44.姿勢の修正は長期 さて、修正学習について、まず、原因分析によって、原因を突き止める、そこで普通は「知識」に原因がある、何かの知識が不足しているか、知識を誤って記憶していたか、そういう場合は、その「知識」の修正から入るわけです。それでその「知識」を再
72.「生徒の能力を伸ばす」か「生徒の能力を揃える」か 多くの教育機関でなされていることは教える側で、教えるための計画を立て、学ぶものをその計画に合わせてコントロールすることです。 例えば、何かの問題を解くことを課して、それを本人がとき終わるまで待つと
71.「この通り憶えろ」か「自分で考えろ」か 学習の過程を四つに分けての、「能力についてのあれこれ」、「理解・記憶」に続いて「思考」のことを取り上げたいと思います。つまり、「思考力」をめぐるあれこれということです。 「思考」について考える時に、今の教育
70.自分の「記憶」についての無知 人は自分の意識を考えた時にそれがその奥から何かが浮かび上がってくるそういうものだと思うのですそこで話の進め方としてその真相と呼んでそこに記憶も蓄えているゆうものだとしているわけです そこで我々の中の記憶は膨大なもので
69.記憶と無意識の体験 今まで学習の過程を、理解したことを記憶し、記憶を使用して思考し、思考したことを表現し、その結果を記憶に反映する、そういうように説明してきましたが、記憶の形成に影響を与えるものはそういう、意識が関わるものだけではありません。 実
68.「表現」と「記憶の整理」 さて次に「表現」と「記憶の整理」について。 我々は、自分が考えたことを外に向かって伝える際、どう表すか、考えます。考えたことをそのまま伝えることもありますが、普通は、伝え方を考えます。ここでは、それを「思考」を「表現」に
67.「記憶の整理」と「思考」 次は「思考」と「記憶の整理」です。 我々が何かについて思考する際、そこでさまざまな既成の知識を「記憶」から取り出して使用します。そして思考の結果、新たな知識を生みだし、それを外から得られた知識と同じく自分自身の知識とし
65.消化の譬え 「記憶」というものについて、倉庫や地理などに譬えることでその整理が必要だということを述べてきたわけですが、ここでは時に知識の獲得と使用について述べる際、食べ物の消化に譬えることがありました。 それは「言語」を名と実の組み合わせで説明し
64.地理の譬え 前回、倉庫の譬えについて、「あまりよくないが」と言いましたが、それは、倉庫の場合、物をそのまま出し入れするからです。 それは「知識」であれば、分離された知識をそのまま取り入れ、そのまま保持し、そのまま取り出すことにすることとして誤解す
63.倉庫の譬え あまり良くない譬えであることを承知の上で、「記憶」を倉庫に譬えてみるとします。 倉庫に何かを保管する、それは当然使うためのものです。であれば必要な時に取り出そうとする際、それが整理できていなければ、取り出すことはできない、できるとして
62.「記憶の整理」の軽視 我々は、外から得た情報を理解し、それを記憶します。その記憶の場所は必ずしも頭の中に限定されるわけではないのですが、それについて、ここでは、「深層」としたものの中に組み込まれたはたらきであるというように説明しています。 その「
61.不特定多数の相手への表現 先に、我々の情報の取得と使用の過程、あるいは学習の過程を「理解・記憶・思考・表現」と大雑把に分けました。大雑把としたわけについては、そのとき述べたわけですが、それに少し付け加えておきます。 前回、「理解」についての「個
60.ことばの持つ様々なはたらき 先に、意味機能の例として、イメージということばを使用しました。ただ、我々は言葉の意味というと、辞書などを使ってそれを検索します。それは、文字、つまり、言葉で書かれています。それは、言葉の意味を言葉で説明するということです
59.解り合うことの大切さ 「ことば」は人と人をつなぎます。その際、それはつなぐ人の「理解」によって、変化することになって、そのつながりを良くも悪くもします。 「解ったつもり」による、意味の歪曲は人々の関係を歪め、ひいては社会を歪めることになるのではな
58.「解る」と「解らない」の違い 「ことば」を理解するというのは、その「ことば」の意味機能がその人の深層ではたらいているということです。前回述べたイメージ化はその深層ではたらくイメージ機能のはたらきによるもので、それを意識化するわけです。それができな
57.イメージしてみること さて書かれたことの「理解」ですが、その書かれたことの中には、その人の考えとその根拠が入り混じっている際、それを区別してみると、何らかの事実としたことをもとに、それについて考えを述べている、例えば是非の判断を述べているということ
56.「苦」をもたらす根拠のない思い込み 前回、仏教で「苦」とされるものの一因として、「理解」をいい加減にするということを述べましたが、これはたまたま、目にした「神経科学」の本の中に、それにつながることがあったのです。 我々の脳は、良いこと楽しいことよ
55.理解を基にした感想 「国語」の「感想文学習」は、国語教科書の中の文章を対象として生徒一人一人が感想を書き表すという学習です。そこで、生徒がその文章を読み理解したことを基に自分なりの考えを書き表すことになります。 そこで、まず、その文章を読んで理解
54.MCの役割について 「聴き合い」でのMCの役割の一つは、参加者の発言が本人の思考の披露に及んだ時に、それは「聴く」ということをではなく、「自分の考えを述べる」ことで、ここはあくまで聞いたことについて「聴いて解らないこと」を糺したり、自身の「理解」を「
53.聴き合い―理解と思考 さて、「理解」と思考に分けることの例として、よくとりあげるのが「聴きあい」です。これについては、『聴き合いについて』でふれました。 「話し手」「聴き手(3人)」「MC(進行係兼聴き手)」の5人一組のグループになります。進行は、
52.理解・記憶・思考・表現の入り組んだ関係 ここでは、人の知識の獲得と使用の過程を大ざっぱに「理解・記憶・思考・表現」というふうに分けていますが、実際の使用の際、それぞれに他の要素が混じっています。 「理解」についてとりあげる中で、判断について取り
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44.姿勢の修正は長期 さて、修正学習について、まず、原因分析によって、原因を突き止める、そこで普通は「知識」に原因がある、何かの知識が不足しているか、知識を誤って記憶していたか、そういう場合は、その「知識」の修正から入るわけです。それでその「知識」を再
43.子供のからだは大人より姿勢の修正を受け入れる 姿勢が自分の目で見れないことから、人に直してもらうとして、姿勢を正すことそのものを生業とするような人がいるだろうかと考えると、実はそれだけを目指すという業種はないのではないかと思われるわけです。ただ、何
42.姿勢と取り組む動機づけの難しさ 姿勢と能力の関係について、一般には、無関心なのではないでしょうか。しかし、人の能力について、追求する人たちの多くは、その重要性を認めています。 しかし、教育の世界ではどうでしょう。姿勢の修正を本格的に取り組んでいる
41.自分の自然な姿勢は「見える」?前回、「姿勢を正すことが難しいのは、多くの人が持つ、自身の姿勢に関する『視覚イメージ』のほとんどが、『妄想』だからではないか」ということについて。 人は、他人の姿勢は一応「目」で見ることができます。一応と言ったのは、
40.「能力」の土台をなす「姿勢」 前々回に「視る」ことと「姿勢」のことに触れました。 人の能力について触れている著作に目を通すと、多くの分野で、「姿勢」の在り方が能力を左右することに気が付きます。 解り易いのは、老化に因っての姿勢の歪みが人の認知能
39.内視と想像と妄想 「視覚イメージ」ということについて。 まず、普通にものを目で見る、そのことについて考えてみますと、我々は、当初は、単純にそのものがそこにあり、それを自分たちは「見ている」と思っていたのではないでしょうか。その時は、何人かで同じも
38.「内と外を合わせる」こと 我々は運動する際、骨とか筋肉を使用します。その際、筋肉で言えば、表層筋と深層筋を使います。ところが、表層筋は外から見えますから、その動きを言葉で伝えるのは易しいわけです。ところが、深層筋の動きを共有するのは非常に難しいわけ
37.「内の現実」を視る―「内視」について 「目だけの経路」を使用する視覚イメージの形成を「目視」とよぶとすると、我々が(「視る」ことは全て「目視」である)と考えると、学習能力についての判断を間違うことになりかねません。 そこで、その「目視」以外の「視る
36.「『現実』を視る」ことと「目を使う」こと 「視覚イメージ」が意識にあがるケースにはいろいろあります。 現に目の前のものを視ること以外にもいろいろあります。その見たものをいったん記憶し、それを再生するケースがあります。また、コトバとか文字を介して生
35.脳で視ている? 「目で見る」と「目以外で視る」ということについて、触れておきます。 「目で見る」ということを大雑把に言えば、少し突っ込んでみると、「目」が外からの刺激を感覚神経を介して「脳」に伝え、それを基に「脳」が視覚イメージを生み出す、そうい
34. 市民権を持たない能力 教科学習での誤りについて、それを修正することについて考える際、まず、その原因を知ろうということで、その「原因分析」についてとりあげ、「知識」についで、関係器官の「操作」について取り上げる中で、前回、「その能力をいわば市民権のあ
33.理解には様々な感覚が関わる 前回、ミラーニューロンを取り上げたのは、自閉症の例にあるように、我々が「視て解る」「聴いて解る」と思っていることが、実は「目」とか「耳」とかだけによるのではないのですが、普通は、そう考えられていません。例えば、「共感覚
32.ミラーニューロンについて 今まで、「聴く」ということについて、様々な器官が関わるということを取り上げました。 そうすると、その「聴く」に関わる器官とは、「耳」を中心としたいわゆる「聴覚系」とされた器官だけを指し、次にそれを支えるエネルギー系などを
31.様々な器官の動員 「学習法」は、様々な器官を動員し、そのはたらきを統合することで成り立っています。 例として取り上げた「単語学習法」にしても、大雑把に言っても、聴くと見ると話すと書くこと全てのはたらきを統合することになります。それらがバラバラに足
30.「知識」の修正から「操作」の修正へ 修正学習を考える際、それまで身に付けたものの修正をやるとして、まずやるのが「誤り」の原因を突き止めることで、それを「原因分析と」読んでいるわけです。そこで、「レポート学習」では、まず、学習の過程を明らかにし、そ
29.内外の器官の操作 前回での「結び付ける」過程に問題がある場合は、そのためのやり方を指導することになるでしょう。 例えば、発音に問題がある場合、特定の音声について、その発音のための口や舌の使い方を指導する、後は本人がそれができるよう繰り返す、そうい
28.学習法を支える能力と知識 そこで、「学習法」とそれを支える能力について、SSAの単語学習法を例にとり上げるとします。 テープと単語プリントを使い、英語を聞きながら真似をして声に出して言い、同時に目で英文字を見ながら真似をして書く、次に英語を聞きな
27.学習法、通常の学習の中での習熟を目指すか? 「目標指示」は、その時の学習の目標を指示することですが、その前提は、その目標とされる学習の「方法指導」がなされていることが前提です。 例えば、「特定の単元の単語学習」の指示は「単語学習法」の指導が、「和
26.その場での修正にとどめるかどうか。 修正学習について、それを通常の学習を続ける中で行うか、それを一旦おいて遡及学習などに切り替えるかは、その修正を必要とする原因によって判断すべきこととなります。 例えば英語での和訳学習を例にとれば、通常の英語の単
25.その時の目標の選択と修正 生徒が、教室でその時何を学習するかは、行き着くところは、本人が自分で計画を立てその計画に沿ってその日何をやるか決めるというのが目指すところです。生徒が自分で計画を立てられるようになれば、指導する側はそれに助言をすれば良いわ
88.基にあるものを整えるさて、椅子の廃棄の例をもとに我々の中の「知識」というのが、その言葉から受けるイメージと異なって、ある意味、ダイナミックに物事を生み変化させていく、そういう捉え方をしてもらえばということだったわけです。 そこで、人が物事に対処して
87.そのものの「振る舞い」さて、前回「内部 知識を整理体系化する」ということを言いました。そのことについて触れて行きたいのですが、その前に、その「内部知識」という言葉について少し触れておきます。どうしても知識というと何と言うか静的で固い感じがするのです
86.整理体系化された知識を準備する必要性 今まで述べたように我々は様々な状況の中で考え行動をする際、その基になる知識を自分の中から引き出して使用するわけです。そうすると、その内部知識の整理体系化がそれに対する準備ということになるわけです。準備がきちん
85.現実を様々な次元で受けとめる我々は、ものを見る時、ふつう、それがそこにそのまま変わらずある「物」として見ます。ところが、例えば、それが林檎であるとて、その林檎を高速度で撮影した映像を早送りで見ると、その林檎はみるみる崩れて消えてなくなります。それは
84.「物」の実体とは? 「コトバ」を介して「物」のイメージが浮かび上がる、そのことを実感すると、その「コトバ」の「意味」するものが、そのイメージを生み出す働きがそこにあるのだというふうに感じられてきます。そうすると、それが、スマホとかパソコンにキーボ
83.検索と連想さて「深層」のメカニズムをさぐる例として、「深層」から「意識」への「想起」を取り上げる研修です。「想起」というのは、「思い起こす」、 つまり「深層」から様々な知識を取り出して「意識」に上げる、その際にその過程を「意識」に上げてたどってみま
82.「深言」ということば三層フローチャートに書き込みをやる、言葉を書き込むわけです。その言葉について、外言と内言という言葉があります。 内言とは、音声を伴わない自分自身のための言語であり、思考時に使用される。 一方、外言とは音声言語であり伝達の機能を果
81.三層間の移行三層フローチャートの書き込みを同じテーマで何人かがやるとします。その時、同じ過程を「行動」と「意識」と「深層」の各欄にどう振り分けるか、人によって違いが出てきます。我々は「意識」と「深層」の間が固定されているように考えがちですが、それは
80.深層に焦点を当てる現在の教育に問題があるなどと言えば、よくある民間による公教育の批判として受け止められるかもしれません。個々の学習過程を、三層フローチャートで分析することをやります。一人一人が書き込むことですから、全て同じにならないのは当然ですが
79. 自・他に「みえる」「みえない」さて、この三層フローチャートをなぜ研修の最初に持ってきたかと言うと、その行動と意識と深層と書き分ける、そのそれぞれについて、大雑把な違いをまず把握することです。「行動」は、自分にも他にも「みえる」。「意識」は、自分
78.能力の普遍性・共通性・個別性さて、三層フローチャートへの書き込みをして、お互いに披露しあう中で、同じ「コトバ」の意味の形成一つをとっても、ある人と別の人では違いがあることは解ります。そこで、個々の持つ様々な能力について、一人一人が違うということも
77.コトバと意味の結びつきに気づく そこで、その「音声」とか「文字」を意識すると、それが指すもののイメージが浮かび上がってくる、逆に、あるいは何かを思い浮かべると、それを指す「音声」とか「文字」が浮かび上がってくるということを経験することで、「コトバ
76.「深層」の存在にあらためて考える 次いで、「三層フローチャート」を使用しての研修に移ります。 そこで、何を書き込むかは、予め用意したテーマで、それぞれが書き込むこともあれば、それぞれが自分の経験したことを書き込むこともあります。 そこで、その
75.「意識」「深層」「行動」の意味の共有 研修では、まず、そのあたまの中で何かが浮かんだり、消えたりすることを、それぞれが経験できるか確かめ、それを「意識」とするとします。それを「意識」とするというのは、ここでの取り決めで、他の人々が何と呼ぶかは別の事
74.自分に由ること さて、「自灯明」とか、その前にでてきた「格物致知」とか、そういうことについて、人に教えてもらう、しかし、それは「他者に頼る」ことになる、「事物に即して知ること」にはならない、それこそ、「自灯明」とか「格物致知」が否定したことです。
73.ことばを生かすのは自分がやること 我々は、自分で考え、それを基に行動します。そして、考えたことを人に伝えます。その際、その考えるにも、人にそれを説明するにも、ことばを使うわけです。その「ことばを使う」という「自分がやること」について、それがどういう
72.「分別智」と「無分別智」など 前回述べた弟子の中の「山」の変化については、「ことば」の意味の在り方を左右する意識構造の在り方として取り上げましたが、これについては、仏教では「分別智」と「無分別智」という言葉で説明したりすることもあります。 外から
71.「山は山にあらず」から「山は山」へ。 その意味的凝結体を使用する場合とそれが溶け合って流れる場合では、経験することが違ってきます。我々は、例えば同じものを「見る」とします。そうすると同じ経験をしているというふうに思いがちです。しかし、その「見る」
70.意味的凝結体の溶解 「対話と非対話」では、その分割された名前を持ったもののことを、意味的凝結体と言っています。そして禅の修行はこれを溶かしてしまうことだということで、禅問答もそうですが、座禅についても、「座禅とは、意味的に凝結している事物を溶解して
69.「山は山にあらず」 さて、禅問答の「山は山にあらず」を例に、禅が問題にする言語の意味的分節化について、 説明するとします。ですから、元の本にあるものではありません。 我々は、本来繋がったものごとに意識を焦点化するために「ことば」を使います。このこ