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真理の探求と実践 https://hoh-minami.blog.jp/

何ものにも囚われない、自由で幸福な、人のためになる生き方を考えてブログ発信しています。

南の鵬
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2009/09/21

  • ウクライナ戦争-マルクスの唯物史観は正しいのだろうか-

    マルクスの唯物論、そして唯物史観は果たして正しいのだろうか。ロシアのウクライナ戦争による、歴史と世界経済、世界秩序の変容は、プーチンの情念という、まさに「唯心論」の働きによるものとも考えられる。しかし、ウクライナ侵攻前のロシアの経済状況を調べてみると、経

  • [岸見一郎] 仕事の目的は他者貢献

    哲学者、『嫌われる勇気』著者の岸見一郎氏の、記事の一部を引用します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー他人の評価を目的にせず、他人のために働く。その先に幸せがある幸せとは、誰かの役に立ったと 感じるときに訪れる仕事は何のためにするのか。端的に言うと「他者貢献」

  • ニヒリズムに打ち克つ、死のディオニュソスの神

    ディオニュソスの神(2022年12月10日のツイッターに加筆)迫り来る地球温暖化の暴走、財政破綻へと進み、加速しつつある人口減による日本の衰退、これらの危機への無策といえる現状。危機的状況の中で、改善が遅々として進まない世界や国家への厭世観と無力感。そのニヒリズ

  • [フランクル考]  宇宙が、世界が、あなたに何かを求めている

    V.E.フランクルの講演をまとめた『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)という著書がある。この本のなかでフランクルは「人生があなたに期待している」と言っている(P.26)。原文の動詞がわからないが、この言葉は「人生があなたに求めている」と言い替えた方が、フラン

  • 「ノブリス・オブリージュ」-逆境に置かれた人間の義務と使命-

    田坂広志氏の2005年刊、『未来を拓く君たちへ』P.126から記される「ノブリス・オブリージュ」(Nobles Oblige)についての、田坂氏の考察について。田坂氏は、「恵まれた環境」(社会的経済的な環境)にある者は、社会的に高い義務が課せられると一般的な解釈を述べている。

  • 使命は現在にしか存在しない

    心理学者アドラーの思想を基軸として書かれた岸見一郎著『嫌われる勇気』のP.256以降の内容を、人の「使命」に当てはめて考えてみた。「人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しない」(岸見一郎)使命とは、何か遠い先までにやらなければならないものではなく、「いま

  • 道家の観念行は、静坐法とスワイソウを用いる

    早島正雄先生は、洗心術にとくに効果のある行法として、静坐法とスワイソウをあげている(『洗心術入門』)。そもそも早島先生が言われる洗心術とは何か。それは単に我執を放かすことを意味するだけではない。先生が開いていた洗心術講座からその意味を察するに、それは観念

  • ポアンカレの回帰定理とニーチェの永劫回帰

    アンリ・ポアンカレ(1854ー1912)(2023.8.2.更新)------------------------------------------------------------(引用開始)ニーチェの永劫回帰(ポアンカレの再帰定理からの検証)https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12471777619.html 自然科学の

  • [サルトル] 人間は自分の行動の総和にほかならない

    サルトル著『実存主義はヒューマニズムである』(人文書院 P.43ー45)が示すこと。社会参加にあたり、「私には理想や社会問題への関心がある」では、現実としての価値はない。脳の中にあるものを形にしたり、手足を動かし行動してはじめて、その人の理想や社会問題への関心

  • 「神は天帝と為す」ー『荘子』刻意篇ー

    『荘子』刻意篇に「精神は天帝と為す」とある。この「精神」とは道家道教での「神」のことである。中国思想史が専門で東大名誉教授であった池田知久氏は、精神、すなわち「神」を養うことに成功するならば、真人(聖人)は「世界をコントロールすることも可能となる」と、刻

  • 道元の「身心脱落」とは

    道元の「身心脱落」を仏教学者ひろさちや氏は我執を無くすことではなく、「忘れる」ことであると言ったが、それだけでは不十分であると思う。 次から次へと浮かぶ我執を一つ一つ「忘れていき」、同時に意識を「いま・ここに」打ち込んで生きていくのが、道元のいう「身

  • 「可能性への先駆」他ーハイデガー『存在と時間』備忘録ー

    「死への先駆」とは、死に先駆けて「接近する」こと。「駆」には「せまる」という意味がある(『字通』<「コトバンク」)。 「可能性への先駆」の実現とは、「自己の死をこの瞬間に訪れるかのようにみなすこと」。それによって死の可能性に接近するようになり、死の「可能性

  • 『荘子』ノート(2022年 夏)

    2022.6.19 解牛の達人、庖丁と道(タオ)『荘子』養生主篇の解牛の達人、庖丁(ほうてい)が恵王の前で見せた技こそ、道(タオ)そのものであり、庖丁の解牛の技のなかに、生を全うする生き方(道)が秘められている。2022.7.23道(タオ)は気でできている。そう

  • ヤスパースの「実存」の定義

    有神論のヤスパースについては、同じく有神論の立場に立つV.E.フランクルの思想との関係で、またの機会に考察したいと思う。--------------------------------------------------小倉志祥 渡辺二郎 実存とは決して客観とならないものhttp://niet.blog40.fc2.com/blog-ent

  • ニーチェの「永劫回帰」とフランクルの「態度価値」

    ニーチェが説く、極めて過酷な生も永遠に回帰するという永劫回帰説。 ナチスの強制収容所に収容されたV.E.フランクルは、その永劫回帰説の信者ではないが、変えることのできない宿命である過酷な生を、どのような「態度」で生きるかで、その人の人生の価値が決まってく

  • [フランクル] その人「唯一な」仕事と限界状況

    フランクルはその著『夜と霧』のなかで、限界状況下で人は、「唯一性と独自性」をもった「創造的な仕事」が、彼を待っていることに気づくことで、生きる意味を見出だすと言っている(第8章 「絶望との闘い」)。 他人や機械、AIによる代替可能な仕事では駄目なのだ。 「サ

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