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2010/04/16

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  • 大晦日

    大晦日という言葉には何とも言えない特別な響きがある。外国語にはない訳せないのではないか。もう紅白もほとんど見なくなり年越しそばを食べるくらいだが、大晦日の何とも言えない静けさが好きだ。知らないうちに過ぎた日を振り返る。一時自分探しの旅に出るなどということが流行ったようだが、旅に出て自分が見つかるだろうか、世界は見つかっても自分は見つからないような気がする。お父さんと呼ばれて父になりじいじと呼ばれて爺さんになった。先生と呼ばれてまさか自分のことと思いながら医師になった。自分というものはそうしてできてきたように感じる。保守的と言われるかもしれないが家族家庭の中に自分と大晦日があるように振り返る。大晦日

  • 寒波到来

    寒波到来と言っても高々2C3Cで真冬日の北海道に比べたら霞のような寒波だが、寒さに慣れていないので寒い。おまけに寒いと皮膚が痒くなって困る。蕎麦は冷たい方が旨いと思っているが、こう寒いと暖かい鰊蕎麦や天南蕎麦を頼んでしまう。残った暖かい汁をどんぶりを持っていただくのが何とも旨い。寒さには暖がご馳走だ。ところでいよいよ押し迫ってきたが、今年は貫く棒のごときものが感じられない。去年今年分断させる切り札トランプということか。寒波到来

  • 暴力を押さえるには

    人類誕生からの歴史に戦争は絶え間ない。これまでに非戦闘員の民間人を含めて一体どれほど多くの死者が出ているか想像を絶する。現在も中東ウクライナで戦火がありこの一瞬にも命が失われている。プーチン、金正恩、ネタニエフ・・は狂っていると思う。しかし彼らの暴走を止められない。とても承服はできないが彼らは彼らなりの自分達の方が正しいという理屈をひねり出している。暴力で片を付けるのをどうすれば止められるだろう。異論はあると思うが、暴力に物を言わせる人達が居るのだ。その背後にそれを容認する人達がいるのだ。彼らの力を削がねばならないと思うが、至難の業らしい。暴力を押さえるには

  • 必須の遊び

    車のハンドルやブレーキには必ず遊びがある。もし遊びがなければ、運転しづらくとても疲れるだろう。遊びがあるから、狭い道もぶつからずに通れるし、急ブレーキで酔うこともなく心地よく乗れる。誰がハンドルやブレーキのゆとりを考えそれに遊びと名付けたのか知らないが、人間の動作を深く理解した素晴らしい設計だと思う。車のハンドルやブレーキに限らず、社会生活にも遊びは欠かせない。盆暮れを遊びと言うのは不適切かもしれないが、特に日本社会ではという気がする。外国ではどうなんだろう。必須の遊び

  • インフルエンザ流行

    インフルエンザA型が流行し始めた、毎日十人くらい受診される。困るというか難しいというか、発病して半日くらいで受診される方が結構おられるのだが、そういう症例ではインフルエンザの検査が陽性に出ないことがある。典型的な症状や所見と周りの状況から臨床的に診断できる場合はよいのだが、他のウイルスの風邪と区別がつかない症例もある。インフルエンザと一般の風邪では薬が違うし、インフルエンザと診断すれば自宅待機になるので難しい。診断キットも特効薬もない時代は、さほど悩まず臨床的に診断し、患者さんもそれを受け入れていた。妙な感想かも知れないが、世の中の変化は複合的で、便利一辺倒ではないな。インフルエンザ流行

  • 職種の個性

    職種によって人になにがしか固有の特徴というか気質があるように感じる。例えば同じ飲食業でも寿司と中華では何処がどうと一言では言えないが明らかに違う。いつもの理容店の予約が取れず、ネットで見つけた近くの理容店に出かけた。この繁忙期に直ぐ予約が取れたので人気店ではないようでちょっと冒険だったが新しい店も一興だ。五十歳前後と思しき店主が所在なげに待っていた。どんなふうにと聞かれたのでこちらの希望を伝えると、前回の散髪からの期間を聞かれた。五週間と答えるとおもむろに観察してからカットが始まった。仕事は丁寧できめ細かく、いつもの理容店に負けない満足な仕上がりになった。いつも大体一時間弱なのだが初めてのせいか一時間十分ほどかかり、お値段が僅かに安かったのに驚いた。今までにおそらく二十軒ほどの理容店に行っていると思うが、...職種の個性

  • 曲がる空間

    重力で光が曲がると聞いて驚くことはない、事実が思惑で曲がることに気付けば成程と合点が行く?。難解な理論物理は決して万人のものではないが、どんなに難解でも人の思惑から逃れることはできない。EV(電気自動車)が寒冷地で故障を起こし、急速なEVシフトにブレーキがかかった。突然、EVダメダメという声が溢れたのでEVは本当に駄目で衰退するのかという印象を持たされたのだが、ダメダメと囃し立てたのはEV普及が不都合な関連産業の一部と読まれることが一番の報道記者に何かを叩くのが快感な人達らしく、実際にはEVは改良は必要だが廃れてはおらず、シフトダウンされただけでやはりこれから伸びてゆく自動車産業のようだ。とにかく内実を理解せずに好き嫌いだけで叩く人達が多く、事実が修飾され実際のところが分からなくなってしまう。曲がる空間

  • 光陰矢の如し

    今年もあと一週間とは思いもよらぬ。あまりにも月日の経つのが早く驚くばかりだ。少年老い易く・・・軽んずべからずと連想されるが、それにはさほど後悔はない。多少の後悔はあってもやれることをやってきたと振り返るからだ。思う通りには行かないもの、先のことはわからない。唯、月日の経つ速さに驚いている。光陰矢の如し

  • どうジャロ

    かなり前によくジャロにお電話をというラジオメッセージを耳にした。これは過大広告を規制しようという民間に生まれた日本広告審査機構のことで、成る程怪しい広告はここに連絡相談すればよいのだと安心に感じたものだった。今も活動しているかどうか知らないが、最近は広告も深層心理を考えた巧妙なものになりジャロに通報しにくくなったのではと感じる。宣伝は意図的なものこそ近世になってからかもしれないが、手法と思想は人類と共にあった。人類の遺伝子に組み込まれていると思われる情報連携システムだ。21世紀になり妄想盲信の喧伝がネット通信で容易に可能となった。審査なし、ことの当否よりも愉快が優先される、事実かどうかは二の次の情報拡散だ。ジャロもお手上げか?。どうジャロ

  • 師走よりも車走

    十二月は師走と呼ばれなんとなく気ぜわしいものだが、年を取ったせいか師走感がだんだん薄らいできた。確かに走り回る車が増え道は混むけれども、街の飾りつけはもう一つ大人しい感じがする。普段からある程度広告や飾りつけがあるので、特別感が出ないのかもしれない。もう一つ暖冬なことといつも気ぜわしい世の中の影響もあるかもしれない。今の子供の目に年末がどのように映っているのだろう。懐かしいものが薄れゆくと感じるのは六十年以上前を覚えている年齢になったせいかもしれない。師走よりも車走

  • どうも危うい

    民意を盾にするのは、ちゃんと熟慮した上でとお願いしたい。税金が下がるのに反対の人はまあ居ないだろうが、だから民意だは短絡していると思う。一つの突破口としても、波及を吟味しないで拙速に錦の御旗にすると大局を見失なう恐れが出てくる。Mけしからんと糾弾、民意だと席を蹴るのはどこか脅しのようにも見える。社会の構造動き政治も決して単純ではない。マスコミの自立力は不十分、猪突しやすい。公開した議論を尽くし複雑な内容を吟味して合意を目指すのが政治家の仕事では、民意は議席数に反映されている、それに従って政策を探るのが民主主義の本筋のように思う。どうも危うい

  • 今年も予約取れず

    もう十年以上今の床屋に通っている。予約制で、ちょっと不便なのだが慣れた。もう漫画や週刊誌を読みながら待つ時代ではなくなったようだ。しかし困ることもある。年末は混んで予約が取れなくなるのだ。もっと早く電話すればよいのだが、一週間前では遅すぎた。いつも二三日前に電話するので少し前倒しで電話したのだが駄目だった。確か去年も一昨年も年末予約が取れず、やむを得ず他のところへ行った記憶がある。どうも年末は一か月前から予約を取っておかないと駄目らしい。次回の予約を取って帰る客もあり、自分もそうすればよいのかもしれないが一か月先は予定が不定なのだ。未知の店も一興か?今年も予約取れず

  • 雪が嬉しいですと

    日本の国土は小さめなのだが列島を形成し南北には長いので地域によって気候の違いが大きい。それに同じ緯度でも日本海側と太平洋側では冬が随分違う。当地は冬に雪が降ることは珍しく積もるのは四、五年に一度くらいだ。「雪が降ると嬉しかった。授業を中止して裏山へ雪だるまを作りに行った」。「冬は教室が寒かった」などとゆう話をレストランのマダムがしたら、雪国育ちの友人が鼻白んで雪が嬉しいだって、小学校の教室が寒かったってと驚きあきれていた。それだけ同じ日本でも気候が違うのだ。この頃はズーズー弁などというと差別と注意されるので話題に上らないが、テレビラジオで平準化されてきてもなまりは残っているし、当然地方で気質も違う。地方なまりは今に残る歴史で、世界各地で認められる、人の育ちの証でもある。人間の情報源は多彩で広がったかもしれ...雪が嬉しいですと

  • これであるいはこれが、農業か

    ユーチューブでは一つの分野を登録者数を目安にランダムに二十選べば大きな偏りのない情報が得られると見積もっている。尤も、こうして表題だけで選ぶと何だか変というか個人的に視聴続けられないものも混じってきてしまい削ることもある。もう十年若ければ、見続けられるのかもしれないが後期高齢者になると堪え性がなくなる。残念ながら英語以外の外国語は理解できないので、日本語と英語のユーチューブから選んでいる。最近アメリカの農家ものを見て面白かったので、早速農家もの(主にアメリカ)を二十ばかり集めてみた。見ていると農業には違いないが、工場のように見えてしまう。日本の農業と規模が全く違い、使われているトラクター、収穫機械、収納倉庫など馬鹿でかく、知識としては知っていたが実際を見てみるとなんだこれはと驚いてしまう。何というか気の良...これであるいはこれが、農業か

  • 変わりゆく外食店

    半世紀前は街角にラーメン餃子レバニラ天津飯の中華の店があり、ところどころに寿司屋うなぎ屋があったものだ。ところが吉野家を嚆矢とする外食チェーン店が徐々に全国展開を始め、二十一世紀には個人外食店は淘汰され始めた。外食する人の数はむしろ増えていると観察するが、それを賄うのは圧倒的にチェーン店になった。チェーン店の価格を小規模の個人経営の店で提供するのは難しいようで、たとえ四、五軒二十キロ四方でも連携する店が増えた。勿論、全く自立した洋食屋や中華の店はあるが、特色がありやや高価な店が殆んどだ。庶民は中々厳しくチェーン店も味メニュー値段に熟慮工夫を怠らないようで、ちょっと売れ筋のカレーシリーズが直ぐ行き渡ったのはご同慶の至りだ。個人的にはカレーはすき家がお勧めだ。写真はこだわりシェフの洋食店のオムライス。変わりゆく外食店

  • 大切なこと

    生きていく上で大切なことは優れた判断だろう。おそらく良く生きるに一番大切なことと思う。大切なものを守り育むためには適切な判断がなくてはならない。韓国で起きていること、詳しくは承知しないが、またかと感じる。不実不正に対する怒りと行動力には感心するけれども、深謀に欠け短慮に見える。失礼ながら欠けているのは判断力ではないか、失敗に学んでいないように見える。他山の石にしたい。どんなに自立しても、社会国家の影響から逃れることはできない。社会国家を動かす両輪は政治と経済で、それに携わる人間に優れた判断力がないと間違う。優れた判断力のある人間を選ぶことが極めて重要で、国民の責務だ。口から出まかせの悪賢い人物に騙されて、他人の痛みを感じることのできないような人物を選んではならん。大切なこと

  • 後医は名医だろうか

    病気と言うのは最初は症状がそろわず診断が難しいものだ。有利という言い方は変かもしれないが後から見た医師の方が正しい診断が付けやすい。しかし世間の人は正しく診断できなった前医を藪医、後から正しい診断をした後医を名医と思いがちだ。だから我々の仲間内では前医を悪く言うなと言う暗黙の了解がある。しかしながら軽率な若い医者は時に、これがわからなかったなどと口走ることがあり、不要な誤解を生むことがある。初期に正しい診断を下せるのが優れた医師なのは間違いないが、イチローだって毎回ヒットが打てるわけではない。大切なのは確率と布石なのだ。優れた医師は居ても普遍的な名医というものは存在しないのでは、名医には出会いと相性があると思われる。後医は名医だろうか

  • ワインをお相伴

    アルコールはたしなむ程度で沢山は飲めない。しかしワインを楽しむ会に入れてもらい二、三カ月に一度出席している。大蘊蓄家が二人小蘊蓄家が一人、三人が聞き手だ。一晩に三本四本飲んで、あれこれ言うには六人くらいの員数が必要でお声が掛かったらしい。もう二十年近く、メンバーには多少の変化があった。蘊蓄家はコレクターでもあり、ソムリエ裸足のS氏が十数年前からワインの値段がべら棒に高くなったと嘆いていた。今は影を潜めた中国成金の仕業らしい。たしかに一本二十万円などというものは飲み物と言えない。これは誠に上品な味わいのイタリアワインだ。シャルドネとは思えない味わいの2018年、何度聞いても蘊蓄はよくわからないが、おいしさはしかと味わった。ワインをお相伴

  • 讃岐うどん新製品

    丸亀が讃岐うどんかどうか問題はさておき、美濃生まれの私には丸亀は旨い、さすが讃岐と時々食べに出かける。丸亀も右に倣えで値上がりしてしまったが、値上がり幅は小さい方だと思う。唯、値上がりのせいかどうか、最近はやや客足が落ち、待たずに座れる。感心なのは数か月ごとに新製品を出すことだ。昨夜はうどんカルボナーラを試してみた。これがなかなかの組み合わせで美味しくいただいた。世の中にはいろんな人が居て、斜め前のお兄さんも同じカルボナーラを食べていたのだが、何というかネギを山盛り掛けうどんが見えない状態で思わずご面相を拝見してしまった。いくらご自由にと置いてあると言っても二十人分も使うとはサラダのつもりかとお聞きしたくなる。きっと本社では新メニュー開発に余念がないに違いない。饂飩は蕎麦に比べ組み合わせの幅が広いから、開...讃岐うどん新製品

  • 欲望と幻想

    認知症になると患者さんはしばしば幻想と言われる話をするようになる。自宅から医院まで家族の付き添いなしにはやって来れない患者さんが毎週田舎へ帰っているんですよと百キロ離れた生まれ育った町へ行ってきたような話をされる。「ああそうですか」と相槌を打つのだが家族は違う違うと合図される。勿論、私も事実ではないことは百も承知しているのだが、患者さんにはそれが幻想ではなく事実なのだ。有り得ないことと確認できるので幻想と却下して相手にしないご家族が多いのだが、有り得ないと簡単には確認できないので世の中には却下されず流布している陰謀論や中傷やあなただけという儲け話が数多い。これらも幻想の一種で願望怒り欲望で目が眩み事実のように思えてしまうのだ。人間はAIと異なり瞬間の事実だけを認識することが出来ず、常に経緯脈絡連想と軽重様...欲望と幻想

  • 恐がられなくなった

    新型コロナはかなり減って代わりにインフルエンザが増えてきた。不思議なことに今ではインフルエンザは勿論、新型コロナも怖がられなくなった。病名を告げても、ああそうですかという反応が返ってくる。インフルエンザは祖父母の代からの馴染みで様子が知れているし、新型コロナも軽症化し周りに俺も私もと罹患した人が居て、しかも入院せずに治っていることが大きいのだろう。どうも人は見知らぬ得体のしれない物を恐れるようだ。そして馴れると怖がらなくなる。恐怖も馴れも時に判断を誤らせるから気を付けたい。恐がられなくなった

  • 米の値段が下がらない

    新米が出て米の品不足は解決したのに、肝心の値段が下がらない。今食べている米は地域のコシヒカリで5kgで3400円もする。品不足が解決しても値段が下がらないというのはしばしば経験することだが、米価は高止まりが過ぎる。我慢して買わないとはいかず困る。どうしてもっと大きなニュースにならないのだろう。マスコミのニュースは視聴率最優先で、本当に問題なことがかき消されてしまう傾向がある。103万円の壁問題も、きちんと税の仕組みを理解している人は少ないと見る。心理的な壁があり確かに主婦や学生の就労を促す効果はあると思うが、醜聞玉木保全と他野党の賛意不十分の背景に支持率がある。科学技術が進み社会の仕組みが複雑になると、民衆の理解が追い付かず興味本位情報優先で民主主義が崩れてゆくようだ。米の値段が下がらない

  • 同病相理解

    元々やや乾燥肌なのに加え年を取ってきたので、冬になると手足や体幹が痒くなる。掻くまいと思っても、つい搔いてしまう。同年配の患者さんの背中を聴診していると掻き痕のある人が時々おられる。希望されれば保湿剤を処方している。範囲が広いので軟膏のように5g10gではなく100gとか150gとか結構な量のものになる。きちんと塗ればそれなりの効果があるようだ。地域によって四季の変化は様々だが、人は変化する気温や湿度に適応して生きてゆかねばならない。どうも寒さと乾燥は人体に負担が大きいようで、冬は体調を崩す方が増える。保温保湿は身を守る基本と申し上げたい。同病相理解

  • 忘年とは行かず

    忘年会に出ると思いがけず最年長で、歳を思い起こされあれあれという気持ちになった。まあ何とか話についてゆけたが、見知らぬ顔もあり歳は取らされる面もあると感じた。どうもちょっと感覚が違い相槌が打ちにくい話もあったが、年齢時代の違いというよりは元々自分の仲間意識が薄いせいかもしれない。終わり際、皆がウエッブ会合よりも、直接会って話をする方が楽しく有意義と言ったのには全く同感した。忘年とは行かず

  • 近くて遠い国の異常事態

    戒厳令はそれこそ不安定な未熟の国の出来事と思っていたが、そうでもない、否、やっぱりそうであるらしい。失礼ながら、一人当たりのGDPで日本と肩を並べる国の出来事にしては稚拙で危うい。そうは思っても、さて我が国は大丈夫とも言い切れない気もする。視野狭窄、短絡思考、贔屓の引き倒しには心したい。近くて遠い国の異常事態

  • 忘年会始まる

    今日は今年最初の忘年会だ。今年は四つとこの数年で一番多い。尤も働き盛りには時代も違うが十くらい顔を出していた。おそらく忘年会そのものが三十年前に比べれば半減は大袈裟かもしれないが、かなり減っているのではないか、社内旅行などというものもめっきり減ったと聞く。欧米には忘年会はないのではないか。アラブ、インドにもなさそうだ。東南アジアではどうなんだろう。忘年には日本民族の得意技、不都合なことは水に流し嫌なことは忘れるという意味合いがあるのだろう。そうした効果は確かにありそうだ。いずれにしても普段仕事のこと以外話さない人や会釈だけの人となにがしか話ができる良い機会なことは確かだ。今日は中華と聞いている。楽しみだ。忘年会始まる

  • もし立花隆さんが存命だったら

    存命だったら、立花隆さんは立花隆志氏を何と言うだろう。怪人三枚舌?。なんだか不思議な名前の政党が出てきたなと思ったら、立花隆志氏はけったいを通り越してきっかいな人物に見えてきた。何処までが嘘でどこまでが本当か分からない。何のために政治活動をしているのかよく分からない。違法性のあることもしているのではないかと報じられているが、取り締まる方も何が何だか分からないのではないか。希代の幻惑師なのは間違いなさそうだ。懸念するのは口先三寸で尾ひれを付けて話を拡散する人物の言葉に惑う人が数多く居ることだ。もし立花隆さんが存命だったら

  • チャーハンVSラーメン

    どの地方にもはんちゃんラーメンというものがあるのだろうか。否、あっただろうかと言った方がよいかもしれない。ラーメンだけでは腹一杯にならない、チャーハンと両方食べたいという人には誠にありがたい組み合わせで、以前よく食べている人を見かけた。炭水化物の組み合わせの上にどうも腹が膨れるような気がして自分は数回しか注文したことがない。気のせいだとは思うが単品より僅かに味が落ちるように感じる。時々無性にラーメンやチャーハンが食べたくなることがある。残念ながら街角中華の店は減ったのだが、ニ三か月に一度今も残る店に赴く。カウンターに座って、最後まで迷いながら結局チャーハンを頼むことの方がやや多い。三対二くらいの割合だ。周りを見渡した印象ではラーメン派の方が多いようだ。チャーハンVSラーメン

  • 高所嗜好症?

    ユーチューブを見ていると高所恐怖症ではなく高所嗜好症と言いたくなるほど、危険な崖を登ったり、何十メートルという高所から飛び込んだり、200mの高いビルの間に張った綱渡りをしたりする人達が居る。どれひとつとっても私にはできない。足がすくみその場に立つこともできないと思う。命知らずの男どもだけでなく女性でも二十メートル以上の崖から滝つぼに飛び込んだり、崖を命綱なしで登ったりする人が居る。どういう神経の持ち主なんだろう。勿論、できると思ってやっているのだと思うが、中には命を落とす人も居るのだ。別に高所に限らないが、世の中には常人にはできない至難の技を持っており、更に上に挑戦してしまう一群の人が居る。高所嗜好症?

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