僕たちの投げた爆竹は、ものの見事にゴリポン兄弟の耳元で、「バーーーン!」という大きな音をたてて爆発した。 ゴリポン兄弟は突然の爆音に驚き、耳を押えてかがみこんだ。間をあけず第2弾攻撃にうつった。お次はロケット花火だ。火を点けて発射ギリギリまで持って
タカヒロの家に戻った僕たちは、表から2階の窓に向かって呼んだ。「おぃ、タカヒロ~。いてるかぁ~」 するとすぐに窓が開き、タカヒロが顔を出した。「どぉなったん、2人とも。やられたん?」僕たちの顔を見たタカヒロが、驚いたように言った。「おぅ
ゴリラたちが公園を出た後、僕は体の痛みを我慢して何とか起き上がった。「くっそぉ、いったいのぉ。いけるかテツぅ」「おぅ、何とか生きてるどぉ。めちゃめちゃ痛いけどなぁ。それよりピモキチは?」「俺もさっき気になって見回したんやけど、どこにも見当た
「ありゃりゃ、うちのチビはかいだるい(情けない)のぉ~」 スーパーゴリゲルゲは、ジャングルジムのてっぺんで腕を組んで座っていた。「兄ゴリ、ちょっと間違ってるど、オデキが弱いんちゃうねん、俺らが強すぎるんじゃぃ」テツが言い返した。「偉そうな事ぬか
オデキの兄貴は僕たちより3つ年上の中学1年生で、隣町では結構有名な不良だった。おまけに一緒に来ている3人も、名前が知られている奴らばっかりだ。「さすがにこれはヤバイなぁ。どぉするよテツ」いくらなんでも少し相手が悪すぎると僕は思った。「ムカツクけ
「おバァチュウチュウ1つなぁ~」僕はそう言いながら”風月堂”と書かれたカンカンの中に、10円玉を1枚放り込んだ。「コラっ、あんた今10円しか入れてないんちゃうんか。チュウチュウは20円やで」タカヒロのおバァがカンカンの中をチェックしながら言った。
ぞろぞろとお供を引き連れて現れたこの男、本当の名前はヒデキというのだが、小学生レベルのダジャレでオデキというあだ名をつけられていた。と言っても、あだ名を付けたのは何を隠そう、この僕だったのだが。 しかしこんなあだ名のやつだが、背が高く顔もゴリラ似で
次の日僕はいつもの第二公園に向かった。その公園は僕たちの集合場所になっていて、そこに行けば誰かしら友達がいた。 僕の家の近所にはいくつかの公園があり、当時はそれぞれの公園に小学生同士の縄張りみたいなものがあった。この第二公園が僕たちの縄張りであり、
「ワレ、反省しとるんかぃ。土下座して謝らんかぃ、ボケぇ」オトンは僕の胸ぐらを掴みながら言った。 そして今度は、これまで色んな人を殴りまくったせいで拳がつぶれてしまっている右手を、思い切り握り締め、その手を振り上げた。 それを見た店長と木村が、これ
「逃げれると思ってたんかい、このクソガキども。諦めて戻ってこんかい。」タカヒロの髪の毛をわし掴みにしながら、ハゲ丸が勝ち誇ったように言った。「イタイ、イタイ。逃げへんから放してやぁ」タカヒロの目から涙がこぼれていた。「あちゃぁ、どん臭いやっちゃの
「テツぅ~何してんねん?」僕は絵の具売り場の棚の前で座っているテツに声をかけた。「これ見てみぃ~。24色入りの絵の具や、見た事ない色が山ほど入っとるどぉ」 テツが手に取っていたのは、当時では一部の金持ちのボンボンしか持つことが出来なかった、24色入りの絵の
チャリンコを全速力でこいだ僕たち三人は、五分後少し古びたスーパーに辿り着いた。入口の自動ドアのガラスには「スーパーもり」と書かれたステッカーが貼ってあった。「テツぅ、ここでええんか?なんかサビれたとこやけど大丈夫かいな」 想像していた感じとはか
今みたいにプレステやらWiiなどというテレビゲームなんてなく、半袖半ズボンの鼻水たらした『クソガキ』がそこら中を走り回っていた1970年代に、大阪の片田舎で僕は生れ落ちた。 両親共働きでそこそこの中流家庭に育ち、まぁどこの家庭に聞いてもほとんどが自分の
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