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  • 平 将門の足跡を巡る(茨城県坂東市編1)

    随分と更新せずに日々が過ぎてしまいました。 その間に出掛けた所を書いていきます。 今日は将門の史跡を巡る坂東市編です。 最初は国王神社です。 坂東市に鎮座する将門を祭る神社です。 この辺りは将門が戦死した場所と伝えられ、972年に将門の娘である 如蔵尼が亡き父の魂を慰める為に建てたのが、始まりとされています。 鳥広山・石井営所跡 市街から向かい国王神社の手前の交差点を右折するとすぐに 石井営所跡があります。 ここは将門が関東一円を制覇する時の拠点とした所であり、政治、 経済、軍事の拠点であったが940年の藤原秀郷と平貞盛の連合軍との..

  • 上杉謙信

    あの有名な戦国大名 上杉謙信。 彼は、上杉憲政より上杉の姓と関東管領職を譲られ上杉謙信となった。 本来の姓氏は、長尾氏である。 これは、一般に当たり前に知られて、いる事である。 では、長尾氏はどういった出目なのかは、どうだろうか? 長尾氏は、桓武平氏の一族で、鎌倉氏の一族である。 平良文の流れを汲む。 良文はあの平将門の叔父である。 鎌倉氏は、相模国鎌倉郡を中心に勢力を伸ばした武士団である。 長尾の家名は、鎌倉景明の息子で大庭景宗の弟である景弘が 相模国鎌倉郡長尾庄(現在の横浜市栄区長尾台町周辺)に住んで長尾次郎と称した事に始まり、坂東八平氏のひとつに数えられる..

  • 坂東武者・・・平将門

    最近、CS放送の時代劇専門チャンネルに気にいったドラマが・・・ それは、『風と雲と虹と』です。 今をさかのぼる事32年前 1976年の大河ドラマです。 主人公は平 小次郎将門。 主な人物に藤原純友、藤原秀郷などなど。 時は、平安時代中期。 京の貴族社会に弓を引いた史上初めての武士です。 当時の武士は、貴族の用心棒的な、立場だったので、大変な事件でありました。 将門は桓武天皇の子孫で平氏の姓を授けられた高望王の孫。 鎮守府将軍、平良将の子。 下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争に端を発し、関東諸国の国衛を襲い印を奪った事から、朝廷から敵と見なさ..

  • 柴又帝釈天

    東京の下町、葛飾区に『フーテンの寅さん』で有名な柴又帝釈天があります。 ここの参道には、草団子屋などもあり休みの日などは、観光客でにぎわってます。 この草団子は、美味しくので行くたびに買っています。 中学生の頃は、大晦日に歩いて一人で初詣に行ったりしてました。 帝釈天の建物も結構味があって素敵ですよ。

  • 戦国マイナー武将(関東編)上総武田氏

    1上総武田氏 続き 庁南武田氏二代の宗信は、真里谷本家を助け二度にわたる本家の内証を調停し、庁南武田氏の力を内外に示した。 しかし酒井氏の台頭と、小弓城主原氏との国境争いに骨身を削ったという。 土気城を拠点とする酒井氏の勢力拡大は、武田氏の東上総支配を揺るがせ、北総進出への道を閉ざされることとなり、武田氏にとっては、大きな障害となる存在であった。 ついには、庁南武田氏と直接国境を接する程になった。 又、国境争いで原氏とは争いを引き起こした。 原氏は千葉氏の後ろ盾もあり、戦うたびに退けられていた。 これを見かねた真里谷武田信勝は、足利義明を、奥州から迎え、その声望によって房..

  • 戦国マイナー武将(関東編) 上総武田氏

    1 上総武田氏 昨年の大河ドラマの甲斐武田氏の一族です。 武田氏は清和源氏で、新羅三郎義光の後裔と伝えられています。 鎌倉、室町時代を通じて甲斐守護に任じられ多くの一族が分出しています。 南北朝がひとつになって間もない1416年に「上杉禅秀の乱」が起きた。 禅秀の舅であった甲斐守護の武田信満は禅秀に与して、翌年、鎌倉府の軍勢に攻められて敗れ木賊山で自害した。 武田氏は離散に追い込まれ、甲斐国では、国人層が勢力を拡大していった。 信満の子信長は、宗家を継いだ子の伊豆千代丸を助けて武田氏の勢力回復に努めたがそれは、かなわなかった。 その後「永享の乱」が起きると信長は幕府..

  • 館山に行った

    館山に行きました。 と、言っても何ヶ月か前の話ですけどね。 目的は、館山城と、安房神社を見る事。 館山城は、館山市内の小高い山の上にありました。 ここからは、海が一望できとても良い眺めでした。 この城は江戸時代に滝沢馬琴が書いた『南総里見八犬伝』で有名な、 安房里見氏の9代目義康が天正16年に築いた城です。 元々、里見氏は清和源氏で群馬県の新田荘に住み新田氏を名乗っていたが、群馬の里見郷に移り住み里見氏と称したらしい。 里見家基の時、茨城の小原に移り、関東公方足利持氏に仕えたが、結城合戦で戦死し、その子義美は、神奈川の三浦に逃れて三浦氏の援助により安..

  • 『鹿男あをによし』明日香に思いを寄せて その2

    遅くなりました。 明日香訪問の続編です。 その日は、寒く、低いどんよりとした雲のある日で案の定、 雪がパラパラと舞い落ちてきました。 甘樫の丘をあとにして、川原寺跡?へ・・・・・ 伽藍配置の礎石が並んでいました。 国分寺跡とかでもいつも思うのですが、建物が無く古びた礎石だけが 残っていると言いようのない気持ちになります。 次は石舞台古墳へと向かいました。 古墳の盛土が無く、石室が完全に露出しています。 確かに大きいです。 石室に入ってみると広いです。 蘇我馬子の墓と云われていますが、確証はないそうです。 そして、ここの駐車場で無人売店で買ったミカンを食べま..

  • 『鹿男あをによし』明日香に思いを寄せて

    奈良を舞台にしたテレビドラマ『鹿男あをによし』。 奈良を中心にロケが行われているのだろうが、先日、明日香でロケが行われたとのこと。 それで思い出しました。 7年程前に一度だけ行った事がある事を・・・・ それは関西出張中の間に挟まれた日曜日でした。 ただ一人奈良にいてもやる事は無い。 「観光しよう」決まりです。 前から一度行ってみたかった明日香に行くことに決めました。 遠い昔、手塚治虫の『三つ目がとおる』をよく読んでいてとても興味があったからです。 時は冬、雲は低くどんよりとしていました。 亀石や酒船石、鬼の雪隠など用途不明の石造物。 狭い地域に密集する..

  • 今日から始めるぞ

    やっとブログの登録が済み、ぼちぼち始めよう。 日記なんて書いたことないけど、どうなることやら? 神社や城の話が多くなる事は間違いないかな。

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