若き数学者への手紙 (ちくま学芸文庫)作者:イアン スチュアート筑摩書房Amazon 数学エッセイの名手イアン・スチュアートが、メグという女性に向けた手紙、という形式の一冊だ。メグとの関係ははっきり書いていないが、親戚のおじさんが同じ道に進んだかわいい姪っ子に手紙を書いているような、温かい文章になっている。タイトルはリルケの『若き詩人への手紙』の本歌取りかと思いきや、解説によれば、下敷きになっているのはハーディという数学者の『ある数学者の弁明』なる本とのこと。それはともかく、本書には数学がいかに魅力的で、役に立つもので、つまりは生涯を捧げるに足るものであるかが繰り返し書かれている。著者によれば…
琥珀のまたたき (講談社文庫)作者:小川 洋子講談社Amazon その3人のきょうだいの生活は、いとおしくて、せつなくて、こわれやすいものでした。末の娘を亡くした母は、娘は「魔犬」によって命を奪われたと思い込み、残りの3人の子どもを、別荘に住まわせ、そこから出ることを禁じます。魔犬の追跡を逃れるため、オパール、瑪瑙、琥珀と名前を変え、囁くような小さな声で会話する。テレビもゲームもなく、あるのは別荘とともに父が遺した、何冊もの図鑑だけ。そんな閉ざされた空間で3人のきょうだいが営む独特の生活を、本書はいつくしむように綴っています。「オリンピックあそび」「事情あそび」といったユニークな遊びを考案した…
オキーフ NBS-J (ニューベーシック・シリーズ)作者:ブリッタ・ベンケタッシェン・ジャパンAmazon 本書はアメリカの画家ジョージア・オキーフのハンディ・サイズの画集です。「ニュー・ベーシック・アート・シリーズ」というシリーズの一冊で、どうやら版元はドイツのよう。日本でいえば「もっと知りたい○○」のような位置づけでしょうか。ちなみに日本語に翻訳されていますが、なぜか翻訳者の名前がどこにも書いてありません。オキーフは、展覧会があったら絶対に行きたい画家の一人です。花の絵、ニューヨークのビル街、抽象画、いずれも絶品で、特に巨大な花の絵の質感と美しさは圧巻です。「リアリズムほどリアルでないもの…
日本人と山の宗教 (講談社現代新書)作者:菊地 大樹講談社Amazon 山は異界。山中他界。神は山から里にやってくるのであり、人が山に入る時は、それなりの儀式や儀礼が必要。これまで、主に民俗学において、山はそのように捉えられてきました。また、山は修験道の修行の場でもあり、修験者、あるいは山伏と言われるその人たちは、異界である山の中で、人智を超えた能力を身につけると言われています。本書は、そうした従来の「山中異界観」「山岳信仰観」に大きく修正を迫る一冊です。著者が注目するのは、仏教の存在です。もともと修験道は道教や仏教、日本古来の信仰が混淆したものとされていますが、その中で、仏教の影響は、それほ…
海を抱いて月に眠る (文春文庫 ふ 47-1)作者:深沢 潮文藝春秋Amazon 「在日文学」という言い方は大雑把すぎてあまり好きじゃないが、こういう本を読むと、やはりこれは「在日文学」という表現が一番ふさわしいと思えてくる。頑固で横暴なだけと思っていた父の意外な過去を知り、父の内面に向き合っていく梨愛。その歴史は、まさに韓国が辿ってきた苦難の道のりそのものだった。そして、父の人生を通じて、梨愛は朝鮮戦争、朴正煕のクーデター、金大中の拉致事件などに翻弄され続けてきた在日一世の歴史を知るのである。そうした苦難の歴史は非常に読み応えがあったが、それにしても父親は不器用すぎだろ、とも思えてならない。…
星の子 (朝日文庫)作者:今村 夏子朝日新聞出版Amazon 新興宗教にハマっていく両親、家を飛び出した姉、学校や宗教のコミュニティでのやりとり。どれも、中学生の「わたし」の視点で描かれています。会社員だった父は仕事を辞め、家は引っ越しを繰り返すたびに狭くなり、両親は何年も着ている緑色の上下のジャージでどこにでも出かけ、近所の公園で二人で謎の儀式をしている。まあ、客観的に見れば、「わたし」が置かれているのは、かなり悲惨な状況です。たぶん、着ている服だってそんなにきれいではないでしょう。なにしろ家には修学旅行に行くためのお金もなく、父の弟がかわりに払ってくれるくらいですから。しかし、そういう「客…
52ヘルツのクジラたち作者:町田そのこ中央公論新社Amazon キリ番です。だからといって特になにもないのですが、キリ番にふさわしい本になりました。それほどに、心に沁み入る本でした。こういう本が売れる今の日本は、まだまだ捨てたもんじゃありません。主人公の「キナコ」は虐待サバイバーです。母から壮絶な虐待を受け、難病を患う義父の介護までさせられていたキナコは、アンという人物の助けでそこから救い出されます。しかし、その後のいろんなこと(ネタバレになるので詳細は伏せますが)を経て、大分の片田舎に来ても、表面上は普通に振る舞っていますが、キナコの内面は死んだままなのです。そんなキナコは、かつての自分と同…
その日の墨 (河出文庫)作者:篠田 桃紅河出書房新社Amazon 100歳を超えてなお現役書家として活躍し続けた著者による随筆です。ちなみに昨年3月、お亡くなりになりました。享年107歳。合掌。この人がすごいのは、単に高齢になっても書を続けたというだけでなく、常に前衛的で、実験的な書を生み出し続けたことだと思います。その創造力とエネルギーの源がどこにあったのかが、書かれた文章からだけでも伝わってきます。とにかくこの人には、妥協がありません。好きなモノは好き、嫌いなモノは嫌い。生涯独身を通し、どこでも着物で出かけ、あらゆる権威に背を向けた。「とって置きの言葉」という随筆が、そうした著者のありよう…
そして、バトンは渡された (文春文庫)作者:瀬尾 まいこ文藝春秋Amazon 優子の最初の母は亡くなり、父が再婚。2番目の母が来たところで、最初の父が海外赴任。2番目の母と暮らしていたが、再婚。2番目の父の家に引っ越す。その後、2番目の母は家を出て、優子は2番目の父の家に残る。その後、2番目の母が再婚し、優子は3番目の父のもとに。でも、2番目の母はまたもや家を出て、優子は3番目の父と暮らすことになる。ああ、ややこしい。でも、優子をいじめたり虐待したりする親は一人もいない。優子はみんなから愛情を注がれ、すくすくと育つ。え、そんなんで小説になるの?と思いながら読んだけれど、これがたいへん素晴らしい…
アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)作者:伊坂 幸太郎東京創元社Amazon 大学に入ったばかりの「僕」が、隣の部屋に住む青年に「一緒に本屋を襲わないか」と言われる「現在」のパートと、ペットショップに勤める「わたし」とブータン人のドルジが「ペット殺し」の三人組と出会う「二年前」のパート。過去と現在が交互に語られます。そこに共通して登場するのが、河崎という名前の人物なのですが、これが伊坂幸太郎らしい、トリッキーな人物。こういう「したり顔で不思議なことを語る人物」を描かせると、この人はやはりうまいですね。ペット殺しの連中のような邪悪なキャラクターも登場しますが、基本的に物語は、穏やかに、飄…
線は、僕を描く作者:砥上裕將講談社Amazon ひょんなことから水墨画の世界に飛び込んだ大学生、青山霜介の成長を描いた一冊です。水墨画の奥深さをめぐる絶妙のアート小説で、両親を事故で亡くした主人公の精神の回復の物語で、水墨画の賞にまつわるバトル小説で、主人公と友人たちの交流を描く友情小説でもあります(友人の古前君のキャラがけっこう好きです。森見登美彦さんの小説に出てきそう)。いろんな魅力がありながら、全部がバランスよくまとまっているのも素晴らしいと思います。そして、これらすべてを支えているのが、水墨画に関する圧倒的なリアリティ。その技法から精神面に至るまでの説得力はハンパじゃありません。こんな…
ヒトを食べたきりん作者:まちゅまゆ集広舎Amazon 幻想的でグロテスク、でもどこかかわいい「まちゅまゆ」さんの絵が、さいきん気になっています。個展は終わってしまったようなので、まちゅまゆさんの描いた絵本を読んでみました。人づきあいが不器用なキリンの、かなしいかなしい物語。ちょっとした誤解がもとで、まわりからどんどん追い込まれ、ついにヒトを食べてしまう。そして最後の絵は、無人。キリンはどこにいってしまったのでしょう。絵は、おそらくカンバスに描かれたものをそのまま使っているのでしょう。布地の質感や絵の具の厚みがリアルに感じられ、これはやはり、現物を見に行かなければ,と思いました。まちゅまゆさんの…
日没作者:桐野 夏生岩波書店Amazon 「社会に不適合」とされる作家を収容し、矯正させる施設が舞台のディストピア小説です。監禁され、支配される恐怖が、とにかくこれでもかとばかりに描かれます。特に食事やトイレなどの生活のディテールがおそろしくリアルで、読むだけでも精神的に追い詰められ、「助けてください」と叫びたくなります。そんな中でも作家としての矜持を曲げず戦う主人公のマッツ夢井は、著者自身の投影でしょうか。まあ、考えてみれば、反社会的とされる小説や、著名人への発言へのバッシングが繰り返され、「炎上」によって簡単に社会的に抹殺されてしまう現代社会こそ、本書で描かれた収容施設そのものなのかもしれ…
方舟作者:しりあがり寿太田出版Amazon 降り続く雨。水位は次第に上昇し、家が、ビルが、人が、少しずつ水に沈んでいく。不安を直視できず、バカ騒ぎを続けるテレビ。棒読みの「公式発表」を繰り返す政府。そんな中、突然出現する「方舟」。ハミガキのキャンペーンのために作られた舟に、大勢の人が殺到する。しかし、食べ物も水もなく、舟の上にいる人たちもまた、次々に死んでいくのだ。聖書に描かれたノアの方舟は、信心深いノアの家族を救うが、しりあがり寿の描く終末では、誰も救われない。長い雨がやみ、死体が転がる舟の上に、広がる星空。水底のビル街を漂う、人々のむくろ。未来が失われた人類のために描かれた、とびきり美しい…
夜明けのすべて作者:瀬尾まいこ水鈴社Amazon 以前から気になっていた本です。障害がひとつのテーマと聞いていたので、ぜひ読まねば、と思っていました。主人公は、PMS(月経前症候群)の藤沢さん、パニック障害の山添くん。二人とも、周囲になかなか理解されない障害を抱え、そのため勤めを辞めたり、生活が大きく変わったりしてきました。そんな二人が出会い、お互いのことを知るうちに、相手だけではなく、自分自身のもつ障害についての理解も深まっていくところが面白いです。そして「2年間笑ってこなかった」山添くんは藤沢さんのおかげで笑うようになり、月経前になると怒りをコントロールできない藤沢さんは、山添くんによって…
銃とチョコレート (講談社文庫)作者:乙一講談社Amazon ロイズ。ゴディバ。リンツ。ドゥバイヨル。モロゾフ。ブラウニー。ガナッシュ。共通点は何か、わかりますか?答えは、チョコレート。どれもチョコのブランドか、チョコを使った菓子の名前です。そして、これらはすべて、本書の登場人物の名前でもあります。この小説の登場人物は「チョコがらみ」なのです。さらに言えば、出てくる地名もチョコ関連。徹底しています。主人公の少年リンツは、亡き父の形見の聖書から出てきた一枚の地図がきっかけで、名探偵ロイズと怪盗ゴディバの戦いにかかわっていきます。ところが、展開は意外に意外を重ね、予想は次々に裏切られます。正しいと…
絵を見る技術 名画の構造を読み解く作者:秋田麻早子朝日出版社Amazon 「君は見ているけど、観察していないんだ、ワトソン君」シャーロック・ホームズの名台詞が冒頭に掲げられているのは、ダテではない。本書が解説しているのは、絵を「観察するように見る」ための手法である。実際、本書を読み始めてすぐに、今まで自分がいかに絵を漫然と見てきたかを思い知らされた。絵の主役「フォーカルポイント」への着目、そこからの視線の動きを誘導する仕掛け、バランスをとるために置かれたアイテム、色の組み合わせ、そして周到に仕組まれた構図。名画と呼ばれるような絵ほど、偶然の一致ではとても済まされないくらい、驚くべき仕掛けに満ち…
はじめてのスピノザ 自由へのエチカ (講談社現代新書)作者:國分功一郎講談社Amazon この間、熊谷晋一郎との対談を読んで気になったので、単著を読んでみました。それに、スピノザは、今までとっつきづらいイメージがあって敬遠していたのですが、対談の中で解説されていたスピノザの自由論がとても魅力的だったので。カツアゲの例えが面白いですね。銃をもった相手から「カネを出せ」と脅されて、自らポケットに手を入れて金を渡す「私」の行為は、さて能動か受動か(これじゃカツアゲというより強盗ですが)。行為それ自体だけを見れば、カツアゲされているとはいえ「自らポケットに手を入れてお金を渡す」わけですから、これは能動…
涙香迷宮 (講談社文庫)作者:竹本健治講談社Amazon ※ややネタバレに近い記述があります。未読の方はご注意ください。いろは歌、というのがありますね。いろはにほへと、ちりぬるを・・・・・・という、旧仮名遣いの48音すべてを一度だけ使った「歌」のことです。本書はこの「いろは歌」が主役のひとつとなっています。それも、なんと48通りの「いろは歌」が次々に披露され、どれもが歌としてもおもしろく、その上、その中に暗号が仕込まれているのです。まあ、驚天動地というか、前人未到というか。その凝りようは、暗号ミステリの中でもトップクラスです。そして、もうひとつの主役が黒岩涙香という人物です。明治時代に活躍し、…
三つの物語 (光文社古典新訳文庫)作者:フローベール光文社Amazon フローベール晩年の短編3篇が収められています。フローベールは長編小説が有名ですが、短編も素晴らしいですね。中でも「聖ジュリアン伝」はものすごい。実はこの作品はポプラ社の「百年文庫」にも収録されており、読むのは2度目なのですが、やはりこれは頭抜けた傑作だと感じます。人間のもつ善と悪の極限を描き切り、しかもその両者がみごとに統合されている。思い出すのは、予言と宿命に翻弄されるという点ではギリシャ悲劇かシェイクスピアの四大悲劇(とくに『マクベス』)、善と悪の極北を同時に描くという点では、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』あ…
法学を学ぶのはなぜ?作者:果, 森田有斐閣Amazon 高校生向けの法学の模擬授業がもとになっているとのことですが、むちゃくちゃわかりやすいです。私が高校生の頃にこの本を読んだら、法学部に行っていたかもしれません。いろんな事例を引きながら、法学のおもしろさを伝えているのがいいですね。気になったのは、イスラエルの保育園で実際に導入された「延長保育への罰金」の例。保育士さんたちが好意でやっていた延長保育を「罰金制」(有料化)したところ、かえって延長保育を利用する人が増えてしまった、というものです。好意でやってもらっていたことで遠慮していた親たちが「お金を払えば済む」ことで、かえって気軽に延長保育を…
「ブログリーダー」を活用して、hachiro86さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。