それにしてもなぜ鳥羽か? 過去三代の院政では鴨川の東に院政の根拠地を置くか、もしくは、平安京の真南にある鳥羽の地に身を寄せた。 なぜ独自の根拠地を持たなけれ…
源頼朝の手にした征夷大将軍の称号は武家のトップの称号ではない。天叢雲剣の新たな形代こそ征夷大将軍という称号であった。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時
<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書
建久六(一一九五)年六月二五日、鎌倉幕府の面々が鎌倉へと出発した。 表向きの目的である東大寺再建供養への参列は果たしたが、真の目的である大姫入内は果たせなか…
鎌倉幕府の面々が上洛したのは、主目的は源頼朝の娘を入内させることであったものの、表向きは東大寺再建供養への参列である。東大寺再建供養が終わっても京都に留まり…
京都を発って四天王寺に向かい一泊二日で戻ってきた、それも、どんなに少なく見積もっても一万人を超える人数が一泊二日で戻ってきたとあって、京都内外に鎌倉幕府の実…
建久六(一一九五)年五月一八日、鎌倉幕府の一行は四天王寺へ向けて出発することを決めた。それも、鎌倉武士達にとっては珍しく、水路での移動であった。淀川に船を浮…
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先に、東大寺再建供養の場に大仏鋳造責任者となった宋人の陳和卿も、そして、東大寺復旧工事の総責任者である重源上人もいなかったことは記した。 陳和卿についてはそ…
娘を入内させることを目論む源頼朝にとって障壁となっていた九条兼実が障壁で無くなり、宣陽門院に協力したことで丹後局高階栄子のバックアップも得ることに成功したこ…
九条兼実にとっては、長講堂領荘園の権利確認そのものが政治的に痛い話であった。私有財産への侵害だけでも問題であるのに、後白河法皇の保有する資産の相続に口出しし…
源頼朝が狙っていたのは娘の入内である。 とは言え、仮に九条兼実が政治的ミスをやらかしていなかったならば、源頼朝は九条兼実との離反を考えはしなかったであろう。…
そのあたりの答えは建久六(一一九五)年四月一日の九条兼実の日記にある。九条兼実はこの日も源頼朝と面会したことは書いているが、そこにあるのはかつてのような友好…
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ただし、源頼朝にしてみれば高階栄子に対する接近は必ずしも最良とは言い切れない。高階栄子は九条兼実に対抗する勢力の中心である土御門通親こと源通親と親しく、この…
さて、その大前提となるのが大姫を後鳥羽天皇のもとに嫁がせることであるが、結論から言うと難航した。 入内といっても大姫が皇后や中宮に立后されることは難しい。そ…
源頼朝とて、京都の貴族達から向けられている視線を理解していないわけはない。とは言え、そのまま放置することを良しとするほど無神経ではない。 人間、脳内に作り上…
このことは源頼朝も当然ながら知っている。 式典の翌日である建久六(一一九五)年三月一三日、源頼朝は復旧工事に尽力した陳和卿への面会を求めたが、陳和卿はそれを…
僧兵と鎌倉武士との間で諍いが起こる寸前に至ってから時間が少し経過してから、後鳥羽天皇や九条兼実をはじめとする貴族達も大仏殿に到着し、未刻というから現在の時制…
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なお、先頭を務める和田義盛と、最後尾を務める梶原景時の両名は、儀仗兵を務める直前まで警備に専念しており、儀仗兵の列を作る直前になって警備から離れている。つま…
そして、源頼朝もこのときばかりはあくまでも一人の貴族として、すなわち、前権大納言として東大寺に参詣しており、周囲をかためる武士達が鎌倉幕府の御家人であるとい…
鎌倉幕府の一行が石清水八幡宮を出発したのと同じ建久六(一一九五)年三月一〇日、後鳥羽天皇が京都を出発して奈良に向かった。 陰陽道に従えば行幸の吉日ではないが…
建久六(一一九五)年三月一〇日、鎌倉幕府の一行が石清水八幡宮を出発し、奈良の東南院に到着。ここを鎌倉幕府の一行における奈良での滞在地とし、東大寺の落慶供養に…
なお、実際には辞表受理となっていないために現役の征夷大将軍であり続けているが、源頼朝自身は前年に征夷大将軍を辞したと考えていることもあってか、武士としての移…
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建久六(一一九五)年の正月に予定していた東大寺再建供養は三月へと延期になっており、正式な再建供養は三月一二日に開催することが決まった。 現在だと京都から奈良…
これらの史料に基づくと、二度目の上洛行は以下の通りとなる。 鎌倉幕府の一行が鎌倉を出発したのは、吾妻鏡によると建久六(一一九五)年二月一四日の、巳刻というか…
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それにしてもなぜ鳥羽か? 過去三代の院政では鴨川の東に院政の根拠地を置くか、もしくは、平安京の真南にある鳥羽の地に身を寄せた。 なぜ独自の根拠地を持たなけれ…
石清水八幡宮に到着した後、後鳥羽上皇がどのように過ごしたかの記録も残っている。すなわち、石清水八幡宮に参拝した後、巫女の里神楽を奉納し、大僧都弁暁が導師とし…
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日を改めるともっと困惑する記事が出てくる。 建久九(一一九八)年二月一四日、後鳥羽上皇が石清水八幡宮へ御幸することとなった。これだけならば問題ない。上皇が石…
藤原定家が呈している苦言の全てを受け入れるわけにはいかないが、受け入れなければならない苦言もある。 院政開始前から周囲に人を集めていたこともあって、一九歳に…
もっとも、実際の後鳥羽上皇はそれなりに政務も執っていたはずであり、藤原定家がこうした後鳥羽天皇の日常の過ごし方について苦言を呈しつつ書き記しているのも、上皇…
さて、ここまで後鳥羽上皇ではなく後鳥羽院と記してきたのには理由がある。 実は、天皇を退位すると同時に上皇となるのではない。天皇退位の後に太上天皇の尊号が奉ら…
土御門天皇の治世が始まったことで新帝の外祖父となり、院政を始めた後鳥羽院の院司となった土御門通親こと源通親の権勢は頂点を極めるはずであった。 しかし、後鳥羽…
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同日、後鳥羽天皇が退位して為仁親王に帝位を譲ったのである。土御門天皇の治世のスタートであり、後鳥羽院の院政のスタートの瞬間でもあった。 土御門天皇はまだ三歳…
建久九(一一九八)年一月五日、権大納言土御門通親が後院別当に就任することが発表された。後院別当とは、字義だけを捉えれば天皇の退位後の住まいの管理人であるが、…
後鳥羽天皇の即位の状況はこの時代の人であれば誰もが知っている。ゆえに、帝位に就く資格を有しながら弟に追い抜かれた守貞親王と惟明親王のことは、この時代の人であ…
建久八(一一九七)年の年末時点での鎌倉幕府の継承は理論上の話であったが、それよりはるかに大きな継承、すなわち、皇位継承は現実味を帯びてきていた。かなりの可能…
吾妻鏡の欠落のために、昔から議論の起こる話がある。 源頼家はいつから源頼家と名乗るようになったのかという話である。 源頼家の幼名が万寿であることは誰も異論が…
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大姫を失った源頼朝は三幡を入内させようとしたものの入内させられずにおり、様々な手段を練って朝廷に食い込もうとしているものの上手くいかずにいる。 これは源頼朝…
しかし、建久八(一一九七)年九月一〇日、藤原範季の娘の藤原重子が後鳥羽天皇の皇子を産んだことで、藤原範季は土御門通親に続いて後鳥羽天皇の皇子の祖父となった。…
藤原秀衡が公的に認めているわけではないが、奥州藤原氏の根拠地である平泉に源義経がいるらしいことは確実である。 ならば平泉まで誰かを派遣して源義経を連れ戻せば…
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さらに源義経には奥州藤原氏が欲していたもう一つの弱点である軍勢指揮能力が存在する。源義経は軍勢を率いて平泉に戻ってきたのではなく、単身とまでは言えないにして…
トップですら従五位上という特筆することのない位階である奥州藤原氏は、いかに財力を有していても朝廷とまともな交渉をすることもできないのが現状なのだ。位階を得て…
奥州藤原氏にとっての源義経は貴重な切り札であった。承安四(一一七四)年に鞍馬寺を出て新天地を求めた源義経を奥州藤原氏が受け入れたのも、源義経が源義朝の実子で…
先に、源平合戦は奥州藤原氏にとって勢力拡張のチャンスであったと記した。そして、関東地方はともかく日本海沿岸に沿って軍勢を進めるチャンスがあったと記した。ただ…
日本国内に目を向けると、奥州藤原氏が無視できない存在として目に入る。 奥州藤原氏の本拠地である平泉は日本海より太平洋のほうが近い土地であるが、奥州藤原氏自身…
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源平合戦期の日本は奇跡が二つ起こっている。 一つは国外からの侵略を受けなかったこと。 そしてもう一つが、奥州藤原氏が特筆すべき動きを見せなかったことである。…
後鳥羽天皇の教育をきっかけとして自身の栄達を成し遂げようとする貴族達がいる一方、既に権勢の側に加わっている貴族達は政務を遂行しつつあった。 その中心となって…
源義経の在処が奥州平泉であることが判明しつつある頃、京都では一つの騒動が起こっていた。騒動の中心は例によって例の如く後白河法皇である。 後白河法皇の寵愛する…
文治三(一一八七)年二月一〇日、鎌倉に衝撃的な情報が届いた。 源義経の消息が判明したというのだ。なお、この時点では未確認情報であり、断言とはなっていない。 …
年が明けた文治三(一一八七)年一月、未だ源義経の消息は把握できずにいる。しかし、源義経の逃げ道は、一つ、また一つと封鎖されていた。源義経を捉えよとの院宣が発…
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結果はどうあれ、少なくとも京都の貴族達の間では、源義経に対して公然と協力するという光景が消失した。ただし、既に一年以上にも亘って動静が不明となっている源義経…
京都で起こっていたのは、位階は持っていても役職は持っていない、すなわち公的には権力を持たないはずの源頼朝に対する忖度であった。源頼朝に率先して従うことが自分…
北条時政に代わるために一条能保が京都に送り込まれたのち、一条能保が京都で調査をし、一条能保がまとめた調査結果を鎌倉に送り、鎌倉の源頼朝から京都の一条能保へと…