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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • いづくにか我が宿りせむ

    いづくにか我が宿りせむ高島の勝野の原にこの日暮れなば和歌・歌人25高市黒人タケチノクロヒト『万葉集・巻一・58』今宵、私はどこに宿ることであろうか。高島の勝野の原でこの日が暮れてしまったならば。高島の勝野の原とは琵琶湖西岸の北部。高市黒人タケチノクロヒト生没年未詳持統、文武朝(686~707)に天皇の行幸に従駕し歌をよんでいる。柿本人麻呂とほぼ同時代。万葉集には短歌のみ18首みえる。歴史書に登場することなく、地方の下級官吏であったと思われる。旅の詩人とも称されている。いずれも旅の不安と孤愁が自然の景と融合してすぐれた叙景歌をうみだしている。それは単に旅の不安や孤愁にとどまらず、すでに人生の孤愁を感じさせる表現の傾域を充分に見せているといえるのですあろう。(和歌の解釈と鑑賞事典ヨリ)暑中見舞いの葉書がくるとお茶会...いづくにか我が宿りせむ

  • 昼顔

    今日は木曜稽古時間割毎にお弟子様が見える朝のうちに森金さんが掃除灰型そして花を入れるこの時期に花がない水引花茗荷高砂芙蓉あとは矢筈薄ヤハズススキ糸薄イトススキしかないそんなところに森金さんが昼顔を取ってきたヒルガオは、ヒルガオ科のつる性植物。夏にアサガオに似た桃色の花を咲かせ、昼になっても花がしぼまないことからヒルガオこの名がある。薬用植物であり、民間では利尿薬として利用した。英語では、バインドウィード「巻き付く雑草」の意中国名(漢名)では、日本天剣ニホンテンケンといい、中国で旋花センカともよばれている。(旋花センカは生薬)花言葉は、「絆」「優しい愛情」「情事」「友達のよしみ」である。(ウイキペディアヨリ)ヒルガオはハマヒルガオコヒルガオセイヨウヒルガオもある森金さんにこれはチョウセンヒルガオだと嘘を教え...昼顔

  • 清風満竹林

    今日は水曜稽古天気はスッキリしないが朝九時からお弟子様の登場茶室を掃除し灰型をつくり花を入れお稽古する風炉はふたつ出してあるので三蜜にならないように同じ時間には二名それと時間待ちしている人を入れて三名まで各自自分の点てたお茶を自分でのむお客様をもてなすこと今は出来ないが出来る事をしよう写真は清風竹林に満る京都の竹林は綺麗だろう行ってみたい京都自粛中は流石に空いていたようだが最近は観光客も戻ってどこも混んでいるようだ今年は出かけないことにした来年行けるだろうか清風満竹林

  • ももづたふ

    ももづたふ磐余イハレの池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ和歌・歌人・24大津皇子オオツノミコ『万葉集・巻三・416』大津皇子オオツノミコ死を被タマワりし時に磐余イハレの池の堤にして涙を流して作る一首。磐余イハレの地に鳴いている鴨を今日を限りに見て、自分は死んでいってしまうのだろうか。大津皇子オオツノミコは663~68624歳。天武天皇の第三皇子母は天智天皇の皇女の大田皇女オオタノヒメミコ。大伯皇女オオクノヒメミコの同母弟。母が若くして死に、その妹の鸕野讚良ウノノサラ(後の持統天皇)が天武天皇の皇后となり、その子草壁皇子が皇太子となった。天武天皇の崩御後まもない朱鳥元年十月皇太子草壁皇子への謀反の罪に問われ鸕野皇后より死を賜った。文武に秀で、人望も高かったという。悲運の皇子たちと言われた山背大兄皇子古人大兄皇子...ももづたふ

  • 大聖武・大和切

    今日から始まった村雨庵お習字教室禹聖ウセイ会先生は村雨庵お弟子様の森金先生今日の参加者はワユコさんと私め計3名森金先生は会社のお習字教室で長年研鑽に勤めこの3月に辞められても、続き指導にもあたっているそこで書道の会に入っていたのだが退社後は独立社中に声をかけると七名が参加今月からお習字の稽古をすることになった今日は漢字半紙楷書漢字半紙行書かな半紙あと細字というのも稽古した半紙に漢字を書くのは久しぶりだが思った通りすぐ飽きる墨を磨るがなかなか濃くならずいざ書いてみるとあっというまに墨が無くなる墨を磨るのも面倒ゆえ墨汁に代えて何枚か書いたが思ったようにはかけない飽きたので次は仮名硯を小さいのに代えて筆も和筆、和墨それなのに二枚書いたらもう駄目休憩だ休憩甘いの食べてお茶を呑むちょこっと書いては休憩この繰り返しを何度か...大聖武・大和切

  • 小夜サヨふけて

    我が背子セコを大和に遣ヤると小夜サヨふけて暁露に我が立ち濡れし和歌・歌人23大伯皇女オオクノヒメミコ『万葉集・巻二・105』私の愛しい弟を大和へやるとて、夜更けて暁どきの露に、私はたたずみ濡れたのです。大伯皇女オオクノヒメミコ661~70141歳大来皇女オオクノヒメミコとも天武天皇の皇女。母は天智天皇の皇女の大田皇女。大津皇子の同母姉。673斎宮となる万葉第二期の代表的歌人写真はビスケットが入ってるオルゴール付F&Mミュージカルビスケット小夜サヨふけて

  • シロガネもクガネもタマも

    銀シロガネも金クガネも玉タマも何せむに優マサれる宝子にしかめやも和歌・歌人22山上憶良ヤマノウエオクラ『万葉集・巻五・803』山上憶良ヤマノウエオクラ斉明天皇六年660~天平五年73374歳で没701遣唐少録として渡唐山上憶良は晩年に筑前の国司となり中心となす歌はこの頃のもの大伴旅人オオトモノタビトも同じく太宰府に着任大伴旅人の邸宅で催された宴会の席上、詠まれた万葉集全20巻のうち巻5の梅の花を歌った32首の序文から元号(令和)がとられたことは有名だ写真は先日ネットで買ったもの額田王ヌカタノオオキミの漫画今日簡単に読んだが額田王のことうーんそうですかって感じでしっくりしないシロガネもクガネもタマも

  • 石走るイワバシル垂水タルミの上の

    石走るイワバシル垂水タルミの上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも和歌・歌人21志貴皇子シキノミコ『万葉集・巻八・1418』志貴皇子シキノミコ716没天智天皇の第七皇子。妻は多紀皇女タキノヒメミコ(天武天皇の皇女)没後追尊されて春日宮御宇天皇・田原天皇とも呼ばれた。万葉集には短歌のみ6首を残す。今日は祭日スポーツの日だがスポーツはしない苦手だどこにも出かけないずっとゴロゴロしてた写真の桃が届いた岡山産の桃だお礼のメールを送ると折り返しお電話頂きお互い大きな声でお喋りした声を聞くのが一番安心した石走る垂水の上の

  • 天の川去年の渡りで移ろへば

    天の川去年コゾの渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜ぞとふけにける和歌・歌人20柿本人麻呂カキノモトノヒタマロ『万葉集・巻十・2018』天の川の渡り場が去年とは変わってしまったので、新しい渡り場を探すために川瀬を往き来していて、すっかり夜が更けてしまったことだ。柿本人麻呂カキノモトノヒタマロ生没年未詳経歴も詳しいことは分からないが、身分はさほど高くなく、持統天皇、文武天皇のころ、宮廷に出仕して、なかば職業的に儀礼歌の制作に当たった宮廷歌人であり、平城京遷都710前後に死んだものと考えられている。万葉集を代表する歌人柿本人麻呂カキノモトノヒタマロと言うと歌聖・柿本人麻呂平安末から歌会や歌合わせに人丸の画像を掛け和歌を献じ供養する人丸影供ヒトマルエイグを思い出すその生涯については謎。『水底の歌-柿本人麻呂論』『猿丸幻視...天の川去年の渡りで移ろへば

  • 歌仙画・紀貫之

    今日は茶の稽古村雨庵水曜稽古だ蜜を避けて時間割で予約点前すると茶もお菓子も自分点前のしたくや片づけは全部自分でするだいぶ慣れて来たようだ今日の主菓子は朝顔と麩饅頭干菓子はナデシコと青楓掛け物は歌仙絵色紙に歌と紀貫之キノツラユキの画萬延元年(1860)の箱書がある貫之の和歌は大はらやをしほの山の小松ばらはやこだかかれ千代の影見む紺色の染め紙金の霞にお目出度い松喰鶴マツクイヅルが飛び交っている松喰鶴マツクイヅルとは松の折枝を鶴がくわえた文様。奈良時代の花喰鳥文の様式が変化して,平安時代後期の器物に和様化文様として現れた。「まつばみづる」とも言う紀貫之キノツラユキ868?〜945平安前期の歌人。三十六歌仙の一人『古今和歌集』撰者の一人官位は低く,死んだときも従五位上・木工権頭(もくのごんのかみ)にすぎなかったが,...歌仙画・紀貫之

  • ぬれそひしたもとかな

    今日は紫兎先生のお茶のお稽古生徒は二名想望庵様とわたくしめあと今日はお休みのナガタン姫人数が少ないとゆっくりお喋りする時間がとれる掛け物は時代の歌仙画の色紙左名前和歌その下に女房歌仙の図左赤染衛門つねよりも又ぬれそひしたもとかな昔をかけておつる涙に女房は御垂髪オスベラカシ十二単ジュウニヒトエの姿でお顔は袖に埋められてかかれていない黒髪は乱れ曲線を描きぐるりと流れている女房三十六歌仙の歌合によると右は二條院讃岐ニジョウインサヌキ写真は通りすがりに撮った葡萄の房可愛らしい粒が並んでいるぬれそひしたもとかな

  • 白たへの衣干したり

    春過ぎて夏来キタるらし白たへの衣干したり天アメの香具山持統天皇和歌・歌人19『万葉集・巻一・28』天の香具山は畝傍山、耳成山と並ぶ大和三山の一つ。白妙シロタヘは楮コウゾの繊維で織った粗い白い布。初夏、村の娘たちが早乙女の資格を得るために、山に入って物忌みのお隠コモりをする。その娘達の物忌みの斎服。その白、山の緑、空の青。そしておそらくは娘達の頬は紅。初夏の透明で鮮やかな色の対比が目に浮かんでくる。百人一首歌番号2番、新古今和歌集巻三・夏歌は(衣干したり)が(衣干すてふ)に変わる間接的な表現に代えられたのは婉曲エンキョクな表現を好むという平安時代以降のうたの傾向らしい。持統天皇ジトウテンノウ生没年未詳702没天智天皇テンチテンノウの皇女諱イミナは鸕野讚良皇女ウノノサララヒメミコ。天武天皇の皇后。草壁皇子クサカ...白たへの衣干したり

  • 潮もかなひぬ今は漕ぎ出イでな

    熟田津ニキタツに舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出イでな和歌・歌人18額田王ヌカタノオキミ『万葉集・巻一・8』熟田津ニキタツにおいて船乗りをしようと月の出を待っていると、月も出たし潮もほどよく満ちてきた。今こそ漕ぎ出そうよ。661斉明天皇・中大兄皇子ナカノオオエノオウジが、唐・新羅連合軍と戦う百済を援護するために北九州へ向け出航し、その途中伊予国の熟田津ニキタツに停泊した時の歌であると考えられる。高らかに出航の時の到来を告げたもの。額田王ヌカタノオオキミ生没年不明初期万葉の代表的歌人万葉集の代表的女流歌人近江地方の豪族であったと思われる鏡王カガミノオオの娘で采女ウネメとして宮廷に出仕シュッシし、初め大海人皇子オオアマノミコ(のちの天武天皇)の妃となって、十市皇女トオチノヒメミコを生み、のちに中大兄皇...潮もかなひぬ今は漕ぎ出イでな

  • 家にあれば笥ケに盛る飯を

    家にあれば笥ケに盛る飯を草枕旅にしあれば椎シイの葉に盛る和歌・歌人17有間皇子アリマノミコ『万葉集・巻二・141』家にいるときは当然笥ケに盛って供える飯であります。その飯を、今は旅の途中にあるから、椎の葉に盛って差し上げます。有間皇子アリマノミコは孝徳天皇の子曾我の赤兄の謀略にかかって反乱を企てた為に捕らえられ紀伊国の藤白坂で絞殺された若くして悲運に散った有間皇子この時代のことは正直よくわからないがわからないままに来てしまった気がするこれを機会にもう一度漫画「天上の虹」を読んでみようかな家にあれば笥ケに盛る飯を

  • 秋山の木の下コノシタ隠カクり行く水の

    秋山の木の下コノシタ隠カクり行く水の我こそ益マさめ思ほすよりは和歌・歌人16鏡王女カガミノオオキミ『万葉集・巻二・92』秋の山の木の茂りの下を隠れてひそかに流れる水。それではないが、私の方こそ思いは深くなっていることでしょう。あなた様が私をお思いくださるよりはね。鏡王女カガミノオオキミは舒明天皇ジョメイテンノウの子又は孫とも威奈イナの鏡公カガミノキミの子だとも。近江の鏡王カガミノオオキミの子だとも言われ。額田王ヌカタノオオキミの姉かとされるが、不明。初め天智天皇テンチテンノウの愛を受け、のち藤原鎌足の妻となる。683没今日はサカチカさんに袋物を習う生徒は森金さんと暮れちゃんと私の3名ソーシャルディスタンス一人ずつ二月堂と座布団とアイロン表布と裏布それとボンド糸針はいらない型紙を作り裏と表の芯の紙をつく...秋山の木の下コノシタ隠カクり行く水の

  • ごもれるやまとしうるわし

    写真は大和古路と題のある画賛やまとはくにのまほろばたたなずくあをかきやまごもれるやまとしうるわしこの歌の作者は倭建命ヤマトタケルノミコト私のブログ6/29に取り上げたわりとスラスラ言える歌だ実際掛け軸もひらがな故よみやすいアップしたときは作者も完全に覚えていたのに軸を見ると誰だっけこの歌の作者すらりと出てこなかった結局はっきり覚えていなかった横を向いたらもうすっかり忘れてるのだから6月のことは覚えていないわたくしめはその程度の記憶力だでも懲りずに行くしがない絵の建物はどこかずっと不明だったが昨日お弟子様のソノ先生にここ何処か知ってるかと聞くと奈良県の重要伝統的建造物とかの町並みに似てると言うので調べてみたどうやら重要伝統的建造物群保存地区の今西家住宅のようだそれは戦国時代の構造様式を残す建造物でまたは「八棟造り...ごもれるやまとしうるわし

  • 大原の古りにし里に

    我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後和歌・歌人15天武天皇テンムテンノウ『万葉集・巻二・103』天武天皇第四十代の天皇舒明天皇ジョメイテンノウの子母は皇極天皇。天智天皇テンチテンノウの弟。天智天皇テンチテンノウの崩御671後天智の大友皇子と対立し、翌年壬申の乱が興る。これに勝利を得て、673飛鳥浄御原宮で即位した。わたしの住む浄御原キヨミハラの里に、今大雪が降っている。あなたのいらっしゃる大原の古びてしまった里に降るのは、まだずっと先のことでしょう題詞に天皇、藤原夫人に賜う御歌一首藤原夫人とは藤原鎌足の娘の五百重娘イオエノオトメのこと天武天皇との間に新田部皇子を生んでいる今日は水曜稽古お盆中ゆえ掛物は平安時代末の経切大原の古りにし里に

  • 豊旗雲トヨハタクモに入日さし

    わたつみの豊旗雲トヨハタクモに入日さし今夜コヨヒの月夜ツクヨさやけかりこそ和歌・歌人14天智天皇テンチテンノウ『万葉集巻一・15』大海原の遥かに浮かぶ豊旗雲トヨハタクモに、今しも入り日がさして見事なことだ。ああ今夜の月はさやかであってほしいものだ。豊旗雲トヨハタクモとは旗がなびいているように空にかかる美しい雲昔の旗は横に長かった天智天皇テンチテンノウは第38代天皇舒明天皇ジョメイテンノウの子。母は皇極天皇。天武天皇の兄。名を葛城皇子カズラキノミコ、中大兄皇子ナカノオオエノミコと称す。孝徳天皇、斉明天皇の皇太子をつとめる。645藤原鎌足フジワラノカマタリとはかって蘇我氏の専横を除く。万葉集に四首。百人一首の冒頭平安王朝の太祖とする敬意のあらわれ百人一首歌番号1『後撰集』秋中・302秋の田の仮庵の庵の苫をあら...豊旗雲トヨハタクモに入日さし

  • 安見児ヤスミコ得たり

    我はもや安見児ヤスミコ得たり皆人ミナヒトの得かてにすといふ安見児ヤスミコ得たり和歌・歌人13藤原鎌足フジワラノカマタリ『万葉集巻二・95』鎌足が采女ウネメの安見児を下賜カシされ妻問い得た時の歌藤原鎌足フジワラノカマタリは614―669中臣御食子ナカトミノミケコの子中大兄皇子ナカノオオエノミコらと協力し蘇我入鹿を殺し大化改新を進めた孝徳天皇、斉明天皇、天智天皇のもとで内臣ウチツオミを務め律令体制の基礎作りに加わった。内臣ウチツオミとは飛鳥から平安初めに置かれた役職天皇の最高顧問采女ウネメとは後宮の雑役に従事する者だが各国の少領以上よりの姉妹、子女の中から形容端正なものが選ばれ、本来、宮廷の神と天皇とに奉仕する為の者。臣下が妻問うことはできなかった。藤原鎌足の歌は万葉集を勉強していたのなら知っていたのだろうかこ...安見児ヤスミコ得たり

  • 山川に鴛鴦オシ二つ居て

    山川に鴛鴦オシ二つ居て偶タグヒよく偶タグへる妹を誰か率イにけむ和歌と歌人12野中川原史満ノナカノカワラノフヒトマロ『日本書紀・113』山間の川に鴛鴦オシドリが二羽遊んで仲が良いなあ妻と仲よく連れ添っていたのにその妻をいったい誰が連れ去ったのだろうか妻の造媛ミヤツコヒメがなくなり皇太子中大兄皇子ナカノオオエノミコの悲しみが深いのをみて二首の歌を詠んで奉った野中川原史満ノナカノカワラノフヒトマロ帰化人古事記は漫画で見たが日本書紀は何も読んでないからか聞いたこともない人物だ知らなかった明日はお盆の入り普段は近くのお坊様に棚経を頼んで有るが今年はコロナもあるし昨日お布施をお届けし仏壇を綺麗にした山川に鴛鴦オシ二つ居て

  • とりよろふ天の香具山

    大和には群山ムラヤマあれどとりよろふ天の香具山登り立ち国見クニミをすれば国原は煙ケブリ立ち立ち海原はかまめ立ち立ち美味し国そあきづ島大和の国は和歌と歌人11舒明天皇ジョメイテンノウ『万葉集巻一・二』天皇、香具山に登りて国見したまふ時の御製歌オオミウタ舒明天皇ジョメイテンノウは第34代の天皇第30代敏達ビダツ天皇の子の押坂彦人大兄皇子オシサカヒコヒトオオエノミコの子名は田村皇子タムラミコ推古天皇の没後蘇我蝦夷に擁立されて629即位都を飛鳥岡本宮アスカノオカモトノミヤに置く蘇我氏の力に押されて、政治上の功績をあげないまま641崩御とりよろふとはとりわけてよいさまであるの意とも、すべてのものが集まり整うの意とも、宮の近くに寄っているの意ともいう。写真は学校の裏通り毎年毎年切っても切っても生えてくる梶カジの...とりよろふ天の香具山

  • いなてる片岡山に

    いなてる片岡山に飯イイに飢ウえて臥フせるその旅人あはれ親なしに汝生りけめやさす竹の君はや無き飯に飢て臥せるその旅人あはれ和歌と歌人10聖徳太子『日本書紀・104』聖徳太子は用明天皇の子。推古天皇元年593皇太子となり摂政として冠位十二階・十七条憲法の制定。国史の編纂。学術工芸の奨励。大陸文化の導入に努め、仏教に深く帰依して「三経義疏サンギョウギショ」の著述チョジュツ。法隆寺・四天王の建立。三経義疏サンギョウギショとは『法華経』・『勝鬘経』・『維摩経』の三経の注釈書(義疏・注疏)。聖徳太子は推古天皇21年(613)12月1日片岡カタオカに出かけた。片岡とは現奈良県北葛城郡香芝町今泉付近その時飢えた旅人が道のほとりに倒れていた。太子は飲食物を与え、自分の衣服を着せてやって、この歌を詠んだ。近いような遠いよ...いなてる片岡山に

  • 星のたむけ

    古町の星のたむけに向かいあう青畝今日は木曜稽古掛け物は阿波野青畝の上記の俳句コロナ禍でのわが社中の茶の稽古二箇所の風炉なので同じ時間に二名のみのお稽古お点前してお客も兼ねる自画自賛の茶の湯だ花鳥風月に和敬清寂もてなしの茶の湯はどこへやらしばらくは仕方ないだろうやれる事をやる勉強しつ楽しもうじゃないか稽古は各自時間割表に記入し重複を避けるべく予約しておく手指を洗いアルコール消毒と熱湯消毒点前が終わると先日買った紫外線消毒の機械の中に入れる理髪店や美容院の挟みや櫛など入れて消毒する機械らしい簡単で清潔そうだ色々入るので試しに入れてみた稽古につかった茶杓茶入と仕服銘々皿棗も入れた昨日と今日しか使用してないが良さそうだEタックにて一週間は抗菌され茶巾はハイターすべからく消毒した残るは心を清めるかだとすると茶杓の銘は「洗...星のたむけ

  • 裁タち縫ヌはぬは仙人の衣

    今日の掛け物は香川景樹カガワカゲキの詠草を掛けた夏瀧ナツタキ裁タち縫ヌはぬこや山姫ヤマヒメの白重シラカサね涼しく見ゆる瀧の色かな「裁つたり縫ったりしないというこれはまあ山の神の山姫の襲カサネの白重ねでしょうかどおりで涼しく見える瀧の色ですこと」と私の解釈香川景樹は古今和歌集の伊勢の和歌を下敷きに自分の歌を詠んだのだろう伊勢の和歌は「たち縫はぬきぬきし人もなきものをなに山ひめの布さらすらん」裁ったり縫ったりしない着物を着るのは仙人その仙人もいないのに山を守り治めるという山の神の山姫はどうしてあんな大きな布を晒しているのだろうと大きな瀧を眼前に伊勢は和歌を詠んだ仙人の衣は裁つことも、縫うこともしてない布を着る白姫とは山の神白重ねとは白と白のかさね瀧は布ヌノに見立てられていたたちぬわぬ…はじめは何のことかわからな...裁タち縫ヌはぬは仙人の衣

  • 万葉集巻頭歌 籠コもよ み籠コ持ち

    籠コもよみ籠コ持ちふくしもよみぶくし持ちこの岡に菜摘ナツます児コ家イエ聞キかな名告ナノらさねそらみつ大和の国はおしなべて我こそ居れしきなべて我こそいませ我こそば告らめ家をも名をも和歌と歌人9雄略天皇ユウリャクテンノウ『万葉集・巻一、二』素敵な籠を持って、とても良いふくし(菜を取るため掘り起こすヘラ)を持ってこの岡で春の若菜をお摘みになっているお嬢様あなたのお家あなたのお名前をおっしゃってこの大和の国はすべて私が支配し統治しているのだよその私がまず言うからね私の家をも名前も万葉集の巻頭の歌。春の野で若菜摘みをしているおとめに、雄略天皇ユウリャクテンノウが求婚したと伝える歌。春の初めに新しく萌え出たばかりの野草を摘むのは、古く神祭りのため。若菜を摘む乙女は春菜を神に供え一年の豊穣を予祝してもらう神女の資格に立つとい...万葉集巻頭歌籠コもよみ籠コ持ち

  • あまだむ軽のおとめ

    天飛むアマダム軽カルの嬢子オトメ甚イタ泣かば人知りぬべし波佐ハサの山の鳩の下泣きに泣く和歌と歌人8木梨軽太子キナシカルノタイシ『古事記・82』天飛むアマダムは軽カルの枕詞ダムはトブの音韻変化軽カルは奈良県橿原市大軽町のこと波佐の山は軽近くの山か軽のおとめよそんなにひどく泣いてしまったら、他人は我々のことを感づいてしまうではないか。あの波佐ハサの山の鳩は心密かに鳴き続けてる。お前もずっと忍び泣いているのだね木梨軽太子キナシカルノタイシとは允恭天皇インギョウテンノウの子。古事記には天皇の崩御後、皇位につくべきであったが、同母妹ドウイボマイの木梨軽大郎女キナシカルノオオイツラメに通じたので道後温泉に流されたとある。日本書紀では、天皇生前の事として、流されたのは妹の方で軽太子は皇位継承争いで弟の穴穂皇子アナホ...あまだむ軽のおとめ

  • 我が恋やまむ

    秋の田の穂ホの上ヘに霧キらふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ磐姫皇后イワノヒメノオオキサキ『万葉集・巻二』秋の田の稲穂の上に一面に掛かっている朝霞よ。それがいつの間にかどこへともなく消えて行くではないか。同じように私があの方を恋慕う心は、いつ、どちらの方に行くのだろうか磐姫皇后イワノヒメノオオキサキとは古墳時代の皇妃葛城カツラギの曾都比古ソツヒコの子。仁徳天皇ニントクテンノウの后キサキ。嫉妬深い女性として、仁徳天皇ニントクテンノウが吉備黒日売キビノクロヒメや八田若郎女ヤタノワキイツラメに心をよせるのを激しくねたむ話が、歌謡物語として記紀にある。古墳時代の人物は漢字も難しいし名前を聞いたことがある人もいるがどのような人物かは詳しくはわからないでも磐姫皇后イワノヒメノオオキサキは名前も知らなかったが嫉妬深い性格の仁...我が恋やまむ

  • 登りて見れば煙ケブリ立つ

    高き屋ヤに登りて見れば煙ケブリ立つ民のかまどはにぎはひにけり仁徳天皇ニントクテンノウ『新古今集・巻七』高殿タカドノに登って国情コクジョウを見ると、炊カシぎの煙が盛んに立ちのぼっているではないか。ああ民衆の生活はこんなにも豊かになってきたんだな。まことに喜ばしいことであるよ。仁徳天皇ニントクテンノウは第16代天皇応神天皇オウジンテンノウの子記紀に多くの歌謡を伴った伝承がある。農業を奨励し、池堤の改修を行い、朝鮮・宋へ使者を派遣するなど、仁政を行ったという。今日は森金さんとカサチカさんが午後からやって来たサカチカさんが茶花の苗木を買って森金さんが庭を掃除して植えてくれたコロナ禍で植木屋さんが来てくれず茂ったままの草木を綺麗にカットスッキリした苗は宗旦ムクゲ2鉢紫蘭野紺菊箱根菊白花岩桐草イワギリソウイワギリ...登りて見れば煙ケブリ立つ

  • 難波津ナニワヅに

    難波津ナニワヅに咲くや木コの花冬ごもり今は春べと咲くや木の花王仁ワニ『古今集・序』この歌は仁徳天皇の御代ミヨの初めを祝った歌だと木の花とは梅の花また難波津の歌は手習いの歌として昔から用いられたという源氏物語の若紫では「まだ難波津をだに」枕草子の二十三段に「難波津もなにも、ふとおぼえむことを」とあるから王仁ワニとは百済クダラの学者で応神天皇オウジンの代に渡来したという古事記には和邇吉師ワニキシとあって、論語10巻千字文センジモン1巻を貢進コウシンしたとある。貢進コウシンとは貢ミツぎ物を奉タテマツること実在の人物か確証はないようだ百人一首には含まれてはいないが、全日本かるた協会が競技かるたの際の序歌に指定しており、大会の時に一首目に読まれる歌である。そうだ昨日は木曜稽古だったが午前中は謡の稽古に出かけキョロ...難波津ナニワヅに

  • はだか童ワラベ

    花むくげはだか童ワラベのかざし哉芭蕉むくげは夏の季語かと思ったら秋の季語らしい今日は木曜稽古久々にみえたケンケンとWD.様の二人コシチャンが午後からやって来たが嬉しいことに高さ一㍍ほどの遠州ムクゲを買ってきてくれたその上そのムクゲを裏に植えてくれた有難いね買ってきて植えてくれる植木屋さんみたいこれ以上のことはない蚊に刺されるといけないので虫除けスプレーをシューしてたそれでも古志ちゃんの柔肌はいくつもいくつも刺されてご持参の虫刺されの薬を塗っていた三年前までは二種類のムクゲを植えてあった宗旦木槿と桃色の一重の木槿大きな木で風炉の間重宝したものだが何年か前に隣の工事の時抜かれてダメになってしまったまあいいかとも思ったが風炉の花の中心はムクゲだから無いとホントに不自由だったウイキペディアによるとムクゲ(木槿、学...はだか童ワラベ

  • 今日から茶の稽古が始まる

    今日からお茶のお稽古再会した新型コロナウイルスの感染予防でお濃茶の飲み回しは無し練るのは一人分我が社中では自分で点前したものを自分で飲むふきんは止めてペーパータオルにした菓子は干菓子も主菓子も銘々皿道具は熱湯消毒かアルコール消毒する出来ないものはUV除菌キャビネットというのを注文した紫外線でウイルスを殺す今週末に届くのでつかうのは来週からだが紫外線で消毒するまた皆がさわるお茶の缶や水道の蛇口などはウイルスや菌を寄せつけないというイータックスプレーで除菌するお弟子様のサカチカさんが調べてくれたいま出来ることはすべてやってみようと私はマスクを付けるかフェイスシールドをつけたりした久しぶりにお弟子様とのオシャベリ楽しかった今日の掛け物は總持寺管首渡辺宗玄の消息6/29付け總持寺管首第17世渡辺玄宗(本行玄宗圓鑑不昧禅...今日から茶の稽古が始まる

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