ストーカーに苦しみながらも明るく前向きな女の子のお話です。一緒に考え悩み笑っていただければ幸いです。
褒めると気を好くして図に乗るタイプなので お叱りのレスはご遠慮願います。 社交辞令・お世辞・甘言は大好物です。 甘やかして太らせてからお召し上がり下さい。
翌朝。また鞄に漫画を詰めて学校に行く振りをしてると、玄関のチャイムが鳴った。昨夜のうちに連絡を取り合い今朝には玄関で待っているだろうと予想した6人の親ではなかった。玄関に居たのは担任の先生だった。予想は外れたが、思ったより早い対応に変に感心もしてしまった。先生が一緒に学校に行こうと言うので、並んで登下校路を歩く。なんか話すだろうと思って待ったのだが、先生はなかなか喋らなかった。このままでは学校に着いてしまう。学校に行けば当然昨日の襲撃はみんなに広まってるから、『僕』は昨日よりも更に酷いリンチに遭うだろう。このまま学校に行く訳にはいかない。適当な処で逃げようと機会をうかがっていると、先生は登下校路から外れ始めた。追い越し気味だった小学生の群れの流れが逆流になる。どうしたのだろう。河原に並んで腰かけて抜いた草振り回...■鉄の匂い082■
廊下に出た『僕』を追ってまで攻撃してくる生徒は居なかった。そのままゆっくりと渡り廊下を通って玄関まで歩き、教室にランドセルを置いたまま家に帰った。違う。家には帰れなかった。こんな時間に家に帰れば、父が勘付く。違う。父はこんな時間に家には居ない。頭がズキズキ痛み、考えが纏まらなかった。その日は、夕方の下校のチャイムが鳴るまで公園のベンチで過ごした。翌朝。手提げ鞄に漫画を詰め込み何食わぬ顔で家を出た。気付かなかったのか興味がなかったのか、両親はランドセルを背負っていないことを咎めなかった。勿論だが、学校には向かわない。昨日と同じ公園の同じベンチに座り、日が傾くのを待つ。下校の時間まで時間を潰し、チャイムと同時に立ち上がった。しかし。家には帰らなかった。校門が見える角まで学校に近付き、下校する生徒を見張った。しばらく...■鉄の匂い081■
次の日の朝。いつも通りに登校していつも通りに下駄箱を開けて上履きがないのを確認し、いつも通りに運動靴の裏を雑巾で拭いて教室に向かった。教室に入ると、いつも通りにみんなは『僕』を遠巻きにしていたが、今日はいつも違うことがひとつ起こった。みんながずっと『僕』を見ていた。黙ってずっと『僕』を見ていた。ひそひそ話す者も居たが誰も『僕』から目を離さない。『僕』は監視されていた。『僕』が誰かと二人きりにならないように。『僕』に誰かが襲われないように。みんなが『僕』を的に結集した。最初は『僕』が悪かった。これから築かれるべき無垢白地の人間関係に泥を塗りたくったのだから。いきなり喧嘩腰で転入されれば気分は悪いし仲間に入れたくもないだろう。でもその後。君たちはその何倍もの報復をしただろう。執拗に『僕』の物を隠し、奪い、壊しただろ...■鉄の匂い080■
がしかし。予想は外れた。父は怒らなかった。黙って先生の説明を聞いた後、『僕』に何か言いたいことはないかと訊いた。『僕』は、脅したことと口止めしたことを謝ったが、父はそんなことを訊いているのではないと遮った。「お前はなんでコイツに口止めなんかをしたんだ?」殴られたと謝罪を求めてきた被害者をコイツ呼ばわり。意外な質問に戸惑ったが、観念して全部を話した。前の学校で苛められていたこと。その原因が転校にあったこと。その転校が原因で今度の学校でも苛められるのではと思ったこと。だから防御策として虚勢を張ったこと。虚勢が気に入られず仲間はずれにされたこと。給食のことや教科書や靴のこと、暴力や無視されたこと。耐え切れなくなって、反撃しようと画策したこと。だけど多勢に無勢では敵わないので、ひとりひとり順番にやっつけようと思ったこと...■鉄の匂い079■
画鋲をビニールテープの粘着面に刺し、その粘着面を拳に巻く。ビニールテープで固定され拳から生えた画鋲の針が敵を射る。粘着面に画鋲が刺さったビニールテープは、視線よりも高い位置に貼って隠せば見つかる心配も少なく、見つかっても凶器とは認識され難い暗殺に打って付けの隠密兵器だ。ひとりづつ隠し場所まで誘い出し、小さな点の傷しか付かないこの武器で攻撃。精神的にもダメージの大きい針による攻撃で反意を喪失させる。服従関係の成立と口外禁止の誓約。知らぬ間に、みな『僕』の部下となっていき、しかも互いには誰がシンパか分からない。そしてある日、リーダー格の生徒は自分以外の全員が寝返ったことを知るのだ。この作戦は早くも二日目には暗礁に乗り上げた。体育用具庫の裏まで誘き出して画鋲サックで脅しつけたまでは良かったが、忠誠を誓ったのは振りで職...■鉄の匂い078■
『僕』は悪くない。『僕』は被害者だ。切っ掛けがどうであれ、衆に頼んでのリンチは決して許されることではない。先に敵視したのは『僕』だけど、睨まれたくらいで暴力を振るって良い訳がない。今回は『僕』発で始まった対立だが、超えた報復をしてきたのは彼奴らの方だ。当然に、遣られた分は遣り返す。遣った以上に遣られたのだから更に増して遣り返してやる。参加した生徒それぞれに、だ。一人一人に一人分以上をお見舞いしてやる。連鎖と同調と増幅がなければ睨み合いで終わった話なのだ。持続した敵意が反感を高め合い過剰に報復した結果なのだ。『僕』を苛めたのはこの学校の生徒ではないけれど、『僕』はこれまでの学校で苛められてきた。所詮、子供はみな一緒。ここの生徒がこれまでの生徒と同じく、大勢で1人を苦しめることをなんとも思わないことは立証された。だ...■鉄の匂い077■
『僕』は恨んでいた。前の学校のクラスメイトを。『僕』は憎んでいた。これまで苛められてきたことを。『僕』は嫉んでいた。勝手に『僕』を神輿に担ぎ敗戦の将にした、あの苛められっ子達を。自分達の社交性の無さから孤立し吹き溜ったはみ出し者共が、親交浅い転校生を矢面に立たせ陰に隠れた。その結果。『僕』は今回の転校に際して間違った価値観と規律を自分に科してしまった。誰の主張にも与しない。誰の立場にも利用されない。誰の影響も受けず自分の主張だけを押し通す。『僕』はもう孤高の人。詰まらない諍いを冷視し、どちらからの陳情にも耳を貸さない。子供の争いには参加しない人になったのだ。だから自己紹介でもう友情を否定し関わりを跳ね除け交遊を拒絶してしまった。もともとこのクラスに派閥はなく、敵対グループは存在しないのだから『僕』が利用されたり...■鉄の匂い076■
生徒も先生も面喰っていた。いきなりの高いテンションで、自己紹介と言いながらなんの情報も語らず、敵意を剥き出し睨みつける。威嚇を通り越した非友好的な視線。用意されていた席は変更され、廊下側の一番後ろで隣の居ない二人用机を宛がわれた。早速、一時間目が終わった休み時間に『僕』は、クラスの主だった者に囲まれた。何か言葉のやりとりはした筈だが、今となっては覚えていない。通過儀礼的な、答えありきの問答だったように思う。放課後、数人の生徒に掴まれて下校し、視界を遮る灌木の茂る空き地に追い込まれた。頭の中でシミュレーションしたパンチやキックは空を切り、『僕』は初めての喧嘩を体験した。対複数人だったからリンチかな。鳩尾を殴られ蹲った処で背中を踏まれた。どの蹴りも突きも、所詮は小学生なので決してダメージのあるものではなかった。堪え...■鉄の匂い075■
どちらの学校にも所属しない冬休みに、転入先の新しい学校を見に行った。引っ越し先の家を見るよりも先に。次の住まいの間取りよりも新しく通う学校の校舎に興味がいった。小学2年生が、毎月定額貰えない貴重なお小遣いから電車賃を捻出してまで見に行った転校先。鉛色の雲を背にした校庭には人気(ひとけ)がなく、それはまるで余所者を受け入れない西部劇の田舎町だった。鉄筋コンクリート造の3階建て校舎は、モルタル吹付のよくある仕上げの建造物で、これといった特徴もなく、複数の小学校を経験している『僕』にとっては記憶に残らない無個性な小学校だった。校庭の隅に腰を下ろし校舎を眺めていたら、アラビアン・ナイトに登場するイフリート、サクル・エル・ジンニーが心に浮かんだ。サクル・エル・ジンニーはソロモンに背いた鬼神。その罰で壺に閉じ込められてしま...■鉄の匂い074■
そして『僕』は、すぐ転校した。本当に、すぐ転校した。春に転校してきたばかりなのに、1年経たない12月だった。『僕』の転校は、終業式の日の最後に、先生の口からみんなに告げられた。通信簿を受け取った小学生は、他人の転校などにはもう興味がない。勿論引っ越しは例によって親の都合というか我儘なのだが、級友はみな、『僕』が敗走するのだと笑った。紛れ込んだ凶漢がクラスの和を乱そうと目論んだが、厭戦の徒に阻まれ撤退。性善に基づき育まれた秩序が悪意ある価値観を駆逐し、首謀者を排斥。教室には平和と静寂が戻った。『僕』が侵入する前よりも。敵に仕立て上げられた転校生は、お別れ会もなく連絡先の交換もなく冬休みに突入。当然だが同窓会にも呼ばれない。機械的に作成させた名簿でもし呼ばれたとしても、『僕』は勿論行かないし皆も当然来て欲しくないだ...■鉄の匂い073■
隠しておきたい事実ほど千里を走り抜けるもの。『僕』が職員室に呼ばれたことは、始業式の翌々日にはクラスメイト全員が知る処となっていた。しかし興味はシャープペンシルの所持許可に先生が越権介入したことよりも、シャープペンシル所持派のボスがなんで『僕』なのか、に集中した。この時点でもう皆シャープペンシルに執着はなく、筆箱に入れている子すら既に稀だった。転校生が妙な価値観を吹き込んで、仲の良かったクラスを分断した。真(まこと)しやかに囁かれたその噂に、『僕』は一気に孤立した。とはいえ、もともとあった二大勢力が元の対立に戻り、もともと孤立していた『僕』も元の孤立に戻っただけでもあった。むしろ共通の敵を得たことで二大勢力は歩み寄った感すら感じられた。社交性があってコミュニケーション能力も高い人気者とその取り巻き。人気者グルー...■鉄の匂い072■
体育館での全校生徒集会の後は、それぞれのクラスに戻り大掃除をして帰るのが常。それが異例の大学級会に取って代わった。議題は勿論、シャープペンシルの否か応。先生は困っていた。学校は特に禁止もしていなく、高学年は普通に筆箱に入れていたから。いつの間にかなんとなくで定まった自然発生なルールでしかなく、所持に許可は要らない文具。議論は白熱化した。学校は禁止してはいないが、生徒間の慣行だから所持は認めないとがなる反対派。慣行は移ろうもので、便利な物を使わせまいと踏ん張るのは逆行だと叫ぶ反対派。使っているのを見るのは不快だと反対派が言えば、賛成派は使うのを禁止されるのが不快だと言う。論争は単にお互い相手が気に入らないというだけの泥試合に。結局、シャープペンシルの所持使用は容認された。但し胸には差さないという条件付で。胸に尖っ...■鉄の匂い071■
春に小学校生活二度目の転校をしてから半年が過ぎた頃。夏休み明けての始業式にそれは顕在した。夏休み前もそうだったが、夏休み中も、分布した2大勢力が顔を合わす機会はなかった。2つのチームが相容れることはなかったが、あからさまな敵対もせず、それなりに穏便に共存した。従来派はそれまで通り学校や自宅に近い便の良い空き地で遊び、新興派は衝突を避けて遠い公園を開拓した。同じ遊び場で遊ぶにしても、新興派は従来派が居ない時間帯を選んだ。コンビニもだからそれぞれに御用達があったし、図書館や文房具店ですら互いの贔屓店を利用することを避けた。しかし。小学生の夏休みには、どうしても同じ場所同じ時間に集わなければならない行事がある。朝のラジオ体操だ。新興派はだからわざわざ違う町まで遠出した。ご存じの通り、夏休み朝のラジオ体操に参加するとス...■鉄の匂い070■
しかし愉しい学校生活は突然の終わりを告げられた。また転校が決まったのだ。1年の春に転入したばかりの『僕』は、翌年の春にもう転出となった。だが『僕』はまだ楽観していた。小学校一度目の転校が、結果大したことはなかったから。転出校はもう二度と会う機会がないから危惧不要だったし、転入校では幼稚園から上がって間もない同士なので大きな差異なく解けこめていたので。なんと言っても、在校生には初体験だが『僕』には二度目の経験だったし。経験値で勝る『僕』は、転出校にも転入校にも煩わしさしか感じなかった。不安や畏怖に煩わされることもなくのほほんと紛れ込けたと言うのが感想だ。だから今度の転校も辛いのは別れだけで、慣れるまでにそれほどの苦労は伴わないと高をくくっていた。だがこれが間違いだった。なんとかの法則ではないが、そうだと思い込んで...■鉄の匂い069■
小学校一年生での最初の転校。転出した後の小学校では、同じ日に入学した仲間から『僕』が1人抜けただけ。学級日誌にも残らない些末な事件だった。転入した先の小学校でも、ちょっと遅れて入学した『僕』が1人加わってだけ。これも気にするのは『僕』だけの茶飯事だった。しかし。この体験が『僕』に齎した影響は驚くほどに大きかった。『僕』は、初めての転校では転校生としての洗礼を受けなかったのだ。転校生であることを意識しているのは『僕』だけで、他の生徒が特に気に留めることはなかったからだ。退校した学校の同級生からは1枚、絵ハガキが届いたが、これから毎月送りますねと書かれた翌月には途絶えてそれきりになった。もしこの転校先で6年生までを過ごせていたら。『僕』は違った道を歩んでいて、今ここに監禁されては居なかったかもしれない。既に動物虐待...■鉄の匂い068■
放火事件から数日が経過。幼稚園ではお別れ会が開かれた。しかしその意味を体感しているのは『僕』1人であり、他の園児には単なるお遊戯会だった。お別れを理解してるのは自分だけ。寂しさを通り越してシラケてしまった。同じ干支の園児が子供に見えてしかたなかった。その温度差のあるお別れ会で、みんなに挨拶をするのはとても空しいことだった。じゃあねまた明日的なノリでの握手を交わす。帰りも同じ園バスで帰るのだから実感しろという方が無理な話か。これが小学一年生の転校となると、話はガラッと変わってくる。僅か2年の差なのにこうも反応が違うものかと驚かされもする。まず皆、『僕』が転校していくことを認知している。明日から『僕』がこの学校に通わなくなり会えなくなることを事解している。悲しいとか寂しいとかは別にして、物理的な距離が広がることを把...■鉄の匂い067■
幼稚園の年少と、小学校中学校の一年生は楽しかった。逆にこのみっつからの転校はとても辛かった。一度目の幼稚園の転園は初めてだったので、まだ我慢ができた。人間として完成されていない葛餅みたいな餓鬼どもに転園生を認識する能力はなく、二日もすれば入園時から居た友達として紛れ込めたから。『僕』を侵入者として排除するることなく、有耶無耶のうちに仲間に入れてしまう甘いセキュリティの幼児たち。まさか二度目があるとは思っていなかったから、全力で対応したのも功を奏した。しかしこれが小学生になると景色も変わる。まず転校生は好奇の対象に晒される。子供はとても残酷で、他人と違うことをして目立ちたがる癖に、自分が違うことをして目立つ他人を嫌った。みんなが知っていることを知らない奴は異端者で、みんなが知らないことを知ってる奴はエイリアンだ。...■鉄の匂い066■
燃えた家は一日で撤去され、その住人を見ることは二度となかった。住人は『僕』の容姿を警察に言わなかったのか。もともと不法占拠して建てられた小屋だから、放火の犯人捜しまではしないのか。いやいや放火ではなく倒壊による電気的事故だ。そもそも電気が盗電だから処理は単なる失火か。この話の情報はこれ以降ない。数日後には『僕』はもう転園してしまったし、その後その土手の向こうに行ったことは一度も無いので。今振り返ると、警察にとっては器物損壊事件ともいえる浮浪者宅襲撃の罪なんかどうでもよく、不法占拠者の人権を侵すことなく退去させることができた安堵に満足したのかも。その犯人も信じがたいことに園児だし、証言するのは盗電の犯罪者だし。とにかくこの話がこれ以上大きくなることはなかった。世間的にも『僕』の中でも。ただ。これが『僕』の世の理不...■鉄の匂い065■
その晩、消防車のサイレンが夜遅くまで鳴り響いていた。燻った程度の小火ですぐ鎮火しただろうから、真夜中のサイレンは違う現場に駆け付ける消防車なのだろう。しかしすべてのサイレンはあの現場に向かっている様な妄想に囚われて、『僕』はなかなかに寝付くことができなかった。人が住んでいる家を燃やしてしまった。現住建造物等放火だ。譬え違法建築であっても、それが不法占拠であっても、捕まれば『僕』は、死刑又は無期懲役だ。いや。少年法では18歳未満の場合は死刑を科せないことが規定されているから、死刑はないか。でも。未成年でも死刑事犯を犯せば被疑者に死刑判決を言い渡すことは不可能ではない。未成年って、なんだろう。成年に達していない者ってことか。でも、満20歳に達していない者は全部ひっくるめて未成年ってアバウト過ぎないか。赤子も高校生も...■鉄の匂い064■
■積み上げられた金属屑の中から、錆びた鉄パイプを抜き出す。鉄パイプで草を薙ぎ払いながら家に突進してゆき、そのままの勢いで家に体当たり。お互いの柱が支え合ってやっとバランスを取っていた家はいとも簡単に傾いた。さっきまではノロノロとしか動けなった住人が、足の多い虫みたいに素早く這い出ていく。その住人を無視して、鉄パイプを当たるを幸いに振り回した。ほんの数秒の出来事だった。更地とまではいかないが、家はさっきまで人が生活していたとは思えない、なだらかな廃材の小山になった。そんなことをしても無駄なのに、子供に崩された巣を掘り返す蟻の様に、住人はヨロヨロと廃材を脇に避け始める。園児が簡単に倒した家を大人が必死になって起こそうと頑張る。シュールで滑稽で悲しい画だ。しかし住人の努力は実らず、廃材の中で散った火花が引火して、倒壊...■鉄の匂い063■
耳元がざわつくので振り返ると、軒下に吊るされた魚か何かの肉に、蠅がわんわん集(たか)っていた。悍(おぞ)ましさに後退りすると何かを踏んだ。足元を見ると踏まれても鳴くことさえできないくらい弱った犬が転がっていた。人間の住む世界じゃない。人が生きる環境じゃない。こんな家の並びに橋元くんの家はあったのだ。あんなに優しい橋元くんのお母さんが、こんな家の並びに住んでいるなんて。あんなに優しい橋元くんのお母さんが、こんな家の並びにしか住めないなんて。仕事に追われ忙しい中、時間を割いて『僕』を持て成してくれたお母さんが。更にその気遣いを『僕』が負担に思わない様にと配慮してくれたお母さんが。胸の中で擦れあう真逆の考えが摩擦で悲鳴をあげた。雑草を掻き分け土手に戻る。振り返るともう家々は見えなかった。行く宛もなくなり帰るのも難(が...■鉄の匂い062■
牧ちゃんとお姉ちゃんには会わないでその場を去った。会ったら、ふたりが穢れてしまうな気がしたので。その足で橋元くんの家に行った。橋元くん家は、内職の納品期日が迫っているらしく、お母さんとふたりで油塗れで鉄の部品を磨いていた。土手の上の『僕』を見つけた橋元くんは、忙しい手を止めて土手を駆け上がってきた。そのまま油塗れの手で『僕』の手を引き家に招いた。お母さんは仕事の道具を脇に寄せて『僕』の座る場所をつくってくれた。これからご飯にするから食べていきなさいと促され、小さなちゃぶ台を囲んだ。おかずは味の濃いバッタの佃煮と、これまた味の濃い野草のお浸しだった。満遍なく欠けていて揃っていないお茶碗。洗っては乾かして使いまわしている割り箸。それでも精いっぱいのお持て成しだった。食べ終わって、帰ろうとすると、橋元くんのお母さんが...■鉄の匂い061■
牧ちゃんに会ったからと言ってどうなるものでもない。どうなるものではないのだが、会わなければどうにかなってしまいそうだったのだ。自分ではもう受け止めきれないこの運命を、一部でも良いから誰かに支えて欲しかった。信号を待つ間(ま)に焦(じ)れ、人ごみに気圧され苛立った。果たして行っていいものなのか。行って何をするつもりなのか。行くと却って失望が増すんじゃないか。足早になったり立ち止まったり、遠回りしたり抜け道に入ったり、なかなか牧ちゃんの家には辿り着けなかった。あの角を曲がれば牧ちゃん家という処まで来て、ようやく決心がつき、『僕』は全速で駆けだした。牧ちゃんに会いたい。牧ちゃんに会いたい。もう『僕』は呟いていた。角を曲がると牧ちゃん家の門扉が見え、牧ちゃんと牧ちゃんのお姉ちゃんがゴム跳びをして遊んでいた。ほっとした様...■鉄の匂い060■
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