山下奉文大将・武藤章中将コンビを中心として、軍人エピソードを紹介していきます。
近代の軍人たちの様々なエピソードを紹介していきます。軍人というと何だか「いかつい」「傲慢」というイメージで見てしまう ことがありますが、彼らも、現在に生きる私たちと同じように、自分の置かれた場所と折り合いをつけて生きてきたことをお伝えできたらと思います。
近藤中将率いる第130師団のことを、通称「鍾馗兵団」といいます。 「第130師団が~」という言い方はあまりしないようです。 このように、師団など、独立した作戦能力をもつ兵団には、「秘匿名」(これが通称でもあった) が与えられており、第130師団は、「鍾馗(しょうき)兵団」と呼ばれました。 鍾馗(しょうき)とは何でしょうか?
前回のエントリーでは、昭和20年初めの支那戦線状況について ざっくり説明しました。 当時の陸軍が最優先していたのは。 連合国軍の上陸をいかに阻止するかということであったと。 ところで近藤中将は、昭和18年から台湾軍参謀長をつとめ、昭和19年から、独立混成第19旅団長 をつとめており、汕頭 (現在の広東省東部)にて防衛の任務にあたっていました…
近藤新八中将の話も三回目に入れました。 (いつもは、別の話にそれて、中々書き続けるのが難しいです。でも問題意識は 薄れてはいません) 近藤中将は昭和20年4月に、第130師団長(在広東・南支那)となりますが、 その前に、当時の支那戦線の状況と、支那派遣軍の見通しがどのような ものであったかを記す必要があると思います。 私たちは、多分「支那事変」ではなく、「日中戦争」と教わり、そのように自然…
「ブログリーダー」を活用して、天奉院章姫さんをフォローしませんか?