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剣の形代(つるぎのかたしろ) 87/239
建久六(一一九五)年六月二五日、鎌倉幕府の面々が鎌倉へと出発した。 表向きの目的である東大寺再建供養への参列は果たしたが、真の目的である大姫入内は果たせなか…
2024/02/29 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 86/239
鎌倉幕府の面々が上洛したのは、主目的は源頼朝の娘を入内させることであったものの、表向きは東大寺再建供養への参列である。東大寺再建供養が終わっても京都に留まり…
2024/02/28 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 85/239
京都を発って四天王寺に向かい一泊二日で戻ってきた、それも、どんなに少なく見積もっても一万人を超える人数が一泊二日で戻ってきたとあって、京都内外に鎌倉幕府の実…
2024/02/27 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 84/239
建久六(一一九五)年五月一八日、鎌倉幕府の一行は四天王寺へ向けて出発することを決めた。それも、鎌倉武士達にとっては珍しく、水路での移動であった。淀川に船を浮…
2024/02/26 18:00
タイムマネジメント 11
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2024/02/25 18:00
染色(6)
おじいちゃんといっしょ 徳薙 零己[著] Amazon Kindleインディーズマンガにて無料公開中! S…
2024/02/24 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 83/239
先に、東大寺再建供養の場に大仏鋳造責任者となった宋人の陳和卿も、そして、東大寺復旧工事の総責任者である重源上人もいなかったことは記した。 陳和卿についてはそ…
2024/02/23 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 82/239
娘を入内させることを目論む源頼朝にとって障壁となっていた九条兼実が障壁で無くなり、宣陽門院に協力したことで丹後局高階栄子のバックアップも得ることに成功したこ…
2024/02/22 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 81/239
九条兼実にとっては、長講堂領荘園の権利確認そのものが政治的に痛い話であった。私有財産への侵害だけでも問題であるのに、後白河法皇の保有する資産の相続に口出しし…
2024/02/21 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 80/239
源頼朝が狙っていたのは娘の入内である。 とは言え、仮に九条兼実が政治的ミスをやらかしていなかったならば、源頼朝は九条兼実との離反を考えはしなかったであろう。…
2024/02/20 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 79/239
そのあたりの答えは建久六(一一九五)年四月一日の九条兼実の日記にある。九条兼実はこの日も源頼朝と面会したことは書いているが、そこにあるのはかつてのような友好…
2024/02/19 18:00
タイムマネジメント 10
2024/02/18 18:00
染色(5)
2024/02/17 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 78/239
ただし、源頼朝にしてみれば高階栄子に対する接近は必ずしも最良とは言い切れない。高階栄子は九条兼実に対抗する勢力の中心である土御門通親こと源通親と親しく、この…
2024/02/16 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 77/239
さて、その大前提となるのが大姫を後鳥羽天皇のもとに嫁がせることであるが、結論から言うと難航した。 入内といっても大姫が皇后や中宮に立后されることは難しい。そ…
2024/02/15 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 76/239
源頼朝とて、京都の貴族達から向けられている視線を理解していないわけはない。とは言え、そのまま放置することを良しとするほど無神経ではない。 人間、脳内に作り上…
2024/02/14 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 75/239
このことは源頼朝も当然ながら知っている。 式典の翌日である建久六(一一九五)年三月一三日、源頼朝は復旧工事に尽力した陳和卿への面会を求めたが、陳和卿はそれを…
2024/02/13 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 74/239
僧兵と鎌倉武士との間で諍いが起こる寸前に至ってから時間が少し経過してから、後鳥羽天皇や九条兼実をはじめとする貴族達も大仏殿に到着し、未刻というから現在の時制…
2024/02/12 18:00
タイムマネジメント 9
2024/02/11 18:00
染色(4)
2024/02/10 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 73/239
なお、先頭を務める和田義盛と、最後尾を務める梶原景時の両名は、儀仗兵を務める直前まで警備に専念しており、儀仗兵の列を作る直前になって警備から離れている。つま…
2024/02/09 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 72/239
そして、源頼朝もこのときばかりはあくまでも一人の貴族として、すなわち、前権大納言として東大寺に参詣しており、周囲をかためる武士達が鎌倉幕府の御家人であるとい…
2024/02/08 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 71/239
鎌倉幕府の一行が石清水八幡宮を出発したのと同じ建久六(一一九五)年三月一〇日、後鳥羽天皇が京都を出発して奈良に向かった。 陰陽道に従えば行幸の吉日ではないが…
2024/02/07 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 70/239
建久六(一一九五)年三月一〇日、鎌倉幕府の一行が石清水八幡宮を出発し、奈良の東南院に到着。ここを鎌倉幕府の一行における奈良での滞在地とし、東大寺の落慶供養に…
2024/02/06 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 69/239
なお、実際には辞表受理となっていないために現役の征夷大将軍であり続けているが、源頼朝自身は前年に征夷大将軍を辞したと考えていることもあってか、武士としての移…
2024/02/05 18:00
タイムマネジメント 8
2024/02/04 18:00
染色(3)
2024/02/03 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 68/239
建久六(一一九五)年の正月に予定していた東大寺再建供養は三月へと延期になっており、正式な再建供養は三月一二日に開催することが決まった。 現在だと京都から奈良…
2024/02/02 18:00
剣の形代(つるぎのかたしろ) 67/239
これらの史料に基づくと、二度目の上洛行は以下の通りとなる。 鎌倉幕府の一行が鎌倉を出発したのは、吾妻鏡によると建久六(一一九五)年二月一四日の、巳刻というか…
2024/02/01 18:00
2024年2月 (1件〜100件)
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