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2010/08/09

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  • 読みたい人は読めば良い。

    遺稿管理人を相応の人格者が務めてくれたら、嬉しいと思うのです。◆

  • 第3413日目 〈Waiting for her to return, ──更新の無期限中断のお知らせ。〉

    当面の間、私事によりブログ更新を中断します。 週1更新への変更でもなく、「無期限中断」なので、次の更新がいつか不明です。 家族のために時間を割きたいので、ご寛恕願う次第です。 Eternal regret to those who pry. ◆

  • 第3412日目 〈翻訳のこと、生意気にも。〉

    洋の東西を問わず、言葉の如何を問わず、翻訳とは難しい作業である。それを実感しながら続けていた「浅茅が宿」現代語訳の筆を今日擱いた。5月12日から始めた記録があるから足掛け2週間、筆を執らなかった日もあるので実質11日間の作業だった。 這々の体で第一稿の筆を擱いた、という感が強い。息も絶え絶え、青色吐息。いまのわたくしの偽りなき姿である。昔取った杵柄の喩えどおり、学生時代とその後ウン十年の蓄積のお陰か、古語辞典も文法書も思った程には開くことなかったけれど、或る程度までは原文に沿った現代語訳になったろう、という自負はある。が、その自負が危ない。 何十遍読んでいようと、翻訳と通常の読書はまったく異なる行為である。翻訳に読み流し、思い違いは御法度だ。誠、翻訳とは窮極の読書である、とはよういうたものじゃ。それは精読を否応なく要求する読書なのである。言葉の一つ一つと文法を正確に読み解き、援用..

  • 第3411日目 〈「行く道を阻むものはすべて排除せよ。そこに私情を混ぜるな」〉

    検査はまだまだ続くけれど、取り敢えず自分がいま為すべきが見定まった。 今日は日記とそれに添付してある、または関連する写真の整理と破棄を済ませたところ。1年近くモバイル端末とPCのなかにあり、各々のHDの容量を無駄に喰っていた日記と写真だ。 むろん終活に非ず。 ──すっきりした気分。後ろ髪引かれる部分は多々あるが、進むためには仕方がない。「行く道を阻むものはすべて排除せよ。そこに私情を混ぜるな」とは誰の訓えだったろう。(以下、大幅削除) 件の日記も写真も、残しておくのは恥以外の何物でもない。おまけに、もう忘れている相手に迷惑をかけるだけだ。 禍根を残したくない。幸せに影を落とすべからず。ただそれだけのこと。 ……あれ、これはやっぱり、終活? まぁ、片附けを早くから始めるに越したことはないね。◆

  • 第3410日目 〈死神よ。明日から、君と僕とでレースをしよう。〉

    目の疲れも手伝って1日に短編1編を読むのが最適解となっているこの頃、思うように短編集を読み進められないことに溜め息を吐いている。 この遅さ、読む姿勢(体勢)や周囲の照光具合などに由来するかもしれないが、以前程に集中力が続かなくなっていることもあって案外、これがいちばん肉体的にも精神的にも負担をかけないペースなのかもしれない。同じ理由から、「浅茅が宿」の現代語訳もなかなか進んでいないのである。 ──(大幅削除)なにがなにやら分からない。現実味がまるでない。まだ決まったわけではないとはいえ。余命宣告かぁ……。死んだあとまで迷惑をかけ、悲しみと怒りの涙を流させるとは、なんと薄情者じゃ、親不孝者じゃ、わたくしは。 せめていま読んでいる短編集は読了し、「浅茅が宿」現代語訳は決定稿まで完了させたいね。 さて、死神よ、明日から君と僕とでレースをしよう。どちらが先に本懐を達成するか。追い..

  • 第3409日目 〈英国某州の怪談実話パンフレットを発掘して。〉

    捜索の結果、件の古典文法書は見附かったこと、既に過日の話題とした。今日はそのオマケである。 ガタゴト、ガタゴト、日中騒々しく音を立て、時に積みあげていた本が崩れて連鎖反応でドミノ倒しが発声した。復旧作業のためダンボール箱の開梱と捜索は一時中断の事有りと雖も、再開して行方不明の本を新たに見出す喜びあらば中断の愚痴は水へ流そう。 殊新たに見出したのが、数こそ極めて少ないながら英語の書物の翻訳の、実質的出発点(この前にビアースの「モクソンの人形」があった)となった英国Leicestershireの怪談実話パンフレットとレスター市の地図、2冊ともなれば尚更。 誰しも経験があろう、単語の下に和意を書き入れ、余白に文法の補足や試訳で、パンフレットのページも満艦飾である。いやぁ、懐かしい。載るは全22編。1エピソード1ページが主なので、日本語へ移してもそう分量はない。400字詰め原稿用紙に..

  • 第3408日目 〈電車のなかで、勅撰和歌集を読んでいた頃のこと。〉

    絶讃就職浪人中だった1994年の頃、月1回の神保町通いと週2,3回の母校訪問は欠かさなかった。母校がお茶の水にある以上、必然的に神保町へ出ることありと雖も、主目的が違うから、と言い訳して。 母校を訪ねても就職絡みのそれではなく、先生方のお話を伺う、或いは相談する、が主目的であったことで薄々お察しかもしれないが、ホント、どこまで一般企業への就職に真面目に取り組んでいたんだろうな。でも、あくまで当時、仕事にしたく思うていたのは、研究者だったから……。そのくせ、演劇コースの人から紹介されて俳優座の演出助手の面接には出掛けたけれど。 お茶の水と横浜の往復の電車のなかで読書は欠かせぬ習慣だった。ミステリ小説や怪奇小説にウツツを抜かしていた筈だけれど、なにを読んでいたのか、かなり時間をかけないと思い出せない。より一層鮮明に覚えているのは車中、一心不乱に岩波文庫から出ていた(及び、タイミングよ..

  • 第3407日目 〈石原慎太郎の小説を読んでいました。〉

    逝去に伴い時間を見附けて石原慎太郎の短編をちょこちょこ読んでいた。こんなにまとめて石原文学に接する時間を持ったのは、正直にいえば学生時代以来のことだった。 読後感? 未だ鮮烈で熱量を放つ作品である、と回答しよう。石原慎太郎の小説といえば昭和30(1955)年の「太陽の季節」に始まるが、ここに代表される初期作品群が群を抜いて読み応えあり、なかば暴力的ともいえるような吸引力と魅力を放っている。時代が下るにつれて、まぁそのあたりは飛び飛びに読んでいるので「なにをか況んや」なのだが、パッ、としたものは目に見えて減っていったようである。『弟』や『天才』などはもう涸れきった、出がらし茶を飲まされているような気分である。ベストセラーになったのは単に題材ゆえだったのか、と思えてならない。 小説に関しては初期作品群だけでいいかな。中後期の作物に関しては幾つかを摘まめばそれで良い。中後期に関しては政..

  • 第3406日目 〈ブロンテから、ショーターを経てワイズへ。そうして再びブロンテへ。〉

    高2の夏休み、雨降りが続く田舎で何日かを過ごした。お盆前の数日、祖母宅に泊まったのだ。そう、しとしとと小雨糠雨の続いた夏だった。歯科医の祖母の手伝いや話し相手、お墓の掃除等々用事のないときは殆どの時間、エミリ・ブロンテ『嵐が丘』を読んで過ごした。田舎での初日の夜、祖母に連れられて外食した帰り、タクシー待ちの間に足を踏み入れた小さな本屋さんで購入した集英社文庫、永山玲二訳である。初めてのブロンテ文学でもあった。 その直前、図書館から1冊のブロンテ伝を借りて、旅行先まで持っていって読破していた。中村佐喜子『ブロンテ物語』(1988/02 三月書房)がそれだ──旅先で紛失したら、どうするつもりだったんでしょうね?──。中村の訳書には旺文社文庫版『嵐が丘』があり、角川文庫版『赤毛のアン』シリーズや『若草物語』シリーズ、『あしながおじさん』などもある。 『ブロンテ物語』は後日、自分用に横浜..

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