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わだつみの華 https://blog.goo.ne.jp/wadatsumihirohime

あなたの心のなかを、ここちよい風が吹き抜けますように。

ライフスタイルブログ / 感謝と祈りの暮らし

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wadatsumi−hirohime
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2010/05/20

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  • 世界平和の祈りは 神のゆるしの祈り言(1)

    本心というのは私たちのこのいのちをかがやかせている神の愛とゆるしと智恵と光明燦然たる世界です私たちのふるさとですこのふるさとの道を歩いてゆくと宇宙の大調和神々の愛のひびき宇宙神のみこころの奥へとたどりつきます我々が神の分生命(わけいのち)であるということ一人びとりが神のいのちのわかれ光の末であるということに思いを至らせるとき神様ありがとうございます本心さんありがとうございます世界人類が平和でありますようにという祈り言になってゆくのであります世界平和の祈りは神の人類をおもう愛念の結集であり平和をもたらさんとされる神のゆるしの祈(の)り言であります何のとらわれもこだわりもなくひとつのひっかかりもない澄みにすんだところから人類全体を光の子として神のいとし児としてとらえなおしをなさろうとされる神の約束の祈り言であ...世界平和の祈りは神のゆるしの祈り言(1)

  • 神は いのちの憩うところ

    神という言葉のしたわしさなつかしさ幾多の詩人たちがあなたへの愛をうたった郷愁をうたった我しらず人はあなたをよびあなたをしたう神よわが愛のふるさとよわが愛のゆきつくところわがいのちの憩うところ私はしずかに本心の座へと歩むあなたの愛へとあゆむ平成元年12月26日神はいのちの憩うところ

  • 本心にかえる

    本心にかえるということはふるさとにかえるということですふるさとをおもうことは神を呼ぶことです本心にかえる

  • ふんわりと

    ふんわりと世界平和の祈りのエレベーターにのって光をむすびいのちを結んでゆこう祈りの座本心の座神の愛へとかえってゆこうふんわりと

  • 神の器として 用いられる時がきた

    本心と本心があいさつをかわして光が結ばれるいのちといのちがこもごもに祈りをかわして神の光をあびる私たちはそのいのちを本心をこの身におびているのだ世界人類が平和でありますようにという祈り言にのって私たちはかぎりなくあたらしくされる光の進軍それは人類の高く深い進化のための進軍である宇宙の星々の兄弟たちが天使たちが前後左右から私たち一人びとりのいのちをささえて私たちを宇宙神の愛のみふところへと先立って案内の労を執って下さるのだ何もわずらうことはない何もおそれることはない赤児のように純に私たちは私たち自身の奥にある光を世界平和の祈りのなかでつよめてゆけばいい今こそ地球は平和になるべき時がきたのである世界平和の祈り言が宇宙にとよもし我々一人びとりが神の器として用いられる時がきたのである神の器として用いられる時がきた

  • 祈りは 神様と人の対話

    祈りというのはどういうものかというのは、考えれば考えるほどわからなくなる。まじめな信者さんである程そういう質問をよく受けます。そういう人ほど良心的で考え込んでしまって、自分ができていないのに人に薦める訳にはいかないとか、共に祈るような資格は私にはないんじゃないかとか。そうなるとちょっとノイローゼに近いくらいに悩み込んでしまっている。祈りというものは、神様と私の対話なのです。と同時に、世界人類と私の祈りでもあります。この場合の世界人類というのは、地球の世界人類だけではなくて、宇宙全体の宇宙の星の兄弟たちとの一人一人との、その交信も含みますね。ですから、真に広い幅になる訳です。そこまで考えていくと、私どもの世界人類が平和でありますようにという祈りというのは、非常に大きいし深い。そして、自分ができるかできないか...祈りは神様と人の対話

  • 宝について

    私のところへいろんな人が来ます。まあこういう言い方をすると誤解する人もあるかもしれないけれども、地位のある人も来るし、お金を持ってる人も来るし、社会的に名誉をもってる人にも会ったことはあるし、かと思うと、その日をどうやってお米代を出そうかといって悩んでる悲しんでる人も来ましたし、未だにいろんな人の姿をこちらから見ておりますが、つくづく思う事は、余分なものを持たないことの清しさ。ところが、人間というのは余分なものを持ちたくなる。でまた、持ちたいと想う時、持たされている時というのは、余分なものだとは思わないですね。例えば、会社に勤めていて、月給が上がっていく。上がっていくことはそれで生活が楽になってくる事だから、それは安心立命の元なんで、良かったですね、としか言いようがない。普通ならばそうなんだけれども、だん...宝について

  • ゆるされている生命(6)

    (前日からの続き)重荷を重くするのが神様じゃない。重荷を軽くするのが神様なんです。ですから、今どんなに打ちひしがれてる人でも、どんなにどうにもならないと思ってる人でも、どうにもならないと思ってることが、それが消えてゆく姿なんですよね。どうにもならないというのは、だから、それを押し込めるんじゃなくて、自分は白光の教えを聞いてるのに何でこんなんだろうと責めるんじゃなくて、あーそうなんだ、消えてゆく姿なんだと思って、そして、それを思いっきり出して、泣くなら泣く、叫ぶなら叫ぶね、出して消していただいて、そしてまた生命をいただいてね、ゆるし放しの愛と平和の元の神様というものに礼拝をし直して、いただき直しの生命で、毎日を明るく生きていくということが、一番我々がこの困難の中から救われていく大元の元になっていく訳なんです...ゆるされている生命(6)

  • ゆるされている生命(5)

    (前日からの続き)この世の中でいえば、信仰しない人は救われないとかいろいろ言うけれども、そんなんじゃないんです。それだったらもう小乗(しょうじょう)以下なんですね、大乗(だいじょう)と小乗とあって、大乗というのは勝れた乗り物という意味だけれども、勝れた乗り物というのは神様の大きな大きな大愛で、その愛とゆるしの光そのものなのです。その愛とゆるしからいうと、神様というのはついぞ人間を責めた事がない。ついぞ人間を裁いたことがない。その裁いた事がない神様に、我々がこの生命をこの心を捧げて生きていくことが出来たら、その時に、神様の方の喜びも大きくなるし、我々の方にいただいている光だってますますその輝きを増して、この世の中で成してゆくべき仕事ですね、肉体の中で関わっていかなきゃならないこと、悩まなければならないこと、...ゆるされている生命(5)

  • ゆるされている生命(4)

    (前日からの続き)祈りの場というものは、人間が作るように思うけれども、本当は、人間というのは見えないところで祈って祈って祈り抜いてる。自分が意識しようとしまいと、本体というのはずっと祈りの座についていて、自分というのは神界にいて、光になって祈ってる。神界にも自分自身がいる訳ですから。そうして、御心と一体になって、こっちに光を送ってる。こっちからも光を送ってる。光の呼びかけ合い、呼び合いをやってる訳です。呼び返しの中で我々は生きてる訳なんですね。それは何の光かというと、ゆるしの光なんですね。だから罰も何も無い。罰を当てるとか当てないとか、そんな狭苦しい、そんないい加減な世界じゃなくって、その光のシャワーを浴びてる時というのは、人間は本当に自由になってる。本当に神の御心の中に入っている自分自身になってる。それ...ゆるされている生命(4)

  • ゆるされている生命(3)

    (前日からの続き)苦労が一概に全部いいかというとそうではないけれども、そうじゃなくって、それは何かというと、自己ではない他己の生命、その人の立場その人の気持ち、その人が何故そういうことを言ったか、何故そんなふうに怒ったか、自分に敵対したか、あるいは協力をしてくれたか、何故あそこまで骨惜しみせずにあの人は生きることが出来るんだろうかとか・・・。それはやっぱり、相手の立場というものを想いやるということがないとやれないんですね。で、その想いやるというのは、神様でもない限り、自分の環境以外の事、自分の価値観以外の事を分かる、理解してね、寄り添ってそして生きて祈って、そうだなあと思いながら、共に生きるというのはなかなか難しいんです。それをやろうと思うとね、やっぱりどっかで苦しむ。例えば病気になる。父と息子がうまいこ...ゆるされている生命(3)

  • ゆるされている生命(2)

    (前日からの続き)人間の心というのは、ただひたすらに素直になりたいというか、神様の方へ向いて行きたいというか、それが本来なんですけれども、この世の中の憂さ、辛いこと苦しいこと悲しいこといろんなことによって、素直になりたいけれども素直になれない状況というものが自分の中に生まれてきて、あるいはまわりに生まれてきて、とてもじゃないけれどこの世の中は公平だとは思えない。とてもじゃないけれど、今自分が幸せな状態だとは言えない。というふうなことがいろいろ生まれて来ますとね、これをこちらへ向けばこうなるんだというような、そういう強いられ方でその絶対者に向けと言っても、向けられるもんじゃないんですね。で、簡単に申しますとね、人間の心というものは本来自由です。何故自由かというと、神様から来ている我々は分生命なんですね。そし...ゆるされている生命(2)

  • ゆるされている生命(1)

    我々の生命(いのち)といいますか、生命と言ってしまうと、皆さんの想像が何処へ行ってしまうか、いろんな所へ行ってしまうとまた面倒なんですけれども。我々自身ですね。このいろんな性格を持ってる我々自身というものを、そのままに、神様というのは抱き取って、そして、ゆるして下さってる。特に我々のまわりですとね、日本など、そんな事をすると罰が当たるよとか、それも微風を残すために穏やかに、そんな事をしちゃいけないよと言うのならいいけれども、そうじゃなくて、この頃ずうっと世の中を見ておりますと、それは先祖の祟りなんだとか、おまえの心がけが悪いからだとかそういう何か、責めるといいますかね、苛めると申しますか、そういう形で強制しようとする。正していこうとする。自分の説いてる道が一番正しいんだと言って、これを信じなければ駄目だと...ゆるされている生命(1)

  • 宇宙神と同格ということについて(5)

    (前日からの続き)父子御霊とキリスト教でいいますよね、三位一体。あれは、父子御霊というふうに分けることが出来ないんです。あれは本当に一体なんです。たとえば、愛とゆるしと平和というものがそれぞれ違うもんですかといったら、これはみんな一つらなりに連らなってるというのと一緒なんです。我々は神から分かれてきた生命であるというのは、じゃあ神様と人間の生命とはどんなふうに違うんですかというのは、それは正解じゃないんです。一緒なんです。一緒なんだけれども、ただ今のこの世の中のいろいろな現われでもって、自分の状況でもって、その言葉なりを測ってしまうと、自分の想像でもって測ってしまうと、とてつもなくおかしな事になるわけね。そうではない。本体において神体において本来心において、我々は一時(とき)も神様から離れたことはない。宇...宇宙神と同格ということについて(5)

  • 宇宙神と同格ということについて(4)

    (前日からの続き)今は、魂というか、そういう本来心がどんどんどんどん磨かれていって、どんな時にもみ心の中へ入るようにやっていかないと、この地球の汚れというものは、なかなか大変なんですね。今ずい分掃除が出来てるけれども、でも根っこの所もまだまだ一杯大変なものがあるから。それで宇宙神と同格だというのは、それも本来本当の意味だけれども、あなた方を励ます、ね。萎縮(いしゅく)するんじゃなくって、縮むんじゃなくって、そうだそうだ生命の本当の本当の底のところで我々はそうなんだと宇宙神のみ心の中を見てみると、自分がまわりを平和にしたい、ゆるしていきたい、自分もゆるしていきたい、健やかに育っていきたい、生きていきたい、というのと、宇宙神の方からこちらを見て、いい人間一人一人を本当に愛してゆきたい、ゆるしていきたいというの...宇宙神と同格ということについて(4)

  • 宇宙神と同格ということについて(3)

    (前日からの続き)普段は、自分が光明体であるということを皆忘れて生きているんです。何故かというと、この世の中というのは、忙しいんですね。仕事しなきゃなんない、連絡しなきゃなんない、子供の面倒はみなきゃなんない、夫婦の中で解決しなきゃいけない問題がある、親子の中で解決しなきゃいけない問題がある、家庭はある・・・。そのことで自分が光明身だとか、そういう体を持ってるとかということは、なかなか肉体のこの意識からはのぼって来ない訳なんです。で、心を鎮めて、皆で統一してさあ祈りましょうという時には、それはスーッと出て来やすい訳ね。それは、何も祈ったと同時に自分自身が変わるんじゃないんです。自分自身というものは本人が意識するしない、あなた自身が意識するしないに関わらず、光なんです。何故かというと、神様から分かれて来てい...宇宙神と同格ということについて(3)

  • 宇宙神と同格ということについて(2)

    (前日からの続き)同格だというのは、何において同格かというと、皆さんの奥の奥の悟ってる本体、神体ね、肉体じゃないですよ。神体、本来心というものがね、何によってできているかというと、宇宙神からの光明と(光と)ですね、愛と、そういうものによって生きてる訳なんです。宇宙神の愛というのは、これはもう極まりのない愛なんですね。すべてのものを生かそう、すべてのものをより良くもって行こう、敵も無いんです。味方も無いんです。あるがままなんですね。そういうものが、我々のこの肉体、我の強い肉体を通して光になって、そして、我々は肉体の生命を養ってもらってる訳なんですね。そして、自分の内の奥の奥にもそれと同じものがある。そういうことを考えますとね、つまり、我々というのは意識するしないに関わらず、愛したいと思う、仲良くやりたいと思...宇宙神と同格ということについて(2)

  • 宇宙神と同格ということについて(1)

    今まで何度か説いてきましたように、人間の生命の流れというものは、本来、宇宙神のずっと深いところまで繋がっているんだというところまでお話ししたかと思います。それでこの間、直線的に昌美(現会長)が宇宙神と皆さんとは同格であると、そういうことを言ったかと思います。それで今聞いていると、諸説紛々だというので、じゃあちょっとこちらからのメッセージを言ってみようかと思うんですけれど。同格というと、同格という言葉にまた把われるのが人間なんですね。じゃあ同格というと宇宙神とまるで同じということになると、じゃあ宇宙神というのは何かというと、すべてのすべてなんですね。生命の元の元。人間の生命だけじゃなくって、この宇宙全体を造った、もう造ったも何も造る前からいた。それと同じかということになると仰天しちゃう訳なんです。何故かとい...宇宙神と同格ということについて(1)

  • 心のながれについて(4)

    (前日からの続き)私に言わせれば、さっき言ったように、人間の生命というのは神様の分生命(わけいのち)ですから、神様の光を一瞬でも滞らせちゃったら、これは生きていけないんです。人間というのは。だから、器としてどういう風に用いられるか分からないけれども、その用い方は皆違うんだけれども、しかし、この人間はまだこの世に用があるという場合は絶対に御用済みにならない。今日目覚めて、そして生きてるということがわかったら、あーこれは生かして下さってるんだ、生きてるんじゃない、生かして下すってるんだと。だから、自分がどういうふうに器となっていくか分からないけれども、全身でですね、お任せします、よろしくお願いしますと言って、守護霊さん守護神さんに言い続けてごらんなさい。あるいは、五井先生に言い続けてごらんなさい。そうすると、...心のながれについて(4)

  • 心のながれについて(3)

             (前日からの続き)人間の生命というのは、神様の霊的なそういう健やかなところからの流れが来ないと止まっちゃうんです。生命というのはね、神様の分かれだから。だから、神様の方で、この人間を何かの形でまだまだ生かして、器として動かしてゆかなきゃと思うかぎり、我々は死にたいと想ったって生きていかなきゃいけない。死ぬことを許されないわけなんですね。霊界移行を勝手にできないようになっている。例えば、お金がない、明日からどうしようという所までいっても、そこで、あれっと思うところで道が開けてくる。神様なんだから、お金でも何でも自分の思うままに湧かせることが出来るんじゃないかとか、いろいろあるんですけれどもね。ただ人間の生命というものは前生も前々生も生きてここにこうして存在しておりますから、いろんな借金返し...心のながれについて(3)

  • 心のながれについて(2)

    (前日からの続き)この肉体は食べなきゃ我々は死にます。飢えれば大変なことになりますね。そのために働かなきゃなんない、お金を得なきゃなんない。そういう想い煩いが霊界に移行すると、一回こうすっと抜けるもんだから、いろいろな痛みや煩いがないぶん、余分なものがなくなって働きやすくなるわけね。で、働きやすくなるというのはもっと厳密にいいますと、これは素のまんまになる。素直になる。その人の本心が現われてくる。そういうことなんですね。我々世界人類というのはですね、人間一人一人というのは神様の御心の分かれなんです。生命の分かれなんですけれども、その御心と心を一つにしていく、本当のところをいえばそうですね。それで生きてる。神様の生命を貰って生きてる。生命を生き生きとさせる。心をひそめてずっと自分の心の流れをみていくと、本心...心のながれについて(2)

  • 心のながれについて(1)

    我々が毎日誰よりも親しく付き合っているものというのは、考えてみますと、心ではないでしょうか。朝起きて、さわやかに目覚めることが出来たとか、あるいは、ちょっと睡眠不足で体がだるいなあとか、そういうことを感じる。覚知して、そしてくたびれているにしろ何にしろ、起き上がるというのは、それはやはり気持ちの働き、心の働きであります。我々はよく自問自答なんてことを申しますけれども、自分に問うて自分に答えるというのは、毎日毎日自分で無意識でもやっている訳ですね。自分で考えて、ああお茶を飲みたい、誰かに会いたい、こういう予定がある、というのはそれは記憶ということもあるけれども、それをしたいとかしたくないとか、面倒くさいなあとか疲れたなあとかということも含めて、それは自分の気持ち、心と対応し続けながら、毎日肉体を養っている訳...心のながれについて(1)

  • 心のながれについて 序

    この法話集は、人間本来の明るい天命について述べたものである。本来の我々のいのちが、神の明るい大生命の光をうけていることを知ることによって、我々は肉体をもったまま、霊人となることができるのである。神の愛とゆるしと光とを感受していただければさいわいである。昭和63年8月22日五井昌久心のながれについて序

  • 祈りのなかに 生きる

    ちっぽけな人間というのはそれは肉体人間のおもいがつくり上げたすがたです人間というものの広大さをみんなしらないのです祈ってごらんなさいそうするとゆたかに無限にひろがってゆく自分が展開されてゆきますから人間は神につらなりむすばれているいのちなのですですから神のこころを一人一人がこの身にうつして生きているといってもいいのであります祈りによって内側からかえられてゆくときつまり本心がひらきみなさんの霊性が開発されてゆくにしたがってそれぞれに余計なことをおもわなくなってきますあれこれと思いわずらわなくても私たちは必要に応じた態度をその時々に折々にとることができるようになってゆきますかろやかに生きることができるのです世界平和の祈りというのは全託のこころをそだてるための全託行ですこの世でもっともやさしい全託行ですからうし...祈りのなかに生きる

  • 宇宙大 無限大の祈り

     〇世界平和の祈りというのはちゃちな祈りじゃないんです宇宙大無限大の祈りなんですそしてみなさんはもうそのなかにすっぽり入っているんだから一生懸命に祈って生きて下さいそして光をふりまいて下さい宇宙大無限大の祈り

  • 一つの実行というものが大事

    〇一つの実行というものが大事です祈りでもそう祈らなければ祈らなければなんていってる間に空念仏におもえてもいいから世界平和の祈りを唱えることです一つの実行というものが大事

  • 神さまは 無限なるやさしさと 無限なる愛

    〇神さまのことをおもうと私の心はやさしさでいっぱいになるそれは神さまが限りなくやさしい方だからだ神さまのことをおもうと私の心は愛でいっぱいになるそれは神さまが愛にみちておられるからだ 神さまは無限なるやさしさと無限なる愛

  • いのちの朗らかさを 伝えたい

    〇かたくるしくないおしゃべりのようなかたちで神さまのことを伝えてゆく人が増えて欲しいねそうでないといのちの朗らかさが伝えられんものいのちの朗らかさを伝えたい

  • 人は 神にむすぶいのち

    〇人というのはずっとその心を追ってゆくとかならず神さまにたどりつきます神にむすぶいのちそれが我々なのです人は神にむすぶいのち

  • 光をみたり 霊能力を得たいなどは…

    〇いたずらに光をみようとか霊能力を得たいとか思わないですべてを神さまに任せて下さいそういうものが必要な人はつまりこの世で役立つために人の役に立つために必要な人は嫌だといっていてもあらわれてくるんですしそれに元来人間は霊なんですから何もあらためて騒ぐ必要はまったくないんです光をみたり霊能力を得たいなどは…

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