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島の医者になって、た頃もあった https://syuheitsunemi.hatenablog.com/

京都から五島列島の奈留島の医者になって10年以上、また京都に帰ってきました。 はてなブログに何とか引っ越しました

ブログ名と解離したブログになってしまいました。  現在は京都で家内の介護、ブログがほぼ唯一の楽しみです

島の医者になって
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2010/04/14

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  • 東海道41.

    東海道の直角に曲がる三叉路だった札ノ辻、その現在の写真がこれです。 東横インのビルの辺りは、もう琵琶湖に繋がる大津城の外堀だったのでしょうね。 明智光秀の坂本城を廃城にして、大津城に持ってきた頃の地図ですが(又小川さんから借用)、札ノ辻の琵琶湖側すぐに大津城があったようです。 (地図下から)京都から札ノ辻まで来た旅人は、右に曲がると東海道を、左に曲がると北国海道で湖西を北陸まで行けます。 大津城は関ヶ原の戦いの前に西軍の軍勢をここで食い止め、落城もしなかったので、縁起が良いと、この天守を移して彦根城が誕生したそうです。 江戸時代中期の頃の地図になると、もう大津城は無くなっていて、幕府や彦根藩の…

  • 逆境でもちくわ

    家内が固形物をほとんど食べなくなって1ヵ月、栄養状態は良くないですが、こまめに介助で食べさす栄養ゼリー・栄養ドリンクで、なんとかしのいでいます。 したがって料理はますますしなくなって、私自身の夕食は生協の宅配弁当かスーパーの総菜弁当を食べる毎日です。昼はそれでもなんか作ります、冷蔵庫に残ってた冷凍チャーシュー麺にちくわ3本を丸ごと入れた、豪華ちくわチャーシュー麺です。 以前ブログで薦められた冷凍稲庭細うどんもまだ残っていたので、ヒガシマルうどんスープで味付けし、甘いお揚げさん2枚・ゆで玉子、それにちくわ2本を豪華に盛り付けました。 丸ごとちくわは大海老天2本、お揚げさんは2枚の大きな塩タンと思…

  • スマホ解約

    そろそろ梅雨入りのようですが、我が家の紫陽花はまだ花をつけていません。 はてなになって、毎朝50近くの他人のブログをチェックするようになっていますが、どれも満開の紫陽花ばかりというのにです。 家内は普通の紫陽花を買ったようなのですが、この紫陽花咲いて見たら墨田の花火の種類の紫陽花だったようで、残念がっていましたね。 その家内は、土曜日はなんとか朝は熱も無かったのでデイサービスに行けました。 それを送って自由時間なんですが、なんか力も出ず何もする気にならない有様でしたが、重い腰をあげて、以前から念願のスマホ解約に行きました。 一年前から解約したかった家内のスマホ契約、委任状や診断書がいると言われ…

  • 東海道40.

    今までは不定期ぐらいしか更新されないブログを、十ほどしか読んでいなかった私ですが、はてなに移って★印をいただいた他のブログに簡単に行けるので、毎日50ぐらいのブログを読むようになりました。 時には思わず過去のブログにまでわたって読みふけるブログもあって、皆さんのすごいブログに接して、自分のしょうもないブログがやや嫌になってるのと、家内は相変わらずの低空飛行で、今週はデイサービスに行ってくれましたが、まだ熱もポンと出たりで、なんか気が乗らないのとで、ブログを書く手がなかなか進みません。 まあコメントには励まされてるので、今日も東海道を少し進みます。 写真の辺り八丁筋(ハッチョウスジ)には、前回…

  • 久しぶりの外出

    家内はまだ熱が出る時もあるのですが、今朝6月3日火曜日は熱も無いので、久しぶりに無事デイサービスに送り出すことが出来ました。 6月からは仕事も火曜日は無くなったので、久しぶりの自由時間を、婿さんとの用事に充てて、その用事もモーニングサービスが終わる前には終わったので、上賀茂の喫茶店でモーニングを食べながら、しばらく話も出来ました。こう言うのもなんですが、娘にも私にももったいないぐらいの上出来の優しい婿です。 せっかくの久しぶりの外出、雨が降っていてやや寒かったですが、コーヒーゼリーパフェも食べました。 1年ぶりぐらいのパフェ、値段は高くなってきた気はしますが、美味しく噛みしめましたし、帰りは少…

  • 東海道39

    家内の熱は昨日から少し下がってるので、一喜一憂の今は喜状態の私がブログを書いています。 東海道沿いの下を通ってるJR東海道本線、ここは先にあった京津電気軌道(今の京津線)と東海道本線の交差部で、上を走る京阪電車では蝉丸跨線橋と呼び、下を走るJRでは上閑寺隧道と言っています。 京津線が左から右に斜めに走っているので、上閑寺隧道も斜めに二連トンネルになっています。以前紹介した旧逢坂山水道が1921(大正10)年廃止されて、同時にこちらが完成し今に至ってるようです。 どちらもかっこいい跨線橋と隧道です。 東海道線の複々線化や湖西線の開通に伴って、も一つのトンネルと跨線橋が1970(昭和45)年に横に…

  • ますのすし

    家内は4月頃からますます食欲が落ちて、5月に入って連休明けぐらいから固形物を取らなくなり、おまけに熱が下がらず、しかし採血など訪問診療での検査結果では炎症反応なく他の結果は良すぎるぐらいで、原因はっきりしません。 デイサービスも休みがちで、子供たちに頼って仕事に行っています。 後輩の先生がやっと5月から確保できたので、私は6月からは仕事は週1回に成ります。 それやこれやで気が付いたらブログの更新を1週間忘れていました。 気を取り直して書いていますが、ネタがないので、貰ったますのすしをあげました。 富山のますのすし本舗源の「特撰ますのすし」です。 綺麗で懐かしい、子供の時は駅弁のお土産を貰って嬉…

  • 東海道38.

    京阪電車京津線の終点びわ湖浜大津の一つ手前の上栄町(カミサカエマチ)駅で降りて、少し京都方面に戻ると、すぐの街道沿いの京津線踏切の向こうに見えるのが 関蝉丸神社下社 です(旧称関清水大明神蝉丸宮)。 創祀は822(弘仁13)年、上社に猿田彦命を、この下社には豊玉姫命が祀られています。 鎮座地の逢坂山に住んでいた蝉丸が亡くなったので、平安時代末には上下両社へ合祀されました。 今から50年以上前に滋賀県東近江市で生まれたこの「飛び出し坊や」、いろんな扮装の坊やがいますが、ここではやはり蝉丸です。 この石柱にあるように、関蝉丸神社は歌舞音曲・芸能の始祖神として蝉丸を祀っているので、諸芸に関係する人々…

  • 東海道37.

    家内はまだ熱が出ているのでデイはお休み、息子夫婦などが来てくれて何とか私は仕事に行っていますが、やっぱりなんか力が出ませんね。 阪神が勝ってくれるので、何とか力を貰って、ブログを読んだり書くことで力をつけています。 さて小川さんの地図をお借りしていますが、この下の方にある逢坂碑まで来ましたので、ここで京津線の踏切を渡るといよいよ大津の街中です。 逢坂碑の前にあった安養寺(アンヨウジ)、境内の立聞観音は東海道名所絵図等にも記載されているそうで、僧の姿になって蝉丸の後ろに立ち琵琶の音色を聞いていた観音様なの立聞観音です。 安養寺・大津市で検索すると、同じ滋賀県でこちらは有名な(厄払いで京都の人も…

  • 東海道36.

    家内の熱はまだ続いていて、私の自己流に自信がなくなってきて、今日は臨時の訪問診察も頼みました。 何となく気が重いので、人のブログを読んで、少し気持ちを治めています。 はてなブログに移行してちょうど1ヵ月経ち、アクセス数は2600と1日80~90人ぐらいで、GOOブログと同じぐらいに成りました。 ただしはてなでは★が付くので、読んでもらった人が判り(はてな会員だけだと思いますが)、思わず★をつけてもらった人のブログに飛んで読んでしまい、そのブログにはまってしまって、他のブログを読みふけることが多くなりました。 写真も綺麗だし文もよく練れて玄人かなと思うぐらいのブログも多いですので、私のブログが恥…

  • 東海道35.

    今週は家内が発熱してデイも行けず、お嫁さん達の留守番で私は仕事に行って、コロナ検査や検尿テープを持って帰って、訪問診療の採血結果は異状なしでしたが、一応膀胱炎かなと思い家にあった抗生物質や解熱剤を飲ませています。 やっと熱が下がってきたようですが、この4日間固形物を食べなかったので、体重はまた3㎏程減りました。 昔から「食べられなくなったら汚くなる前に死なしてや」、と言っていた家内に、「もう充分汚くなってるやん」と返していた私ですので、変な延命処置はしませんが、このままはちょっと早いし、薄情かなと、揺れる気持ちは有りますね。 今朝はちょっと少しずつですが、パンも食べてくれて、今の所熱も出てませ…

  • たまごとじ

    ゆで玉子をあまり食べなくなった家内の為に、花水木さんが教えてくれた「かきたま汁」を作りました。 水溶き片栗粉はないので、ヒガシマルうどんだしで作った湯の中に、溶き入れるとふんわり広がってなかなかいい感じですが、汁が多いですね。 家内はほとんど食べてくれなかったので、残りはいつもの「きつねちくわうどん」に入れてみました。ここで「かきたま汁」と「たまごとじ」って同じもの?の疑問にぶつかりました。 関西と関東の名前の違いかもしれませんね、知らんけど。 それなら始めから「たまごとじうどん」を作ろうと、単なる湯の中で作ったたまごとじを、これまた花水木さん推薦の稲庭冷凍うどんにトッピング。(必須の竹輪は在…

  • 卵料理?

    もう完璧にむける様になったゆで玉子、このゆで玉子にケチャップとマヨネーズをかけて、よく食べてくれていた家内ですが、私の中でゆで玉子造りが完璧になった今、家内はあまりゆで玉子を食べなくなりました、と言うかまたまた食欲低下です。 ヒガシマルうどんスープで味付けした冷凍うどんに、こま切れ肉とゆで玉子、そしてちぎって入れた得意のちくわうどんです。 これは何度にも分けて、何とか三分の一ぐらいは食べてくれます。 🎶ちぎって 入れてよ~ ちくわを 入れてよ~ 昼食う~の うどん造る 竹輪の~料~理 ♪ 親の心に背いてまでも、恋に生きてきた私達二人ですので、頑張って介護続けます。 鰻を貰ったので、初めて錦糸た…

  • 78.流鏑馬

    現在進行中のシリーズ物「京都へ、京都から」と同時に、私のブログにはもう一つ細々と続けているシリーズ物「菓子たくさん」も有ります。 主に和菓子を見事な器と共に紹介してる「菓子珊珊(サンサン)、これに触発されてと言うか、上品さを無くした二番煎じとして始めた「菓子たくさん」は、世間の評判は相変わらず気にもせず、なんやかんやで第78回目に成りました。 「継続は力なり!」まあこの言葉も花水木さんの受け売りですが、本当は「継続は我がままなり!」です。 10年近く前の下鴨神社の流鏑馬の写真です。 5月3日には毎年、葵祭が平穏無事に行われるよう、沿線を祓い清める行事として、この流鏑馬神事が下鴨神社の糺の森(タ…

  • 外出

    ゴールデンウィークの最後は雨でしたが、火曜日祝日でも家内はデイサービスに行けたので、その間に私はサービスで少し仕事にも行ってきました。 ゴールデンウィークと言っても週に2回しか働いていないので、あまり関係ないですね。 土曜日も家内がデイサービスに行けたので、その間に昔々働いていた病院の、ほぼ60歳以上から95歳までの写真の同窓会に参加しました。その頃働いていた病院は事務や看護婦さん達もやる気満々で活気があり、私などの外科もはっぱをかけられて、色々外科以外のこともやらされていました。 今年になって早4ケ月、三分の一が過ぎましたがその間の私の外出は、近所のスーパーなどに買い物に行く以外は、麻雀新年…

  • こどもの日

    新緑の候になりましたね、桜も良いですが新緑はなんか元気が出て、歳と共に私の中で新緑の地位が上がった気がしてます。 この季節は大学に入学した頃を思い出す季節、これからは何でも出来ると思ってたあの頃でしたが、出来たのは年をとることだけでした。 娘が持って来てくれた柏餅を食べました。(前回Toitenlaさんのコメント、今回を予想されていましたね) この鶴屋吉信の柏餅は、珍しく道明寺製ですが、先週持って来てくれた葵屋の、普通の餅で味噌餡の方が柏餅らしく、私は好きです。 岡山名物「こどもきびだんご」も持って来てくれていました。 私は子供の時からきびだんごや羽二重餅のような、柔らかいお菓子大好き人間です…

  • 東海道34.

    国道1号線沿いの逢坂の関記念公園横に、逢坂山関跡(1932(昭和7)年建立)と逢坂常夜燈が有りましたが、平安時代になって三関(不破・鈴鹿・逢坂)の一つになっていた逢坂の関所が、ここにあったかどうかは不明で、もう少し大津寄りだった可能性の方が高かったようです。 この記念公園内には、小倉百人一首の中で逢坂山を歌った3首の歌碑も有ります。前回紹介した蝉丸以外に、この三条右大臣の歌碑。 小倉百人一首第25番三条右大臣藤原定方(フジワラノサダカタ)(873~932)は、両親の雨宿りのロマンスから生まれた定方の姉の夫が、急に第59代宇多天皇になり、その上息子が第60代醍醐天皇にもなったので、定方は右大…

  • 東海道33.

    逢坂山の峠近くに、逢坂の関記念公園と言う小さな広場があって、小倉百人一首の逢坂山にゆかりの3首の歌碑も有りました。 前回紹介した蝉丸の歌碑です。 大津絵販売之地の新しい石柱も有りました。 この逢坂の関近くの東海道沿いでは、大津絵・大津算盤・大津針が名物として、旅のお土産に売られていたようです。 この石柱を建てた創業1858(安政5)年の印刷屋さんの広告の下にあるのが、その大津絵です(ブラタモリでタモリさんも書いていましたね)。 はてなブログに移行して15日、だいぶ慣れて来たとは思っていますが、はてなはGOOブログの「いいね」の代わりが星印なんでしょうね。 誰がしてくれたか分かる利点は有りますが…

  • 新緑

    庭で枯れ木のようになっていた紫陽花、あっという間に緑の葉が付いていましたので、今年も花が咲いてくれるのでしょうね。 ゴールデンウィーク初日の29日は、家内はデイに行って私はお休みなので、電動自転車に乗って竹田街道のブログ取材に行きました。 葵橋から賀茂川上流を眺めます、少し寒いが自転車日和。 御所の中を抜けて南に下ります。朝9時頃なのでゴールデンウィークでも人影はまばら、それでも一般公開には門の前に並んでる人がいました。 御所は松が多いせいかそれほど新緑と言う感じがしません。 この土塀の下を流れる小さな堀を、靴を脱がされて高校の体育の時間に走らされましたが、今考えても意味が分かりませんね。 御…

  • 良い季節になりました

    朝の6時ももう明るく、少しまだ朝は寒いですが良い季節になりました。朝日を浴びた西の山の上にある雲が山のように見えます。 それから12時間後、夕焼けの残りの中を飛行機が飛んでいました。しかしこの電線がいつも邪魔をしています。 奈留島の上空にはいつも飛行機雲が有ったので、飛行機雲を見ると、奈留島に居た頃を思い出します。 奈留島で飛行機雲を見てた時は、いつも子供の頃の夏休みを思い出していたのですがね。 どこかに旅行したいですが、飛行機ではない方が良いですね。

  • 東海道32.

    小川さんの地図からまたまた借用した、逢坂山峠周囲の地図です。 蝉丸神社は946年に蝉丸を主神として祀られています。 社殿は1660(万治3)年の建立で、その時に街道の守護神として、猿田彦命(サルタヒコ)と豊玉姫命(トヨタマヒメ)を合祀したとされています。 社殿はこの石段の上にありました。 蝉丸大明神の灯篭1704(元文5)年・階段途中の灯篭1839(天保10)年とあるので、東海道を通る人々もこれを見てたのでしょうね。 主神の蝉丸は、実在の人かどうかも分かりませんが、琵琶の名手でした。 小倉百人一首10番、坊主めくりでこれを引くと、全員の持ち札がとられる札だったので、子供の頃から馴染みありますが…

  • 大学同窓会

    先週昼間に大学同窓会が有りましたので、家内をデイサービスに預かってもらって出席出来ました。 大学闘争があったり、今ほどではないですがそれなりに試験も厳しかったので、私の母校の卒業生には年度ごとにバラつきが有ります。 もう50年以上前になりました、卒業生140名ほどの内35名(2割5分)が集まりました。(10年前の会には48名の出席) 物故者が25名(2割弱)にもなったことに驚きました。 皆80歳前ぐらいにはなりましたが、あの頃一緒に笑ってた5人に一人がもういないんですね。 10年後の会には私自身が存在してるかどうか疑問です。

  • 東海道31.

    消滅した私のGooブログにはもう到達できませんし、はてなブログにも慣れてきましたので、またシリーズ物も再開します。 前回の逢坂山に近づいて国道1号線を渡った所から始めます。 陸橋を渡ると、京阪電車京津線の大谷駅の改札が有ります。 大谷駅は以前紹介したように、日本の普通の鉄道では日本一の急勾配(40‰)(花水木さん憶えておられますかパーミルですよ)にある停留所で、ホームの木のベンチの脚の長さも左右差をつけてるぐらいでしたね。 大谷駅改札口横の 元祖走井餅本家 の石碑。 前回の月心寺の辺りに、走井(ハシリイ)と呼ばれていた清らかな水が勢いよくあふれ出す井戸があったので、この辺り東海道沿いの茶屋で、…

  • 宝ヶ池アーバンスポーツパーク

    20年前はフーク(盲導犬になれなかったラブラドール)のドッグランでしたし、孫との球技にも使ってた宝ヶ池公園の広場、4月20日から宝ヶ池アーバンスポーツパークと言う長い名でオープンしました。 昔20年以上前ですが、宝ヶ池球技場が出来た時は、近所の住民が招待されて、ラグビーの試合を観た記憶が有りますが、今回は招待有りません。 でも窓から見えるので、大会でも有ったらここからスケートボードが観れることになります。 いよいよはてなブログでの投稿を開始します。 まだ慣れませんが連載も再開しますので、もう忘れられたかもしれませんが、よろしくお願いします。 よーい ドーン!!

  • はてな移行4回目

    少し黒いバックにしてみました。 ブログを始めた18年前ぐらいの奈留島のトンボロです。 干潮になればこの砂州が伸びて、島と島が繋がります。 カテゴリーも横に表示できましたし、過去のブログも全部綺麗に移行出来たようです(意外とあっという間でした)。 文字の大きさもこの標準でも良いかもしれません。 出来たので比較して決めるつもりですが、ご意見あればどうぞお願いします。 私のブログは本文よりもコメントの方が面白いので、またコメントに頼りたいと思います。 願わくば閲覧数が別場面でなく、gooブログのように下に表示されたら良いのですが。 ブックマークとか読者とかスター印のつけ方などが解ってないですね。 ど…

  • はてな移行3回目

    デザイン色々変えられるので、こんな優しいのにしましたが、私には合いませんかね。これはコメントが読みやすい気はします。 奈留島の看護婦さんの畑のキャベツ、あの頃はなんぼでも持って帰ってと言われてましたが、今なら宝の山ですね。 書き方に慣れてきましたが、文字の大きさがなかなか決まりません。そろそろ連載物を再開して様子見ますかね。

  • はてな移行2回目

    はてな移行2回目写真を試します。 何とか出た写真は、20年近く前にブログを始めた五島列島奈留島の千畳敷です。 はてなブログ先輩様、もし答えて貰えたら嬉しいです。 1.文字の大きさは、見出しでしか調節できないのですか? 2.お気に入りにSYUHEITSUNEMI'S BOGでしか表示されません。これを「島の医者になって、た頃もあった」とは出来ないのですか? 3.自分のgooブログを見れなくなる失敗をしてしまいました、見ようとしても、中身のないアメーバブログに移行するだけです。 そこに張り付けた私のブログへの印、それでこのはてなブログに繋がりましたが、繋がらないと言う人もいます、何故? 4.GOO…

  • 引っ越しました

    gooブログから何とか引っ越し出来ました。 今までの読者の方、ここに到達出来たらコメントお願いします。

  • gooブログ終了の通知

    2007年5月31日から本格的に始めた私のブログ、1回目は五島列島奈留島の私のプライベート海岸?のこの写真で「島の医者になって」です。 10年前には島から京都に戻り、ブログ名も「島の医者のなって、た頃もあった」に変更して続けてました。 3年前の2022年春にはTeacupブログが閉鎖されて、何とか今のgooブログに移転出来て、今までの内容も少々文字化けしてはいますが保存されてきてます。 gooブログで今までのアクセス数50ぐらいが150ぐらいになって、新しいgooブログの皆さんのブログも読めるようになって、楽しんでいた所にこの連絡です。 18年間で生活の一部になってしまった、ブログを書いたり読…

  • 桜花賞

    我が家の一応サトザクラと決まった桜は、一昨日の土曜日にはほぼ満開、晴れた空の下で結構な綺麗さです。 でも今朝はもう盛りを過ぎたような感じで、雨に煙っていました。 今年の桜はこれで終わりですかね。 昨日の日曜日は雨で寒かったですが、阪神競馬場の桜は満開です。 桜花賞、あんな簡単な馬券なのにやっぱり入らず、次男からはしばらく休んだらとラインも入りました。 長男家族は雨の大阪万博初日に行っていて、混雑と寒さで疲れましたと、お嫁さんからラインが入りました。 娘家族は、小雨の中仁和寺の遅咲きの桜見物に行っていて、満開までもう少しと、写真のラインで私もお花見と孫の笑顔。 JRAのインターネット会員限定有馬…

  • 東海道30.

    又小川さんの地図ですが、いよいよ青線の東海道は逢坂山に差しかかります。 月心寺を過ぎてすぐ、昭和初期までは子孫が住んでいたと言う民家の前に、大津算盤の始祖 片岡庄兵衛の碑が有りました。 1612(慶長17)年に庄兵衛が明国から長崎に渡来した算盤を参考に製造した大津算盤、この辺りに店を構え幕府御用達にもなって「そろばんと言えば大津、大津と言えばそろばん」とまで言われるようになりました。 東海道を行きかう旅人はここ逢坂山辺りで、大津算盤・大津針・大津絵・走井餅をお土産にするそうです。 秀吉が播磨の三木城攻めの時に、隣の小野の住民は大津に避難したそうです。 その後ここで大津算盤の製造を学び、後日小野…

  • 入学

    京都の桜は、そろそろ終わりますが、我が家のこの桜はもうじき満開。 ところがこの桜、花水木さんから「桃なんでは」と指摘されました。 ええっつ! 犬だと思って飼っていたのが猫だった、の気分です。 GOOGLEで写真を撮って検索しても、「サトザクラ・かんざん」と出ましたが、もう一度すると「さくらもも」とも出ます。 どっちなんでしょうか? まあ桜と騙されていたとしても、長年見てきた我が家の庭に咲いたものですから、今後も愛おしみますが。 今はもう私を愛してるとは言わなくなった家内を、私は愛おしんでいますので、そう言うことには慣れてる人生です。 愛おしい4番目の孫が、この春は小学校に入学しましたので、昨日…

  • 4月も三分の一過ぎ

    西の山に夕日が沈むのも6時過ぎてからになってきました。 そろそろこの西日が嫌になる季節が来るのでしょうね。 昨日の診療所中庭の枝垂れ桜はほぼ満開、そしたら隣の柳の緑がやや薄れてきました。 施設の玄関のソメイヨシノは、昼頃は落花盛ん、明日木曜日の出勤時にはまだもってると思いますが、来週の出勤時にはもう葉桜ですかね。 診療所の美人マスク看護婦さん3人が、門の前まで私を見送ってくれたのかと思って手を振って、写真をラインで送ったら、横の竹林にタケノコ掘りに行く途中だったらしいです。 私はタケノコにも負けてます。 この辺は明智光秀が討たれた明智藪もある、竹林が多い所です。 帰りは鴨川沿いに北上する車通勤…

  • 4月も5日過ぎ

    4月5日土曜日、特別に月2回だけ土曜日にも行かせてもらってるデイサービスに家内を送り、朝から街に出かけました。 松ヶ崎疏水の桜は木曜日より綺麗になって、この数日が満開のよう。 鴨川の土手を電動自転車で走りながら櫻見物です、出町辺りの桜は満開まであと数日か。 自転車で走ると丁度良く、止まると少し寒いです。 鴨川べりの高級ホテルの前には、人力車で桜見物に出かける金持ち外国人と思われる人々が並んで出発を待ってました。 京都は外国人であふれてるようです。 高瀬川沿いの桜は満開、所々の柳の新緑とよく合いますが、高瀬川の桜はなんか夜に店のネオンと共に見るほうが、高瀬川の桜っぽいですね。 街に行ったのは、2…

  • 4月になった

    昔「9月になれば」と言う明るい映画が有りましたが、いよいよ「4月になりました」。 4月1日、仕事日ですが家内がデイから帰る前に、買い物に行きます。 松ヶ崎疏水沿いの桜で一番早そうだったのがこの桜か、一部満開に近いです。 鴛鴦と思いますが、夫婦で餌探し、上から見下ろしても逃げもしませんね。 仕事場の中庭のいつもの枝垂れ桜はまだまだですので、来週火曜日の仕事の日ぐらいに満開の写真が撮れそうです。 桜と新緑の柳は結構合いますね! 小倉百人一首21番の素性法師(ソセイホウシ)の歌に、最近こんなのが有るのを知りました。 見わたせば 柳桜(ヤナギサクラ)を こきまぜて みやこぞ春の 錦なりけり 「こきま…

  • 東海道29.

    逢坂山まで登るだらだらした、名神高速道路と京阪電車京津線沿いの旧東海道(青線)の地図ですが、やはり小川さんの地図から借用しています。 地図左下で名神高速道路をくぐり、逢坂山への上りにかかる地図○辺りからとった写真です。 左の塀が名神高速道路の防音壁、この登りで車はよく数珠繋ぎになりぎます。 少し上ると、道端に小さな道標。 右一里丁 左大谷町 この右手少しに一里塚があったようです。 端米山月心寺(ズイベイザンゲッシンジ)の塀に沿って、国道一号線沿いの旧東海道を上って行きます。 現在月心寺は、橋本関雪(1883~1945)の所有した寺院・庭園及び併設の別邸一帯を指すようです。 公開は予約…

  • キッチン

    介護で辛いのは、家内と日常の何気ない会話と意思疎通が出来なくなって、心が通じ合わなくなったような気がすることです。 しかたがないので最近は、本棚から家内の買った本で面白そうなものを取り出して、読んでいます。 ということで、今更ながらですが、私には初めての 吉本ばななさんの「キッチン」を読みました。 初版は1988年1月、彼女が買ったのは約1年後の1989年4月の第31刷1030円です。 やはりベストセラーだったんですね。 「キッチン」・「満月-キッチン」・「ムーンライト・シャドウ」の3作が入っています。 40年近く前に20歳過ぎの少女が書いた本なのに、今でもすごい新鮮な文体で、3作共に死が全…

  • 続春が来た

    春はあけぼの・・・・、ですが。一昨日の朝雨上がり、もう朝6時はあけぼのは終わって朝でした。 5日前には一つだけ花が開いていた、我が家の庭のシデコブシ?。 暖かくなり、昨日はもう満開で沢山花をつけてたので、二つだけ切って椿に変えて部屋に飾り、部屋にも春を呼び込みました。 昨日土曜日は家内がデイサービスに行ったので何かできるはずでしたが、のんびりボーっと午前中を過ごしてしまったので、午後から近くの買い物だけ。 松ヶ崎疏水の桜はこの1本が咲き始めていただけ、この木曜日の買い物ぐらいには満開かも知れませんが、今朝はまた寒かったので、来週末が見頃かもしれません。 少し切られてしまいましたが、近所の家の桜…

  • 東海道28.

    前回数独の解答はまだコメントされていませんが、東海道先を急ぎます。 数独解けた時はいつでもコメントください、このままではもやもやが晴れません。 又小川さんにお世話になる地図です。 中央車道の展示が境内にあった閑栖寺を過ぎて、分かれ道の髭茶屋追分(ヒゲチャヤオイワケ)に来ています。 少しピントがずれた写真で残念ですが、この皆さんも見慣れた(ブラタモリファンの方だけですが)場所、そう今年の正月のブラタモリ東海道57次の冒頭でタモリさんたち一行が来ていた髭茶屋追分です。 右が東海道53次で京都へ、左へ行くと東海道57次で大阪への分かれ道です。 そして京都府京都市山科区と滋賀県大津市の境です。 以前…

  • 数独

    前回掲載の最後の写真再掲ですが、横に数独を写し込んでいたので、コメンテーターさんの誰かが食いついてくれるかなと思いましたが、スルーされてしまいました。 毎日新聞の朝刊夕刊に掲載されてる「毎日数独」、週に3~4回中級と上級編が掲載されるのですが、初めてこの問題が解けません、左端に2が入ったまでは良かったのですが、以後進まず。 何か特別の解き方のテクニックが必要な問題なんでしょうか、最近は毎日閲覧数200を超えるようになった私のブログ、読者の皆さんぜひこの問題の解き方を教えて下さい。 気になって、新しい数独に進めなくなっています。 よろしくお願いいたします。

  • 春が来た

    「春が来た」と思うと、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」の冒頭「春が2階から落ちてきた」をいつも思い出します。 落ちたと言うなら、家内の介護ベットの下に布団を敷いて、人間センサーになって寝ている私の肩に、昨晩3時半ごろ家内がこけ落ちてきました「妻がベットから落ちて来た」です。 本題からずれ始めたので本題に戻って、先週のお彼岸朝にはまだ大きな大きなボタン雪が降っていました。 「妙」もあっと言う間に白くなっていましたが、すぐに溶けはしました。 でもお彼岸過ぎたら、「春が来ました」 狭い我が家の庭にも、椿以外に色彩が戻ってきて、こんな水仙もあることを知りました。 40年ぐらい前に、友達家族と越前海岸に蟹を食…

  • 東海道27.

    この地図下の国道1号線を跨ぐ歩行者用陸橋を渡り、さらに上(東)へ逢坂山を越えるべく進みます。 何となく旧街道を思わせるような坂道を上って行くと、左手に鐘楼のような建物が見えてきました。 この辺りの手前を横木町(ヨコギチョウ)と言うようですが、車石が敷き詰められる前、豊臣秀吉が大仏殿造営のための巨石を運搬する時に、丈夫な木を横に敷き詰めたので、この名が残ってるようです。 立派な鐘楼付きの門のある 浄土真宗大谷派放光山閑栖寺(カンセイジ)です。 門前には東海道の石柱と車石も置いてあり、大津絵も飾ってありました。 その境内には車道のある東海道が再現されていました。(こちらから奥へ行くのが京都方向…

  • 東海道26.

    道端にあった旧東海道マップの如く、地図上方の山科駅前から赤線の旧東海道を四宮地蔵や三井寺観音道を紹介しながら、地図一番下の弥二さん喜多さん風の二人連れの所まで来ました。 もうここは滋賀県です。 マンホールの蓋も滋賀県ですが、この蓋ほぼ琵琶湖のことばかり、琵琶湖大橋・遊覧船・ヨット・瀬田レガッタ。今はない観覧車・琵琶湖噴水・花火、やはり滋賀県は琵琶湖だけやんと思わせますね。 下の豚?信楽のタヌキでもなさそうですが? ここで国道1号線を跨ぐ歩行者用陸橋を渡りますが、写真は陸橋の上から東を見ています。 左へ行くと国道161号線や湖西道路で高島から敦賀へと通じる、昔の北国海道です。 右へ行くと国道1号…

  • 懐かしい人々と

    先日の土曜日、家内は月に二回の土曜日デイサービスに行ったので、以前働いていた病院の外来看護婦さんに誘われてた昼食会に行きました。 久しぶりの京都駅、久しぶりの街の雰囲気、人混みに酔う感じも有りますし、島に居た頃に都会に行った時に感じる気持ちと同じ感を思い出しました。 20年前のことになるので、皆そこそこの年齢になったと言っても、20歳ぐらい若い看護婦さん達としゃべってると楽しくて、せっかく京都タワーが見える席だったのに、景色も観た記憶がなく、料理の写真も皆の写真も撮り忘れてしまいました。 早く着いたので、この京都駅の大階段からを一枚ぐらい。 会う前に行った伊勢丹内のトイレ。 洗面所の蛇口が十字…

  • 続我が家の椿

    暖かくなってきたので、家内がデイサービスから帰ってくるのを、庭をブラブラしながら待っていました。 庭と言っても猫の額か私の額かというぐらいの狭い我が家の庭ですが、その庭の奥の方にもう1本椿の木があるのに、初めて気づきました。 私の背丈の2倍ぐらいには育った椿の木で、最近も切ってた記憶が有りますが、椿とは全く気付かず、我が家には前回報告の椿だけだと思っていました。 どうして気づかなかったのか不思議ですが、たぶんこれが五島列島に居る時に「玉ノ浦」だと思って買った椿でしょうね。 早速これも切って部屋の飾ります。 「玉ノ浦」ではそもそも無かったのか、それとも我が家の土壌がこんなに薄ぼんやりした「玉ノ浦…

  • WOWOWで映画三昧

    娯楽はWOWOW鑑賞に頼ってる今の私の生活、月に10本以上の映画をWOWOWで観ていますが、邦画は耳が悪くなってセリフが聞こえなくなってきてるので、洋画の字幕を読んでる方が楽です。 最近は老夫婦や老人の映画に、わが身をかぶせて観てることが多いです。 2021年作「すべてうまくいきますように」、しっかりしてるし外食も皆で出来るようなお爺さんが、自分の尊厳を守るために安楽死を望み、自国フランスではだめなので、わざわざスイスにまで行って、それをやり遂げた話ですが、今の私としては、この状態ではちょっとまだ安楽死は早いやろうと思いました。 迷いながら父の希望に沿って行く娘さんを、あのソフィー・マルソー(…

  • 東海道25.

    小川さんから借用の地図、私には解りやすく重宝しています、ありがとう小川さん。 名神高速道路の京都東インター付近で、国道1号線や湖西道路への分かれ道辺りを青線の旧東海道は走っていることが、一目瞭然です。 大津へ向かう旧東海道から左に行く分かれ道に、大きな 小関越(コセキゴエ)・三井寺観音道 の道標が有りました。 横には常夜灯もある立派な道標は、1822(文政5)年に定飛脚問屋京都江戸大阪三店が建立したものです。 この道を行くと、京都から三井寺(園城寺オンジョウジ)へお詣りする近道でも有りますし、大阪~奈良から西近江に行く北国海道(西近江路)への近回りにもなります。 この三叉路からはもう滋賀…

  • 東海道24.

    前回から少し進むと山科廻地蔵に行き当たりますので、その辺りの拡大地図に番号を振って、順に紹介します。 地図の印1です。 左の石碑にある十禅寺はここを入って行きますが、右の電柱横の小さな石碑に人康親王(サネヤスシンノウ)墓とあるように、十禅寺の奥に前回紹介した人康親王の宮内庁治定の墓が有ります。 もう山科は桜が咲いてるのかと思わないでください、この写真は天皇陵巡りで訪れた時の写真を使っています。 2の山科(四宮・山科廻)地蔵のある六角堂です。 山科地蔵は、小野篁(オノノタカムラ)(802~853)が1本の桜の大木から852年に造った6体の地蔵菩薩像のうちの1体です。 最初は伏見六地蔵の大善寺(タ…

  • 東海道23.

    山科駅前から旧東海道を東に向かっているのですが、今回は地図青線の諸羽神社と青✖の人康親王墓を天皇陵巡りのように紹介します。 諸羽神社(モロハジンジャ)へは旧東海道沿いのこの鳥居をくぐり、京阪電車京津線の踏切を渡って行きます。 天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に従った二神を祀っているので、両羽(モロハ)からその社名があるようです。 境内が平安時代第54代仁明天皇(ニンミョウ)第4皇子人康親王(サネヤスシンノウ)(831~872)の山荘跡になっているので、今のこの辺りの地名四宮(シノミヤ)の由来になっています。 境内には琵琶の名手だった人康親王がこの石に腰かけて琵琶を弾いたと言う「…

  • 京阪電車:京津線・石山坂本線

    先日の大津宿の取材には、京都市営地下鉄と京阪電車で行きました。 京都市営地下鉄から御陵駅で京阪電車京津線に乗り換えますが、山科駅からは地上に出てきますので、先頭車両に乗っています。 逢坂山のトンネルを越えて、61‰(パーミル;1000ⅿ進んで61m上がる勾配)という限界の倍ぐらいの坂を下ります。 途中逢坂山手前の大谷駅は、日本の普通鉄道では日本一の急勾配(40‰)にある停留所ですので、急勾配の線路に合わせてホームも斜めになってますが、ホームの木のベンチの脚は、長さを変えて水平に座れる工夫がなされていました。(漫画みたいですが、納得しますね) 前回の取材からの続きですので、終点前の上栄駅で下車で…

  • 大津まで

    暖かさに誘い出されたのか、気分の落ち込みを克服するためか、「京都へ、京都から」の三条口から旧東海道の取材に、大津まで電車で行ってきました。 大津宿近くの商店街が「100円商店街」のお祭りをしてたせいか、人が沢山出ています。 明治29年創業の旧東海道沿いの鶴里堂(カクリドウ)買った100円の羊羹を、その場で食べて歩き出しました。 昔比叡山から望んだ大津の里が、細長く弓形で、鶴が翼を広げて飛び立つ姿に似ていたので、鶴里堂と命名されたそうですが、羊羹は美味しかったですよ。 大津祭は一度は観たいと思っていたお祭りですが、商店街を歩いていて、大津祭曳山展示館(150円)が有ったので入りましたが、入場者…

  • 四十九日のレシピ

    暖かくなってきたのに、今日はやけにブルーでした。 家内の食が昨日今日とあまり進まないのと、認知症の程度が又一段階進んだ気がしてるのが、私の憂鬱の原因かもしれません。 今日は近所のスーパーマーケットにも行かず、洗濯したり、ちょっと掃除をしたり、家内の本棚から取り出したのが、 「四十九日のレシピ」伊吹有喜 全く知りませんが女性作家です。 ポプラ文庫も初めてですが、結局一気に読んでしまいました。 再婚して四十年ほど連れ添った妻に急に先立たれ、前妻との一人娘も離婚しそうで帰ってきた話ですが、それほど悲しい話でも無かったので、読んでしまいました。 この本を家内がどのように読んでいたのか、今ではもう分かり…

  • 白い一日

    先日の連休は京都も雪でしたし、昼にも降り続けた日は、庭の椿の木も薄っすらと白くなっていました。 まあ「白い葉の椿」。 五分ぐらいしか充電が持たなくなってしまっていたマキタの掃除機、まあそれぐらい短いほうが疲れずに飽きずに掃除できるので、良いかなあと思っていましたが、とうとう動かなくなりました。 ダイソンとかシャークとかパナソニックとか、強力だがかなり高価な掃除機購入も考えましたが、高すぎるのとマキタの紙パックがたくさん残っていたのとで、また同じマキタの白い掃除機CL11SFDを、通販で1万円ちょっとで買いました。 正解でした、安くて軽くてまずまず吸います「白い掃除機」 テレビでYouTubeの…

  • 我が家の椿

    五島では椿まつりが昨日から始まっていますが、我が家の椿まつりと言うか、庭に1本だけ椿の木が有ります。 福江島の三井楽で買った苗を、京都の庭に植えたのだと思いますが、今は十分に背丈以上に育っています。 2月初め、まだ蕾ばかりの枝を切って机に飾りましたが、すぐに開花した後はずっとこの状態で長持ちしてます。 椿の花がこんなに長持ちするとは思わなかったので、今度はもう少し蕾の多い枝を切って、一緒にして飾りました(古いのは後ろ側に)。 この椿は「やぶ椿」?、「侘助」?、どちらかだと思いますが、五島の幻の椿と言われてる「玉ノ浦」と思って買ったのかもしれませんが。 たくさんの花がすぐに咲きましたが、大きく開…

  • 第31回五島椿まつり

    久賀島のブログでも紹介されていましたが、五島では第31回五島椿まつりが明日から始まります。 もう31回ということは、我々は第10回ぐらいから参加していたことになりますね。 椿まつりのいろんなツアーにも参加しましたし、その中で久賀島へのツアーにも2回ぐらい参加したと思います。 あの頃はツアーに参加する島民は少なく(まあパリ市民がエッフェル塔に上らないみたいなものですね)、島内からは島に赴任してきてた教員家族や警察官家族ぐらいで、よく一緒になりました。 ツアー料金は安すぎると心配したぐらいですし、お天気次第で良くも悪くもなるツアーですが、今からでもぜひ五島に行って下さい。 この写真を取り込んだ、五…

  • 東海道22.

    今回からは家から大分遠くなるので、地下鉄で山科駅まで行き、そこから徒歩で青線の旧東海道を巡りました。 ✖印から出発です。 山科駅から東に、三条の大通りから一筋北のこの道が旧東海道ですので、奥へと進みます。 まだ京阪電車京津線が路面電車のように地上を走っていて、三条通が渋滞してる時には、旧東海道であったことも知らずに、この道に入って迂回して渋滞を抜けようと走り、結局より時間がかかった記憶もよみがえりました。 歩き出してすぐに 東海道 大津札ノ辻まで一里半(6㎞ぐらい) の石柱を道端に見つけました。 その後ろにはあの車石が置かれていましたが、この柱はまだ新しそうです。 地図に赤点で示されてる、毘沙…

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