全ては神のご計画に従って 進んでいきます。 キリスト者にとっては 偶然というものはなく、 全ては必然なのです。 天の下では、 何事にも定まった時期があ…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
2025年6月
全ては神のご計画に従って 進んでいきます。 キリスト者にとっては 偶然というものはなく、 全ては必然なのです。 天の下では、 何事にも定まった時期があ…
主の恵みは 私たちの想像を超えた 素晴らしく大きなものです。 では、なぜそれを 感じないのでしょうか? それは、私たちがその恵みを 当たり前のように 享受し…
神は一人ひとりと 個人的な関係を結ばれますが、 その恵みが波状に拡がって 家族、社会、国家、世界が 神にあって一つとなることを 願っておられます。 先ずは家…
鋤に手をかけてから 後ろを顧みる者は、 神の国にふさわしくないと イエスは語られました。 信仰を神から賜って 救われたのなら、 救われる以前の 罪にまみれた…
御子イエスのうちに 天の御父を見る事で 神の愛を知るように、 人々はキリスト者である 私たちのうちに 三位一体の栄光を見るのです。 私たちの生き様に 人々は…
最も低き者に施した善行は 主イエスに対する善行となる。 私たちの身の回りには 匿名のイエスがおられる。 主イエスを愛しているのなら 彼らにお仕えしなければなら…
盗人と形容されているのは サタンだけではない。 神の御心に適わない あらゆるものが盗人なのだ。 世的にいくら良さげに見えても そこには肉的打算が働くため そ…
イスラエルとイランとの間で 紛争が勃発しました。 紛争の原因を提供するのが イスラエルの側であることに 悲しみを覚えざるを得ません。 国家としてのイスラエル…
乱れに乱れた昨今、 神は本当におられるのか? キリストは再臨されるのか? そのような疑問を持たれる方も おられるかもしれません。 そのような疑問は いつの時…
主に委ね切れば 主が成し遂げてくださいます。 なにもせずに丸投げしろと 言っているのではありません。 主のお導きを確信して 今を懸命に生きる事を 委ね切ると…
聖書には赦しなさいと 度々、登場します。 キリスト者は 聖書の教えに従って 嫌なことがあっても 赦そうと努力するのですが 赦そうとすればするほど 怒りの感情…
言うは易し、行うは難し。 行いの伴わない信仰など あり得ません。 恵みは独占してはなりません。 分かち合わなければなりません。 主イエスは 互いに仕え合う、…
主の私たちに対する愛は 変わりません。 変わらぬ主の愛を受け取る 私たちの側に 問題があるだけです。 私たちがキリスト者としての マインドセットをしっかりと…
日頃から見ている者の影響を 私たちは受けます。 この世に視線が向かうと この世のものを求めます。 だから天を見上げて イエス(みことば)を見よう。 イエスを…
「分かっちゃいるけどやめられない」 これが一番、悪質です。 ですが、この一番の悪質な行いを 後ろめたさもやがては 失いながら続けてしまうのが 私たち人間の悲…
先に信仰を賜ったものは 周囲の人々に対して みことばを証して 生きてゆかなければなりません。 その際、自分より年長の方に 伝道をすることもあるかもしれません…
最近、他人の心の痛みが 分からない人が増えたそうです。 共働きが増え、 乳幼児の頃から保育所に預けられ、 親の愛情をほとんど受けずに 育った子どもが多いから…
心の中で去来する情動が 現実となって私たちの人生を 紡いでいくのです。 心に否定的な思いが 刻まれないように 注意が必要です。 打ちひしがれている人には 隣…
公生涯期間ですら みことばをしっかりと教える者が いないことで 右往左往している群衆の様子を 深く憐れみになられた。 イエス様もおられ、 パリサイ派の学者や…
みことばの力が 及ばない所はない。 心の中の悩み事も主はご存知です。 主の助けが必要な時は 聖書を開いて朗読しましょう。 みことばがあなたに気付きを与え、 …
偏り見ることが あってはなりませんし、 偏見の目で見られる方も それが当然なことだと思って 自己卑下したり、 その逆に逆差別に利用したり することのないよう…
すでに信仰を賜って キリスト者としていただいた 者であっても、 危機一髪のところで 主に助けていただくたびに あたらめて主を身近に 感じるものです。 私たち…
自分の力では 如何ともしがたい状況に陥った時、 私たちは悩むことになります。 悩むとは脳が事態の把握が出来ず、 対処できない状態なのです。 その時は焦れば焦…
イエス様があなたに してくださった通りに、 あなたも隣人にしてみましょう。 この輪が広がれば 世の中はきっとよくなります。 先ずは家族や身近な人に対して。 …
ストレスを受ける原因の大半は 人間関係です。 誰かと会って、誰かと別れる。 たったそれだけの事なのに なぜ、ストレスを受けるのでしょうか。 それは相手と比較…
キリスト者の中にも キリストの再臨について あくまで教義的なものであって 実際には再臨などないと 思っている者もいるようです。 厳密に言えば、 再臨を信じな…
2025年6月
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全ては神のご計画に従って 進んでいきます。 キリスト者にとっては 偶然というものはなく、 全ては必然なのです。 天の下では、 何事にも定まった時期があ…
主の恵みは 私たちの想像を超えた 素晴らしく大きなものです。 では、なぜそれを 感じないのでしょうか? それは、私たちがその恵みを 当たり前のように 享受し…
神は一人ひとりと 個人的な関係を結ばれますが、 その恵みが波状に拡がって 家族、社会、国家、世界が 神にあって一つとなることを 願っておられます。 先ずは家…
鋤に手をかけてから 後ろを顧みる者は、 神の国にふさわしくないと イエスは語られました。 信仰を神から賜って 救われたのなら、 救われる以前の 罪にまみれた…
御子イエスのうちに 天の御父を見る事で 神の愛を知るように、 人々はキリスト者である 私たちのうちに 三位一体の栄光を見るのです。 私たちの生き様に 人々は…
最も低き者に施した善行は 主イエスに対する善行となる。 私たちの身の回りには 匿名のイエスがおられる。 主イエスを愛しているのなら 彼らにお仕えしなければなら…
盗人と形容されているのは サタンだけではない。 神の御心に適わない あらゆるものが盗人なのだ。 世的にいくら良さげに見えても そこには肉的打算が働くため そ…
イスラエルとイランとの間で 紛争が勃発しました。 紛争の原因を提供するのが イスラエルの側であることに 悲しみを覚えざるを得ません。 国家としてのイスラエル…
乱れに乱れた昨今、 神は本当におられるのか? キリストは再臨されるのか? そのような疑問を持たれる方も おられるかもしれません。 そのような疑問は いつの時…
主に委ね切れば 主が成し遂げてくださいます。 なにもせずに丸投げしろと 言っているのではありません。 主のお導きを確信して 今を懸命に生きる事を 委ね切ると…
聖書には赦しなさいと 度々、登場します。 キリスト者は 聖書の教えに従って 嫌なことがあっても 赦そうと努力するのですが 赦そうとすればするほど 怒りの感情…
言うは易し、行うは難し。 行いの伴わない信仰など あり得ません。 恵みは独占してはなりません。 分かち合わなければなりません。 主イエスは 互いに仕え合う、…
主の私たちに対する愛は 変わりません。 変わらぬ主の愛を受け取る 私たちの側に 問題があるだけです。 私たちがキリスト者としての マインドセットをしっかりと…
日頃から見ている者の影響を 私たちは受けます。 この世に視線が向かうと この世のものを求めます。 だから天を見上げて イエス(みことば)を見よう。 イエスを…
「分かっちゃいるけどやめられない」 これが一番、悪質です。 ですが、この一番の悪質な行いを 後ろめたさもやがては 失いながら続けてしまうのが 私たち人間の悲…
先に信仰を賜ったものは 周囲の人々に対して みことばを証して 生きてゆかなければなりません。 その際、自分より年長の方に 伝道をすることもあるかもしれません…
最近、他人の心の痛みが 分からない人が増えたそうです。 共働きが増え、 乳幼児の頃から保育所に預けられ、 親の愛情をほとんど受けずに 育った子どもが多いから…
心の中で去来する情動が 現実となって私たちの人生を 紡いでいくのです。 心に否定的な思いが 刻まれないように 注意が必要です。 打ちひしがれている人には 隣…
公生涯期間ですら みことばをしっかりと教える者が いないことで 右往左往している群衆の様子を 深く憐れみになられた。 イエス様もおられ、 パリサイ派の学者や…
みことばの力が 及ばない所はない。 心の中の悩み事も主はご存知です。 主の助けが必要な時は 聖書を開いて朗読しましょう。 みことばがあなたに気付きを与え、 …
完全に主に委ね切った時、 私たちの望みが実現する。 神の御力をも疑い、 損得勘定で神と関係を 持とうとする私たち。 神はそんな私たちの有様を 哀れに思ってお…
マタイの福音書の末尾に 大宣教命令と呼ばれている イエスの宣教に関する奨励が 記録されている。 キリスト者であれば 知らない人はいないだろうが、 その字面に…
主に誉れと栄光は 私たちキリスト者の 生き様を通して 神に帰されるものです。 イエスのおことば通り、 みことばを生きる事で 世の光・地の塩と 私たちがなる時…
私たちキリスト者は 福音を生活を通して 証することが 求められています。 イエスはそれを「世の光」、 「地の塩」たれと教えられた。 証し(マルテゥリア)は、…
神は完全なお方であるとか 全き方であると教会で聞く。 完全なお方や全き方 という言葉を聞くと 良い事や善のみで 構成されたお方のように 考えがちだが、 完全…
みことばを生きるキリスト者を 聖霊は支えてくださいます。 みことばを生きているのに 実を結ぶことがなければ、 みことばの権威が失墜するからです。 また、キリ…
私たちは霊的に 死んだ状態であったが、 そんな私たちを神は憐れんで 御子イエスの命と引き換えに 私たちの罪を贖ってくださった。 ここに神の愛があり、 救いは…
神はみことばですから、 みことばを恐れる者が 憐れみを受けられるのです。 みことばを恐れるとは みことばは必ず実現する事を 認める事です。 そう確信する者が…
俗な表現を使えば 「運が悪い」状態に 陥ることが 誰にでもあるでしょう。 ですが、そんな状態に 陥っている時には 共通点があります。 それは感謝の心が 失わ…
救い主イエスは みことばが受肉して 来られた方だった。 なのでイエスに従うとは みことばに従うという事。 イエスを愛するとは みことばを愛する事。 あなたは…
私たちの信仰は 十字架に基づいた ものでなければならないと 信仰の先輩方に よく言われていました。 その十字架とは 神との一対一の関係を 表わす縦軸と 同信…
生きていれば試練には 必ず直面します。 その事については 主も言及されました。 しかし主はそんな試練に遭った時、 恐れてはならないと教えられました。 理由は…
万物を創造された方こそ 私たちキリスト者が お仕えしている神です。 その神はみことばであると ヨハネの福音書の嚆矢にあります。 そのみことばは聖書に収められ…
主の御業を讃えるのは 大切な事だと思います。 歌うのが苦手であれば 詩篇を朗読するのもよいでしょう。 自分で詩を創作するのも 素晴らしい事だと思います。 で…
牧師は救い主ではない。 だから神との間の仲介者ではない。 では牧師とは何か? 救いのみことばを証しする者。 信仰は神が与えてくださり、 救いのみことばが 救…
新約聖書の中で一番古いものは テサロニケ人への手紙だと 伝えられています。 まだ比較的若い頃にパウロが書いた ものだということになります。 歳のせいもあって…
神のなさることは その時、その時に意味があり 美しいものなのでしょう。 しかし、私たちの心が曇ると その美しさを見る事が 出来なくなってしまうようです。 み…
決して渇くことのない水を あなたは飲みましたか? その水とは福音です。 決して渇くことがないと 主がお語りになったのですから 渇かないはずですよね。 なのに…
みことばに留まり続ける、 つまりみことばを生きる事が 恵みを受ける最良の方法です。 みことばを生きるならば、 聖霊様がお働きになって あなたを助けてください…
真理はみことばに 啓示されています。 救いのみことばである福音を 私たちに伝え、 その福音の神髄である 神の愛を顕すために 私たちの罪を贖うために 十字架で…