沖縄戦で犠牲になった沖縄県立第二高等女学校(白梅の塔)の生徒の物語です
昭和19年10月10日、突然の大空襲で那覇の街は焼け野原と化し、二高女の校舎も焼け落ちてしまいます。その後、焼け残った建物を仮校舎として授業を続けますが、翌年の3月になると米軍の攻撃が迫って来て、四年生は補助看護婦として、お国のために働く事になります。二高女は山部隊(第27師団)の第一野戦病院に配属されました。
「沖縄二高女看護隊 チーコの青春」 がアマゾンのキンドルから電子書籍として発売されました。よろしくお願いいたします。
沖縄県立第二高等女学校は琉球松の生い茂っていた松尾山の高台の上にありました。白壁の美しい近代的な二階建て校舎だったようです。 昭和19年10月10日、突然の…
1月22日の空襲で、二高女の仮校舎だった若狭町のお菓子工場も焼け落ちてしまって、授業は中断してしまいました。2月になって、松尾山にある知事官舎が仮校舎に決まり…
沖縄に新しい知事さんがやって来ました。後に「沖縄の島守」と呼ばれる島田叡(あきら)知事さんです。前の知事さんは去年の暮れに出張と称して本土に帰ってしまいました…
昭和20年のお正月はB29の襲来で始まりました。被害はありませんでしたが、空襲警報が何度も鳴って、元旦を祝う事もできませんでした。2日は何事もなくて安心してい…
期末試験が終わった12月11日、また悲しい事件が起きました。当時、沖縄には「ケービン」と呼ばれて親しまれた軽便鉄道が走っていました。那覇を基点に北は嘉手納まで…
那覇の街はすっかり焼け跡になってしまいました。家を失った人たちは掘っ立て小屋を立てて、暮らし始めました。私たちも家の跡地に小屋を立てました。父は首里の祖母の家…
この日は決して忘れる事はできません。突然、アメリカが沖縄に攻めて来たのです。それはあまりにも突然の事でした。当時、私たちは勤労奉仕の陣地造りと学校の授業を交替…
謹賀新年今年も「チーコの青春」をよろしくお願いいたします。「あの花この花」は70年前の昭和15年の正月にヒットした歌です。西条八十さん作詞、古賀政男さん作曲で…
那覇は兵隊さんでいっぱいになりました。学校の校舎も兵舎として使われ、二高女にも山部隊(第二十四師団)の兵隊さんが駐屯していました。沖縄を守るために働いている兵…
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