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  • 柴又帝釈天

    東京の下町、葛飾区に『フーテンの寅さん』で有名な柴又帝釈天があります。 ここの参道には、草団子屋などもあり休みの日などは、観光客でにぎわってます。 この草団子は、美味しくので行くたびに買っています。 中学生の頃は、大晦日に歩いて一人で初詣に行ったりしてました。 帝釈天の建物も結構味があって素敵ですよ。

  • 戦国マイナー武将(関東編)上総武田氏

    1上総武田氏 続き 庁南武田氏二代の宗信は、真里谷本家を助け二度にわたる本家の内証を調停し、庁南武田氏の力を内外に示した。 しかし酒井氏の台頭と、小弓城主原氏との国境争いに骨身を削ったという。 土気城を拠点とする酒井氏の勢力拡大は、武田氏の東上総支配を揺るがせ、北総進出への道を閉ざされることとなり、武田氏にとっては、大きな障害となる存在であった。 ついには、庁南武田氏と直接国境を接する程になった。 又、国境争いで原氏とは争いを引き起こした。 原氏は千葉氏の後ろ盾もあり、戦うたびに退けられていた。 これを見かねた真里谷武田信勝は、足利義明を、奥州から迎え、その声望によって房..

  • 戦国マイナー武将(関東編) 上総武田氏

    1 上総武田氏 昨年の大河ドラマの甲斐武田氏の一族です。 武田氏は清和源氏で、新羅三郎義光の後裔と伝えられています。 鎌倉、室町時代を通じて甲斐守護に任じられ多くの一族が分出しています。 南北朝がひとつになって間もない1416年に「上杉禅秀の乱」が起きた。 禅秀の舅であった甲斐守護の武田信満は禅秀に与して、翌年、鎌倉府の軍勢に攻められて敗れ木賊山で自害した。 武田氏は離散に追い込まれ、甲斐国では、国人層が勢力を拡大していった。 信満の子信長は、宗家を継いだ子の伊豆千代丸を助けて武田氏の勢力回復に努めたがそれは、かなわなかった。 その後「永享の乱」が起きると信長は幕府..

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