写真と野球は違いますが、野球が好きなのであくまでイメージとして野球に例えて書きたいと思います。ピッチャーが投げるボールが被写体、自分の使っているカメラがバットです。ピッチャーが投げるボールは多種多様なのが写真の面白いところなんですね。その中で自分の打ち易そうなボールは好きな被写体と言えます。実際、ヒットになりやすいです。ただ、ここで言うヒットは自分で見てであって、誰かの客観的な評価とは別と考えます...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
昔は、と言うとカメ爺丸出しの言い方になりますがまあ、個人的にははるかかなたなので、こう言いますね。写真の本と言うと「○○の撮り方」とか「写真撮影入門」のようなタイトル、内容の本が多かったです。でも今は、そのような本もあるみたいですがネットを見ていると写真に対する姿勢、考え方を含めて生き方論みたいな内容の本も(のほうが?)人気のようです。「あなたらしい撮り方をするために」とか「毎日を輝かせるためにカメ...
突然、縦位置で撮ってみようと思い立ち、いつもの公園へ出かけました。縦位置は画面の上下の空間が間延びそうでどう画面を整理したものか迷うのです。屋外の撮影だと上のほうの空間には空が、下のほうの空間には地面があるケースが多いですよね。でも、どちらも特に意味はないように感じるのです。画面の整理や印象作り以外に役割を持たせるのが難しい気がしています。あと、左右から挟まれるように感じるという閉所恐怖症みたいな...
写真の投稿だけです。...
写真はカメラマンがほとんど関われないメディアだと思います。自分が作り出したものがほぼ無くても成立するからです。被写体・・・料理など自作のものって限られますよね。カメラやレンズ・・・まず無理です。器用な人が作るとしたらピンホールカメラではないでしょうか。お天気・・・神様、お願い!そうなんです。自分が撮った写真がカッコいいと褒められたたらそれは被写体がカッコいいからなんですね。カメラマンは自分が撮った...
人は複雑すぎることを嫌います。たいていは面倒くさいことは嫌なのです。人は簡単すぎることを嫌います。たいていは物足りないのが嫌なのです。人はややこしい生き物だと思います。写真も簡単に綺麗な写真を撮れるようになりましたがただの簡単を通り越し、超が付くくらいの簡単になりました。簡単が人を追い越してしまったと思います。「お~い!待ってくれ!」たぶん、待ってくれないと思います。落ち着いて考えている暇はありま...
通りすがりの○△□240210・いつものことだから いつものことだけど 1
写真ではよく「ストーリーがあって、いいですね」などと言う感想が聞かれます。写真に限らず人はストーリーが大好きです。あらゆることにストーリーを見出します。ドラマ、ゲーム、スポーツ、ゴシップ、アート・・・ストーリーの中に入り込むことで「退屈」という名の存在から逃れることができるのです。...
フェイクというのはニセモノのことですよね。と言うことはホンモノが存在するわけです。そうだとすると写真そのものもフェイクなのかもしれません。被写体=ホンモノとすればです。人物の写った写真を破いても「痛い!」なんて叫ばないです。写真を使ったフェイク画像がニュースになったりしますがそれが問題視されるのは社会にマイナスの影響を与えるからです。でもふつうは写真は思い出であったりするわけですから写真そのものが...
言葉は「それ」の代わりをしてくれるので省エネにぴったりのアイテムです。何しろ「それ」についていちいち説明にエネルギーを使わなくても済みます。「アレ」は「アレ」なのですから。写真でも「上手くなりたい」と言えば「分かりました」と言ってその方法をいろいろ教えてもらえますよね。でも「上手くなる」って何なのでしょう?バエる写真が撮れるようになることいいね!がたくさん付くようになることフォトコンテストに入選す...
「写真する」=「カメラを持って撮影する」ではないと思っていますカメラを持っていなくても、「写真する」ことはできるのです。「写真を撮る人」=「写真家」ではない時代なのですから。...
デジカメになって、さらにスマホカメラになってモニターを見て写真を撮るほうが圧倒的に多くなってきました。でも、個人的にはファインダーを見て撮るほうが写真を撮っている気がするので、そうしています。一時期、モニターを見て撮っていましたが被写体を視線で優しく押してる気がして頼りない感じがしました。写真はシャッターを切るという言い方があるようにもっと鋭利な感覚が伴うものだと思います。それにはファインダーを覗...
写真を撮ろうと思うならものをよく見なさいと言われます。でもよく分かっていないものは目には入らないのではないでしょうか。見たいものを優先してみている以上、ものを平等に、よく見るのは困難な気がします。...
「雨の日こそ、写真を撮ろう!」のような記事を見かけます。なるほど雨の日は、しっとりした情感のある光景になりますよね。晴れの日はコントラストのきつい、よく言えばメリハリの利いた画面、別の言い方をすれば、ちょっとキツイ画面になります。どちらがいいとかではないのですが個人的には雨の日は、めったに撮影はしませんね。カメラに雨は大敵というのがあります。傘をさしたりして対策はできるのですがそこまでして・・・と...
私の写真は横位置ばかりですが縦位置で撮るのが苦手です。縦位置はどうしても画面が上下に分割されてしまうように感じます。それと縦に長いものだから縦位置で撮るのも少しストレートすぎる気もします。縦に長いからこそ横位置で撮る・・・そういう発想の写真もあっていいかなと思っています。縦位置は視線を集めやすい気がしますが逆に言うと扱いの難しい画面ではないでしょうか。...
写真を撮るということは画面を整理して撮ることとイコールではないと思っています。画面を整理するという発想は構図法を不可欠のように思わせてしまうのではないでしょうか。それが間違っているとは思いませんが写真を撮るということをフレーミング作業、つまり切り取るという感覚で見たほうがより適切ではないかと思います。なぜなら写真を撮るというのは誤解を怖れずに言うと、ある意味で暴力的なことだと思うからです。繋がった...
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいです。...
私自身も以前はよく言っていたことなのですが今、違和感を感じるようになったことがあります。「下手だけどいい写真を撮れればいいんですよ」という言い方です。特に上手い人、プロの人が言うのは少し違うのではないかなと思うようになったのです。下手であることを悩んでいるのに上手いことで余裕のある人からのアドバイスとしてはふさわしくない気がします。やはり単刀直入に「こうしないと上手くなれませんよ」と教えてあげるほ...
写真を4つに分ける考え方があります。①うまくて良い②うまいけどダメ③へたでダメ④へただけど良い・・・だそうです。なるほどと思うのですが、そんなに単純でもない気もします。うまい、へたを技術的な面では言えても表現的にうまい、へたというのは微妙ですよね。まして、良い、ダメというのはさらに分かりにくいです。良い、ダメはとても主観的なのです。ほとんど好き、嫌いと言い換えてもいいようなことが写真の場合、頻繁に起こ...
写真の世界もずいぶん窮屈になってきたなと思います。写真の世界もずいぶん不自由になってきたなと思います。それはたぶん、昭和カメ爺の感覚であって時代錯誤なのでしょうね。それでも、デジタルになって多様な写真表現が可能になったと思うのですがなんだか一様な写真表現へ向かっている気もするのです。昭和カメ爺のどうでもいい独り言でした。...
行ってきました。誰かに「行ってらっしゃい」と言われた気がしたので。多分、幻聴だと思います。歳は取りたくないですね。写真は撮りたいけれど。...
ネットで見かけたコピーで気になったので書いてみます。「うまくてダメな写真・・・」???えっ?上手いことがなぜダメなの?上手いことは十分、価値があることなのに。そうではなくて「うまいけれどダメな写真・・・」のようです。結局、上手いということと、いい写真は別のモノなのに一つの文章で言うとややこしくなるんですね。上手いの反対語は下手でわかりやすいのですが、いいは良いではありません。良いの反対語は悪いなの...
...
夜、といっても夜の入り口で帰宅したので何とも言えないのですがミナミ、難波もずいぶん変わったなと思いました。昼間の撮影は時々しているのですがその時感じなかった空気みたいなものがありました。暗くなってきて照明の明るさに変わったこととは別に自分はここにいるという感じがしなかったのです。よそ者というのでしょうか、ふさわしくないというのでしょうか。まあ年齢的なことが大きいと思います。それでも、ミナミはミナミ...
写真の撮り方を説明する時に「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」と言われます。何気に聞いていると正論なのですが、最近になって「整理」というのは少し暴力的な意味合いに思えてくるようになりました。「そこ」は「そうである」訳ですから、人間側、つまり写真を撮る側が「そこ」を自分の都合で変えないほうがいいと思うのです。仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」が「...
私としては珍しく夕方から撮影しました。日曜のミナミの街の一部を短時間でしたがブラブラしたのです。得意のブレボケ写真を量産し自分らしさを取り戻した夕暮れ時はとてもロマンチックが止まらなかったのでした。...
カメラマンがカメラを選ぶというよりカメラがカメラマンを選ぶのではないでしょうか。カメラマンは自腹を切ってカメラを選んだつもりでも実のところ、カメラに選ばれているのだと思います。正確には試されている気がします。その機能を使いこなせるかということではなくその機能でどんな写真を撮るのだと言われているのです。そのカメラにふさわしいカメラマンになれるかどうか・・・季節の分かれ目ではないでしょうか。...
通りすがりの○△□231025・そなんやけどMINAMI 7
写真に関してですが綺麗と美しいを混同している気がします。「醜」という美しさもあるのですから。不快な美しさもあるのですから。写真は普通に撮れば何もかも綺麗に写すことができます。美しい写真を撮るのは難しいです。そもそも「美」というものが未だよく分かっていないのではないでしょうか。...
日常的にカメラを持ち歩いてその都度撮影するという人たちもいます。割合はよく分からないのですが当たり前になっている人はかなりいると思います。でも私は撮影する予定の時しかカメラを持って出かけません。まあ、ひとそれぞれですね。写真を撮ろうとカメラを持って寄った場所を見て気になったら撮らせてもらう・・・そのスタイル、スタイルという英語は似合わないのですが、そうするのが自分には合っているのです。...
「ブログリーダー」を活用して、sunposkyさんをフォローしませんか?
写真と野球は違いますが、野球が好きなのであくまでイメージとして野球に例えて書きたいと思います。ピッチャーが投げるボールが被写体、自分の使っているカメラがバットです。ピッチャーが投げるボールは多種多様なのが写真の面白いところなんですね。その中で自分の打ち易そうなボールは好きな被写体と言えます。実際、ヒットになりやすいです。ただ、ここで言うヒットは自分で見てであって、誰かの客観的な評価とは別と考えます...
観光地などに出かけて綺麗な景色を前にしてカメラでひたすらにパチパチ撮っていることってありますよね。せっかく、遠出してやってきたのに、それではその風景に浸れないのではと、思っていました。いいえ、今でも一応はそう思います。ただ、少し考え方が変わってきました。風景以外でも、例えば音楽で言えばロックのライブでの撮影です。ライブの撮影の経験はないのですが、やはりカメラを持って撮影しているとロックの音楽そのも...
写真でいう感想とは予め決められたマークをポチすることでもなく☆の数を選ぶことでもないのではないでしょうか。なぜそのマークをポチしたか、なぜその数を選んだか目に見えるカタチで自分の言葉にすることだと思うのです。それを誰かに見せるためではなくても、それを誰かに伝えるためでなくても・・・ですね。ポチしただけ、選んだだけでもいいのかもしれませんが自分が意識化できるかが大切なのではないでしょうか。ただの好き...
行ってきました。...
「文句ある?」と言われた時、3つの反応が思い浮かびます。一つ目は「いいえ、納得で、何も言うことありません」です。二つ目は「はい、自分はこう思います」です。そして三つめが「何となく違和感があるけれど、今の自分には言葉に出来ない」です。議論のための議論では水の掛け合いになるので夏などにはいいにしても、一年中というわけにはいきません。やはり、お互いの実感からの議論が必要ではないでしょうか。写真でもいろい...
写真ではよく「思いを伝える」と言われています。ではこの「思い」とは何を指すのでしょうか?大きくは次の2つに分けられると思います。①「思い」は「感情」のことです。コミュニケーションを重視します。コミュニケーションの対象はふつうは身の回りの人たちですがSNSなどを通じて不特定多数の人たちのことも多くなりました。時には自分のこともあります。思い出の瞬間の感情をより鮮明に自分に伝えてくれるからです。言葉はその...
20代に突入したころ、写真を始めました。それから半世紀以上経ったのですが、飽き性の自分がよく続けられたなと思っています。そんな私ですが、30代の半ばごろに突然、「モノクロはもう辞めた」とカラーに切り替えました。そんな日々を、年齢的に無理して首筋を傷めない程度に振り返ってみると20代、30代にも自分なりに「いい写真」は撮れていたと思います。あくまで自分基準の「いい写真」ですが「あの頃のほうが、いい写真を撮れ...
写真史としての名作は一定の評価はされているのですが今、有名な写真家にしても登場当初というのでしょうか初めて作品として写真を発表した時には酷評された人もいたのです。写真の世界の価値観みたいなものは時代とともに変わってゆきます。写真の世界に吹く、世間の風は気まぐれなのです。その時代の気分次第で、ヨイショされたり、ブーイングされたり・・・世間というのは怪物みたいなものではないでしょうか。...
自分の「好き」を撮りましょうと言われています。でも、自分の「好き」に疑問を投げかけるのが写真だと思うのです。自分の「好き」にケチをつけることではなくもう一度見直すということなんですね。「好き」と思い込んでいるだけかもとか「好き」と思い込まされているだけかもとか。まあ、いちいちそんなことをやっていたら疲れますからたまにでいいと思いますし、あえてやらなくてもいいとは思いますが・・・。...
写真が難しいのは立体を平面として見ることに慣れていないことも理由の一つだと思います。写真を撮ることには今の時代、スマホなどで小さいころから当たり前に行っているので「写真なんてチョー簡単!」と思ってしまうのですね。フィルムカメラの時代ですら、他のアートから「写真なんてカメラが撮ってくれるんだからいいよね」なんて思われていました。「写真なんて、ラ~ラ~ラ~♪」だったのです。でも、自分でカメラを本格的に...
行ってきました。...
写真をするのに才能は必要なのでしょうか。写真がアートだとしたら音楽や絵画のように才能が必要になって来ます。でも、あえて写真をアートだと思わなくてもいいと思うのです。たしかに、写真のセンスがいいなあと羨ましくなってくる人っていますよね。バズっている写真などを撮っている人たちが思い浮かびます。そうできるのは写真の才能があるからと言えるのですが、バズる写真だけが写真でないことは言わずもがなです。楽しみ方...
撮影しました。...
「暗黙の了解」というのがあります。わざわざ断らなくても通じることですよね。でも、今はそうではなくなってきました。「個人の感想です」ーふつう感想を述べるのは個人だと思うのですが。「CM上の演出です」ーこんなのマネする人がいるの?そして・・・「写真はイメージです」ー写真=実物なんてありえないのに。なんだかメンドクセー世の中になったものですね。...
写真に写っているからホントだろうから写真に写っているからウソかもしれないへ写真にとって激動の時代になったなあと昭和カメ爺はシミジミト思いながらシジミの味噌汁をすするのです。...
昔、正確には大昔、テレビドラマの主題歌に「七つの顔のおじさんのホントの顔はどれでしょう?♪」という歌詞がありました。今考えると、それは七つの顔のどれもホントの顔でもあり、ウソの顔でもあり、ホントかウソかはどちらでもいいことのように聞こえます。それぞれの顔で難題をカッコよく解決して、視聴者をスッキリした気分にしてくれればよかったのですから。まあ、ドラマがどんな内容だったのかは忘却の彼方なのですが、懐...
写真の投稿だけです。...
写真関係のSNSの記事を見ていると、ある言葉をよく見かけるようになり、気になって来ました。「私」関連と言うのでしょか、「私」以外に、「私」「わたし」「僕」「ぼく」「自分」「じぶん」などですね。そのような言葉が目につく記事の特徴は、その人が食べたもの、飲んだもの、家族や友だち、友好な関係の人たちなど、プライベートな写真が多い気がすることです。ふつうSNSは不特定の人たちに向けて発信されるものですから、その...
つくづく写真というのは被写体しだいなんだなあと思います。それでアレブレボケ写真は文句を言われたのです。肝心のどんな被写体が写っているかが分からないことで見る人を落ち着かなくさせました。人は落ち着かないことは嫌ですからイライラしてボヤいたのだと思います。その代表ともいえる森山大道が世界的な写真家になったのですが、それでも写真というのは被写体しだいなのは変わらないと思います。「いい写真」というのは写真...
デジカメが上手に撮れ過ぎてくるとフィルムカメラの上手く撮れなさが魅力的になって来る・・・揺れ動くカメラマンゴコロですが、次はどこへ向かうのでしょうか。下手は嫌ですが、上手くても面白くない・・・人間カメラマン相手にカメラたちも大変だなあと思います。...
木造世代なので今のまるでSFのような世界は馴染めません。昔はお寺や神社は苦手だったのですが今は落ち着ける場所になって来ました。ただ、ここは外国の人が多くてやや落ち着けなかったのです。...
写真は好き嫌いがハッキリするメディアだと思います。好き=撮りたいもの、嫌い=撮りたくないものですね。ただ、現実の光景には好きと嫌いが共存しています。そこでテクニックです。ボカします。明るいレンズを開放気味にしたりします。覆い焼きします。レッタチで周辺を黒っぽくするイメージです。飛ばします。潰します。ちょっと、怖い言い方です。見えなくします。好きなものの後ろに嫌いなものを隠します。トリミングします。...
街歩きの動画を見ていると情報量で言えば写真は叶わないなあと思います。なにしろ動画は写真=静止画の大量集団ですから数では勝てません。戦う前から要白旗なのですね。では写真は動画に勝てないのでしょうか。そんなことはないと思います。今のところ、よく分からないのですが写真には「余白の魅力みたいなところがあると思います。まあ、争う必要もないのですが。...
今年も「危険な暑さ」がやってきました。写真で「危険な暑さ」を撮影やレタッチで工夫すれば表現出来ますよね。でも、それは「危険な暑さ」を連想させるだけで写真そのものが「危険」であったり「暑」かったりするわけではありません。人間の想像力はスゴイと思います。...
かつて、カメラのファインダーのピント合わせやオートフォーカスの測距点は、画面の真ん中にありました。そのことは何を意味するのでしょうか?人は写真を撮ろうとする時、何も考えないと、無意識に撮りたいものを画面の真ん中に持ってきますよね。当然と言えば当然だと思います。画面の隅っこに小さく撮ろうとはふつうは、しないです。そうなんです。「日の丸構図」は写真撮影の原点と言えます。「日の丸構図」については、いろい...
当たり前にあることは話題になりません。当たり前には古さが付きまとうからです。人は新鮮さを求めます。写真も新鮮さが楽しませてくれます。新しいカメラ、新しいレンズ、新しい被写体・・・でも、新しいには時間という非情なヤツがやってきます。新鮮さというラベルを剥がすのです。見慣れた光景・・・退屈です。写真に撮って、新鮮な光景に変身させたとしてもやがて飽きてくるのです。写真を続けるには「当たり前」を「当たり前...
主張には根拠が必要と言われています。自分の言いたいことは主観的なのでそれを裏付ける客観的で正当な理由が要るのですね。写真も「こう撮れ!」みたいなことが言われます。どうしてかと訊くと「なぜならみんな(多くの人)が、いい写真と言ってくれるから」のような返答が帰ってきます。少し理屈ぽくなるのですがある根拠にはその根拠を支える別の根拠が必要ではないでしょうか。そのことは堂々巡りを意味しています。正論が複数...
用事で出かけたついでに「新石切駅」周辺と「石切さん(石切神社)」周辺で撮影してきました。お天気で暑かったので意識を失う前に帰ってきました。...
ChatGPTに「さん」を付けることってあるんですね。対話型なのでそうなのでしょうか。いずれ人格みたいなものを備えることを見越しているのでしょう。近い未来、相談するのにいちばん信頼のおけるのがChatGPTになるのかもしれません。自分の写真作品の評価を尋ねたりも出来るですね。フォトコンテストの審査員に選ばれることもありそうです。そうなると、自分の応募した自信作が落選したら憤懣の向けようはなくなるのです。フォトコ...
写真展などでキャプションとステートメントと言う言葉が使われます。どちらも文章なのですが詩なども使われるようですがとても簡単に整理してみました。キャプションは説明文です。それで客観的に分かりやすく書く必要があります。作品の理解を助けるために書かれるのですから難解な文章はNGです。いっぽう、ステートメントは声明文です。それは意思表示であり主観的なモノです。自分の写真観みたいなモノを今回の作品で反映させた...
私は多感、と言うより冷や汗の多い「多汗」な時代に写真を始めたので、どうしてもそのころのことが基準になります。デジタルの時代になったのにフィルムの時代の考え方から抜けられません。一時は「デジタルもフィルムも写真には変わらへん」と思っていました。でも、最近はデジタルとフィルムは明らかに違う、別のものではないかなと思い始めています。ただ、自分自身はこれまでのような写真を撮り続けると思っています。...
写真はボケやX構図で遠近感を出せますよね。絵画では遠近法と言うようです。写真は平面の画像なので実際には目から等距離にあります。それを前後に感じるのですから人間の目っていい加減なんやなと思います。...
「散歩」とは辞書的には気晴らしや健康のためにブラブラ歩くことと説明されています。でも、本来は特に理由などなくただ歩きたいからするもののように思います。季節や時間帯や天候などや距離・歩数は関係ないのです。まあ台風や大雨の時は向いていないと思いますが。数百メートルでも散歩は散歩です。嫌になったら止めればいいのですから。健康のためとか、1万歩歩くことが目標とかは散歩が手段になっている気がします。私の写真...
最近のことはよく知らないのですがアルバムというのを、紙のプリントで残している人ってどれくらいいるのでしょうか。スマホやネットのストレージのケースが多いのかもしれません。上手く整理しておけば、紙のアルバムみたいに、かさばらないですよね。でも、ネットだと思い出が宙ぶらりんのように感じます。紙のほうが、思い出がそこにいてくれるように感じるのですが今は、そんなことはない時代になったのでしょうね。...
森山大道さんたちが発表していたアレブレボケ写真のようなカットが、国鉄(今のJR)の観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン(DISCOVER JAPAN)」に使われたのは、アレブレボケには旅情を誘うところがあったからではないでしょうか。森山さんには中平卓馬という写真仲間がいて、同じようなアレブレボケ写真を撮っていました。中平さんはアレブレボケ写真が観光キャンペーンに使われてからはアレブレボケ写真から離れ、写真を図...
撮影カットをレタッチでトリミングするとデザイン的な写真になるような気がします。...
私自身、いまだによく分かっていないのですが写真は現実をそのままそっくりに捉えることではなく写真という、もう一つの現実を捉える手段のように考えたほうがいいのでは?と思っています。もう一つの現実、つまり再現とか、表現とかいう言葉とは違う写真が捉え得る何か、リアリティーみたいなことではないのかなと思うのです。「いわゆる現実」とは違う「もう一つの現実」を捉えることが出来るのが写真というメディアのように思い...
観光などで初めての場所に行くと見るものすべてが新鮮に映りますよね。それで写真を撮ると興奮状態ですからいわゆる撮らされている結果になりあまりいい写真は撮れないよという意見があります。宿泊できるのなら初日はカメラを持たずにブラブラ歩いて、自分の目でチェックしてゆくようにしましょうと言われています。そうすると2日目にカメラを持って出かけることで冷静に観光地を見れるのでいい写真に結びつくということですね。...
時々「ローアングル」と「ローポジション」が混同されていることがあり、気になっています。地面近く、低いところでまっすぐ水平方向に撮るのは「ローポジション」での撮影なんですね。よく言われる「子供目線」とか「ペット目線」は「ローポジション」のことだと思います。いっぽう、下から上方向にに撮るのが「ローアングル」での撮影です。ビルの屋上で、真上に旋回するヘリコプターに向かって撮るのが「ローアングル」での撮影...
ウジェーヌ・アジェという写真家がいます。写真史では必ずと言っていいほど出てくる人です。画家になりたくてパリに出てきたのですが、画家ではなく写真家として「美術家のための資料」にとパリの街を撮り集めることで生活の糧にしました。生活は恵まれなかったみたいで死ぬまでパンと砂糖とミルクを常食としていたというカッコいい写真家だったと思います。アジェには他人事だからそんなふうに言えるんだと怒られるかもしれません...