「竜馬がゆく」など、幕末を舞台にした小説を読んで楽しいのは、京都の街に関する記述が多いこと。神社仏閣はもちろん、通りやお店、それらは150年以上経った今でも現存するものが多い。小説を読みながら、竜馬らが駆けた道を頭の中でトレースするのは、京都の側に棲む行者にとって楽しい作業である。
現政府、為政者への鬱積した憤懣が、より上位にいる、むしろ抽象的ともいえる存在「超越的なもの」への憧憬と忠誠に結びつくという社会現象は、幕末に限ったものではなく、又、洋の東西を問わないものではなかろうか。幾分前のタイ国における政変時にも、王が担ぎ出される、そんなシーンがあったことを思い出す。
讃岐や阿波の気質がむしろ畿内に近いというのであれば、それは陸路よりむしろ海路が主要な流通であったこの時代の特徴を示しているということだろう。禁制が緩み、それぞれのお国柄をしょった若者達が集った幕末の江戸や京都は、さながら人種のるつぼ、そんな雰囲気だったのだろうか。
「入り鉄砲に出女」という言葉が示すとおり、江戸幕府は内に向かっては人々の移動、交流を制限し、外に向かっては「鎖国」を以って国是とした。その甲斐あってか、250年の太平を実現したわけであるが、「我慢」は、一方で人の好奇心をくすぐるものである。
司馬遼太郎が強調しすぎるきらいがあるが、「尊王攘夷」と一方には「近代化」と多面的な側面を持つ明治維新であるが、「平等への強烈な渇望」というものも、その推進力の一つであったのだろう。坂本龍馬は身分解放の闘士でもあったということか。
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