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2007/07/31

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  • 家族訪問による認知症患者の一時的な回復

    先日のいつもの集いでのNZさんは、普段とは別人のような快活な様子だった。 言葉遣いや態度に切れがある。 いつもの「重い認知症のNZさん」ではなかった。 その理由は明白だった。 息子夫婦が帰省しており、その嫁といっしょに集いに参加している。 NZさんの中の何らかのスイッチが入っているのだろう。 こうした状態のNZさんは、以前もあった。 過去の赴任先の友人が当地を訪ねて来た時も、同様だった。 いつもと異なる対人関係を持っている際には、その人に良いところを見せようとしているのか? 単に新鮮な刺激が、意識の覚醒を齎しているのか? 重い認知症でも、条件によっては好転するようだ。 いつもとまるで様子が違う…

  • 田舎のおばさん風の「偉い人」の奥さん

    昨日のいつもの集いでは、遠方からの来訪者がもう一人おられた。 NZさんの息子の奥さんである。 普段は自宅はN県にあり、旦那さんは東京に単身赴任中である。 その旦那さんは、旧財閥系の東証プライム上場企業の役員である。 いわゆる「偉い人」の奥さんであるが、その風貌は想定外だった。 「奥様でゴザイマス」という感じは、まるで無い。 地方の、わかりやすく言うと「田舎のおばさん」風である。 これは意外だった。 旦那さんは、勤め人として出世の極みとも言えるステイタスにある。 会社四季報にも名前が載っている。 だが、奥さんは普通の人である。 旦那の地位を鼻にかけるようなところが無い。 これは得難いキャラクター…

  • 境界の来訪者。

    いつもの集いに行った。 今日は数人の非常連さんが来会された。 一人は何十年も前にこの境界の担当墨子だった方の娘さんだった。 「私は、ここで生まれたんです」 歴代の墨子とその家族は、境界併設の墨子館に居住している。 この娘さんも、ここで幼少時を過ごした。 父親である墨子は、数年前に亡くなったそうだ。 最晩年まで「〇〇に行きたいなぁ」と当地を懐かしんでいたそうだ。 娘さんは、この大型連休に故郷である当地を再訪しているというわけである。 そして今日は、縁の境界の行事に出席したのであった。 境界の常連さんたちは、昔話で賑やかである。 彼らは連帯感が強い人達なので、親戚以上の感慨があるのだろう。 乾燥し…

  • 認知症患者の楽観的な姿勢

    私は、いつもの集いで認知症の方々と出会い、新たな事実を知ることになった。 私は以前は、「認知症患者は、自分が認知症になったことに絶望し苦悩の日々を送っている」と思っていた。 そうなって当然だと思っていた。 記憶力や思考力が減退し、現状の医療では治癒は難しく進行を止めるのが精一杯である。 頭を抱え込んで悩み苦しみ身動きできないだろう、と思っていた。 だが、実際の彼らはどうか? 誰一人、そのようなことで苦悩に沈んでいる人はいない。 認知症であるという病識が無いのだ。 自分が病気だとは、少しも考えていない。 「ちょっと物覚えが悪くなったかな?でも、年寄だから誰でもあることだ」と思っている。 楽観的と…

  • 認知症患者は病識ゼロ。

    私はいつもの集いに行くようになってから、何人もの認知症の方と知り合いになった。 私のそれ以前の認知症についての認識は、極めて貧弱だった。 「物覚えが悪くなる」「記憶が抜け落ちる」といったことは知っていたが、それ以外のことはあまり知らなかった。 私が文字や伝聞で知った認知症の症状は、その概要でしかなかった。 実際に接してみて初めて知るという事柄はいくつもあった。 その中で最も大きな点は「認知症の人は、その病識がゼロである」ということである。 これは私がまるで想定していないことだった。 「あらゆる病気には、当人には病識がある」というのが私の認識だった。 病気になる⇒当人は辛い⇒当然病識はある⇒辛い…

  • 体調不良の報告とワクチン接種の関連性

    いつもの集いに行った。 今日は常連さん三名がお休みだった。 一人は体調不良、一人は通院、一人は家業の都合だそうだ。 他の体調不良者の近況も報告された。 日曜日の集いに欠席されたKDSさんは体調不良が続いているが、墨子によると「疲れが溜まっているためだろう」とのことだった。 私はこれを聞いて(新型コロナワクチン接種の後遺症だろう)と思った。 KD家は真面目に新型コロナワクチン接種を続けている。 そのためであろう、ご家族の体調不良の頻度が増してきている。 新型コロナワクチンは、遅延性の毒とも言えるものである。 その作用は接種後日数が経ってから現れる。 KD家さんの方々は、「ワクチンが原因だ」とは思…

  • 非接種者は意外と身近におられる。

    ツイッターに「自分の周囲に新型コロナワクチン非接種者がいない」という嘆きが記されていた。 ちなみに私は某有名SNSのことをXとは呼ばず、ツイッターと呼んでいる(笑) 気持ちはわかるなぁ。 私は幸いにも、非接種者の友人知人は意外なほど多くいる。 私の特別狭い交友範囲内では十分すぎるほどである。 それでも、それなりの孤立感はある。 (誰か近くにもっと非接種者はいないかな)と思っている。 だが、新型コロナワクチンの接種率は100%ではない。 世間では12~5%ほどの人は、一回も接種していない。 少数派ではあるが、非接種者は10%以上は確実に存在しているのだ。 どの方の周囲にも「実は私は接種していない…

  • 傷跡の深化と脳の老化

    過去の記憶も未来への思い、これらは幻想である。 妄想である。 それらは、今現在は存在しない。 記憶の中に、漂う心の中に傷跡を留めているだけである。 人は、その傷跡から思い出を読み取る。 楽しいことであると辛いことであろうと、それらは傷跡でしか無い。 この行為を繰り返しているうちに、傷跡は深く広がっていく。 この傷は修復不能である。 治癒されることはない。 自らが選んで繰り返している愚かな行為に働く自己治癒力は無いからである。 そこから脳の破壊が始まる。 高齢になるに従って、脳の働きが弱まるのは、このためである。 傷跡が脳を侵食し、正常な動きが阻害されるからである。 早く老化を進めたければ、過去…

  • 耽溺と破壊:過去と未来の幻想

    過去の思い出への耽溺は認知症を誘引する。 「では、未来なら良いのか?」という声があるかもしれない。 未来もNOである。 未来への耽溺も脳を破壊する。 過去は幻想であり、未来も幻想である。 それらは、存在していない。 幻想を常に脳に留めていると、魂の力が奪われてしまう。 魂の力が大きく減退する。 だが、未来への耽溺は、過去の振り返りほど重症化することは、少ない。 人は未来への幻想に生きていても、いずれかの時点で現実生活に目を向けざるをえなくなる。 夢ばかりをみてはいられなくなる。 そこで目が覚める。 脳が破壊されるところまで悪化する例は、極めて少ない。 十代の不安定な揺れ動く心理状態は、これに当…

  • 接種後の体調不良の増加。

    いつもの集いに行った。 今日は4名が欠席だった。 「体調が悪くお休みします」とのことだ。 当ブログお約束の「新型コロナワクチン接種による体調不良だ」である。 こうした調子が悪い人が、新型コロナワクチン接種以降、少しずつ増えている。 すぐに気づくほど大量ではない。 全国ニュースになるほどではない。 だが、明らかに増加傾向にある。 これは私が「何でもかんでも新型コロナワクチンのせいにして」(苦笑)気をつけて観察しているから、目に付くのかもしれない。 このような体調不良者が頻発ているのは、このいつもの集いだけではあるまい。 当ブログでは、このいつもの集いにフォーカスして記しているが、日本のどこか他で…

  • 認知症のリスク:過去への固執が脳に及ぼす影響

    「過去を日常的に思い続ける習慣を持つと認知症を発症する」 過去を振り返ったらから、即、認知症になるわけではない。 発症までには、長い年月がかかる。 若い頃から、日々過去の振り返りをしていると、魂の力が徐々に失われていく。 そのため、心と脳の汚れも落ちなくなっていく。 魂の力が弱くなり、汚れが蓄積し、脳が破壊されていく。 20代、30代から過去の振り返りばかりしていると、高齢者となる頃には、脳の破壊が傍目にも認識されるようになる。 認知症の完成である。 脳が復元不可能な程度まで破壊されるのは、その人の日常の精神生活による。 何か良くないものを食べてきたからではない。 大きなトラウマとなるようなこ…

  • 認知症になる危険性:過去の幻想に囚われる老人たち

    日常的に過去を振り返っている、過去に生きている、こういう人は認知症になる。 過去は存在せず、幻想である。 幻想に包まれ埋もれていると、魂の力が奪われていく。 魂の力が減退し、真っ先に脳が破壊されていく。 一度破壊された脳は復活することはない。 脳の破壊から肉体の破壊に波及していく。 だが、過去を思い出し楽しんでいる人は、殊の外多い。 特に高齢者は、過去の振り返りを日常的に行っており、習慣化してしまっている。 徐々に破壊されていった脳が、その機能を失い、他者にも察せられる程酷くなったのが認知症である。 高齢者で認知症になる人が多いのは、長年の自身の行為の結果である。 過去に生きてはならない。 現…

  • 認知症は過去に生きることにより発症し悪化していく。

    いつもの集いに行った。 この集いの高齢者には認知症が多い。 認知症の種類や程度は様々である。 私は彼らを観察している。 その中で導き出したことがある。 「認知症になる人は、過去に生きる人たちである」 彼らは、日常的に過去の思い出に浸っている。 それが楽しいのか快感なのか、彼らの脳の中は自分の過去の経験が繰り返されている。 この行為により、魂の力が著しく弱まり、脳が破壊されていく。 そして、認知症となる。 「回想療法というものがあるぞ」という声が、あるかもしれない。 だが、それは逆効果である。 過去は幻想である。 幻想に塗れて時間を過ごすことは、自分が本来持っている力を奪っていく。 こうして奪わ…

  • 高齢者との交流を通じて得る楽しさ

    町内の催しに行った。 これは月一回行われているもので、2月と8月はお休みとなっている。 参加者は高齢者で、私とリーダーのM君とサポートの女性二名からすると、親子、もしくはそれ以上の年齢差がある。 私としては、この催しに参加することにより、高齢者の理解を促進する狙いがある。 私は、他者のことをわかっているようで、わかっていないからだ(苦笑) また町内の大先輩方と接することにより、いろいろと刺激も受ける。 極めて緩い感じで楽しい時間である。 出席者は、この催しに出てこられるだけの体力、気力があり、活気がある。 積極的にコミュニケーションを取っていこうとする前向きな気持がある。 これは、意外と得難い…

  • イスラエルは再び流浪の民に。

    「イスラエル国は連合国軍に包囲され、イスラエル人は国を追い出され再び流浪の民となる」 これは、当ブログの予見である。 まぁ、こんなことを言っているのは、おそらく世界中でも、ここだけだろう。 だが、これは現実となる。 イスラエル人は、国を失う。 直近のイラクによるイスラエルへの攻撃は、その端緒になる。 今回の攻撃により、イスラエルの防空網が大したことがないということが世界に知られてしまった。 「米国とイスラエルが構築したものだから鉄壁だろう」という推測は崩れ去った。 ここから少しずつ、イスラエルは追い詰められていく。 後年「そう言えば、あの時から情勢が変わったよなぁ」というのが今である。 イスラ…

  • こたつの片付け:異例の早さと感謝の言葉

    こたつをしまった。 この作業は例年5月の大型連休の前後に行っている。 だが、昨日からの初夏一歩手前の陽気に押されて日程を早めることにした。 諸々の都合を考慮し、今日の作業となった。 4月15日の片付けは、半月も早く異例である。 例年は4月でも朝晩は冷えることがあるので、通電せずにこたつで冷えを回避している。 今年は、もう寒くなることはないだろう、という読みである。 例年通りの作業手順で片付ける。 この冬もこたつには、大いにお世話になりました。 あなたがいなかったら、凍えていたことでしょう。 あなたあっての、我が家の冬でした。 また今年の暮には再登場していただきます。 その時には、またよろしくお…

  • ワクチン接種と知的活動の悪化。

    いつもの集いに行った。 今日は、法事で欠席された方など欠席者が多かった。 「☦️だから仏教の法事とかには出ません」とかは、言わないようだ。 そのあたりは、十分心得ているようだ。 「仏教大嫌い」のKMさんも、法事には出ているそうだ。 その度に坊さんとぶつかって、やり合っているそうだ。 大きなお孫さんがいるような方でも、譲れない部分があるようだ。 さて、常連さんの約8割は新型コロナワクチン接種者である。 最近、それらの方々の知的活動が少しずつ低下しているように見える。 これは私が最初から色眼鏡で見ているせいかもしれないが、それを差し引いても頭の回転が遅くなってきている。 ケアレスミスも増えてきてい…

  • 道具としての存在

    私にはヒーリング能力があるのだが、殆ど誰も頼みに来ない。 何故か? 誰にも言っていない、公表していないからである。 誰も知らないのである。 「私にはヒーリング能力があります」などとは、言うつもりはない。 厳密には私自身にその能力があるわけではない。 私は、ただの道具である。 水における水道管、電気における電線のようなものである。 水や電力が通ってこその水道管、電線である。 それが無ければ、ただの邪魔な管でしか無い。 私自身は無能なアホである。 だが、「こいつを使ってやろう」という力の主の意向が働けば治癒の道具となる。 その私が「私が癒やしている」などと思い始めたら、すぐに転落するであろう。 転…

  • ヒーリングの始まり:花粉症に悩む教会長先生

    いつもの教派神道の教会に行った。 教会長先生は、終始鼻水を啜っておられる。 「風邪を引かれましたか?」 季節の変わり目には風邪はよくあることである。 私の問いかけに教会先生は、こう答えた。 「花粉症です。今日は花粉が大分舞っているようで・・・」 えぇ~、花粉症!? 教会長先生が花粉症だとは聞いたことがない。 花粉症デビューのようだ。 細かく話を伺うことは、今回は控えることにした。 健康について日頃から特別に気を配っている教会長先生が花粉症デビューである。 それなりにショックもお有りだろうからである。 私は帰り際に「私が治してさしあげますよ」と言葉をかけた。 教会長先生は新たなヒーリングの対象者…

  • コロナワクチン接種後の心の病。

    いつもの集いに行った。 今日はTZMさんが欠席だった。 病気の診察があるそうだ。 TZMさんは、病気のホームセンターである。 これは私が密かに命名しているもので、「病気のデパート」ほどではないが、それに次ぐほどの多くの病気を抱えている人、という意味である。 実に失礼なネーミングである(苦笑) 今日の診察の病気は、心の病であろう。 通常、それ以外の病気の場合は、診察の病名を明かすが、黙っているので、そう推測されるのである。 当ブログのお約束として、これも新型コロナワクチン接種による後遺症だと考える。 既往症の進行が早まるのである。 それも傍目にもわかる速度でである。 気の毒なことではあるが、私達…

  • 一人のクルマでもマスク着用。

    今朝7時、ある理由がありベランダに立っていた。 通りや家並みが見通せる。 いつもは障害物等で見えない、見ていない物や情景が見える。 そろそろ町が動き始める時間である。 あるご近所さんが家から出てきた。 旦那さんの出勤であろう。 駐車場に向かい歩いていく。 クルマに乗り込む数歩前、旦那さんは懐から白いものを取り出した。 それを口に当てた。 マスクである。 マスクを付けクルマに乗り込む。 あぁ、これは重症だなぁ。 重いコロナ脳である。 自分一人しか乗っていないクルマの中でもマスクをする。 科学的ではない。 正気ではない。 新型コロナ恐怖症である。 新型コロナワクチン接種を欠かさず接種しておられるだ…

  • 日本人好みの桜の美学

    自転車で家を出る。 用事がてら縄張りを(笑)を走る。 移動と同時に桜を観ることも兼ねている。 桜はどうなっているだろう? 当地は昨夜半から大風が吹き続けている。 微妙なところだろうな。 我が家からもっとも近い桜スポットである氏神様に向かう。 大風に逆らって前進する。 氏神様が見えてきた。 境内の桜は、6割方が散ってしまっている。 あぁ、持ちこたえられなかったか。 そりゃ、そうだろうな。 あまりに強い風だからである。 残念だが、仕方ない。 昨日のお祭りの片付けの際に、よく観ておいて良かった。 このあと、他の場所の桜も観てきた。 何処も同じような状況だった。 年に一度だけ、約一週間ほどの開花である…

  • 当地のお祭りで降雨なし。

    朝8時からお祭りの後片付けに行った。 町内をお祭りの準備の班と後片付けの班の2つに分け、交代で担当する。 私の班は今年は後片付けである。 曇り空だが雨は降っていない。 天気予報では、午後3時頃から雨とのことだった。 お祭り初日、二日目、後片付けの月曜日といずれも一滴も雨が降らなかった。 これは当町内としては、極めて異例のことである。 長年「〇〇のお祭りは必ず雨が降る」と他の町内の人に笑われてきた。 また自嘲気味に当町内の人も、そう言ってきた。 それが今年は雨ゼロだった。 片付け作業中の雑談でも、この話題は出た。 「俺の日頃の行いが良いから(笑)」との声があった。 そうかもしれないなぁ。 その人…

  • 癌と新型コロナワクチン接種の関連性

    いつもの集いに行った。 先週は、常連出席者のHMさんのご親族の葬儀が二件あったそうだ。 ひとりは、弟さん、もうひとりは従兄弟である。 弟さんは盲腸癌、従兄弟は大腸癌である。 弟さんは、まだ50代だった。 いずれも進行が極めて早い、いわゆる「ターボ癌」だった。 盲腸癌は、これまでは滅多に発症しない稀な癌だっが、新型コロナワクチン接種が始まって以降はかなりの増加傾向にあるようだ。 亡くなられたお二方とも新型コロナワクチン接種者である。 HMさんは新型コロナワクチン非接種者だが、ご兄弟やご親族は接種してしまっている。 兄弟や親族でもワクチン接種については、考え方が異なっている。 これは決定的なことと…

  • お祭り初日は晴れ。

    当地のお祭り初日となった。 朝から晴天である。 嘘のようである。 その上、風も吹いていない。 大風が迷物の当地にあって、無風と異例である。 最高のコンディション、絶好のお祭り日和となっている。 加えて、桜が開花中である。 お祭りの本会場である氏神様の境内には、桜の木が石垣沿いに何本も植えられている。 桜に覆われた境内でお祭りである。 これがなかなか見事なのである。 特に装飾が無い氏神様が、華やかに彩られている。 文字通り「華を添える」こととなっている。 う~ん、こういう年もあるのだなぁ。 当地のお祭りが晴れなんて、ちょっと考えられない。 雨が降って当たり前のお祭りが、晴れだと逆に違和感すらある…

  • 自然の意思と祭りの運命

    当地は朝から小雨である。 天気予報では、各社とも「一日中曇り」となっていたので想定外と言えよう。 さていよいよ明日からの週末は、当町内連合会のお祭りである。 例年だと、前日の金曜日まで稀なほどの晴天で土日に雨が降る、というのが当地のお約束だった(苦笑) それが金曜日が雨天とは、実に珍しい。 雨は今日いっぱいまでで、明日土曜日は晴れ、となっている。 天気予報の時点ではあるが、これは異例である。 私は自然現象にも、ある意思があると考えている。 「ただの偶然」とは思っていない。 長年続いてきた当地のお祭りの雨の伝統(笑)も、ついに途切れるのか? どうなるのだろう? 晴れてほしい。 雨のお祭りは、気分…

  • 老化の急速な進行と新型コロナワクチン接種の影響

    いつもの集いに行った。 今日は一名が欠席だったが、家業の都合とのことだった。 ここのところ常連参加者のYMさんの老化の進行が激しい。 会う度に老化しているのが目に見えてわかる。 老化は、これほど急に進んでいくものなのか? これは新型コロナワクチン接種による後遺症であろう。 特に既往症がない人でも、接種者は老化が早まる。 それもこれまでは無かったほどの早さでである。 週ごとに老いていく。 実際には日毎に、あり得ないペースで老いていっているのであろう。 私のようにお節介に観察している人間は気がつくが、そうでなければ、わからないかもしれない。 老化は自然現象ではあるが、あまりに早い場合は悲劇である。…

  • ドラッグストアがもう一軒。

    自転車で縄張り(笑)を走っていた。 たまに利用するドラッグストアの裏道に入った。 そこはドラッグストアの真裏で整地され、新たな建物が作られるようだった。 何か商業施設ができるだろうな。 ここは道一本隔てて、もう一軒ドラッグストアが営業中である。 ドラッグストアが並んでいるのだ。 さらに、この通りの同じ並びの東に200メートル先には、もう一軒ドラッグストアがある。 ドラッグストア三つ巴である。 三つも要らんよなぁ。 整地の空き地には白い告知看板が立っている。 少し回り道になるが、見ておこう。 施主は、? えぇ~! 「〇〇薬◯」 ここにもドラッグストアができるのか(驚) ライバル三店舗が表裏横と並…

  • 季節感を楽しむ桜のチェック

    当地の桜が咲き始めた。 昨日の昼間は、どの場所の桜も一つも咲いていなかった。 私は行く先々の桜を全てチェックしていた。 わざわざ見に行くのではなく、通りがかりのチェックである。 これはこれで季節感を味わえて楽しい。 桜の開花情報は、話の種にもなり、重宝する。 当地の著名な花見スポットを通った際にも確認したが、咲いていなかった。 当地は各種気象予測サイトでは、既に開花とされていた。 だが、一本も咲いていなかった。 見事にゼロだった。 桜は気温の変動に敏感な花なので、先週末からの高温により開花が促されたのかもしれない。 このペースで行けば、今週末の当地のお祭りに文字通り華を添えてくれることだろう。…

  • 今週末は当地のお祭り。

    先週末は、お隣の町内連合会のお祭りだった。 土日ともに晴天だった。 これだけでも上々だが、後片付けが行われる今日月曜日午前中も晴れた。 パーフェクトである。 天候に恵まれてこそのお祭りである。 楽しいお祭であったことだろう。 お隣の町内連合会の皆さんは、日頃の行いが良いのだろう。 そして、今週末は当地のお祭りである。 昔から「必ず雨が降る」とされてきたお祭りである。 金曜日まで快晴でも、土曜日になると一転して雨空になる。 「そんなの偶然だよ」という声もあるかもしれない。 しかし、偶然とはとても思えないほど、当地のお祭りは雨に祟られる。 一体どうなっているのだろうか? 当地の皆さんも当然気づいて…

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