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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 没後10年 中村勘三郎

    明日から早くも師走。今年の一年もあっという間に過ぎ去りそうだ。12月5日は十八代目中村勘三郎さんの没後10年。近頃、あらためてその存在が大きかったことを感じる。といってもナマの舞台を見たのは1回しかない。勘三郎を襲名する前、「五代目中村勘九郎名跡最後の錦秋特別公演」が熊本市民会館で行われた時だった。しかし、勘三郎さんほど、子役時代から大役者となるまで見続けた歌舞伎役者は他にいない。出演された数々の映画やドラマが思い出される。熊本公演でも演じられた「連獅子」勘九郎・勘太郎・七之助の親子共演による「連獅子」勘三郎さんが残した忘れられない言葉がある。それは常に斬新な視点から歌舞伎に取り組んだ彼の言葉だった。「もし、江戸時代にギターやヒップホップがあったら、間違いなく歌舞伎に取り入れているよ。歌舞伎ってそういうも...没後10年中村勘三郎

  • 阿波の人々の親切にふれた旅(再掲)

    昨日に引き続き、何年たっても忘れない記事の第3回。14年前の四国旅行の思い出はもう何度も記事にしているが、その中から旅行の7年後に書いた記事を再掲したい。この旅行は、少女詩人海達公子のルーツを訪ねるというのが主な目的だったが、そのほかはほとんどノープラン。家内と二人、思いつくままの気楽な車の旅だった。旅行を思いつくきっかけとなった「阿波のいただきさん」阿波の人々の親切にふれた旅(2015.11.4)家内と二人で四国一周ドライブ旅行をしてもう7年過ぎた。この旅行の目的の一つが、天才少女詩人・海達公子のルーツである徳島県美波町を訪ねることだった。どこへどう行けばいいのか皆目見当がつかなかったので、直前に役場に電話をしておたずねしたところ、郷土史研究家の真南卓哉先生という方にアポをとっていただいた。訪問当日、指...阿波の人々の親切にふれた旅(再掲)

  • 「かっぽれ」が結ぶ縁(再掲)

    今日は、何年たっても忘れない記事の第2回。3年前になりますが、舞踊団花童が踊る「かっぽれ」の映像と音源が静岡県掛川市のお祭りでお役に立ったということがありました。遠く離れた地域との芸能を通じた交流は忘れられない思い出になりました。👉「かっぽれ」が結ぶ縁(2019.7.29)盆踊りのシーズンになりました。東海地方のある町からこんな依頼が来ました。--YouTubeにアップされている舞踊団花童の「かっぽれ」を地区の盆踊りに使いたい。ついては音源を提供いただきたい。--というものです。ご依頼主は花童の隠れファンのようです。さっそく音源を作成された中村花誠先生にお願いして音源をコピーしていただき、提供することになりました。既にYouTubeの映像を見ながら振りもだいぶ練習されているようです。4年前、細工町の西光寺...「かっぽれ」が結ぶ縁(再掲)

  • 黄菊の香り 寄り添えて

    そろそろ紅葉の見ごろも終わりかなと思い細川刑部邸に行ってみた。10日ほど前に訪れた時よりも紅葉が進んだ木の一方、既にほとんど落葉した木もありちょっぴり寂しさも感じた。長屋門前の肥後菊花壇で、先日はまだあまり開いていなかった「春興殿」という名の黄色い菊が目についた。京都御所の中に「春興殿」という殿舎があるらしいがこの花名の由来がそれなのかどうかは知らない。長唄「菊」の「御守殿」の段の一節「黄菊の香り寄り添えて」という詞章が妙に耳に残っている。肥後菊「春興殿」を眺めているとなぜかその詞章が浮かんできた。「御守殿」というのはもともと徳川将軍家の娘が御三家などに嫁入りした時の呼び名らしいが、この長唄では、武家に行儀見習いに行った大店の娘たちのことを歌っているらしい。可憐な中にも気品を感じさせる「春興殿」はその詞章...黄菊の香り寄り添えて

  • 西日本屈指の荒祭り 「裸坊祭」

    昨日は玉名市の梅林天満宮例大祭、そして今日は防府天満宮御神幸祭(裸坊祭)と二日続けて天神さんのお祭りを見ることになった。といっても今日はオンラインライブ配信である。同じく菅公のお祭りながら随分と趣が異なるものだ。西日本屈指の荒祭りといわれる防府天満宮の「裸坊祭(はだかぼうまつり)」は千年以上の歴史を有する行事で、大宰府に左遷された菅原道真公が大宰府へ下る途中、勝間の浦に上陸して立ち寄られた際の送迎の古式を伝えたものといわれる。寒空の下、道真公の御霊を乗せた重さ五百㌔の「御網代輿(おあじろこし)」を運ぶ白装束の男衆(裸坊)数千人が「兄弟ワッショイ」のかけ声も勇ましく、勝間の浦の御旅所まで練り歩く。僕が防府に勤務していた45年前に、ブリヂストン防府工場として初めて裸坊祭に参加し、事務局として数十人分の用品の準...西日本屈指の荒祭り「裸坊祭」

  • 梅林天満宮秋季例大祭

    今日は玉名市の「梅林天満宮例大祭」が行われました。四百年の歴史を持つといわれる「鏑流馬」(熊本県指定重要無形民俗文化財)や、太宰府天満宮の巫女舞や地元の神楽保存会による神楽などが奉納されました。今年は妹夫婦の住む地区が節頭区と呼ばれる祭の世話役のため準備が大変だったようです。また、甥は鏑流馬の「仲間(ちゅうげん)」役として他の関係者とともにしきたりの「精進小屋」に入ったり、祭本番では四百㍍の馬場を何往復も駆けなければならなかったりと大変だったようです。五穀豊穣、万民息災を祈念する天長地久の儀射手が狙う的の向こうには新幹線が走る太宰府天満宮の巫女舞今年は西向きに舞台が設営され、木葉山に連なる山々を望む梅林天満宮秋季例大祭

  • ワールドカップ随想

    昨夜の日本vsドイツ戦での日本の逆転勝利で国中が湧き立っているかのようだ。同じように浮かれていてもしょうがないので、ある場面に絞って感じたままを書いてみた。それは決勝ゴールとなった浅野選手のゴールシーンである。あのDF板倉選手からの縦パス1本で抜け出した浅野選手がそのままゴールへ結びつけるという、この現代サッカーの時代に何というシンプルなゴールだろうか。しちめんどくさい戦術をあざ笑うかのようなシーンだった。このシーンを見ながらある選手を思い出した。それはメキシコ五輪で銅メダルを獲った日本サッカーチームで中盤の名選手だった宮本輝紀さんのことである。彼が所属していた新日本製鐵の日本リーグの試合を見に国立競技場へよく行ったものだが、パスの名手といわれていた宮本選手の縦パスは絶品だった。やわらかいタッチで蹴られた...ワールドカップ随想

  • 胸突雁木から紅葉を眺む

    花園公民館の図書室に本を返却するついでに本妙寺の紅葉を眺めに行った。紅葉、黄葉ともにピークを過ぎたのかそれとも昨夜の雨のせいなのか落葉多し。胸突雁木を登りながらふり返って紅葉を眺めていると、ふと森鴎外の「小倉日記」を思い出した。鴎外は小倉の第十二師団軍医部長だった明治32年9月、熊本を訪問し、本妙寺浄池廟に参拝している。この胸突雁木にたどり着くまでの経路や、参道に物乞いやハンセン病患者が多かったことなどを記している。また、大本堂が改修工事中だったことや胸突雁木には三つの道があり、自分は真ん中を通ったことなどが書かれている。登り着いた浄池廟は「香花極めて盛なり」と記されている。鴎外先生、感じるところ多かった参拝だったに違いない。胸突雁木から本妙寺・大本堂前を眺む胸突雁木から紅葉を眺む

  • 熊本城復旧 15年遅れるんだってよ!

    熊本地震で被災した熊本城の復旧完了時期が当初の計画から15年遅れ、2052年度になるとの見通しが大西熊本市長からアナウンスされた。なんと完了は今から30年後ということになった。理由は石垣の復旧に想定以上の時間がかかることが判明したからだという。そこで疑問。そもそも当初の復旧見通しが甘すぎやしませんか?という点。復旧完了というのは石垣の最後の1個の積み直しが終わる時点である。国重文の制約の中で、今から15年後の2037年に完了というのは難しいのではないかと随分前から思っていた。熊本城域の崩落した石垣を見て回ったら多くの人がそう思うのではないだろうか。文句を言ってもしょうがないが、これで生きているうちに復旧が完了する夢は完全に潰え去った。熊本城復旧15年遅れるんだってよ!

  • 玉名女子 今年もW金賞!& 笑ってコラえて!に再び登場!

    昨日、大阪城ホールで行われた第35回全日本マーチングコンテスト・高等学校以上の部において熊本県の玉名女子高等学校吹奏楽部が金賞を受賞しました。10月に行われた全日本吹奏楽コンクールでの金賞と合せて今年もW金賞という素晴らしい成績を収めました。おめでとうございます!また、今週水曜日(23日)放送の「笑ってコラえて!音楽祭!吹奏楽の旅2022」(日テレ系:午後7時より)には玉名女子高が再び登場します。ぜひお楽しみに!玉名女子今年もW金賞!&笑ってコラえて!に再び登場!

  • 茶室「仰松軒」の内部を鑑賞

    所用のついでに泰勝寺跡(立田自然公園)を覗いてみた。ラッキーなことに茶室「仰松軒」が月イチの生け花教室のため開放されていた。ふだんは雨戸が閉められており、なかなか茶室の内部を見ることは出来ない。今日も含め、これまで3回、茶室内部を見る機会があった。前回は3年前、茶事が行われていた時。さらにその8年ほど前は茶室の清掃が行われていた時だった。生け花の先生が観光客に丁寧な茶室の説明をしておられたのでしばらくそれを聞いた後、先生としばし茶室談議に花を咲かせた。「仰松軒」は立田自然公園内にある茶室。もと京都の天龍寺塔頭真乗院に建てられていた細川三斎(忠興)好みのものを大正12年(1923)に復元したもの。茶室の平面は四畳台目(よじょうだいめ)で、茅葺き屋根の前面に土間庇を付け、東の隅に刀掛けが作られている。上り口は...茶室「仰松軒」の内部を鑑賞

  • 歌枕「鼓ヶ滝」

    今日、所用で玉名市の母の実家へ行った帰り、いつものように河内川に沿って山越えの道を選んだ。途中、鼓ヶ滝を見降ろしてひと休みしながら、平安時代の女流歌人、檜垣が詠んだとも伝えられる歌を思い出した。音にきくつゝみか瀧をうちみれはたゝ山川のなるにそ有ける「檜垣嫗集」に載せられたこの歌は、実は肥後國司でもあった清原元輔がこの地を訪れた時、一人の法師がこの滝を見て詠んだとして「拾遺和歌集」にも掲載されているが真相はわからない。能に「鼓の滝」を主題とした「鼓滝」という作品があり、世阿弥作とも言われるが、摂津国有馬が舞台となっている。その中に古歌として「津の国の鼓の滝をうちみればただ山川のなるにぞありける」という歌が登場し、和歌にも詠まれた名所だという設定になっているが、この歌の元となったのは、「拾遺和歌集」などにも収...歌枕「鼓ヶ滝」

  • 肥後菊

    今日から紅葉時期の旧細川刑部邸一部公開が始まりさっそく見に行った。まずは紅葉状況を確認するためには昼間見なければ話にならない。ライトアップで綺麗に見えても昼見たらガッカリなんてことがよくある。紅葉は見ごろまでもう少しといった状況。毎年、この時期に長屋門前で肥後菊の展示も行われている。熊本地震前までは竹の丸の肥後菊花壇をよく見に行ったものだが、地震後入れなくなっているのが残念。肥後菊今から約240年余前、宝暦年間(1751~1760)に当時の肥後藩主細川重賢(細川家8代)が、藩民の精神教育と品性の向上を図る目的で栽培を奨励したことに始まります。肥後菊は、花壇に直植えし、その仕立て方には独特なものがあります。後列に丈の高い大輪、中列に中間の高さの中輪、前列に小輪を配し、花壇全体の調和美を鑑賞するものです。この...肥後菊

  • 異母姉(再掲)

    gooブログを始めて約18年、投稿記事数は5000本を超えていると思われるが、その中には何年たっても忘れない記事が何本かある。たまにはそんな記事を再掲してみたいと思う。今日は2013年11月29日の「異母姉」。母には一人の異母姉がいた。母がその人の存在を知ったのは高等女学校に上がってからだという。祖父が若い頃、一度結婚に失敗し、子供までもうけていたことに母は少なからぬショックを受けたらしい。僕にとっては伯母にあたるその人がどういう家庭でどんな風に育ったのか母は今でもよく知らないという。その人が母を突然訪ねて来たのは、お互いに嫁いだ後のことである。その人は自分の異母妹や異母弟のことをずっと気にかけていたらしい。戦後間もない、食べる物もろくにない頃、その人はわが家を突然訪ねて来た。母はその人を家に入れなかった...異母姉(再掲)

  • After You've Gone(君去りし後)

    相変わらず、毎日一度は田村麻紀子さんのクラリネット演奏を聴いている。これまでYouTubeで30曲近く聴いたと思うが、今のところ一番好きな曲が「AfterYou'veGone」だ。緩急の付け方がたまらない。そもそもこの「AfterYou'veGone」とはどんな曲なのか調べてみた。1918年にマリオン・ハリスというアメリカの女性歌手が初めてリリースしたポップスとあった。歌詞を読んでみると、ただただ恋人が去った後の寂しさや悲しみを切々と謳い上げているようだ。この1918年(大正7年)という年は、第一次世界大戦が終わりに近づきつつあったが、アメリカはこのヨーロッパの戦争に参戦し12万人を超える戦死者を出していた。この歌にはそんな時代背景が影響していたのかもしれない。その後、この曲は数多の歌手や演奏者によってカ...AfterYou'veGone(君去りし後)

  • 鉄道唱歌と熊本

    明治33年(1900)に国文学者の大和田建樹が作詞した「鉄道唱歌」は、「東海道編」の第一集がよく知られていますが、実は、第一集から第五集まであります。第二集が「山陽・九州編」で、その中の50~57番に熊本が登場します。今日、その熊本の歌詞を読んでいて「おや?」と思う箇所がありました。それは53番の「宮は紅葉の錦山」という部分です。これは当時京町台の新堀にあり、錦山神社と呼ばれていた加藤神社のことを歌っているものと思われます。当時、錦山が秋の紅葉名所だったということを初めて知りました。そんなわけで今日の散歩の時、かつて加藤神社があった新堀から錦坂を錦橋まで下りながら往時の錦山の風景に思いを馳せていました。50かの西南の戦争にその名ひびきし田原坂見にゆく人は木葉(このは)よりおりて道きけ里人に51眠る間もなく...鉄道唱歌と熊本

  • 巫女神楽

    今月25日に行われる玉名市の「梅林天満宮例大祭」は主たる祭事である「鏑流馬」(熊本県指定重要無形民俗文化財)のほか、太宰府天満宮の巫女による神楽や地元の神楽保存会による神楽も行われます。巫女神楽は3年ぶりとなります。例年、「扇の舞」と「榊の舞」が舞われますが、「扇の舞」は明治43年、当時、「現人神(あらひとがみ)」とされていた明治天皇が「神祇(じんぎ)」の御題で詠まれた「わが國は神のすゑなり神祭る昔の手ぶり忘るなよゆめ」という御歌が詞章となっています。また「榊の舞」は明治37年、「鏡」の御題で詠まれた「打向かふ度に心を磨けとや鏡は神の造り初めけむ」という御歌が詞章となっています。神楽とは、神を祀るために演じられる神事芸能のことです。神楽の起源は、「記紀」に書かれている岩戸隠れの段で、天岩戸の前で天鈿女命(...巫女神楽

  • 宇土櫓の解体保存工事

    2016年の熊本地震で被災した熊本城の重要文化財宇土櫓の解体保存工事が進められています。今日の状況は下の写真のとおり、空堀の底面に敷かれたシートの上に土盛りが行われている途中のようです。これから重機が入るため重文の一部である空堀を傷つけないよう細心の注意が払われているものです。今後、雨風から部材を守るため、櫓周辺に鉄骨の素屋根を組み立て、その後始まる解体工事の完了は2025年末が予定されています。従って素屋根が組み立てられる来年秋ごろから宇土櫓の姿は見られなくなります。宇土櫓が再びその姿を現すのは約10年といわれる再建工事完了後ということになります。▼下図のように宇土櫓を覆う形で素屋根が組み立てられます。宇土櫓の解体保存工事

  • 善光寺参り

    今日は熊本学園大学で行われた脳科学者の中野信子さんの講演を聴きに行った。内容についてはまだまとまらないので後日ということにして、今日の話題は今夜放送された「ブラタモリ善光寺編」から。今回訪れたのは長野県の善光寺。旅のお題「善光寺はなぜ多くの人を引きつける?」。七年に一度、絶対秘仏である御本尊の御身代わり「前立本尊」(回向柱)を拝む御開帳。3ヶ月で636万人が参拝したという圧倒的な人気はどこから?善光寺は仏の功徳随一ということで全国各地に勧請されて行った歴史的な出来事や扇状地と断層が生んだ奇跡の立地などを探っていた。僕は30数年前に一度だけ参拝したことがあり、本堂地下の「お戒壇巡り」などを体験した。熊本にもかつて善光寺があったことは今ほとんど知られていない。肥後国には建武時代(14世紀前期)に勧請されていた...善光寺参り

  • 熊本の風景今昔 ~旧細川刑部邸前から~

    熊本城内を旧細川刑部邸前から百間石垣前を通って新堀へ向かう道路である。この道はかつて肥後熊本から豊前小倉に至る豊前街道の一部であった。戦後、昭和50年頃までこの道の左側(三の丸)には化血研があり、売血者が列をなしていた時期もあり、僕ら子供には近寄りがたい区域だった。化血研が移転し、平成5年(1993)には子飼にあった旧細川刑部邸が移築され、観光スポットとしてイメージがガラッと変わった。《今》《昔》昭和50年代初めの頃の同じ道。昭和55年(1980)出版「熊本の街道と峠」より「熊本の街道と峠」には次のように解説されている。新町一丁目の元標から上熊本線の電車通りに出て、藤崎台童園への道(薬師坂)を登り、県営球場の西側から北へ抜ける道が昔の豊前街道の踏み出しである。熊本城域に取り込まれた茶臼山は、北側台地と南側...熊本の風景今昔~旧細川刑部邸前から~

  • 柳川随想

    昨日は京都祇園で「かにかくに祭)」が行われたと今朝ネットニュースで見た。祇園をこよなく愛した作家であり歌人でもある吉井勇を偲ぶ祭である。祭の名は吉井が詠んだ「かにかくに祇園はこいし寝るときも枕の下を水のながるる」という歌に由来する。そんなことを考えていたら、妹が「ひつまぶし」を作って持ってきた。材料は柳川の若松屋で買ってきたらしい。柳川と聞けばまず思い出すのは北原白秋。吉井勇と北原白秋は、明治40年、歌人与謝野寛が、まだ学生だった木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を引き連れ、九州を中心に各地を旅した「五足の靴」の仲間。世の中は不思議な偶然で話がつながることがよくある。そういえば柳川にもしばらく行っていない。機会を見つけて再訪したいものだ。柳川沖ノ端のどんこ舟「水辺立秋」は北原白秋の詩集「思ひ出」...柳川随想

  • 熊本最近の話題から

    熊本地震で被災した本妙寺の仁王門の修復工事が終わりました。耐震性の補強などが施され、震災前は門の上部に置かれていた仁王像とライオン像が下の台座に安置されました。なお、階段下ではバイパストンネル工事が来年3月まで続くため、仁王門をくぐってのお参りはまだ先になりそうです。加藤神社創建150年記念・熊本地震復興事業として「令和の大造営」が進められていますが、このほど「授与所兼参集所」の建設工事が完了し、真新しい授与所での受付が始まりました。昨年9月から始まった熊本城戌亥櫓の解体保存工事は来年3月の完了を目指して進められていますが、このほど櫓が姿を消しました。復旧工事の目玉である宇土櫓は10月から解体工事の準備が始まりましたが、これから解体工事のための鉄骨屋根組立が再来年末まで行われる予定です。再建完了まで約10...熊本最近の話題から

  • 小沢昭一的こころ

    今から10年前(2012年)の出来事を調べていたら、12月に小沢昭一さんが亡くなっていた。没後もう10年にもなるのかと…小沢さんは俳優、ラジオパーソナリティ、俳人、エッセイスト、芸能研究者等々、多彩な才能を発揮した方である。俳優として数多くの作品に出演しておられるが、ざっと数えただけで10本以上の出演作を見ていた。中でも最も印象深いのは、川島雄三監督の傑作時代劇コメディ「幕末太陽伝」である。落語「品川心中」を取り込んだエピソードで、落ち目の女郎お染から心中の道連れにされる、少々とんまな貸本屋の金蔵が小沢さんの役。女郎お染を演じた名女優・左幸子さんとのコミカルなやりとりが可笑しい。また、小沢さんのもう一つ忘れられないのが、1973年から2012年まで、約40年間続いたラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」...小沢昭一的こころ

  • 鳥居のある風景

    今日は散歩の途中、熊本市現代美術館に立ち寄った。しばらく休憩のつもりで入った図書室で何気なく1冊の写真集を手に取った。イギリス出身の写真家、ジョニー・ハイマスの写真集「鳥居のある風景」だった。ページをめくりながらハイマスの世界に引き込まれてしまった。われわれは日頃見慣れている鳥居が外国人にはこんな風に見えていたのかとちょっと感動した。帰ってから、今まで自分あるいは妻が撮った鳥居(が写った)の写真の中から印象深いものを選んでみた。これから鳥居を見る視点がちょっと変わるかもしれない。梅林天満宮(玉名市津留)の伝統行事・鏑流馬に先立つ神事の様子。水前寺成趣園(熊本市中央区水前寺公園)から熊本地震で倒壊する前の出水神社鳥居を写した1枚。藤崎八旛宮(熊本市中央区井川淵町)例大祭の御神幸を控えて奉納団体が飾馬飾卸にや...鳥居のある風景

  • 熊本駅界隈の変わりよう

    現在、アミュひろば(JR熊本駅前)と花畑広場で開催中の「くま博2022」で今日から「熊本総踊り」をやるというので、どんなもんかなと朝から覗きに行った。駐車場探しでウロウロしたらいけないとバスで行ったら、ラッキー!今日は「運賃大人100円」の日だった。肝心の「熊本総踊り」はというと、お目当ての牛深ハイヤ踊りや山鹿灯籠おどりまで見るには夜中までいなければならないことがわかり、早々にあきらめ、最初の二つほどの演目を見たところで帰ることにした。駅前バス停のベンチで茫っと眺めていると、一瞬「アレ!今どこにいるんだっけ?」と思うような景色が広がっていた。それがこの写真である。熊本駅にはたしか3年ほど来ていないのでその間に景色が変わってしまっていた。前はどんな景色だったかなと思い出そうとするのだが全然思い浮かばない。帰...熊本駅界隈の変わりよう

  • 雨もまた佳きかな

    最近、クラリネット奏者の田村麻紀子さんにハマっていて、毎日のようにYouTubeで彼女の演奏を探しては聴いている。今日聴いたのはディキシーランド・ジャズの名曲「クラリネット・マーマレード」。クレセント・シティ・ウォーカーズの一員として参加した7年前のストリートジャズ・フェスティバルにおける映像のようだ。雨にもかかわらず、新宿の街角での演奏はなかなかクールだ。彼女の演奏を視聴していたら、なぜか発想が雨の中のイベントに飛んだ。これまでイベントに参加していて雨に見舞われたことが何度かある。中でもひどかったのは2018年8月4日、水前寺成趣園能楽殿で行われた「出水神社薪能」だった。目玉の演目「紅葉狩」は初見の能で楽しみにしていた。ところが前場のシテの中ノ舞が始まるという見どころに差し掛かった頃から、雨粒が落ち始め...雨もまた佳きかな

  • 風流ってナニ?

    国連教育科学文化機関(ユネスコ)の評価機関は、「風流踊」をユネスコ無形文化遺産へ提案することを決定し、熊本県荒尾市の「野原八幡宮風流」を含む24都府県41件の民俗芸能「風流踊(ふりゅうおどり)」を無形文化遺産に登録するよう勧告した、と文化庁が1日発表した。当初計画にはたしか「野原八幡宮風流」は含まれていなかったと記憶しているので、熊本県民としては喜ばしいことには違いないのだが、この「十把一絡げ」的な登録ってどうなの?という気がしないでもない。周りのおっちゃんおばちゃん達も「目出度いな、知らんけど」といった感じでその意味はよくわかっていない。文化庁によれば「風流踊」について次のように説明している。「風流踊」は、広く親しまれている盆踊や、小歌踊、念仏踊、太鼓踊など、各地の歴史や風土に応じて様々な形で伝承されて...風流ってナニ?

  • 〽旅の衣は篠懸の…

    先週所用で玉名に行った。帰りは久しぶりに河内経由で河内川沿いに山越えのコースを選んだ。漱石ゆかりの小天の前田家別邸に寄ってみようかと思ったのだが、また今度ゆっくり来ることにして通過した。車窓から「草枕」の一場面となる風呂場がチラッと見えた。思わず「旅の衣は鈴懸の…」という長唄「勧進帳」の一節が頭に浮かんだ。「草枕」の第七章、画工が「那古井の宿」の湯槽につかってあれこれ思いめぐらしていると、どこからか三味の音が聞こえてくる。それは画工の意識を子供の頃に飛ばす。近くの酒屋の娘が長唄のおさらいをやっていて「旅の衣は鈴懸の…」という唄声が聞こえてくる。そんな遠い昔の世界に浸っていると、突然風呂場の戸が開き、現実の世界に引き戻される。やがて、湯煙りの向こうに裸の那美さんが現れるという場面になる。漱石が逗留した前田家...〽旅の衣は篠懸の…

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