前回フェイスブックを五井野宏で始めたことを書きました。 そして、ただ、友達申請が来ても受け付けませんとも書きました。 ただ、書き方が、わかりずらかったかもしれません。 フェイスブックを始めたこともない人もいると
五井野宏でフェイスブックを作りました。これは、宗教と芸術を主体としています。ここで、削除した、次兄と私の歴史も直しながら順次載せていく予定です。もちろん、新しい書き物も載せていきます。もう、ここでは、内部的なことは載せないと言うことでもあり
吉田先生の四十九日も終わり、価値創造学会も取りあえずは中泉理事長を中心に従来と変わらず広宣流布を目指して行くこととなった。理事は多少増え、中泉、黒木、原海、柏腹、角、木田、泉の7人となった。 「太ちゃん、これから先、学会をどのよう
昭和33年年(1958年)河田太作吉田先生が死んだ。吉田先生が死んだ。どう言うことか全く分からない。 吉田先生のあの死に顔はバチが当たった顔にしか見えなかった。まるで大聖人様を迫害した平左衛門尉の死に顔と同じなのではないか。原海の
昭和33年年(1958年)森定君子吉田は亡くなった。学会員は全員驚いてたねえ。まさか死ぬ訳が無いと心から思っていたようだ。あの現実的な太ちゃんでも吉田が死んだのが信じられないようだった。それにあの死に顔。地獄の底を覗いたような顔だった。あれ
データーが無くなってしまったので、何年前に書いたのかわからないのだが、最近ではない。おそらく7〜8年くらい前のものだと思う。この小説は創価学会がモデルだ。週刊ポストで2代会長戸田が亡くなる前後の話が連載されていて、それがずいぶん参考になった
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