青唐辛子の季節。辛いの大好きなのでこの時期にあれこれ仕込んで長期保存。茗荷と一緒に醤油漬け炒めて、大葉味噌赤くなったところは、リンゴ酢と切り昆布でタバスコ風朝から延々とみじん切りにしていたので手を良く洗っても、夕方まで、手のひらがピリ
完全に自己満の記録。自分しか面白くない記事 笑いい事ばかり記しましたがここには書ききれない というか書けないこともたくさんあった旅でしたちょっと切ないこともありましたそれも含めていい旅でしたフライト前、空港にて1人、地鶏飲みわたし、1人で
レンタカーの車内ではずっと地元局のラジオをかけていました亡き父は局アナでニュースを読んでいましたお父さん、本当にいい声でしたねお父さんの声がラジオから流れることがお母さんは自慢で仕方なかったみたいですよお父さんが好きだったラーメン屋さんに立
通った小学校にも行ってみましたなんとここもあの頃のままだったのです感激この正門の前で入学式の後、クラス毎に集合写真を撮りました兄も妹も、この小学校に通いました。ここでも敷地内に入って写真撮る不審者当時、市内でも規模の大きなマンモス校でし
卒園した幼稚園を訪ねました外から見ただけですが。前日感激の再会を果たした、K先生と共に過ごした幼稚園です宮崎市内の別の場所にあった幼稚園は私が年長さんのときに、この場所に移転し私はこの園舎で最初の卒園生でしたなんと、当時のままの園舎でしたあ
宿泊しているのは叔父さん(母の弟)の家。叔母さんが仕事で遠征しているので今夜は叔父さんと2人でサシ飲み。父が亡くなった時の話や子供の頃の話など、延々と。お酒も進む叔母さんが不在だから近所で買ってきたものをつまみに。叔母さんの不在中に泊めても
どうしてももう一度行きたくなり今日も祖父母宅へ行きました昨日よりも時間をかけてゆっくり、一部屋ずつ思い出を手繰り寄せました身内が集まると車でいっぱになったお庭ここは、兄と私が生まれた部屋。妹は病院で生まれたのでちょうど時代の境目だった
宮崎市内じゃなく郊外の小さな教会で私は幼児洗礼を受けたそうです0歳児ですから記憶なし。この機会に訪ねてみました。なにしろ一人旅だから効率よくあちこち周れて最高♪割と新しい建物で建て替わったのだろうなと思いながら中に入りました中に進み、気付
ウチの子たちが小学校時代のママ友がご主人のご実家がある宮崎に移住していて会うことが出来ました!娘の同級生のママであり長男の少年野球仲間のママ。元気な笑顔を見た瞬間またまた胸が一杯にバイト先まで押しかけて再会を喜びご馳走までしてもらってからお宅
幼稚園の担任の先生と私をつないでくださったのはなんと去年、夫と共に参加した「マリッジ・エンカウンター」(以下ME)でご一緒したご夫婦でしたあの時は、宮崎からわざわざ東京へいらしてご夫婦でMEのスタッフとして奉仕していらっしゃいました。K先生との感
宮崎2日目の朝、朝ミサに出かけました幼稚園の頃の担任のK先生にお会いするためです当時、頂いたおハガキ。私は5歳で先生は20代でした5歳だった私の心に深く刻まれるほど園児の一人一人を愛してくださった先生でした毎日、降園のとき、園児は一列に並んで
母方のいとこは年齢が近くて一緒に大きくなりました16年ぶりに、急に宮崎を訪ねた私に皆、会いたくて仕方なかったようで 笑平日、仕事の後次の日も朝早くから仕事なのに集まってくれました昔話や近況報告で盛り上がる盛り上がる⤴️⤴️⤴️もう胸が一杯。最高
母の実家である祖父母宅。ほどなく取り壊されるこの家を訪問することが今回、一番大きな目的でしたあぁ、遠くに見えて来た懐かしいおばあちゃんち。母方の祖父母共に、小学校の先生でした宮崎の中でも郊外の田んぼや畑に囲まれたところに家があって学校の長期休
16年前に亡くなったおじいちゃん3年前に亡くなったおばあちゃん叔母さん(母の妹)夫婦が案内してくれて初めてお墓参りに来ました木工デザイナーの叔父さん(母の弟)がデザインした、立派なお墓。子供の頃の思い出が怒涛のように頭を駆け抜けるおじいちゃん、おば
私に幼児洗礼をさずけてくださったイタリア人の神父さまも同じカトリック墓地に眠ります父と結婚するにあたって受洗した母はこの神父様が毎週家に来てくださり洗礼を受けるための勉強をしてくださったのだそうです神父さま、お久しぶりですつい先日も、地元のテレ
父方の祖父母のお墓参りおじいちゃん、おばあちゃん、本当にお久しぶりです子供の頃は、家族揃ってしょっ中お墓参りに来ましたがうちの家族は全員宮崎を離れすっかりご無沙汰になりました同じ場所で、赤ちゃんの私小っちゃい兄このカトリック墓地が出来て
前はシンプルに「宮崎空港」だったのに「宮崎ブーゲンビリア空港」こんな名前になっていましたトイレが南国空港でレンタカーを借りていざ!この看板見るだけで泣けてくるほんとに宮崎に来たんだなぁ
勤めている幼稚園が夏休みで3週間もお休みをいただけることになり最初の1週間は、のんびり専業主婦を楽しみましたが、後半ふと思い立ち『そうだ、宮崎行こう』こんな長期休暇、まずないし前から心の奥でずっと訪ねたいと願っていた宮崎。今がチャンスだ!と思い
帰省中の長男、夫と共に彼のご自宅に挨拶に行きましたシーズン中で、社葬にも出られなかったから。社葬は、現役の社長らしく大勢の人が来てくださり、音楽葬なのでバンドや歌手も呼んでたくさんのお花で見送られ華やかで、芸能人のようでしたでも、亡くなった
夫の友はカトリックではありませんでしたが彼の永遠の安息を願う気持ちで所属教会でミサを頼みましたちょうど長男も帰省していたので家族5人+娘の夫6人揃ってミサに出られたのが本当に良かった社葬の時に飾ってもらった、長男からのメッセージ。長男にとっても、
長男が帰って来た日、娘の夫が我が家にて祖国の料理を作って迎えてくれましたその気持ちが嬉しいねぇしかしお店広げすぎだろう 笑「なんていう料理?」って聞いて何度答えてもらっても覚えられず。でも、とても美味しかった!息子3人になりました
4日間だけの夏休み長男が帰省しました!夫もけんさんも嬉しそう♪
同世代の友人たち老いた親を家に引き取ったり遠方まで定期的に様子を見に行ったり親の近くに転居したり見送ったり・・・私の世代、今はそういう時期なんだなと思います親の経済力は子供に大きな影響を与えます自分の親を、決してないがしろにはしたくないけれど
あれから1ヶ月経ち社葬が執り行われました音楽葬にてお別れの会。都内の大きなホテルに大勢の人が集い私も参列させて頂きました 家族の写真コーナーが胸を打ちました夫は真摯にお客さんに対応していました会社をちゃんとやっていく
SNSで見つけたお祈りです翻訳アプリにて成人した子供がどうしているのか、大丈夫なのか、傷ついているのかがわからないことほど母親を夜眠れなくさせるものはありません主よ、どうか私たちの子供たちを祝福し、安全に守り、私たちに平安と休息を与えてください
「ブログリーダー」を活用して、taki0608さんをフォローしませんか?
青唐辛子の季節。辛いの大好きなのでこの時期にあれこれ仕込んで長期保存。茗荷と一緒に醤油漬け炒めて、大葉味噌赤くなったところは、リンゴ酢と切り昆布でタバスコ風朝から延々とみじん切りにしていたので手を良く洗っても、夕方まで、手のひらがピリ
エゴに留まっている限り傷つけられた自分は人を許すことができないだけどエゴの奥底に隠れている、本来の私にたどりつくと本来の私は、傷ついていない。神の似姿そのまま。だから全く自然に相手を許すことができる。「今はまだ 許せない自分がいる」
乳児院で赤ちゃんのお世話をする道が拓かれましたお友達シスターの修道院が経営している乳児院ですわけあって両親が育てられない赤ちゃんたち。お迎えもなく24時間、ここで暮らしている可愛い可愛い幼子たち揺さぶられます
いとこのお姉さん2人幼い2人20代の2人70代、つい先日の2人いとこって大人になると付き合いは薄くなるけど子供の頃のディープな思い出を共有してるんですよね古いアルバムをめくってみました
遺影は20年前の写真らしいいとこの半分。お姉さんが繋いでくれました
6月8日9年の闘病を経て従姉妹は旅立ちました亡くなる2日前に訪ねたとき「Aちゃん! 昨夜、息苦しくてさ、 死ぬかと思ったわ!」お姉さん・・・渾身の一言すぎる重みが違うから。なんか、ウケたんだけど妹に話したら「ウケるで正解だと思う」と・・・
夫と私が結婚してほどなく私が妊娠すると夫は、当時勤めていた会社を辞めて起業しました。「子供ができるからもう会社を辞められない」と思う人が多いと思うのですが夫の場合は「子供ができる!じゃ、会社辞めなきゃ!」こうでありました。サラリーマン家庭に育
久しぶりのしま◯ら。以前は、定期的にしまパトしていましたがここ1年は、ほとんど行っていませんでした今日ゲットしたのはこちら。本日限定販売の4点セット商品。手持ちの服とも合わせやすい色味。満足です♪
2025年4月30日夫は還暦を迎え同時に長く勤めた会社を退職しました定年というわけではなく自主リストラ的な自ら身を引く、という感じの退職でした長男からの手紙は夫の琴線に触れました
今年も去年と同じチームでプレイすることを選んだ長男。ビッグファンになってくれた4歳児は5歳児になり今年も長男を慕ってくれていました可愛い応援に長男、どれほど励まされ、癒されていることでしょう感謝感謝
父方の従姉妹71歳9年間、ガンと闘っています去年のお正月の記事です従姉妹今、いよいよ腹水が溜まり足が浮腫みモルヒネ対応となりました妹と共に度々訪ねています緊急入院となったときはまだベットに起き上がることが出来ていました忙しい兄も駆けつけま
4月2日実母84歳。妹と一緒にお祝いしましたハワイに憧れている母。行けないまま、この年齢になったのでハワイアンレストランにて 笑母、妹、私妹がいてくれれば母の言動に振り回されることなく穏やかな時間を過ごすことが出来ます妹ちゃん、ありが
新しい教皇様が選んだ名前はレオ14世。教皇レオ13世のこの著書を思うときレオ14世が、どういう方なのか想像することが出来ます素晴らしいリーダーが選出されたように思います11年前の記事↓けんそんのしおり久しぶりに書棚から出して読み直しました
2025年4月16日聖年の巡礼こちらの教会へ。キリストの遺体を包んだ聖骸布の研究で有名な神父様がいらっしゃる教会なので聖堂に、聖骸布のレプリカが展示されていてびっくり。原寸大の、公認レプリカなのだそうです聖骸布こんな聖水を初めて見ました
カトリック界隈の方には広まっていることと思いますがフランシスコ教皇が遺した最後の手紙だそうです↓「この世に私のものは一つもない 」 ― フランシスコ教皇 ― この世の すべての愛する子どもたちへ。 私は今日、 この人生を通り過ぎる者として、 小さな告白
駐日ローマ教皇庁大使館にて弔問記帳。記帳には、パパ様へのメッセージを書くことが出来ました。フランシスコ教皇様が残してくださった、多くのメッセージ、生き方に倣いこれからの信仰生活を信仰の友と一緒に歩んでまいります。記帳に向かう途中、都心の駅で
教皇様帰天の報の直後に連続で発信された、加藤一二三棋士のXが心に響きました・敬愛するフランシスコ教皇の御逝去に心より哀悼の意を表します。全世界の信徒の精神的支柱・揺るぎない希望と信仰の光となり、清貧の内に生き、世界との対話を重視し、御来日の実現など
コメントを頂いて思い出しました感謝です!パパ様、幼少期から教皇になるまで。教皇選出後、初お目見えでバルコニーからのこの「ボナ・セーラ」世界中の信者は本当にびっくりしたのでした。荘厳な祝福とご挨拶ではなく「こんばんはー!」ですから。嬉し
ショックでしたまだショックです聖年の年に全世界に復活祭のメッセージを送って翌日帰天・・・フランシスコ教皇様就任されてから12年の間私たち信徒はどれほど励まされたことでしょう・・・言葉に尽くせぬ感謝です
主の御復活おめでとうございます復活徹夜祭は夫、けんさん、私の3人で。信徒の友の教会は本当に徹夜の祭儀なのだそうです与ってみたいなぁ
長男の野球は好調の様子。チームのSNSや本人から送られてくる画像が楽しみ。バッティング打率417、現在リーグ首位打者に浮上しておりますすごいねぇ守備久しぶりの捕手ですが、盗塁を刺しまくり、お見事。強肩が光っておりますファン私がプレゼントした
聖書100週間、創立50周年感謝の集いがありました過去の卒業生たちも集まり午前中は、懐かしい神父さまを交えて同窓会。お昼をはさんで講話、ミサと長いイベントでした私はけんさんの帰宅時間の関係で最後まで参加出来なかったけれど思いがけず、古い友人たちにも
6月24日夫の無二の友が急逝して1年が経ちました会社でもプライベートでも夫は一周忌イベントを企画開催し連日、帰りの遅かった一周忌週間でしたある日、突然会えなくなってもう1年。でもまだ1年。最近は、彼の似顔絵をプリントしたTシャツを折々に着ていま
瞬間的でしたがすごい豪雨でした外出先から帰宅する途中側溝から溢れる水道路から噴出する水帰宅したら窓の外はこの光景
けんさんは週5私は週3でお弁当です時間があるときに副菜を作って冷凍しておくと朝のお弁当作りが超楽ちん。今の時期、このままお弁当に入れれば保冷剤効果も。
長男の観戦がメインの旅。お世話になっているチーム関係者や寮の仲間にご挨拶出来て本人の様子もわかったしいい旅でしたしかしながら食事は、試合中はコンビニ弁当だったり夜も寮の近くで、適当に済ませたり北の大地ならではの美味しいものは食べる機会なく・・・
バッターボックスに入る前十字を切っているのは見て取れました驚いたのはグラウンド、キャッチャーの定位置のすぐ後ろに毎回足で十字を書いていたこと。ミサにも行かないし私と信仰の話は一切しないでも彼のベースにはあの方がいらっしゃるんだなと思ったら本
ツインルームにエキストラベッドを入れて3人で宿泊。窓からのビューも壮大。ホテルの支配人が、球団関係者で、チェックインの時に、わざわざ挨拶に来てくださり「部屋の冷蔵庫のドリンクご自由にどうぞ」だって!えええ!嬉しい♪ビールいただきました(全部)
3日早く、長男の誕生日祝い。7才で野球を始めたのでもう19年も野球やってるのか。人生のほとんどだね先のことは本人なりに、いろいろ考えているみたい母は、手も口も出せないけど良い人生を。26才おめでとう
観戦記録の途中ですが誕生日のことなど。6月8日。今年は娘夫婦にけんさんをお願いして外でお祝い。食事の後は神宮球場にてヤクルト戦。宮崎の従兄弟から良席チケット譲ってもらいました!夫もエンジョイしておりますまた一つ年齢が上がり結構いい
地元の教会を訪ねました小さな町の小さな教会。突然の来訪者を暖かく迎えてくださいました。けんさんにもすごく優しくて感謝。在籍信徒数は、70名くらいとのこと。主任司祭は、複数の教会を兼任されていてミサは月2回だけで他の主日は集会祭儀だそうです
私にとっては初めての場所。空も空気も、東京とは全然違う!雄大な大地でしたグラウンドに、鹿も出るんだって!大らかに伸び伸びと頑張れ長男
地元の女の子4才が長男のビッグファンになってくれていました長男の名入りタオルにサインをせがまれるスタンドから可愛い声で「Yくんがんばって!」「頑張るよ!」手を振って応える長男長男の名前入りの団扇(ママの手作り)で応援してくれる裏は
守備はキャッチャー。素晴らしい姿を見せてくれました彼は、野球をしている時が一番いい顔をしている野球だけやっててくれたら・・・
5月31日~6月2日けんさんと夫と3人で長男の住む地を訪ねましたちょうどホームグラウンドにて公式戦2試合だったので。全国あちこちで野球している長男ですが今は北の大地にてプレイしています空港でレンタカーを借りて長男と合流後は彼の運転。心
またしてもお久しぶりですブログご無沙汰していた間に信仰の先輩とお食事しながらゆっくり語る機会を頂く。大きな恵みの時でした「教会のご奉仕は人のため。 自分のための勉強や黙想に渇いているんです。」私がそう話したら先輩曰く「その”自分のための
独立リーグも一応プロ野球なのでライブ配信があったりします長男の試合の日はテレビをネットに繋いでYouTube観戦。長男が活躍するとお父さん、ありえない大リアクションで喜びを隠せない様子。ここには決して書けない事ばかりの問題だらけの長男です母
私の出身地、宮崎には両親の兄弟姉妹と従兄弟たちが住んでいて折々に宮崎の名産物を送ってくれます父方の従兄弟からマンゴーが届く♪マンゴー、今年は例年以上に高額だと聞きましたありがたくいただきます!送ってくれたのは父の兄の長男です2人兄弟の弟を5
私の父は転勤族で宮崎→東京→宮崎→福岡→東京・・・と私もあちこち引っ越しました神父さまも転勤族。我が教会はこの春、新しい神父さまが赴任されて1ヶ月経ちましたいろいろありますほんとに、成長させられますマリアさまの月も終わります
娘夫婦が来てパフェを作りました私には、「パフェ作ろう」という発想がないので若い2人が台所で勝手にいろいろやってくれて嬉しいブログも含めてあれこれやりたい事たくさんあるのに時間が足りないとりあえず生存の報告です