長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
半世紀前は外国人が好きな日本食は天ぷらと言われていたが、最近は寿司、鰻、牛丼それにラーメンと幅広い日本食に人気が出ているようだ。中でラーメンは海外進出も増えている。尤も海外では三千円とか日本では考えられないお値段らしい。三千円が日本だとどれくらいの値段に相当するのだろう、多分千五百円くらいだと思うがそれでもそのお値段ではラーメンとは呼べない気がする。私共夫婦は二人ともさほどラーメンが好きではなく、鰻よりは多いがそれでも年に数回しか食べない。街角の中華、日本人のやっている店は数が減ってきている、に月に一度くらい行くが、麵ではなく飯を頼むことが多い。勿論、寒い季節には旨いなあと唸りながら頂くこともあるが、スープは美味しくても中華麺はもう一つ美味しく感じない体質というか味覚なのだ。異論はあるかもしれないがカレー...ラーメンの不思議
今朝は曇っている。連休中に一日東京に絵画展を見に行く予定があるが、あとは特別な予定はない。暇を持て余すとまでは行かないが、自由時間がたっぷりある。小人は閑居にして不善を為すと昔の人はよく分かっていた。そして人間の本性は何千年も殆んど変わっていないし、君子は少なく小人が多数なのも変わりない。否、君子に関しては減少しているような気もする。実際には君子と小人の間の人が多いと思う。私もその一人のようで、立派なことはできなくても不善を為さないように心掛けている。まあしかし、大罪は侵さなくても小罪は時々やっていそうだ。人に迷惑を掛けなければいいだろうと呪文を唱えている。しかしどうして人間は聖人君子をつまらなく感じるのだろう。深い秘密が隠されていると見ている。暇人一考
五月八日に新型コロナの感染法上の扱いが5類に変更になる。インフルエンザ並みになるわけだ。医療側の診察負担は減るが患者側の懐への負担は増加する。連休明けというのにはいろいろな都合配慮があると思われる。一日で突然扱いが変更になることに新型コロナウイルスは納得がいかないだろう。人間というのは不思議な動きをするものだ、特に日本人というのは一律杓子定規で危ういと見ているように思われる。厚生省には判断基準となる大切なデータ収集がおろそかにならないようにお願いしたい。五月八日に変わる
落語に時蕎麦というのがあって、「今なん時だい」と客が蕎麦屋に聞く場面がある。それに倣って今何月だい?と聞きたくなる。というのはこの二三日朝夕寒いからだ。まるで三月半ばのようで、チョッキを着て出かけている。人間の記憶はいつの間にか修飾されるので、あんまりあてにはならないが昔はこれほどの気温の上がり下がりがなかったような気がする。何だか変だと思うが、そう考える人はさほどでもないようだ。天変地異など考えたところでどうしようもないし?、他にもいろいろ妙なことや事件事故も多く紛れてしまうからだろう。実際には科学的に積み重ねた観測データが残っているわけだから、色々検証しないと本当に異常かどうかは分からない。気象庁の人は調べておられるはずだ。今朝は雲一つない青空で朝の光が差し込んでいる。昨日雨が降ったから、あれこれ植え...今、何月だい?
海外に住む日本人と日本に住む外国人のユーチューブを見ている。どちらも各個人の好みというか相性で生まれ育った国を離れて生きる選択をした様子だ。以外というかやはりというか、女性が多い。殊に日本に住むことを選んだ人には女性が多い。日本を良く言う中には絶賛する人は暮らしやすさと日本人の優しさを挙げる。暮らしでは清潔さと食べ物の美味しさ交通の便の良さに加え四季の変化と地域の多様さが楽しいという人が多い。外国に住む日本人は日本の暮らしやすさを認めても、同調圧力の息苦しさを指摘する人が多い。そして独りで生きることができる力を持っているように見える。はっきりわかるのは、その国の言葉が自由に話せないと外国で暮らすのは難しいということだ。日本で暮らす外国人女性ユーチューバーの日本語の上手さは特筆もので、日本語が難しいなんて誰...私が日本を離れた理由、日本に来た理由
選挙で民意が示された。誰が選挙を考え出したか。民主主義を推し進めてきた人達らしい。誰が選挙対策を考えているか、民主主義を推し進める人達とは違う気もする。民意とは何でどこにあるのか。民意と民主主義の関係はどうなっているのだろう。年を取ってきたが、どうもよく分からない。犬が吠えても隊商は進む?。富士山は遠くで見ると美しいが山肌に立ってみると石がごろごろしている、どちらも富士山。。選挙の不思議
藤井六冠が叡王戦で菅井竜也に負けた。驚いたと言っては菅井八段に失礼だろう。名人戦第一局で渡辺名人に勝ち圧倒的な強さを見せる藤井六冠、大得意の対振り飛車でまさか負けるなどと思ってもみなかった。当たり前と言われれば当たり前なのかもしれないが、藤井六冠でも負けることがある。しかも完敗だった。こうなると渡辺名人はどうも藤井六冠に苦手意識を持っていてそれが足枷になって勝てないのではないかと思えてくる。いくら何でも現名人がニ十回戦って三回しか勝てないというのは何か原因があるはずだ。藤井敗れる
今年もいくつか野菜(茄子、胡瓜,トマト)を鉢に植えた。庭に直植えにしたこともあるが、鉢植えの方が管理がしやすいので鉢植えにしている。他にも実の生る木を数種類植えているが、柿、夏蜜柑、林檎、フェージアは実が生るようになったが檸檬、梨、無花果はまだ実を結ばない。桃栗三年柿八年と言うが、果樹は実が生るのに時間が掛かりちょっとまどろっこしい。そして実が生ったと言っても林檎とフェージョアは小さく少なく食べて美味しいとまでは行っていない。夏蜜柑と柿は人にあげられるほど立派で数多く実が生る。ただし、柿の方は鳥が食べに来るので要注意だ。今までは手入れ管理が不十分で植えただけのことが多かったが、今年は大分爺さんになって時間があるので少し手入れをしてみようと思うが、何せ素人で根気のある方ではないのでどこまで効果があるかは不明...庭の果樹園?
世の中には優れた観察者が居て、なるほどと思わせる評論をされる。養老先生、高橋源一郎、橘玲、宮台真司、佐藤優・・中野信子など。似て非なところも多く、一緒に名前を挙げられるのには抵抗がある人も居るかもしれない。ユーチューバーにも活発に評論をする人たちが何人も居られる。時々目を通して、同じようなことを考えている人が居ると思うことがある。ただ、同じような考え方見方に接しても多少嬉しいと感じることはあっても元気が出るとは言えない。人間はどうして自分の考えを発表せずにはおられないのだろう。愛犬トムとは心が通う時があったと思うが、彼の演説は聞いたことがない。犬や牛馬に思想があるようには見えない。人間には本能と認識のずれがあって意識が生まれ、思想や解釈が生まれたという説を聞いてなるほどと思ったことがあるが、で楽しく生きら...成程の先に
昨日は暖かいというよりも暑かった。駅まで歩くうち汗をかいてしまった。どうもだんだん駅までの道が遠く感じるようになった。七十五を過ぎた頃から年かなと感じることが増えた。何故六十五歳七十五歳を高齢者後期高齢者に決めたのか詳しく知らないが、キリがいいだけでなく当たっていると思う。十年一昔という感覚からか十歳区切りで八十五歳を超高齢者と呼ぶこともあるが、これは九十歳でも良さそうに思う。本当のところは八十七、八歳が境目に観測するがキリがよいので九十歳が良さそうだ。十年ひと昔
トラックドライバーがアメリカの道路を走り回るのを見るのが好きでユーチューブでよく見ている。アメリカ中の町から町へ一日何百マイルと走る。会社からどこそこからどこそこへという仕事が提示され、そこから選び取って何処へでも運転して行く。途中のトラックストップで食事シャワートイレ給油仮眠を取りながらどんどん運転する。厳しい運転労働管理があり、連続してできる運転時間が決まっており、時々丸一日以上の休憩を取らなければならない時もあるようだ。収入は運転したマイル数で決まっており、結構よい収入になるようで、殆んどトラックの中で生活しているおじさんなどは、トラックを買い取ってオーナードライバーで仕事をしている。数名のトラックドライバーのユーチューブを登録してあるが、なかでTetsuさんが気に入りでよく見ている。電車でも一番前...トラックドライバー
以前毎週のように行っていた和風洋食の店に久しぶりにカレーを食べに寄った。ちょっと量が多めで女房に向いたメニューが少ないのと最近家で食べることが増え一年近くご無沙汰していた。勿論、よく覚えていて「いらっしゃい、お久しぶり」の声が掛かった。相変わらず辛めのカレーなのだが、私はこれが好きでちょっとソースを追加して水を飲みながら頂く。ご夫婦でやっておられる店で、安くてボリュームがあり美味しい。フロアの女性は変わっていたが、ちゃんとカレーが辛いのは心得ており、お冷をつぎ足してくれた。帰り際「又いらして下さい」と無口で黙々と働くご主人も顔を上げて挨拶してくれた。久しぶりの患者さんは私の仕事でもよくあり「お久しぶり、どうされましたか」と声を掛けることはあるのだが、なかなか「又いらして下さい」とは言いにくく「これで様子を...私には言いにくい一言
「目の見えない人は世界をどう見ているのか」伊藤亜紗光文社新書を読んだ。目の見える人が実は良く見えていないことを教えてくれる本でもあった。目の見えない人は言われてみればそうかと気付くのだが、目の見える人よりも少ない情報で世界を見ている。しかしそれが必ずしも良く理解できていないことを意味するわけではない。例えば目の見える人は前後や表裏を意識区別するために、全体像を見失うことがあるが目の見えない人は全体をひっくるめて把握できている。目の見えない人を視覚障害者と表現するので研究の対象にしにくい雰囲気はあったと思うが、伊藤さんは踏み込んでインタービューと協働体験を本にまとめられた。目の見える人間は百聞は一見に如かずはそのとおりだなと受け取りがちだが、実は抜け落ちているところがあり、目をつむっただけでは目の見えない人...目の見えない人は
プロ野球で三割の打率が残せればレギュラーは確実で、打率ベストテンにも顔が出る。三割というのは十回に三回でさほどの確率ではないような感じもするが、実は世の中では中々実現が難しい確率なのだ。十円玉の表裏のような出るかでないかのような五分五分の事象は殆んどなく、あれこれ絡み合う世の中の出来事は風が吹けば桶屋が儲かるのが実態で三割当てるのは至難の業だ。勿論、極端に単純化し当てたと当てたと騒ぎ威張る輩は後を絶たないが当てた裏で何倍も外しているのには口をつぐんでいる。頭の体操用というか、医療ばかりに目を向けて経済音痴にならないように?僅かに株を持っているので株価を週に二三回チェックしているが、長期的には下がり勾配のようだが日単位週単位の動きは上がり下がりの繰り返しで素人の私には全く予想がつかない。素人考えでは金余りの...三割打者の教えること
三十年くらい前から徐々に内科学会は専門医でなくても分かる臨床に役立つ講演演題が増えてきた。昔の高々数十人しか分からないような、専門的で狭く難解な演題講演が減ったのには、一般会員の声や米国の臨床医学の影響があると思う。私は好ましい変化と思っているし多くの会員もそう感じていると思う。コロナ前は年に二三回、学会の開催地に赴き直接参加してきた。最近はオンラインネットでも講演が視聴できるが、どういうものか現地に行って実際に聞いた方が脳味噌に浸透する感じがする。今回久しぶりに参加したが、内科学会の会場の埋まり具合は五割程度で、かなり回復したようだがまだ寂しい感じがした。講演を聞くと勉強意欲が湧く、大体二か月ほどでだんだん意欲が萎んでゆくのは遺憾だが、それでも参加するとしないでは大違いだ。後期高齢者の私でも刺激を受け意...内科学会の効用
コロナが減って飲食店や宿泊施設に客が戻りつつある。多分、その影響だと思うが、客扱いが丁寧になったように感じる。年に一度泊まる丸の内ホテル、勿論以前から感じが良かったのだが、今回は特別丁寧に感じた。ぶらりと入った中華の店もたまたまかもしれないが、フロアの女性はとても感じが良かった。どうもこれは戻ってきた客が嬉しいことと相まった、仕事への感謝の気持ちのような気がした。災いを転じて福となす
後期高齢者になってからでは気が付くのは遅すぎるが世のに中は虚飾に満ちた情報が溢れている。嘘というと響きが強いのでそれほどでもないと思う人が多いだろう。しかし嘘を見解と言い換えれば、そうかなそういえばと膝を打たれるだろう。大量に拡散されているのはマスコミ情報でその背後にはコマーシャル手法とスポンサー資金が存在する。取り入り売りあげを伸ばそうとする精神が背後にあれば、事実よりも見解が優先されてしまう。はるか昔、孔子様が巧言令色少なし仁と喝破していたが、三千年の間に手法はますます巧みになってきている。政府というスポンサーも居るから要注意なのだが、あなたの感想でしょあなたの意見でしょと切り返せない人も多い。よく考える時間が奪われてしまっているのだ。コマーシャルにはコマーシャル手法が
年を取ると睡眠時間が短くなる。まあこれは多少は困るがある程度は受け入れて生きるよりないようだ。身体を動かす、うたた寝をしない、人と話をする、手を動かす・・でいくらか改善できるようだ。怖いのは睡眠的時間が長くなることだが、こうなるとご本人はあまり気にしない様子だ。不義理というのはどういう範囲をいうかよく分からないが、年を取ると行きたくないところには行かないしやりたくないことはやらなくなる。医師会最後の役職も二回に一回が三回に一回の出席になってきた。知った顔とお久しぶりと挨拶を交わすが、知らない顔と名前が出てきた。私より年配がまだ一人残っているので、もう少し名前を連ねておこうかと思う。今年は忘年会がありそうなので知らない若い医師とも話ができるだろう。春宵暁を覚える
統一地方選挙が終わった。なんだか変わりないようで、そうでもない結果が出た。私はどの党の選挙対策委員でも政治評論家でもないので一体何がどうということはわからないが相も変わらずの中に、微かな軋みを感じる。診療も十年一日ではなるまいと感じ、考えている。もはや最前線の現役ではなく消えゆく老兵ではあるが、これでいいとは思えない部分がある。日本人は変化を嫌うのにいつの間にか変化を受け入れてしまう。今やどの医院にも保険証にとって代わるマイナンバー登録機器が設置され、お持ちでしたらお願いしますと唯々諾々と登録が始まっている。登録するとどうなるか問う人もなく、どうなるかよく考えている医師も少ない。なし崩しに流れを起こすまでは時間が掛かるが、同調者が増えれば赤だか黄色だか青だか一気呵成に染まってゆく、日本の風景である。変わりないようで変わってゆく
暖かいんだか寒いんだか分からない日が続いていたが、いつの間にか桜も散り春爛漫になった。年を取ったせいか、時の流れの早さと春の息吹に圧倒される。気を取り直し、できることをという気持ちで朝食、といってもごく簡単なピーナッツとジャムのトーストだが、を食べ終わる。絵を描いていて良かった。何か打ち込んですることがあるのは有難い。尤も先日、完成した茶畑の風景を額に入れて忌憚のない評をしてくれる同年配の女性軍に見せたら、素晴らしい額ですねと筋違いを褒められて踏鞴を踏んでしまった。七半の女性陣に負けないように頑張りたい。写真は完成直前の絵できることをする
つい先日、時々行く寿司屋でお客は我々夫婦二人だった。よく話をする親父で、最初にイカを頼んだら、今日はイカはありません。手で大きさを示しながらこんなんが二千円ですよ、とても買えません。三十年前、よく蛸を食べたけどいつも蛸はないねえ。蛸なんて高嶺の花で、この頃魚の値段がめちゃ上がりですよと嘆く。そうか、いつも安いけど今日は高いのかなと内心不安になる。WBC見ました?と聞くから大谷がトラウトを三振で討ち取るところ見てたよと返事をした。大谷凄いっすよねえ、家の娘が大谷と結婚したいと言ってるんですよ。おやおやという我々の反応を無視して、そうなったら鮨屋止めますからと言う。無理だねいう我々の顔を見て、いや実際に結婚したら大変でしょうけどねとあり得ない?話に落ちを付けていた。勘定はいつもより二割増しだったが、それでも回...まあ無理だね
犬が人を噛んでもニュースにはならないが人が犬を噛むとニュースになるという。まあそうやって、数多くの案件がマスコミを騒がしている。人間の物珍しさに惹かれるという特性に従って、読まれてなんぼ見られてなんぼが根底にあるマスコミは動いてしまう。しかしそのことをちゃんとわきまえていないと重大な判断を間違えてしまう。元NHK党首が誤魔化すのと首相が誤魔化すのでは全くもたらされる結果の重大さが異なる。そのことにどれほどの人がきちんと気が付いているだろうか?。承知で見て見ぬ振りをしている政治関係者が多いように見える。犬にかみつく人達
小野寺健先生にイギリス的人生という本がある。味わい深くああそうなんだと目を開かされる名著で、文学を通してイギリス的人生を解き明かされている。先生には読みやすく手頃な心に残る言葉というベストセラーがあるが、短い言葉では表し切れない中身がこの本には詰まっている。勿論、文学だけが人間性を明らかにする創作手立てではないだろうが、文学でなければ辿り着けない広がり深みがあると思う。そこで読みたいのがロシア的人生である。沼野氏や亀山氏に類書はあると思うが読めていない。何となくちょっと重苦しく小野寺先生のような手触りではない感じがするからだ。それもロシア的ということかもしれない。しかし、プーチンとロシア国民のしでかすことをよりよく理解するには文学者によるロシア的人生が必須のように思う。ロシア的人生
トランプが浮気のもみ消しに金を支払いそれを偽装した問題、これは95%事実だと思われる。しかしトランプにはこの時期に取り上げられたことで政治的に不利な影響が生じるので、それを逆手に取ってこれは検事と民主党が私を陥れる卑劣な陰謀だと反撃に出ている。同調するトランプの支持者達はもみ消し虚偽記載の事実をそっちのけにし、この時期に起訴したのは政治的ダメージを狙ったものでトランプは被害者だと筋違いの反撃に出ている。検事や民主党にトランプの評価を落とす意図があるのは70%くらい事実としても、それでトランプの誤魔化しが中和されるわけではない。これはまやかす政治的な手法の好例と思う。事実よりも人に与える印象に重点を移して感情に訴え問題をすり替えてしまう。人類の歴史と共に権力者や権力を狙う者が用いてきた手法で、世界のあらゆる...トランプ方式
海岸に行くと海が絶え間なく波打っているのが見える。日常生活ではさほど意識にしないが、様々な事柄が絶え間なく波打ち変化している。じっとしているように見えても、直線的に増減しているように見えても細かい振動というか波がある。毎朝血圧を測り体重を測定しているが、同じ数値のことは殆んどない、上がり下がりを繰り返している。毎日の変化を巨視的に見ると何か月かの長い周期で変動している。人間の感覚では周期が長いと捉えにくくなる。年単位だと多くの人がほぼ正確に捉えられるが、十年単位となると分かりにくくなる。百年単位では普通の人には分からない。中年以降になると時代の曲がり角などと言うようになるが、曲がっている最中には中々正確には波の動きは分からない。しかし今が時代の曲がり角なのは間違いないと思う。自分の存在しない先のことを考え...波打つ世の中
中国と日本の主張は平行線、当たり前のことを見出しにしないで欲しい。そんなに簡単に歩み寄れるわけがない。それよりも二人の外相に笑みはあったのは良いと思う。日本人拘束の報に迅速に訪中したのは評価したい。笑顔の裏では断固抗議し不当拘束であれば直ちに解放させねばならない。話し合うが譲らない姿勢を示さないと嘗められてしまう。向こうは既に岸田よりも林と読んでいるのかもしれない。笑顔は必要だが
林葉ファンなのでNHKのニュースウオッチを少し見た。中々良さそうな番組になりそうだ。ニュースセブンよりもこちらの方が彼女の個性が生きそうで期待している。教授の訃報は何とも辛い。こんなにも多くの人に愛され評価されていたんだ、教授の思いを継ごうとする人がこんなに多く居るんだと知った。色々な会社の入社式を見た。電車・飛行機・・大会社・中会社・・、新入社員の希望と喜びに満ちた表情に心が明るくなった。まだまだ日本は捨てたもんじゃない。新年度ニュースウオッチ
医学書を読む時間が少しづつ減ってきて、様々な本を読むようになった。唯、漫画は読まない。三十くらいまでは結構読んだのだが今は読めない。「日本銀行我が国に迫る危機」河村小百合講談社現代新書をもうすぐ読み終わる。驚くべきことが詳細緻密論理的に書いてある。専門的な知識がある程度必要で一般の人には難しいかもしれないが、できるだけ多くの人に読んでもらいたい。黒田日銀が何とも不合理不可思議なことを推し進めてきたのかがよく分かる。背景には安倍政権の後押しとまやかし言い募る政治手法があった。日本を取り戻すのではなく、日本に目覚めて欲しい。我が国に迫る危機日本銀行
ユヴァル・ノア・ハラリとエマニュエル・トッドの本はちゃんと読んだのが一冊ずつ、目を通したのが一冊ずつで、しかもどちらも十分に理解できたかは怪しい。それでもどちらの著書からも目から鱗の思いの刺激を受けた。ハラリは歴史学者トッドは人類学者(人口学者)という違いはあるが、どちらも人類の現在を読み解こうとしている点では共通している。ハラリは全世界的に読まれているのに対しトッドは日本での読者が多いところはちょっと違う、考え方もかなり違う。私にはとても二人の本を解説する能力はないが、人間の行動原理がどこから来るのかを理解するのに役に立った気がしている。物事というのは一言では表現したり捉えたりすることはできない。ハラリやトッドの言説の要約は難しく、どうしても一冊丸ごと読まないと人類の有り様への理解は深まらない。複雑なこ...ハラリVSトッド
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長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
gooがブログを止めるというので引っ越しを始めた。うまく行くかどうか手探りだが、「はてな」に引っ越すことにした。新天地でさてどうなることか。お名残り惜しいが、心機一転。取り敢えずご報告。引っ越します。
家内が夕飯作りに草臥れたというので、老夫婦で回転寿しに行った。私は光り物中心に八皿、家内も巻物デザートなど八皿で合わせて十六皿。会計は三枚でお釣りが来て嬉しかった。お腹が空いていても十皿が限界なのだが、隣の若い二人連れは三十皿近く積み上げていた。男性の方は中肉中背で大食らいには見えないのだが、一人で二十皿くらい平らげていた。自分も二十歳の頃はあれくらい食べられたと思う。若い力を目の当たりにした。隣の客はよく食う客だ
敵愾心を煽るのが得意な人達が活躍している。妬み辛み恨みを利用して他者を非難し不平不満を掬い取り、それで稼いだり支持を取り付けたりしている。人間には劣情がある。それを利用した戦術なのだ。昔、小学校でそれは醜いこと慎むべきことと教わったのでその感覚が身に染みている。それが絶対に正しいことかどうかは分からないが、それに人類の知恵が詰まっているのは確かだと思う。何でもあり、とにかく数を集めれば勝ち?の世の中では、人類の知恵がかき消されてしまう。今だけ金だけ自分だけには同感できない、明日もあなたも思いやりも大切だと思うのだが。敵愾心を煽る戦術
高い関税は脅しだろうと高をくくっていたら同盟国?にも掛け始め、どうも本気らしいと身構えたら僅か二週間で腰砕け、やっぱり脅しで交渉の手札だったと思わせる兆候が表れてきた。猫の目トランプに振り回される世界だが、アメリカが信頼できない国になったのは間違いなく世界秩序は変容した。色々な人が指摘しているようにこのピンチは日本が変わるチャンスだ。歴史の知識は乏しいが、日本は変わらない変われない国だいうことは歴史から分かる。革新する信長のような人物は例外で、故に本能寺の変が起きたと観測している。いつも変化をもたらしたのは外圧で、トランプは大きな外圧と捉えられる。これを利用して変らないと日本はじり貧になる。先送り隠蔽体質の自民党では駄目だ。ではどこにと代わる政党がないようでも変えないと、トランプがもたらした秩序破壊という...トランプという外圧
趣味は何ですかという問いに旅行という答えを時々見たり聞いたりする。今はそうでもないが、以前は旅行って趣味でするものかなあと妙な感じがした。史跡を巡るとか旨いものを食べに行くとか言われれば成程感が出てくるのだが、漫然と旅行が趣味と言われるとピンとこなかった。知らない土地に行ってみたいという好奇心が根底にあるのだろう。中には世界一周に出かける人もおられる。さすがに世界一周となると趣味を越えるようで半ば本業になってしまうようだ。世に転勤族と呼ばれる人達が居られる。お付き合いのある薬品メーカーの人はみなさん全国を何か所か転々とされており、住んだ土地の話を聞かせてもらうのは楽しかった。世の中で言われていることは概ね正確なようで、九州博多は良いですね。引退するなら静岡でしょうか。名古屋京都はやりにくいですと言われる。...旅行が趣味
備蓄米を放出しても米価が下がらない。価格は需要と供給で決まると思っていたのだが、何か別の絡繰りがあるらしい。米作の調整をしてきた政府は、この謎を解明して国民に説明する義務と責任がある。米食を減らして食パンやスパゲッティにしているという主婦がテレビに出ていた。需要が抑えられているのに米価が下がらない、どういうこと?。農家の販売価格が消費者の手に届く間に、どのように変化してゆくのか調査をして報道してほしい。もし米が不足しているのなら、備蓄米をすべて放出すればよい。新たな備蓄米は安くアメリカから輸入すればよい。カルフォルニア米は安くて十分美味しい。何故米価が下がらない
内科学会総会で大阪に行ってきた。自宅でオンラインでも受講できるのだが、長年の習慣で家内を連れて大阪に一泊した。私は勉強、家内は買い物。新幹線は半分が外国人で、何だか外国旅行気分だった。欧米人はともかく、どこかの国の人はエスカレータの乗り口を塞いで立ち話、思わず通り道ですと注意しようとしたら日本語ではなかった。大阪は二年振り、同じ大都会でもどこか東京とは違う。東京より立て込んでビルが多い、広告が多い、緑が少ない。関西と一口にいうが、関西はひとまとめにできない、京都大阪神戸で違うのだ。微妙というより大きく違う。好きかと言われると、すぐには返事ができないが、大阪にはエネルギーを感じる。大げさかもしれないが快適な新幹線乗って大阪の街を歩いて、まだ日本は大丈夫と感じた。大阪と新幹線
鶯の泣き声が聞こえる。初心者のはずだがきちんとホーホケキョと聞こえる。どこかで練習してから来たのだろうか。三月にも聞こえていた記憶があるから、きっとそうなのだろう。まだ時々冷え込むが、ずいぶん暖かくなった。桜も散り、あっという間に緑の若葉に置き換わり桜の木だった面影は消え、なんだか不思議な感じがする。そういえば今年はまだ桜餅を食べていない。柏餅に変わる前に食べておきたい。春夏秋冬と四季の味わえる日本だが、春は短い。五月は初夏で夏に入る気がする。新緑、青壮年には意欲の湧く季節なのだが、高齢者には少し重い。心が沈みがちの鬱傾向の人にも付いてゆけない感じがするようだ。多様を受け入れる柔らかい世の中がいい。鶯が鳴いている
トランプ大統領はあたふたと言うことが変わるが、実はこれも策略で裏に深い狙いを持っていると解釈する解説者が居る一方、ころころ変わるのは場当たりの表れで関税に捉われた視野の狭い愚策だと断ずる解説者も居る。当初、私もひょっとして深い戦略があるかもしれないと思わされたが、ここまで言うことがころころ変わると単なる乱心と思えてきた。誤った現状認識に基づいた愚策でパンドラの箱を開けて世界をカオスに陥らせた人物として記憶されることになるのではないか。しかしながら、決して自分の間違いを認めたり悪かったと謝罪しないから厄介だ。うまく行くと自分の手柄うまく行かないと誰か他者のせいにする。そうして岩盤支持層は繋ぎ留められ、一定の評価をする人たちは途切れないだろう。いくら何でも猫の目では
手品師ではないけれども、あまり手の内は明かさないほうが良いかもしれない。でもまあ、知って貰うのと理解が深まるかもしれない。病気というのは嫌なもので、中でも質の悪い病気は診る方も負担が大きい。有難いことに医学は進歩しており、癌と言えば死刑宣告のように響いた時代は過ぎ去り、早期のがんは治る時代に進行したがんもかなり生きながらえることができる時代になった。そうはいっても人間は心配から逃れることはできない。後医は名医と言われるように、早期に疾患を見付け適切に対処することは難しい。病気が少し進行してから診断することはさほど難しくない。市井の開業医はできる検査は限られているし、早期の疾患を診ることが多いので、簡単そうに見えるかもしれないが実は中々難しい。なんでも気軽に話せてご心配ありませんよと言ってくれる先生と思われ...手の内
見出しに本当や真相が踊る。実際に記事を読んでみると、たいてい本当や真相は書かれていない。そう思わせる状況や思惑が書かれているだけだ。人の目を引く釣り見出しなのだが、人はそれに釣られるし状況思惑でそうなのだと納得してしまう人も多い。どうも人間の遺伝子の中に話を信じてしまう思考回路が組み込まれているらしい。世に悪知恵のある人物は多く絶えることはない。どうすれば怪しい話うまい話・・に踊らされることから逃れられるだろうか。歴史と経験に学ぶことがその方策の一つなのは間違いない。万年の歴史から学ぶことは難しいかもしれないが千年の歴史からは学べる。千年の経験は不可能だが祖父母の伝聞まで広げれば百年の経験に手は届く、各々方今はその時と申し上げたい。本当と真相の語るもの
長くgooでブログを書いてきたが、gooがブログサービスを止めるという。どうしたものか。これが潮時とブログを辞めるか、あるいはどこかに移転するか。最初はブログというものがあるそうなと聞き、自分もやってみようと始めたのだが、いつの間にか習慣となり幾許かの仲間というか知己もでき、ボケ防止とストレス解消の効果もあり続けてきた。毎日三、四十分ばかり、最近は日記のように書いていた。サービス中止まで数か月あるので、一か月くらいどうするか考えたい。どうするか、思案投げ首
ユーチューブから世の中の情報を得るようになって三年ほど経つ、新聞は全国紙二紙を読んでいるが地上波テレビはほとんど見なくなった。ユーチューブの登録チャンネル数は三百くらいあり、ほぼ毎日チェックするものからニ三か月に一度チェックするものまで色々だ。三百以上はあまり増えない。というのは月にいくつか新たに登録するが同じくらい登録を外すものがあるからだ。視聴登録数がみるみる増えたチャンネルにPIVOTがある。比較的中立で経済に力点が置かれている。ゲストが適切でインタビュアーの質問も的を得ていて聞いてみたいことを聞いてくれる点が視聴者が増えている理由と思われる。竹下隆一郎氏が抜けても勢いに陰りはない様子だが、それには新しい魅力的な女性陣の力が与っているようだ。移転した竹下氏のCROSSDIGがどの程度伸びるか不明だが...PIVOTはPIVOT
友人のS氏がコーヒーに凝りだし、豆を挽いて飲むと美味しいですよと言われるので自分も豆を挽いて飲みだした。実は二十年ほど前は自分も豆を挽いて飲んでいたのだが、ちょっと億劫になり最近はインスタントを飲んでいた。まあ最初はブラジルが良いかとブラジルから始め次いでグアテマラと飲んでみた。確かに香りがよく美味しい。ちょっと手間がかかるが色々な豆を試す楽しみもある。さて次はと迷っていたら、今月お得なのはペルー産ですというのでそれを買ってきた。お得と言ってもコーヒー豆は高騰しており100g700円もした。ペルーMべロニカ、果たしてどういう味がするだろう。職場に着いたら早速飲んでみたい。ペルーMベロニカは初めて飲んだが、マイルドで苦みは少なくわずかな酸味に旨味があり飲みやすく美味しかった。単独もよいがケーキも合いそうだ。ペルーのコーヒー
左足の親指が腫れて痛く、この二三日びっこを引いている。痛風だねというのが医者の反応だろう。ところが後期高齢者の場合違うことも多いのだ。実は階段を登る時、左足が思ったほど上がっておらず躓いてしこたま親趾を打撲してしまったのだ。幸いあと二段ほどだったので、二階に倒れこみ階段から落ちるのは免れたのだが、打撲の後遺症でびっこを引いている。年を取ると僅か1cmのことだが足が思ったほど上がっていないことが起きる。以前にも軽く躓くことがあり、気を付けていたのだが今回に懲りて、今は意識して足を挙げて兵隊の行進のように階段を登っている。それと階段は真ん中は歩かず手摺のそばを昇降している。転倒は高齢者に思わぬ障害をきたすことが多い。いつも段差にはご注意と申し上げているのに、自分が怪我をしてしまった。極めて遺憾だ。左足の親指が腫れて痛い
ユーチューブで政治経済の解説を視聴している。皆さん色々なことを言われる。バランスの取れた視野の広いものよりも自分の主張が正しいというニュアンスのあるものの方が多いかもしれない。そうしたユーチューブも結構な視聴回数なので、そういうものかと思っている。何十万という視聴回数を持つものには色々なゲストに様々な視点から解説を聞くバランスの取れた公平客観的な感じのものが多い。そうしたチャンネルに登場する中で成程と感じることを言われる三人に注目している。それはエミンユルマズ、ジョゼフクラフト、モーリーロバートソンの御三方だ。日本語も日本人以上に巧みで、見方はそれぞれ違うのだけれども視野が広く鋭いことを指摘される。ロジカルでしがらみがないせいかもしれない。とても参考になる。外国名だけれども
結構涼しいというか寒いといってもいい日が多かったので桜が長持ちした。入学式の日にも満開の桜が見られた様子だ。地方によって新学期の日は異なるようだが七日八日のところが多かったのではないか。七十年前で今では記憶も薄れたが、自分が小学校に入った日にも桜が咲いていたと思う。大した風もないのに桜は散る、桜吹雪の中を出勤している。株価が乱高下し、経済学者から評論家、素人のはずなのに色々口をはさむ人まで百家争鳴で解釈予想がネットで乱舞している。私も爺のつぶやきに過ぎないが、政治経済のことを書くので人間には世の中のことを色々気にしたり考えたりして発言したい性質を持った人間が居るのだと分かる。女性も居るが男の方が多い。自分の場合、多少のストレス発散になっている気がする。百家争鳴に参加
トランプ関税発表直後、証券アナリストの多くは米株価は下がるが日本株の下げは大きくない、35000円で底だなど色々勝手なことを言っていた。ところが、株価は下げ続けて大きく下落した。一体どこが専門家なのだろう。確かに明日のことはわからないのだが、わからなさにも専門性があると思っていたがトランプが相手では考えても分からないということか。トランプの関税は単なる脅しで、米株価下落を気にするから実際には高い関税は掛けないと言われていたが、現実は株価暴落もなんのそのしばらくすれば回復する我慢しろと突っ走っている。トランプ自身は意図も予期もしていなかったと思うが、パンドラの箱を開けてしまった。アメリカには頼れないアメリカは信用できないというパラダイムシフトが起き始めている。日本の政治家も経済人もまだそこまでは考えていない...パンドラの箱を開けた
人相というとどうも褒めない方に使われることが多いので気を付けて使いたい言葉だが、顔が物語ることは多い。誰でもある程度長く生きていると顔から人を推しはかる能力を知らないうちに身に付ける。勿論、外れることはあるのだがやはりとゆうことは多い。多くの人が頷かれるだろう。リンカーンが四十になったら自分の顔に責任を持たねばならないと言ったと読んだことがある。色々な人が似たようなことを言っているから、間違いない所だろう。誰もが政策の実現可能性や政治家の言明の信憑性を裏付ける大量の情報を持っているわけではないし分析する能力に恵まれているわけではない。しかし誰もが人相と表情を読むことはできる。選挙の時はマスコミや噂などは参考にとどめ、要するにこの人物は信用できそうかと受け答えする表情と声音、レンズを見つめる人相を見極めるこ...顔は雄弁
嫌な顔をされるのが苦手だ。救急外来に患者さんをお願いする時、出てくる医師によっては声から嫌そう面倒くさそうな顔が分かるのでどうしても下手に出てしまう。いい年をして、情けないと思いながら受けてもらわないと困るのでお願い口調になる。お忙しいところ申し訳ありませんがどうぞよろしくと電話口で頭を下げてしまう。医師によっては笑顔が見える受け答えで、はいはいどうぞと言ってくれる。需要と供給は権力とは違うけれども、権力に似ている。不利というか立場の弱い方が下手に、有利と言うか立場の強い方が横柄になる傾向がある。尤も救急外来は忙しくて大変なところだが、あまり横柄だと批判が出るし競争原理が働いて依頼が減るので応対は改善されてゆくことが多い。立場によって
このところ外食が増えている。外食で困るのは、家内が食べきれないからと私に色々呉れることだ。食べようと思えば食べられるし残してはいけないと教えられて育ったので食べ残すのも気が進まない。ダイエットが中断されて大袈裟だが遺憾だ。この頃は無念だが断っている。日本では食べきれなかった分を持ち帰るのが難しい、言い出しにくい、嫌な顔をされる、断られる。勿論、どうぞというところもあるが。小食者用というか高齢者人口も増えたことだし高齢者用の七分目の量のメニューを作って欲しい。採算的に難しいのは分かるので値段は一二割引きで文句は言わない。ところが実際には単に量を減らしただけのメニューは出しにくいらしく、殆んどの店で見かけない。もっと客の多様性を考えてと申し上げたい。家内は写真のリンゴは毒林檎というが本当だろうか?。毒林檎の苗...できないものか?
遠い昔、寛容と忍耐と説いた首相が居られた。それに習い、異なった異なった意見にも耳を傾けるのを信条としてきた。しかし高齢者になってくるとあにはからんや円熟とは参らず、少しづつ忍耐力の衰えを感じるようになった。年を重ねると穏やかな達観の境地が訪れるというのは希望的観測のように思われる。私が残念な例外という可能性もあるが、どうもそういうわけでもなく寛容はともかく忍耐力は年と共に衰える傾向があるように感じ観測している。尤も、判断力が付いて評価に値しない意見に貴重な時間を使わなくなったと言えるかもしれない。いづれにしても、この人の言うことは聞いていられないと思う人が増えた。勿論、一二割は頷ける意見や考え方を含んでいるのだが根本のところで堪えきれない軋轢音を発生するのだ。堪え性がなくなる
限られた経験だが、四十代と思しき歯科衛生士にお目にかかったことがない。殆んどの歯科衛生士さんは二十代だった気がする。今お世話になっている歯科の衛生士さんは二十四、五、六才の気がする。歯科衛生士さんは普段はあり得ない距離でお顔を拝見できる。見まいと思っても腕や首が目の前に迫ってくる。日本人女性はと言っても外人をよく知っているわけではないが肌が細かく美しい。若いから皺がなく大袈裟かもしれないが若さで輝いている。何故歯科衛生士は若い女性ばかりなのか知らないが、アラフォーだと再雇用の口がないのかなと推測する。歯科衛生士は若い
まさかということが起きた。人類とは思えない強さの藤井八冠が伊藤匠七段に敗れ七冠になってしまった。今期に入り永瀬九段などにやや不調ではと言われていたのだが、調子を落としていたのだろうか。勝勢から逆転負けするなんて、今までの藤井には考えられないことだ。大谷も一時通訳の不祥事で調子を落としていた。やはり二人とも人間だった。伊藤が勝てるならと端から気勢を削がれていた棋士達が新たな戦略で向かってくるだろうから、藤井七冠もこれから大変だろう。しかし、タイトルの数など気にせず目の前の一局に全力を注ぐ人柄なのでこれからも名勝負を楽しませて貰えると思う。十一連敗からの奪取、師匠はありがたいね。師匠の宮田八段は伊藤が勝ちますと断言していた。藤井敗れる
五十年以上の長い記憶のある国民は、とりあえず平和そうな日本も内実はあちこちガタが来ていると思われているのではないだろうか。特に劣化しているのは政治家だが、もう一つ改革が必要なのはマスコミだ。自立しておらず金と権力におもねる姿勢が透けて見える。政治資金規正法が成立したが、形だけの改善で抜け穴だらけのザル法だ。十年後に領収書を公開するなど何の意味もない。しかも一部は黒塗りだ。それを衆議院賛成参議院反対と支離滅裂な維新の馬場代表が得々と支持している。阿保らしくて話にならない。国会中継の党首討論で岸田首相の答弁を聞いていると国民よりも自民党議員を守っているのがよく分かる。日本の政治家は選挙のことしか考えていないという米国投資家の批判は当たっている。情報が操作されては票が資金力で左右されてしまう。政治家とマスコミ
新型コロナがここにきて再びやや増加し始めたようだ。地方都市の一診療所の報告だからどこまで正確に全体像を伝えているか不明だが、今日複数の陽性者が出た。死亡率を下げて生き延びようとするウイルスの戦略は恐るべきもので、インフルエンザの向こうを張る存在になりつつある。嫌なものは早く忘れたいのが人間の心性ではあるが、厚労省はそうであってはならず科学的に粘り強く対応していただかねばならない。災害は忘れた頃にやってくるが、悪疫は忘れようとすると盛り返すから油断は禁物なのだ。新型コロナくすぶり続けている
今朝は本降りで風があり、なかなか辛い駅までの歩きだった。株式投資で大儲けするのは五十人に一人程度と言われている。ギャンブルはどうだろう。似たようなものと思われる。困ったことに?、この五十人に一人の人達があたかも二人に一人居るようにうまい話が喧伝されている。証券会社や株予想で仕事されている人は、素人が株投資すると損しますよとは言わない。儲かりますよと上がりそうな銘柄を紹介しても必ず小声で買う時は自己責任でと釘を刺している。政治家も似たようなもので、不都合なことは言わない。アべノミクスで大企業が儲かればおこぼれがあると聞いたが嘘だった。嘘だったと責めれば**が悪かったせいだと上手に責任を逃れる。まあ嘘と言えば聞こえが悪いが夢と言えば美しく響く。夢を売る仕事と言われてしまうと咎めにくくなる。夢とまでは言わず商売...五十人に一人
距離と時間は長く生きて居ると短くなる。自分を尺度にするから、短く感じるようになるわけだ。唯、距離は交通機関の発達もあるから科学技術の進歩も与っている。一年が短くなった一か月が短くなったと感じるわけだが、この頃は一時間が短くなったと感じる。一週間が早くなったとよく聞くが一時間が短くなったというのはあまり聞かない。しかし、自分はこの頃一時間が短くなったと感じる。そのうち一分が短くなったなどと言い出すかもしれない。短く早く感じる
愛飲するウイスキーがボトルにあと半分、まだ半分あるという人ともう半分しかないという人が居る。中にはちょうど半分だという散文家も居るだろう。還暦が人生の感慨深い通過点だったのは半世紀前のこと、今では赤いちゃんちゃんこを着る人は殆んどいないだろうが、六十になった時あと四分の一かと鬼が笑うようなことを思ったものだ。今ではあとどれくらいなどという、逆立ちしてもどのみち残り少ない年月を思いめぐらすことはなくなった。行けるところまでというのが、多くのご同輩の心境だと推察する。それにしてもバイデンとトランプは外れている。トランプと同い年の自分は顧問はできても社長院長大統領・・トップは難しいと断言できる。半分はどれだけ
寒い時に暖かい食べ物が美味しいように、暑い時には冷たいものが美味しい。何時からかき氷が庶民の御馳走になったか知らないが、慌てて食べると額がツーンとするかき氷では宇治金時が一番好きだ。同意される方も多かろう。これが許せんことにかなりお値段が張るのだ。子供の頃どころか成人してもしばらくは簡単には手が出なかった。せんじと言って分かる人はどれくらい居られるだろう。宇治金時に手が出ないころはもっぱらせんじを頼んでいた。ぜんざい、お汁粉は全国的に通じると思うが、大判焼きやせんじは全国版ではないのを故郷を出て初めて知った。暑い日には冷たいものが美味しい
痩せる方法は数えれば何百もあり、色々な人が本やユーチューブ動画で提案している。何百種類といっても基本的なところは似ており、数種類にまとめられる。ただ、独自性を出すためや商業的な思惑があって、少しづつ変えている変わっているだけだ。食事と運動が基本でそれに睡眠時間や仕事と自宅での生活習慣と体質が加わる。ではなぜ、それほど沢山の方法があるのに中々痩せられない人が多いかというと結局はきちんと実行できない人が多いからだ。肥満された患者さんに受診された時注意をすればできない言い訳があれこれ返ってくる。強く言えば反発する人嫌がられる人も多く、その塩梅は難しい。高脂血症や高血圧症でコレステロールの多い食品や塩辛い味付けを避けるように減らすように説明しても、中々守れない人も多い。幸い今はとても良い薬があるので、食事が厳格に...人間は思うようにできない
街中の蕎麦屋中華料理屋・・を選ぶ時は、味と値段そして雰囲気で決めてゆくわけだが、まず選び損ないというか失敗というのはないと思う。自分が気に入ればそれでよいわけで違ったということもあるかもしれないがそれは非常に稀だろう。ところが医者や歯医者選びでは時々間違いが起きる。というのは食べ物の美味しさと違い医者や歯医者の能力得意分野は素人には分かりにくいからだ。後期高齢者になって、年に二回歯の点検と歯の磨き方の指導を受けているが、もっと早く今の先生のところに来ればよかったと後悔している。そうすれば多分抜かないで済んだ歯が何本もあるのではと思う。店の選び方
今朝は比較的涼しい。季節感覚を失ってしまったように感じる、季節がはっきりしない日が時々紛れ込むようになった。今日の日付が答えられない認知症が忍び寄るお年寄りに今何月ですかとお聞きすることがある。それも答えられないと今の季節は春夏秋冬のいつですかと聞く。季節くらいは分かるだろうと思っても結構外す患者さんが居られる。挨拶など普通にできるのにと意外に感じるが、この頃は気温の上がり下がりが大きく陽気が不安定なので、間違えるのもしょうがない気もする。冷やし中華に柏餅と食べ物屋は供するもので季節を告げるが、医院では六月になってもインフルエンザBが出たりして、医者が目をこすって何度も結果を見つめている。今、何時だい
五、六年前に比べたらユーチューブを見るようになったので、少しはマスコミで話題になる人を識別できるようになった。人物と同じように時々見かけ聞きかじる知らない言葉の意味もある程度分かるようになった。知らない言葉は文脈から何となく意味が分かることもあるが、キーボードを叩いて意味を調べないと分からないことも多い。たとえばリスキリング、ディスルなど分かったような分からない言葉も解するようになった。勿論、こうした言葉は知らなくても生活できるが、世の中の流れ雰囲気を理解するには、知っておいた方が良さそうだ。しかしなぜカタカナ英語と言うか短縮語を使うのか、どこかに上滑りで済ましじっくり深く考えるのを避ける風潮があるようだ。その背景に情報過多があるのは間違いない。知らない人と知らない言葉
東京都知事選挙、蓮舫VS小池百合子の一騎打ちだったはずだが、予想通りの貶し合いというか悪口の言い合いで、それが飛び込み参戦の石丸氏に有利に働き三つ巴になりそうな気配だ。尤も石丸氏も人気が出ればどこからか否定的な情報が出てきて叩かれるだろう。ドレッシングというのはサラダの材料本来の味を引き出し引き立たせ美味しくするもののはずだが、東京都知事選では不味い苦い悪臭を放つドレッシングを掛ける連中が居て、肝心の政策の吟味が霞んでしまいそうだ。都民の方は怪しげなドレッシングを断固として断り、塩コショウ酢サラダオイルのシンプルで間違いのない自家製のドレッシングで政策と人物を確かめて投票していただきたい。これでは本来の味が分からなくなる
ユーチューブはそれこそ玉塵混淆で良質なものを見付けなければ時間の無駄になってしまう。積極的にユーチューブサーフィンをしているわけではないが、様々なチャンネルが目に飛び込んでくる。面白いもの有用なものを登録してきたが登録チャンネル数が三百近くになって限界と感じ、結局は見ないものは削除し始めている。ユーチューブを見て驚くことは、世の中にはどうしてと思う程自分の主張を発表せずにおれない人が多いことだ。まあ自分もブログを書いているので、お前もと言われそうだが人間には発信したい人が多いようだ、生存証明にもなっているらしい。多様性に寛容でありたいと思うので、さまざまな発言主張を見聞きしているが、中には強烈と言うか独善と言うか異論に攻撃的なチャンネルも結構ある。正直どうもそういうチャンネルは見ると嫌な気持ちになったり疲...ユーチューブ界隈
中華料理に粥がある。中華料理と言っても色々で一概に油を使ったこってりばかりではないが、それでも香辛料がきつかったりカロリーが多かったり胃腸に負担を掛けるものが多い。そこでそれを和らげるためにお粥が登場しているのだと思う。昔は少ない穀類で取り敢えず満腹を実現するための方策という意味もあったかもしれない。どうも外食が続くと体重が増えてしまうので、お粥というのも良い方法かなと思ったりしているが、中々実現はできていない。一番簡単な方法に一食抜くというものであるが、これは健康的にはあまりお勧めできない。自分が健康で居るのも仕事のひとつなので、どうするかと体重計を睨みながら考えている。粥の知恵
自民公明維新の政治資金改正法はザル法でザルに申し訳ない、ザルの方がもっと物を掬えますからと玉木代表も言っている。維新の代表の弁明を聞いていると十年後の領収書公表に黒塗りもあるなどと言い出し、馬脚が露呈した。余程隠したい使い道があるのだなと疑惑が深まるばかりだ。大体十年後では、黒塗りでなくとも意味はない。知恵を絞って抜け道を探る、それは悪知恵。誰のための政治?