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坂の上の雲をみあげて https://plaza.rakuten.co.jp/matrix2008/

おもに、小説「坂の上の雲」にかかわることについて、書きます。

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2009/01/24

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  • ありがとうございました。

    ドラマ「坂の上の雲」が終わってしまったので、 このブログの書き込みも、これで終わりにしたいと思います。 これまで、アクセスして頂いた皆さん、 どうもありがとうございました。

  • 秋山真之伝記(大往生)

    秋山真之の臨終の地は、小田原にある友人「山下亀三郎」の別荘でした。 大正7年2月4日、 真之の腹は異様に膨れ上がり、 黒い血を幾度となく吐き、いよいよ危篤に陥ったのです。 午前3時

  • ドラマ「坂の上の雲」第13回「日本海海戦」

    ドラマ「坂の上の雲」で一番見たかったのが、日本海海戦のシーンで、 これまで、この海戦シーンは「円谷プロ」でしか見たことが無かったので、 それに比べれば、当然のことかもしれませんが、とても良く

  • 秋山真之伝記(晩年、真之病む)

    大正5年12月1日、秋山真之(49歳)は「第2水雷戦隊司令官」に補せられました。 年が明けて、真之は勤務中に突然腹痛を起こし帰宅したそうです。 真之は、息子たちを厳しく育てていたようで、

  • 秋山真之伝記(晩年、第2水雷戦隊司令官)

    大正5年2月、秋山真之(49歳)は海軍省軍務局長の職を解かれて、 軍令部出仕と同時に、欧米各国への長期出張を命じられています。 第1次世界大戦が勃発してから2年近く経過したのに、 この

  • 秋山真之伝記(晩年、横綱と小結)

    海軍大臣「八代六郎」中将は、大ナタを振るってシーメンス事件を処理してしまうと、 さっさとその職を「加藤友三郎」中将に譲って、現場に復帰したのですが、 「秋山真之」少将は海軍省で軍務局長として

  • 秋山真之伝記(晩年、海軍省軍務局長)

    第1艦隊参謀長を約1年8ヶ月務めた後、大正元年12月(45歳)、 秋山真之は陸に上がり、軍令部の参謀(海軍大学校教官兼務)になります。 翌年、海軍大学校同期のトップをきって、海軍少将に昇格

  • 秋山真之伝記(晩年、第1艦隊参謀長)

    日露戦争が終り、連合艦隊も平時編成に戻されることになり、 明治38年12月21日に解散式が行われています。 この時、「秋山真之」が起草したと言われる訓示が読み上げられています。 真之は

  • 秋山真之伝記(日本海海戦、最悪のシナリオ)

    単縦陣は、先頭艦(通常、旗艦になります)の跡を、 後続艦が金魚の糞のように追いかける陣形で、 単純明快ですから、艦隊のコントロールが容易であるという長所があります。 しかし、先頭艦が砲

  • 秋山真之伝記(日本海海戦、大勝利)

    日本海海戦は、緒戦の30分で、その大勢が決したとはいえ、この戦いが終結したのは、 翌日の明治38年5月28日になっていました。 バルチック艦隊は、戦艦8隻のうち、6隻が撃沈、2隻が捕獲され

  • 秋山真之伝記(日本海海戦、緒戦の30分で勝敗は決定した)

    第1戦隊が左に回頭を開始した時、 後続する第2戦隊の先頭艦「出雲」(第2艦隊旗艦)に乗艦していた 上村彦之丞司令長官の幕僚たちはさぞかし驚いたことでしょう。 第2艦隊先任参謀「佐藤鐡太

  • ドラマ「坂の上の雲」第12回「敵艦見ゆ」

    どうもこのドラマの視聴率が良く無いようです。 第1部の平均が17%、 第2部が13%、 今年になって、第3部の第10回が12.7%、前回は11%ですから、 一ケタ台は目前です。

  • 秋山真之伝記(日本海海戦、第2艦隊)

    これまで書いてきたように、 バルチック艦隊との距離が8,000mになった時に取舵にするという「東郷ターン」を知っていたのは、 戦艦「三笠」の乗員の中では、 「東郷平八郎」司令長官と「加藤

  • 秋山真之伝記(日本海海戦、戦闘開始)

    「東郷平八郎」司令長官の旗艦「三笠」が左に回頭を開始したのは、 14時5分とされています。 その後に続く第1戦隊の各艦(戦艦「敷島」、「富士」、「朝日」、装甲巡洋艦「春日」、「日進」)は、

  • 秋山真之伝記(日本海海戦、え、取舵になさるのですか?)

    連合艦隊参謀長「加藤友三郎」少将が、三笠艦長「伊地知彦次郎」大佐に 『艦長、取舵一杯に』 と伝達したとき、 伊地知は、瞬時に 『え、取舵になさるのですか?』 と、反問したのです。

  • 秋山真之伝記(日本海海戦、東郷ターン)

    明治38年5月27日、14時5分、 連合艦隊は、バルチック艦隊と反航する陣形になったのです。 このような状況を、戦艦「三笠」砲術長「安保清種」少佐が満足したのかというと、 決してそう

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