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禁煙室 http://kamihikouki.at.webry.info/

長生きしております。昔出会った人の話をほんの少しアレンジして描いています。

新聞屋さんの話は意外と面白いですよ。ミステリーは最後だけ決めて書いていますがなかなか難しいです。戦国時代の小説を書こうと頑張っていますが、実際、時代と人間を見つめると不自然さが目につきます。不自然を天才と奇跡で片付けずに話を進行させていますがなかなか面倒で更新が遅れがちです。

シャム系のミケ
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2008/07/27

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  • 家族はやっぱりイイかな

    久しぶりに姪のハルがやって来た。 「タカオは元気にしているかい。」 ハルの父親のタカオは私の二才年下の弟で一年前に勤めていた会社が倒産し今は多分失業中の筈だ。 「あの時延期していた私の結婚式を再来月に挙げることにしたの。そのご案内にお伺いしました。」 会社の倒産がきっかけでからだを壊した弟は入院し、ハルは日取りの決まっていた挙式を一旦延期していた。 「父はもう還…

  • https://kamihikouki.at.webry.info/201601/article_2.html

    「最近 壁してます」 最近よく壁をしています。 近くに団地があって、空き地があって、大きな工場があって、空き地と工場の境に少し高い壁があります。 それが私なのですが、一日ずっと壁になっているという理由ではありません。 昔はこの公園で遊ぶ子供の一人でした。 こんなふうに言えば何か私が死んでしまっていて、その魂が宿っているとかそんなことを考えてしまうかもしれませ…

  • 「紫の森の赤い木の実」

    「紫の森の赤い木の実」 村の外れの「紫の森」は立入り禁止となっています。元々気味の悪い森だったのであまり人が寄り付くこともない場所でした。 少年タクトは「紫の森」の傍を通りかかったとき突然の大雨に見舞われ仕方なくその森に逃げ込んだのです。 「紫の森」は少し入り込むと薄暗くその中は名前の通り紫の草と木の色に染まっていました。好奇心の強いタクトはその森の少し奥…

  • 異星人4

    私の父は安村秘書の祖父、今は亡き桧垣信太郎に育てられたということだ。 父、大神憲一は戦争孤児となっていたらしい。桧垣信太郎と大神憲一の父、つまり私の祖父は神戸で港湾荷役の仕事を一緒にしていた。 終戦間際の空襲は神戸でもあり、祖父母は父を残して焼夷弾による大火の犠牲となったということであった。苗字は朴といった。祖父は父を桧垣信太郎に預けそして息を引き取ったということで…

  • マーチンのスリラー

    それは昭和の終わりの頃の話です。 父の友人がレコード店の店長をしていて、その頃はもちろんCDは無くてレコードかカセットテープでみんな音楽を楽しんでいる時代で… その頃、父も友人も大阪の東より、奈良や京都が距離的に近く、どちらも小さな山の連なりや峠を越えたところが奈良であり、京都であるというような大阪市内から幾分離れたところに住んでいました。 事件はその頃のその…

  • 異星人3

    韓国の大統領が「竹島」を訪問した。 竹島(独島)の領有権はどうなのか。 この問題を私は至極公平に考えることができる。 それは私の出生の秘密に関わることなのだが、母も知らないことでもあり、真偽のほどが今一つ自信がない。 会社を辞める半年近く前、ある人物が私の父について教えてくれた。 父は韓国人であったということだ。ただし本人も死ぬ直前に知ったらしい。 皮肉なことに、父…

  • 異星人

    母は今年六十四歳になる。今も現役で仕事を続けているがその間に勤め先の仏具店の経営者は2度も代わっている。阿相仏具店という屋号は変わらずに続いているので、親族間の引継ぎだと思っていたがそうではないらしい。 3人目の経営者はそういった業界の経験もなく母任せの店となっている。 そういった環境の所為か年齢のわりに母は金銭的にも比較的優遇されている。 西暦2012年の不況下の…

  • 異星人

    今飲んだのが果たしてビールなのか何なのか。 1990年の乾杯は必ずビールであった。 夏でなくても、酷寒の冬の北国でも。 「ビールですよ、かなり上等です」と彼は言う。 上等だからカロリーが少ないとかプリン体がどうだとか。 「家ではいつも発泡酒で、最近はやっとそれに慣れて」 だからビールがよいのか、発泡酒のほうが良かったのかけっして彼は答えを口にしない。 決めないのだ。…

  • 水都大阪ウルトラマラニック 初参加 これはヤミツキになりそうな

    「狂気風に舞う」一応終了しました。 ところで マラソン大会にエントリーしはじめてこの1年の間で、10キロ、フル、ハーフと3大会に参加しました。 健康のためのダイエット目的が主なので10キロ(堺シティマラソン)のときから基本足きりまでにゴールできればと走っています。 このマラニックも同じように、70キロ11時間を目標に一日走ったり歩いたりで過ごして、ゴールで感動の思…

  • 狂気風に舞う…最終回 次回はまとめのあとがきの予定

    穴山梅雪は従兄弟である武田勝頼と武田の家の存続を誓いあっていた。 最後に勝頼を救おうとした真田昌幸が長男信之にその血を託したように。 梅雪は実の兄弟以上に可愛がっていた五歳下の武田勝頼とともに名門武田家の復興を目指していた。 しかし、その勝頼は3ヶ月前に死んでしまった。 梅雪は主家を無くした多くの武田家の家臣を徳川家康の家臣団に加えてもらった。 武田家滅亡に穴山梅雪…

  • 狂気風に舞う…最終回終盤 早く終わりたいのは山々ですが

    もし、毛利軍と羽柴秀吉が高松城の攻防に本気であったなら、かなり広域となるその水で囲まれた城の周りを秀吉軍が必死で守ることになる。 ここでの勝敗が織田軍の中国進出の要となるのであれば、毛利軍は決死の輜重隊を編制し高松城を救援しなければならない。 しかし実際は大きな戦にはならなかった。ところが毛利軍はこの攻防の為に大部隊で遠征してきている。 この状況で城主の早期の英断が…

  • 狂気風に舞う…最終回中段 秀吉の信長暗殺計画

    「秀吉が高松城を水で囲うと言うている。ただの水攻めではない。いわば湖に浮かぶ城。その美しき風景を是非ともご覧いただきたいと言うておる。」信長が光秀に伝えていた。 すべてはこの話で動き始める。 堅固な城を一瞬のうちに水で囲う、その瞬間を見てみたい。人一倍好奇心の旺盛な信長は全てを忘れて高松城援軍に自らの出陣を決めた。 徳川家康の饗応を任していた光秀にもそのことを忘れ突…

  • 狂気風に舞う…最終回前段②

    天正10年(1582)毛利輝元30歳前の若さである。 18歳から14代毛利家当主となり、東からの狂気の風に徐々に晒され始め、己が身を守るため侵略者織田信長との戦いを余儀なくされていた。 しかし、足利義昭が勝手に舞い込んできたときも、それを機に京に乗り込もうとはしなかった。戦線が延び続け四面楚歌となった信長を上杉、本願寺と組みすることもせずひたすらその領地を守ることだけで…

  • 狂気風に舞う…最終回前段

    毛利輝元という漢も不思議なおとこであった。 天正8年頃から、三木城落城を契機に織田軍との戦いが激しくなったのだが、その頃から輝元は秀吉と連絡をとりあっている。 そして秀吉は中国路の丹後南の細川藤孝とも手を握っていたようである。 帰納法的に本能寺の変以降の秀吉の動きを考えるなら先の予想は妥当だと思われる。 本能寺での信長暗殺に成功した明智光秀が常識で考えるなら、反織…

  • 狂気風に舞う…55 黒田官兵衛は痛風だった

    黒田孝高はこの1年の間に三貫(約10キロ)も体重が増えていた。 ここ10年以上走り回り、秀吉に気に入られてからは文字通り馬車馬の如く働いてきたのであえる。 ところが今回の仕事は今までのものとは緊張感が全く違っていた。 当初、信長様に反旗を翻した荒木村重を考え直すよう説得に行けということだと考えていたのだが、少し感じがちがうのである。 説得に行けと言われたのは確かだが…

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