京都から五島列島の奈留島の医者になって10年以上、また京都に帰ってきました。 はてなブログに何とか引っ越しました
ブログ名と解離したブログになってしまいました。 現在は京都で家内の介護、ブログがほぼ唯一の楽しみです
介護で辛いのは、家内と日常の何気ない会話と意思疎通が出来なくなって、心が通じ合わなくなったような気がすることです。 しかたがないので最近は、本棚から家内の買った本で面白そうなものを取り出して、読んでいます。 ということで、今更ながらですが、私には初めての 吉本ばななさんの「キッチン」を読みました。 初版は1988年1月、彼女が買ったのは約1年後の1989年4月の第31刷1030円です。 やはりベストセラーだったんですね。 「キッチン」・「満月-キッチン」・「ムーンライト・シャドウ」の3作が入っています。 40年近く前に20歳過ぎの少女が書いた本なのに、今でもすごい新鮮な文体で、3作共に死が全…
春はあけぼの・・・・、ですが。一昨日の朝雨上がり、もう朝6時はあけぼのは終わって朝でした。 5日前には一つだけ花が開いていた、我が家の庭のシデコブシ?。 暖かくなり、昨日はもう満開で沢山花をつけてたので、二つだけ切って椿に変えて部屋に飾り、部屋にも春を呼び込みました。 昨日土曜日は家内がデイサービスに行ったので何かできるはずでしたが、のんびりボーっと午前中を過ごしてしまったので、午後から近くの買い物だけ。 松ヶ崎疏水の桜はこの1本が咲き始めていただけ、この木曜日の買い物ぐらいには満開かも知れませんが、今朝はまた寒かったので、来週末が見頃かもしれません。 少し切られてしまいましたが、近所の家の桜…
前回数独の解答はまだコメントされていませんが、東海道先を急ぎます。 数独解けた時はいつでもコメントください、このままではもやもやが晴れません。 又小川さんにお世話になる地図です。 中央車道の展示が境内にあった閑栖寺を過ぎて、分かれ道の髭茶屋追分(ヒゲチャヤオイワケ)に来ています。 少しピントがずれた写真で残念ですが、この皆さんも見慣れた(ブラタモリファンの方だけですが)場所、そう今年の正月のブラタモリ東海道57次の冒頭でタモリさんたち一行が来ていた髭茶屋追分です。 右が東海道53次で京都へ、左へ行くと東海道57次で大阪への分かれ道です。 そして京都府京都市山科区と滋賀県大津市の境です。 以前…
前回掲載の最後の写真再掲ですが、横に数独を写し込んでいたので、コメンテーターさんの誰かが食いついてくれるかなと思いましたが、スルーされてしまいました。 毎日新聞の朝刊夕刊に掲載されてる「毎日数独」、週に3~4回中級と上級編が掲載されるのですが、初めてこの問題が解けません、左端に2が入ったまでは良かったのですが、以後進まず。 何か特別の解き方のテクニックが必要な問題なんでしょうか、最近は毎日閲覧数200を超えるようになった私のブログ、読者の皆さんぜひこの問題の解き方を教えて下さい。 気になって、新しい数独に進めなくなっています。 よろしくお願いいたします。
「春が来た」と思うと、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」の冒頭「春が2階から落ちてきた」をいつも思い出します。 落ちたと言うなら、家内の介護ベットの下に布団を敷いて、人間センサーになって寝ている私の肩に、昨晩3時半ごろ家内がこけ落ちてきました「妻がベットから落ちて来た」です。 本題からずれ始めたので本題に戻って、先週のお彼岸朝にはまだ大きな大きなボタン雪が降っていました。 「妙」もあっと言う間に白くなっていましたが、すぐに溶けはしました。 でもお彼岸過ぎたら、「春が来ました」 狭い我が家の庭にも、椿以外に色彩が戻ってきて、こんな水仙もあることを知りました。 40年ぐらい前に、友達家族と越前海岸に蟹を食…
この地図下の国道1号線を跨ぐ歩行者用陸橋を渡り、さらに上(東)へ逢坂山を越えるべく進みます。 何となく旧街道を思わせるような坂道を上って行くと、左手に鐘楼のような建物が見えてきました。 この辺りの手前を横木町(ヨコギチョウ)と言うようですが、車石が敷き詰められる前、豊臣秀吉が大仏殿造営のための巨石を運搬する時に、丈夫な木を横に敷き詰めたので、この名が残ってるようです。 立派な鐘楼付きの門のある 浄土真宗大谷派放光山閑栖寺(カンセイジ)です。 門前には東海道の石柱と車石も置いてあり、大津絵も飾ってありました。 その境内には車道のある東海道が再現されていました。(こちらから奥へ行くのが京都方向…
道端にあった旧東海道マップの如く、地図上方の山科駅前から赤線の旧東海道を四宮地蔵や三井寺観音道を紹介しながら、地図一番下の弥二さん喜多さん風の二人連れの所まで来ました。 もうここは滋賀県です。 マンホールの蓋も滋賀県ですが、この蓋ほぼ琵琶湖のことばかり、琵琶湖大橋・遊覧船・ヨット・瀬田レガッタ。今はない観覧車・琵琶湖噴水・花火、やはり滋賀県は琵琶湖だけやんと思わせますね。 下の豚?信楽のタヌキでもなさそうですが? ここで国道1号線を跨ぐ歩行者用陸橋を渡りますが、写真は陸橋の上から東を見ています。 左へ行くと国道161号線や湖西道路で高島から敦賀へと通じる、昔の北国海道です。 右へ行くと国道1号…
先日の土曜日、家内は月に二回の土曜日デイサービスに行ったので、以前働いていた病院の外来看護婦さんに誘われてた昼食会に行きました。 久しぶりの京都駅、久しぶりの街の雰囲気、人混みに酔う感じも有りますし、島に居た頃に都会に行った時に感じる気持ちと同じ感を思い出しました。 20年前のことになるので、皆そこそこの年齢になったと言っても、20歳ぐらい若い看護婦さん達としゃべってると楽しくて、せっかく京都タワーが見える席だったのに、景色も観た記憶がなく、料理の写真も皆の写真も撮り忘れてしまいました。 早く着いたので、この京都駅の大階段からを一枚ぐらい。 会う前に行った伊勢丹内のトイレ。 洗面所の蛇口が十字…
暖かくなってきたので、家内がデイサービスから帰ってくるのを、庭をブラブラしながら待っていました。 庭と言っても猫の額か私の額かというぐらいの狭い我が家の庭ですが、その庭の奥の方にもう1本椿の木があるのに、初めて気づきました。 私の背丈の2倍ぐらいには育った椿の木で、最近も切ってた記憶が有りますが、椿とは全く気付かず、我が家には前回報告の椿だけだと思っていました。 どうして気づかなかったのか不思議ですが、たぶんこれが五島列島に居る時に「玉ノ浦」だと思って買った椿でしょうね。 早速これも切って部屋の飾ります。 「玉ノ浦」ではそもそも無かったのか、それとも我が家の土壌がこんなに薄ぼんやりした「玉ノ浦…
娯楽はWOWOW鑑賞に頼ってる今の私の生活、月に10本以上の映画をWOWOWで観ていますが、邦画は耳が悪くなってセリフが聞こえなくなってきてるので、洋画の字幕を読んでる方が楽です。 最近は老夫婦や老人の映画に、わが身をかぶせて観てることが多いです。 2021年作「すべてうまくいきますように」、しっかりしてるし外食も皆で出来るようなお爺さんが、自分の尊厳を守るために安楽死を望み、自国フランスではだめなので、わざわざスイスにまで行って、それをやり遂げた話ですが、今の私としては、この状態ではちょっとまだ安楽死は早いやろうと思いました。 迷いながら父の希望に沿って行く娘さんを、あのソフィー・マルソー(…
小川さんから借用の地図、私には解りやすく重宝しています、ありがとう小川さん。 名神高速道路の京都東インター付近で、国道1号線や湖西道路への分かれ道辺りを青線の旧東海道は走っていることが、一目瞭然です。 大津へ向かう旧東海道から左に行く分かれ道に、大きな 小関越(コセキゴエ)・三井寺観音道 の道標が有りました。 横には常夜灯もある立派な道標は、1822(文政5)年に定飛脚問屋京都江戸大阪三店が建立したものです。 この道を行くと、京都から三井寺(園城寺オンジョウジ)へお詣りする近道でも有りますし、大阪~奈良から西近江に行く北国海道(西近江路)への近回りにもなります。 この三叉路からはもう滋賀…
前回から少し進むと山科廻地蔵に行き当たりますので、その辺りの拡大地図に番号を振って、順に紹介します。 地図の印1です。 左の石碑にある十禅寺はここを入って行きますが、右の電柱横の小さな石碑に人康親王(サネヤスシンノウ)墓とあるように、十禅寺の奥に前回紹介した人康親王の宮内庁治定の墓が有ります。 もう山科は桜が咲いてるのかと思わないでください、この写真は天皇陵巡りで訪れた時の写真を使っています。 2の山科(四宮・山科廻)地蔵のある六角堂です。 山科地蔵は、小野篁(オノノタカムラ)(802~853)が1本の桜の大木から852年に造った6体の地蔵菩薩像のうちの1体です。 最初は伏見六地蔵の大善寺(タ…
山科駅前から旧東海道を東に向かっているのですが、今回は地図青線の諸羽神社と青✖の人康親王墓を天皇陵巡りのように紹介します。 諸羽神社(モロハジンジャ)へは旧東海道沿いのこの鳥居をくぐり、京阪電車京津線の踏切を渡って行きます。 天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に従った二神を祀っているので、両羽(モロハ)からその社名があるようです。 境内が平安時代第54代仁明天皇(ニンミョウ)第4皇子人康親王(サネヤスシンノウ)(831~872)の山荘跡になっているので、今のこの辺りの地名四宮(シノミヤ)の由来になっています。 境内には琵琶の名手だった人康親王がこの石に腰かけて琵琶を弾いたと言う「…
先日の大津宿の取材には、京都市営地下鉄と京阪電車で行きました。 京都市営地下鉄から御陵駅で京阪電車京津線に乗り換えますが、山科駅からは地上に出てきますので、先頭車両に乗っています。 逢坂山のトンネルを越えて、61‰(パーミル;1000ⅿ進んで61m上がる勾配)という限界の倍ぐらいの坂を下ります。 途中逢坂山手前の大谷駅は、日本の普通鉄道では日本一の急勾配(40‰)にある停留所ですので、急勾配の線路に合わせてホームも斜めになってますが、ホームの木のベンチの脚は、長さを変えて水平に座れる工夫がなされていました。(漫画みたいですが、納得しますね) 前回の取材からの続きですので、終点前の上栄駅で下車で…
暖かさに誘い出されたのか、気分の落ち込みを克服するためか、「京都へ、京都から」の三条口から旧東海道の取材に、大津まで電車で行ってきました。 大津宿近くの商店街が「100円商店街」のお祭りをしてたせいか、人が沢山出ています。 明治29年創業の旧東海道沿いの鶴里堂(カクリドウ)買った100円の羊羹を、その場で食べて歩き出しました。 昔比叡山から望んだ大津の里が、細長く弓形で、鶴が翼を広げて飛び立つ姿に似ていたので、鶴里堂と命名されたそうですが、羊羹は美味しかったですよ。 大津祭は一度は観たいと思っていたお祭りですが、商店街を歩いていて、大津祭曳山展示館(150円)が有ったので入りましたが、入場者…
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