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2009/01/31

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  • 栄光のフィニッシュ、ロータリー世界を制す

    ルマン24時間耐久レースも半ばを越え、15時間ほど経過した時点ですでに15台のマシンが戦列を離れていた。ルマン参戦25回の記録をもつペスカローロのポルシェは、ギヤボックスの破損によりリタイヤ。また、一時は上位を独占していたメルセデスも例外ではなく、32号車がオイルポンプの破損によりコース上から姿を消していった。 この時点で、マスコミ関係者たちの話題の中心はマツダになっていた。彼…

  • ルマンの夜明け

    夜10時すぎ、日が暮れてルマンに闇がやってこようとしていた。観覧車のきらびやかなライトやパドック後方の遊園地は、その魔法のような瞬間を盛り上げていた。その時すでにマツダ787B55号車の順位は4位まで上がり、さらに時計仕掛けのように正確にラップを刻んでいく。気がつくとトップを走る3台のシルバーアローに対して最強のチャレンジャーとなっていた。 ルマンの夜の闇の中ではテルトルルージュからユノディエールに向か…

  • ルマンラストチャレンジ

    スタート前夜 ルマン24時間耐久レースの車検は特別である。 通常のレースではサーキット内の車検場にメカニックたちによってマシンが運び込まれ、チームが用意した申請書に従いオフィシャルが車両重量、車体寸法などをチェックし、なにも問題がなければ1時間ほどで終了する。ルマンの場合はどうか? まず車検を行う場所がサーキット内ではなく、サーキットから約10km離れたジャコバン広場で行われる。古…

  • レーシングロータリーの集大成787B

    1991年、ルマン24時間耐久レースはレギュレーションの変更により、自然吸気3.5Lエンジンの車両しか使用できないはずであったが、各メーカーの準備が間に合わず参加車両の減少を防ぐ意味で旧レギュレーションの車両との混走を過渡期の措置として決定した。この措置によりロータリーエンジンは1年の延命を受けることができた。 ここで少し新旧レギュレーションの違いについて述べておこう。 新レギュレーションである…

  • REラストチャンス

    1990年のルマン24時間耐久レースは、ユノディエールの6キロの直線に2箇所のシケインが設けられた年でもある 上の図のようにテル…

  • 4ローターロータリーエンジンの開発

    1987年、3ローターロータリーエンジンを搭載した757によりルマン24時間耐久レースで7位という好成績を残すことができたマツダは、更なる高みをめざし4ローターロータリーエンジンを制作する 3ローターで450PSを発生していたエンジンは、4ローター化により600PS(公認出力550PS以上)を発生するまでにパワーアップされた 大幅なパワーの増大にあわせ、ナイジェルストラウド(757よりシャーシの設計…

  • マツダスピード設立

    1982年までのRX-7でのルマン24時間耐久レースへの挑戦はマツダオート東京からの参戦であった。しかし、すでにディーラーチームの域を超えての活動であることの認識はマツダオート東京だけでなくメーカーであるマツダ側にもあった。よってより積極的にルマンに挑戦するため1983年「マツダスピード」が設立され、メーカー体制でのルマン挑戦へと変わっていった この年からルマンのレギュレーションが変更され、そ…

  • RX-7登場<br />

    1973年に登場したRX-7は、ロータリーエンジン専用車として設計されたピュアスポーツカーである フロントミッドシップにより50:50に限りなく近づけた重量配分と、軽量コンパクトなボディを持つRX-7により、マツダのモータースポーツは新たな飛躍の時期を迎えることとなった まず、1974年アメリカで行われたデイトナ24時間レースに初出場したRX-7は、クラス優勝すると同時に総合でも5位、6位に入賞…

  • レーシングロータリー国内デビュー

    コスモスポーツがマラソン・デ・ラ・ルート(ニュルブルクリンク84時間耐久レース)にてレースデビューした翌年、今度はファミリアロータリークーペがレース界にデビューした。 ファミリアロータリークーペに搭載されたエンジンは、コスモスポーツと同じ10A型だったが、ペリフェラルポート、ウェーバーキャブによって180psまでパワーアップされていた ファミリアロータリークーペはコスモスポーツと同じく海外レース…

  • レースにおけるロータリーエンジン

    ロータリーエンジンのレースデビューは、コスモスポーツが量産に移った翌年、1968年8月21〜24日に開催されたマラソン・デ・ラ・ルート(ニュルブルクリンク84時間耐久レース)への挑戦であった。 それは、世界トップレベルの耐久レースであり、しかも耐久レース中最も長い84時間耐久レースであった。 この世界トップクラスのレースに挑戦することは当時まったくレース経験のないマツダにとって未知の戦いであり、…

  • マツダロータリーエンジンの完成

    今までの大まかな経緯として特に重要な問題であった「チャターマークの克服」「オイル消費問題の解決」により量産体制の確立に近づいたマツダ(旧東洋工業)であるが、この他にもNSU社製のロータリーエンジンから改良された部分がいくつかある。 ※歯車機構の改良 ロータリーエンジンは、ローターに正確なトロコイド曲線を描かせる為にサイドハウジングに固定ギヤを、ローター側に遊星ギヤを使用してい…

  • トーヨータイプオイルシール

    ペリフェラルポートからサイドポートへの吸入方式の変更に伴い、サイドハウジング〜ローター間のオイルシール方式の変更をせまられたのだが、まず使用するOリングが非常に高温な燃焼室付近に常にさらされているという問題があった。この問題に対しゴム加工技術では当時世界でもトップレベルの「日本オイルシール」に制作を依頼した 依頼を受けた日本オイルシールでも、従来の常識ではありえない高温の燃焼室付近にゴム材を使う…

  • カチカチ山のたぬき

    チャターマーク対策とほぼ時を同じくしてオイル消費の問題も重要課題として、その対策に追われていた 昭和37年、試作車としてロータリーエンジン搭載の第1号車が制作され、テストコースでテストが開始された テスト車はエンジン始動時より激しい白煙をあげ、コース上に走り出した車のあとを消えることなく白煙が続いていた 技術者たちは白煙を上げながら走るロータリーエンジン車を「カチカチ山のたぬき」と名づけ、カチ…

  • カーボンアペックスシール

    悪魔の爪跡「チャターマーク」解消にむけ、さまざまな材料が試され試行錯誤がくりかえされた アペックスシールの素材として「硬いもの」「軟らかいもの」「弾性のあるもの」など、究極には「牛の骨」などもテストにかけられたが思うような結果が得られずにいた 一方でチャターマークの発生のメカニズムを解析するため、アペックスシールの動きや振動を測る技術の開発も同時に行われ、当時では珍しかったコンピュータの使用も…

  • 悪魔の爪跡

    1961年、ロータリーエンジンのライセンス取得によりNSU社と技術提携を結んだ東洋工業(現マツダ)は、開発状況と現状での問題点を明らかにするため数名の技術者をNSU社に派遣した 当時NSU社では250ccと400ccのエンジンテストをベンチと実車により進めていた 開発は順調に進んでいると期待しその場に臨んだ技術者達はあるものを見て愕然とする ローターハウジングに刻まれたそれは「チャターマーク」後に「悪魔の…

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ロータリー≪世界を制したマツダRE≫
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