近起きました。鍋の中にごはんがあったようで(詳細な内容を覚えていない)、すこし水につけておいたけれど、これ
先日、朝倉市にある藤井養蜂場にお買い物に行きました。先代の藤井会長さんとご縁があり、施術を亡くなる直前までさせていただいていたことが思い出されます。雨のため、静かなお店の中に、NHK仕事の流儀に昨年取り上げられ、その番組が店内で流れていたのをしばらく見る
許可が有効は理由とは、なんなのでしょう。自分の習慣などを改める際、自分自身の「意思の力」を頼るよりも「許可」が良いことが知られています。とかく現代では、「意思の力」が重要視されますが、ダイエットや禁煙などへのチャレンジを見てみなくても、意思による変化
個人的に他人の愚痴を聞く機会はほとんどありませんが、他人の愚痴を聞くことの割合は、まったく個人差が激しいようです。どうしてそうなのか。どうしてもそうなのです。理由ははっきりしないけれど、なぜかそうなっていることは多いものですね。ということで、愚
わかっているけど、どうしてなのか。「わかっているけど、どうしてなのか?」あるいは「知っているはずなのに、どうしても納得できない」生きていると、こんなことはよくあることです。すこし補足すると、「頭では」解っているつもりだけれど、ある状況、場面で
会社で同僚なのですが、イヤなヒトではないのですが、その人が仕事をうまく逃げてしまい、自分に負担がかかって困っている。こんなこと、程度の差はあれ、頻繁に生じているのではないでしょうか。「そんなものですよ」と言ってしまうと理解のない人といわれてしまいそ
イライラするのは何ゆえに。それは、自分の外側に由来するのか、それとも内側に由来するのか。ひとは生きていると、いらいらすることはあるようです。そんな折、こんな問いを自分自身にして見ると何か発見があるかもしれません。「この、いらいらはどこからきている