長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
桜(ソメイヨシノ)が咲いた。赤みが淡く白に近い。昨年より数日遅れたが、入学式まで散らずに持つだろうか。昔は入学式、校庭に咲いていたものだ。桜は風と冷気を呼び、美しいけれどもどこか落ち着かず、心穏やかにさせない。これは日本人的な感覚かも知れない。ポトマック河畔では又違った印象があるのだろう。明日新しい元号が発表になる。平成を敗北失敗などと総括する学者や社長がいる一方、良い時代だったと感じる人も多いようだ。過ぎたことを水に流すのが得意な日本人は、年末年始や元号で気分を変える。しばらくは新しい元号に様々な印象意見が飛び交うだろう。閣議で花丸の評価は御免被りたい。アスパラガスを取り過ぎると失笑を買う。花に小嵐
年が明けて、まるで平成に駆け込むように馴染んだ人達が亡くなってゆく。先一昨日はショーケンこと萩原健一、昨日は声優白石冬美・・たまたまでそう感じるだけかもしれないが、一つの時代の幕が下りる気配を感じる。よく知らなかったが萩原健一は波乱万丈の人生を送ったようだ。何度も逮捕離婚をしているようで、これは遠慮したいが、なんだかものすごく女性にモテたようで、それは羨ましい気もする。有名人がそれで亡くなるといつもその病気が有名になる。GISTは非常に稀のように報道されているが、当院では二名ほど経験しており腹部腫瘤ではいつも鑑別に浮かび、さほど稀な疾患の感じは持っていない。これは自分が経験しているからの感覚で、かなりの医師はGISTを経験しておらず、ご存じない先生も居るだろう。しばらくGISTではないかと消化器科に受診される患...平成の幕が下りる
医師の時間外労働が問題になっている。これを世間並みに短くするのは難しい感じがする。一つには伝統というか、俺達は毎日十五時間働いていた。家には週三日帰れば十分、そうやって一人前になったんだという副院長院長が揃っている。それが良いかどうかは議論があるところだろうが、医療界にそうした過去がある。二つには診療や研究は効率化がほとんど不可能な領域で、八時出勤十八時帰宅では優れた成果は得られない。さてそれで昔過労死が多かったかと言えばそうでもなかったのではないかと思う。上に長時間働いても過労は避けさせるような世間知というか工夫があったような気がする。下に誤解を招くかもしれないが過労死をしない訓練というか強さというか狡さがあったように思う。そのままでは問題はあるだろうが、欠かせないものは何とか引き継ぐ必要がある。世の中は変わ...忙しすぐ戻れない
イギリスのメイ首相がEU離脱後辞任すると表明した。えっ、そんな切り札が英国でも通用するのかと不思議な気がした。自己犠牲を最後の切り札とするのは日本特有の感覚伝統かと思っていた。平手政秀や佐倉惣五郎などのような人物がイギリス史にも存在するのだろうか。しかし、白鳥の歌という表現があるから命の終わりというか引き際が特別という感覚は万国共通の普遍的なものかもしれない。BREXITを詳しくフォロウしているわけではないが、瓢箪から駒であっても離脱判定は国民投票の結果なのでこれを反故にすることはできない。再投票となればエンドレスになってしまう。少なくとも五年、出来れば十年は置かないと再投票は難しいと思う。メイ首相の切り札
時々紹介した総合病院から薬の使い方についてご指導を頂く、まるで当方が理解していないような書き方にはなんとも嫌な感じがして飯が不味くなる。例えば最新の睡眠薬の使い方を知らないわけではないのだが、個人の医者は時に患者の訴えに負けてしまう立場あることを分かって貰えない。デパスやハルシオンの使用量はこの十数年で十分の一に減らしたのだが、まだゼロには出来ていない。どうしても欲しいという患者には駄目と云えばいいじゃないかと総合病院の医師は言われるだろう。総合病院では患者はまず反論せず、分かっても分からなくてもハイと言って帰ってくることが多いのだが、個人の医院では甘えるというのかごねるというのか中々引き下がらない方も居て、根負けしてしまうことがある。甘えの構造というか、ものが言いやすい関係性が出来ているので絶対駄目とは言いに...分かっていても出来ない時もある
花冷えに花曇り、どうも桜の咲く季節に温暖晴天は少ないようだ。今朝は寒くはないが、曇天で桜はちらほらほんの数輪咲いているだけだった。二月は逃げる三月は去ると言われるようにこの二か月はあっという間だったように感ずる。新しい元号の発表まで一週間を切り、平成も一か月余りで終わる。平成の総括には厳しいものが多い、今頃になって証文の出し遅れの気もするが、二三年前では失敗の平成と単刀直入では何を言うかと目先しか見えない取り巻きに叩かれたかもしれない。私の実感は停滞の平成だ。問題山積み先送り、気が付けば一周遅れでトラックを走っている。安倍首相は一周遅れているのに、三位争いをしているようにねじり鉢巻きで私は悪くないと走っておられるようだ。人生の肝の三十年が停滞だったとは人間の心情としては中々受け入れがたい。それにしても昭和が懐か...平成を見送る花
イチローが引退した。「後悔など、あろうはずがない」と聞いて、そうかと思える希有な男が現役に終止符を打った。指摘する人が居ない?ようなので書いておきたいのだが、イチローがここまでできたのはMLBなかんずくアメリカという国だったからではないかという気がしている。どのくらいの人が同意するか分からないが、私は以前からそう思っており、今や確信に近い。勿論、イチローだから築けた記録なのは間違いないが、アメリカMLBの意味は大きい。弓子夫人は頷かれる気がする。イチローを生んだMLBの国
今朝早く102歳のお婆さんが亡くなった。昨夜パンをひとかけら食べさせたらありがとと言って寝たそうなのだが、今朝出勤前に見に行ったら息をしていないとお孫さんから電話が来た。いつ何があってもと話してあったせいか動転した様子はなかった。往診に行った時に聞かされた「先生、あたしゃ長生きしすぎただよ」という言葉が耳に残っている。春の朝、孫宅に死す
将棋の第27期銀河戦の本戦トーナメントにアマチュア代表として出場した将棋講師の折田翔吾さん(29)大阪市阿倍野区が、プロの棋士に7連勝する快挙を果たした。なんだこれというのが私の感想、これは快挙を通り越している。大山十五世名人が存命ならお小言があるだろうし、プロへの登用を認めた気がする。昔はアマとプロの一番差がある業界は相撲と将棋と言われたのだが、今ではその差も微妙になってきたようだ。折田さんはセミプロという言い方が適当かどうか分からないが、元奨励会員でプロへ研鑽を積んでいたわけで趣味のアマチュアとはちょっと違う。運がなくプロにはなれなかったが、紙一重の力は持っていたわけだ。奨励会を抜けてプロになれなかったが、アマチュアでの好成績で編入したプロがおり、そこそこの好成績(負け越していない)を挙げている。七連勝とい...プロアマの差
デビューの時から菊池雄星の存在は知ってはいたが特別注目はしていなかった。色々あって伸び悩んでいたが、ようやく芽を出した矢先、突然私のお気に入りだったBS放送MLBのキャスターの深津留美さんと結婚したのでびっくりした。当初なんだこいつと思ったのだが、純粋な思いを深津さん受け入れたようだったので、彼女を見られなくなったのは残念だが二人を応援するようになった。二人ともMLBへの思いが強く、MLBへいければ良いなあと思っていたのだが、それが実現しマリナーズへ移籍できた。こう書けばとんとん拍子のようだが、そうではなく色々な紆余曲折を二人で乗り越えてきたのだろうと思う。久しぶりに深津さんの写真と記事をネットで見ることが出来た。完全に仕事から引退したわけだがそれに対して「仕事が大好きだったので、正直さみしかったです。でも私が...如何なる星の下に
野口悠紀雄さんという人が居る。一般の人にはさほど馴染みはないかもしれない。私は三十年近く前の超整理法の時から知っており、やや独断的で軽い感じはするが分かりやすいので時々読んきた。このほど「平成はなぜ失敗したのか」という本を幻冬舎から出された。暑苦しい幻冬舎からというのでちょっと躊躇したが、平成を丸ごと生きその昔総括という拡声器の声が耳に残る世代なので、平成の総括を考えてしまう。その縁に読んでみた。薄々気が付いてはいたがそれほど酷かったのかという平成日本の迂闊出遅れを認識させられた。勿論、野口さんの分析総括への異論反論はあるだろうが、今の日本の閉じた出遅れた実態認識にはさほどの差はなかろう。野口さんは経済学者で私は市井の臨床医なので、経済に対する理解力分析力には素人と玄人で雲泥の差があるのだが、なんでこうなったか...平成はなぜ失敗したか
内田裕也さんが亡くなった。あれついこないだ樹木希林さんが亡くなったばっかりで、元気そうだったのにと驚いた。享年七十九歳、今の時代ではちょっと若いが、十分生きられたのではとも想像する。希林さんが呼んだなと思った人は多いだろう。高齢のご夫婦がまるで連れ添ったように亡くなるのは、それほど珍しいことではない。奥さんが亡くなって一か月ほどでご主人が亡くなった夫婦を二例、ご主人が亡くなって二週間で奥さんが亡くなった夫婦を一例経験している。残された方が抜け殻のようになって、あれあれという間に亡くなってしまった。三例とも九十歳前後で年齢の近いご夫婦だった。よく言われることだが残されて元気が出ると言うと語弊があるかもしれないが、独りになった人生を謳歌されるのは女性の方に多い。お父さんまだ呼ばないでねと友達とあちこち旅行をされたり...希林さん、呼んだのかね
今朝もマラソン爺さんを見かけたのだが、今朝はどうしたことか途中で走るのを止め、歩きながら私とすれ違った。あれあれと顔色を窺ったのだが息が上がったようでちょいと苦しそうで肩を落としていた。大丈夫かなと二度ほど振り返ってしまった。羽生九段がNHK杯を制覇し十一度目の前人未到の優勝回数を果たすと同時に棋戦の優勝回数でも大山十五世名人を抜いて単独トップになった。勿論、どんな棋戦タイトル戦でも強いのだが、短時間の一日決選では特に強い。それと運も強いのだ。同年代の強豪と言われる棋士には滅法強く先手となればなおさらで、郷田も強いのだが後手で羽生相手では勝ち目は薄く、郷田に動揺があり、振り駒で勝負は決まった。三十年前と違って将棋では明らかに先手が有利になっている。タイトル戦の後手番で五分の星が残せれば九割はタイトルを制すること...何がどうとは分からないのだが、微かに違う
ジムロジャースという人が居る。世界的な投資家らしい。つい一週間前まで知らなかった人だが、BSの真相ニュースで見かけて、核心を突いた言いにくいこと、つまり借金大国少子化の日本の将来は暗い、をはっきり言う人だなと思った。政治だけでなく経済の専門家とされる人もあれこれ違った見方をする。政治が好みと信念そして立場と利害で主張が四十五度から百八十度まであれこれ違うのは理解できるが、データを使い科学の装いのある経済学の専門家の意見が九十度どころか百八十度も違うのはどうもよくわからない。早速ミーハーにもジムロジャースの「お金の流れで読む日本と世界の未来」というPHP新書を買ってきた。ジムロジャースは経済学者ではなく投資家なので、その言い分は何処に投資すれば儲かるかという視点に貫かれており、私のような経済学素人には分かりやすい...ジムロジャースの見方
昔、裏番組を見ると頭が痛くなるというテレビ放送があった。実際に頭が痛くなることはなかったと記憶する。しかし今はインターネット情報を読んでいると頭が重くなることがある。それなら読まなければいいと言われそうだがパソコンを立ち上げるとどうしてもあれこれ見出しが眼に入ってきて、つられてクリックすることが多い。見出しが読んでみたくなるように工夫されているからだ。これからはクリックする時は出何処を確認して屑情報を避けたいと思うようなった。幅広く多彩な情報をという心懸けからは外れるが、視野の狭い悪口雑言を読んでいると頭が曇ってくる。続けていると頭が悪くなるような気もする。惚け始めているのにこれ以上悪くなっては仕事が出来なくなる。私には紙に印刷された活字とBS放送がいい。BSの英語放送は私のように聞き取りが不十分な人間のために...呆けない工夫?
ブラタモリのパリ編後半を録画で見た。二千年の古都を大改造した知事が居たのを思い出させて貰った。とは言っても名前も忘れ下水道を整備した人物位にしか憶えて居らず、いやはやオスマンさんは凄い人、爪の垢が残っていないだろうか、あれば日本の知事さん達に飲んでいただきたい。糞尿で汚れた古都パリが如何にして華の都になったか、タモリ林田と一緒に合点した。その花の都パリの魅力は実は恐ろしい。幸い私は一寸引きつけられるだけなのだが、魔力に魅せられ半生を捧げている?人は多い。多くは女性で、私が二人ばかり知っているくらいだから、全国では相当な数になるだろう。一人は患者さんのお嬢さんで、もう呆れたのを通り越し諦めました(これは母の視点)と、もう二十年になるので話題にも上がらなくなった。今回タモリを案内した女性もパリの魔力に引きつけられた...華の都パリの怖さ?
自分は医療にしか従事したことはなく、他の職種のことはよく分からないが、長く医師であり続けるのは容易ではないと感じている。外科医に比べれば内科医は十年ほど長く第一線に従事できるがそれでも六十半ばからは最新の知識を保つのが難しくなる。医療の進歩というのは分野によって差があり、遅々として予後の改善しない疾患から不治の病が治るまで進歩した病気まで様々だが、全体としては随分進歩しており医師免許を手にした四十七年前とは隔世の感がある。そうして今でも何とか現役で仕事が出来ている訳だが、振り返ると卒後五、六年に身に付いたものが大きいと感じる。二十年三十年経っても学びと進歩はあるのだが、何と言っても研修医の頃身に付いたものが土台と核となっている。今ならパワハラとされかねない叱声も、あの頃は当然で何度か頭ごなしに注意されたことがあ...仕事を続けられるのは
辰巳琢朗さんが自民党の大阪知事選出馬要請に対して、政治は政治に向いた人がやるべきと断られたようだ。政治に向いた人というのはどういう人のことかと聞き返したくなる。一体政治に向いた人とはいかなる人物なのだろうか、安倍首相、枝野さん、玉木さん、志位委員長、小沢さん、二階さんそれに松井大阪府知事などが政治家に向いた人なのか。政治家を辞めても政治的な発言を繰り出す橋下氏や文筆家とも思えない政治的発言を繰り返す百田さんなどは政治に向いているのだろうか。確かにああ言えばこう言う、俺が我こそがという性向や固い信念や権謀術数の凄味を漂わせる人が多いようだが、それが政治に向いているということだろうか。確かにこうした要素は政治に必要かもしれないが、一番大切なものではない気もする。人間の本質は数千年さほど変わっていないようだから、それ...政治に向いた人とは?
首都と言えば東京、杜の都は仙台単に都と言えば京都なのだが、私に謎の都なのが大阪だ。どのくらいの人が私と同じような感想を持たれているか分からないが、食道楽はなるほどと思ってももう一つその笑いには馴染みにくい。えげつないと言うと言い過ぎかもしれないが、もう一つしっくりとこない感じがしている。それが京都神戸となると馴染め腑に落ちるから、私の感覚がずれているのかもしれない。この馴染まない感じは維新の会に端的に現れている。不思議な辞職をして知事市長入れ替え立候補のダブルクロス選挙はどうもえげつない感じがしてしまう。自民党が担ごうとした辰巳琢朗さん、この人には大阪の人の感じが薄い。出れば勝てたと思うのだが断られた。大坂愛は人後に落ちなくても、もう一つ大阪人ではなかったのだろうか。大阪と聞いて各分野に思い浮かぶ才能あふれる人...謎の都
この二年ほどは遺伝子関係など最先端の医学の進歩について行けなくなっている。実際の臨床現場で必要な最小限のポイントだけを何とか押せるだけで精一杯だ。幸い最前線では難しい検査や新しい薬を使わなくても、今までの経験と知識で何とかやれている。何とかというのは、これは自分の手に負えない病気や病態であることを外さないでやれるという意味だ。勿論、完璧とはゆかず、重病の可能性があると思って送った症例が軽症でその日のうちや翌日心配有りませんと返されてくることは時々ある。緊張性頭痛だったり、急性胃炎だったとしても、研修医にこんな症例を救急で送ってきてと思われても、気にしない。逆に軽症だと思って様子を見た症例が実は重症だったということは年に一例あるかないかで殆どなくなった。それが肝腎なことなのだ。色々困ることはある。どうもこれは症状...完璧には参らぬが
時々BSで磯田道史さんが司会をされている英雄たちの選択を見る。日本史には詳しくないので(世界史もさほど詳しくない)、この人はそういう人だったのかとかそういうことがあったのかと新知見が一杯で、楽しい番組なのだが、磯田さんはもとより出演者の深い日本史の知識に驚いてしまう。よくまあそんなことまで知っているなあと感心してしまう。それだけ知識が深ければ、今の世に起きていることにも真相に迫る見方が披歴できるのではと思うが、そういう企画は殆どないようだ。人間のやることを理解するには歴史の深い知識が必須なので、日本現代史のこうした番組をNHKは様々な圧力に屈せずいくつか企画して欲しい。半藤一利さんなどご存命の内にもっと数多くのお話を残しておいて欲しいと願う。本を読まない人も多いからだ。高々七十年の記憶しかない私も歴史の生き証人...世の中変わった
今日は雨が上がり、青空が見える。記憶の三月初めより春めいている。インフルエンザもB型が流行ることもなく消退し、外来は込み合うこともなく平常に戻った。なんでもない有難さを感じる。これはある程度年を取らないと分からない感覚だ。樹木稀林の一切なりゆきという本が売れているらしい。読んでいないのに感想を書くのはフライングかもしれないが映画やテレビで彼女を知っているから、そうかねと注釈を付けたくなる。なりゆき任せといったって長けた人だから考えてあると思う。つまりなりゆきで良いように下準備がしてあるのだ。成り行きを許容できるような心が用意してあるのだ。行き当たりばったりとは違う。だからノータリンのお嬢さんや小母さんが真似をすると怪我をしますよとト書きを付けたい。行き当たりばったりのなりゆきでは松濤の豪邸には住めませんよ。それ...一切なりゆき?
籠池泰典氏は胡散臭い人でとても君子とは思えないが豹変し、不当な長期拘留は口封じ目的だと検察を国策捜査だと鋭く批判した。置かれた境遇で見えてくるものが違ってくるようだ。首相夫妻の支援の手の平が返り犯罪者扱いに転落して気が付いたことの方が世間の実際を映しているだろう。人間は変わりにくいけれども変われないわけではない。それには長年の臨床経験から気付いている。毎回のように体重を落とすように指導して10年160cm80kgだった人が、ある時突然三か月で70kg迄体重を減らすことができたということは稀ならず経験する。その患者さんにとって深刻な境遇の変化があったからだ。だから、以前不祥事を起こしたことのある人も反省から変わり得る。そうした人の発言も内容のあるものには耳を傾けたい。お前に言われたくないという批判は、浅薄不当なこ...境遇が変わって見えて来るもの
人間が気まぐれなのかお天道様が気まぐれなのか、雨が欲しいと思っていたらこのところ雨模様が続き青空が恋しくなった。ゴーン氏の保釈がようやく認められた。籠池氏といいゴーン氏といいなんだか拘留が長かった。容疑内容に比べて取り扱いが厳し過ぎる感じを受ける。ゴーン氏の容疑の内容を詳しくは知らないが不実記載などと言うものは、叩けば埃で一桁二桁下げれば数多くあるだろうし、背任も程度の差こそあれ捜せば数多く見つかるはずだ。となれば額が大きかったことだけでなく、ゴーンを失脚させる意図がどこかにあったと考えられる。自分は医師としては真っ当に仕事にしてきた自信はあっても、人としては並みというか交通違反や道路で小用・・・狙われれば無傷ではないので、検察は恐ろしい印象がある。おまけに起訴されると99%有罪と聞くと目立たないに限るなどと委...Askwhy
平成も残り少なくなった。三十年と言えば一世代で決して短い時間ではない。四十歳から七十歳という人生の最盛期を過ごした人も多いはずだ。臨床医として生きて断言できるのだが、失敗から学ばない人反省のない人に進歩上達はない。何となく不安どことなく心配なこれからのために、誰もが平成という時代はどんな時代だったのだろうと振り返って考えたほうがよさそうだ。色々あった平成の時代から学ばなければ、格差差別を生み出し問題を逸らし失策を誤魔化す安倍政権で有醜の尾となる政治状況から抜け出すのは難しいと思われる。一握りの人が大部分の富を手中にする欲望の資本主義の時代がどうなってゆくのか、取り敢えずは何よりも己が一番と動いても世の中社会の動きには抗しきれない。寄らば大樹の陰は当てが外れる。AIの時代が来るなどと分かったようなことを言っている...平成の夢
しばしば患者さん(多くは女性)に、専門外の他科のことを聞かれる。不思議なことに小児科や婦人科のことを聞かれることは少ない。その他のことは頭の先から足の先まで、膝の水を抜いたが大丈夫か?、この薬(皮膚科で貰った)を塗ってもかゆみが取れない、困る。耳鳴りが治らないので困る(耳鼻科では相手にしてくれない?)何とかして欲しい。頭が痛いので脳外科で写真を撮ってもらったが異常ないと言われたが頭痛は治らない、何とかして欲しい・・。受診したところで説明治療を受けているはずだが、私の所に来て確認?質問される。確かに私は広い知識と経験を持っているがそれは浅いもので専門家には敵わないし、中々同業者の批評はしにくい。その先生の方針で宜しいのではないでしょうかと答えることが多い。どうして私に聞くのと問い返すと、ここを頼りにしているからと...専門知識にも色々
急に雨が多くなった。何となく今までの埋め合わせをしているように感じるのは人間だからで、自然には単なるばらつきなのだろう。命に水は欠かせず、植物を見ていると雨の力がよく分かる。一雨で緑の濃さに変化が見て取れる。日本は南北に長く、四季の訪れや変化には大きな違いがある。東西は高々300kmほどの幅なのに中央部の高山によって太平洋側と日本海側に分かれ、冬の気候には大きな差がある。これだけ多彩な土地柄が一つにまとまってこれたのは島国であったことが大きいのだろう。それと素人の飛躍した感想だが、読み書きが重視され和歌が有ったことがまとまらせる大きな力だったのではと推測する。残念ながら昨今では歌一つ読めない政治家が跋扈している。総理大臣も歌会始には一首詠むようにする良いと思う。官邸に庭があるかどうか知らないが、政府首脳には季節...今朝も雨が降っている
大山鳴動イタチが二匹と書けばイタチが憮然とするだろうな。しかしこんなことでいいだろうかというのが政治の世界の本態のようだ。昔云われた末は博士か大臣か?というのは今では悪い冗談だ。博士これは大臣よりは基準がちゃんとしているが、正直に医学博士の実態を明かせば並の上で十分手に入る。大臣これは玉石混淆で石の方が多い。何故石が多いかというと有能でも石の心の持ち主も多いからだ。何が正しいかは本当に難しくてよく分からない。何だか結局は俺が私がに聞こえてくるような気がする。そこへ行くと損か得かは分かりやすく、おこぼれをと力に靡く人が多いのも理解できる。色々考え経験して正しいか正しくないかよりは優れているか劣っているか美しいか美しくないかが判断の指針になると考えるようになった。フィリップマーロウのように「強くなければ生きて行けな...大山鳴動ムジナが二匹
昨夜は勉強会があり、殆どBSを見られなかったので一部を見ての感想だが、米朝首脳会談の顛末に韓国専門家も外交評論家も何を憚ってか、核心を付かない回りくどい分析をする人が多かった。そういう物言いをするのが専門家なのかもしれないが。私は素人なので核心?を突く評価を下せば稚拙な茶番劇だった。これでは首脳会談を開いた意味がない。個人戦では想定外という言い訳も通用するかもしれないが、国家間の外交で想定外は言い訳にはならない。辛くもショウを盛り上げようとするトランプ大統領の勇み足を押しとどめたので、米外交筋は合格点をと踏み台点を乞うかもしれないが、厳しい教師の私は落第点を付けたい。今後も継続して協議をと言ってもこの傷の後遺症は残る。こんなリーダー達に極東の将来を託すことはできないと思うのだが、歴史を紐解けばしばしば自省できな...米朝首脳会談に赤点
「ブログリーダー」を活用して、arz2beeさんをフォローしませんか?
長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
gooがブログを止めるというので引っ越しを始めた。うまく行くかどうか手探りだが、「はてな」に引っ越すことにした。新天地でさてどうなることか。お名残り惜しいが、心機一転。取り敢えずご報告。引っ越します。
家内が夕飯作りに草臥れたというので、老夫婦で回転寿しに行った。私は光り物中心に八皿、家内も巻物デザートなど八皿で合わせて十六皿。会計は三枚でお釣りが来て嬉しかった。お腹が空いていても十皿が限界なのだが、隣の若い二人連れは三十皿近く積み上げていた。男性の方は中肉中背で大食らいには見えないのだが、一人で二十皿くらい平らげていた。自分も二十歳の頃はあれくらい食べられたと思う。若い力を目の当たりにした。隣の客はよく食う客だ
敵愾心を煽るのが得意な人達が活躍している。妬み辛み恨みを利用して他者を非難し不平不満を掬い取り、それで稼いだり支持を取り付けたりしている。人間には劣情がある。それを利用した戦術なのだ。昔、小学校でそれは醜いこと慎むべきことと教わったのでその感覚が身に染みている。それが絶対に正しいことかどうかは分からないが、それに人類の知恵が詰まっているのは確かだと思う。何でもあり、とにかく数を集めれば勝ち?の世の中では、人類の知恵がかき消されてしまう。今だけ金だけ自分だけには同感できない、明日もあなたも思いやりも大切だと思うのだが。敵愾心を煽る戦術
高い関税は脅しだろうと高をくくっていたら同盟国?にも掛け始め、どうも本気らしいと身構えたら僅か二週間で腰砕け、やっぱり脅しで交渉の手札だったと思わせる兆候が表れてきた。猫の目トランプに振り回される世界だが、アメリカが信頼できない国になったのは間違いなく世界秩序は変容した。色々な人が指摘しているようにこのピンチは日本が変わるチャンスだ。歴史の知識は乏しいが、日本は変わらない変われない国だいうことは歴史から分かる。革新する信長のような人物は例外で、故に本能寺の変が起きたと観測している。いつも変化をもたらしたのは外圧で、トランプは大きな外圧と捉えられる。これを利用して変らないと日本はじり貧になる。先送り隠蔽体質の自民党では駄目だ。ではどこにと代わる政党がないようでも変えないと、トランプがもたらした秩序破壊という...トランプという外圧
趣味は何ですかという問いに旅行という答えを時々見たり聞いたりする。今はそうでもないが、以前は旅行って趣味でするものかなあと妙な感じがした。史跡を巡るとか旨いものを食べに行くとか言われれば成程感が出てくるのだが、漫然と旅行が趣味と言われるとピンとこなかった。知らない土地に行ってみたいという好奇心が根底にあるのだろう。中には世界一周に出かける人もおられる。さすがに世界一周となると趣味を越えるようで半ば本業になってしまうようだ。世に転勤族と呼ばれる人達が居られる。お付き合いのある薬品メーカーの人はみなさん全国を何か所か転々とされており、住んだ土地の話を聞かせてもらうのは楽しかった。世の中で言われていることは概ね正確なようで、九州博多は良いですね。引退するなら静岡でしょうか。名古屋京都はやりにくいですと言われる。...旅行が趣味
備蓄米を放出しても米価が下がらない。価格は需要と供給で決まると思っていたのだが、何か別の絡繰りがあるらしい。米作の調整をしてきた政府は、この謎を解明して国民に説明する義務と責任がある。米食を減らして食パンやスパゲッティにしているという主婦がテレビに出ていた。需要が抑えられているのに米価が下がらない、どういうこと?。農家の販売価格が消費者の手に届く間に、どのように変化してゆくのか調査をして報道してほしい。もし米が不足しているのなら、備蓄米をすべて放出すればよい。新たな備蓄米は安くアメリカから輸入すればよい。カルフォルニア米は安くて十分美味しい。何故米価が下がらない
内科学会総会で大阪に行ってきた。自宅でオンラインでも受講できるのだが、長年の習慣で家内を連れて大阪に一泊した。私は勉強、家内は買い物。新幹線は半分が外国人で、何だか外国旅行気分だった。欧米人はともかく、どこかの国の人はエスカレータの乗り口を塞いで立ち話、思わず通り道ですと注意しようとしたら日本語ではなかった。大阪は二年振り、同じ大都会でもどこか東京とは違う。東京より立て込んでビルが多い、広告が多い、緑が少ない。関西と一口にいうが、関西はひとまとめにできない、京都大阪神戸で違うのだ。微妙というより大きく違う。好きかと言われると、すぐには返事ができないが、大阪にはエネルギーを感じる。大げさかもしれないが快適な新幹線乗って大阪の街を歩いて、まだ日本は大丈夫と感じた。大阪と新幹線
鶯の泣き声が聞こえる。初心者のはずだがきちんとホーホケキョと聞こえる。どこかで練習してから来たのだろうか。三月にも聞こえていた記憶があるから、きっとそうなのだろう。まだ時々冷え込むが、ずいぶん暖かくなった。桜も散り、あっという間に緑の若葉に置き換わり桜の木だった面影は消え、なんだか不思議な感じがする。そういえば今年はまだ桜餅を食べていない。柏餅に変わる前に食べておきたい。春夏秋冬と四季の味わえる日本だが、春は短い。五月は初夏で夏に入る気がする。新緑、青壮年には意欲の湧く季節なのだが、高齢者には少し重い。心が沈みがちの鬱傾向の人にも付いてゆけない感じがするようだ。多様を受け入れる柔らかい世の中がいい。鶯が鳴いている
トランプ大統領はあたふたと言うことが変わるが、実はこれも策略で裏に深い狙いを持っていると解釈する解説者が居る一方、ころころ変わるのは場当たりの表れで関税に捉われた視野の狭い愚策だと断ずる解説者も居る。当初、私もひょっとして深い戦略があるかもしれないと思わされたが、ここまで言うことがころころ変わると単なる乱心と思えてきた。誤った現状認識に基づいた愚策でパンドラの箱を開けて世界をカオスに陥らせた人物として記憶されることになるのではないか。しかしながら、決して自分の間違いを認めたり悪かったと謝罪しないから厄介だ。うまく行くと自分の手柄うまく行かないと誰か他者のせいにする。そうして岩盤支持層は繋ぎ留められ、一定の評価をする人たちは途切れないだろう。いくら何でも猫の目では
手品師ではないけれども、あまり手の内は明かさないほうが良いかもしれない。でもまあ、知って貰うのと理解が深まるかもしれない。病気というのは嫌なもので、中でも質の悪い病気は診る方も負担が大きい。有難いことに医学は進歩しており、癌と言えば死刑宣告のように響いた時代は過ぎ去り、早期のがんは治る時代に進行したがんもかなり生きながらえることができる時代になった。そうはいっても人間は心配から逃れることはできない。後医は名医と言われるように、早期に疾患を見付け適切に対処することは難しい。病気が少し進行してから診断することはさほど難しくない。市井の開業医はできる検査は限られているし、早期の疾患を診ることが多いので、簡単そうに見えるかもしれないが実は中々難しい。なんでも気軽に話せてご心配ありませんよと言ってくれる先生と思われ...手の内
見出しに本当や真相が踊る。実際に記事を読んでみると、たいてい本当や真相は書かれていない。そう思わせる状況や思惑が書かれているだけだ。人の目を引く釣り見出しなのだが、人はそれに釣られるし状況思惑でそうなのだと納得してしまう人も多い。どうも人間の遺伝子の中に話を信じてしまう思考回路が組み込まれているらしい。世に悪知恵のある人物は多く絶えることはない。どうすれば怪しい話うまい話・・に踊らされることから逃れられるだろうか。歴史と経験に学ぶことがその方策の一つなのは間違いない。万年の歴史から学ぶことは難しいかもしれないが千年の歴史からは学べる。千年の経験は不可能だが祖父母の伝聞まで広げれば百年の経験に手は届く、各々方今はその時と申し上げたい。本当と真相の語るもの
長くgooでブログを書いてきたが、gooがブログサービスを止めるという。どうしたものか。これが潮時とブログを辞めるか、あるいはどこかに移転するか。最初はブログというものがあるそうなと聞き、自分もやってみようと始めたのだが、いつの間にか習慣となり幾許かの仲間というか知己もでき、ボケ防止とストレス解消の効果もあり続けてきた。毎日三、四十分ばかり、最近は日記のように書いていた。サービス中止まで数か月あるので、一か月くらいどうするか考えたい。どうするか、思案投げ首
ユーチューブから世の中の情報を得るようになって三年ほど経つ、新聞は全国紙二紙を読んでいるが地上波テレビはほとんど見なくなった。ユーチューブの登録チャンネル数は三百くらいあり、ほぼ毎日チェックするものからニ三か月に一度チェックするものまで色々だ。三百以上はあまり増えない。というのは月にいくつか新たに登録するが同じくらい登録を外すものがあるからだ。視聴登録数がみるみる増えたチャンネルにPIVOTがある。比較的中立で経済に力点が置かれている。ゲストが適切でインタビュアーの質問も的を得ていて聞いてみたいことを聞いてくれる点が視聴者が増えている理由と思われる。竹下隆一郎氏が抜けても勢いに陰りはない様子だが、それには新しい魅力的な女性陣の力が与っているようだ。移転した竹下氏のCROSSDIGがどの程度伸びるか不明だが...PIVOTはPIVOT
友人のS氏がコーヒーに凝りだし、豆を挽いて飲むと美味しいですよと言われるので自分も豆を挽いて飲みだした。実は二十年ほど前は自分も豆を挽いて飲んでいたのだが、ちょっと億劫になり最近はインスタントを飲んでいた。まあ最初はブラジルが良いかとブラジルから始め次いでグアテマラと飲んでみた。確かに香りがよく美味しい。ちょっと手間がかかるが色々な豆を試す楽しみもある。さて次はと迷っていたら、今月お得なのはペルー産ですというのでそれを買ってきた。お得と言ってもコーヒー豆は高騰しており100g700円もした。ペルーMべロニカ、果たしてどういう味がするだろう。職場に着いたら早速飲んでみたい。ペルーMベロニカは初めて飲んだが、マイルドで苦みは少なくわずかな酸味に旨味があり飲みやすく美味しかった。単独もよいがケーキも合いそうだ。ペルーのコーヒー
左足の親指が腫れて痛く、この二三日びっこを引いている。痛風だねというのが医者の反応だろう。ところが後期高齢者の場合違うことも多いのだ。実は階段を登る時、左足が思ったほど上がっておらず躓いてしこたま親趾を打撲してしまったのだ。幸いあと二段ほどだったので、二階に倒れこみ階段から落ちるのは免れたのだが、打撲の後遺症でびっこを引いている。年を取ると僅か1cmのことだが足が思ったほど上がっていないことが起きる。以前にも軽く躓くことがあり、気を付けていたのだが今回に懲りて、今は意識して足を挙げて兵隊の行進のように階段を登っている。それと階段は真ん中は歩かず手摺のそばを昇降している。転倒は高齢者に思わぬ障害をきたすことが多い。いつも段差にはご注意と申し上げているのに、自分が怪我をしてしまった。極めて遺憾だ。左足の親指が腫れて痛い
ユーチューブで政治経済の解説を視聴している。皆さん色々なことを言われる。バランスの取れた視野の広いものよりも自分の主張が正しいというニュアンスのあるものの方が多いかもしれない。そうしたユーチューブも結構な視聴回数なので、そういうものかと思っている。何十万という視聴回数を持つものには色々なゲストに様々な視点から解説を聞くバランスの取れた公平客観的な感じのものが多い。そうしたチャンネルに登場する中で成程と感じることを言われる三人に注目している。それはエミンユルマズ、ジョゼフクラフト、モーリーロバートソンの御三方だ。日本語も日本人以上に巧みで、見方はそれぞれ違うのだけれども視野が広く鋭いことを指摘される。ロジカルでしがらみがないせいかもしれない。とても参考になる。外国名だけれども
結構涼しいというか寒いといってもいい日が多かったので桜が長持ちした。入学式の日にも満開の桜が見られた様子だ。地方によって新学期の日は異なるようだが七日八日のところが多かったのではないか。七十年前で今では記憶も薄れたが、自分が小学校に入った日にも桜が咲いていたと思う。大した風もないのに桜は散る、桜吹雪の中を出勤している。株価が乱高下し、経済学者から評論家、素人のはずなのに色々口をはさむ人まで百家争鳴で解釈予想がネットで乱舞している。私も爺のつぶやきに過ぎないが、政治経済のことを書くので人間には世の中のことを色々気にしたり考えたりして発言したい性質を持った人間が居るのだと分かる。女性も居るが男の方が多い。自分の場合、多少のストレス発散になっている気がする。百家争鳴に参加
トランプ関税発表直後、証券アナリストの多くは米株価は下がるが日本株の下げは大きくない、35000円で底だなど色々勝手なことを言っていた。ところが、株価は下げ続けて大きく下落した。一体どこが専門家なのだろう。確かに明日のことはわからないのだが、わからなさにも専門性があると思っていたがトランプが相手では考えても分からないということか。トランプの関税は単なる脅しで、米株価下落を気にするから実際には高い関税は掛けないと言われていたが、現実は株価暴落もなんのそのしばらくすれば回復する我慢しろと突っ走っている。トランプ自身は意図も予期もしていなかったと思うが、パンドラの箱を開けてしまった。アメリカには頼れないアメリカは信用できないというパラダイムシフトが起き始めている。日本の政治家も経済人もまだそこまでは考えていない...パンドラの箱を開けた
不思議なことに日本に来て日本が住みやすいと褒める外国人(欧米人から中国韓国人まで)は多いのに、日本の知識人?には日本は駄目だと貶す人が多い。マスコミが偏って取り上げているのだろうか。どうも叩く方が視聴者が増えるらしい?。自然に適切に良い所は認める褒めるという心持ちと雰囲気をもっと醸し出したい。褒めるとなると大谷や藤井のように、完全無欠に崇めてしまう、それでは不自然だしそれでは食傷する。陰翳礼讃は何処へ行ってしまったのだろう。何だか変だ
活字中毒を自覚していたが、中毒症状が徐々に軽くなってきた。買う本の数が月にニ三冊と減って、重症だった頃の十分の一になった。本屋に行く回数も同様に減り月に一度くらいになった。本屋の数も減り、今では本屋と呼べる本屋は市内に僅か二軒しかない。その代わりユーチューブを見ている時間が増えた。果たしてユーチューブ視聴が読書の代償と言えるかどうか怪しいものだが、ユーチューブ鑑賞時間が読書時間に取って代わったのは確かだ。時代の影響か老化の影響かよく分からないが、老化の影響は確実にありそうだ。それが証拠にブログを書くのが億劫に感じる時が増えた。書くのは読むのと連動していると思う。話す聞くよりも読む書くの方が強い相関がありそうだ。おしゃべりは必ずしも良い聞き手ではないが、書く人は大抵良く読んでいるものだ。読書量が減ったのが何...中毒が和らいだ
ジャッカルの日を思い出す。きわどく銃弾が逸れた。事実は小説より奇と言われる。人間の業か恐ろしく忌まわしい、銃を持ち出す輩が居る。運命は数奇で皮肉、トランプは圧倒的に有利になった。許されない銃弾
連休で沢山ユーチューブを見た。運動不足になり、見過ぎかもしれない。玉塵混淆のユーチューブには玉も多い。教養番組のようなチャンネルがいくつもあり、中には珠玉のような授業を聞いている気になるものもある。例えば、LiberaryやTokyoCollegeを視聴していると新しい知見が数多くあり、ああそうかとかそれは知らなかったとか目から鱗が取れる。長く生きても知らないこと分からないことは山ほどあり、世界は広く深いと感じさせられる。中には何にでもわかったようなコメントをするユーチューバーも居てちょっと鼻白むこともあるが、そうしたスッパマンのユーチューバーの中でホリエモンは確か文学部出身のはずだが、文学はともかく医学から物理経済まで幅広い知識があり正確に理解しているので感心する。獄中読書の成果か、あるいは有罪服役とい...ユーチューブ三昧の連休
ウインブルドン男子決勝はアルカラスVSジョコビッチでアルカラスが勝ち優勝した。新旧交代、新しい王者の誕生と感じだ。昨夜NHK地上波だったか、現在の日本政治の問題を取り上げていた。データをチェックしながらでちゃんと見たわけではないが、政治には金が掛かりますからと釈明する自民党幹部と政治資金を誤魔化して税金を払わず懐に入れて問題になったことをお騒がせと支持者に詫びる自民党議員の言葉を聞いて、どうしようもないと感じた。政治に金が掛かる、つまり金で票を集める手法を是認する姿勢と政治資金パーティで浮かせた裏金を税金を払わず懐へ入れ追及されたことをお騒がせとお茶を濁そうとする感覚は同根で、日本が世界で後塵を浴び始めた原因だろう。国民の半数以上が気付き変えたいと思っている。マスコミが自立して事実をきちんと大きく報道すれ...変わる世界
もの心がついた頃からあれこれ夢見てきた。勿論、幼い頃はそれが夢とは知らず、ああいう風になりたい、あれが食べてみたい・・と考えていたと記憶する。長じて、やや具体的な夢というか希望を抱くようになった。思えば叶うと言われる通り、半分近く曲がりなりにも夢は叶った気がする。砕かれたて悲哀を残したものもいくつかある。四十前の人は夢や希望は若者の特権のように思われるだろう。確かに六十五を過ぎた前期高齢者の頃はもう院長や教授になるわけでもなく、新天地で医院を開業するわけもなく、新たに家庭を持つわけでもなく、先のことは考えず専ら昔を懐かしみその日を生きていた。ところが後期高齢者になると再び妙な夢を抱くようになった。それは西安や昆明に行ってみたいそうしてユーチューブで見た屋台の料理を食べてみたい、・・といった他愛もないが、で...夢見る頃を過ぎても
今朝はシトシトと梅雨らしい雨が降っている。蛮人などという表現が今も許されるかどうか知らないが、熱帯の蛮人の中には数を数えることができず、一二三の次は四でなくたくさんという種族が居たそうだ。四五六などという数は分からず三止まりというのはとても示唆に富んでいる。これは孤、対、三角関係、その他に対応している。人間社会ではこれだけ分かればよい、あるいはこれが最重要とゆうことだろう。四五六どころか何百、何千、何万、何億の数まで扱う現代人も詰まるところ、孤、対、三角関係、その他で暮らしている。それが証拠に自民党長老否共産党幹部も、これで政治を考えている様子だ。政治を持ち出さなくても、会社でも家庭でも一二三たくさんを軸に動いている。まあ、人間社会はこれで足りても商売をしたり家を建てたり暦を作ったりとなると三までではこと...一二三たくさん
分かっていてもちゃんと対策が取れないのか取らないのか、少子高齢化社会が進行している。進行して現実になっても、だんだんそれに慣れて口先対策に終始してしまうのがこの国の対応である。どうもそれが人間の習性、正確には多くの人の習性なのだ。こうなることは四半世紀から前からわかり半世紀前から懸念されていた。多くの人は半径十数キロ明日明後日のこと、精々百キロ半年先のことしか念頭にないようだ。診察していて困るのが高齢者の独り暮らし次いで老々介護家庭だ。ケアマネージャー訪問看護師制度は良い制度だが軋み始めている。一見まとも真面目そうで敵愾心を煽らないのが長所??の岸田首相の答えにならない答えがまかり通っている。はぐらかしまやかす小池都知事により外苑の木々が伐採されてようとしている。確かに旧態依然の戦前ではないようだが、新し...新しくても旧い
ウインブルドンの季節になった。残念ながらもうWOWOWと契約していないのでライブで見る機会は減った。ジョコビッチはまだ頑張っているようだが、錦織も大阪なおみも姿を消しほとんどが知らない選手ばかりで観戦意欲がもう一つ湧かない。見続けていれば応援したくなる選手が出てきて、見たいという気持ちが出てくるとは思うのだが、NHKではカバーする試合が少なく時間も遅くほとんど見れていない。試合の観戦というのはどうも贔屓筋が居ないと面白味が薄れてしまう。勿論、サッカーなどティームゲームは日本を応援するので力が入るのだが、それでも気に入った選手が居た方がいい。人気と贔屓は不思議な感情で、時にそれが国の行方を左右するような決定に関わったりするので微妙でありながら重大な働きをする。贔屓が居ないと
明日から雨模様が十日間続く予報が出ている。コンピュータの性能が上がったせいか天気予報がよく当たるようになっているので、そうか雨が続くのかと思っている。しかし十日間は長い。先に行くほど精度は下がるので、来週末頃には晴れる日もあるかもしれない。二十一日に山小屋に出かける予定なので、そう願っている。山小屋もやがて三十年、大分ガタがきておりそろそろ山小屋での食事おしゃべり会もお開きかなと話し合っている。G氏が亡くなりN氏が寝たきり、H氏が引退し、七人のメンバーが四人になってしまった。F氏も自分で車を運転されなくなり送り迎えが必要になった。世の常も自分の身の回りとなると実感があり感慨が湧く、バイデン否同い年のトランプも重責には耐えられまい。まして日本の八十過ぎ政治家など。失敗は他者のせいと責任感が鈍麻しているからで...天気予報を聞いて
このところ暑い日が続いている。暑いのは先祖が東南アジア由来か割と平気なのだ。ところがうちのかみさんは暑いのも寒いのも嫌うエアコンなしには耐えられない人で、一日中クーラーをガンガン効かせる。やむなく私は書斎に引っ込んで本を読んだりパソコンでユーチューブを見たりしている。女王様と暮らすのは大変な時もある。暑さ寒さに
天邪鬼という妖怪が居た。今も居るような気がする。天邪鬼は人の気を読む能力があり、先回りして悪戯や意地悪をしたという。爺さんが囲炉裏端で竹細工をしていると天邪鬼がやってきて、そんなものを作っても時代遅れで売れないぞと茶々を入れてきた。黙って作り続けていたのだが、上手の手が滑り竹がはねて灰が天邪鬼の方に飛んで目に入った。天邪鬼は目に沁みると喚きながら逃げて行った。もし爺さんが不愉快な天邪鬼に灰を飛ばしてやろうとしたのなら、天邪鬼はそれを察して避けることができたのだが、意図していなかったので目に入ったのだ。天邪鬼ではないが、人間はどうしてそんなことをするのかと立ち止まって誰かの意図を読んだ方が良いことも多い。減税?、一万円配る?・・、代わりに何を削るなぜ今。動機も考える
英国で14年ぶりの政権交代、労働党政権が誕生した。フランスをはじめヨーロッパの大陸側で極右が勢力を伸ばしているのと対照的で、改めてイギリスは泳いでも渡れる狭いドーバー海峡で隔てられているだけなのに、大陸側とは一味違う文化を持っていると感じた。大体インド系のスナク氏をしれっと?首相に就かせたところから違った。もとより偏った知識経験しかないが、改めて英国の凄さというか強さというか、なかんづく深い伝統を感じている。イギリスという国
今朝は朝から暑い。亜熱帯ジャパン到来だ。家庭での介護の際、患者さんが重いと家族が大変。大変とはどういうことかとゆうと、へなへなと倒れこんだ母を抱き起こすことができないのだ。母一人子一人の介護、華奢なお嬢さん(と言っても六十代)は認知で太めの母親を床から起こすことが出来ない。やむを得ず訪問看護師を呼んだところ、冷たく身体介助は訪問看護師の仕事ではありませんと言われてしまった。どうすればいいんでしょうかとお嬢さんが相談にやってきた。忙しい訪問看護業務にしてもちょっとそれはないのではと思ったが、突然呼ばれて来たら患者さんが持ち上げられないので手伝ってと言われ、そんなことでと思わず口を衝いて出たのだろう。医療費抑制のために総合病院では社会的入院と言われる長期入院が認められなくなった。自宅での看病介護を支援するため...現実となると難題
お中元の季節になり、いくつかお中元を頂いた。親がやり取りしていたから頂くから自分も続けている。適宜なものであれば、悪い習慣とは思わない。世の中の慣習を多くの人が深く考え込むことなく踏襲している様子だ。お中元もその一つ、自分の代で変えるというのは抵抗がある。それでも長い年月のうちには少しづつ変化しており、以前に比べると落ち着いた品が増えた気がする。一つには自分が院長でなくなったことも関係しているかもしれない。今年もKさんから定番のメロンを頂いた。もうそんな時季なんだと、箱を眺めている。季節の贈答品
今朝は薄曇りで涼しい。季節が分からない。今何月と聞かれてうっと詰まってしまう。あと二時間もすれば蒸し暑くなり日本の夏と気付かされるだろう。熟練医でも、黙って座ればピタッと分かることは少ない。いつからどこがどんな風にと、根掘り葉掘り聞かねばならない。困ったことに時々そうした質問をうるさそうにされる患者さんがおられる。病気の診断は医者でなくとも多少の知識と経験があれば、五割は当てることが出来るだろう。藪医者でも七、八割当てることが出来る。よくある病気を知っているからだ。しかし、我々専門医の仕事はありふれていない病気を見逃さないこと、ありふれている病気も患者の個性による変容に合わせて診療することにある。質問に答えないのは間違いのもとなのだが、不都合な質問をはぐらかす名人、詐欺から政治家まで、が世の中には数多い。...季節の分からない街
東京都知事選挙に五十六人が立候補している。選挙をおちょくっていると思う。立候補者に学科試験は馴染まないとしても、三時間教室に缶詰にして所信と公約を自筆で書かせるとよい。公約には具体的な実現方法と数値を書かせることだ。夢と嘘は紙一重、自筆の所信と公約を読んで鑑別しよう。なりたい人よりなってもらいたい人を立候補させたい。五十六人も居れば失礼な表現だが、中にはまだましな人が居られるはずで、都民の眼力が問われている。どうしてこんなに
囲碁将棋魚釣り機械いじり工作好きには女性は少ない。しかし映画好きな女性は男性に負けない、否男性以上かもしれない。働き盛りの頃は年に二三本、六十過ぎてから徐々に増えて年に七、八本見てきた。この数年は映画館に行かないでネット衛星でも見るようになり、月に二本くらい見ている。同年代の男よりは多いと思う。何を見るかは批評を参考にしている。それもユーチューブが多い。ユーチューブには視聴者の好みに合わせて、同系統の動画をホーム画面にアップしてくる機能があるようで、既に十種類くらいのおすすめ映画チャンネルを登録してある。好みには個人差があるしお勧めする人は力が入るから誉めすぎ?時々それほどでもないのがあるがそれはご愛嬌だ。本格的な映画好きは監督を気にするようだが、私はどちらかというと俳優の方が気になる、ダニエルデイルイス...女性も多い映画好き
バイデンとトランプの討論会はバイデンが自ら躓いたようだ。自分の眼では見ていないが、ユーチューブ新聞の情報ではバイデンが老化を感じさせ精彩を欠いたようだ。実際に見ないで判断するのはと言われそうだが、最近のバイデンの歩き方話し方からそうなるのではと予想していたのでやはりというのが感想だ。バイデンはまだ戦う意思を示しているようだが、退くべきだ。民主党員の諫言を受け入れないとしたらそれも老化の兆候と言える。奥さんの一言を期待したい。内助の功どころではなく、国を救う一言と言っても過言ではない。ギリギリだがまだ候補交代は可能なはずだ。そうしたことができるのがアメリカの力の源泉で、このまま戦うとしたらどちらが大統領になってもアメリカ衰退の始まりだ。それは全世界に波及する。引き際
机の上は面相ほどではないが、その人を語る?。三桁までは行かないが数十人の教授の机の上を見てきた。多少、雑然としていた先生は居たけれども、書類と本が積み重なり今にも崩れ落ちそうな先生は居られなかった。まあ、教授室だったせいもあるかもしれないが、大体が整然としていた。ところが医局の机の上となると七、八人に一人、雑然と書類郵便物が積み上げられ中には机が全く見えないような御仁も居た。不思議なことに、それでも主人公はどこに何があるかを把握しているようで、お掃除おばさんが勝手に整頓することはご法度だった。奇妙なことに、雑然とした机の持ち主が皆だらしない格好をしているわけではなく、びしっと紳士然としている医師も居た。分からないものだ。机の上は何を語る