長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
新型コロナ流行前は年三回ほど東京一二回京都に小旅行に出かけていた。去年から又東京に出かけるようになったが、ホテル代の高騰に驚きあきれている。倍になった。これでは気軽に出かけられない。あるいはあんまり気は進まないがランクを下げざるを得ない。すべての物が値上がりしているが10-40%で、倍に上がったものは他にはちょっと思い浮かばない。アベノミクスで富裕層が増え円安で外国人旅行者が増え、こうした価格でも泊まる人が居るらしい。いつまで続くか、収益をどうしているのか、危うい世の中に見える。いつの間にか高騰
人間の力ではどうしようもないが、台風十号はどうなっているのか、悪魔が操作しているかのような動きをしている。昨夜は遠く離れた東海地方でも大雨が降り、開店休業で患者さんは三分の一に減り、楽しみにしていた勉強会の懇親会は中止になった。幸い当地では洪水などの大きな被災はないが日常生活が三日も滞って経済的な損害は莫大だろう。失って、改めて平穏な日々の生活のありがたさを実感している。台風のために立候補公表日を調整する候補者が多いようだ、当然のようでどこか姑息に感じる。マスコミは調査方法を克明に公表していない支持率を報道しないように、自画自賛で歪んだ支持率など人心を惑わすものだ。自民総裁候補は誤魔化し隠蔽する手法に対する言明、財政運営方針、外交姿勢、何をしてきたかの四つを表にして報道するのが一番、それで十分。立憲民主候...何と迷惑な台風10号、その陰で
藤井七冠が渡辺九段に勝ち永世王位を獲得した。実は今期王位戦、前半三局までは渡辺九段が三連勝でもおかしくない内容だったのだが、難解な終盤で渡辺九段が勝ち切れず一勝二敗で後半戦に入った。四戦五戦とも序盤は戦略家の渡辺九段の事前の研究が有効に見えたが、未知の中終盤に入ると藤井王位は抜きんでた王を詰ます能力を発揮し四勝一敗で防衛し永世の称号を得た。まあ何と言うか、最後は圧倒的な強さを示す形となった。岡目八目と言うが、解説のプロ棋士が寄ってたかっても藤井七冠の手が読めず、岡目の方が弱いという始末で藤井と大谷は人間離れしている気がする。面白いというか安心するというか、この人間離れしている二人にも実は好不調の波がある。王位戦が始まった頃は藤井王位少し不調で歯の矯正をしているせいではないかとか色々言われていた。実際、何が...やはり強かった
まだ八月なのに雨が多い。台風の影響もあるかもしれないがこの十日ばかり晴れの日が少なく曇りがちで雨の日が多い。暑さが和らぐのは有難いが夏の名残りの青空を見たい。最近、JRが雨でしばしば運航停止になる。今までこれほどの頻度ではなかったと記憶する。災害があると不意打ちを食らったように被害が大きく、被害が出ると今度は過剰に?予防するという繰り返しをしているのではないか。データに基づいて適切な対応をしているか科学的に検証する必要がある。災害利権があるとすればどうしようもなくこの国の病は重い。しかし重くても放置はできない、絡んだのを誤魔化し隠蔽する議員は選挙で振い落とそう。雨は十分
しばらく前に小泉進次郎は不合格、枝野幸男は不適切と書いたが、周りの状況に変化が出てきた。不合格という考えに変わりはないが、不適切には比較の対象が出てきた。政治は否応なく個人の生活に影響を与えるので関心を持っているが特別な情報源があるわけではなく新聞やネットニュースなどの一般的知識があるだけだ。政治家選択政策選択はそれで十分判断できる。政治評論家には信頼できる人は殆んど居ないし、ネットのチャンネル情報には偏ったものも多いのであまり参考にならない。自民党の誤魔化し隠蔽する体質を変えられる候補者がいるだろうか?。ピンからキリまでいくらか差はあるようだが。立憲民主に痛みを知りながら楽しく明るい政治家が居るだろうか?。タムトモに及ばないのでは。比較の対象が出てきた
もう二十年近く油彩画を描いている。以前は月に二回くらい今は週一回教室に通っている。五十枚近い作品ができた。何故、絵を描くか、まあ好きだからとしか言いようがない。だから続いているのだろう。この頃、絵の良い所は言葉で表せないものを表現しているところにあるのかもしれないと思っている。幸い飾る場所、待合室、があるので、ニ三か月に一度掛け替えている。中には楽しみに見て下さる方も居られて嬉しい。勿論、問題もあり、と言うのは絵は結構嵩張り置く場所に困り始めている。それに死んだら値が出るということはなく?、家族はどうするだろうかちょっと気になる。貰って呉れる患者さんが居ればよいのだが。絵を描いてきた
呉明益とゆう人が書いた「雨の島」という小説を読んだ。及川茜さんが翻訳している。これぞ文学と感じさせる幻想的な物語集で台湾にこんな話を書ける人が居るのだ。よくこんな素晴らしい日本語に訳せたものだと驚きながら読んだ。聊斎志異のある文化圏だから、こうした物語が生まれるのは何の不思議もないかもしれないが、狭い日本に住んで日本は良い国優れた国と喧伝する空気に触れていると知らないうちに近隣諸国よりも日本の文化の方が優れているような錯覚を抱かされていたのかもしれない。台湾と表現してよいものか分からないが中華民国では私の感覚ではどこのことか分からなくなる。四十年前受け持ったお婆さんの患者さんが「先生、台湾良いとこよ」と話してくれたのが耳に残っている。雨の島
黒白の二分は単純で分かりやすく(分かったような気にさせやすく)多用される。それは大抵、多くの読者を引き付けるため自論を強く正しそうに訴えるためだ。ついこないだまで総裁候補の一番人気だったI氏を叩き、四五番手だったT氏を讃え最高の総裁候補とするユーチューブを見かける。どうしてそんなに断定的にものが言えるのだろう。そう言えるのはそれがその人の意見主張だからだ。一人一票と言ってもそれでは収まらない人達が居られる。俺は私は悪くない、お前もあなたもそうだろうという人にそうした傾向があるように観測する。I氏がそれほど嫌われやすい人でT氏が最右翼の人だろうか、色々理由を挙げて説明する人と諾否を最初にはっきり言う人の違いはあるようだが、非支持者や支持者が例えばこのお二人の複雑多岐にわたる政治課題に対する考えをきちんと理解...そんなに単純だろうか
昨夜というかか今朝というか真夜中に雷が二時間ほど鳴り続けた。ぴかっと光ってから一二三ゴロゴロドカンとかなり近かった。おかげでさすがの私も目が覚めて暫く寝付けなかった。幸い停電もなく近くに落雷はなかったようだ。雨量はかなりのものだったようだが短時間で洪水にはなっていない。多分夏の終わりを告げる雷と思う。勿論、日中の暑さは続くだろうが朝夕はいくらか涼しくなるだろう。さて、夏が終わって何が来るのだろうか。夏が終わる
将棋の藤井聡太にはファンが多い。私も藤井七冠が好きだが、挑戦相手を弄ることはしない。気持ちは分からないでもないが、今回は渡辺九段が挑戦者、渡辺九段にもファンはいるわけで蔑むような発言は楽しくない。おそらく将棋そのものをあまり知らないファンなのだろうと思う。尤もこの辺は難しいところで、贔屓の引き倒しからつい相手を誹謗する発言が出やすい。節度やユーモアがあればおやそうかねと受け流せるが、感情的なものは聞き苦しい。これに似ているがとにかく勝つ方を応援するという人達がいる。一時圧倒的に多かった巨人ファンも勝てなくなると激減しているようだ。単に勝ち馬大好きというのが本当のファンと言えるだろうか。そこへ行くと阪神ファンは本物で筋が通っている人が多そうだ。ファンにも作法
自民党の総裁選に意欲を示す議員が十一名ほどおられるようだ。果たしてこのうちの何人が二十名の推薦人を集めることができるか、どうも半数程度に絞られるらしい。しかし、新聞に名前が出た以上必死に推薦人を集めようとされるだろうからもっと増えるかもしれない。どうもこういうことになると目の色が変わって走り回る記者、評論家が多い。重要なのは主義主張政策なのに競馬のように党内情勢人脈血脈・・で本命対抗と予想が過熱している。まあ読者の国民も難しい政策よりも誰が良さそうというのが好きな人が多いからエスカレートする。それならいっそ顔が人物を物語る、この激動の時代にふさわしい面構えで選んでみよう。勿論、私の独断と偏見による印象判断。石破、茂木次いで河野か。高市は迫力はあるが失礼ながら険がある。まあしかし、看板となると小泉進次郎だろ...顔で選べば
「なぜ山に登るのか?」と聞かれて「そこに山があるからだ」と登山家ジョージ・マロリーは答えた。簡明な答えだが、不思議な含蓄があり考えさせられる。マロリーはエベレスト登攀中に行方不明となり、75年後に遺体が発見されている。命知らずは適切な表現ではないかもしれないが、登山家は命知らずという印象がぬぐえず、現実に多くの登山家が山で亡くなっている。何千メートルという高山ではないが岩山を登るロッククライマーが居る。ユーチューブで登っているのを見ていると見ているだけで怖い。高所恐怖症の人には考えられない仕業と思う。そこに山があるからだと言われても、高所で足のすくむ人間にはもう一度なぜと問わずにいられない。単純にはこうした人達が居なければ高層ビルや東京タワーやスカイツリーは作れないわけだが、そうした即物的な効用ではなく危...そこに山があるからだ
どこで知ったのか忘れたが、面白いと高評価の本だったので取り寄せて読んでみた。「言語の本質」今井むつみ秋田喜美著中公新書。普段、何気なく使っているオノマトベを手掛かりに言語の本質に迫る本で、目から鱗が落ちた。どうやって言葉が生まれ、理解表現の手段として広がり深まっていったのかふむふむと知ることができる。単純に人類は知能に恵まれていたからだろうぐらいに考えていたのだが、ではどのようにしてということが科学的に説明、推測されている。何故共著なのかというと少しく専門の違う二人の出会いが探求の端緒となり、切磋琢磨融合しながら答えを探されたからだろう。本でないと分からないこと、一定のボリュームがないと説明できない大切なことが世の中には多い。夏休み一読おすすめの本だ。言語の本質
何をしてきたかが大切。勿論、人間は学んで反省して変わるということはあるけれども、どう生きてきたかがその人がどんな人物であるかを判断する一番参考になる情報だ。優れた知能や豊富な知識は重要で欠かせないが、リーダーに一番大切な資質というわけではない。どんな人物かが最も重要な選択の鍵だ。何が善で何が悪かは、実は難しく明快に分けられないのだが、善悪は五分五分というのが歴史の教えるところだ。人類が辛くも生き延びてきたのはごく僅かに善が勝さっていたからだろうと思われるが滅びた民族も数多い。自民党総裁と言えば、今の議員数では首相になるわけで重要な選択なのだが、手の届かないところでうかがい知れない力関係で決まってしまう。様々な情報が飛び交っているが、透明で客観的なものは少なくほとんどが思惑が絡んだ意図的なもので予測がつかな...リーダーの選ばれ方
日本人が心配症なのは間違いない。勿論、全ての日本人がそうというわけではないが、心配性の人が多いのは確かだ。心配性でない人は変わっているとか鈍いとかいいかげんとかどうも理解されにくい。心配性は注意深さに繋がり、細かいミスやドジは減るので悪いことばかりではないが、外国では評価が低いようだ。果たして外国にもオレオレ詐欺が居るかどうか知らないが、日本ほどではなさそうだ。日本人は心配性なのに騙されやすい。それは多分、信じることで気苦労が軽減されるからではないかと推測する。自分の頭であれこれ考えて決めようとすると間違ったらどうしようと不安が増す、信じれば心の負担が軽くなる。これは牽強付会?の駅前説だが、当たっているところもありそうだ。騙すプロと言えば政治家で、不利と見るや話しをずらし、支持者でないと踏めば怖い顔も見せ...日本人の心配性
今年も八月十五日が来た。どこか微かに秋風を感じながら何故か夏空を見上げてしまう。新聞が売れなくなっており、もうすぐ潰れて無くなってしまうという報道を見た。私の年代では考えられないことだが、瞬時にネットで情報が伝わり溢れる時代、スマホ代の他に新聞代までは払えない、何時間もスマホを見ていると新聞を見る時間が無くなるというのが理由だろうか?確かに新聞社側にも、変わるべき変えるべきところはあると思うが、報道されるほどの劣化はなく、消えてはならない情報源と認識している。もう一つ活字を読む情報というのは見聞きする情報と脳に沁みこみ方が違うと思う。新聞の健闘を祈り、これからも読み取り続けたい。新聞が心配
日本の社会には良いところが沢山ある。これは自画自賛ではなく、現実に外国から日本に移り住んだ多くの外国人が日本は住みやすいと言っている。しかし、勿論全て良いということはあり得ず、大きな問題点というか欠陥がある。当事者精神が欠けており、問題に正面から向き合わず、開かれた議論がないがしろにされてしまう。自民党総裁選と立憲民主党首選がある。自民党内では小泉進次郎が担ぎ出され、立憲では自薦の枝野幸男しか出てこないのでは先は暗い。お二人には大変失礼だが不合格と不適当と感じる。外交経済など難題が迫って来る今、小泉進次郎が担ぎ出され、枝野幸男しか名乗りを上げない。これじゃあ日本丸は沈没しかねない。これでよいのか
オリンピックが終わった。生中継で見られた試合は少なかったが、いくつか感動的な場面を見ることができた。世の中には素晴らしい凄い人がいるもんだ。中で北口榛花のファンになった。憧れのコーチに指導を受けるためチェコ語を勉強しチェコまで行って、遂に金メダルを取るなんて、あっぱれと申し上げずにはいられない。パリオリンピック終わる
今日はきちんと書く元気が出ない。昨日の昼、時間がなく弁当屋の天丼を食べたら気持ち悪くなった。下痢もしている。いつもは何でもないのだが、熱中症が出そうなで陽気で天丼は拙かった。今朝はふらつくので女房に車で送ってもらった。面目ない、トホホ。思わぬ不覚
ユーチューブを眺めていると時々歌唱チャンネルが目に留まる。サボテンの花は半世紀前の歌らしいが旧く感じない。聞いたことがあるはずだがはっきりと記憶に残っておらず新しい曲のように聞いた。良いメロディで多くの人が思い当たり共感する歌詞だが、微かに違和感も覚えた。ちょっと違うように感じる。仲直りしないで壊れてしまうものだろうか、終わるものだろうか。確かにほんの小さな出来事で傷つくことはあるだろう。しかし辛い悲しい思いをしてもそれで壊れるだろうか、恋は壊れても愛は壊れない気がする。サボテンの花、歌詞
株が暴落した。リーマンショックどころかブラックマンデーを越える下げ幅だ。私も少し株を持っているので数十万円のマイナスになったがどうしようもない。大人は誰でも知っているはずなのに見過ごしてしまう、先のことは分からないという事実を突きつけられた。実質賃金が二年以上も下がり続けており好景気感などどこにもないのに株はまだまだ上がると太鼓を叩き囃し立てていた人達が加担した高株価が、実力実体のないことが露呈(馬脚が現れた)し、不安に駆られた群集心理が加わり暴落した。事実を見つめて反省しない組織人物に危機は乗り切れない。不都合を誤魔化し厳しい評価に素直に耳を傾けない世の流れの付けが回ってきた。中国の駄目さ加減を嬉々と報じるばかりで他山の石とする謙虚さがないと明日は我が身だ。離党、身内での軽い処分などという誤魔化しを看過...馬脚現る
明け方僅かに涼しくなったがまだまだ毎日身の置き所のない猛暑が続いている。室内は涼しいのだが、外に出るとムッと暑く汗が滲み出る。かき氷が食べたくなるのだが、以外と出している店が少ない。牛丼やうどんのチェーン店に季節メニューとして置いても良いと思うのだがない。洋食系のチェーン店にはあるが食事代とほとんど同額で高価だ。特別薄く削ってあると言うが、洒落たのでなく素朴で廉価なのがいい。駄菓子屋もなくなって、子供達が食べることができない。アルミのスプーンで食べたかき氷が子供の夏の思い出でから消えるのは残念。世の中、変わった。暑い夏が続いている
女子サッカー、アメリカに敗れる。アメリカは強かった。男子もスペインに敗れサッカーのメダルは消えた。世界には薄くても破れない壁があった。卓球早田バトミントン志田松山、よくメダルを取った。輝く銅。株価が暴落、株はまだまだ上がる上がると喚いていた人物が自分の予測を棚に上げなぜ下がったかを得々と解説している。後付けの解説など何の価値もない、株が上がると言ったのはその方が自分に都合が良いからだったんだろうなと思える。目先の自分の都合で動く人達によって、世の中が影響される。人間は目先の都合に惑わされやすい。世界の壁は厚かった
バトミントンペアが銅メダル、サッカーはスペインに完敗、おまけに株価も大暴落・・。勝敗には時の運も絡む、嬉し涙、悔し涙、涙もなく茫然とする選手。どうあっても如何ともしがたい。唯、これで終わりではない、暫しの時を挟んで再び歩みださねばならない歩みだすことになると、人生の先達として申し上げたい。悲喜こもごも
負けた阿部詩が異常に泣いたことがマスコミで大論争になっている。人それぞれに感じ方受け取り方が違う。身の回りで話題にする程度のことだ。東国原けしからん、訴えるだの馬鹿げている、マスコミの餌食になってしまった。もっと成熟した対応をしたい。私は美しいとは感じなかった。どうかしている
今朝は薄曇り。朝から暑いが、僅かに和らいだ感じがする。今日から八月。八月は特別な月だ。たぶん、そう感じられる方は多いだろう。夏休みがあるせいか、お盆があるせいか、日差しのせいか、昔を思い出す。思い出すというより、昔がよみがえる。宮本武蔵は我事に於いて後悔せずと言ったが、悔いることは多かったはずだ。剣豪武蔵も、八月には天を仰いでいただろう。八月になった
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長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
gooがブログを止めるというので引っ越しを始めた。うまく行くかどうか手探りだが、「はてな」に引っ越すことにした。新天地でさてどうなることか。お名残り惜しいが、心機一転。取り敢えずご報告。引っ越します。
家内が夕飯作りに草臥れたというので、老夫婦で回転寿しに行った。私は光り物中心に八皿、家内も巻物デザートなど八皿で合わせて十六皿。会計は三枚でお釣りが来て嬉しかった。お腹が空いていても十皿が限界なのだが、隣の若い二人連れは三十皿近く積み上げていた。男性の方は中肉中背で大食らいには見えないのだが、一人で二十皿くらい平らげていた。自分も二十歳の頃はあれくらい食べられたと思う。若い力を目の当たりにした。隣の客はよく食う客だ
敵愾心を煽るのが得意な人達が活躍している。妬み辛み恨みを利用して他者を非難し不平不満を掬い取り、それで稼いだり支持を取り付けたりしている。人間には劣情がある。それを利用した戦術なのだ。昔、小学校でそれは醜いこと慎むべきことと教わったのでその感覚が身に染みている。それが絶対に正しいことかどうかは分からないが、それに人類の知恵が詰まっているのは確かだと思う。何でもあり、とにかく数を集めれば勝ち?の世の中では、人類の知恵がかき消されてしまう。今だけ金だけ自分だけには同感できない、明日もあなたも思いやりも大切だと思うのだが。敵愾心を煽る戦術
高い関税は脅しだろうと高をくくっていたら同盟国?にも掛け始め、どうも本気らしいと身構えたら僅か二週間で腰砕け、やっぱり脅しで交渉の手札だったと思わせる兆候が表れてきた。猫の目トランプに振り回される世界だが、アメリカが信頼できない国になったのは間違いなく世界秩序は変容した。色々な人が指摘しているようにこのピンチは日本が変わるチャンスだ。歴史の知識は乏しいが、日本は変わらない変われない国だいうことは歴史から分かる。革新する信長のような人物は例外で、故に本能寺の変が起きたと観測している。いつも変化をもたらしたのは外圧で、トランプは大きな外圧と捉えられる。これを利用して変らないと日本はじり貧になる。先送り隠蔽体質の自民党では駄目だ。ではどこにと代わる政党がないようでも変えないと、トランプがもたらした秩序破壊という...トランプという外圧
趣味は何ですかという問いに旅行という答えを時々見たり聞いたりする。今はそうでもないが、以前は旅行って趣味でするものかなあと妙な感じがした。史跡を巡るとか旨いものを食べに行くとか言われれば成程感が出てくるのだが、漫然と旅行が趣味と言われるとピンとこなかった。知らない土地に行ってみたいという好奇心が根底にあるのだろう。中には世界一周に出かける人もおられる。さすがに世界一周となると趣味を越えるようで半ば本業になってしまうようだ。世に転勤族と呼ばれる人達が居られる。お付き合いのある薬品メーカーの人はみなさん全国を何か所か転々とされており、住んだ土地の話を聞かせてもらうのは楽しかった。世の中で言われていることは概ね正確なようで、九州博多は良いですね。引退するなら静岡でしょうか。名古屋京都はやりにくいですと言われる。...旅行が趣味
備蓄米を放出しても米価が下がらない。価格は需要と供給で決まると思っていたのだが、何か別の絡繰りがあるらしい。米作の調整をしてきた政府は、この謎を解明して国民に説明する義務と責任がある。米食を減らして食パンやスパゲッティにしているという主婦がテレビに出ていた。需要が抑えられているのに米価が下がらない、どういうこと?。農家の販売価格が消費者の手に届く間に、どのように変化してゆくのか調査をして報道してほしい。もし米が不足しているのなら、備蓄米をすべて放出すればよい。新たな備蓄米は安くアメリカから輸入すればよい。カルフォルニア米は安くて十分美味しい。何故米価が下がらない
内科学会総会で大阪に行ってきた。自宅でオンラインでも受講できるのだが、長年の習慣で家内を連れて大阪に一泊した。私は勉強、家内は買い物。新幹線は半分が外国人で、何だか外国旅行気分だった。欧米人はともかく、どこかの国の人はエスカレータの乗り口を塞いで立ち話、思わず通り道ですと注意しようとしたら日本語ではなかった。大阪は二年振り、同じ大都会でもどこか東京とは違う。東京より立て込んでビルが多い、広告が多い、緑が少ない。関西と一口にいうが、関西はひとまとめにできない、京都大阪神戸で違うのだ。微妙というより大きく違う。好きかと言われると、すぐには返事ができないが、大阪にはエネルギーを感じる。大げさかもしれないが快適な新幹線乗って大阪の街を歩いて、まだ日本は大丈夫と感じた。大阪と新幹線
鶯の泣き声が聞こえる。初心者のはずだがきちんとホーホケキョと聞こえる。どこかで練習してから来たのだろうか。三月にも聞こえていた記憶があるから、きっとそうなのだろう。まだ時々冷え込むが、ずいぶん暖かくなった。桜も散り、あっという間に緑の若葉に置き換わり桜の木だった面影は消え、なんだか不思議な感じがする。そういえば今年はまだ桜餅を食べていない。柏餅に変わる前に食べておきたい。春夏秋冬と四季の味わえる日本だが、春は短い。五月は初夏で夏に入る気がする。新緑、青壮年には意欲の湧く季節なのだが、高齢者には少し重い。心が沈みがちの鬱傾向の人にも付いてゆけない感じがするようだ。多様を受け入れる柔らかい世の中がいい。鶯が鳴いている
トランプ大統領はあたふたと言うことが変わるが、実はこれも策略で裏に深い狙いを持っていると解釈する解説者が居る一方、ころころ変わるのは場当たりの表れで関税に捉われた視野の狭い愚策だと断ずる解説者も居る。当初、私もひょっとして深い戦略があるかもしれないと思わされたが、ここまで言うことがころころ変わると単なる乱心と思えてきた。誤った現状認識に基づいた愚策でパンドラの箱を開けて世界をカオスに陥らせた人物として記憶されることになるのではないか。しかしながら、決して自分の間違いを認めたり悪かったと謝罪しないから厄介だ。うまく行くと自分の手柄うまく行かないと誰か他者のせいにする。そうして岩盤支持層は繋ぎ留められ、一定の評価をする人たちは途切れないだろう。いくら何でも猫の目では
手品師ではないけれども、あまり手の内は明かさないほうが良いかもしれない。でもまあ、知って貰うのと理解が深まるかもしれない。病気というのは嫌なもので、中でも質の悪い病気は診る方も負担が大きい。有難いことに医学は進歩しており、癌と言えば死刑宣告のように響いた時代は過ぎ去り、早期のがんは治る時代に進行したがんもかなり生きながらえることができる時代になった。そうはいっても人間は心配から逃れることはできない。後医は名医と言われるように、早期に疾患を見付け適切に対処することは難しい。病気が少し進行してから診断することはさほど難しくない。市井の開業医はできる検査は限られているし、早期の疾患を診ることが多いので、簡単そうに見えるかもしれないが実は中々難しい。なんでも気軽に話せてご心配ありませんよと言ってくれる先生と思われ...手の内
見出しに本当や真相が踊る。実際に記事を読んでみると、たいてい本当や真相は書かれていない。そう思わせる状況や思惑が書かれているだけだ。人の目を引く釣り見出しなのだが、人はそれに釣られるし状況思惑でそうなのだと納得してしまう人も多い。どうも人間の遺伝子の中に話を信じてしまう思考回路が組み込まれているらしい。世に悪知恵のある人物は多く絶えることはない。どうすれば怪しい話うまい話・・に踊らされることから逃れられるだろうか。歴史と経験に学ぶことがその方策の一つなのは間違いない。万年の歴史から学ぶことは難しいかもしれないが千年の歴史からは学べる。千年の経験は不可能だが祖父母の伝聞まで広げれば百年の経験に手は届く、各々方今はその時と申し上げたい。本当と真相の語るもの
長くgooでブログを書いてきたが、gooがブログサービスを止めるという。どうしたものか。これが潮時とブログを辞めるか、あるいはどこかに移転するか。最初はブログというものがあるそうなと聞き、自分もやってみようと始めたのだが、いつの間にか習慣となり幾許かの仲間というか知己もでき、ボケ防止とストレス解消の効果もあり続けてきた。毎日三、四十分ばかり、最近は日記のように書いていた。サービス中止まで数か月あるので、一か月くらいどうするか考えたい。どうするか、思案投げ首
ユーチューブから世の中の情報を得るようになって三年ほど経つ、新聞は全国紙二紙を読んでいるが地上波テレビはほとんど見なくなった。ユーチューブの登録チャンネル数は三百くらいあり、ほぼ毎日チェックするものからニ三か月に一度チェックするものまで色々だ。三百以上はあまり増えない。というのは月にいくつか新たに登録するが同じくらい登録を外すものがあるからだ。視聴登録数がみるみる増えたチャンネルにPIVOTがある。比較的中立で経済に力点が置かれている。ゲストが適切でインタビュアーの質問も的を得ていて聞いてみたいことを聞いてくれる点が視聴者が増えている理由と思われる。竹下隆一郎氏が抜けても勢いに陰りはない様子だが、それには新しい魅力的な女性陣の力が与っているようだ。移転した竹下氏のCROSSDIGがどの程度伸びるか不明だが...PIVOTはPIVOT
友人のS氏がコーヒーに凝りだし、豆を挽いて飲むと美味しいですよと言われるので自分も豆を挽いて飲みだした。実は二十年ほど前は自分も豆を挽いて飲んでいたのだが、ちょっと億劫になり最近はインスタントを飲んでいた。まあ最初はブラジルが良いかとブラジルから始め次いでグアテマラと飲んでみた。確かに香りがよく美味しい。ちょっと手間がかかるが色々な豆を試す楽しみもある。さて次はと迷っていたら、今月お得なのはペルー産ですというのでそれを買ってきた。お得と言ってもコーヒー豆は高騰しており100g700円もした。ペルーMべロニカ、果たしてどういう味がするだろう。職場に着いたら早速飲んでみたい。ペルーMベロニカは初めて飲んだが、マイルドで苦みは少なくわずかな酸味に旨味があり飲みやすく美味しかった。単独もよいがケーキも合いそうだ。ペルーのコーヒー
左足の親指が腫れて痛く、この二三日びっこを引いている。痛風だねというのが医者の反応だろう。ところが後期高齢者の場合違うことも多いのだ。実は階段を登る時、左足が思ったほど上がっておらず躓いてしこたま親趾を打撲してしまったのだ。幸いあと二段ほどだったので、二階に倒れこみ階段から落ちるのは免れたのだが、打撲の後遺症でびっこを引いている。年を取ると僅か1cmのことだが足が思ったほど上がっていないことが起きる。以前にも軽く躓くことがあり、気を付けていたのだが今回に懲りて、今は意識して足を挙げて兵隊の行進のように階段を登っている。それと階段は真ん中は歩かず手摺のそばを昇降している。転倒は高齢者に思わぬ障害をきたすことが多い。いつも段差にはご注意と申し上げているのに、自分が怪我をしてしまった。極めて遺憾だ。左足の親指が腫れて痛い
ユーチューブで政治経済の解説を視聴している。皆さん色々なことを言われる。バランスの取れた視野の広いものよりも自分の主張が正しいというニュアンスのあるものの方が多いかもしれない。そうしたユーチューブも結構な視聴回数なので、そういうものかと思っている。何十万という視聴回数を持つものには色々なゲストに様々な視点から解説を聞くバランスの取れた公平客観的な感じのものが多い。そうしたチャンネルに登場する中で成程と感じることを言われる三人に注目している。それはエミンユルマズ、ジョゼフクラフト、モーリーロバートソンの御三方だ。日本語も日本人以上に巧みで、見方はそれぞれ違うのだけれども視野が広く鋭いことを指摘される。ロジカルでしがらみがないせいかもしれない。とても参考になる。外国名だけれども
結構涼しいというか寒いといってもいい日が多かったので桜が長持ちした。入学式の日にも満開の桜が見られた様子だ。地方によって新学期の日は異なるようだが七日八日のところが多かったのではないか。七十年前で今では記憶も薄れたが、自分が小学校に入った日にも桜が咲いていたと思う。大した風もないのに桜は散る、桜吹雪の中を出勤している。株価が乱高下し、経済学者から評論家、素人のはずなのに色々口をはさむ人まで百家争鳴で解釈予想がネットで乱舞している。私も爺のつぶやきに過ぎないが、政治経済のことを書くので人間には世の中のことを色々気にしたり考えたりして発言したい性質を持った人間が居るのだと分かる。女性も居るが男の方が多い。自分の場合、多少のストレス発散になっている気がする。百家争鳴に参加
トランプ関税発表直後、証券アナリストの多くは米株価は下がるが日本株の下げは大きくない、35000円で底だなど色々勝手なことを言っていた。ところが、株価は下げ続けて大きく下落した。一体どこが専門家なのだろう。確かに明日のことはわからないのだが、わからなさにも専門性があると思っていたがトランプが相手では考えても分からないということか。トランプの関税は単なる脅しで、米株価下落を気にするから実際には高い関税は掛けないと言われていたが、現実は株価暴落もなんのそのしばらくすれば回復する我慢しろと突っ走っている。トランプ自身は意図も予期もしていなかったと思うが、パンドラの箱を開けてしまった。アメリカには頼れないアメリカは信用できないというパラダイムシフトが起き始めている。日本の政治家も経済人もまだそこまでは考えていない...パンドラの箱を開けた
遠い昔、寛容と忍耐と説いた首相が居られた。それに習い、異なった異なった意見にも耳を傾けるのを信条としてきた。しかし高齢者になってくるとあにはからんや円熟とは参らず、少しづつ忍耐力の衰えを感じるようになった。年を重ねると穏やかな達観の境地が訪れるというのは希望的観測のように思われる。私が残念な例外という可能性もあるが、どうもそういうわけでもなく寛容はともかく忍耐力は年と共に衰える傾向があるように感じ観測している。尤も、判断力が付いて評価に値しない意見に貴重な時間を使わなくなったと言えるかもしれない。いづれにしても、この人の言うことは聞いていられないと思う人が増えた。勿論、一二割は頷ける意見や考え方を含んでいるのだが根本のところで堪えきれない軋轢音を発生するのだ。堪え性がなくなる
限られた経験だが、四十代と思しき歯科衛生士にお目にかかったことがない。殆んどの歯科衛生士さんは二十代だった気がする。今お世話になっている歯科の衛生士さんは二十四、五、六才の気がする。歯科衛生士さんは普段はあり得ない距離でお顔を拝見できる。見まいと思っても腕や首が目の前に迫ってくる。日本人女性はと言っても外人をよく知っているわけではないが肌が細かく美しい。若いから皺がなく大袈裟かもしれないが若さで輝いている。何故歯科衛生士は若い女性ばかりなのか知らないが、アラフォーだと再雇用の口がないのかなと推測する。歯科衛生士は若い
まさかということが起きた。人類とは思えない強さの藤井八冠が伊藤匠七段に敗れ七冠になってしまった。今期に入り永瀬九段などにやや不調ではと言われていたのだが、調子を落としていたのだろうか。勝勢から逆転負けするなんて、今までの藤井には考えられないことだ。大谷も一時通訳の不祥事で調子を落としていた。やはり二人とも人間だった。伊藤が勝てるならと端から気勢を削がれていた棋士達が新たな戦略で向かってくるだろうから、藤井七冠もこれから大変だろう。しかし、タイトルの数など気にせず目の前の一局に全力を注ぐ人柄なのでこれからも名勝負を楽しませて貰えると思う。十一連敗からの奪取、師匠はありがたいね。師匠の宮田八段は伊藤が勝ちますと断言していた。藤井敗れる
五十年以上の長い記憶のある国民は、とりあえず平和そうな日本も内実はあちこちガタが来ていると思われているのではないだろうか。特に劣化しているのは政治家だが、もう一つ改革が必要なのはマスコミだ。自立しておらず金と権力におもねる姿勢が透けて見える。政治資金規正法が成立したが、形だけの改善で抜け穴だらけのザル法だ。十年後に領収書を公開するなど何の意味もない。しかも一部は黒塗りだ。それを衆議院賛成参議院反対と支離滅裂な維新の馬場代表が得々と支持している。阿保らしくて話にならない。国会中継の党首討論で岸田首相の答弁を聞いていると国民よりも自民党議員を守っているのがよく分かる。日本の政治家は選挙のことしか考えていないという米国投資家の批判は当たっている。情報が操作されては票が資金力で左右されてしまう。政治家とマスコミ
新型コロナがここにきて再びやや増加し始めたようだ。地方都市の一診療所の報告だからどこまで正確に全体像を伝えているか不明だが、今日複数の陽性者が出た。死亡率を下げて生き延びようとするウイルスの戦略は恐るべきもので、インフルエンザの向こうを張る存在になりつつある。嫌なものは早く忘れたいのが人間の心性ではあるが、厚労省はそうであってはならず科学的に粘り強く対応していただかねばならない。災害は忘れた頃にやってくるが、悪疫は忘れようとすると盛り返すから油断は禁物なのだ。新型コロナくすぶり続けている
今朝は本降りで風があり、なかなか辛い駅までの歩きだった。株式投資で大儲けするのは五十人に一人程度と言われている。ギャンブルはどうだろう。似たようなものと思われる。困ったことに?、この五十人に一人の人達があたかも二人に一人居るようにうまい話が喧伝されている。証券会社や株予想で仕事されている人は、素人が株投資すると損しますよとは言わない。儲かりますよと上がりそうな銘柄を紹介しても必ず小声で買う時は自己責任でと釘を刺している。政治家も似たようなもので、不都合なことは言わない。アべノミクスで大企業が儲かればおこぼれがあると聞いたが嘘だった。嘘だったと責めれば**が悪かったせいだと上手に責任を逃れる。まあ嘘と言えば聞こえが悪いが夢と言えば美しく響く。夢を売る仕事と言われてしまうと咎めにくくなる。夢とまでは言わず商売...五十人に一人
距離と時間は長く生きて居ると短くなる。自分を尺度にするから、短く感じるようになるわけだ。唯、距離は交通機関の発達もあるから科学技術の進歩も与っている。一年が短くなった一か月が短くなったと感じるわけだが、この頃は一時間が短くなったと感じる。一週間が早くなったとよく聞くが一時間が短くなったというのはあまり聞かない。しかし、自分はこの頃一時間が短くなったと感じる。そのうち一分が短くなったなどと言い出すかもしれない。短く早く感じる
愛飲するウイスキーがボトルにあと半分、まだ半分あるという人ともう半分しかないという人が居る。中にはちょうど半分だという散文家も居るだろう。還暦が人生の感慨深い通過点だったのは半世紀前のこと、今では赤いちゃんちゃんこを着る人は殆んどいないだろうが、六十になった時あと四分の一かと鬼が笑うようなことを思ったものだ。今ではあとどれくらいなどという、逆立ちしてもどのみち残り少ない年月を思いめぐらすことはなくなった。行けるところまでというのが、多くのご同輩の心境だと推察する。それにしてもバイデンとトランプは外れている。トランプと同い年の自分は顧問はできても社長院長大統領・・トップは難しいと断言できる。半分はどれだけ
寒い時に暖かい食べ物が美味しいように、暑い時には冷たいものが美味しい。何時からかき氷が庶民の御馳走になったか知らないが、慌てて食べると額がツーンとするかき氷では宇治金時が一番好きだ。同意される方も多かろう。これが許せんことにかなりお値段が張るのだ。子供の頃どころか成人してもしばらくは簡単には手が出なかった。せんじと言って分かる人はどれくらい居られるだろう。宇治金時に手が出ないころはもっぱらせんじを頼んでいた。ぜんざい、お汁粉は全国的に通じると思うが、大判焼きやせんじは全国版ではないのを故郷を出て初めて知った。暑い日には冷たいものが美味しい
痩せる方法は数えれば何百もあり、色々な人が本やユーチューブ動画で提案している。何百種類といっても基本的なところは似ており、数種類にまとめられる。ただ、独自性を出すためや商業的な思惑があって、少しづつ変えている変わっているだけだ。食事と運動が基本でそれに睡眠時間や仕事と自宅での生活習慣と体質が加わる。ではなぜ、それほど沢山の方法があるのに中々痩せられない人が多いかというと結局はきちんと実行できない人が多いからだ。肥満された患者さんに受診された時注意をすればできない言い訳があれこれ返ってくる。強く言えば反発する人嫌がられる人も多く、その塩梅は難しい。高脂血症や高血圧症でコレステロールの多い食品や塩辛い味付けを避けるように減らすように説明しても、中々守れない人も多い。幸い今はとても良い薬があるので、食事が厳格に...人間は思うようにできない
街中の蕎麦屋中華料理屋・・を選ぶ時は、味と値段そして雰囲気で決めてゆくわけだが、まず選び損ないというか失敗というのはないと思う。自分が気に入ればそれでよいわけで違ったということもあるかもしれないがそれは非常に稀だろう。ところが医者や歯医者選びでは時々間違いが起きる。というのは食べ物の美味しさと違い医者や歯医者の能力得意分野は素人には分かりにくいからだ。後期高齢者になって、年に二回歯の点検と歯の磨き方の指導を受けているが、もっと早く今の先生のところに来ればよかったと後悔している。そうすれば多分抜かないで済んだ歯が何本もあるのではと思う。店の選び方
今朝は比較的涼しい。季節感覚を失ってしまったように感じる、季節がはっきりしない日が時々紛れ込むようになった。今日の日付が答えられない認知症が忍び寄るお年寄りに今何月ですかとお聞きすることがある。それも答えられないと今の季節は春夏秋冬のいつですかと聞く。季節くらいは分かるだろうと思っても結構外す患者さんが居られる。挨拶など普通にできるのにと意外に感じるが、この頃は気温の上がり下がりが大きく陽気が不安定なので、間違えるのもしょうがない気もする。冷やし中華に柏餅と食べ物屋は供するもので季節を告げるが、医院では六月になってもインフルエンザBが出たりして、医者が目をこすって何度も結果を見つめている。今、何時だい
五、六年前に比べたらユーチューブを見るようになったので、少しはマスコミで話題になる人を識別できるようになった。人物と同じように時々見かけ聞きかじる知らない言葉の意味もある程度分かるようになった。知らない言葉は文脈から何となく意味が分かることもあるが、キーボードを叩いて意味を調べないと分からないことも多い。たとえばリスキリング、ディスルなど分かったような分からない言葉も解するようになった。勿論、こうした言葉は知らなくても生活できるが、世の中の流れ雰囲気を理解するには、知っておいた方が良さそうだ。しかしなぜカタカナ英語と言うか短縮語を使うのか、どこかに上滑りで済ましじっくり深く考えるのを避ける風潮があるようだ。その背景に情報過多があるのは間違いない。知らない人と知らない言葉
東京都知事選挙、蓮舫VS小池百合子の一騎打ちだったはずだが、予想通りの貶し合いというか悪口の言い合いで、それが飛び込み参戦の石丸氏に有利に働き三つ巴になりそうな気配だ。尤も石丸氏も人気が出ればどこからか否定的な情報が出てきて叩かれるだろう。ドレッシングというのはサラダの材料本来の味を引き出し引き立たせ美味しくするもののはずだが、東京都知事選では不味い苦い悪臭を放つドレッシングを掛ける連中が居て、肝心の政策の吟味が霞んでしまいそうだ。都民の方は怪しげなドレッシングを断固として断り、塩コショウ酢サラダオイルのシンプルで間違いのない自家製のドレッシングで政策と人物を確かめて投票していただきたい。これでは本来の味が分からなくなる
ユーチューブはそれこそ玉塵混淆で良質なものを見付けなければ時間の無駄になってしまう。積極的にユーチューブサーフィンをしているわけではないが、様々なチャンネルが目に飛び込んでくる。面白いもの有用なものを登録してきたが登録チャンネル数が三百近くになって限界と感じ、結局は見ないものは削除し始めている。ユーチューブを見て驚くことは、世の中にはどうしてと思う程自分の主張を発表せずにおれない人が多いことだ。まあ自分もブログを書いているので、お前もと言われそうだが人間には発信したい人が多いようだ、生存証明にもなっているらしい。多様性に寛容でありたいと思うので、さまざまな発言主張を見聞きしているが、中には強烈と言うか独善と言うか異論に攻撃的なチャンネルも結構ある。正直どうもそういうチャンネルは見ると嫌な気持ちになったり疲...ユーチューブ界隈
中華料理に粥がある。中華料理と言っても色々で一概に油を使ったこってりばかりではないが、それでも香辛料がきつかったりカロリーが多かったり胃腸に負担を掛けるものが多い。そこでそれを和らげるためにお粥が登場しているのだと思う。昔は少ない穀類で取り敢えず満腹を実現するための方策という意味もあったかもしれない。どうも外食が続くと体重が増えてしまうので、お粥というのも良い方法かなと思ったりしているが、中々実現はできていない。一番簡単な方法に一食抜くというものであるが、これは健康的にはあまりお勧めできない。自分が健康で居るのも仕事のひとつなので、どうするかと体重計を睨みながら考えている。粥の知恵
自民公明維新の政治資金改正法はザル法でザルに申し訳ない、ザルの方がもっと物を掬えますからと玉木代表も言っている。維新の代表の弁明を聞いていると十年後の領収書公表に黒塗りもあるなどと言い出し、馬脚が露呈した。余程隠したい使い道があるのだなと疑惑が深まるばかりだ。大体十年後では、黒塗りでなくとも意味はない。知恵を絞って抜け道を探る、それは悪知恵。誰のための政治?
地理と歴史を小学校から学んできた。地理は大得意、歴史はまあまあだった。要するに好きこそものの上手なれというわけで、地図帳を飽きず眺めている子供だった。勉強に何故するのかという理由など不要と思うが、今頃になって地理と歴史は世界を理解するために必須の道具となる知識だったのだと気付いた。ユーチューブで中国食品料理市場観察に嵌まっている。当たり前かも知れないが、昔親しんだ三国志西遊記水滸伝の中国は共産国となっても消えたわけではなく、実際様々な形で残っているようだ。三千年の歴史に高々七十年の薄皮を被せただけだから、それは当然かもしれない。しかしまあ、アメリカなど影も形もない三国志の時代にあんなに広い国をあちこち移動し統一しようとしていたのだから白髪三千丈の国なのだ。今頃気付いたこと
中国にラーメンはなく、日本の発明のように聞いていたが、ユーチューブを見ているとどうもラーメンはあるようだ。出汁の中に麺を浮かせたあるいは麺に出汁を掛け、色々な具を乗せた料理は中国各地にある。中で蘭州の物が有名なようで、日本でも蘭州ラーメンとして提供している店がある。どうしてラーメンが日本人の発明のような情報が飛び交っていたのだろう、中国食市場の情報が入って来なかった、あるいはまったく同じものがないためにそうした解釈が流れたのかもしれない。得意の改善工夫で日本人の口に合うように変化させたのは確かかもしれないが、どうもラーメンの源流は中国にあるようだ。どうしてこうゆう浅い情報が、出回ったのかわからないが、きっと似たようなことがあちこちで起きている。ラーメンはある
諾否をはっきり表明しなくても、何となく本心がどちらかなのか分かることは多い。相手の心の動きを読んで、印象操作をする天才と思われる小池百合子都知事の写真を見かけることが多くなった。写真を出す人は何らかの意図があってある特定の写真を選んでいると思われるが、小池さんは相手の表情を読むことだけでなく表情を読みにくくする才能にも恵まれておられるようで、何を考えておられるのか分かりにくい写真が多い。対人の仕事をしているので、一般男性よりは表情が読める気はするが、それでも分かりにくい。それこそ海千山千のマダムに聞いた方が良さそうだ。渋野日向子、全米女子オープンで準優勝おめでとう。渋野は笑顔がいい。表情の不思議