京都から五島列島の奈留島の医者になって10年以上、また京都に帰ってきました。 はてなブログに何とか引っ越しました
ブログ名と解離したブログになってしまいました。 現在は京都で家内の介護、ブログがほぼ唯一の楽しみです
小川さんの地図からまたまた借用した、逢坂山峠周囲の地図です。 蝉丸神社は946年に蝉丸を主神として祀られています。 社殿は1660(万治3)年の建立で、その時に街道の守護神として、猿田彦命(サルタヒコ)と豊玉姫命(トヨタマヒメ)を合祀したとされています。 社殿はこの石段の上にありました。 蝉丸大明神の灯篭1704(元文5)年・階段途中の灯篭1839(天保10)年とあるので、東海道を通る人々もこれを見てたのでしょうね。 主神の蝉丸は、実在の人かどうかも分かりませんが、琵琶の名手でした。 小倉百人一首10番、坊主めくりでこれを引くと、全員の持ち札がとられる札だったので、子供の頃から馴染みありますが…
先週昼間に大学同窓会が有りましたので、家内をデイサービスに預かってもらって出席出来ました。 大学闘争があったり、今ほどではないですがそれなりに試験も厳しかったので、私の母校の卒業生には年度ごとにバラつきが有ります。 もう50年以上前になりました、卒業生140名ほどの内35名(2割5分)が集まりました。(10年前の会には48名の出席) 物故者が25名(2割弱)にもなったことに驚きました。 皆80歳前ぐらいにはなりましたが、あの頃一緒に笑ってた5人に一人がもういないんですね。 10年後の会には私自身が存在してるかどうか疑問です。
消滅した私のGooブログにはもう到達できませんし、はてなブログにも慣れてきましたので、またシリーズ物も再開します。 前回の逢坂山に近づいて国道1号線を渡った所から始めます。 陸橋を渡ると、京阪電車京津線の大谷駅の改札が有ります。 大谷駅は以前紹介したように、日本の普通の鉄道では日本一の急勾配(40‰)(花水木さん憶えておられますかパーミルですよ)にある停留所で、ホームの木のベンチの脚の長さも左右差をつけてるぐらいでしたね。 大谷駅改札口横の 元祖走井餅本家 の石碑。 前回の月心寺の辺りに、走井(ハシリイ)と呼ばれていた清らかな水が勢いよくあふれ出す井戸があったので、この辺り東海道沿いの茶屋で、…
20年前はフーク(盲導犬になれなかったラブラドール)のドッグランでしたし、孫との球技にも使ってた宝ヶ池公園の広場、4月20日から宝ヶ池アーバンスポーツパークと言う長い名でオープンしました。 昔20年以上前ですが、宝ヶ池球技場が出来た時は、近所の住民が招待されて、ラグビーの試合を観た記憶が有りますが、今回は招待有りません。 でも窓から見えるので、大会でも有ったらここからスケートボードが観れることになります。 いよいよはてなブログでの投稿を開始します。 まだ慣れませんが連載も再開しますので、もう忘れられたかもしれませんが、よろしくお願いします。 よーい ドーン!!
少し黒いバックにしてみました。 ブログを始めた18年前ぐらいの奈留島のトンボロです。 干潮になればこの砂州が伸びて、島と島が繋がります。 カテゴリーも横に表示できましたし、過去のブログも全部綺麗に移行出来たようです(意外とあっという間でした)。 文字の大きさもこの標準でも良いかもしれません。 出来たので比較して決めるつもりですが、ご意見あればどうぞお願いします。 私のブログは本文よりもコメントの方が面白いので、またコメントに頼りたいと思います。 願わくば閲覧数が別場面でなく、gooブログのように下に表示されたら良いのですが。 ブックマークとか読者とかスター印のつけ方などが解ってないですね。 ど…
デザイン色々変えられるので、こんな優しいのにしましたが、私には合いませんかね。これはコメントが読みやすい気はします。 奈留島の看護婦さんの畑のキャベツ、あの頃はなんぼでも持って帰ってと言われてましたが、今なら宝の山ですね。 書き方に慣れてきましたが、文字の大きさがなかなか決まりません。そろそろ連載物を再開して様子見ますかね。
はてな移行2回目写真を試します。 何とか出た写真は、20年近く前にブログを始めた五島列島奈留島の千畳敷です。 はてなブログ先輩様、もし答えて貰えたら嬉しいです。 1.文字の大きさは、見出しでしか調節できないのですか? 2.お気に入りにSYUHEITSUNEMI'S BOGでしか表示されません。これを「島の医者になって、た頃もあった」とは出来ないのですか? 3.自分のgooブログを見れなくなる失敗をしてしまいました、見ようとしても、中身のないアメーバブログに移行するだけです。 そこに張り付けた私のブログへの印、それでこのはてなブログに繋がりましたが、繋がらないと言う人もいます、何故? 4.GOO…
gooブログから何とか引っ越し出来ました。 今までの読者の方、ここに到達出来たらコメントお願いします。
2007年5月31日から本格的に始めた私のブログ、1回目は五島列島奈留島の私のプライベート海岸?のこの写真で「島の医者になって」です。 10年前には島から京都に戻り、ブログ名も「島の医者のなって、た頃もあった」に変更して続けてました。 3年前の2022年春にはTeacupブログが閉鎖されて、何とか今のgooブログに移転出来て、今までの内容も少々文字化けしてはいますが保存されてきてます。 gooブログで今までのアクセス数50ぐらいが150ぐらいになって、新しいgooブログの皆さんのブログも読めるようになって、楽しんでいた所にこの連絡です。 18年間で生活の一部になってしまった、ブログを書いたり読…
我が家の一応サトザクラと決まった桜は、一昨日の土曜日にはほぼ満開、晴れた空の下で結構な綺麗さです。 でも今朝はもう盛りを過ぎたような感じで、雨に煙っていました。 今年の桜はこれで終わりですかね。 昨日の日曜日は雨で寒かったですが、阪神競馬場の桜は満開です。 桜花賞、あんな簡単な馬券なのにやっぱり入らず、次男からはしばらく休んだらとラインも入りました。 長男家族は雨の大阪万博初日に行っていて、混雑と寒さで疲れましたと、お嫁さんからラインが入りました。 娘家族は、小雨の中仁和寺の遅咲きの桜見物に行っていて、満開までもう少しと、写真のラインで私もお花見と孫の笑顔。 JRAのインターネット会員限定有馬…
又小川さんの地図ですが、いよいよ青線の東海道は逢坂山に差しかかります。 月心寺を過ぎてすぐ、昭和初期までは子孫が住んでいたと言う民家の前に、大津算盤の始祖 片岡庄兵衛の碑が有りました。 1612(慶長17)年に庄兵衛が明国から長崎に渡来した算盤を参考に製造した大津算盤、この辺りに店を構え幕府御用達にもなって「そろばんと言えば大津、大津と言えばそろばん」とまで言われるようになりました。 東海道を行きかう旅人はここ逢坂山辺りで、大津算盤・大津針・大津絵・走井餅をお土産にするそうです。 秀吉が播磨の三木城攻めの時に、隣の小野の住民は大津に避難したそうです。 その後ここで大津算盤の製造を学び、後日小野…
京都の桜は、そろそろ終わりますが、我が家のこの桜はもうじき満開。 ところがこの桜、花水木さんから「桃なんでは」と指摘されました。 ええっつ! 犬だと思って飼っていたのが猫だった、の気分です。 GOOGLEで写真を撮って検索しても、「サトザクラ・かんざん」と出ましたが、もう一度すると「さくらもも」とも出ます。 どっちなんでしょうか? まあ桜と騙されていたとしても、長年見てきた我が家の庭に咲いたものですから、今後も愛おしみますが。 今はもう私を愛してるとは言わなくなった家内を、私は愛おしんでいますので、そう言うことには慣れてる人生です。 愛おしい4番目の孫が、この春は小学校に入学しましたので、昨日…
西の山に夕日が沈むのも6時過ぎてからになってきました。 そろそろこの西日が嫌になる季節が来るのでしょうね。 昨日の診療所中庭の枝垂れ桜はほぼ満開、そしたら隣の柳の緑がやや薄れてきました。 施設の玄関のソメイヨシノは、昼頃は落花盛ん、明日木曜日の出勤時にはまだもってると思いますが、来週の出勤時にはもう葉桜ですかね。 診療所の美人マスク看護婦さん3人が、門の前まで私を見送ってくれたのかと思って手を振って、写真をラインで送ったら、横の竹林にタケノコ掘りに行く途中だったらしいです。 私はタケノコにも負けてます。 この辺は明智光秀が討たれた明智藪もある、竹林が多い所です。 帰りは鴨川沿いに北上する車通勤…
4月5日土曜日、特別に月2回だけ土曜日にも行かせてもらってるデイサービスに家内を送り、朝から街に出かけました。 松ヶ崎疏水の桜は木曜日より綺麗になって、この数日が満開のよう。 鴨川の土手を電動自転車で走りながら櫻見物です、出町辺りの桜は満開まであと数日か。 自転車で走ると丁度良く、止まると少し寒いです。 鴨川べりの高級ホテルの前には、人力車で桜見物に出かける金持ち外国人と思われる人々が並んで出発を待ってました。 京都は外国人であふれてるようです。 高瀬川沿いの桜は満開、所々の柳の新緑とよく合いますが、高瀬川の桜はなんか夜に店のネオンと共に見るほうが、高瀬川の桜っぽいですね。 街に行ったのは、2…
昔「9月になれば」と言う明るい映画が有りましたが、いよいよ「4月になりました」。 4月1日、仕事日ですが家内がデイから帰る前に、買い物に行きます。 松ヶ崎疏水沿いの桜で一番早そうだったのがこの桜か、一部満開に近いです。 鴛鴦と思いますが、夫婦で餌探し、上から見下ろしても逃げもしませんね。 仕事場の中庭のいつもの枝垂れ桜はまだまだですので、来週火曜日の仕事の日ぐらいに満開の写真が撮れそうです。 桜と新緑の柳は結構合いますね! 小倉百人一首21番の素性法師(ソセイホウシ)の歌に、最近こんなのが有るのを知りました。 見わたせば 柳桜(ヤナギサクラ)を こきまぜて みやこぞ春の 錦なりけり 「こきま…
逢坂山まで登るだらだらした、名神高速道路と京阪電車京津線沿いの旧東海道(青線)の地図ですが、やはり小川さんの地図から借用しています。 地図左下で名神高速道路をくぐり、逢坂山への上りにかかる地図○辺りからとった写真です。 左の塀が名神高速道路の防音壁、この登りで車はよく数珠繋ぎになりぎます。 少し上ると、道端に小さな道標。 右一里丁 左大谷町 この右手少しに一里塚があったようです。 端米山月心寺(ズイベイザンゲッシンジ)の塀に沿って、国道一号線沿いの旧東海道を上って行きます。 現在月心寺は、橋本関雪(1883~1945)の所有した寺院・庭園及び併設の別邸一帯を指すようです。 公開は予約…
介護で辛いのは、家内と日常の何気ない会話と意思疎通が出来なくなって、心が通じ合わなくなったような気がすることです。 しかたがないので最近は、本棚から家内の買った本で面白そうなものを取り出して、読んでいます。 ということで、今更ながらですが、私には初めての 吉本ばななさんの「キッチン」を読みました。 初版は1988年1月、彼女が買ったのは約1年後の1989年4月の第31刷1030円です。 やはりベストセラーだったんですね。 「キッチン」・「満月-キッチン」・「ムーンライト・シャドウ」の3作が入っています。 40年近く前に20歳過ぎの少女が書いた本なのに、今でもすごい新鮮な文体で、3作共に死が全…
春はあけぼの・・・・、ですが。一昨日の朝雨上がり、もう朝6時はあけぼのは終わって朝でした。 5日前には一つだけ花が開いていた、我が家の庭のシデコブシ?。 暖かくなり、昨日はもう満開で沢山花をつけてたので、二つだけ切って椿に変えて部屋に飾り、部屋にも春を呼び込みました。 昨日土曜日は家内がデイサービスに行ったので何かできるはずでしたが、のんびりボーっと午前中を過ごしてしまったので、午後から近くの買い物だけ。 松ヶ崎疏水の桜はこの1本が咲き始めていただけ、この木曜日の買い物ぐらいには満開かも知れませんが、今朝はまた寒かったので、来週末が見頃かもしれません。 少し切られてしまいましたが、近所の家の桜…
前回数独の解答はまだコメントされていませんが、東海道先を急ぎます。 数独解けた時はいつでもコメントください、このままではもやもやが晴れません。 又小川さんにお世話になる地図です。 中央車道の展示が境内にあった閑栖寺を過ぎて、分かれ道の髭茶屋追分(ヒゲチャヤオイワケ)に来ています。 少しピントがずれた写真で残念ですが、この皆さんも見慣れた(ブラタモリファンの方だけですが)場所、そう今年の正月のブラタモリ東海道57次の冒頭でタモリさんたち一行が来ていた髭茶屋追分です。 右が東海道53次で京都へ、左へ行くと東海道57次で大阪への分かれ道です。 そして京都府京都市山科区と滋賀県大津市の境です。 以前…
前回掲載の最後の写真再掲ですが、横に数独を写し込んでいたので、コメンテーターさんの誰かが食いついてくれるかなと思いましたが、スルーされてしまいました。 毎日新聞の朝刊夕刊に掲載されてる「毎日数独」、週に3~4回中級と上級編が掲載されるのですが、初めてこの問題が解けません、左端に2が入ったまでは良かったのですが、以後進まず。 何か特別の解き方のテクニックが必要な問題なんでしょうか、最近は毎日閲覧数200を超えるようになった私のブログ、読者の皆さんぜひこの問題の解き方を教えて下さい。 気になって、新しい数独に進めなくなっています。 よろしくお願いいたします。
「春が来た」と思うと、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」の冒頭「春が2階から落ちてきた」をいつも思い出します。 落ちたと言うなら、家内の介護ベットの下に布団を敷いて、人間センサーになって寝ている私の肩に、昨晩3時半ごろ家内がこけ落ちてきました「妻がベットから落ちて来た」です。 本題からずれ始めたので本題に戻って、先週のお彼岸朝にはまだ大きな大きなボタン雪が降っていました。 「妙」もあっと言う間に白くなっていましたが、すぐに溶けはしました。 でもお彼岸過ぎたら、「春が来ました」 狭い我が家の庭にも、椿以外に色彩が戻ってきて、こんな水仙もあることを知りました。 40年ぐらい前に、友達家族と越前海岸に蟹を食…
この地図下の国道1号線を跨ぐ歩行者用陸橋を渡り、さらに上(東)へ逢坂山を越えるべく進みます。 何となく旧街道を思わせるような坂道を上って行くと、左手に鐘楼のような建物が見えてきました。 この辺りの手前を横木町(ヨコギチョウ)と言うようですが、車石が敷き詰められる前、豊臣秀吉が大仏殿造営のための巨石を運搬する時に、丈夫な木を横に敷き詰めたので、この名が残ってるようです。 立派な鐘楼付きの門のある 浄土真宗大谷派放光山閑栖寺(カンセイジ)です。 門前には東海道の石柱と車石も置いてあり、大津絵も飾ってありました。 その境内には車道のある東海道が再現されていました。(こちらから奥へ行くのが京都方向…
道端にあった旧東海道マップの如く、地図上方の山科駅前から赤線の旧東海道を四宮地蔵や三井寺観音道を紹介しながら、地図一番下の弥二さん喜多さん風の二人連れの所まで来ました。 もうここは滋賀県です。 マンホールの蓋も滋賀県ですが、この蓋ほぼ琵琶湖のことばかり、琵琶湖大橋・遊覧船・ヨット・瀬田レガッタ。今はない観覧車・琵琶湖噴水・花火、やはり滋賀県は琵琶湖だけやんと思わせますね。 下の豚?信楽のタヌキでもなさそうですが? ここで国道1号線を跨ぐ歩行者用陸橋を渡りますが、写真は陸橋の上から東を見ています。 左へ行くと国道161号線や湖西道路で高島から敦賀へと通じる、昔の北国海道です。 右へ行くと国道1号…
先日の土曜日、家内は月に二回の土曜日デイサービスに行ったので、以前働いていた病院の外来看護婦さんに誘われてた昼食会に行きました。 久しぶりの京都駅、久しぶりの街の雰囲気、人混みに酔う感じも有りますし、島に居た頃に都会に行った時に感じる気持ちと同じ感を思い出しました。 20年前のことになるので、皆そこそこの年齢になったと言っても、20歳ぐらい若い看護婦さん達としゃべってると楽しくて、せっかく京都タワーが見える席だったのに、景色も観た記憶がなく、料理の写真も皆の写真も撮り忘れてしまいました。 早く着いたので、この京都駅の大階段からを一枚ぐらい。 会う前に行った伊勢丹内のトイレ。 洗面所の蛇口が十字…
暖かくなってきたので、家内がデイサービスから帰ってくるのを、庭をブラブラしながら待っていました。 庭と言っても猫の額か私の額かというぐらいの狭い我が家の庭ですが、その庭の奥の方にもう1本椿の木があるのに、初めて気づきました。 私の背丈の2倍ぐらいには育った椿の木で、最近も切ってた記憶が有りますが、椿とは全く気付かず、我が家には前回報告の椿だけだと思っていました。 どうして気づかなかったのか不思議ですが、たぶんこれが五島列島に居る時に「玉ノ浦」だと思って買った椿でしょうね。 早速これも切って部屋の飾ります。 「玉ノ浦」ではそもそも無かったのか、それとも我が家の土壌がこんなに薄ぼんやりした「玉ノ浦…
娯楽はWOWOW鑑賞に頼ってる今の私の生活、月に10本以上の映画をWOWOWで観ていますが、邦画は耳が悪くなってセリフが聞こえなくなってきてるので、洋画の字幕を読んでる方が楽です。 最近は老夫婦や老人の映画に、わが身をかぶせて観てることが多いです。 2021年作「すべてうまくいきますように」、しっかりしてるし外食も皆で出来るようなお爺さんが、自分の尊厳を守るために安楽死を望み、自国フランスではだめなので、わざわざスイスにまで行って、それをやり遂げた話ですが、今の私としては、この状態ではちょっとまだ安楽死は早いやろうと思いました。 迷いながら父の希望に沿って行く娘さんを、あのソフィー・マルソー(…
小川さんから借用の地図、私には解りやすく重宝しています、ありがとう小川さん。 名神高速道路の京都東インター付近で、国道1号線や湖西道路への分かれ道辺りを青線の旧東海道は走っていることが、一目瞭然です。 大津へ向かう旧東海道から左に行く分かれ道に、大きな 小関越(コセキゴエ)・三井寺観音道 の道標が有りました。 横には常夜灯もある立派な道標は、1822(文政5)年に定飛脚問屋京都江戸大阪三店が建立したものです。 この道を行くと、京都から三井寺(園城寺オンジョウジ)へお詣りする近道でも有りますし、大阪~奈良から西近江に行く北国海道(西近江路)への近回りにもなります。 この三叉路からはもう滋賀…
前回から少し進むと山科廻地蔵に行き当たりますので、その辺りの拡大地図に番号を振って、順に紹介します。 地図の印1です。 左の石碑にある十禅寺はここを入って行きますが、右の電柱横の小さな石碑に人康親王(サネヤスシンノウ)墓とあるように、十禅寺の奥に前回紹介した人康親王の宮内庁治定の墓が有ります。 もう山科は桜が咲いてるのかと思わないでください、この写真は天皇陵巡りで訪れた時の写真を使っています。 2の山科(四宮・山科廻)地蔵のある六角堂です。 山科地蔵は、小野篁(オノノタカムラ)(802~853)が1本の桜の大木から852年に造った6体の地蔵菩薩像のうちの1体です。 最初は伏見六地蔵の大善寺(タ…
山科駅前から旧東海道を東に向かっているのですが、今回は地図青線の諸羽神社と青✖の人康親王墓を天皇陵巡りのように紹介します。 諸羽神社(モロハジンジャ)へは旧東海道沿いのこの鳥居をくぐり、京阪電車京津線の踏切を渡って行きます。 天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に従った二神を祀っているので、両羽(モロハ)からその社名があるようです。 境内が平安時代第54代仁明天皇(ニンミョウ)第4皇子人康親王(サネヤスシンノウ)(831~872)の山荘跡になっているので、今のこの辺りの地名四宮(シノミヤ)の由来になっています。 境内には琵琶の名手だった人康親王がこの石に腰かけて琵琶を弾いたと言う「…
先日の大津宿の取材には、京都市営地下鉄と京阪電車で行きました。 京都市営地下鉄から御陵駅で京阪電車京津線に乗り換えますが、山科駅からは地上に出てきますので、先頭車両に乗っています。 逢坂山のトンネルを越えて、61‰(パーミル;1000ⅿ進んで61m上がる勾配)という限界の倍ぐらいの坂を下ります。 途中逢坂山手前の大谷駅は、日本の普通鉄道では日本一の急勾配(40‰)にある停留所ですので、急勾配の線路に合わせてホームも斜めになってますが、ホームの木のベンチの脚は、長さを変えて水平に座れる工夫がなされていました。(漫画みたいですが、納得しますね) 前回の取材からの続きですので、終点前の上栄駅で下車で…
暖かさに誘い出されたのか、気分の落ち込みを克服するためか、「京都へ、京都から」の三条口から旧東海道の取材に、大津まで電車で行ってきました。 大津宿近くの商店街が「100円商店街」のお祭りをしてたせいか、人が沢山出ています。 明治29年創業の旧東海道沿いの鶴里堂(カクリドウ)買った100円の羊羹を、その場で食べて歩き出しました。 昔比叡山から望んだ大津の里が、細長く弓形で、鶴が翼を広げて飛び立つ姿に似ていたので、鶴里堂と命名されたそうですが、羊羹は美味しかったですよ。 大津祭は一度は観たいと思っていたお祭りですが、商店街を歩いていて、大津祭曳山展示館(150円)が有ったので入りましたが、入場者…
暖かくなってきたのに、今日はやけにブルーでした。 家内の食が昨日今日とあまり進まないのと、認知症の程度が又一段階進んだ気がしてるのが、私の憂鬱の原因かもしれません。 今日は近所のスーパーマーケットにも行かず、洗濯したり、ちょっと掃除をしたり、家内の本棚から取り出したのが、 「四十九日のレシピ」伊吹有喜 全く知りませんが女性作家です。 ポプラ文庫も初めてですが、結局一気に読んでしまいました。 再婚して四十年ほど連れ添った妻に急に先立たれ、前妻との一人娘も離婚しそうで帰ってきた話ですが、それほど悲しい話でも無かったので、読んでしまいました。 この本を家内がどのように読んでいたのか、今ではもう分かり…
先日の連休は京都も雪でしたし、昼にも降り続けた日は、庭の椿の木も薄っすらと白くなっていました。 まあ「白い葉の椿」。 五分ぐらいしか充電が持たなくなってしまっていたマキタの掃除機、まあそれぐらい短いほうが疲れずに飽きずに掃除できるので、良いかなあと思っていましたが、とうとう動かなくなりました。 ダイソンとかシャークとかパナソニックとか、強力だがかなり高価な掃除機購入も考えましたが、高すぎるのとマキタの紙パックがたくさん残っていたのとで、また同じマキタの白い掃除機CL11SFDを、通販で1万円ちょっとで買いました。 正解でした、安くて軽くてまずまず吸います「白い掃除機」 テレビでYouTubeの…
五島では椿まつりが昨日から始まっていますが、我が家の椿まつりと言うか、庭に1本だけ椿の木が有ります。 福江島の三井楽で買った苗を、京都の庭に植えたのだと思いますが、今は十分に背丈以上に育っています。 2月初め、まだ蕾ばかりの枝を切って机に飾りましたが、すぐに開花した後はずっとこの状態で長持ちしてます。 椿の花がこんなに長持ちするとは思わなかったので、今度はもう少し蕾の多い枝を切って、一緒にして飾りました(古いのは後ろ側に)。 この椿は「やぶ椿」?、「侘助」?、どちらかだと思いますが、五島の幻の椿と言われてる「玉ノ浦」と思って買ったのかもしれませんが。 たくさんの花がすぐに咲きましたが、大きく開…
久賀島のブログでも紹介されていましたが、五島では第31回五島椿まつりが明日から始まります。 もう31回ということは、我々は第10回ぐらいから参加していたことになりますね。 椿まつりのいろんなツアーにも参加しましたし、その中で久賀島へのツアーにも2回ぐらい参加したと思います。 あの頃はツアーに参加する島民は少なく(まあパリ市民がエッフェル塔に上らないみたいなものですね)、島内からは島に赴任してきてた教員家族や警察官家族ぐらいで、よく一緒になりました。 ツアー料金は安すぎると心配したぐらいですし、お天気次第で良くも悪くもなるツアーですが、今からでもぜひ五島に行って下さい。 この写真を取り込んだ、五…
今回からは家から大分遠くなるので、地下鉄で山科駅まで行き、そこから徒歩で青線の旧東海道を巡りました。 ✖印から出発です。 山科駅から東に、三条の大通りから一筋北のこの道が旧東海道ですので、奥へと進みます。 まだ京阪電車京津線が路面電車のように地上を走っていて、三条通が渋滞してる時には、旧東海道であったことも知らずに、この道に入って迂回して渋滞を抜けようと走り、結局より時間がかかった記憶もよみがえりました。 歩き出してすぐに 東海道 大津札ノ辻まで一里半(6㎞ぐらい) の石柱を道端に見つけました。 その後ろにはあの車石が置かれていましたが、この柱はまだ新しそうです。 地図に赤点で示されてる、毘沙…
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